0853どうしょう

 

一 父母ぶもだいのためにぶつしゅするどくのすぐれたること

一切いっさいおんのなかには父母ぶもおんさいだいなり。 くきたねよりきざし、 りゅうげんよりはじまる。 らくさかえもこのしょうじぬるうへのことなるによりて、 しょういくおんといひきょうくんおんといひ、 ほうじがたくしゃしがたし。 さればぶっきょうのなかには、 ちちおんをばやまにたとへたり。 めい八万はちまんのいたゞきたかしといへども、 もしちちおんにならぶればなをたかきにあらず。 ははおんをばうみにたとへたり。 滄海そうかい三千さんぜんのそこふかしといへども、 もしははおんにくらぶればまたふかきにあらず。 このゆへに、 いきたるときには孝行こうこうをいたして随分ずいぶんのこゝろざしをはげみ、 ぼっしぬるのちには追善ついぜんしゅしてだいをいのるべきなり。 きょうようぎょうさんきょうのつみをいましむること、 一代いちだい正教しょうきょうにそのもんおほきなかに、 まづじょうさんきょうのうちに、 ¬だいきょう¼ にはあくをとくとききょうのとがのおもきことをあかし、 ¬かんぎょう¼ には三福さんぷくをとくとききょうようぜんのおほきなることをあらはせり。

1348はゆる ¬だいきょう¼ (巻下) もんといふは、 あくのなかにだいごうあくをとくとして、

りょうぜつあっもう綺語きご讒賊せんぞく闘乱とうらんす。 善人ぜんにん憎嫉ぞうしつし、 げんみょうはいして、 かたわらにおいて快喜けきす。 しんきょうせず、 ちょうきょうまんし、 ぼうしんなくして、 じょうじつがたし。 そんだいにしておのれにどうありとおもひ、 よこさませいぎょうじてひとしんす」

「両舌・悪口・妄語・綺語、 讒賊闘乱。 憎↢嫉善人↡、 敗↢壊賢明↡、 於↠傍快喜。 不↠孝↢二親↡、 軽↢慢師長↡、 朋友无↠信、 難↠得↢誠実↡。 尊貴自大謂↢己有↟道、 横行↢威勢↡侵↢易於人↡」

といひて、 しもにその罪報ざいほうをあかすに、

おう牽引けんいんしてまさにひとり趣向しゅこうすべし。 罪報ざいほうねんにして、 しゃしたがふことなし。 ただぜんぎょうすることをかく

「殃咎牽引当↢独趣向↡。 罪報自然、 无↠従↢捨離↡。 但得↢前行↡入↢於火鑊↡

といへり。 しょうぜんきょうのつみによりて、 後世ごせごくにいりてかくをうけんこと、 もともかなしむべし。

だいごうあくをとくとしては、 はじめに

父母ぶもきょうかいすれば、 いからせこたえいからせて、 ごんりょうやわらかならず、 るいほんぎゃくす」 (大経巻下)

「父母教誨、 瞋↠目怒↠譍、 言令不↠和、 違戻反逆」

といひ、 つぎに

父母ぶもおんおもはず、 師友しうぞんぜず。 こころにつねにあくおもひ、 くちにつねにあくひ、 につねにあくぎょうじ、 かつて一善いちぜんもなし。 せんしょう諸仏しょぶつきょうぼうしんぜず、 どうしんずれば度世どせべきことをしんぜず、 死後しごじんみょうさらにしょうずることをしんぜず、 ぜんせばぜんあくせばあくることをしんぜず」 (大経巻下)

「不↠惟↢父母之恩↡、 不↠存↢師友之義↡。 心常念↠悪、 口常言↠悪、 身常行↠悪、 曽无↢一善↡。 不↠信↢先聖、 諸仏経法↡、 不↠信↢行↠道可↟得↢度世↡、 不↠信↢死後神明更生↡、 不↠信↢作↠善得↠善、 為↠悪得↟悪」

といひ、 のち

父母ぶもきょうだい眷属けんぞくがいせんとほっす。 六親ろくしんぞうしそれをしてせしめんとがんず。 かくのごときのにんしnともにしかなり。 愚痴ぐち矇昧もうまいにしてみづから智恵ちえありとおもひて、 しょうじゅうらいするところ、 趣向しゅこうするところをらず。 にんじゅんにして、 てんあくぎゃくす」 (大経巻下)

「欲↠害↢父母・兄弟・眷属↡。六親憎悪願↠令↢其死↡。 如↠是世人、 心意倶然。 愚痴矇昧而自以↢智恵↡、 不↠知↧生所↢従来↡、 死所↦趣向↥。 不仁不順、 悪↢逆天地↡」

といへるもん、 これなり。 一段いちだんのうちにところまで、 かくのごとくきょうそうをときて、 その悪因あくいんによりて苦果くかをうくることむなしからざることをあかす。 しも

善悪ぜんあく報応ほうおうし、 ふくそうじょうす、 みづからこれにあたる。 たれかわものなし。 ことわりねんなり。 そのしょぎょうおうじて、 おうみょうじゅうしゃることなし。 善人ぜんにんぜんぎょうじて、 らくよりらくり、 みょうよりみょうる」 (大経巻下)

「善悪報応、 禍福相承、 身自当↠之。 无↢誰代者↡。 数之自然。 応↢其所行↡、 殃咎追↠命无↠得↢縦捨↡。 善人行↠善、 従1349↠楽入↠楽、 従↠明入↠明」

といへる、 これなり。 「じゅうらくにゅうらく」 といふは、 しょうをあらためかたちをかふといへども、 生々しょうしょう世々せせ富貴ふきとむまれてらくにほこるべきこゝろなり。 「じゅうみょう入明にゅうみょう」 といふは、 これまた在々ざいざい処々しょしょ智恵ちえをきはめて、 さとりをひらくべきなり。 これらはみなきょうよう父母ぶものこゝろありて、 てんのこゝろにぎゃくせざるひとほうなり。 これにはひきかへて 「じゅうにゅう (大経巻下) といふは、 こうををくりしょうをふといへども、 さん悪道まくどうをはなれずしてじゅうをうくべし。 たとひまた人間にんげんにきたるときも、 せんとして、 あるい乞丐こつがいどく聾盲そうもうおんとうほうをうくるなり。 これみな父母ぶもきょうせず、 ほしゐまゝにあくぎゃくをつくるをあかすなり。

つぎに ¬かんぎょう¼ のせつといふは、 かいぎょう三福さんぷくをとくに、 ぜんのはじめにきょうよう父母ぶもをのせたり。 そうじて三福さんぷくぎょうたんずるに、 「さん諸仏しょぶつじょうごうしょういんなり」 ととけり。 もともこれをたふとむべきぎょうなり。 これによりて、 ¬梵網ぼんもうきょう¼ (巻下) 円頓えんどん一実いちじつだいじょうかいをとくには、 「そう父母ぶも孝順きょうじゅんするをかいとなづく」 といひ、 ¬ごんぎょう¼ (般若訳巻一二行願品) じん如来にょらいもうすことばには、 「だいしゅをおふておもしとせず、 きょうひとをばいたゞくにたへず」 ととき、 ¬増一ぞういつごんぎょう¼ (巻一一知識品意) には 「父母ぶもようするどくは、 いっしょうしょさつようするにひとし」 といひ、 ¬しんかんぎょう¼ (巻二報恩品意) には 「父母ぶもきょうよう1350どくは、 ぶつようするにことならず」 といへり。 欲界よくかい六天ろくてんのなかに、 したよりだいてんをばとうてんといふ。 かのてんしゅたいしゃくなり。 えんだいしゅじょうぜんをつくるをもあくをつくるをも、 かのたいしゃくふだにしるすとみえたり。 父母ぶもきょうようするをみては、 善業ぜんごうちょうして善趣ぜんしゅしょうずべきにさだめ、 父母ぶもきょうせざるをみては、 悪業あくごうちょうにのせて悪趣あくしゅすべきにはんず。 いかでかこれをつゝしまざらんや。 かのてん波利はりしっ多羅たらじゅといふあり、 しゃかいしゅじょう父母ぶもきょうようするときにはこのはなひらく。 天人てんにんこれをみてよろこびたのしむ。 もし父母ぶもきょうようせざればこのはなしぼむ。 天人てんにんこれをみてなげきかなしむ。 これによりて、 父母ぶもきょうようすれば諸天しょてん善神ぜんじん納受のうじゅし、 諸仏しょぶつさつずいしたまふなり。 諸天しょてんもゑみをふくみ、 ぶつさつしょうらんにもかなひぬれば、 いのちもながくふくもきたるなり。

またげんじょう三蔵さんぞうの ¬そう¼ にひとつ因縁いんねんをいだせることあり。 三蔵さんぞうてんのとき、 あるてらをみたまふに、 眼目げんもくがくをうちたるてらあり。 本尊ほんぞんはいしたまふに、 弥陀みだ三尊さんぞんなり。 左右さうきょう御手みてにおのおのひとつづゝまなこをもちたまへり。 その因縁いんねんをたづねとひたまふに、 そうこたふるやう、 むかし大王だいおうありき、 しゐたり。 医師いしをめしてりょうをくわへんとするに、 医師いしまふしていはく、 うちまかせたるくすりをもち1351ていやすことあるべからず、 そのちからをよびがたきところなり。 たゞしひとつくすりあり、 いっしょうがいのあひた、 いちもはらをたて、 いかりをなさゞるひとりょうげんをとりて、 はいにやきて合薬ごうやくし、 これをつけたてまつらばいゑたまふべし。 このほかはじゅつあるべからずとまふしゝあひだ、 京中きょうちゅうへんをわけ使つかいをつかはしてたづねられしかども、 貪瞋とんじん三毒さんどく欲界よくかい根本こんぽん煩悩ぼんのうなれば、 しょうをえざらんよりほかはしんをはなれたるひとあるべきならねば、 いちのあひだしょうじてよりこのかた、 はらをたてずといふひとをもとめいださず。 こゝに大王だいおうたいあり。 くだんのたいのたまふやう、 われしょうをうけてよりのち、 いまだしんをおこさず。 はやくまなこをぬきてちちおう御目おめをいやすべしとめいず。 医師いしこのおもむきを大王だいおうそうするところに、 大王だいおうおほきにていきゅうしてのたまひけるは、 われはとしおとろへ、 よはひかたぶきぬれば、 びょうげんしゐたりといへども、 いたみとするにたらず。 たいはわかくさかりにしておしむべきなり。 われこのをすてなんのちも、 継体けいたいくんとしてくにくらいをたもちたまふべし。 さればたいのためにこそいかなるやまいもあらばわがまなこもぬかめ。 わがこのやまいをうけたればとて、 ちんがためにたいまなこをぬかんことさらにおもひよらずとて、 せいしおほせられしかば、 さてはじゅつけいなしといひて、 医師いしすでに1352まかりいでなんとするところに、 たいひそかにみづからりょうげんをぬきて医師いしにあたへたまひしかば、 医師いしおどろきぞんじながら、 このうへはもだすべからざるゆへに、 これを合薬ごうやくして大王だいおう御目おめにつくる。 りょうげんすなはちひらきて、 あきらかなることごろにこえたり。 まなこひらいてのち、 くすり効験こうけんかんじて、 いかなるくすりをもてするぞとたづねたまふに、 かくれあるべきことならねば、 医師いしありのまゝにしかじかともうしけり。 このとき大王だいおうかなしみなげきたまふこと、 なのめならず。 しかれども、 後悔こうかいさきにたゝざれば、 おもひのほのほむねをこがしたまへどもやくなく、 うれへのなみだそでをしぼりたまへどもせんなし。 たんのあまり弥陀みだ如来にょらいにいのりまうしたまふところに、 観音かんのんせいさつ御手みてりょうげんをもちきたりて、 たい御目おめのあとにいれたまふあひだ、 すなはちもとふくせり。 もとのまなこは肉眼にくげんなり、 いまのまなこ天眼てんげんなるがゆへに、 はるかにほうかいのことをもみたまひしかば、 大王だいおうのよろこびたとへをとるにものなし。 大王だいおうよろこびにたえず、 かの三尊さんぞんぞうをうつしつくりたてまつり、 さつ御手みてまなこをもたせたてまつれり。 そのとき、 このどうぞうりゅうしてそのぞうあんせりとこたへけり。 むかしの大王だいおうといふはじょう飯王ぼんのうなり、 かのたいといふはしゃくそんなり。 忍辱にんにくたいといへる、 すなはちしんをおこしたま1353はざりしなり。 しかれば、 しゃ如来にょらいいんぎょうきょうようのつとめをもはらにし、 弥陀みだ如来にょらいだいきょうようのこゝろざしをかんじたまふとみえたり。

またしょうとくたい観音かんのんすいじゃくこくきょうしゅなり。 もり逆臣げきしん追伐ついばつしてしゃくそんゆいきょう末代まつだいにひろめ、 六斎ろくさいせっしょう禁断きんだんして善悪ぜんあくいん道俗どうぞくにおしへたまふ。 しかるにたい三歳さんさいおんとき、 用明ようめい天皇てんのうあいしていだきたてまつりたまひしかば、 ちち御手みてにいらんこと、 ひゃくじょうのいはほにのぼりせんしゃくのなみにうかぶがごとし。 はなはだおそろし、 はなはだあやうしとのたまひ、 じゅう六歳ろくさいのとき、 ちちおうやまひのゆかにふしたまひしに、 たいたいをとかずしてちゅうかんびょうしたてまつりたまふ。 大王だいおう一飯いちぼんしたまへばたい一飯いちぼんしたまひ、 大王だいおう再飯さいぼんしたまへばたい再飯さいぼんしたまふ。 すなはちじょうどうをのべ、 弥陀みだみょうごうをすゝめしかば、 天皇てんのうしょうねんじゅう仏号ぶつごうをとなへておはりをとりたまひき。 其時そのときにあたりて、 ひとつにはおうじょうがんのたがはざることをよろこび、 ひとつにはこんじょう再会さいかいのながくへだゝりぬることをなげきたまいき。 これみなだいしょう大権だいごんおやのよしみのあさからざることをあらわし、 しんおんのかろきにあらざることをあらはしたまふなり。

ちちのうしょうもととして提撕ていぜいきょうくんおんをほどこし、 ははしょしょうみなもととしてにゅうしょうようとく1354あたふ。 おんのおもきことは、 そのあたひせんまんのたまにもまさり、 こゝろざしのふかきことは、 そのいろいちにゅうさいにゅうのくれなゐにもすぎたり。 なかんづくに ¬しんかんぎょう¼ (巻三報恩品) のなかに、 ひとのおやなるひとは、 のためにつみをつくりて悪道あくどうにおもむくことをとけり。 仏説ぶっせつのあらはすところ、 そのかなしみもともきもめいず。

にんのために諸罪しょざいつくり、 さんざいしてながくく。 男女なんにょしょうにあらざれば神通じんずうなく、 りんほうずべきことかたし」

「世人為↠子造↢諸罪↡、 堕↢在三途↡長受↠苦。 男女非↠聖无↢神通↡、 不↠見↢輪回↡難↠可↠報」

といへるもん、 これなり。 このもんのこゝろをきかんに、 ひととしていかでじょうにたえんや。 あるいいくきょうおんをかぶり、

あるい慈悲じひ哀愍あいみんのこゝろざしをになひ、 あるい財宝ざいほう田園でんえんをゆづりえ、 あるいさい芸能げいのうわざをつぎて、 そのうるところのおんはあつく、 報謝ほうしゃのつとめはすくなければ、 たとひほうずといふとも、 一滴いってきをもて大海たいかいにくはへ、 じんをもてしゅにそふるがごとくなれば、 たやすくほうじつくさんことはあるまじきに、 ましてをおもふ妄念もうねんによて、 おやとしてそのためにつみをつくり、 そのつみにひかれて悪道あくどうにおちんこと、 いのちをすつるおやのため、 あとにのこるのため、 かなしみのなかのかなしみ、 なげきのなかのなげきなり。 ひとごとにかゝるべきにはあらねども、 をおもふあいしゅうはふかく、 仏法ぶっぽうしんずるこゝろなからんひとは、 かならずのがれがたきことなり。 きょうのつみせめてもあまりあり、 いか1355にしてかこのとがをつぐのふべき。 さればそれにつけても、 ひとすぢにめつきょうようをいたして、 そのruby>報謝ほうしゃにそのふべきなり。

そもそもひと後世ごせをとぶらふにとりて、 まづちゅうのあひだ善悪ぜんあくしょうじょさだまらざるさきに、 よくどくしゅして、 悪道あくどうにおとさず善所ぜんしょしょうぜしめんとこうするぶんあり。 つぶさにそのしょうじょさだまりつるのちも、 悪趣あくしゅならば善趣ぜんしゅにもしょうぜしめ、 また善趣ぜんしゅなりとも三界さんがいのうちをはなれて極楽ごくらくしょうぶっしょうせしめんがためにこれをとぶらふべきなり。 ちゅうといふは、 このしょういのちはつき、 つぎのしょうむくいはいまだうけざる二有にうちゅうげんなり。 このあいだじゅうおう裁断さいだんにあふてしょうをさだめらるゝなり。

いはゆるしょ七日なのかは、 秦広しんこうおう裁断さいだんにあふ。 まづひといのちおわらんとするとき、 えん法王ほうおう奪魂だっこんだっせい奪魄だっぱくといふ三人さんにん獄率ごくそつをつかはし、 罪人ざいにんをしばりてめいにゐてゆく。 はじめて罪門ざいもん関樹かんじゅのもとにいたるに、 そのようときことやいばのごとし。 かののもとをすぎて死出しでやま南門なんもんにいたる。 そのところにまたふたつのあり、 りょうけいをせめてはだゑをさきほねをくだく。 かやうにをうけて死出しでやまをこゆるなり。 かのやまのありさま、 さかはげしくみちとをくして、 たゑがたきことまたいふべからず。 この死出しでやまといふは、 すなはちぞくにいひならはしたるてんやま1356なり。 やまをこゑをはれば、 七日しちにちまんずるとき秦広しこうおうのまへにいたり、 善悪ぜんあく業因ごういんかんじょうせらるゝなり。

ふた七日なのかは、 初江しょこうおうにあふ。 このおうところにいたるときないをわたる。 ないといふはそうなり、 初江しょこうおうかんちょうのまへにながれたり。 このかわをわたるにみつのみちあり、 ひとつには山水さんすいふたつには江深こうじんふちみつにははしなり。 ぜんひとはしをわたり、 きょうざいひと山水さんすいをわたり、 じゅうざいひと江深こうじんふちにむかふ。 七日しちにちしちのあひだながれて、 かのかんちょうのまへにいたるに、 かのところおおきなるあり。 かののもとにふたりおにあり、 ひとりをばだつとなづく、 ふたりをばけんおうとなづく。 だつきぬをぬがすれば、 けんおうえだにかけてつみの軽重きょうじゅう校量きょうりょうするなり。 ごろちゃくするところのしょう今日こんにちうばゝれてぎょうになる。 はじをあらはしうれえをいだくこと、 このときいまひときわまさる。 これしょうぜんにしてほしゐまゝに悪業あくごうをつくり、 善根ぜんごんしゅせざりしざん无愧むぎのとがをあらはすなり。

七日なのかには、 宋帝そうていおうところにいたる。 このときあくみょうくんじゅうし、 大蛇だいじゃきほひきたりて身体しんたいをきりさき、 あるいせつばくす。 これまたぜんしょう罪悪ざいあくばっするそうなり。

七日なのかには、 かんおうにあふて、 また造罪ぞうざい軽重きょうじゅう称量しょうりょうせらる。 かのかんちょうふたつのいへあり。 ひだりにあるをば秤量ひょうりょうしゃといふ、 これはごうをかくるはかりをかけたるところなり。 みぎにあるをば勘録かんろくしゃといふ、 これ1357しょごうろくするところなり。

いつ七日なのかには、 えんおうにいたる。 このところえんだいのしたひゃくじゅんにあり、 だいじょうめんにはてつのかきしゅうそうしてほうにおのおのてつもんをひらけり。 かんちょうのうちに双童そうどうあり、 一人ひとりぜんし、 一人ひとりあくす。 またこのところひとつかがみあり、 これをじょう頗梨はりかがみといふ、 またおうきょうといふ。 閻王えんおうこのかがみのななにおひて十方じっぽうさん遠近おんごんしょをかゞみ、 じょうじょう善悪ぜんあく諸相しょそうをしる。 また八方はっぽうにおひておのおのひとつかがみをかけたり、 あはせてやつかがみなり、 これをごうきょうといふ。 一切いっさいしゅじょうしょぞう業因ごういんことごとくこれにうつるなり。 あくもうつらずといふことなく、 しょうぜんもかくるゝことなし。 善悪ぜんあくともにかげをうかべて、 たゞまなこたいするがごとし。 ひとつかがみにだにもかくれあるまじきに、 やつかがみ一同いちどうこれをうつせば、 しゃにしておかところ悪業あくごうさらにあらがふべきところなし。 双童そうどうふでのはしにしるし、 じょう頗梨はりかがみおもてにうつして、 大王だいおうことごとくこれをしり、 明々めいめいたるやつごうきょうにうつりて罪人ざいにんまたこれをろんぜず。 じんごうまでも、 さらにのがれがたし。 このときにあたりて、 ぜんしょう罪業ざいごうをはぢてかなしみくゆといへども、 かつてやくなし。 こゝろあらんひと、 いかでかこれをおそれざらんや。

七日なのかには、 へんじょうおうのまへにいたる。 ちゅうけんのかなしみいよいよふかく、 獄率ごくそつしゃくのうれへますますせつなり。

なな々日なのかには、 太山たいさん1358おうところにいたる。 このところにもしゃくみょうかん黄緑こうろくこうあて、 しょうあくぜんをのぞかず、 これをろくしておうそうすれば、 おうこれをみてぜんじょういん勘決かんけつし、 善悪ぜんあくしょうじょじょうはんするなり。

ひゃっにちには、 びょうどうおうのまへにひざまづきて、 かいのいましめにあひ、 べんしょうをうく。

いっしゅうには、 都市としおうところにいたりて、 かさねしんをなし、 ねんごろに斎福さいふくをもとむ。

だい三年さんねんには、 どう転輪てんりんおうのまへにして、 またしょ業因ごういんかんがへ、 しょうちんほうをさだむるなり。 これはじゅうおうのおはり、 裁断さいだんのきはまりなり。

このじゅうおう裁断さいだんあいだちゅうなり。 このちゅうのありさま、 こゝろぼそくかなしきことなり。 かんをせめ、 じきともにかけたり。 ころもそうきしにしてぬぎしかば、 はだえをかくすものなくしてかんをとほす。 じきかおりじきするよりほかくちにいるものなければ、 かつしのびがたし。 日月にちがつてんにかゝるもなければ、 あんみょうとしてみちにまよひ、 ぼうのことばをまじふるもなければ、 どくにしてなくなくゆく。 たゞあひしたがふものとては、 罪業ざいごうじんとなり。 ¬ほうしゃくきょう¼ (大宝積経巻九六勤授長者会) には

りぬればひとりとしてきたりてあひしたしむものなし、 ただ黒業こくごうのみありてつねに随逐ずいちくす」

「死去无↢一来相親↡、 唯有↢黒業↡常随逐」

ととき、 ¬摩訶まかかん¼ (巻七上) には

冥々みょうみょうとしてひとく、 たれ是非ぜひとぶらはん」

「冥々独行、 誰訪↢是非k」

といへる、 このこゝろなり。

たび断罪だんざいのあひだに、 ごうごうにゃくによりてしょうじょにおもむくことそくあり。 あるいしょ七日なのか秦広しこうおう裁断さいだんにあふて1359ごくちくにおもむくものもあるべし。 あるいふた七日なのか初江しょこうおう断罪だんざいこうむりにんちゅうてんじょうにむまるゝたぐひもあるべし。 七日なのかにさだまらずは、 七日なのかにいたるもあるべし。 いつ七日なのかにもなほ得脱とくだつせずは、 七日なのかなな々日なのかにあふもあるべし。 ないひゃっにちいっしゅうだい三年さんねんにいたり当来とうらいをうくるものもあるべしとなり。

このじゅうおうにをひて、 あるい実類じつるいじょうといひ、 あるいぶつさつげんといふ二義にぎあり。 ごんといふにとりて、 ほんまたせつあり。 せんずるところ、 ほんきょうろんのたしかなるせつなきによりていちじゅんならざるなり。 秦広しこうおうどうそん初江しょこうおうやく如来にょらい、 またはしゃ如来にょらいといふ。 宋帝そうていおうしゃ如来にょらい、 またろくさつといふ。 かんおうげんさつまたやく如来にょらいといふせつあり、 あるいしょうかんおんさつといふせつあり。 えんおうぞうそんへんじょうおうろくさつ一説いっせつには観音かんのん一説いっせつにはしゃなり。 太山たいさんおう弥陀みだ如来にょらいびょうどうおう文殊もんじゅ師利しりさつまた沙門しゃもんといふせつあり。 都市としおう観音かんのんまたどうなり。 どう転輪てんりんおうだいせいさつ、 または弥陀みだなり。

¬しゃろん¼ (玄奘訳巻九世品意) ちゅうじゅうはんずるに、 あまたのあり。 いちには

一切いっさいちゅうは、 しょうぎょうするがゆへに、 すみやかにきてしょうけかならずひさしくじゅうせず」

「一切中有、 楽↢求生↡故、 速往受↠生必不↢久住↡」

といへり、 このしゃくぶんをさゝず、 たゞ早速そうそくなるをあかせり。 いちには 「ごくしち々日しちにち」 といへり。 こののごとくならば、 ちゅういんじゅんのほどにさだまるべしとみえ1360たり。 いちには

ときじょうげんなし、 しょうえんいまだはずは、 ちゅうつねにぞんず」

「時无↢定限↡、 生縁未↠合、 中有恒存」

いへり。 このしゃくのごとくならば、 ぶんさだまらず、 かつはとうしょうたくしょうえんごうするをまち、 かつは過去かこ親族しんぞく追善ついぜんによりてしょうじょにおもむくゆへに、 そのせつそくあるなり。

おほよそひとせるあとには、 閻王えんおうもつかひをつかはしてしゃにいかなる追福ついふくをかしゅするとけんし、 亡者もうじゃきもをくだきて遺跡ゆいせきにいかなる善根ぜんごんをかいとなむとこれをもうす。 もしこれをしゅせず、 これをとぶらはざれば、 いたづらになきいたづらにかなしみて、 うれえをそへかなしみをますなり。 あとにとゞまるひと、 いかでかぶつしゅせざらんや。 さればこゝろざしの厚薄こうはくにより、 修善しゅぜん浅深せんじんにこたへて、 じゅうおうのうち一王いちおうおう裁断さいだんにあふてしゅつするものもあるべし、 ないいっしゅうだい三年さんねん断罪だんざいこうむり得脱とくだつするひともあるべきなり。 だい三年さんねんまでじゅうおうにあひぬるのちも、 あるいじゅう三年さんねんあるいさんじゅう三年さんねんなどまでもその追善ついぜんをいたすことは、 聖教しょうぎょうのなかにあきらかなるせつなしといへども、 わがちょう風俗ふうぞくとしてひとこれをしゅしきたれり。 せめてもそのおんほうじ、 いくたびもしょうじょとぶらわんがためなり。 これまたいまの 「しょうえんごうちゅう恒存ごうぞん」 といふならば、 せつをさゝざるうへはもともどうにかなへり。 なかんづくに、 もうにとりて一年いちねんいちしょうをばにちといひ、 一月ひとつきいちしんをばがっといふ。 がっ1361なをもて等閑とうかんなるべからず、 いはんやにちをや。 さればたとひとしをふといふとも、 亡日もうにちをむかへてはけんばんをさしをきてかならだいをかざるべきなり。

かのするを、 あるいにちともいひ、 あるいがっともなづけてしょうすることは、 といふもんくんはいみなり。 これすなわちその亡日もうにちにをひて、 かのとくしゃするほかに他事たじをいみて禁断きんだんするなり。 てんしょに ¬らい¼ といふふみにこのをあかせり。 また内典ないてんしょに ¬梵網ぼんもうきょう¼ に、 もし父母ぶもきょうだいもうほうしょうじて追福ついふくしゅすべきむねをとけり。 しんならびきょうだいとう亡日もうにちには、 しょをなげすてゝぶつ報恩ほうおんをいとなむべきこと、 ないりょうてんにすゝむるところひとつなり。

その追善ついぜんにおひて、 かの亡者もうじゃこんじょう悪業あくごうもふかく、 しゅしたる善因ぜんいんもなくしてせんひとは、 六道ろくどうしょうをはなれずしててんほうをうけんことうたがいなければ、 それがためにはことにいそぎて善根ぜんごんしゅし、 ねんごろにどくぎょうじて追福ついふくをいたすべし。 追善ついぜん分斉ぶんざいによりて善悪ぜんあくしょうさだむべきがゆへなり。 念仏ねんぶつぎょうじゃは、 信心しんじんをうるときよこさま四流しるちょうだんし、 このしんをすつるときまさしくほっしょうじょうらくしょうすれば、 じゅうおうのまへにいたるべきにあらず。 ごくにおつるひとじょうおうじょうするひととはちゅうくらいをへざれば、 かくのごとくのひとのためには、 あながちに善根ぜんごんしゅせずといふともそくあるべからずといへども1362しんぎょうごうのうへにゆうをくわへ、 極楽ごくらくしょうずるひともなをそのくらいもすゝみ、 いよいよしゅじょうとくのちからもざいにならんことうたがいなし。 そのうへおんをいたゞきおんほうぜざれば、 わがみょうもなく、 とくをになひてとくしゃすれば、 わが福分ふくぶんともなるゆへに、 たとひ真実しんじつ念仏ねんぶつぎょうじゃなりとも報恩ほうおんのつとめをろそかにすることはあるまじきことなり。

一 どうじょうをかまへて念仏ねんぶつごんぎょうすべきこと。

おほよそ仏法ぶっぽうしゅぎょうのところはみなどうじょうといふ、 いはゆる真言しんごんをおこなふところをば三密さんみつ瑜伽ゆがどうじょうといひ、 みょうほうぎょうずるみぎりをばほっ三昧ざんまいどうじょうといふ。 念仏ねんぶつ三昧ざんまいどうじょうもそのおなじかるべし。 されば念仏ねんぶつぎょうじゃ、 うちに信心しんじんをたくはへてしんじょう如来にょらいにかくといふとも、 どうじょうをかまへてこうあん本尊ほんぞんにつむべし。 ぎょう化他けたやくこれにあるべきなり。 このゆへに、 しょうしゃくをみるに、 ¬ほうさん¼ (巻上) にはぎょうほうどうじょうさんじて 「どうじょうしょうごんきはめて清浄しょうじょうなり」 といひ、 ¬観念かんねん法門ぼうにん¼ には ¬般舟はんじゅきょう¼ によりてにゅうどうじょう念仏ねんぶつ三昧ざんまいほうをあかせり。 このゆへに、 穢土えどをもてじょうじゅんじ、 たくをもてどうじょうして、 本尊ほんぞんあんずる浄場じょうじょうとし、 念仏ねんぶつ会座えざとするなり。

1363もそもどうじょうといふは、 どうしゃなり。 天竺てんじくにはそうらんといふ。 こゝにはどうともいひてらともいふ、 またどうじょうともいふなり。 しかるにどうともいひてらともしょうするときは、 そのかまへごんじゅうにして人屋にんおく一例いちれいにあらず。 如来にょらいつねにましまして僧衆そうしゅとこしなえじゅうし、 講堂こうどうにしてきょうこうじ、 食堂じきどうにしてさいぎょうじ、 きょうぞうにおひてぶっきょうあんじ、 こうしょうをたゝきてしゅをおどろかす。 かやうのしきをとゝのふるをもて、 どうともてらともなづくるなり。 されば ¬けつ¼ (輔行巻一位) てらしゃくするに

法度ほうたくあるところなり」

「有↢法度↡処名也」

といへり。 どうじょうといふときは、 あながちにこれらのほうそくせざれども、 あるいじょうぶつどうあるいいち会座えざ仏法ぶっぽうごんぎょうするところ、 みなどうじょうなり。 このどうによるがゆへに、 どうじょうをかまへて本尊ほんぞんあんし、 どうぎょうごうして念仏ねんぶつごんぎょうすべきなり。

どうじょう二字にじをこゝろうるに、 どうといふは仏道ぶつどうなり、 じょうといふはにわなり。 にわといふはみぎりなり、 みぎりといふはところなり。 しょきょうどうじょうをばこれをさしをく。 いま念仏ねんぶつしゅぎょうどうじょうについてりょうけんせば、 このところにして念仏ねんぶつしゅすれば、 弥陀みだ如来にょらいへんじょうこうみょうをはなちて称名しょうみょうぎょうじゃをてらしたまふがゆへに、 これこうみょう摂取せっしゅのにわなり。 このところにして念仏ねんぶつをとなふれば、 光触こうそくこうむるものは、 しん退たいをえておうじょうやくけつじょうするがゆえに、 これおうじょうじょうのところなり。

1364どうにはおほくのあり。 あるい浄住じょうじゅうしゃといひ、 あるいしゅっけんしゃといひ、 あるいおん悪処あくしょといひ、 あるい親近しんごん善処ぜんしょといふとう、 これなり。 一々いちいちみょう、 またいまのどうじょうにかなへり。

まづ浄住じょうじゅうしゃといふは、 ぶつをば清浄しょうじょうにんといへば、 清浄しょうじょうにんじゅうしょなるがゆへに浄住じょうじゅうしゃといふ。 弥陀みだ如来にょらい清浄しょうじょう光仏こうぶつあり、 これすなはちこのぶつこうみょうにふるれば、 煩悩ぼんのうごっをのぞくがゆへなり。 しかるに ¬かんぎょう¼ の弥陀みだ三尊さんぞん、 つねにぎょうにんのところにらいしたまへば、 これ浄住じょうじゅうしゃなり。

つぎにしゅっけんしゃといふは、 六道ろくどうしょうことごとくけん有漏うろ舎宅しゃたくなり、 よくしきしきまたくしゅっ无漏むろ舎宅しゃたくにあらず。 あるいしゅじゅうまんせるによりてたくといひ、 あるいしゅつなきを牢獄ろうごくといへる、 みな三界さんがいほうけんしゃとするなり。 しかるにこのどうじょうは、 念仏ねんぶつしゅして極楽ごくらくがんずるにわなるがゆへに、 かくのごとくりんほうをはなれ、 じょうしょうをさとるべきところなり。 ぼん眼見げんけん穢土えどけん舎宅しゃたくなれども、 ぶっしょうらんにはじょうしゅっ舎宅しゃたくなるべし。 つぎに金剛こんごうじょうせつといふは、 仏法ぶっぽうしゅぎょうどうじょうとしてけん不壊ふえ宝刹ほうせつなるがゆへなり。 また念仏ねんぶつぎょうじゃ金剛こんごう信心しんじんをえてごっしょうじょうじょするがゆへに、 金剛こんごうじょうせつじゅんずべきなり。

おん悪処あくしょといふは、 このところにいたるひとみなぶつらいするおもひををこし、 このにわにきたるひとをのづから1365ほうをきくこゝろざしあり。 ぶつらいするときは善心ぜんしんしたがいてをこり、 ほうをきくときは妄心もうしんまたそくするがゆへに、 おん悪処あくしょといふなり。

親近しんごん善処ぜんしょといふは、 そのまたあひおなじ。 あくおんすればぜん親近しんごんするあるなり。 いまこんりゅうするところのどうじょうは、 そのかまへをいふに、 仏閣ぶっかくにあらずといへどもこのところにをひて仏像ぶつぞうあんじ、 そのたいをいふに、 人屋にんおくたりといへどもこのところにをひて念仏ねんぶつごんぎょうす。 念仏ねんぶつなかには、 衆悪しゅあくおんして衆善しゅぜん親近しんごんし、 けんしゃをいでゝしゅっけんしゃじゅうするりきをそなへたり。 かるがゆへに念仏ねんぶつぎょうずるところどうじょうなり。 どうじょうのなかにはまた種々しゅじゅやくそくせりとしるべきなり。

またどうじょうといふは、 あるいじょうをさし、 あるいぶっにかたどれるなり。 ¬だいきょう¼ (巻上) 正宗しょうしゅう弥陀みだ如来にょらいいんちゅうがんをとくには

「そのしゅみょうにしてどうじょうちょうぜつせられ」

「其衆奇妙道場超絶」

といひ、 ¬かんぎょう¼ のずう念仏ねんぶつぎょうにんしょうやくをあかすには

「まさにどうじょうして諸仏しょぶついえしょうずべし」

「当↧坐↢道場↡生↦諸仏家↥」

といへり。 いまどうじょうごうするは、 所信しょしんほうによりしょぶつについてそのぎょうぎょうずるところなるがゆへに、 穢土えどなれどもじょうせつじゅんじてどうじょうといふなり。

されば自作じさきょうともにさいじょう善根ぜんごんなれば、 じょうしんをぬきんでゝどうじょうをかまへ、 どうぎょうして念仏ねんぶつぎょうずべきなり。 念仏ねんぶつじょうどくちょうぜつ勝行しょうぎょうなるがゆへに、 諸仏しょぶつ1366哀納あいのう諸天しょてんかんしたまふ。 諸仏しょぶつしょうらんにかなひ諸天しょてんしゅにあづからば、 恩所おんじょ得脱とくだつうたがいなく、 しんおうじょうけつじょうし、 二世にせ所願しょがん一々いちいちにおもひのごとくして、 自利じり々他りたがんぎょう円満えんまんし、 自他じたびょうどうやくぎゃくとくすべきなり。 ¬ほうさん¼ のかんに、 ¬弥陀みだきょう¼ をしょうさんする所願しょがんには

ねがはくはこの法輪ほうりん相続そうぞくしててんじ、 どうじょうしゅますますじょうねんならん。 大衆だいしゅことごとくおなじ安楽あんらくけん、 見聞けんもんずいまたみなしかなり」

「願此法輪相続転、 道場施主益長年。 大衆咸同受↢安楽↡、 見聞随喜亦皆然」

といへり。 「法輪ほうりんてんず」 といふは、 ¬弥陀みだきょう¼ を読誦どくじゅ宣説せんぜつするなり。 ¬弥陀みだきょう¼ のこゝろは念仏ねんぶついちぎょうをあらはすにあり。 しかれば、 どうじょうをかまへんひとじょうねんほうをえ、 同心どうしんじょじょうひとしょうをうべし。 げんなをしかなり、 いはんや後世ごせにをひてをや。 ふかくこれをしんずべし、 あへてうたがふべからざるものなり。

 或一本云

此鈔は存覚上人の御作なり

 

底本は◎大谷大学蔵江戸時代中期恵空写伝本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記は現代仮名遣いとしている。