0795報恩ほうおん

 

きょうよう父母ぶも百行ひゃくぎょうもとなり、 内典ないてんにもてんにもこれをすゝむ。 報恩ほうおん謝徳しゃとく衆善しゅぜんのみなもとなり、 とうときいやしきもこれをおもふ。 いけるときにはこうじゅんをさきとして養育よういくちからはげまし、 せんのちには追善ついぜんほんとして報恩ほうおんつとめをいたすべし。

こうといふは、 まづてんのなかにさまざまこのこころしゃくせり。 ¬こうきょう¼ には 「ひと高行こうこう」 といへり。 こゝろは、 ひとぎょう千差せんしゃ万別まんべつなりといへども、 そのなかに孝行こうこう、 もともこうぎょうなりといへり。 またこうこうなり」 (釈名) しゃくせるもんもあり、 これはよろずのぎょうなかこうぎょうとなり。 またこうじゅんなり」 (諡法意) ちゅうせることもあり、 これ父母ぶものこゝろにさかへずしてずいじゅんせるなり。 またこう畜田ちくでんなり」 (礼記) といへるしゃくもあり、 これ財産ざいさんをたくはへておややしなうなり。 またこうなり」 といへるもあり、 これはかほをやわらかにしてあひむかふなり。 これはみなてんしゃくなり。

ぶっきょうなかには、 まづ ¬梵網ぼんもうきょう¼ (巻下) には

父母ぶもそう三宝さんぼうこうじゅんするは、 どうほうなり。 こうづけてかいとしまたせいづく」

「孝↢順父母・師僧・三宝↡、 至道之法。 孝名為↠戒亦名↢制止↡」

いえり。 このきょうせつのごとくならば、 きょうようぎょうふく浅近せんごんぎょうにかぎらず、 如来にょらい0796戒法かいほうきょうようをはなれずとみえたり。 しかるきょうよう報恩ほうおんのつとめは、 現当げんとうにわたりないつうずべし。 しかれども、 きょうにいふところはこんじょうほんとし、 聖教しょうぎょうにあかすところは得脱とくだつをむねとするがゆへに、 げん一旦いったんきょうようゆめなか報恩ほうおんなれば、 なを真実しんじつにはあらず、 ぼつ追善ついぜんをいとなみてだいをとぶらはんは、 まめやかのきょうようとなるべきなり。

なかんづくに、 ¬かんぎょう¼ には三福さんぷく業因ごういんたんじて 「さん諸仏しょぶつじょうごうしょういんなり」 といえり。 きょうよう父母ぶもすなわちそのひとつなり。 いかでかこれをつとめざらん。

およ父母ぶもおんのふかきこと聖教しょうぎょう所説しょせつおおく、 報恩ほうおんこころざしせつなることこんせんしょうもあまたあり。 つぶさにのぶるにおよばずといへども、 いま少々しょうしょういだすべし。

¬しんかんぎょう¼ (巻三報恩品) いわく

慈父じふおんたかきこと山王せんのうのごとし、 悲母ひもおんふかきこと大海たいかいのごとし、 われもしじゅうして一劫いっこう悲母ひもおんとくともつくすことあたはず」

「慈父恩高如↢山王↡、 悲母恩深如↢大海↡、 我若住↠世於↢一劫↡説↢悲母恩↡不↠能↠尽」

いえり。 これちちおんたかきことをばやまにたとふ。 やまなかにたかきは、 しゅせんにすぎたるなければこれにたとふるなり。 ははおんふかきことをばみずにたくらぶるなり。 みずふかきことは、 うみにしかざれば大海たいかいするなり。

またおなじき ¬きょう¼ (心地観経巻三報恩品) いわく

「もしひとしんぶつようする、 またしょうじんありてきょうようしゅす。 かくのごときにんふくことなることなし、 さんむくいけてまたきわまることなし」

「若人至心供↢養仏↡、 復有↢精進↡修↢孝養↡。 如是二人福无↠異、 三世受↠報亦无↠窮」

これぶつようすると、 父母ぶもようすると、 どくひとしというなり。 仏身ぶっしん凡身ぼんしんようふく差別しゃべつあるべしといへども、 そのにおひておん0797をいたゞくこと父母ぶもにおひてもっともふかきゆへにぶつようするとそのどくひとしきなり。

善導ぜんどうしょうの ¬かんぎょう¼ の第二 (序分義) いわく

父母ぶもけん福田ふくでんきわまりなり、 ぶつはすなはちこれしゅっ福田ふくでんきわまりなり」

「父母者世間福田之極也、 仏者即是出世福田之極也」

といへるも、 すなわちこのこころなりまたおなじき ¬きょう¼ (心地観経巻三報恩品) いわく

ぜん女人にょにん父母ぶもおんほうぜんがために、 一劫いっこう毎日まいにちさんしんにくきてもつて父母ぶもやしなふとも、 いまだよく一日いちにちおんほうぜず」

善女人為↠報↢父母恩↡、 於↢一劫↡毎日三時割↢自身肉↡以養↢父母↡、 未↠能↠報↢一日之恩↡」

また ¬父母ぶもおん難報なんぼうきょう¼ にいわく

父母ぶもにおひて大増だいぞうおんあり、 にゅうじょうようし、 ときしたがひてしょういくだいじょうずることを。 もしけんちちひ、 けんははひて、 千年せんねん経歴きょうりゃくし、 はいじょう便べんせしむとも、 いまだ父母ぶもおんほうずるにたらず」

「父母於↠子有↢大増恩↡、 乳哺長養、 随↠時生育四大得↠成。 若右肩負↠父、 左肩負↠母、 経↢歴千年↡、 使↣便↢利背上↡、 未↠足↠報↢父母恩↡」

にゅう」 といふはちちをのませじきをくゝむることなり。 「じょうよう」 というはかくのごとくして、 そだてやしなふをいうなり。 されば 「だい」 というは、 ひとじょうぜるすいふうなり。 されば 「だいじょうず」 というは、 このじょうずるをいふ。 これすなわち父母ぶもしょうようにあらずは、 このひととなすことあるべからずとなり。

また ¬じゅうしょうきょう¼ にいわく

「おほよそひとてんじんつかふるよりは、 そのおやこうするにはしかず。 しんもともじんなり」

「凡人事↢天地鬼神↡、 不↠如↠孝↢其親↡。 二親最神也」

また ¬かんぎょう¼ のだい (序分義) いわく

「もしちちなくんばのうしょういんすなはちけなん、 もしははなくんばしょしょうえんすなはちそむきなん。 もしにんともになくんばすなはちたくしょうしっしてん。 かならずすべからく父母ぶもえんして、 まさに受身じゅしんところあるべし。 すでにけんとほっせば、 みづからの業識ごっしきをもつて内因ないいんとし、 父母ぶもしょうけつをもつてえんとす、 因縁いんねんごうするゆへにこのあり。 このをもつてのゆへに父母ぶもおんおもし。 はは懐胎かいたいしおはりてつき行住ぎょうじゅう坐臥ざがつねにのうしょうず。 またさんなんうれふ。 もししょうじおはれば、 三年さんねんるにつねにねむ尿じょうす。 しょうぶくみなまたじょうなり。 そのちょうだいおよびてはつまあいしたしみ、 父母ぶもところにおひて憎嫉ぞうしつしょうず、 恩孝おんこうぎょうぜざればすなはちちくしょうことなることなし」

「若无↠父者能生之因即闕、 若无↠母者所生之縁即乖。 若二人共无即失↢託生之地↡。 要須↣父母縁具、 方有↢受身処↡。 既欲↠受↠身、 以↢自業識↡為↢内因↡、 以↢父母精血↡為↢外縁↡、 因縁和合故有↢此身↡。 以↢斯義↡故父母恩重。 母懐胎已経↢於十月↡、 行住坐臥常生↢苦悩↡。 復憂↢産時死難↡。 若生已、 経↢於三年↡恒0798常眠↠屎臥↠尿。 牀被・衣服皆亦不浄。 及↢其長大↡愛↠婦親↠児、 於↢父母処↡生↢憎嫉↡、 不↠行↢恩孝↡者即与↢畜生↡无↠異也」

まことみずたゝへざれば、 はちすしょうずることなく、 みなもとみなぎらざれば、 ながれふかゝらず。 父母ぶもおんにあらずは、 たれか身体しんたいちょうぜん。 しかるこれほうぜざらんは、 ただちくしょうおなじかるべし。

¬しゃろん¼ のなかには、 六道ろくどうしゃくするに人界にんがんはんずとして、

りょおおきがゆへにこれをづけてにんとす」

「多↢思慮↡故名↠之為↠人」

いえり。 「りょおほし」 というは、 理非りひをわきまへれいをしるなり。 さればりょなくして恩徳おんどくをしらざらんは、 そのかたちひとなりというとも、 そのこころちくしょうおなじかるべしというこゝろなり。 ひつじははちちをのむにまづひざくっしてうやまいをいたし、 つるははにくしりてくはざるがごとし。 いわん人倫じんりんおいては、 おんほうれいただしくすべきなり。

また ¬盂蘭うらぼんきょうしょ¼ (新記巻上) に、 ぶつなれども、 ちちのためにれいをいたしたまふことをしゃくしていわく

ぶつはじめてどうじょう本国ほんごくかえる、 ときじょう飯王ぼんのうおごそかにしてしゅっこうぶつれいす、 ぶつすなはちくうおどらせて、 れいおわりてくだことばはっしてきょす」

「仏初成↠道還↢本国↡、 時浄飯王厳↠駕出迎見↠仏作↠礼、 仏即踊↢身虚空↡、 礼訖下↠地発↠言起居」

がんじょうの ¬¼ (新記巻上) これしゃくするに、

ぶつけん慈父じふのためになほことさらにおやうやまひまさしくれいけざるこころしょうらいこれをもつてほうとせしむ」

「仏為↢世間慈父↡猶故敬↠親不↢正受↟礼意、 使↢将来以↠此為↟法」

またおなじき ¬しょ¼ (新記巻上) ぶつちちおうこうせんがために、 ひつぎかつぎたまふことをいうとして、 ¬増一ぞういつごんぎょう¼ をひきいわく

じょう飯王ぼんのうほうず、 白氎びゃくじょうをもつて棺斂かんれんす。 ぶつなんまえにあり、 なん・羅云とはうしろにあり。 なんぶつにまうしていはく、 おうわれやしなふ、 ねがはくはひつぎになふことをゆるしたまへと。 なんなんまたしかなり。 当来とうらいきょうぼう父母ぶもほうぜず、 ゆへにみづからひつぎになふ。 大千だいせん六返ろっぺん震動しんどうしゃくぼん諸天しょてんみなきたりておもむぶつかわりてこれをになふ。 ぶつこうりてまえきてやまく」

「浄飯王崩、 白氎0799棺斂。 仏与↢難陀↡在↠前、 阿難・羅云在↠後。 難陀白↠仏言、 父王養↠我、 願聴↠担↠棺。 阿難・難陀亦爾。 当来兇暴、 不↠報↢父母↡、 故躬自担↠棺。 大千六返震動釈梵諸天皆来赴↠喪代↠仏担↠之。 仏執↢香炉↡前引就↠山」

ぶつ三界さんがい独尊どくそんしょうどうにてましませば、 のためにそんじゅうせられたまふ。 くらいとしてこれよりうえなるはなし。 しかれどもちちれいをうしなはじとおぼしめすがゆへに、 あるいおうれいをうけざらんがためにくうおどらし、 あるいみずか葬斂そうれんのぞみて、 ひつぎにないたまふことは、 らいしゅじょうをしてこれをならはしめんがためなり。 さればたとひちちおろかはかしこくとも、 ちちとなりとならば、 そのれいをみだるべからざることをあらわす。 このふたつもんは、 しゃくそんちちためきょうようをもはらにしたまひししょうなり。

つぎに ¬かんぎょう¼ のだい (序分義) に、 如来にょらいははおんほうじたまふことをしゃくしていわく

ぶつ摩耶まやぶつしょう七日しちにちおはりてし、 とうてんしょうず。 ぶつのちじょうどうして、 がつじゅうにちいたりすなはちとうてんむかひ、 いちははのために説法せっぽうす。 つき懐胎かいたいおんほうぜんがためなり。 ぶつなほおんおさ父母ぶもきょうようす、 いかにいはんやぼんとしてきょうようせざらん。 ゆへにしり父母ぶもおんふかごくじゅうなることを」

「仏母摩耶生↠仏経↢七日↡已死、 生↢利天↡。 仏後成道、 至↢四月十五日↡即向↢利天↡、 一夏為↠母説法。 為↠報↢十月懐胎之恩↡。 仏尚収↠恩孝↢養父母↡、 何況凡夫不↢孝養↡。 故知父母恩深極重也」

これはぶつ摩耶まやにんがつ八日ようかしゃくそんしょうたてまつりのち、 わづかにしちにちすぎおなじじゅうにちして、 欲界よくかいだいとうてんしょうじたまひて、 しゃくそんじゅうにしてしゅっし、 さんじゅうにしてじょうどうしたまひて、 人天にんでんだいとなり三界さんがいきょうしゅ0800して一代いちだい半満はんまんきょうぼうときたまひしときしゅったいのちいくばくならずしておくれたてまつたまい悲母ひもにんのことをおぼしめしいたし、 かつ拝覲はいごんをとげんがため、 かつ恩徳おんどくほうぜんがために、 ぶつとうてんのぼりましまして、 がつじゅうにちより七月しちがつじゅう七日しちにちまで、 つきしゅんのほど、 かんえんのうち波利はりしっ多羅たらじゅもとあんして、 いちのあひだほうをときたまひき。

かの所説しょせついうすなわち ¬報恩ほうおんきょう¼ これなり。 いまにいたるまで、 あんいい報恩ほうおん修善しゅぜんのつとめをいたすことは、 このぶつ報恩ほうおんよりおこれり。 如来にょらいてんのぼりたまひしよりのち天竺てんじくじゅうろく大国たいこく諸王しょおうおのおの如来にょらいれんたてまつること、 ほとんど父母ぶもにおくるゝかなしみのごとし。

そのなかてん大王だいおうことにたんはなはだし。 いち説法せっぽうのちてんしたまはんときをまちたてまつらんこと、 なを千載せんざいふるこゝちしてこころもとなくおぼしめしければ、 ぶつぎょうぞうつくたてまつりて、 しょうじんぶつかえりくだりたまわんほど胆仰せんごうたてまつらばやと心念しんねんおこところに、 しゅかつてんじょうよりきたりて、 大王だいおう心願しんがんかん如来にょらい尊容そんよううつたてまつりき。 おのこえさんじゅう三天さんてんにきこえしかば、 天人てんにんしょうじゅこれをきゝて同音どうおんみなかんし、 こえおよところしゅじょう、 みな煩悩ぼんのうざいしょうしょうめつすることをえたりき。 ちょうこくこうおわりのち大王だいおうかのぎょうぞうをえてにちちょう礼拝らいはいをいたしごうたてまつること、 たゞしょうじんごとし。

ここ如来にょらいいちあんことおはりてとうてんよりえんだいくだたまいとき持地じじさつ善見ぜんけんじょうよりおん0801しょうじゃいたるまで、 きんぎんすいしょうみつきざはしをわたししゃくそんむかえたてまつりき。 ときにかの木像もくぞうしょうじん如来にょらいおんむかえいでたまふ。 相好そうごうこうみょうとく巍々ぎぎとしてようや人間にんげんくだたまいしかば、 梵王ぼんのうたいしゃく宝蓋ほうがいささげ左右さうりゅうし、 さつげんじょう威儀いぎたすけぜんにょうす。 ことようごんじゅうとうとかりししきなり。

そのときかの木像もくぞうさん宝階ほうかいしたいたたまところに、 しょうじん木像もくぞうとたがひにれいじょうをなし、 本仏ほんぶつ新仏しんぶつおのおのみちぜんろんじてともにすゝみたまはず。 人天にんでんだいこれ未曽みぞおもいをなす。 さるほどに木像もくぞうろんじまけてさきたちいきたまいしが、 まさししょうじゃいりたまはんとせしとき、 木像もくぞうなをしょうじんぶつさして、 われ木像もくぞうなり、 いかでか本仏ほんぶつさきにはたちたてまつるべき。 はやくまづしょうじゃいりたまうべしとまふしたまいければ、 しょうじんぶつのたまうやう、 われ本仏ほんぶつなれども、 はちじゅうねんえんすでにつきなば、 つゐにはんいるべきなり新仏しんぶつひさしじゅうして末代まつだいじょくしゅじょうやくたまうべき尊像そんぞうなり。 しかれめつもろもろ弟子でしをばことごとくなんじぞくす、 はやばやさきたちたまうべしとちょくたまいければ、 木像もくぞうふくして本仏ほんぶつさきにすゝみ、 まずしょうじゃいりほううえたまえり。 ざい思議しぎまことごんおよぶところにあらず。

かのぎょうぞうとうむかえたてまつりのちいっちょうたからとして代々だいだいきょうそんじゅうせられけるが、 日本にっぽんえんにゅういんぎょ永観ようかんねんちゅうちょうねんしょうにんとうとき、 かのくに大王だいおう奏聞そうもんしてそのぎょうぞうつくりうつしたてまつりしに0802、 かのぎょうぞう日本にっぽんこくわたりしゅじょうやくせんとおぼしめすこころざしあるよし、 しょうにんたいしてれいつげありけるによりて、 所↠模うつすところ新仏しんぶつもってとりかへたてまつり、 ひそかにかの霊像れいぞうをとりたてまつる。 いま嵯峨さが清涼しょうりょうしゃこれなり。 さればこの霊像れいぞうも、 しゃくそん摩耶まやおんほうたまはんがためてんじょうのぼたまいしによりしゅつげんし、 へんじゅうして末代まつだいしゅじょうやくほどこしたまふ。 かたじけなくたふときことなり。 これすなわちしゃくそん悲母ひも恩徳おんどくほうじたまふことは、 一切いっさい人天にんでんくらいこえて、 じょうそんくらいのぼりたまへども、 しょうよういくとくしゃしたまふことは、 ぼんをして報恩ほうおんこころざしはげましめんがためなり

¬父母ぶもおんじゅうきょう¼ には、 ちちいっしょうのあたひをはかるに、 こめならば一万いちまんはっぴゃく十石じっこくいねならばまん三千さんぜんそくぬのならば三千さんぜんさんびゃくしちじゅうだんにあたるというこゝろをとけり。 ¬どうじゅしょうきょう¼ には、 「なんしゅうひとのむところちちはちじゅう八石はっこくなり」 といへり。 おんをうくることのあつきことこれもっしるべし。 懐胎かいたいあいだしんよりはじめて、 さんしょうときなんといひ、 ようのほどのしょうようといひ、 慈悲じひのねんごろにして報謝ほうしゃのつきがたきこと、 ははおんまことにふかし。

託胎たくたいのちは、 まづ胎内たいないにして五位ごいをふることあり。 五位ごいといふは、 ひとつにはかつらん、 これはぼんなり、 ここにはぎょうかつといふ、 またごうともいふ。 0803しょうけつあたえ赤白しゃくびゃくたいごうせるはじめなり、 これそのたいいまだぶんみょうならざるくらいなり。 ふたつには頞部あぶどん、 ここにはほうといふ。 そのたいいさゝかしてほうしょうずるにたるなり。 みつには閉手へいしゅ、 こゝには軟肉なんにくといふ。 ようやにくたいのみゆるくらいなり。 よつには健南けんなん、 こゝには堅肉けんにくといふ。 すこしかたまるくらいなり。 いつつにははつ奢佉しゃきゃ、 こゝにはせつといふ。 かみつめとうだいしょうじてすでにひとかたちとなるくらいなり。 ¬しゃろん¼ のだい (玄奘訳世品)

最初さいしょかつらんつぎ頞部あぶどんしょうず、 これよりへいしょうず、 へい健南けんなんしょうず、 つぎはつ奢佉しゃきゃのちかみつめとう、 および色相しきそうぜん転増てんぞうす」

「最初羯頼藍、 次生↢頞部曇↡、 従↠此生↢閉尸↡、 閉尸生↢健南↡、 次鉢羅奢佉、 後髪・毛・爪等、 及色相、 漸次而転増」

といへるじゅこのことしゃくするなり。

この五位ごいじゅう因縁いんねんうちみょうしきくらいと、 六処ろくしょはじめなり。 このぶんをふるに、 つきをへてひゃくろくじゅう六日ろくにちおくあいだに、 そのかたちをへてぞうじょうすれば、 ははしたがいてくるし。 じきしてもあまからず、 ねてもやすからず、 ぎょうわずらいあり、 きょもたやすからず。 されどもわがのくるしきことをばかへりみず、 その平安へいあんしょうぜんことをおもふはひとおやこころなり。 そのゝちさんしょうまたもっともはなはだし。 ぞうもやすからずろっもしづかならず、 はらには金剛こんごうやまのむごとむねには剣林けんりんいばらふくむたり。 にんちゅうなか第一だいいちなりとみえたり。 さればこれはんはんしょうひといいて、 无為むいしょうじぬるのちも、 しちにちまではなをめいもむくべき人数にんじゅにかぞへられ、 みょうかんふでそめ相待あひまつもう0804しならはせり。 いかにいわんや、 しょうのちそのろうまたおおし。 はだえにまとへるきょうほうムツキ のけがれたるときは、 たもとをもてじょうふくにきたなしとおもふこころなく、 ゆかにしきたる半月はんげつうるほへるときは、 かわけるゆずりみずからはぬれたるにす。 ない東西とうざい南北なんぼくはしりちく芥鶏かいけいにたはむるゝよわいまでも、 きずをもつけじ、 かたはをもつけじと、 こころぐるしこれおもいて、 ちゅうろく行住ぎょうじゅう坐臥ざが身心しんしんをくるしましめずといふことなし。 これしかしながら恩愛おんないのいたすところなり、 慈悲じひきわまりのしからしむるなり。

きょうなか母子もしこころざしせつなることをいうとして、 ひとつ因縁いんねんをとけることあり。 過去かこつるありてみつしょうぜり、 ときくにおおい旱魃かんばつしてじきすべきものなし。 そのときははあいしょうじてみずかわきにくさいて、 いのちをたすけんとす。 こゝにさんすこしかのにくじきしてのちいうやう、 これつね気味きみにあらず、 ははにくなり。 たとひじきをえずしてわがいのちをばおとすとも、 いかでははたいそんぜんやといいて、 くちとじじきせず。 このとき天神てんじんさんじていわくははすぐれ、 こういたれりといいき。 ぶつ因縁いんねんときて、 そのははいうわれなり、 そのさんいうすなわしゃほつ目連もくれんなんなりといいて、 まっしゅじょうきょうようのこゝろざしをいたすべきことをときたまえり。 これは ¬ろくじっきょう¼ にみえたり。

またむかし雪山せっせんひとつおうあり、 父母ぶもめしいたり、 つねにこうもとめめしいたるおやあたふ。 とき0805一人いちにんぬしあり、 ううるときがんおこして、 この稲穀とうこくもっ一切いっさいしゅじょうほどこさんといいき。 かのおうぬししんよろこびてつねにかのこくとり父母ぶもしき。 しかるぬしおうをふみこくをとるをみてたちまちしんおこし、 あみをはりてかのおうとりてそのしょぎょういましむところに、 おうのべていうやう、 ぬしこのをうへしときに、 一切いっさいしゅじょうあたうべきよしがんおこしき。 われむしろ一切いっさいしゅじょうのうちにもれんや。 しかれば、 これをとることなんぞとがしょせん。 いわんや、 わがためこれをとらず、 めしいたる父母ぶもせんがためなり。 いかで憐愍れんみんなからん。 しかれどもぬしせいしてことさらしんおこさば、 われこん以後いごさらにとるべからずともうししかば、 ぬしたちまちにかなしみはじて、 なんじきょうようのためにこれとること、 かへすがへす思所おもふところなり。 つねにはやくこれとり父母ぶもきょうようすべし、 あへてけんじゃくすべからずといふ。 これよりてかのおう、 いよいよその稲穀とうこくとり父母ぶもしき。 ぶつまたこの因縁いんねんときて、 そのときぬしいうしゃほつなり、 盲目もうもく父母ぶもいうすなわじょう飯王ぼんのう摩耶まやにんなり。 むかしきょうよういんよりて、 いまじょうぶつすることをえたりとのたまえり。 これは ¬ぞう宝蔵ほうぞうきょう¼ のせつなり。 畜類ちくるい人身にんじんおんほうずべきことせんしょうぶんみょうなり、 ぼんぶつとくしゃすべきこと仏説ぶっせつ炳焉へいえんなり。

またさんしゅう義士ぎしと云ことあり。 その因縁いんねんほうより行合いきあえみちつじひとつのとうあり、 三方さんぽうより0806三人さんにんおとここのところきたりあつまり、 おのおのそのじゅうせるところをとひたがいそのきたれるゆえたずぬ。 みなちちおくれかなしみふくおもいにたえずしてろうするゆえかたる。 しょうこくみなことなれどもたんことごとくおなじ。 また一方いっぽうよりきたれる老翁ろうおうあり、 三人さんにんそのきたれるゆえとうに、 おきないうやう、 われそくおくれかなしみふくむゆえろうしてここにいたれるむねこたふ。

これより三人さんにんおとこおきなもっちちとして、 して一処いっしょあり老翁ろうおうこうじゅんす。 いち一言いちごんかつてそのめいをそむかず。 、 きゅう三伏さんぷく炎天えんてんにはおうぎもっまくらをあふぎ、 玄冬げんとうせつかんにはせきあたためこういたす。 およ飲食おんじきぶく臥具がぐ湯薬とうやく、 ちからのたふるところこころおよところこれもとめせずということなし。

如↠此かくのごとくして年月ねんげつおくところに、 あるとき老翁ろうおうさんむかいいいけるは、 なんじわれおやおもいばんこころにそむかず、 われまたなんじおもいふかこうじゅんをたのむ。 しかるにわれひとつ所願しょがんあり、 なんじはやこれいとなみてわががんみつべし。 いはゆるわがすむところまえたいなかしゅしょう殿でんつくりて、 われをしてそのなかおくべしといふ。 さんこれききおのおの領状りょうじょうすといへども、 たがいなげくやう、 このかわきわめ深広じんこうにしてみずはやくなみしきりなりたやすいえつくりがたし。

しかるちちめいしたがはんために、 七日しちにちあいだせきはこびしまつくじんもとゞまらず、 さんこころおなじくしてなげくこときわまりなし。 かなしきかなわれようしょうにしてちちおくれてのち、 とうとみ亡親もうしんこうこころざしより老翁ろうおうきしこうじゅんをいたす。 父子ふし契約けいやく0807をなしてより以来このかたつゆばかりもそのこころたがうことなし。 いまいちかなはずしてそのめいにそむかば、 きょうとがのがれがたし。 ねがわくてんわがこころざしあわれみわがきょうようじょうぜしめたまへと、 慇懃おんごんこれ念願ねんがんする。

そのにわかてん揺動ようどう雷電らいでん振烈しんれつすることおびたゞし。 あけてかのかわみるに、 かわなか霊岸れいがんたてまわしなかへいあり、 うえ殿でんあり、 こがねもっゆかとしにしきもっしとねとし、 瑠璃るりもっすだれとし摩尼まにもっともしびとせり。 とうてん善見ぜんけんじょうもかくやとおぼゆ、 だい梵天ぼんてん高台こうだいかくこれにはすぎじとみえたり。 加之しかのみならずみょう香食こうじきつくえにそなへ、 種々しゅじゅかんみぎりおきたり。 まことにこころことばおよばず、 かの殿でんなかこえありて、 となえいわくおやにあらざれどもおやとしてふかこうじゅんぎょうじ、 にあらざれどもとしてよくあいをいたすによりて、 てんおなじくあはれむがゆえ現身げんしんてんらくといへり。 殿でんみるのみにあらず、 こえつげききさん一翁いちおうともによろこたがいかんずることきわまりなかりき。

これごんぎょうせつよりいでたり。 いまこの因縁いんねんあんずるに、 じつおやにあらざれどもおやなづけ孝行こうこうこころざしいたししかば、 仏天ぶってんずいしてかやうの思議しぎあり。 いかいわんや、 しょう宿しゅくえんよりおやとなり、 ようしょうよりいくおんうけじつ父母ぶもおいてをや。 しゃしてもしゃすべきなり。 つらつらこれおもうに、 われ三界さんがいろうひとりなり、 かのさんしゅう義士ぎしごとし。 しゃくそんしゅじょう覆護ふご慈父じふなり、 かのいち老翁ろうおうたり0808しかれば、 しゃくそん教勅きょうちょくじゅんじて弥陀みだみょうごうしょうせば、 しょう大海たいかいなかなん退たい殿でんをまふけざらんや。 よくよくこれおもうべし。 しん恩徳おんどくをむくふべきこと、 経釈きょうしゃく明文めいもんといひ、 こうじゅんせんしょうといひ、 りゃくしてかくのごとし。

およ父母ぶも慈悲じひもとなるがゆえに、 ちちをば慈父じふといひ、 ははをば悲母ひもといふ。 らくばっなり。 父母ぶもおんいづれもしょうれつなきにおいおのおのつかさどるところあり。 ちちあいほどこすにとりごうをもつがせ、 さいをもおしえにももちゐられてをもたて、 ひとまじわりおろかなることなからんことをおもいて、 かつかつおしふ。 これうちには慈悲じひいだほかとくあらわすなり。 されば父子ふしみちてんしょうなるがゆえに、 ちちとしてあいをたれとしてうやまいいたすことねんみちなり。 このゆえに、 うじをつぎいえつたえて、 そのそんさだむることちちしなちちによるによりそくにはなをちちよりておもしとす。 ¬こうきょう¼ にこのこというに、

ちちつかふるにりて、 もつてははつかふるにそのあいおなじ。 ちちつかふるにりて、 もつてくんつかふるにそのけいおなじ」

「資↢於事↟父、 以事↠母其愛同。 資↢於事↟父、 以事↠君其敬同」

といへり。 このもんちゅうするに、

はははいたりてしたしけれどもたっとからず、 くんはいたりてたっとけれどもしたしからず、 ただちちのみ尊親そんしん (孝経)

母至親而不↠尊、 君至尊而不↠親、 唯父兼↢尊親之義↡

といへり。 聖教しょうぎょうなかにも、 ぶつしゅじょう憐愍れんみんきょうたまうことをば、 ひとおやしょうようしてひとゝなすにたとえたり。 しゃくそん三界さんがい慈父じふもうすはこのなり。

はは懐妊かいにんさんしょうろうよりはじめにゅういく恩徳おんどくをいへば、 その慈悲じひなをねんごろなり。 ゆえぶっ0809きょうなかに、 おい依怙えことなることははとくちちにもまされりとみえたり。 いはゆる ¬ほっ¼ (巻六) の 「薬王やくおうぼん」 に、 このきょうすぐれたることをいうじゅうとけなかに 「にょとく」 というもんあり。 また文殊もんじゅをばさんかくといひ、 般若はんにゃをば諸仏しょぶつ智母ちもといふ、 そのしょうなり。

さればちちおんたかきことはやまごとしといひ、 ははおんふかきことはうみごとしといふ。 いずれもかけてはこのまったくすることあるべからず。 くるまふたつもっちょうにめぐり、 とりふたつのつばさをもったいにかけるがごとし。 じきにあけるなれども、 ははにはなれぬればそのはだえたちまちにやせ、 こころさかしきなれども、 ちちにそはざればつたなきことおほし。 すなわしゃ弥陀みだそん父母ぶもたとえられたるはこのなりしゃおく方便ほうべんもうけて、 しゅじょうをしてあくぼんせざれとどうをつとむべきことをすゝめたまふ。 ちちをしてをたてひとになさんとおも提撕ていぜいこころざしおなじ。 弥陀みだ摂取せっしゅがんをたれてじゅうざいしゅじょうをもかなしみたまふ。 これまたたとひかたはなるなれども、 おもひすてざるははにひとし。 かれこれほうじがたくしゃしがたきものなり。

また ¬はんぎょう¼ のなかに、 ぶつしゅじょうねんたまふことを、 父母ぶもねんずるにたとえたるもんあり。 「諸仏しょぶつしゅじょうしゅじょう念仏ねんぶつ父母ぶもじょうねんねん父母ぶも」 といえこれなりこれひとのありさま眼前げんぜんにみえたることなり。 おやおもこころと、 おやおもこころざしとをくらぶるに、 せん0810じんはるかなることなりまことおんをいたゞけるしんやしなふことすくなし。 これあはれみのふかきと、 こころざしあさきとによるゆへなりぶつのときたまふところなんぞむなしからんや、 もっとももかなしむべきことなり。 しかれば、 生前せいぜんにそこばくの孝行こうこうをいたしいたさんよりは、 ぼつ随分ずいぶん善根ぜんごんをもいとなみてかのぶっをかざらんは、 そのどくこと莫大ばくだいなるべし。 さだめ諸仏しょぶつだいにかなふべきなり。

一 奉持ぶじちょうこれ三福さんぷく随一ずいいちとして、 さん諸仏しょぶつじょうごうしょういんなり。 およおんふかきことは、 これまた内典ないてんてんこれあかせり。

かみ所↠引ひくところの ¬梵網ぼんもうきょう¼ (巻下) もんにも

父母ぶもそう三宝さんぼうこうじゅんすべし、 こうじゅんどうほうなり。 こうづけてかいとす、 またせいづく」

「孝↢順父母・師僧・三宝↡、 孝順至道之法。 孝名為↠戒、 亦名↢制止↡」

いえり。 父母ぶもこうじゅんするもちょう奉持ぶじするもとも孝行こうこうなり

また ¬かんぎょう¼ のだい (序分義) には、

礼節れいせつきょう学識がくしきとくじょうず、 いんぎょうくることなくないじょうぶつまで、 これなほぜんりきなり、 この大恩だいおんもつともすべからく敬重きょうじゅうすべし」

「教↢示礼節↡学識成↠徳、 因行无↠虧乃至成仏、 此猶師之善友力也、 此大恩最須↢敬重↡」

いえり。 にあはずは学識がくしきとくべからず、 そのとくをえずはぶっにいたることあるべからずといえり。 けんおもくするところくん三尊さんぞんなりすうきょうこれよりふかかるべきはなし。 恩所おんじょほうずべきはそう父母ぶもなり厚徳こうとくこれにまさるべきはなし。 父母ぶもそうとそのおんひとし、 ゆえ三福さんぷくなかにもおなじぜんとし、 とも敬上きょうじょうぎょうとなずく。 されどもそのなかおいてなを浅深せんじんたつときは、 まこと0811仏法ぶっぽうさずけこんしゅつおもさだめひとまえには、 おん父母ぶもおんにもまさるべし。 さればこうだいしゃくにも、

師資ししみち父母ぶものごとくあひしたし。 父子ふし骨肉こつにくあひしたしといへどもただこれいっしょうあいしょうばくなり。 師資ししあいほうあひしたし。 けんしゅっばっらくなんぞよくこれにきょうせんや」

「師資之道如↢父母↡相親。 父子雖↢骨肉相親↡但是一生之愛、 生死之縛也。 師資之愛法義相親。 世間出世抜苦与楽何能此況」

いえり。

ていよしみをいふに、 おやむつまじきにもこえたりときこえたり。 父母ぶもこそ福田ふくでんごく恩所おんじょさいちょうなるに、 いかなればおんはそれにもこえたるぞというに、 せんずるところ聞法もんぼうとくおもきがゆへなり。 しょしゅうたつところけちみゃくそうじょうすなわこれなり。 ことにいまじょうしゅうこころ、 ¬だいきょう¼ (巻下) には 「もんみょうごう信心しんじんかん」 といひ、 ¬小経しょうきょう¼ には 「聞説もんせつ弥陀みだぶつしゅうみょうごう」 というゆえに、 弥陀みだみょうごうをきくにより信心しんじん発得ほっとくし、 信心しんじんよりおうじょうやくだんずれば、 所聞しょもんどくまことにおもきなり。

ただしこれにつきてしんあり。 まことほうときてきかしめんひとしかるべし。 さしたる仏法ぶっぽうどうのべさずくることもなきひとの、 ただ念仏ねんぶつぎょうずべきよし、 すゝむることばばかりにて聞法もんぼうやくなくは、 いいがたきとおぼつかなし。

これをこゝろうるに、 につきてさまざまの差別しゃべつあるべし、 てんもあり内典ないてんもあり。 内典ないてんとりて、 しょうどうもありじょうもあり。 じょうとりて、 経釈きょうしゃくじんをもさずいっしゅうきょうはんをもおしえんは、 そのおん顕然けんぜんなればさいおよ0812ず。 またそのなしといへども、 念仏ねんぶつぎょうぜよとすゝむるときかねてはこのほうしんずるこころなけれども、 かのすすめより念仏ねんぶつしゅじょうねがはんとおもこころおこらば、 これすなわちそうじょうなり。 「もんみょうごう信心しんじんかん (大経巻下) いえる、 このにかなふべきがゆえなり。 その无智むちならば経釈きょうしゃくしゅをさづけずというとも、 よくしょう信心しんじんおこらば 「もんみょうよくおうじょう (大経巻下) じゅんずべければ、 「かい悉到しっとうこく (大経巻下) やくべし。 かのすすめよりてそのやくをえば、 まさし師資ししどうあるべし。 恩徳おんどくまたもっと報謝ほうしゃしがたきものなり。 そのうつわ无智むちなりというともまんおもいしょうずべからず、 たゞそうじょうおもくすべし。

¬しんかんぎょう¼ (巻三報恩品) せつをみるに、

けんぼんげんなし、 恩所おんじょまよひてみょうしっす、 じょくあくしょしゅじょう深恩じんのんにつねにとくあることをさとらず」

世間凡夫无↢恵眼↡、 迷↢於恩所↡失↢妙果↡、 五濁悪世諸衆生、 不↠悟↢深恩恒有↟徳」

いうもんあり。 まことさん諸仏しょぶつおんほうずるをもっじょうぶついんとし、 一切いっさいさつおんをしるをもっ発心ほっしんえんとす。 このゆえに、 これほうぜざればみょうしょうせず、 これをしらざればげんをひらかずときこえたり。 これをしらずというは、 おいおんあるひとおんありとおもはず、 われおいたるひとなりとしらざるなり。 よくよくこれおもうべし。

そもそも観音かんのんせい弥陀みだ如来にょらい悲智ひちもんなり、 きょうにこのさつとくに、 ¬だいきょう¼ (巻下) には 「有二うにさつ最尊さいそん第一だいいち」 といひ、 ¬かんぎょう¼ には 「此二しにさつじょ弥陀みだぶつ普化ふけ一切いっさい」 といえ0813また ¬般舟はんじゅきょう¼ にはこのさつしょうそうしゃくするに、 観音かんのんさんじて

すくふにわかちてびょうどうす、 てはすなはち弥陀みだこくおくる」

「救↠苦分↠身平等化、 化得即送↢弥陀国↡」

といひ、 せいたんじては

えんしゅじょうこうしょうこうむる、 智恵ちえぞうじょうして安楽あんらくしょうず」

「有縁衆生蒙↢光照↡、 増↢長智恵↡生↢安楽↡」

といへり。 これらのもんのこゝろ、 しかしながらかのだいしょうは、 しゅじょう引導いんどうしてほん弥陀みだ如来にょらいじょうしょうぜしむるにあり。 そのなかに、 観音かんのんちょうとくおもきことをあらわして、 宝冠ほうかん弥陀みだをいたゞき、 せい父母ぶもおんあつきことをあらわして、 ほうびょうなかぜんしょう父母ぶもこつおさめたり。 されば弥陀みだ如来にょらいしょうも、 もっともこのふくしゅすべきことをもっぱらにしたまへり。

このゆへに ¬千手せんじゅきょう¼ (意) にも 「われねんぜんもの、 まづほんりょうじゅぶつねんじて、 のちわれをばしょうせよ」 ととけり。 これほんとうとむべきあらわすなり。

またしょうとくたいこくきょうしゅきょうこう根源こんげんなり。 これ観音かんのんすいじゃくにておはしゝかば、 わがちょうしゅっぶっきょうずうたまいほん、 もはら弥陀みだきょうにあり。 すなわだつ天皇てんのうねんたいさいにして東方とうぼうむかひ、 ことばいだし南无なも弥陀みだぶつとなたまいし。 そのをあらはさずといへどもこころ弥陀みだみょうごうにあるべしと、 先達せんだつこのりょうけんせり。

したがいまた天王てんのうつくりたまいのちすい天皇てんのうじゅうねん御年おんとしさんじゅう一歳いっさいにして、 かの金堂こんどう参篭さんろうあり七日しちにちしち称名しょうみょう念仏ねんぶつごんぎょうしたまへり。 これすなわちけんおいては欽明きんめい用明ようめいりょうこうおん追善ついぜんしょうせられんがため、 しゅっにとりてはほんのうじゅう0814おんしゃたてまつらんがために、 かのみょうごうとなたまうものなり。 七日しちにち称名しょうみょうのちおん報謝ほうしゃがんといひ、 りょうてい得脱とくだつさいといひ、 一心いっしん精誠しょうじょうをぬきいで三業さんごうこんこらしましまして、 はるか西方さいほう極楽ごくらくかい弥陀みだ如来にょらい礼拝らいはいし、 ねんごろ啓白けいはくこうたまいしかども、 なをあきたらおぼしめすゆへに、 人間にんげんおいしょうじん如来にょらいにてましますにつきて、 みずかしょうそくをあそばして小野おのの大臣おおおみおん使つかいとして、 善光ぜんこう如来にょらいぜんしゅもうたまいけり。 かのしょうそくことばいわく、

みょうごうしょうようすること七日しちにちおはりぬ、 これはこれ広大こうだいおんほうぜんがためなり、 あおねがはくはほん弥陀みだそん、 わがさいたすけてつねにねんしたまへ」

「名号称揚七日已、 此斯為↠報↢広大恩↡、 仰願本師弥陀尊、 助↢我済度↡常護念」

いえり。 四句しくのちに 「八月はちがつじゅうにち」 とかきて、 そのしたおんをば 「ぶつしょうまん」 とのせられ、 あてどころには 「ほん善光ぜんこう如来にょらいみもとへ」 とあそばして、 ひがしむかいたび礼拝らいはいし、 小野おのの大臣おおおみたまいけり。 大臣おおおみしょたまえり、 ならび黒駒くろごまたまいて、 これにしてさんにちしんしゅうちゃくし、 かのてらさんじてほん善光よしみつもっこれしんず。 すなわちりょうおんすずりとをそへてちょううち差入さしいれけり。 そのときすみをすりたまふおとさだかにきこえて、 如来にょらいへんおんすずりとをちょうそとへいだされけり。 そのことばには

一日いちにちしょうようおんとどまることなし、 いかにいはんや七日しちにちだいどくをや、 われしゅじょうつことこころひまなし、 なんぢよくさいせよあにまもらざらんや」

「一日称揚无↢恩留↡、 何況七日大功徳、 我待↢衆生↡心无↠間、 汝能済度豈不↠護」

とあり、 おくに 「八月はちがつじゅう八日はちにち」 とて、 しょには 「善光よしみつ」 とせられ、 「じょうぐうたい返報へんぽう」 とあそばされたり。 またこのへんこころぎょしてそえられたり0815。 そのぎょには 「まちかねてうらむとつげよみなひとに いつをいつとていそがざるらん」 とありけり。

このへんをば、 善光よしみつこれをとりつぎて小野おの大臣おおおみあたなみだながしてまふすやう、 かたじけなきかなたのもしかな、 わが生々しょうしょう本尊ほんぞんしょうじん弥陀みだ如来にょらいぜんしょうよしみをわすれたまはず善光よしみつをしたひこのくにきたたまへり。 なに海底うみぞこしずたまひしより已来このかたじっねんあいだ種々しゅじゅのうをうけたまいしが、 善光よしみつをまちつけてよろこびをなしたまひ、 天竺てんじく震旦しんたんわがちょうさんしょう往因おういんかたりいだし、 過去かこ現在げんざいらいさんぐうをおぼしめすがゆへに、 黄金おうごんしゅみょう仏体ぶったいまげぼんせんりょうけんかかりて、 らくすぐれたるみぎりをふりすてゝへんはるかなるさかいくだりましますこと、 おぼろげならず宿しゅく芳因ほういんなり。 くにたてまつりのちべつ堂閣どうかくすえたてまつるといへどもさらにそのところしたまはず、 善光よしみつたくにのみつき御坐ましますことかたじけなきことなり。 しかるいまたいへんにも善光よしみつみょうのせられ、 まのあたりしょうじん如来にょらいひつをとりつぎたてまつことおうじゃく本尊ほんぞんぜん宿習しゅくじゅうもうしながら、 人身にんじんをうけたるおもひで未曽みぞいいつべし。 たとひわれのち六通ろくつうさんみょうしょういたるとも、 またさん八難はちなんいきしずむとも、 いかでこのことをわすれ、 いかでこの仏恩ぶっとんほうたてまつらんとて、 感涙かんるいそでをしぼりていきゅうすることきわまりなし。

いも大臣おおおみこれききおなじしょうしゃし、 泣々なくなくこの仏書ぶっしょたまいて、 みやこにかへりのぼりたいしんじけり。 たい0816かのへんらんぜられて、 かんおんおもひむねにみち、 念仏ねんぶつずうおんこころざしますますふかかりけり。 如来にょらいぎょつけて、 たいまたへんえいぜさせたまふ。 そのぎょいわく、 「いそげひと弥陀みだふねのかよふに のりおくれてはたれかわたさん」 とよませたまいて、 今度このたびおん使つかいしんぜらるゝまではなし、 おんしんちゅうけいせられけり。

そのとき如来にょらいへんならびおんすずりいまつたえ善光ぜんこうにあるよし、 かのてらえんにみえたり。 ほん観音かんのんこうのために弥陀みだちょうだいし、 すいじゃくたいこうのために弥陀みだ敬重きょうじゅうしたまへり。 これ報恩ほうおんこころざしをしてぼんしらしめんがためなり、 たれこれしたいたまわざらんや。

如来にょらいたいとのいま贈答ぞうとうとも法門ほうもんじんのべられたり。 如来にょらいぎょは、 しゅじょう愚痴ぐちにしてじょうのねがふべきをねがはず、 ぼんだいにして念仏ねんぶつぎょうずべきをぎょうぜず、 このゆへに如来にょらい慈悲じひは、 じょうすみやかしょうをはなれて極楽ごくらくおうじょうせんことをおぼしめすによりて、 群類ぐんるい得脱とくだつまちかねたまふこころなり。 ¬だいきょう¼ のかん

「なんぞしゅてざらん、 おのおの強健ごうごんときへり。 ゆめゆめつとめてしょうじんにしてぜんしゅ度世どせがんぜよ。 きはめてながしょうべし。 なんぞみちもとめざらん、 いづくんぞ修待しゅたいするところぞ。 なんのらくをかほっせんや」

「何不↠棄↢衆事↡、 各遇↢強健時↡。 努力勤精進修↠善願↢度世↡。 可↠得↢極長生↡。 如何不↠求k道、 安所↢修待↡。 欲↢何楽↡哉」

いえもんこころにかなへり。 たいぎょは、 弥陀みだ如来にょらいしょうかい大船だいせんとしてひとし、 念仏ねんぶつおうじょうやくさかんなるにむまれあひながら、 今度このたびむなしくすぐべからずとなり。 これすなわち弥陀みだぜいをばふね0817たとえ願船がんせんといひ、 じょうしゅぎょうをばかいじょうせんするなり。 されば如来にょらいしゅじょういそぎおうじょうぎょうつとめざることをあはれみたまうゆへに、 とくじょうしょうぜよとごうみょうたまうべきむねたいめいじ、 たい如来にょらいちょくうけたまわりて、 弥陀みだ願船がんせんのりおくれずしてしょうかいわたるべしと、 しゅじょうしめしたまふむね如来にょらいもうたまいけり。

善導ぜんどうしょうしゃくにも処々しょしょそうおんあげられたり。 いはゆる ¬礼讃らいさん¼ のさんにもまい

そう父母ぶもおよびぜんしき法界ほっかいしゅじょうさんしょう断除じょだんし、 おなじおうじょうえん

「師僧・父母及善知識、 法界衆生、 断↢除三障↡、 同得↢往生↡」

がんじ、 また ¬ほうさん¼ の七礼しちらいきょうにもおなじくこのことばのせられたり。加之しかのみならず序分じょぶん」 にぶつ弟子でししょうもんとうそん随逐ずいちくたてまつることをしゃくするもんいわく、

しょうとうこころ、 みづからただ曠劫こうごうよりひさししょうなが六道ろくどうじゅんげんす。 くるしふべからず。 愚痴ぐち悪見あくけんにして邪風じゃふうふうしゅうし、 めいはずながくかいながる。 ただ宿しゅくえんをもつてたまたまそんふことをることありて、 法沢ほうたくわたくしなし、 われうるおいこうむる。 たずねておもふにぶつ恩徳おんどくくだくのきわま惘然もうねんたり。 したしくりょうつかへて、 しばらくもかわることゆえなからしめんことをいたす」

「迦葉等意、 自唯曠劫久流↢生死↡循↢還六道↡。苦不↠可↠言。 愚痴・悪見封↢執邪風↡、 不↠値↢明師↡永流↢於苦海↡。 但以↢宿縁↡有↢適得↟会↢慈尊↡、 法沢无↠私、 我曹蒙↠潤。 尋思↢仏之恩徳↡、 砕↠身之極惘然。 致↠使↧親事↢霊儀↡、 无↞由↢暫替↡」

といへり。 ざいげんじょう仏恩ぶっとんじんじゅうなることをおもひ、 めつ大権だいごんとく広大こうだいなることをあらわす。 ぼんまたおんをしりとくほうずべきこと、 これじゅんじてしるべきなり。 こころあらんひといるかせにすべからず。 しかれば、 生前せいぜんには随分ずいぶんきゅうようをいたし、 ぼつには慇懃おんごん報恩ほうおん追善ついぜんしゅすべきこと、 その父母ぶもおなじかるべし。 かの増進ぞうしん仏道ぶつどうのため、 わが報恩ほうおん謝徳しゃとくのため、 かならずその追善ついぜんをい0818となむべきなり。

およ畜類ちくるいなをおんをしるためしあり、 人倫じんりんとしていかでとくほうずるこころなからんや。

むかしかんていもう明王めいおうましましき。 昆明こんめいといふいけほとりあそびたまいしに、 ひとつ鯉魚こいぎょかぎのみすでせんとするあり。 みかどこれ叡覧えいらんあり震襟しんきんをいたましめ、 あわれみおんこころおこして、 ひとちょくしてはかりごとをめぐらさしめて、 かのはりをぬかしめたまいけり。 そのうお希有けうにしていのちをたすかりき。 そのぎょなかに、 鯉魚こいぎょ皇居こうきょちかづきたてまつり恩憐おんれんかたじけなきことをおそれもうすとたまふ。 思議しぎおもいをなしたまふところに、 つぎまたみかどかのいけみゆきたまうとき、 鯉魚こいぎょ明月めいげつしゅといふしゅしょうたまふくみいけほとりおきさりぬ。 うろこをいたゞきたるいやしき畜趣ちくしゅなれどもおんをしることをかんじて、 それよりのちながくかのいけ釣漁ちょうりょうをやめられき。 うお皇恩こうおんしりたまけんずるこころもありがたく、 みかどまたうおむくいいたこころざしかんじてそのいけせっしょう禁断きんだんせられしこと、 かしこまつりごとなりもうつたえたり。

また隋侯ずいこういいひとせなかやぶれたるへびみんこころおこし、 くすりつけこれいやす。 のち宝珠ほうしゅふくみこれあたへき。 隋侯ずいこうはじめまずしけるが、 このたまのちには、 そのいえおおきとみけり。 ちくしょうなをかくのごとし、 いわんひとおいてをや。 ちくしょうおろかなるこころなりひとたうとしょうなるがゆえなり。

こん0819じょう患難げんなんすくふ、 なおそのほうしゅうをいたす。 いわんもんならわんにおいてをや。 こん一旦いったんほうなり、 つゐにはたもつべきしんみょうにあらず。 もん法身ほっしんみょうなり智解ちげしょうずるみなもとなるがゆえなり。 たゞもんがくせる、 そのおんなをおもしとす。 いわんぶっきょうならえとくおいてをや。 もんはたゞほっするみなもとなり、 ぶっきょうらいりょういんのたねとなるがゆえなり。 たゞそうじてこんじょうみょうのために仏法ぶっぽう習学しゅがくせん、 なをりょういんぶっしょうとなるべし。 いわんしょうだいのために弥陀みだほうさずけられて、 ながしょうちょうだんしてようしょうらくせんにおいてをや。 まこと恒沙ごうじゃしんみょうをすてゝもほうずべし。

生前せいぜんにももっとそんじゅうちょうだいこころざしをぬきいで、 ぼつにもこと追善ついぜんのつとめをいたすべきなり。 その追善ついぜんのつとめには念仏ねんぶつ第一だいいちなり。 ¬随願ずいがんおうじょうきょう¼ (潅頂経巻一一意) せつに、

「もしりんじゅうおよびしてごくすることあらんに、 ない眷属けんぞくその亡者もうじゃのために念仏ねんぶつしおよび転誦てんじゅ斎福さいふくすれば、 亡者もうじゃすなはちごくいでじょうおうじょうせん」

「若有↣臨終及死堕↢地獄↡、 家内眷属為↢其亡者↡念仏及転誦斎福、 亡者則出↢地獄↡住↢生浄土↡」

といへり。 さればいまだしょうをはなれざるひとのためには即得そくとくだつしょうえんとなり、 すでおうじょうたるひとのためには増進ぞうしん仏道ぶつどうりょういんとなるべきなり。 しゃ一代いちだいせっきょう弥陀みださんずるもんはなはだおおく、 諸仏しょぶつ同心どうしん証誠しょうじょうにはやくむなしからざることこれあきらかなるものなり。 げんとう亡者もうじゃ追善ついぜん念仏ねんぶつりきこえたるはなく、 弥陀みだやくすぐれたるはなし。

¬ほうさん¼ (巻下) しゃくに、

存亡ぞんもうやく思議しぎしがたし」

「存亡利益難↢思議↡」

といへる、 こころなり0820

¬般舟はんじゅきょう¼ (一巻本擁護品意)

「もしひともつぱらこのねん弥陀みだぶつ三昧ざんまいぎょうずれば、 つねに一切いっさい諸天しょてんおよびてん大王だいおうりゅうじんはち随逐ずいちくようして受楽じゅらくしあひることをなが諸悪しょあくじんしゅしょう厄難やくなんおう悩乱のうらんくわふることなし」

「若人専行↢此念弥陀仏三昧↡者、 常得↢一切諸天及四天大王・龍神八部随逐擁護受楽相見↡、 永无↣諸悪鬼神、 衆障厄難、 横加↢悩乱↡」

といひ、 ¬かんぎょう¼ に観音かんのんせいとうねんをとけるはげんやくなり。 ¬観仏かんぶつきょう¼ に念仏ねんぶつ三昧ざんまい失道しつどうなん黒暗こくあん灯燭とうそくなることをとき、 ¬だいきょう¼ にさんなんところありても、 だつをうることをときたるは、 とくしょうやくあかすなり。 つとめてもつとむべし、 しんじてもしんずべし。

 

底本は◎大谷大学蔵江戸時代中期恵空書写本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記は現代仮名遣いとしている。