行頭の「一」が太いオレンジの条は、 ¬御一代記¼・¬空善聞書¼・¬実悟旧記¼・¬仰条々¼ に見られないもの。
◎目録
一 (1)御誕生事
一 (2)御母儀御方事
一 (3)六歳時御寿像事
一 (4)石山寺観世音菩薩事
一 (5)考亭若公御所存事
一 御出家事
一 (6)六歳御寿像被↠書事
一 (7)東山御坊事
一 (8)前住存如上人御往生事
一 (9)金森道西事
一 (10)御弟子等事
一 (11)何事も不叶御意事
一 (12)御一期は人に被↠取↠
一 (13)仏法をば指寄可語事
一 第十八願意肝要事
一 (14)仏恩の称名事
一 (15)仏法をば人に能可問との事
一 (16)常に謹て不断可敬事
一 (17)如来と一つ仏心と成との事
一 (18)善人の敵とは成共悪人の友とは不可成との事
一 (19)聞ほど法は可↠成↠貴法事
一 (20)浄土へ参安堵の思事
一 (21)「御文」よませ聞召事
一 (22)「御文」如来金言と可存事
一0838 (23)能聞法可談合事
一 (24)信心は我身成徳事
一 (25)まき立と云事
一 (26)時剋到来と云事
一 (27)油断にて後生仕損ずる事
一 (28)信なきを御かなしみの事
一 (29)仏法に無我の事
一 (30)弥陀をたのむ計事御誓言も
一 (31)信の人をたのもしく可思事
一 (32)空おそろしく可存こと事
一 (33)独居て可悦事
一 独居てとたしなむべき事
一 (34)涯分とたしなむべき事
一 (35)得てに法をきゝ成事
一 (36)名聞げに不可有事
一 (37)法には近づくべき事
一 (38)常
一 (39)老の御しはのべ給事
一 (40)心得のなをるを御悦事
一 (41)かむとは知とも呑とは不知事
一 (42)人のわろきと信事
(一 同行の寄合の時は)
(一 一向に不信の由申す人は)
一 (43)世間儀わろき事
一 (44)虚言は毎時わろき事
一 (45)人にをとるまじきと思事
一 (46)木の皮をきる共の事
一 (47)冥加の方事
一 (48)順如上人御代事
一 実如御代の事
一 (49)人中にて正教事
一 (50)当流は本願心は無窮事
一0839 (51)凡夫の方より名号をとなへざる事
一 (52)正五九月事
一 (54)聖人の御
一 (55)冥加の方に就て木のきりくづ事
一 (56)領解の心事
一 (57)四家の浄土門事
一 (58)当流正教よみの事
一 (59)衆生の往生成就事
一 (60)神にも仏にも事
一 (61)一流儀すゝめ大果報事
一 (62)正教御許なき正教事
一 (63)身を捨も聖人法儀本寺御難事
一 (64)无光本不焼事
一 (65)末学不学本寺御流事
一 (66)神は仏也事
一 (67)聖人愚禿事
一 (68)延徳二報恩講事
(一 (69)又或時の仰に我は若年より)
一 (70)延徳三巧如・存如御代事
一 (71)上人人師・戒師事
一 (72)仰を能々可心得事
一 (73)大仁・小仁事
一 (74)所々御作御文事
一 (75)御門人勤あしき事 諸宗人
一 (76)先師名号事
一 (77)文明十九御夢想事
一 (78)御母儀御方事
一0840 (79)荊丹国人事
一 安芸法眼事
一 (80)高田専修寺より申事
一 (81)聖人草びら御よいの事
一 (82)因願・成就事
一 (83)所行自力又他力事
一 (84)誰か始たる所へゆくべき事
一 (85)三恒河沙諸仏出世事
一 (86)自力念仏事
一 (87)遇獲信心文事
一 (88)黒谷聖人仰に菩提所造べからず事
一 (89)御堂衆信心決定事
一 (90)尾張巧念事
一 (91)信なき人は病心ちする事
一 (92)信をば次にし御恩事
一 (93)衣の色の事
一 (94)信なき者不可有御見参事
一 (95)十八日御仏事後能に狂言事
一 (96)光闡坊上洛事
一 (97)人に信取すべきと奥州御下事
一 (98)善鸞御坊跡御覧なき事
一 (99)此宗在家にて立らるゝ事
一 (100)「御文」てにはの事
一 (101)あかぬは君の仰事
一 (102)信えたる人我弟事
一 (103)聖人御流後生たすけ給事
一 (104)行さき見ざる事
一 (105)仰ならば可成との事
一 (106)
一 (107)人の罪は早く見事
一 (108)談合時物いはざる事
一 (109)人法を悦は猶悦事
一0841 (110)正教をよみ信かたる報謝たる事
一 信心人見
一 (111)人に物を被下て信を取せられ度事
一 (112)法を心得たと思は不心得事
一 (113)信の上さのみ悪時はあるまじき事
一 (114)仏法者信心人違を見可意得事
一 (115)珍物調て不食心得事
一 (116)法にはあく事なき事
一 (117)法には軽く御恩は重可存事
一 (118)法の威力といふ事
一 (119)名号の主に成事
一 (120)¬安心決定鈔¼久御覧事
一 (121)食する物の御恩事
一 (122)法を好ぬは嫌の事
一 (123)世上事程法を思は悪事
一 (124)法に心を懸事
(一 信を得ば)
一 (125)人の物を進上事
一 衣下おおがみにて事
一 (126)法者に近きて無損事
一 法の上歎はみなす事
一 (128)本泉寺へ物つかはされし事
一 信をえずして悦云事
一 (129)本寺は聖人御座所事
一 (130)辛労せず物とる事
一 我はよきに成事
一 (131)宿善事
一 宿縁事
一0842 (132)一流法を悪云成事
一 (133)愚者三人智者一人事
一 (134)¬安心決定鈔¼肝要事
一 (135)家を作は頭だにぬれずはの事
一 (136)道宗「御文」申事
一 (137)信のなき人大事の正教無用の事
一 (138)従善懸字申さるゝ事
一 (139)御内仁ありがたき事
一 (140)専修寺 高田 舟事
一 (141)開山聖人客人事
一 (142)御門徒人
一 (143)先師上人御わらふんづ跡事
一 (144)存覚上人事
一 (145)陽気陰気事
一 (146)教化する人は信を
一 (147)一年信相続事
一 (148)人の不審堂衆可被心得事
一 (149)御堂にて御法談事
一 (150)仏智より信決定他力事
一 (151)冥加方衣装事
一 (152)聖人代々御修行事
(一 (153)蓮祐禅尼往生の砌)
一 先師上人三ヶ度御修行事
一 (154)一念の信如来仏智事
一 (155)南無といふは帰命なり事
一 (156)願正・覚善仰事
一 (157)順讃を御忘事
一 (158)念声是一といふ事
一 (159)五不思議事
一 (160)三河教賢仰事
一 (161)他力願行久身たもつ事
一 (162)弥陀大悲の事
一0843 (163)「和讃正信偈」ある事
一 (164)正教おぼえたりともの事
一 信をえたる上報謝事
一 (165)蓮淳に仰信心事
一 (166)十二月六日歳暮七日仰事
一 (168)時々懈怠事
一 (169)御たすけあるとあらふずるとの事
一 (170)南无の无之字事
一 (171)十方无量の讃事
一 (172)聖人御詠歌事
一 (173)瑞林庵対仰事
一 (174)仏恩がの字の事
一 諸仏三業荘厳の讃事
(一 (175)朝夕「正信偈和讃」にて)
一 (176)
一 (177)参川浅井御家へ仰事
一 (178)信心の称名の讃事
一 (179)无生の生事
一 (180)廻向といふ事
一 (181)一念発起の儀事
一 (182)御身を捨て平座事
一 (183)門徒にもたるゝ事
一 (184)愛欲の広海事
一 (185)人多参慶聞坊帰んとある時事
一 (186)明応元御上洛日大雨事
一 (187)えき病事
一 (188)道徳まいる事
(一 (189)同四年十一月)
一0844 (190)信取ては用なき事云
一 (191)信なき人御見参事
一 (192)五年報恩講¬御伝¼
一 (193)同六年四月開山御影以下拝見事
一 (194)同七年御不例事
一 (195)同年五月御影堂御参事
一 (196)同比姉小路殿事
一 (197)御堂田輿にて御出仕事
一 (198)同「御文」御法談事
一 (199)大坂御坊建立事
一 信のなき人御見参不可有
一 明応元御上洛
一 えきれいの事
一 同二道徳事
一 同四年十一月
一 明応五
一 四月九日
一 同五十一月
一 同六年
一 同七年四月
一 同五月
一 (200)安芸法眼御免事
一 (201)明応八人不夢想事
(一 (202)明応七年の夏比よりの仰)
一 (203)同二月大坂十八日御出事
(一 (204)先師上人近年は御病気の条)
一 (205)同廿一日聖人の御参事
一 (206)廿五日四方土居御覧事 同廿七日同
一 (207)三月一日北殿御出
(一 (208)三日には芳野より)
(一 (209)七日の暁)
一 (210)同七日御堂
(一0845 (211)聖人へ御申ありけるは)
一 (212)九日御亭へ御出
一 (213)空善進上鴬事
一 (214)「御文」慶聞坊
一 (215)同日御影被懸事
一 栗毛御馬
一 (216)御病中度々仰乞食
一 (217)十七日時念仏
一 (218)十八日兄弟中へ
一 (219)十九日おも湯
一 (220)廿二日御相好
一 (221)廿三日御脈事
一 (222)廿五日御入滅
一 (223)廿六日朝御堂へ御出
一 同日御葬礼
一 諸万人礼
一 (224)泉涌寺衆見仏事
一 (225)御拾骨
一 御中陰 三七日 結願但御往生間
0846蓮如上人御一期記
この上人文明の比、 板東を御修行第二番の時は、 賀州河北郡横根村に乗光寺と云所、 三ヶ日逗留の中に、 夕暮に仏法僧三声鳴、 奇妙不可思議の事と各申あへり、 いよいよ権者の瑞相是等なり。
それ蓮如上人は、 開山親鸞上人より法流御相続は八代、 一天四海すみやかに一流のひろまれる事は、 此上人の御遺訓にあり。 然ば中興上人とぞ申しける。 凡六十余州に当流の義あまねくひろまり、 日本国中に比類なく繁昌せしむること歴然なり。 剰一年前荊
一 抑この上人は、 去ぬる称光院御宇*応永廿二年の春の比誕生したまふ。
一 所は城州愛
▲御母儀方は、 何方よりわたらせ給ふ人ともしらず、 何の比よりすませ給御方とも更に人しらずして、 男子一人誕生ありて養育しましませり。
一 ▲すでに若公も成仁なり給ひて六歳とまうす時、 布袋若公の寿像をかゝせて表褒衣までさせられて
一 ▲さて其後或人、 近江国の石山の観音堂へまいりたりしに、 内陣をのぞきければ、 布袋若公の寿像かゝり給ひて侍りしを見たてまつり、 おどろき不思議におもひ、 寺家の僧に近づき、 ひそかに尋侍りしに、 かの御母儀の東山にましましし程は、 石山には観世音菩薩もおはしまさずとみたてまつるとの支証を色々み侍ける由を、 寺家の僧のかたりけるとぞ申しける。 まことにかの御母儀の御方は、 うたがひなく観世音菩薩にてわたらせ給けることを、 各かたりあひけるに、 人々たしかにしれる事なりけり。 弥奇特深妙のことゝ申しける。 さて蓮如上人年へだゝりて後、 西国の豊後国に人を下給ひて御たづねありしかども、 さらに左様の人のゆかりとてもなき由を申し侍りし。 かの国の人々もかたり申されけり。 其後豊後の国へ御下向あるべきとて、 度々尋給ひしかども、 彼御ゆかりとてはなかりし事共なり。 さて布袋若公は御成仁ましましければ、 御名を改めて童名考亭とぞ申しける。 いまだ三五の比よりも、 教学のみに御心をかけたまひ、 是非ともに親鸞聖人の御一流を人々にも仰きかせられ、 信心も各決定し御勧化の繁昌ある様にと、 思食たゝれけるはこそ不思議とぞ人々申あへりき。 まことに黒谷聖人も、 十五歳より有為無常消滅の、
(空白)
彼聖人の後身にてまします歟と、 各申あへりける。
0848(5)
一 さて考亭若公は 御宇*永享三年に十七歳にて御出家、 恒例にまかせ青蓮院の門跡にて事ありて、 兼寿中納言とぞならせ給ける。 やがて法号蓮如とぞ付かせ給ける。
一 又四十余年の後、 六歳の時の寿像をかきたりし絵師が所をたづねさせたまひけるに、 其寿像もあまた書たりしとみえて、 御絵あまた残りたりしを、 その中にひとつ似たりとて其寿像をかゝせらる。 其時我母に別れ侍りし時は、 かの子の紋の小袖を著したりと仰せ給ひて、 かの
こゝに六歳御寿像の上の讃をかくべき也。
山科に御居住の比は、 つねづねに取出されて懸られける。 御往生の後には、 三月廿五日の正忌日には、 南殿の
一 よろづ存如上人の御時は、 御不辨にて本堂の阿弥陀堂はたゞ三間四面、 御影堂は五間四面にてぞ侍りける。 遠国より上洛の人もまれなりければ、 出入の人々もおほからず、 寺内寺外とてもひろからざりけり。
一 然に存如上人は、 *長禄元年六月十八日御入滅なり。 則御相続の儀、 蓮
一 然に近江国の金森といへる所に、 道西と云人ありけり。 常に大谷の御坊へまいり、 御勧化をうけ給り、 ありがたく存ずるとて、 細々金森より参り聴聞申ける。 御若年の比より、 開山親鸞上人の御一流の殊勝なる理りを申立る人なし。 哀々、 仰立られ候はではと思食さるゝ所を、 この道西ありがたく忝侍るとて、 細々参入し仰をかうぶり、 又金杜へも申入、 仰を承り、 常に近付奉る事に成候て、 いよいよたふとく忝も思こゝろつきければ、 聴聞にのみ心をとゞめ、 ありがたき事になれり。 道西馳走し、 自然御身をもくつろげおはしましけり。 又同行の人数を引もほし参りつゝ、 其より御門弟の旁も出入ありて、 大谷の御坊へ参ずる人数もおほかりき。
一 夫先師蓮如上人の朝夕の仰をかうぶり、 常随給仕の御弟子といふべき人はおほからず、 報恩寺 蓮崇・慶0850聞坊 龍玄・法敬坊 順誓・法専坊・ 空善・手原の幸子坊・金杜の従善等の人々に対して、 昼夜不断に仰を請申され、 又仰の旨をたゞちに注しをかれ、 しかも数度の錯乱にみなうせて、 且てのこらず、 いさゝか人の書置れし御詞の端々のこりありけるなどを、 愚老書集注し侍り。 相違の事もあるべき歟。 後人披見旁等あらば、 直をかるべきもの歟。
一 ▲先師蓮如上人仰られて云、 何たる事を人の申も御心には
一 ▲人は本の心のまゝなれども、 信を取たると、
一 ▲又仰に、 仏法をばさし寄て語るべし。 法敬坊に対して仰に、 信心・安心といへば、 愚痴なる人はまたくしらず。 別の
(同)
一 ¬安心決定鈔¼ (巻本) に 「浄土の法門は第十八の念仏往生の願をよくよく心うるほかにはなきなり」 と仰られ候。 しかれば 「御文」 (五帖一) にも 「一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、 たとひ罪業は深重なりとも、 必弥陀如来はすくひましますべし。 これすなはち第十八の誓願のこゝろなり」 と仰られ候。
0851(14)
一 ▲信のうへは、 たうとく思て申す念仏は、 仏恩にそなはるなり。 他宗には、 親のため又なになにのためなど云て念仏をつかふなり。 当流聖人の御一流には、 弥陀をたのむが念仏なり。 其上の称名は、 なにと様にもあれ、 まうす念仏は仏恩になるなり。
▲仏恩の称名は退転あるまじきことなり。 又心よりたふとく思て申す念仏は仏恩となり、 たゞ何となくて申す念仏は、 仏恩報謝にはなるべからずと申す人侍りき。 大きなるあやまりなり。 をのづから念仏の申され候こそ、 仏智の御もよおし、 仏恩の称名なれと仰られき。
一 ▲折々の仰に、 たゞ仏法の義をば能々人に問べしと仰ごとなり。 されば誰に問申べきと伺申ければ、 仏法だにもあらば、 上下をいはず問べしと、 仏法は知さふもなき者が知ぞと被↠仰候。
一 ▲人はあがりあがりて落場をしらぬ也。 たゞつゝしみて不断に空おそろしき事と、 毎事に心をつけてもつべき由仰られき。
一 ▲一心とは、 弥陀をたのめば如来の仏心とひとつになし給ふがゆへに、 一心なりとのたまふ也。
一 ▲同行・善知識には能々近づくべし。 「親近せざれば雑修の失也」 と ¬礼讃¼ (意) にあらはせり。 悪きものに近付ては、 それにはならじと思へども悪き事時々にあり。 たゞ仏法者にはなれ近付べきと仰られ候。 俗伝に0852いはく、 「其人の心を知んと思はゞ其友をみよ」 といへり。 「善人のかたきとは成とも悪人のとすは成ことなかれ」 といへり。
一 ▲「聞けばいよいよかたく、 あふげばいよいよたかし」 (論語意) といふ事あり。 物をきゝて見てかたきとしる也。 本願を信じて、 殊勝なる程もしるなり。 信心をこりぬれば、 たふとくありがたく、
一 ▲「蓮花の上に坐せぬあひだは、 安堵のおもひあるべからず」 (和語灯巻五意) と、 黒谷上人の御詞にもあり。 水鳥もうへはたのしむ様なれども、 足をば油断なくはたらかすなり。 信のうへにはいよいよ讃談し談合すべきが仏法の恵命なりと思べしと仰ありき。
一 ▲御朦気の中に、 慶聞坊に、 仰られ候しは、 物をよめと御意候ところに、 「御文」 をよみ申すべき歟と申上られ候て、 三通を二返づゝよませられ候て、 御つくりたる物なれども、 殊勝なる事よと仰られき。
一 ▲「御文」 をば如来の直説と存ずべきの由候。
一 ▲御法談の以後は、 四、 五人の衆兄弟中寄合候て常に談合すべし。 尤興隆たるべき由仰られき。
一 ▲人々仏法を信じてわれに
一 ▲法敬坊に対し、 まきたてと云物しりたる歟と仰らるゝ処に、 法敬坊申さる。 まきたてと申して一度
一 ▲時節到来といふことは、 用心をもしての其上にことの出来候こそ、 時節到来とはいふべけれ。 不断用心をもせずして事の
一 ▲老若上下によらず、 後生は油断にて
一 ▲御口内を御煩の折節、 御目をふさがれ、 あゝ、 と仰られ候へば、 定御煩ゆへと皆人存知候へば、 やゝありての仰られ事に、 人の信のなき事を思へば、 身をきりさく様にかなしきぞと仰られき。
0854(29)
一 ▲仏法には无我と仰られ候。 われはわろしと思人なし。 我好とばかり思ふ心は是聖人の御罰なりと、 御
一 ▲存如上人仰にも、 前より御相続の儀は別儀なき也。 たゞ弥陀をたのむ一念の義より外に別条なく候。 この外に御存知なく候。 如何様の御誓言もあるべ由仰事候き。
一 ▲世間にをひて、 時宜しかるべき人也とも、 信なくは心をくべき也。 たよりにもならず。 仮令片目つぶれ腰を引候様なる者なりとも、 信心あらん人をばたのもしく思べき也と仰らるゝ也。
一 ▲仏法の上には、 毎事につけ
一 ▲同行の前にては信心を悦なり、 これ名聞なり。 信の上にては独り居て悦ぶ法なり。
▲仏法の方へは世間のひまをかきて法を聞べし。
一 ▲
0855(35)
一 ▲一句一言を聴聞するにも、
一 ▲念仏申すも、 人の名聞げに思はれ候と思て嗜が大義なる由、 ある人申され候。 常の人の心中にはかはり候との義に候也。
一 ▲遠きは近く、 近きは遠き道理あり。 「灯台もとくらし」 とて、 いつも仏法を不断に聴聞する身は、 御
一 ▲ひとつことをきゝて、 いつもいつも
一 ▲御門徒の心得を直すべきと
一 ▲御門徒衆に御尋候き。 そなたの坊主の心得のなをりたるはうれしく存ずる歟と御尋候へば、 誠に心得をなをされ、 法義を心に懸られ候て、 一段とありがたく存知候と申され候へば、 我は猶うれしく思よとぞ仰られき。
0856(41)
一 ▲「かむとはしるとも、 のむとはしらすな」 と云ことあり。 妻子を
一 ▲万事に信のなきによりて悪きなり。 善知識のわろきと仰らるゝは、 信のなき事をくせ事と仰らるゝなり。
一 ▲同行の寄合の時は、 物をいへとの仰也。 物をいへば心中もきこへ、 又人にも直さるゝなり。 たゞ物をいへいへと、 常に仰られけり。
一 ▲仰に、 一向に不信の由申す人はよく候。 詞にて安心のとほり申て、 口には同ごとくにて、 まぎれてむなしくなるべしとかなしく思食との仰なり。 必ず後生むなしくあるべしとぞ。
一 ▲当流には、 総体、 世間機わろし。 仏法のうへより何事もあひはたらくべき事肝要なる由仰事ありき。
一 毎時につけて虚言はおそろしき事と思べし。 よろすにつけて冥加の方を折々に仰られし事也。 仏法方の事をば
一 ▲総体、 人にはをとるまじきと思心あり。 此心にて世間には无我にて候うへは、 人にはまけて信を取べき也。 理をことはりて我をおるこそ、 仏の御慈悲よと仰られ候へ。
一 ▲蓮
一 ▲朝夕は如来・聖人の御
一 先師蓮如上人は、 いまだ四十余歳の比隠遁の御志ましませしによりて、 順如上人ヘ御相続の儀侍り。 応仁二年の時なり 蓮如上人五十四才 順如廿七才。 わづかに十余年ばかり、 *文明十五年五月廿九日に四十二才長病の御煩たまひて御往生あり。 蓮如上人御愁歎かぎりなり。 徳仁の子に別たる程のかなしき事はなし。 たよりなき物なりとぞ仰らる。
▲其後は又蓮如上人御住持にましまして、 *延徳元年八月廿八日又御隠居 実如二歳 蓮如七十五歳 にてましましける。 其夜蓮如上人へ各参たりしに、 仰られき。 「劫成り名とげて身しりぞくはこれ天の道也」 (老子) と云古人の訓も、 今身に思知られて侍り。 はや世をのがれて心やすし、 弥よ仏法三昧たるべしぞと仰られける。
一 ▲蓮如上人の仰に、 人の多中に聖教なんどよまんは大事の儀なり、 必ず謗ずる人あるべしと用心すべきなりと仰事ありき。
一 ▲仏恩のために名号を唱て仏にまいらするは、 かへ物なり。 余の浄土宗の儀此段なり。 当流の心は、 名号を唱るは御たすけありがたやありがたや、 たふとやたふとやと、 申心は仏恩報謝の心也。
▲本願の心は 「願力无窮にましませば 悪業深重のものもをもからず」 といふなり。 ¬和讃¼ (正像末和讃) の心なり。
一 ▲凡夫の方より名号を唱へて行じて往生はせざるなり。 さ0858れば須の文点、 用の文といふ事なり。 南无阿弥陀仏ははや凡夫の往生を成就せしめ給へる体なれば、 兎角はからはずたのむ計なりと心得べきなり。
一 ▲世上の人は、 正、 五、 九月の十六日には善をなすをよしと思へり。 是をもてしんぬ、 かならずたすからざる也。 十六日は炎魔王の縁日なれば、
一 ▲安心とは、 弥陀を一向一心にたのみ申せば、 やがて御たすけある也。 さればこそ安心とはやすきこゝろとはかけり。 まことにやすき也。
一 ▲或夜、 老少・男女・上下共に参集の時、 あら
一 ▲番匠まいりて作事なんどせられし時、 聊なる木のきれ端をも
一 ▲奉法領解の心、 すなはち仏願の体にかへるすがた也、 又発願廻向の心なり。 又信心をうる
▲後生をば弥陀をたのみ、 今生をば諸神をたのむべき様に思者あり。 あさま敷事也。 又内心に仏法を信じ、 外相にその色をみする様にすべき由をの給ひける人あり、 あ0859さましあさまし。
一 ▲浄土門は四家の流あれども、 弥陀如来の御本意は聖人の一流ばかり也と見たり。 故に繁昌すべきなり。
一 ▲当時の人々は、 聖教の一巻をよみては、 はや物しりがほに思へり。 あさましき事也。 聖人は内典・外典にわたり給ふて、 殊に弥陀如来の化身にてましませども、 名を碩才・道人の
一 ▲一切衆生の往生は、 弥陀如来の成就し給たれども、 衆生がうたがひふかくして、 信ぜずして今まで流転しける也。 されば日光は四天下にあまねけれ共、 盲目の者はみず。 日光の照さゞるにはあらず、 をのが目しゐたるによりて也。 その如くに、 南无阿弥陀仏と正覚なり
一 ▲神にも仏にも馴ぬれば、 信仰うすくなる也。 されば熊野・伊勢の神主は神をばまことに信ぜず、 たゞ参詣の人々に参銭まいらせよかしと思ばかり也。 それがごとくに、 是の内にある者共も、 あまりになれなれ敷思て信仰の方はなし。 されば始には手にて直したる物をも、 次第に足にてなをす也。 あらあら浅間しやと、 くれぐれ仰ごとありけり。
0860(61)
一 ▲念仏の一流まちまちなれども、 当流聖人の御勧化のごとくなるはなし。 されば此御すゝめによりて、 信を取事大果報の人なり。 かゝる殊勝の流儀をそしる人は、 あさましき事なり。 然ば 「菩提をうまじき人はみな 専修念仏にあだをなす」 との給ひし ¬和讃¼ (正像末和讃) の心をぞ仰られける。 次の句の 「生死の大海きはもなし」 とのたまひて、 あさましあさましとぞ。
一 ▲聖教は、 沢山に何も書べき様に思へり。 然らざる也。 機をまもりて
一 ▲仏法には、 捨身の行をするが本儀なり。 然ば誰人にも恩にきせては思給はねども、 身を捨て聖人の御流をばすゝめましまさんと思入て、 信ずる人なしと、 御述懐のこゝろに仰ありしなり。 先師蓮如上人ほど御身を捨て仏法をすゝめ給へる人もなき仰に侍りき。
一 ▲无光の本尊をかけ給て、 これは先年炎上の時、 火の中にありし保存也。 まはり計焼て、 十字の分一字も焼失せず、 奇特なりけるぞと仰ありて、 則その謂を裏書に載顕されて、 慶聞坊 龍玄 に下され侍しなり。 不思議殊勝の事に侍り。
一 ▲開山聖人の仰のごとく、 信なくして末学の輩にあしき事の出来は、 本寺の難になるなり。 世間・仏法ともに能々つゝしむべし。 然ば又信心あらば、 自仏法も立べき也。
0861(66)
一 ▲神は済度の胸をこがし、 利生の
一 ▲開山上人は、 弥陀如来の化身にてましませども、 愚禿と名のらせ給ひき。 されば天帝へ、 「僧にあらず俗にあらず。 禿の字をもて姓とす」 (化身土巻) と奏聞ありけり。
一 ▲延徳二年十一月の報恩講は、 将軍家常徳院贈相国 義尚公 江州へ進発の砌にて、 京中諸宗共につゝしみありし時節なればとて、 兼てよりの仰に用捨あるべき由にて、 いかにもひそかに勤行等あるべきとの御巧也。 然に廿一日夜、 既に群集せしめ、 御堂の中に各まいり堪忍せり。 時に法敬坊 順誓 を御使として仰出されていはく、 兼てよりの仰にそむき、 みなみな参集せられ候は然るべからず、 と申ひろめられけれども、 退散の人もなくて、 各
一 ▲又或時の仰に、 我は若年よりいかなる芸能なんどもたしなまば、 さこそあらんずれ共、 幼少よりいま八旬に及まで望には、 只一切衆生、 弥陀の他力をたのみ信をえて、 報土往生あれかしとばかりの念願にて、 今七十歳を送来りたり。 其外はさらに別の望なしとの給ひしなり。 聴聞の老少みなみな涙をながしける。 然に其後の夜、 丹後法眼 蓮応 于時法橋 宿所にて去夜の仰の忝旨を龍玄・順誓・空善等申出して、 かゝる御懇志の旨を申出され、 此御慈悲なればこそ、 此上人の御代より九州・奥州・えぞ嶋までも御法流のひろまれる事なれと、 御繁昌の程をも申出し、 みなみなありがたき由申し、 不思議の御教化なりと、 各よろこび申しき。
一 ▲延徳三年の仰に、 我は身を捨たり。 其故は玄康法印 巧如上人 ・円兼法印 存如上人 の時は、 形議をも声明等をも堅固にをしへましましき。 又豫は田舎の人々も常住出入の衆に対しても、 上段のありしをのけて平座になして、 そば
一 ▲親鸞上人の仰には、 われは人師・戒師といふ事すべからずと、 法然聖人の御前にて御誓言ありけり。 誠に殊勝なる事なりとて、 其比の人々も感じ申されけると、 仰出されて御感ありけり。
▲又諸宗の義には、 名聞なくて
一 ▲仰に、
一 ▲大仁は小仁に身を持てば、 その家を失ふ。 小仁は大仁に身を持ば、 其身を失ふといふ事ありとぞ、 くれぐれ仰らる。
一 ▲加賀所々より越前の吉崎の御坊にいたり、 又河内国の出口より城州山科御坊にいたるまで、 所々にての御作文を悉く慶聞坊によませられ、 御聴聞ありて、 仰には、 我つくりあつめたる物なれども殊勝なりとぞ仰られける。 誠に経論の肝文、 祖師の金言を撰出せさせ給たれば、 誠に末世の愚鈍の衆生、 この御ことばに信心決定の人数出来して、 此度各往生をつぐる事、 この御0864懇なる御勧化により、 数万人の往生をとげ候条、 ことありがたく忝存ずる事なり。
一 ▲諸宗の人は、 諸堂神前にては礼拝し、 参銭などまいらせ信仰せるに、 当宗の門人は、 雑行といひて礼拝もせず、 そら目にて侍る事、 さながら真宗の姿を他宗の人に顕しみせしむること、 掟にそむけり。 あさましき事也。 又当寺、 本尊・御影前へまいりておがみ申様も、 いかにも麁相しにして、 信仰の体もなし。 既に経には、 五体を地になげて拝せよとも、 又頭面に礼し奉れ共あり。 何も何もちがひたりとぞ仰られける。
一 ▲仰に、 我ほど名号書たる者は、 日本に有間敷ぞと仰られける時に、 慶聞坊申されごとには、 三国にも稀にましますべしと申されければ、 誠に左もあるべしとぞ仰られければ、 各もたぐひない御事にましましけるとぞ申あはれける。
一 ▲文明十九年正月廿日に、 先師上人御夢想の告ましましき。 延徳二年に、 御物語ありき。 法然聖人に親鸞聖人行烈し給ひ、 念仏行道ありける御
一 ▲或時の仰に、 我
一 ▲荊
一 ▲安芸法眼蓮崇 越前人後に御内祗候 あやまりをも
一 ▲高田専修寺には、 即得と即便とは同
一 ▲仰に、 開山聖人は、 草びらを御
一 ▲
一 ▲諸行は、 自力にてたのみてこそ他力もあらはせと立たり。 此一流は、 始終ひしと他力なり。 一心に弥陀をたのむも、 我
一 ▲誰か始めたるところへ行べき、 无始より以来
一 ▲三恒河沙の諸仏の出世の
一 ▲仰に、 自力の念仏といふは、 念仏おほく申て、 弥陀にまいらせて罪をけしうしなはんとの心なり。 一流の義は、 弥陀をたのみ奉て、 弥陀にたすけられまいらせてのち、 御たすけのありがたさたふとさよと思心を、 口に出て南无阿弥陀仏と申すなり。 たゞ我をたすけ給へる姿を、 すなはち南无阿弥陀仏なりと、 心得てよろこぶばかりと、 返々仰られ候き。
一 ▲「
0869(88)
一 ▲法然聖人の仰に、 我は菩提所を造まじきなり、 我跡は
一 ▲御堂にあるべき衆は、 信心をいかにもよくとりて候覧と、 田舎の人は
一 ▲信をしかと取たる人すくなしと、 山科南殿の縁にて仰ありしに、 尾張の国の巧念と云人まいりたるを、 やがて仰にいはく、 あの巧念なんどこそ、 よくよく末々の人なれども、 信を取たるものなりしゆへに、 河野九門徒をも取立なんどしければ、 信心のあるによりて座敷をもあげたり、 能々分別あるべしと、 覚如上人へ御申ありけり。
一 ▲信のなき人をみれば、
一 ▲信心決定する段をば、 次にして御恩しれとみな云けり。 御恩をしれといはんよりは、 信心決定しての上には、 只あらたふとやたふとや、 あらありがたやと思心をもちて念仏申すが、 すなはちこれ仏恩なりと仰られ候き。
0870(93)
一 ▲衣は墨ぐろにする事、 然るべからず、 衣はねずみ色なり。 凡夫にて在家の一宗興行なれば、 いづく迄も上下共にたふとげせぬなり。 衣の袖を長く、 たけをもながくすべからずと仰られけるなり。
一 ▲信のなき者には会まじきといへば、 我を二束三枚にして、
一 ▲六月十八日の御仏事以後、 二、 三日能を堺の衆仕ること、 一日は北殿より、 一日は坊主衆より、 一日先師上人よりさせらるゝに、 其日の能の狂言に、 鴬にすける鳥指の人の何を云も知ず、 太刀刀の落をもしらざる狂言を御覧ありて、 面白と仰ありけり。 世間の
一 ▲七月七日光闡坊の 蓮悟 光教寺 上洛あり。 御前へ参せ給けるに、 先師上人の仰に、 よくのぼりたり、 必ず我は往生すべし、 今一度
一 ▲それ信を取て人にも信を取せよと仰事ありし時に、 古へ奥州へ御下向の時、 聴聞してよろこびし人ありき。 其仁いまだありやと御尋ありけるに、 夫婦ともに信を得て悦ぶ由聞召て、 二日路の間を御下向ありき。 然ば彼
一
一 ▲此一流儀、 在家にて建立あるによりて、 平等に繁昌するなり、 ▲改悔すべしといへども、 心中をありのまゝにいはざる者は、 まことに无宿善なりとぞ仰らる。
一 ▲「御文」 の事、 文言おかしく、 てにをはもあしく侍れども、 もし一人も信をえよかしと思ばかりにて書をき侍り、 てにをはのわろきをば我とが科 といふべしとぞ仰らる。
一 ▲或時、 さま障子の内へ空善を召て仰に、 あかぬは君の仰と云事があるぞと仰らるゝ処に、 世上の人の云ことなれば也。 如来・善知識の仰ふかくありがたきことを存ぜよとぞ仰らる。
一 ▲又仰に、 信をえたる人は我身の
一 ▲親鸞聖人の御流は一念のところ肝要なり。 かるがゆへに、 たのむと云ことは代々の祖師あそばしをかれたれども、 はやくくはしく人々も領解なく候しに、 先師上人 「御文」 (五帖九意) と申物にあそばしをかるゝ仰に、 「後生たすけ給へと一念に弥陀をたのめ」 との仰にて、 各あきらかに心を得たり。 然ば先師蓮
一 ▲先師上人の仰に、
一 ▲善知識の仰成共、 なるまじなんど思は、 大きにあさましき事なり。 何たる事成とも、 仰ならば成べきと存ずべき也。 凡夫の身が仏に成うへは、 さて在まじきと、 存ずる事在べきもの歟。 然ば道宗 越中赤尾 申せしは、 近江の水海を一人してうめよとの仰なり共、 畏て候と申すべく候と申す。 仰にて候はゞ、 成ずと申事あるべからずと申されき。
一 ▲信心決定の人を見て、 あの人の如に
一 ▲人の悪時をばよく
0873(108)
一 ▲仏法の談合の時に、 物をいはぬはわろし、 信のなき故也。 又は我心に巧み案じて云べき様に思へり。 又余所なる物を尋出して、 申すべき様に心えたり。 浅間敷なり。 心に嬉き事は詞をたくまず
一 ▲人の仏法の事を申出し悦ばれば、 我は其人よりも猶たふとみよろこぶ身と成べき也。 仏智をつたへ申すによりて、 加様に人も思はるゝと思て、 仏智の御方を、 ありがたくもたふとくも存ずべき也。
一 ▲正教又は 「御文」 等を読て、 人に聴聞させ申候とも、 報謝と存ずべし。 一句一言も信の上より申せば、 人の信用もあり、 我も又報謝となるべし。
一 ▲信心決定の人は誰によらず、 先見れば則たふとく
一 ▲先師上人、 常に人に何物をも下され、 又酒なんど給はり、 人を近付られて、 仏法を仰きかせられんがため也。 唯常に近付られ、 仏法を御きかせられ、 信心を決定させられ
0874(112)
一 ▲仏法を心得たと思ふは心得ぬ也。 心得ぬと思ふは心得たるなり。 少も心得たりと思ふは慢心なれば、 大にあさましきなり。 心得まじき事を心
一 ▲信をえたらん人の上には、 さのみ悪き事有間敷也。 或は人の兎
一 ▲仏法者の少の違を見ては、 あの上さへ加様に候と、 我身の方をふかく嗜べき也。 然にあの上さへ加様に違候へば、 まして我身は何たる違も候はではと思ふ我心ゆるす、 大きなるあさましき事也。
一 ▲重宝の珍物を調て経栄あり共、 食せざればその詮なし。 同行中寄合ても讃嘆すれども、 信を取人なければ、 珍物を食せざると同事也とぞ仰らる。
一 ▲物にあく事はあれ共、 仏に成ことゝ弥陀の御恩を悦びあくことはなし。 焼も失もせぬ重宝は、 南无阿弥陀仏なり。 然ば弥陀の広大の御慈悲を殊に勝れなりと信ずる人を
0875(117)
一 ▲信心決定の人は、 仏法方へは身を軽く持べし。 仏法の御恩を重くうやまふべき由仰らる。
一 ▲仏法者は法の威力にて何共成なり。 威力にてなくは成べからず。 されば仏法を学匠・物しりはいひ立ず。 一文不知の身なれど、 信ある人は仏智を
一 ▲弥陀をたのめば南无阿弥陀仏の
一 ▲¬安心決定鈔¼ は四十余年の間御拝見をなされ候へども、 御覧じもあかれずと仰らる。 又金を堀出す様なる正教なりとぞ仰らる。
一 ▲供御の御膳を人のすゑ申すを御覧ぜられても、 人の食せぬ飯を
一 ▲空善申上られしは、 仏法を数寄申さゞるがへに嗜0876候はずと申上候へば、 それは、 このまぬは嫌ふにてはなき歟と仰せられき。
▲不法不信の者は仏法を違例にするよと仰られき。 仏法の讃嘆あれば、 あら機づまりや、 早く
一 ▲或人申上候は、 今生の事を心に入る程、 仏法を心に悦たきと申上たれば、 仰には、 世間の事に対して思は大様なり。 仏法はふかく悦べき也。
一 ▲又人申上て云く、 一日一日と仏法は嗜べき事に候と、 一期と存ずれば、 大様なりと申。 又或人云、 大儀なりと思は不足なり。 命は如何程もあれあかず悦べきなりと云。
一 ▲信を得ば、 同行にもあらく物を云まじき也。 心
▲毎日毎日に 「御文」 の金言を聴聞させられ候事は、 宝を
一 ▲先師上人は、 門徒の人の進上さらるゝ物をば、 御衣の袖の下にて毎度おがませらるゝ也。 是は仏物と思
一 ▲仏法には、 万かなしき事も、 かなはぬにつけても、 何就ても、 後生のたすからん事を思へば、 悦と成ことの多也。 これ仏恩とぞ仰らる。
▲又仏法者に馴近付ては、 一つも損はなし。 何たるをかしき狂言をもいへ、 是非に仏法まではと思ほどに、 我方に徳が多也。
一 ▲本泉寺蓮悟に物を給候とき、 冥加なしと固辞申し候0877しかば、 つかはさるゝ物をば取べし。 つかはされ候はでは誰歟出すべきぞ、 取て信を取べし。 信なくは冥加なきとて仏物をうけぬ様なれども、 それは曲もなし。 何事歟御用にもるゝ事の候ぞと仰候き。
一 ▲信をばえずして只悦ばんと思は詮なき事也。
一 ▲先師上人の仰には、 本寺の坊は聖人御存生の時の様に思食し候。 御自身は、 御留主を御沙汰候なり。 然ば
一 ▲人の辛労もせずして徳とるは上品は、 弥陀をたのみて仏に成にすぎたる事なしとぞ仰らる。
一 ▲人の心のよき事を聞ても、 又
一 ▲宿善目出
一 ▲他宗には仏法に相たるを宿縁といふ。 当流には信をうるを宿善と云。 信心をうる事肝要なり。 されば一流0878には群機をもらさぬゆへに、 弥陀の教をば弘教ともいふなり。
一 ▲真宗一流の内にて法をそしり、 悪さまにいふ人あり。 是を思ふに、 他宗・他門の事は是非の義なし。 一宗の中に加様の人もあるに、 我等宿善ありてこの法を信ずる身となる事、 ありがたき宿善なり。 如来の御慈悲のいたりと、 有がたくふかく存ずべきなり。
一 ▲「愚者三人に智者一人」 とて、 何事も談合すれば面白事あるぞと、 覚如上人へ仰られき。 これ又仏法の方にてはいよいよ肝要の仰言なり金言なりと、 各も申されき。
一 ▲此間各へ対せられて仰られごとは、¬安心決定鈔¼ の義なり。 片はし御物語にて候。 当流の儀は此抄の儀肝要に候と、 くれぐれ仰事なりき。
一 ▲家を作らば、
▲
一 ▲越中の赤尾の弥七郎入道道宗、 「御文」 を申請度の由申入たるに、 「文」 は取おとす事もあるべし。 たゞ心に信をだに取て下刻候はゞ、 肝要たるべき由仰られて、 明0879る年に 「御文」 を下され侍りける。
一 ▲信もなき人の大事の聖教を所持せるは、
一 ▲従善の望申さるゝにつきて、 懸字あそばされて、 下され候し。 其後その懸字はと御尋ありけるに、 従善申されしは、 表補衣を仕て、 箱に入
一 ▲是の内に
一 ▲開山聖人、 御弟子高田の顕智上洛の時、 申されしは、 今度は既に御目にかゝるまじと存じ候ところに、 不思議に御目にかゝり候と申されしかば、 其は何事ぞと御尋あれば、 船路に難風にあひ、 迷惑仕候と申され候へば、 聖人されば船にはのらるまじき物をと仰られき。 其後は、 御詞の末とて、 一期の間、 船にのられずと 云云。
一 ▲開山聖人の一大事の客人と申は、 御門徒の人々の事0880也と仰られしと也。
▲又御門徒の人をあしく申事、 努々あるまじく候。 開山聖人は御同行・御同朋とかしづきましましきと仰らるゝ也。
一 ▲門徒の人々上洛の時、 先師上人は、 寒天には能上洛と仰られ、 酒の
一 ▲先師上人、 御足にわらんじの跡のきはつき申を、 兄弟中の衆へも細々見られ候て、 若年の比、 開山聖人の一流の仏法を立べきと思へば、 加様にまで下、 京・田舎と辛労したるによりて、 いま兄弟共も
一 ▲存覚は大勢至の化身なりと 云云。 然ば ¬六要鈔¼ (第三意) には 「三心の字訓その外勘得せず」 とあそばし候。 誠に聖意はかりがたき旨をあらはし、 自力を捨て他力に帰する仰の本意にも叶ひ申候者をや。 加様の理は名誉の金言共在之 云云。
▲存覚の辞世に云、
今はゝや 一夜の夢とさめにけり
往来あまたの 雁のこゑごゑ
此言を先師の仰には、 さては釈迦の化現なり、 往来は娑婆の心なりと 云云。 我身にかけて心得ば、 六道輪廻の心なり。 今臨終の夕にさとりを開べしと云る心なりと仰られき。
一 ▲陽気・陰気とてあり。 されば陽気をうる花は既に開く也、 陰気とて日影の花は遅くさく也、 加様に宿善も0881遅速あり。 されば已今当の往生あり。 弥陀の光明にあひて、 早くひらくる人もあり、 遅く開くる人もあり。 兎に角に、 信不信共に仏法に心を入て聴聞する上の事なりと 云云。 已今当は、 昨日あらはす人もあり、 今日あらはす人もあり、 明日あらはす人もありとの仰られ事なりき。
一 ▲教化する人は、 まづ我信心をよく決定して、 其上に正教をもよみかたらば、 聞人も信をうべき也。
▲安心を取て物をいはゞ、 用なき事をば云まじき也。 一心の所をよく人にも云べきなりと、 空善に仰られき。
一 ▲一念の信心をえて後の相続といふは、 更に別にあらず、 はじめ発起する処の安心に相続せられてたふとくなる一念の心のとおるを、 「憶念の心つねにして」 (浄土和讃) とも 「仏恩報謝」 とも云也。 いよいよ帰命の一念、 発起すること肝要なりと仰ごとありき。
一 ▼人の不審なる事を申入たる時は、 堂の者に
一 ある時御堂を御覧じめぐらされけるに、 あまた御堂に男女あつまられけるを御覧ぜられ、 聴聞の望にてぞ堪忍候覧と仰られ、 御簾ぎはへ御出あり、 さまざま御0882法談ありき。 其時三百人もありしに、 此内に信心決定して往生すべきは一人あるべき歟二人在べき歟と仰られけるに、 或人すゝみて安心の様申さる。 此中に往生を
一 信心は仏智なり。 仏智よりたのませらるゝ信心也と心得べし。 たゞ弥陀如来のたのませられて御たすけあると心得べし。 一向に他力也。 その後仏恩法者の称名も信にもよほされて申せば、 是も口にとなふれば、 我等が申様には候へども、 信にもよほされて申時には、 みな仏智にもよほされて、 弥陀より申させらるゝ念仏なり。 悉く他力にもよほされて申なれば、 皆他力より申させらるゝ挺冥と心得べきなり。
一 ▼昼夜不断の仰には、 第一冥加の方を上下共に心得べき由の仰のみ也。 就↠其仰の品々あり。 あたらしき物をめされし時は、 必ず聖人の御前へ御参ありて、 聖人へ向まいらせられ、 御用にて是御著用也。 ありがたく候と、 御えりを引出されて、 御前にて見まいらせられけりと也。 きこしめさるゝ物にも、 御身にめさるゝ物にも、 不断御用の程を思食しける体是あり。 もとより御詞にも出され、 毎日毎夜冥加の段堅仰られし事なり。
一 開山親鸞聖人は四十余歳の夏の比、 板東所々御径徊の例とて、 本願寺の御住持は、 代々東国御修行なり。 先0883師蓮如上人は最初は三十余歳、 恒例にまかせ、 御修行三ヶ度までおぼしめし立ける事、 当流の門人路次中に且以これなきにより、 乗物まいらする人もなかりき。 然ば道中は、 御わらんづにて皆歩行なれば、 御辛労かぎりなく、 御足に
第二番の東国御修行は
一 その初比、 蓮祐禅尼往生の砌なり 実如上人御母儀。 其比聴聞のかたがたはや多出来あり。 近国路次中の人々も志ありて、 所々御とおりにあまた所に御逗留の儀もあり。 其比加賀国河北郡横根村と云所に三ヶ日、 蓮如上人を当流侍けるに、 横弥の乗光寺と云坊に光臨あり。 御法談たびたびあり。 皆人歓喜きはまりなかりしに、 二日といふ日、 晩景日没の勤を申終に、 仏法僧の鳥、 夕日も未かゞやく空に来、 三声までこそ鳴たりける。 奇代未曽有の事なりとぞ、 各その比申ける。 権者明師の徳あきらかに顕れまします。 此鳥と云は、 常の処にはなかず、 日本国中にては富士・白山・館山の深山、 又0884は高野・上醍醐などには鳴といへども、 聞人希なる事といへり。 今この在所に鳴べき所にあらざれども、 先住蓮如上人名匠の威徳をあらはせり。
一 ▲第三ヶ度の御修行とは、 又板東辺へ御下向と催され、 *文明五年歟
一 前師蓮如上人或時の仰に、 ▲一心に弥陀をたのみたてまつる機は、 如来のよく知しめす也。 知し召ところを思て心ろねをも持べし。 冥加をいかにもいかにもおそろしく思べきなり。
・ 又
一 ▲又仰に、 南无といふは帰命なり、 帰命といふは弥陀を一念たのみまいらする
一 ▲賀州菅生の願正、 深谷の覚善又四郎などに対して、 信心といふは弥陀を一念御たすけ候へとたのむとき、 やがて御たすけあるすがたを南无阿弥陀仏とまうすなり。 総じて罪はいかほどありとも、 一念の信力にて
一 ▲勤の時順讃を御
一 ▲念称是一といふこと存ぜずと申入たる人の候に、 仰には、 おもひうちにあれば色ほかにあらはるゝとあり。 されば信をえたる体はすなはち南无阿弥陀仏なりと心うれば、 口もこゝろもひとつなりとぞおほせらる。
一 ▲朝勤の上に仰云、 「いつゝの不思議をとくなかに」 (高僧和讃) より 「尽十方の无光は」 の ¬讃¼ (高僧和讃) の心を仰の時、 「光明遍照」 (観経) の文の心と、 また 「月影のいたらぬ里はなけれども」 (続千載集) の御歌を引よせ御讃嘆ありけり。 ありがたさ中々申すばかりなし。 前住上人座を御立候御跡にて、 実如上人夜前の仰と今朝の仰とを引合仰らるゝに、 ありがたさ是非なく候仰にて、 実如上人も御落涙かぎりなく御座御立かねられき事候と、 蓮悟物語候き。 十二月四日太夜の上に御法談のときなり。
一 ▲参河の教賢、 伊勢の空賢とに対して、 仰に、 南无と0886いふは帰命、 この心は御たすけ候へとたのむなり。 この帰命の心やがて発願廻向の心に通ずるなりとの仰也。
一 ▲「他力の願行をひさしく身にたもちながら、 よしなき自力の執心にほだされて、 むなしく流転しけるなり」 (安心決定鈔巻末意) と候を、 え存ぜず候と申上候ところに、 仰に、 聞わけてえ信ぜぬものゝ事也と仰候ひき。
一 ▲「弥陀大悲の胸の内に、 かの常没の衆生みちみちたる」 (安心決定鈔巻本意) といへる事不審に候と、 福田寺申上られ候に、 仰に、 仏心の蓮花は胸にこそひらくべけれ、 腹にあるべきかや。 「弥陀の身心の功徳、 法界衆生の身の内、 心の底に入みつ」 (安心決定鈔巻本) ともあり。 念ばたゞ領解の心中をさしての事なりと仰候き。 皆々ありがたき由申し候しなり。
一 ▲十月廿八日の太夜に仰云、 「正信偈和讃」 をよみて、 仏にも聖人にもまいらせんと思ふ歟、 あさましや。 他宗には勤をして廻向するなり。 当流には他力信心をよくしれとおぼしめして、 聖人の和讃にその心をあそばしたり。 ことに七高祖の御釈の心を、 和讃にきゝつくる様にあそばして、 その恩徳をよくよく存知して、 あらたふとやと念仏するは、 仏恩を聖人の御前にてよろこび申す心なりと、 くれぐれ仰候き。
一 ▲聖教をよくおぼえたりとも、 他力の安心をしかと決定なくはいたづらごとなり。 弥陀をたのむ所にて往生決定と信じて、 ふた心なく臨終までとほり候は往生すべきなり。
一 ▲弥陀をたのみて御たすけを決定して、 ありがたさよとよろこぶ心あれば、 そのうれしさに念仏申ばかり0887なり。 これすなはち仏恩報謝なり。
一 ▲三位顕証寺蓮淳に対して仰られ候。 信心をよく決定して、 人にも信をとらせよと仰候き。
一 ▲十二月六日富田へ御下向にて候間、 七日の夜は大勢御前へまいり候に、 仰に、 今夜は何事に人多来りたるぞと仰あるに、 順誓申さることに、 此間の聴聞申し、 ありがたさの御礼のため、 明日は御下向にて候由候間、 御目にかゝり申すべしとの間、 歳末の御礼のためなんど申上られけり。 其時の仰に、 無益の歳末の礼かな、 歳暮の礼には信心を取て礼にせらるべしとの仰候き。
一 ▲又仰に、 ときどきは懈怠することありとも、 往生すまじき歟とうたがひ歎くもの有べし。 然ども、 はや弥陀如来を一度たのみまいらせて往生決定の後なれば、 懈怠おほふ有ことのあさましや。 かゝる懈怠多あるものなれども、 御たすけは治定なり。 ありがたやありがたやとよろこぶ心を、 他力大行の催促なりとまうすと仰られ候なり。
一 ▲御たすけありたる事のありがたさよと念仏申すべく候や、 又御たすけあらふずる事のありがたさよと念仏申すべく候やと申上候ときに、 仰に、
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一 ▲南无の无の字は聖人の御流儀に限てあそばしけり。 南无阿弥陀仏を泥にてうつさせられて、 座敷懸られて仰られけるは、 不可思議光仏、 无光仏もこの南无阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり。 しかれば南无阿弥陀仏を本とすべしと仰ごとありけり。
一 ▲「十方无量の諸仏の 証誠護念」 の ¬讃¼ (正像末和讃) の心を聴聞申たきと、 順誓申上られしに、 仰に、 諸仏の弥陀に帰せらるゝ事よ、 されば諸仏は弥陀に帰せらるゝを能としたまへり。
▲「世の中にあまの心をすてよかし め牛の角はさもあらばあれ」。 是は開山の御歌なり。 されば形はいらぬ事、 一心を本とすべしとなり。 世にも 「
▲「鳥部野を思やるこそ哀なれ ゆかりの人の跡と思へば」。 是も聖人の御歌也。
一 ▲深草の浄西寺瑞林庵に対せられて、 仰にいはく、 まもるによりて
一 ▲仏恩がたふとく候などゝ申は
一 ▲「諸仏三業荘厳して」 の ¬讃¼ (高僧和讃) の心を仰出され候き。 諸仏の弥陀に帰して衆生をたすけらるゝよと仰られき。
一 ▲朝夕、 「正信偈和讃」 にて念仏申は、 往生のたねにな0889るべき歟、 たねには成まじき歟と、 各申けるに、 仰には、 いづれもわろし。 「正信偈和讃」 は、 衆生の弥陀如来を一念にたのみまいらせて、 後生たすかり申せとの
一 ▲南无阿弥陀仏の六字を、 他宗には大善大功徳にてある間、 唱てこの功徳を諸仏・菩薩・諸天にまいらせて、 其功徳を我物がほにするなり。 一流にはさ様にはなし。 此六字の名号我物にてあるにこそ、 唱て仏・菩薩にまいらすべけれ。 一念一心にとなへて後生たすけ給へとたのめば、 やがて御たすけにあづかる事のありがたやありがたやと申ばかり也と仰られけり。
一 ▲参河国浅井の
一 ▲「真実信心の称名は」 の ¬讃¼ (正像末和讃) の事、 弥陀の御方より、 たのむ心も、 たふとやありがたやと念仏申す
一 ▲无生の生とは、 極楽の生は三界へめぐる心にあらざれば、 極楽の生は无生の生といふなり。
一 ▲廻向といふは、 弥陀如来の衆生を御たすけを云なりと仰られ候なり。
一 ▲又一念発起の儀、 往生は決定なり。 罪けしてたすけたまはんとも、 弥陀如来の御はからひなり。 罪の沙汰无益なり。 たゞたのむ衆生を本にたすけ給事なりと仰られ候なり。
一 ▲身をすてゝ平座にて各と同座するは、 聖人の仰に、 四海の信心の人はみな兄弟ととられたれば、 我もその御詞のごとくなり。 又同座をもしてあらば、 不審なる事をもとへかし、 信をよくとれかしとのねがふ計也と仰られけり。
一 ▲又仰に、 われは門徒にもたれたりと、 ひとへに門徒にやしなはるゝなり。 聖人の仰にも、 弟子一人ももたず、 たゞ友同行なりと
一 ▲「愛欲の広海に沈没し、 名利の太山に迷惑して、 定聚のかずに入ことをよろこばず、 真証の証のちかづく0891事をたのしまざる事」 (行巻) を申沙汰し、 不審のあつかひ共にて、 往生せんずる歟、 すまじき歟なんどと互に申合けるを、 物ごしに聞召て、 愛欲も名利もみな煩悩なり、 されば機のあつかひをするは雑修也と仰られけり。 たゞ信ずる外は別のことなしと仰らる。
一 ▲
一 ▲明応元年 壬子 五月初比、 河内国出口の坊より、 俄に先師上人昇天に御上洛させ給べきとて、 光善寺を出給て京近くならせ給に、 大雨しきりにて大水出で、 出口村は水入ければ、 水底に成にけり。 淀河の洪水ことごとくしくぞ、 かゝる所に出口村人々は、 舟に乗て所々へちりぢりに成ぬる程の事に侍れば、 先師上人上都も俄事に、 各も不思議とぞ申合にける。
一 ▲同年に疫癘さかりにをこりて、 人多死する事のありしに、 これは人々にうつりて病死すると人々申侍けるに、 先師上人の仰に、 たゞ因果により病死する事とぞ仰ありて、 当座に其ことはりを 「御文」 に作らせ給ひて、 法敬坊にあそばしくださる。
一 ▲*明応二年正月朔日、 蓮如上人の御前へ勧修寺村の道0892徳まいりたるに仰らる。 道徳はいくつに成ぞ。 道徳まうすべし。 自力の念仏といふは、 おほく申て仏にまいらせ、 此申たる功徳にて仏のたすけ給はんずる様におもひてとなふるなり。 他力といふは、 弥陀をたのむ一念のをこる時、 やがて御たすけにあづかるなり。 其後念仏まうすは、 御たすけにあづかりたるありがたさよありがたさよと思心をよろこびて、 南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とすゝめくはふる心なり。 されば他力とは他のちからといふ心なり。 この一念、 臨終までとおりて往生するなりと仰さふらふなり。
一 ▲同四年十一月十九日、 富田より蓮
一 ▲同四月九日に仰られき。 △安心をとりて物をいはゞよし。 用なき事をば云まじき也。 一心の所をよく人にもいへと、 空善に仰出されけり。
一 ▲明応五年正月廿三日、 富田より御上洛ありて、 仰に、 当年よりいよいよ信心なき人には御見参あるまじきと、 かたく仰られ候なり。 安心のとほり
一 ▲同五年十一月の報恩講の廿五日に御法談あり。 ¬御0893伝¼ を御前にてあそばされ、 各ありがたき由申さる。 限なく忝き由申さる。
一 ▲同六年四月十六日御上洛にて、 其日開山聖人の御影の正本、 厚紙一枚に御自筆にて候とて、 各に拝せられたまへり。 この正本、 まことに宿善にてなくは拝見申さぬ事也と仰られ候。 又法然上人御筆の名号と ¬慕帰絵¼、 同時におがみ申候き。
一 ▲*明応七年四月初比より、 去年のごとく又御不例にて、 慶道医師にまいり、 十七日よりは半井まいり、 十九日には板坂左近将まいる。 服薬どもを奉りけれど御少験もなく、 御食事にはおも湯ばかりまいりける。
一 ▲*同五月廿五日には、 御堂へ御参あり。 同廿八日には堅各申留、 御養生のためにとて、 御出仕を申留けり。 日昼ばかりに御参ありて、 私記一度あそばされて、 次をば実如上人あそばす。 其後六月七日よりは御出仕もなかりき。
一 ▲同六月六日、 姉少路黄門 基綱卿 光臨あり。 医者上地院を召具せられ、 数剋たがひに御物語共にて、 医療事ども調侍りき。
一 ▲同比、 先師上人田輿にて勤行へ御出仕ありて、 御帰には門徒の面々に名残おしき湯仰にて、
一 ▲*明応七年閏十月十六日夜、 御作の 「御文」 を十通ばかり慶聞坊によませられて聞召て、 一念の信心をしかと取つめ候へと、 返々仰られき。
一 ▲又仰に、 この大坂の坊を建立するは、 もし信心の人も出来候へかしと思ひて
一 ▲明応八 三月中旬、 安芸法眼御侘言可申上とて山科の八町の町に上洛ありしか共、 申次人なし。 誰
一 ▼明応八年二月八日の夜、 或人夢想をみる。 蓮如上人は法然聖人の化身にてましませば、 かならず廿五日に御往生あるべしと、 人のつげしらせらるゝと見て、 二月九日に上洛し侍けり。 誠うたがひなき彼聖人遷化とおぼえて、 御勧化にたがはず、 聴聞人々早く心中を改、 御教化をありがたく存知せられけり。 夢にたがはず廿五日に御往生なれば、 弥うたがひなき彼上人の御再誕とぞ申されき。
一 明応七年夏冬 比よりの仰には、 明年三月は御往生すべし。 久敷いことならねば奉公する者どもゝ心得てつかはれよと、 御前に致祗 候の人々にも仰事ありけり。
一 ▲同年の二月には、 大坂の御坊にて御往生有べき様にて、 御葬所までこしらへさせられけるが、 俄に御思案ありて、 城州山科へ御上洛あり。 摂州をば*二月十八日出させ給て、 いかにも此度はしづかにと仰られ、 三日めに廿日と申に城州山科の御坊へつきましましける。 やがて常の南殿の寝殿に御休息ありき。 ▲同日浄賢所にて、 実如上人に対して仰にも、 一流の安心の次第の肝要をば 「御文」 にあそばしあらはされ置れ候間、 今は安心の方もさのみ申まぎらかさるゝ人も有まじと覚え候と、 能々分別候て、 門徒中へもつたへられ候べし。 これ遺言ぞと仰られき。 然ば実如上人も安心の一義 「御文」 のごとくとおぼしめさるゝ条、 諸国門人も此段0896同心あるべしとの支証のため、 実如聖人も御判をくはへをかゝるゝ也。
一 ▲先師上人、 近年は御病気の条、 御往生ちかく成て候へば、 今いふことは何事も金言なるべしとぞ仰らる。 能々心をとゞめて聞べしと切々野仰なり。
▲又御病中に慶聞坊を召て仰られ事には、 われは不思議なる事かあるぞ、 気を取直して語べき也と。 此仰何事等を注せる義。 尋しるすべし
一 ▲*二月廿一日に、 開山の御影堂へ御参あり。 御前にて御目にかゝりがたく存じ候つるが、 只今御目にかゝり申事、 ありがたさ中ゝ申ばかりなく候と、 たからかに御申ありけり。
▲其後は御往生あるべき所とて造作共させられけり。
一 ▲*
▲廿七日には、 又御影堂へ。 御帰の時は、 門徒の人々に名残おしきぞと仰られ、 田輿をうしろさまにかゝせ御帰あり。 諸人の方を御覧ぜられて御帰也。
▲廿九日にも土居へ御出なり。
一 ▲三月朔日には、 北殿へ御出あり。 実如上人以下兄弟中、 同座敷にあり、 数剋御物語あり。 乗菊撿挍参、 種々申上たり。 ▲又御遺言にてあるぞと仰られ、 一念の信心を能々取べしと、 兄弟中へ
▲二日には、 花を御覧ぜられ度由にて空善申付よと、 下間五郎左衛門尉申さるゝ間、 馳舞花を切て進上する、 ▲医0897者には藤左衛門尉参る、 又誓従等参けり。
一 三日には芳野より桜を切て参りけり。 北の庭にほりすへて侍ければ、 花もさきたるを御覧ぜられて、 御詠歌三首遊ばさる。
さきづゞく 花みるたびに 猶も又
たゞねがはしき 西の彼岸
老楽の いつまでかくは 病ぬらん
迎へたまへや 弥陀の浄土へ
今までは 八十五に あまる身の
久くいきじと しれやみな人
其日御心もよく、 御譏嫌にてわたらせ給ぬれば、 兄弟の若年の衆にしばらく
一 ▲七日の暁、 御脈を御
一 ▲同日聖人へ御
一 ▲聖人へ御申ありけるは、 極楽へまいる御
一 *▲九日には、 御亭の面へ御出
一 ▲又空善まいらせける鴬の声になぐさみけりと仰あり。 鴬は法きけと鳴なり。 されば鳥類だにも法をきけと鳴に、 まして人間となり、 聖人の御弟子ながら法をきかぬは浅間敷ぞと仰られき。
一 ▲慶聞坊に何ぞよみてきかせよと仰あれば、 「御文」 を取出し、 御影堂建立の 「御文」 を三通よみ申されければ、 あら殊勝や殊勝やと仰らる。 しかれば法敬坊も空善も御そば近く、 九日より二十四日まで祗候申す。
一 ▲同日臨終ちかく思食されける歟、 御枕の方に押板に開山親鸞聖人の御影を
▲又近比御自愛なりし栗毛の馬を御覧ぜられたきと仰られければ、 四間の内畳二帖あげて、 御寝所のきはまで引寄られ、 御覧ぜらる。 この馬前0899
▲御病中にをきて度々慶聞坊に召て仰られしは、 「乞食の沙門は鵞珠を死後にあらはす。 賊縛の比丘は王遊に草繋を脱」 と云戒文あるぞと、 度々仰出され侍り。 これは御往生の後奇特不思議をあらはさるべきとの仰られ事なり。
・ 権者にてましませば、 加様の御詞を出されをかれ、 御往生已後に忽に奇特を見らるべきとの支証の御金言どもなり。 又は 「功成名とげて身退くはこれ天の道也」 (老子) と云古人の詞も、 度々御身上に御満足の御身退なりとあらはさるゝ心なり。
一 ▲十七日の暁は、 時念仏御申あるべきと仰出され、 調声は当10実如上人たるべしと仰事なり。 しばらくありき。 助音兄弟中なり、 和讃三首廻向あり。
一 ▲十八日の仰には、 かまへて我なき跡に、 兄弟中は思あひて中よくあるべし。 信心だに一味ならば中もよく、 聖人の一流も繁昌すべしと、 くれぐれ仰をかれ侍りき。 此義毎度仰らるゝ儀也。 能々この仰を守るべき一儀なり。
▲今日より御脈又すこしなをり申由、 医者の面面申しけり。
一 ▲十九日よりは、 おも湯も良薬等もい
一 ▲廿二日より、 御相好すこしづゝかはる様にみえ申し、 開山聖人の御相好に相似させたまふ様に、 兄弟中も各も見まいらせけると、 各も同じ心に見奉て侍る由申し侍る。
一 ▲廿三日よりは、 御脈もなく候間、 はや御往生と皆々申合候つるに、 又八時より御脈も出来、 なをり申の由、 医者の衆申す。 不思議と、 各申侍りき。
▲廿四日の暁は御往生の時分なり。 法敬坊も空善等も御そば近く参べきの由の仰によりて、 右の御手を法敬坊かゝへ申、
一 ▲*
▲則その日より、 種々の不思議の奇瑞ましましけり。 廿五日の暁より、 大地鳴働せることしきりなり。 是を如何にと申せば、 権者明師の入滅の砌には、 皆如↠此とぞ申す。 先づ伝教大師入滅の時もかくのごとし。 弘法大師入定の時も同と申伝たり。 みな伝記にしるせり。 廿五日の午剋に成しかば、 山科郷内野村の御居住の前後左右、 ことに御堂の前後左右の草木の若葉の立たるもの悉くしほれにけり、 皆枝をたるしおれ伏たり、 色も変ず。 言語道断奇代不思議の事どもなり。 かくのごとくの体たらく、 見も及ばずきゝも及ばず侍ることなり。 廿五日の朝と昼と夕とに三ヶ度、 日めぐることけしからず。 日の廻りに紫雲は五色にたてわたる。 空花は空よりも雪のふるがごとし。 廿五日より四月二日まで七ヶ日おなじ。
▲御葬送は四月二日たるべき由を申ふれて、 御往生の明る廿六日なり。 俄の事なれど、 大坂より道具は何も御用意ありてもたせらるゝ間、 用意の造作と云事一事もなく調へたり。
さる程に廿五日の夜更て、 廿六日の暁に、 御沐浴あて勤あり。 実如上人の御調声如↠常。 早く御葬礼あるべきは、 御名残ををしみかなしむ奉輩の老若貴賎までもおほしといへ共、 御遺言にまかすればちからなし。
一 ▲廿六日朝御堂へ御遺言にて出し奉る。 日比のよしみなれば、 各に見えたくもあり、 又各もおもふらんとの御遺言なり。 常の御出立にて御衣・袈裟めされ、 木念珠にて助老をつかせ給て曲禄にめされて、 丹後兄弟・慶聞坊以下かき出し奉て、 開山上人の御右南の方に並をき奉るに、 兄弟中も各御供申て出にける。 平生の御顔色は一向に大に各別におはしますが、 今日はたゞ開山聖人と同御顔形なり、 不思議の事共也。 併親鸞上人の再誕にてましますと云事、 いまあきらかにあらはさる事なり。 諸万人見たてまつり、 各涙をながし、 まろびたふれかさなりて、 なきかなしめる有様、 見るに
さて諸人この奇特を見奉て、 弥御勧化の所ありがたく、 聖人の御勧化と、 ひとしく諸人申あはれ侍りき。 其後やがて御かへりましまして、 各こしらへ出て、 御
一 又西の山へ泉涌寺の長老、 其外僧衆十余人あがりて、 山科野村の体を見、 紫雲のたち空花のふりたなびく体を拝見し、 寄代の事なりと感じつゝ、 本願寺上人はたゞ人にてはあらずとぞ甘勢せられける。 権者明匠の入滅の時はいづれもかくこそ有つれと、 同道の衆には申されけり。 其時長老、 衆僧にかたられけるは、 今度越後国より上洛せし人の語けるは、 この度本願寺の上人は彼の宗の開山親鸞聖人の化身なりと申されき。 彼寺の長老はしかるべき仁にて、 聞えありたる人にて候が、 事外先師上人の事をば一段執し申されし人にて候ける。
一 御拾骨は廿七日
山科の御坊は文明九年御建立、 享禄
大坂の御坊は明応五年に御建立、 天正八年八月二日炎上、 八五年の間也。
*天正八年九月中旬清書之
苾蒭釈実悟 八十九歳
(花押)書之