0853◎至道鈔
◎一 父母の菩提のために仏事を修する功徳のすぐれたる事。
一切の恩のなかには父母の恩最大なり。 茎は種よりきざし、 流は源よりはじまる。 楽も栄もこの身の生じぬるうへのことなるによりて、 生育の恩といひ教訓の恩といひ、 報じがたく謝しがたし。 されば仏経のなかには、 父の恩をば山にたとへたり。 迷盧八万のいたゞきたかしといへども、 もし父の恩にならぶればなをたかきにあらず。 母の恩をば海にたとへたり。 滄海三千のそこふかしといへども、 もし母の恩にくらぶればまたふかきにあらず。 このゆへに、 いきたるときには孝行をいたして随分のこゝろざしをはげみ、 没しぬるのちには追善を修して菩提の果をいのるべきなり。 孝養の行を讃じ不孝のつみをいましむること、 一代の正教にその文おほきなかに、 まづ浄土の三部経のうちに、 ¬大経¼ には五悪をとくとき不孝のとがのおもきことをあかし、 ¬観経¼ には三福をとくとき孝養の善のおほきなることをあらはせり。
い1348はゆる ¬大経¼ (巻下) の文といふは、 五悪のなかに第四に口業の悪をとくとして、
「両舌・悪口・妄語・綺語、 讒賊闘乱す。 善人を憎嫉し、 賢明を敗壊して、 傍において快喜す。 二親に孝せず、 師長を軽慢し、 朋友に信なくして、 誠実を得がたし。 尊貴自大にしておのれに道ありと謂ひ、 横に威勢を行じて人を侵易す」
「両舌・悪口・妄語・綺語、 讒賊闘乱。 憎↢嫉善人↡、 敗↢壊賢明↡、 於↠傍快喜。 不↠孝↢二親↡、 軽↢慢師長↡、 朋友无↠信、 難↠得↢誠実↡。 尊貴自大謂↢己有↟道、 横行↢威勢↡侵↢易於人↡」
といひて、 しもにその罪報をあかすに、
「殃咎牽引してまさにひとり趣向すべし。 罪報自然にして、 捨離に従ふことなし。 ただ前行することを得て火鑊に入る
「殃咎牽引当↢独趣向↡。 罪報自然、 无↠従↢捨離↡。 但得↢前行↡入↢於火鑊↡
といへり。 生前不孝のつみによりて、 後世に地獄にいりて火鑊の苦をうけんこと、 もともかなしむべし。
第五に意業の悪をとくとしては、 はじめに
「父母教誨すれば、 目を瞋らせ譍を怒らせて、 言令和かならず、 違戻反逆す」 (大経巻下)
「父母教誨、 瞋↠目怒↠譍、 言令不↠和、 違戻反逆」
といひ、 つぎに
「父母の恩を惟はず、 師友の義を存ぜず。 心につねに悪を念ひ、 口につねに悪を言ひ、 身につねに悪を行じ、 かつて一善もなし。 先聖、 諸仏の経法を信ぜず、 道を信ずれば度世を得べきことを信ぜず、 死後に神明さらに生ずることを信ぜず、 善を作せば善を得、 悪を為せば悪を得ることを信ぜず」 (大経巻下)
「不↠惟↢父母之恩↡、 不↠存↢師友之義↡。 心常念↠悪、 口常言↠悪、 身常行↠悪、 曽无↢一善↡。 不↠信↢先聖、 諸仏経法↡、 不↠信↢行↠道可↟得↢度世↡、 不↠信↢死後神明更生↡、 不↠信↢作↠善得↠善、 為↠悪得↟悪」
といひ、 後に
「父母・兄弟・眷属を害せんと欲す。 六親憎悪しそれをして死せしめんと願ず。 かくのごときの世人、 心意ともにしかなり。 愚痴矇昧にしてみづから智恵ありと以ひて、 生の従来するところ、 死の趣向するところを知らず。 不仁不順にして、 天地に悪逆す」 (大経巻下)
「欲↠害↢父母・兄弟・眷属↡。六親憎悪願↠令↢其死↡。 如↠是世人、 心意倶然。 愚痴矇昧而自以↢智恵↡、 不↠知↧生所↢従来↡、 死所↦趣向↥。 不仁不順、 悪↢逆天地↡」
といへる文、 これなり。 一段のうちに三所まで、 かくのごとく不孝の相をときて、 その悪因によりて苦果をうくることむなしからざることをあかす。 下に
「善悪報応し、 禍福相承す、 身みづからこれに当る。 誰も代る者なし。 数の自然なり。 その所行に応じて、 殃咎命を追ひ縦捨を得ることなし。 善人は善を行じて、 楽より楽に入り、 明より明に入る」 (大経巻下)
「善悪報応、 禍福相承、 身自当↠之。 无↢誰代者↡。 数之自然。 応↢其所行↡、 殃咎追↠命无↠得↢縦捨↡。 善人行↠善、 従1349↠楽入↠楽、 従↠明入↠明」
といへる、 これなり。 「従楽入楽」 といふは、 生をあらため形をかふといへども、 生々世々に富貴の身とむまれて楽にほこるべきこゝろなり。 「従明入明」 といふは、 これまた在々処々に智恵をきはめて、 さとりをひらくべき義なり。 これらはみな孝養父母のこゝろありて、 天地のこゝろに違逆せざる人の果報なり。 これにはひきかへて 「従苦入苦」 (大経巻下) といふは、 劫ををくり生をふといへども、 三悪道をはなれずして重苦をうくべし。 たとひまた人間にきたるときも、 下賎の身として、 或は乞丐・孤独・聾盲・瘖瘂等の報をうくるなり。 これみな父母に孝せず、 ほしゐまゝに悪逆をつくる果をあかすなり。
つぎに ¬観経¼ の説といふは、 世戒行の三福をとくに、 世善のはじめに孝養父母をのせたり。 総じて三福の行を嘆ずるに、 「三世の諸仏の浄業の正因なり」 ととけり。 もともこれをたふとむべき行なり。 これによりて、 ¬梵網経¼ (巻下) に円頓一実の大乗戒をとくには、 「師僧父母に孝順するを戒となづく」 といひ、 ¬花厳経¼ (般若訳巻一二行願品) に地神の如来に申すことばには、 「大地須弥をおふておもしとせず、 不孝の人をばいたゞくにたへず」 ととき、 ¬増一阿含経¼ (巻一一知識品意) には 「父母を供養する功徳は、 一生補処の菩薩を供養するにひとし」 といひ、 ¬心地観経¼ (巻二報恩品意) には 「父母に孝養す1350る功徳は、 仏を供養するにことならず」 といへり。 欲界六天のなかに、 下より第二の天をば利天といふ。 かの天の主は帝釈なり。 閻浮提の衆生の善をつくるをも悪をつくるをも、 かの帝釈の札にしるすとみえたり。 父母に孝養するをみては、 善業の帳に記して善趣に生ずべきにさだめ、 父母に孝せざるをみては、 悪業の帳にのせて悪趣に堕すべきに判ず。 いかでかこれをつゝしまざらんや。 かの天に波利質多羅樹といふ木あり、 娑婆世界の衆生父母に孝養するときにはこの花ひらく。 天人これをみてよろこびたのしむ。 もし父母に孝養せざればこの花しぼむ。 天人これをみてなげきかなしむ。 これによりて、 父母に孝養すれば諸天・善神も納受し、 諸仏・菩薩も随喜したまふなり。 諸天もゑみをふくみ、 仏・菩薩の照覧にもかなひぬれば、 いのちもながく福もきたるなり。
また玄奘三蔵の ¬抖擻の記¼ に一の因縁をいだせることあり。 三蔵、 渡天のとき、 ある寺をみたまふに、 眼目寺と額をうちたる寺あり。 本尊を拝したまふに、 弥陀の三尊なり。 左右の脇士の御手におのおのひとつづゝ眼をもちたまへり。 その因縁をたづねとひたまふに、 寺僧こたふるやう、 昔大王ありき、 目しゐたり。 医師をめして療治をくわへんとするに、 医師まふしていはく、 うちまかせたる薬をもち1351ていやすことあるべからず、 そのちからをよびがたきところなり。 たゞし一の薬あり、 一生涯のあひた、 一度もはらをたて、 いかりをなさゞる人の両眼をとりて、 はいにやきて合薬し、 これをつけたてまつらばいゑたまふべし。 このほかは治術あるべからずとまふしゝあひだ、 京中・辺土、 手をわけ使をつかはしてたづねられしかども、 貪瞋痴の三毒は欲界根本の煩悩なれば、 聖果をえざらんよりほかは嗔恚をはなれたる人あるべきならねば、 一期のあひだ生じてよりこのかた、 はらをたてずといふ人をもとめいださず。 こゝに大王に太子あり。 くだんの太子のたまふやう、 われ生をうけてよりのち、 いまだ嗔恚をおこさず。 はやく眼をぬきて父の王の御目をいやすべしと命ず。 医師このおもむきを大王に奏するところに、 大王おほきに啼泣してのたまひけるは、 われはとしおとろへ、 よはひかたぶきぬれば、 病眼しゐたりといへども、 いたみとするにたらず。 太子はわかくさかりにしておしむべき身なり。 われこの世をすてなんのちも、 継体の君として国の位をたもちたまふべし。 されば太子のためにこそいかなる病もあらばわが眼もぬかめ。 わが身この病をうけたればとて、 朕がために太子の眼をぬかんことさらにおもひよらずとて、 制しおほせられしかば、 さては術計なしといひて、 医師すでに1352まかりいでなんとするところに、 太子ひそかにみづから両眼をぬきて医師にあたへたまひしかば、 医師おどろき存じながら、 このうへはもだすべからざるゆへに、 これを合薬して大王の御目につくる。 両眼すなはちひらきて、 あきらかなること日ごろにこえたり。 眼ひらいてのち、 薬の効験を感じて、 いかなる薬をもて治するぞとたづねたまふに、 かくれあるべきことならねば、 医師ありのまゝにしかじかと申けり。 このとき大王かなしみなげきたまふこと、 なのめならず。 しかれども、 後悔さきにたゝざれば、 おもひのほのほむねをこがしたまへども益なく、 うれへのなみだ袖をしぼりたまへども詮なし。 悲嘆のあまり阿弥陀如来にいのりまうしたまふところに、 観音・勢至二菩薩の御手に両眼をもちきたりて、 太子の御目のあとにいれたまふあひだ、 すなはち本に復せり。 もとのまなこは肉眼なり、 いまの眼は天眼なるがゆへに、 はるかに他方世界のことをもみたまひしかば、 大王のよろこびたとへをとるにものなし。 大王よろこびにたえず、 かの三尊の像をうつしつくりたてまつり、 二菩薩の御手に眼をもたせたてまつれり。 そのとき、 この堂を造立してその像を安置せりとこたへけり。 むかしの大王といふは浄飯王なり、 かの太子といふは釈尊なり。 忍辱太子といへる、 すなはち嗔恚をおこしたま1353はざりし名なり。 しかれば、 釈迦如来の因行も孝養のつとめをもはらにし、 弥陀如来の大悲も孝養のこゝろざしを感じたまふとみえたり。
また聖徳太子は観音の垂迹、 和国の教主なり。 守屋の逆臣を追伐して釈尊の遺教を末代にひろめ、 六斎の殺生を禁断して善悪の因果を道俗におしへたまふ。 しかるに太子三歳の御とき、 用明天皇愛していだきたてまつりたまひしかば、 児が父の御手にいらんこと、 百丈のいはほにのぼり千尺のなみにうかぶがごとし。 はなはだおそろし、 はなはだあやうしとのたまひ、 十六歳のとき、 父の王やまひのゆかにふしたまひしに、 太子衣帯をとかずして昼夜に看病したてまつりたまふ。 大王一飯したまへば太子も一飯したまひ、 大王再飯したまへば太子も再飯したまふ。 すなはち无常の道理をのべ、 弥陀の名号をすゝめしかば、 天皇正念に住し仏号をとなへておはりをとりたまひき。 其時にあたりて、 一には往生の御願のたがはざることを喜び、 一には今生の再会のながくへだゝりぬることをなげき給き。 是みな大聖も大権も親子のよしみのあさからざることを表し、 二親の恩のかろきにあらざることをあらはしたまふなり。
父は能生の本として提撕教訓の恩をほどこし、 母は所生の源として乳哺生養の徳を1354あたふ。 恩のおもきことは、 そのあたひ千顆万顆のたまにもまさり、 こゝろざしのふかきことは、 そのいろ一入再入のくれなゐにもすぎたり。 なかんづくに ¬心地観経¼ (巻三報恩品) のなかに、 人のおやなる人は、 子のためにつみをつくりて悪道におもむくことをとけり。 仏説のあらはすところ、 そのかなしみもとも肝に銘ず。
「世人子のために諸罪を造り、 三途に堕在してながく苦を受く。 男女聖にあらざれば神通なく、 輪回を見ず報ずべきことかたし」
「世人為↠子造↢諸罪↡、 堕↢在三途↡長受↠苦。 男女非↠聖无↢神通↡、 不↠見↢輪回↡難↠可↠報」
といへる文、 これなり。 この文のこゝろをきかんに、 人の子として争か悲情にたえんや。 或は撫育教示の恩をかぶり、
或は慈悲哀愍のこゝろざしをになひ、 或は財宝田園をゆづりえ、 或は才智芸能の業をつぎて、 そのうるところの恩はあつく、 報謝のつとめはすくなければ、 たとひ報ずといふとも、 一滴をもて大海にくはへ、 微塵をもて須弥にそふるがごとくなれば、 たやすく報じつくさんことはあるまじきに、 まして子をおもふ妄念によて、 おやとしてその為につみをつくり、 そのつみにひかれて悪道におちんこと、 いのちをすつるおやのため、 あとにのこる子のため、 かなしみのなかのかなしみ、 なげきの中のなげきなり。 人ごとにかゝるべきにはあらねども、 子をおもふ愛執はふかく、 仏法を信ずるこゝろなからん人は、 かならずのがれがたきことなり。 不孝のつみせめてもあまりあり、 いか1355にしてかこのとがをつぐのふべき。 さればそれにつけても、 ひとすぢに滅後の孝養をいたして、 そのruby>報謝にそのふべきなり。
そもそも人の後世をとぶらふにとりて、 まづ中有のあひだ善悪の生所さだまらざるさきに、 よく功徳を修して、 悪道におとさず善所に生ぜしめんと回向する時分あり。 つぶさにその生所さだまりつる後も、 悪趣ならば善趣にも生ぜしめ、 また善趣なりとも三界のうちをはなれて極楽に生じ仏果を証せしめんがためにこれをとぶらふべきなり。 中有といふは、 この生の命はつき、 つぎの生の報はいまだうけざる二有の中間なり。 この間に十王の裁断にあふて生をさだめらるゝなり。
いはゆる初七日は、 秦広王の裁断にあふ。 まづ人の命終らんとするとき、 閻魔法王、 奪魂鬼・奪精鬼・奪魄鬼といふ三人の獄率をつかはし、 罪人をしばりて冥途にゐてゆく。 はじめて罪門関樹のもとにいたるに、 その木の枝葉ときことやいばのごとし。 かの樹のもとをすぎて死出の山の南門にいたる。 そのところに又ふたつの樹あり、 両茎身をせめてはだゑをさき骨をくだく。 かやうに苦をうけて死出の山をこゆるなり。 かの山のありさま、 坂はげしく路とをくして、 たゑがたきことまたいふべからず。 この死出の山といふは、 すなはち俗にいひならはしたる死天の山1356なり。 山をこゑをはれば、 七日を満ずるとき秦広王のまへにいたり、 善悪の業因を勘定せらるゝなり。
二七日は、 初江王にあふ。 この王の所にいたるとき奈河をわたる。 奈河といふは葬頭河なり、 初江王の官庁のまへにながれたり。 この河をわたるに三のみちあり、 一には山水の瀬、 二には江深の淵、 三には橋なり。 微善の人は橋をわたり、 軽罪の人は山水の瀬をわたり、 重罪の人は江深の淵にむかふ。 七日七夜のあひだながれて、 かの官庁のまへにいたるに、 かの所に大なる樹あり。 かの樹のもとに二の鬼あり、 一をば奪衣婆となづく、 二をば懸衣翁となづく。 奪衣婆衣をぬがすれば、 懸衣翁えだにかけてつみの軽重を校量するなり。 日ごろ著するところの衣装、 今日うばゝれて裸形になる。 恥をあらはし憂をいだくこと、 このときいまひときわまさる。 これ生前にしてほしゐまゝに悪業をつくり、 善根を修せざりし无慚无愧のとがをあらはすなり。
三七日には、 宋帝王の所にいたる。 このとき悪猊群集し、 大蛇きほひきたりて身体をきりさき、 或は支節を繋縛す。 これまた前生の罪悪を罰する相なり。
四七日には、 五官王にあふて、 また造罪の軽重を称量せらる。 かの官庁に二のいへあり。 左にあるをば秤量舎といふ、 これは業をかくるはかりをかけたる所なり。 右にあるをば勘録舎といふ、 これ1357は所作の業を記録する所なり。
五七日には、 閻魔王にいたる。 この所は閻浮提のした五百由旬にあり、 大城の四面には鉄のかき周帀して四方におのおの鉄の門をひらけり。 官庁のうちに双童あり、 一人は善を記し、 一人は悪を記す。 又この所に一の鏡あり、 これを浄頗梨の鏡といふ、 又は王鏡といふ。 閻王この鏡のななにおひて十方三世遠近の諸事をかゞみ、 有情・非情、 善悪の諸相をしる。 また八方におひておのおの一の鏡をかけたり、 あはせて八の鏡なり、 これを業鏡といふ。 一切衆生の所造の業因、 悉くこれにうつるなり。 微悪もうつらずといふことなく、 小善もかくるゝことなし。 善悪ともにかげをうかべて、 たゞ眼に対するが如し。 一の鏡にだにもかくれあるまじきに、 八の鏡に一同に是をうつせば、 娑婆にして犯す所の悪業さらにあらがふべき所なし。 双童の筆のはしにしるし、 浄頗梨の鏡の面にうつして、 大王ことごとくこれをしり、 明々たる八の業鏡にうつりて罪人またこれを論ぜず。 微塵の業までも、 さらにのがれがたし。 このときにあたりて、 前生の罪業をはぢてかなしみくゆといへども、 かつて益なし。 こゝろあらん人、 いかでかこれをおそれざらんや。
六七日には、 変成王のまへにいたる。 中有嶮路のかなしみいよいよふかく、 獄率呵責のうれへますます切なり。
七々日には、 太山1358王の所にいたる。 この所にも赤紫の冥官、 黄緑の司侯あて、 小悪・微善をのぞかず、 これを録して王に奏すれば、 王これをみて染浄の二因を勘決し、 善悪の生処を定判するなり。
百箇日には、 平等王のまへにひざまづきて、 枷械のいましめにあひ、 鞭傷の苦をうく。
一周忌には、 都市王の所にいたりて、 重て辛苦をなし、 ねんごろに斎福をもとむ。
第三年には、 五道転輪王のまへにして、 また所作の業因を勘へ、 昇沈の果報をさだむるなり。 これは十王のおはり、 裁断のきはまりなり。
この十王裁断の間は中有なり。 この中有のありさま、 こゝろぼそくかなしきことなり。 飢寒身をせめ、 衣食ともにかけたり。 衣は葬頭河の岸にしてぬぎしかば、 肌をかくすものなくして寒気身をとほす。 食は香を食よりほか口にいるものなければ、 飢渇しのびがたし。 日月の天にかゝるもなければ、 闇冥としてみちにまよひ、 朋友のことばをまじふるもなければ、 孤独にしてなくなくゆく。 たゞあひしたがふものとては、 罪業と鬼神となり。 ¬宝積経¼ (大宝積経巻九六勤授長者会) には
「死し去りぬれば一として来りてあひ親しむものなし、 ただ黒業のみありてつねに随逐す」
「死去无↢一来相親↡、 唯有↢黒業↡常随逐」
ととき、 ¬摩訶止観¼ (巻七上) には
「冥々として独り行く、 誰か是非を訪はん」
「冥々独行、 誰訪↢是非k」
といへる、 このこゝろなり。
十度の断罪のあひだに、 業の強弱によりて生処におもむくこと遅速あり。 或は初七日、 秦広王の裁断にあふて1359地獄・鬼・畜におもむくものもあるべし。 或は二七日、 初江王の断罪を蒙て人中・天上にむまるゝたぐひもあるべし。 三七日にさだまらずは、 四七日にいたるもあるべし。 五七日にもなほ得脱せずは、 六七日、 七々日にあふもあるべし。 乃至百ヶ日・一周忌・第三年にいたり当来の果をうくるものもあるべしとなり。
この十王にをひて、 或は実類の有情といひ、 或は仏・菩薩の化現といふ二義あり。 権化といふにとりて、 本地また異説あり。 詮ずるところ、 本地は経論のたしかなる説なきによりて一准ならざるなり。 秦広王は不動尊。 初江王は薬師如来、 または釈迦如来といふ。 宋帝王は釈迦如来、 また弥勒菩薩といふ。 五官王は普賢菩薩、 又は薬師如来といふ説あり、 或は聖観世音菩薩といふ説あり。 閻羅王は地蔵尊。 変成王は弥勒菩薩、 一説には観音、 一説には釈迦なり。 太山王は阿弥陀如来。 平等王は文殊師利菩薩、 又は毘沙門といふ説あり。 都市王は観音、 又は不動なり。 五道転輪王は大勢至菩薩、 または阿弥陀なり。
¬倶舎論¼ (玄奘訳巻九世品意) に中有の住持を判ずるに、 あまたの義あり。 一義には
「一切の中有は、 生を楽求するがゆへに、 すみやかに往きて生を受けかならずひさしく住せず」
「一切中有、 楽↢求生↡故、 速往受↠生必不↢久住↡」
といへり、 この釈は時分をさゝず、 たゞ早速なる義をあかせり。 一義には 「極多七々日」 といへり。 この義のごとくならば、 中陰五旬のほどに定るべしとみえ1360たり。 一義には
「時に定限なし、 生縁いまだ合はずは、 中有つねに存ず」
「時无↢定限↡、 生縁未↠合、 中有恒存」
いへり。 この釈のごとくならば、 時分さだまらず、 かつは当生の託生の縁の和合するをまち、 かつは過去の親族の追善によりて生処におもむくゆへに、 その時節に遅速あるなり。
おほよそ人の死せるあとには、 閻王もつかひをつかはして娑婆にいかなる追福をか修すると検知し、 亡者も肝をくだきて遺跡にいかなる善根をかいとなむとこれを悕望す。 もしこれを修せず、 これをとぶらはざれば、 いたづらになきいたづらにかなしみて、 憂をそへ悲をますなり。 あとにとゞまる人、 いかでか仏事を修せざらんや。 さればこゝろざしの厚薄により、 修善の浅深にこたへて、 十王のうち一王二王の裁断にあふて出離するものもあるべし、 乃至一周忌第三年の断罪を蒙て得脱する人もあるべきなり。 第三年まで十王にあひぬるのちも、 或は十三年、 或は三十三年などまでもその追善をいたすことは、 聖教のなかにあきらかなる説なしといへども、 わが朝の風俗として人これを修しきたれり。 せめてもその恩を報じ、 いくたびも生処を訪んがためなり。 これまたいまの 「生縁未合中有恒存」 といふ義ならば、 時節をさゝざるうへはもとも道理にかなへり。 なかんづくに、 死亡の日にとりて一年に一度の正忌をば忌日といひ、 一月に一度の忌辰をば月忌といふ。 月1361忌なをもて等閑なるべからず、 いはんや忌日をや。 さればたとひ年をふといふとも、 亡日をむかへては世間の万事をさしをきて必ず菩提をかざるべきなり。
かの死する日を、 或は忌日ともいひ、 或は月忌ともなづけて忌と称することは、 忌といふ文字の訓はいみなり。 是則その亡日にをひて、 かの徳を謝するほかに他事をいみて禁断する義なり。 外典の書に ¬礼記¼ といふ文にこの義をあかせり。 また内典の書に ¬梵網経¼ に、 もし父母・兄弟死亡の日は法師を請じて追福を修すべきむねをとけり。 二親並に兄弟等の亡日には、 諸事をなげすてゝ仏事報恩をいとなむべきこと、 内外の両典にすゝむる所一なり。
その追善におひて、 かの亡者今生に悪業もふかく、 修したる善因もなくして死せん人は、 六道四生をはなれずして流転の報をうけんこと疑なければ、 それがためにはことにいそぎて善根を修し、 ねんごろに功徳を行じて追福をいたすべし。 追善の分斉によりて善悪の生を定むべきがゆへなり。 念仏の行者は、 信心をうるとき横に四流を超断し、 この穢身をすつるときまさしく法性の常楽を証すれば、 十王のまへにいたるべきにあらず。 地獄におつる人と浄土に往生する人とは中有の位をへざれば、 かくのごとくの人のためには、 あながちに善根を修せずといふとも不足あるべからずといへども1362、 自心の行業のうへに他の功用をくわへ、 極楽に生ずる人もなをその位もすゝみ、 いよいよ衆生得度のちからも自在にならんこと疑なし。 そのうへ恩をいたゞき恩を報ぜざれば、 わが冥加もなく、 徳をになひて徳を謝すれば、 わが福分ともなるゆへに、 たとひ真実念仏の行者なりとも報恩のつとめをろそかにすることはあるまじきことなり。
一 道場をかまへて念仏を勤行すべきこと。
おほよそ仏法修行のところはみな道場といふ、 いはゆる真言をおこなふ所をば三密瑜伽の道場といひ、 妙法を行ずるみぎりをば法花三昧の道場といふ。 念仏三昧の道場もその義おなじかるべし。 されば念仏の行者、 うちに信心をたくはへて心を浄土の如来にかくといふとも、 道場をかまへて功を安置の本尊につむべし。 自行化他の利益これにあるべきなり。 このゆへに、 和尚の解釈をみるに、 ¬法事讃¼ (巻上) には行法の道場を讃じて 「道場の荘厳きはめて清浄なり」 といひ、 ¬観念法門¼ には ¬般舟経¼ によりて入道場念仏三昧の法をあかせり。 このゆへに、 穢土をもて浄土に准じ、 私宅をもて道場に擬して、 本尊を安ずる浄場とし、 念仏を会座とするなり。
そ1363もそも道場といふは、 堂舎の名なり。 天竺には僧伽藍といふ。 こゝには堂ともいひ寺ともいふ、 又は道場ともいふなり。 しかるに堂ともいひ寺とも称するときは、 そのかまへ厳重にして人屋の一例にあらず。 如来つねにましまして僧衆鎮に住し、 講堂にして経を講じ、 食堂にして斎を行じ、 経藏におひて仏経を安じ、 洪鐘をたゝきて衆会をおどろかす。 かやうの儀式をとゝのふるをもて、 堂とも寺ともなづくるなり。 されば ¬弘決¼ (輔行巻一位) に寺を釈するに
「法度ある処の名なり」
「有↢法度↡処名也」
といへり。 道場といふときは、 あながちにこれらの作法を具足せざれども、 或は長時の持仏堂、 或は一時の会座仏法を勤行するところ、 みな道場なり。 この道理によるがゆへに、 道場をかまへて本尊を安置し、 同行を会合して念仏を勤行すべきなり。
道場の二字をこゝろうるに、 道といふは仏道なり、 場といふは庭なり。 庭といふはみぎりなり、 みぎりといふはところなり。 諸教の道場の義をばこれをさしをく。 いま念仏修行の道場について料簡せば、 このところにして念仏を修すれば、 弥陀如来、 遍照の光明をはなちて称名の行者をてらしたまふがゆへに、 これ光明摂取のにわなり。 このところにして念仏をとなふれば、 光触を蒙るものは、 心不退をえて往生の益を決定するが故に、 これ往生浄土のところなり。
ま1364た堂にはおほくの名あり。 或は浄住舎といひ、 或は出世間舎といひ、 或は遠離悪処といひ、 或は親近善処といふ等、 これなり。 一々の名義、 またいまの道場の義にかなへり。
まづ浄住舎といふは、 仏をば清浄人といへば、 清浄人の住処なるがゆへに浄住舎といふ。 弥陀如来に清浄光仏の名あり、 これすなはちこの仏の光明にふるれば、 煩悩の業垢をのぞくがゆへなり。 しかるに ¬観経¼ の弥陀の三尊、 つねに行人のところに来至したまへば、 これ浄住舎の義なり。
つぎに出世間舎といふは、 六道四生ことごとく世間、 有漏の舎宅なり、 欲・色・无色またく出世无漏の舎宅にあらず。 或は衆苦の充満せるによりて火宅といひ、 或は出離の期なきを牢獄といへる、 みな三界の依報を世間の舎とする義なり。 しかるにこの道場は、 念仏を修して極楽を願ずる庭なるがゆへに、 かくのごとく輪回の果報をはなれ、 浄土の无生をさとるべきところなり。 凡夫の眼見に穢土世間の舎宅なれども、 仏陀の照覧には浄土出世の舎宅なるべし。 つぎに金剛浄刹といふは、 仏法修行の道場として堅固不壊の宝刹なるがゆへなり。 また念仏の行者は金剛の信心をえて業障を浄除するがゆへに、 金剛浄刹の義に順ずべきなり。
遠離悪処といふは、 このところにいたるひとみな仏を礼するおもひををこし、 この庭にきたる人をのづから1365法をきくこゝろざしあり。 仏を礼するときは善心随てをこり、 法をきくときは妄心また息するがゆへに、 遠離悪処といふなり。
親近善処といふは、 その義またあひおなじ。 悪に遠離すれば善に親近する義あるなり。 いま建立するところの道場は、 そのかまへをいふに、 仏閣にあらずといへどもこの所にをひて仏像を安じ、 その体をいふに、 人屋たりといへどもこの所にをひて念仏を勤行す。 念仏の中には、 衆悪を遠離して衆善に親近し、 世間舎をいでゝ出世間舎に住する功力をそなへたり。 かるがゆへに念仏を行ずる所は道場なり。 道場のなかにはまた種々の利益を具足せりとしるべきなり。
また道場といふは、 或は浄土をさし、 或は仏果にかたどれる名なり。 ¬大経¼ (巻上) の正宗に弥陀如来の因中の願をとくには
「その衆奇妙にして道場超絶せられ」
「其衆奇妙道場超絶」
といひ、 ¬観経¼ の流通に念仏の行人の生後の益をあかすには
「まさに道場に坐して諸仏の家に生ずべし」
「当↧坐↢道場↡生↦諸仏家↥」
といへり。 いま道場と号するは、 所信の法により所帰の仏についてその行を行ずるところなるがゆへに、 穢土なれども浄刹に准じて道場といふなり。
されば自作・教他ともに最上の善根なれば、 誠心をぬきんでゝ道場をかまへ、 同行を会して念仏を行ずべきなり。 念仏は无上の功徳超絶の勝行なるがゆへに、 諸仏1366も哀納し諸天も歓喜したまふ。 諸仏の照覧にかなひ諸天の守護にあづからば、 恩所の得脱も疑なく、 自身の往生も決定し、 二世の所願一々におもひの如くして、 自利々他の願行円満し、 自他平等の利益を獲得すべきなり。 ¬法事讃¼ の下巻に、 ¬阿弥陀経¼ を称讃する所願の句には
「願はくはこの法輪相続して転じ、 道場の施主ますます長年ならん。 大衆ことごとく同く安楽を受けん、 見聞随喜またみなしかなり」
「願此法輪相続転、 道場施主益長年。 大衆咸同受↢安楽↡、 見聞随喜亦皆然」
といへり。 「法輪を転ず」 といふは、 ¬阿弥陀経¼ を読誦宣説するなり。 ¬阿弥陀経¼ のこゝろは念仏の一行をあらはすにあり。 しかれば、 道場をかまへん人、 長年の報をえ、 同心助成の人勝利をうべし。 現世なをしかなり、 いはんや後世にをひてをや。 ふかくこれを信ずべし、 あへてうたがふべからざるものなり。
或一本云
此鈔は存覚上人の御作なり
底本は◎大谷大学蔵江戸時代中期恵空写伝本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記は現代仮名遣いとしている。