0621女人によにんわうじやうの聞書ききがき

 

弥陀みだ如来によらい十八じふはちぐわんのなかに、 だい三十さむじふぐわん女人によにんわうじやうぐわんなり。 あるひはこれを転女てんによじやうなむぐわんといひ、 あるひはまたもんみやう転女てんによぐわんとなづく。 そのぐわんもんにいはく、 「せち得仏とくぶち十方じふぱうかい其有ごう女人によにんもんみやうくわん信楽しんげうほち提心だいしむえん女身によしん寿終じゆじゆ之後しご復為ぶゐ女像によざうしやしゆしやうがく (大経巻上意)。 このもんのこゝろは、 たとひわれぶちをえたらんに、 十方じふぱうかいにそれ女人によにんありて、 わがみやうをききてくわん信楽しんげうし、 提心だいしむをおこして女身によしんえんせん。 いのちをはりてのち、 また女像によざうとならば、 しやうがくをとらじとなり。

とふていはく、 だい十八じふはちぐわんに 「十方じふぱうしゆじやう (大経巻上) とちかひたまへり。 しかれば、 もろもろの善人ぜんにん悪人あくにんなん女人によにん一切いちさいみなそのなかにもるゝことなし。 しかるにいまべちしてこのぐわんあり、 いまだそのこゝろをえず。 かくのごとくならば、 かみのだい十八じふはちぐわんに 「十方じふぱうしゆじやう (大経巻上) といへることばのうちには、 女人によにんをばのぞかれたりとこゝろうべき。 もしのぞかれば、 だい十八じふはちぐわん一切いちさい摂受せふじゆするにあらず。 も0622しのぞかずして一切いちさい摂受せふじゆすべくは、 だい三十さむじふぐわんそのようなきににたり。 いかんがこれをこゝろうべきや。

こたへていはく、 だい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわん男女なむによをえらばす、 みな摂すべき条は勿論なり。 しかれども、 かさねてこのぐわんをたてたまへることは、 如来によらいだいだいのきはまりなり。 そのゆへは、 女人によにんはさはりをもくつみふかし。 べちしてあきらかに女人によにんやくせずは、 すなはちうたがひをなすべきがゆへに、 ことさらこのぐわんをおこしたまへるなり。 これすなはち先徳せんどく料簡れうけんなり。

とふていはく、 女人によにんのさはりをもくつみふかきこと、 そのしよういかん。

こたへていはく、 きやうろんのなかにそのしようこれおほし。 りやくして少々せうせうをあぐべし。

¬涅槃ねちはんぎやう¼ にいはく、 「しよ三千さむぜんかいなむしよ煩悩ぼむなう合集がふじふ一人いちにん女人によにんごふしやう」。 このもんのこゝろは、 あらゆる三千さむぜんかいなむのもろもろの煩悩ぼむなうをあはせあつめて、 一人いちにん女人によにんごふしやうとすとなり。

またいはく、 「女人によにんだいわう能食のうじき一切いちさいにんげん纏縛てんばくしやう怨敵おんてき」。 このもんのこゝろは、 女人によにんだいわうなり、 よく一切いちさいのひとをくらふ。 げんには纏縛てんばくとなし、 しやうにはあだ・かたきとなるなり。

¬しむ0623観経くわんぎやう¼ にいはく、 「さむ諸仏しよぶちげんらくだい法海ほふかいしよ女人によにんゐやうじやうぶちぐわん」。 このもんのこゝろは、 さむ諸仏しよぶちのまなこはだいにおちおつとも、 法海ほふかいのもろもろの女人によにんはながくじやうぶちぐわんなしとなり。

¬填王てんわうきやう¼ (意) にいはく、 「女人によにんさい悪難あくなんいちばくぢやく牽人けんにんにふ罪門ざいもん」。 このもんのこゝろは、 女人によにんもとも悪難あくなんをなすこといちなり、 ばくぢやくしてひとをひいて罪門ざいもんにいるとなり。

¬ほうしやくきやう¼ にいはく、 「一見いちけん女人によにん能失のうしちげんどく縦雖じゆすいけん大蛇だいじや不可ふかけん女人によにん」。 このもんのこゝろは、 ひとたび女人によにんをみれば、 よくまなこのどくをうしなふ。 たとひ大蛇だいじやをみるといふとも、 女人によにんをみるべからずとなり。

ごむきやうにいはく、 「一見いちけん女人によにんゐやうけちさむごふきやう一犯いちぼむぢやうけんごく」。 このもんのこゝろは、 ひとたび女人によにんをみれば、 ながくさむの業をむすぶ。 いかにいはんや、 ひとたびをかしぬるにをいては、 さだめてけんごくにおつとなり。

¬智度ちどろん¼ にいはく、 「しやうしき猶可ゆかしやくぐわんじや含毒がむどく猶可ゆかそく執剣しふけん向敵かうてき猶可ゆかしよう女賊によぞく害人がいにんなんきむ」。 このもんのこゝろは、 しやうのいろなきなをとりつべし、 ぐわんじやどくをふくめるなをふれつべし、 けんをとりてむかへるかたきにはなをかちぬべし、 女賊によぞくのひとをがいするはきむずべきことかたしとなり。

¬ゆい0624識論しきろん¼ にいはく、 「女人によにんごく使ゐやうだんぶちしゆ外面ぐゑめんさち内心ないしむによしや」。 このもんのこゝろは、 女人によにんごくのつかひなり、 ながくぶちしゆをたつ。 ほかのおもてはさちににたり、 うちのこゝろはしやのごとしとなり。

きやうろんもんおほしといへども、 りやくしてのぶることかくのごとし。 これらのもんをきかん女人によにん、 さだめて卑下ひげのおもひをなして、 わうじやうののぞみをかけがたし。 かるがゆへにべちして女人によにんわうじやうぐわんをおこさるゝなり。

このぐわんによりて、 かさねてだい十八じふはちぐわんあんずるに、 かのぐわんに 「十方じふぱうしゆじやう (大経巻上) といへるも、 男女なむによにわたり善悪ぜんまくをきらはずとはいよいよしらるゝなり。

おほよそ女人によにんのつみのふかきこと、 しづかにおもひてこれをいとふべし。 まさしくにあらはれたる大罪だいざいなどをばつくらざるやうなれども、 ぎやうぢゆぐわのふるまひ、 ちうてうのおもひ、 罪業ざいごふにあらずといふことなく、 悪因あくいんにあらずといふことなし。 あしたには*明鏡めいけいにむかいて*青黛せいたいのよそほひをかいつくろひ、 ゆふべにはしやうにたきものをして*けいきやうのはなはだしからんことをおもへり。 あいぢやくをもておもひとし、 *しちをもてことゝせり。 しふしひとをそねむこゝろ、 しかしながらりんのなかだちとなり、 かみをなでかたちをかざるわざ、 ことごとくしやうのみなもとなり。 このこゝろをあらためずして、 しかも0625仏法ぶちぽふぎやうぜずは、 いかでか悪道あくだうをまぬかれんや。

このゆへに、 南山なむざん道宣どうせんりちきやうをひいて、 「十方じふぱうかい女人によにんあるところには、 すなはちごくあり」 (浄信誡観巻上) といへり。

いかにいはんや、 うちに*しやうあり、 ほかに*さむしようあり。

しやうといふは、 ひとつには梵天ぼむてんわうとなりて高台かうだいかくにゐず、 ふたつにはたいしやくとなりて善見ぜんけんじやうにたのしまず、 みつにはわうとなりてだい六天ろくてんにほこらず、 よつには転輪てんりんじやうわうとなりて七宝しちぽうせんせず、 いつゝには仏身ぶちしんとなりて八相はちさうじやうだうをとなへず。

さむしようといふは、 いとけなうしてはおやにしたがひ、 さかりにしてはおふとにしたがひ、 おひては子にしたがふ、 これなり。

さればはく楽天らくてんのことばには、 「ひとにむまれてじんたることなかれ、 百年はくねんらくにんによれり」 (白氏文集) といひて、 ばんこゝろにまかせず、 いちしやうひとにしたがふよしみえたり。

まことにじふ因縁いんねんてんさむしようをもてえんとして十方じふぱうぶちしやうぜず。 ひやくはち煩悩ぼむなうこんぐゑんしやうをもていんとして八万はちまんしやうげう にきらはるゝものなり。

祖師そし黒谷くろだにぐゑんしやうにん、 ¬だいきやうかうしやく¼ のなかにくはしくこのことをしやくせられたり。 その大概たいがいをあげてごふしやうのをもきことをしらしめ、 わうじやう決定くゑちぢやうなるむねをしめすべし。

そのこゝろのいはく、 大梵だいぼむ高台かうだいかくにもきらはれて、 梵衆ぼむしゆぼむのくもをのぞむこともなく、 たいしやく柔軟にうなんのゆかにもくだされて、 三十さむじふさむ0626てんのはなをもてあそぶことなし。 六天ろくてんわうのくらゐ、 しゆ輪王りんわうのあと、 のぞみながくたえてかげをもさゝず。 てんじやう人間にんげんのかりなるさかひ、 ぢやうしやうめつのつたなきにだにもならず。 いはんや、 報仏ほうぶちじやうにはおもひもよるべからず。

これによりて、 女人によにんしよきやうろんのなかにきらはれ、 在々ざいざい処々しよしよひんしゆちせられたり。 さむ八難はちなんにあらずは、 おもむくべきかたもなく、 六道ろくだうしやうにあらずは、 うくべきかたちもなし。

この日本にちぽんこくにも、 たうとくやんごとなきれい霊験れいげんのみぎりには、 みなことごとくきらはる。

まづえいざんは、 これ伝教でんげうだい建立こんりふくわん天皇てんわうぐわんなり。 だいみづから結界けちかいして、 たにをさかひみねをかぎりて女人によにんのかたちをいれず。 いちじようのみね、 たかくそばだちてしやうのくもたなびくことなく、 いちのたに、 ふかくたゝへてさむしようのみづながるゝことなし。 やくわう霊像れいざう、 みゝにききてまなこにみず、 だい結界けちかいれい、 とをくみてちかくのぞまず。

かうさんは、 弘法こうぼうだい結界けちかいのみね、 真言しんごん上乗じやうじようはんじやうなり。 三密さむみつぐわちりん、 あまねくてらすといへども、 女人によにん非器ひきのやみをばてらさず、 びやうしゐ、 ひとしくながるといへども、 女人によにん垢穢くえのすがたにはそゝがず。 これらのところにをいてなをそのさはりあり。 いはんや、 しゆちくわ三界さむがいだうじやうにをいてをや。

しかのみならず、 東大とうだいしやう天皇てんわう0627ぐわんなり。 その十六じふろくぢやう金銅こむどうしやのまへ、 はるかにこれを拝見はいけんすといへども、 とびらのうちにはいらず。

笠置かさぎでらてん天皇てんわう建立こんりふなり。 かのぢやうしやくざうろくのまへ、 たかくあふいでこれを礼拝らいはいすといへども、 なをだんのうへにははゞかりあり。

ないこむせんのくものうへ、 なむにあらざればいたることなく、 かみのだいのかすみのうち、 女身によしんをもておもむかず。

かなしきかな、 ふたつのあしをそなへたりといへども、 のぼらざるほふあり、 ふまざる仏庭ぶちていあり。 はづかしきかな、 ふたつのまなこをせりといへども、 みざるれいあり、 はいせざる霊像れいざうあり。 この穢土ゑどぐわりやくきやうこくのやま、 泥木でいもくざう仏像ぶちざうだにもさはりあり。 いかにいはんや、 衆宝しゆぼうしやうごむじやう万徳まんどくきやうぶちをや。

これによりて、 わうじやうにそのうたがひあるべし。 かるがゆへにこのことはりをかゞみて、 べちしてこのぐわんありとしやくして、 すなはち善導ぜんだうくわしやうの ¬くわんねむ法門ぼふもん¼ のしやくをひきのせられたり。

そのしやくにいはく、 「ない弥陀みだほんぐわんりき女人によにんしようぶちみやうがうしやうみやうじゆそくてん女身によしんとくじやうなむ弥陀みだ接手せふじゆさちしん宝花ほうくゑじやう随仏ずいぶちわうじやうにふぶちだいしようしやう」 と。 このもんのこゝろは、 すなはち弥陀みだほんぐわんりきによるがゆへに、 女人によにんぶちみやうがうしようすれば、 まさしくいのちをはるとき、 すなはち女身によしんてんじてなむとなることをえて、 弥陀みだせふし、 さち0628をたすけて法華ほうくゑのうへにして、 ぶちにしたがひてわうじやうし、 ぶちだいにいりてしやうしようすとなり。

またいはく、 「一切いちさい女人によにんにやくいん弥陀みだ名願みやうぐわんりきしや千劫せんごふ万劫まんごふごうしやこふじゆ不可ふかとくてん女身によしん或云わくうん道俗だうぞくうん女人によにんとくしやうじやうしや此是しぜ妄説まうせち不可ふかしん (観念法門意) と。 このもんのこゝろは、 一切いちさい女人によにん、 もし弥陀みだ名願みやうぐわんりきによらずは、 千劫せんごふ万劫まんごふごうしやとうこふにも、 つゐに女身によしんてんずることをうべからず。 あるひは道俗だうぞくありて、 女人によにんじやうしやうずることをえずといはゞ、 これはこれ妄説まうせちなり、 しんずべからずとなり。

これすなはち女人によにんをぬきて、 女人によにんらくをあたへたまふ慈悲じひおんこゝろのせいぐわんしやうなり。 このぢうしやく、 ともにだい三十さむじふぐわんのこゝろをひきしやくせらるゝところなり。 三昧さむまい発得ほちとくかう、 ちからをつくし、 ことばをくはへてしやくしたまへり。 もともこれをあふぐべし。

親鸞しんらんしやうにんの ¬さん¼ (浄土和讃) にいはく、 「弥陀みだだいふかければ ぶち思議しぎをあらはして へんじやうなむぐわんをたて 女人によにんじやうぶちちかひたり」。 またいはく、 「弥陀みだ名願みやうぐわんによらざれば ひやくせん万劫まんごふすぐれども いつゝのさはりはなれねば 女身によしんをいかでかてんずべき」 (高僧和讃) といへり。 はじめのさんは ¬だいきやう¼ のぐわんもんのこゝろをしやくし、 のちのさんは ¬くわんねむ法門ぼふもん¼ のしやくのこゝろをやはらげられたり。

しやう女身によしんをあらためて万徳まんどく仏果ぶちくわにいた0627らんこと、 経釈きやうしやく明文めいもんといひ、 先徳せんどくしゆといひ、 さらにうたがふべからず。

あるとき、 しやうにんおんまへに女人によにんあまたまいりたりけるに、 おほせられけるは、 かくのごときの女人によにん弥陀みだほんぐわんにすがりて西方さいはうじやうにまいらずしては、 しゆこふにも女身によしんてんじがたく、 りやうにもじやうぶちをとげがたし。 无始むしよりこのかた女身によしんをうけて、 一切いちさいこゝろにまかせざることはかなしかるべきことなり。 たゞ女身によしんをあらためざるのみにあらず、 さむ八難はちなんにしづみ、 六道ろくだうしやうにめぐりて、 とこしなへにぐゑんをうけんこと、 こうくわいすともたれかすくはん。

しかるに弥陀みだぶちほんぐわんにあひたてまつりて、 みやうがうをとなへぜいをたのむがゆへに、 いきたえまなことぢんとき、 女身によしんてんじてなむとなり、 穢土ゑどをいでゝじやうにむまれ、 しゆ安養あんやうわうじやうをとげて、 ぢやうりやう快楽くゑらくをうけんことは、 よろこびのなかのよろこびにあらずや。 かるがゆへにゆめゆめ念仏ねむぶちにものうからずして、 一向いちかう弥陀みだ如来によらいくゐしたてまつるべきよし、 かきくどきおほせられければ、 そのにつらなりける女人によにん慚愧ざむぐゐのたもとをしぼり、 ずいのなみだをながしけり。

おほよそ ¬だいきやう¼ の十八じふはちぐわんには、 まづ女人によにんわうじやうぐわんをたててべちしてこれをすくひ、 つぎに ¬観経くわんぎやう¼ には、 だいにんしやうとして、 これがために念仏ねむぶちわうじやうのみちをとき、 つゐに0630 ¬弥陀みだきやう¼ には、 「ぜんなむぜん女人によにん」 とつらねて、 念仏ねむぶち男女なむによにわたることをあらはせり。

されば如来によらい慈悲じひそうじて一切いちさいしゆじやうにかうぶらしむれども、 ことに女人によにんをもてさきとし、 じやうえんはあまねく十方じふぱう群類ぐんるいにわたるといへども、 もはら女人によにんをもてほんとせり。 このゆへに、 天竺てんぢく震旦しんたん・わがてう三国さむごくのあひだに弥陀みだねむずる女人によにんわうじやうをとげ阿毘あびばちさちとなること、 でんとうにのせてかずをしらず。 しかれば、 このたび女身によしんをあらためてかならず仏道ぶちだうをならんとおもはんひとは、 ひとへにてうほんぐわんをたのみて、 一心いちしむ弥陀みだ名願みやうぐわんしようすべきものなり。

 

底本は◎龍谷大学蔵乗専書写本。
明鏡 アキラカナルカヾミ(左訓)
青黛 アフキマユズミ(左訓)
馨香 カウバシカランコト(左訓)
嫉妬 ソネミネタム(左訓)
五障 イツヽノサハリ(左訓)
三従 ミタビシタガフ(左訓)