0795◎報恩記
◎孝養父母は百行の本なり、 内典にも外典にもこれをすゝむ。 報恩謝徳は衆善のみなもとなり、 貴も賤もこれをおもふ。 生るときには孝順をさきとして養育の力を励し、 死せん後には追善を本として報恩の勤をいたすべし。
孝といふは、 まづ外典のなかにさまざまこの字の意を釈せり。 ¬孝経¼ には 「人の高行」 といへり。 こゝろは、 人の行、 千差万別なりといへども、 そのなかに孝行、 もとも高貴の行なりといへり。 又 「孝は好なり」 (釈名) と釈せる文もあり、 是はよろずの行の中に好行となり。 又 「孝は順なり」 (諡法意) と註せることもあり、 是は父母のこゝろにさかへずして随順せる義なり。 又 「孝は畜田なり」 (礼記) といへる釈もあり、 是は財産をたくはへて親を養義なり。 又 「孝は和なり」 といへる義もあり、 是はかほを和にしてあひむかふ義なり。 是等はみな外典の釈なり。
仏教の中には、 まづ ¬梵網経¼ (巻下) には
「父母・師僧・三宝に孝順するは、 至道の法なり。 孝を名づけて戒としまた制止と名づく」
「孝↢順父母・師僧・三宝↡、 至道之法。 孝名為↠戒亦名↢制止↡」
と云り。 この経説のごとくならば、 孝養の行は世福浅近の行にかぎらず、 如来0796の戒法も孝養をはなれずとみえたり。 然に孝養報恩のつとめは、 現当にわたり内外に通ずべし。 然ども、 外教にいふところは今生を本とし、 聖教にあかすところは得脱をむねとするがゆへに、 現世一旦の孝養は夢の中の報恩なれば、 なを真実にはあらず、 没後の追善をいとなみて菩提をとぶらはんは、 まめやかの孝養となるべきなり。
なかんづくに、 ¬観経¼ には三福の業因を歎じて 「三世の諸仏の定業の正因なり」 と云り。 孝養父母、 即ちその一なり。 いかでか是をつとめざらん。
凡そ父母の恩のふかきこと聖教の所説も多く、 報恩の志の切なること古今の先蹤もあまたあり。 具にのぶるにおよばずといへども、 今少々いだすべし。
¬心地観経¼ (巻三報恩品) に云、
「慈父の恩の高きこと山王のごとし、 悲母の恩の深きこと大海のごとし、 我もし世に住して一劫に悲母の恩を説とも尽すことあたはず」
「慈父恩高如↢山王↡、 悲母恩深如↢大海↡、 我若住↠世於↢一劫↡説↢悲母恩↡不↠能↠尽」
と云り。 是は父の恩の高ことをば山にたとふ。 山の中にたかきは、 須弥山にすぎたるなければこれにたとふるなり。 母の恩の深ことをば水にたくらぶるなり。 水の深ことは、 海にしかざれば大海に比するなり。
又同 ¬経¼ (心地観経巻三報恩品) に云、
「もし人至心に仏を供養する、 また精進ありて孝養を修す。 かくのごとき二人の福異ことなし、 三世に報を受けてまた窮まることなし」 文。
「若人至心供↢養仏↡、 復有↢精進↡修↢孝養↡。 如是二人福无↠異、 三世受↠報亦无↠窮」 文。
是は仏を供養すると、 父母を供養すると、 功徳ひとしと云なり。 仏身と凡身と供養の福、 差別あるべしといへども、 その身におひて恩0797をいたゞくこと父母におひて最ふかきゆへに仏を供養するとその功徳等なり。
善導和尚の ¬観経義¼ の第二 (序分義) に云、
「父母は世間の福田の極なり、 仏はすなはちこれ出世の福田の極なり」
「父母者世間福田之極也、 仏者即是出世福田之極也」
といへるも、 即この意也。 又同 ¬経¼ (心地観経巻三報恩品) に云、
善女人父母の恩に報ぜんがために、 一劫に毎日三時に自身の肉を割きてもつて父母を養ふとも、 いまだよく一日の恩を報ぜず」 文。
善女人為↠報↢父母恩↡、 於↢一劫↡毎日三時割↢自身肉↡以養↢父母↡、 未↠能↠報↢一日之恩↡」 文。
又 ¬父母恩難報経¼ に云、
「父母は子におひて大増恩あり、 乳哺長養し、 時に随ひて生育し四大成ずることを得。 もし右肩に父を負ひ、 左肩に母を負ひて、 千年を経歴し、 背上に便利せしむとも、 いまだ父母の恩に報ずるに足ず」文。
「父母於↠子有↢大増恩↡、 乳哺長養、 随↠時生育四大得↠成。 若右肩負↠父、 左肩負↠母、 経↢歴千年↡、 使↣便↢利背上↡、 未↠足↠報↢父母恩↡」文。
「乳哺」 といふは乳をのませ食をくゝむる事なり。 「長養」 と云はかくのごとくして、 そだてやしなふを云なり。 されば 「四大」 と云は、 人の身を成ぜる地・水・火・風なり。 されば 「四大を成ず」 と云は、 此身を成ずるをいふ。 是即父母の生養にあらずは、 此身を人となすことあるべからずとなり。
又 ¬四十二章経¼ に云、
「おほよそ人天地鬼神に事ふるよりは、 その親に孝するにはしかず。 二親もとも神なり」 文。
「凡人事↢天地鬼神↡、 不↠如↠孝↢其親↡。 二親最神也」 文。
又 ¬観経義¼ の第二 (序分義) に云、
「もし父なくんば能生の因すなはち闕けなん、 もし母なくんば所生の縁すなはち乖きなん。 もし二人ともになくんばすなはち託生の地を失してん。 かならずすべからく父母の縁具して、 まさに受身の処あるべし。 すでに身を受けんと欲せば、 みづからの業識をもつて内因とし、 父母の精血をもつて外縁とす、 因縁和合するゆへにこの身あり。 この義をもつてのゆへに父母の恩重し。 母懐胎しおはりて十月を経、 行住坐臥つねに苦悩を生ず。 また産時の死難を憂ふ。 もし生じおはれば、 三年を経るにつねに屎に眠り尿に臥す。 牀被・衣服みなまた不浄なり。 その長大に及びては婦を愛し児に親しみ、 父母の処におひて憎嫉を生ず、 恩孝を行ぜざればすなはち畜生と異なることなし」 文。
「若无↠父者能生之因即闕、 若无↠母者所生之縁即乖。 若二人共无即失↢託生之地↡。 要須↣父母縁具、 方有↢受身処↡。 既欲↠受↠身、 以↢自業識↡為↢内因↡、 以↢父母精血↡為↢外縁↡、 因縁和合故有↢此身↡。 以↢斯義↡故父母恩重。 母懐胎已経↢於十月↡、 行住坐臥常生↢苦悩↡。 復憂↢産時死難↡。 若生已、 経↢於三年↡恒0798常眠↠屎臥↠尿。 牀被・衣服皆亦不浄。 及↢其長大↡愛↠婦親↠児、 於↢父母処↡生↢憎嫉↡、 不↠行↢恩孝↡者即与↢畜生↡无↠異也」 文。
誠に水たゝへざれば、 はちす生ずることなく、 源みなぎらざれば、 ながれふかゝらず。 父母の恩にあらずは、 たれか身体を長ぜん。 然に是を報ぜざらんは、 但畜生と同かるべし。
¬倶舎論¼ の中には、 六道を釈するに人界を判ずとして、
「思慮多きがゆへにこれを名づけて人とす」
「多↢思慮↡故名↠之為↠人」
と云り。 「思慮おほし」 と云は、 理非をわきまへ礼義をしる義なり。 されば思慮なくして恩徳をしらざらんは、 そのかたち人なりと云とも、 その心畜生に同じかるべしと云こゝろなり。 羊、 母の乳をのむにまづ膝を屈して敬をいたし、 鶴は母の肉を知てくはざるがごとし。 況や人倫に於ては、 恩を報じ礼を正くすべきなり。
又 ¬盂蘭盆経疏¼ (新記巻上) に、 仏なれども、 父のために礼をいたしたまふことを釈して云、
「仏はじめて道を成じ本国に還る、 時に浄飯王駕を厳にして出迎し仏を見て礼を作す、 仏すなはち身を虚空に踊らせて、 乃至 礼し訖りて地に下り言を発して起居す」 文。
「仏初成↠道還↢本国↡、 時浄飯王厳↠駕出迎見↠仏作↠礼、 仏即踊↢身虚空↡、 乃至 礼訖下↠地発↠言起居」 文。
元照の ¬記¼ (新記巻上) に是を釈するに、
「仏世間の慈父のためになほことさらに親を敬ひまさしく礼を受けざる意、 将来これをもつて法とせしむ」 文。
「仏為↢世間慈父↡猶故敬↠親不↢正受↟礼意、 使↢将来以↠此為↟法」 文。
又同 ¬疏¼ (新記巻上) に仏、 父の王に孝せんがために、 棺を担たまふことを云として、 ¬増一阿含経¼ を引て云、
「浄飯王崩ず、 白氎をもつて棺斂す。 仏難陀と前にあり、 阿難・羅云とは後にあり。 難陀仏にまうしていはく、 父王我を養ふ、 願はくは棺を担ふことを聴したまへと。 阿難・難陀またしかなり。 当来兇暴、 父母に報ぜず、 ゆへに躬みづから棺を担ふ。 大千六返震動し釈梵諸天みな来りて喪に赴き仏に代りてこれを担ふ。 仏香炉を執りて前に引きて山に就く」 文。
「浄飯王崩、 白氎0799棺斂。 仏与↢難陀↡在↠前、 阿難・羅云在↠後。 難陀白↠仏言、 父王養↠我、 願聴↠担↠棺。 阿難・難陀亦爾。 当来兇暴、 不↠報↢父母↡、 故躬自担↠棺。 大千六返震動釈梵諸天皆来赴↠喪代↠仏担↠之。 仏執↢香炉↡前引就↠山」 文。
仏は三界の独尊、 四生の導師にてましませば、 世のために尊重せられたまふ。 位として是より上なるはなし。 然ども父の礼をうしなはじとおぼしめすがゆへに、 或は王の礼をうけざらんがために身を虚空に踊らし、 或は自ら葬斂に臨て、 棺を担たまふ事は、 未来の衆生をして是をならはしめんがためなり。 さればたとひ父は頑に子はかしこくとも、 父となり子とならば、 その礼をみだるべからざることを表す。 この二の文は、 釈尊、 父の為に孝養をもはらにしたまひし証なり。
次に ¬観経義¼ の第二 (序分義) に、 如来、 母の恩を報じたまふことを釈して云、
「仏母摩耶仏を生じ七日を経おはりて死し、 利天に生ず。 仏後に成道して、 四月十五日に至りすなはち利天に向ひ、 一夏母のために説法す。 十月懐胎の恩に報ぜんがためなり。 仏なほ恩を収め父母に孝養す、 いかにいはんや凡夫として孝養せざらん。 ゆへに知ぬ父母の恩深く極重なることを」 文。
「仏母摩耶生↠仏経↢七日↡已死、 生↢利天↡。 仏後成道、 至↢四月十五日↡即向↢利天↡、 一夏為↠母説法。 為↠報↢十月懐胎之恩↡。 仏尚収↠恩孝↢養父母↡、 何況凡夫不↢孝養↡。 故知父母恩深極重也」 文。
これは仏母摩耶夫人、 四月八日に釈尊を生じ奉て後、 わづかに七ヶ日すぎ同き十五日に死して、 欲界第二の利天に生じたまひて、 釈尊十九にして出家し、 三十にして成道したまひて、 人天の大師となり三界の教主と0800して一代半満の教法を説たまひし時、 出胎の後いくばくならずしておくれ奉り給し悲母夫人のことをおぼしめしいたし、 且は拝覲をとげんがため、 且は恩徳を報ぜんが為に、 仏、 利天に昇ましまして、 四月十五日より七月十七日まで、 三月九旬のほど、 歓喜苑のうち波利質多羅樹の下に安居して、 一夏のあひだ法をとき給ひき。
かの所説と云は即 ¬報恩経¼ これなり。 今の世にいたるまで、 安居と云て報恩修善のつとめをいたすことは、 この仏の報恩より起れり。 如来天に昇たまひしより後、 天竺十六大国の諸王、 各如来を恋慕し奉ること、 殆父母におくるゝかなしみの如し。
その中に盂填大王ことに悲嘆甚し。 一夏説法の後、 下天したまはん時をまち奉んこと、 なを千載を経こゝちして心もとなくおぼしめしければ、 仏の形像を造り奉て、 生身の仏の帰下給んほど胆仰し奉らばやと心念を発す所に、 毘首羯磨、 天上より来て、 大王の心願を感じ如来の尊容を模し奉き。 斧の音三十三天にきこえしかば、 天人聖衆これをきゝて同音に皆歓喜し、 声の及ぶ所の衆生、 みな煩悩罪障を消滅することをえたりき。 彫刻功終て後、 大王かの形像をえて日夜朝暮に礼拝をいたし帰仰し奉ること、 たゞ生身の如し。
爰に如来、 一夏安居ことおはりて利天より閻浮提に下り給し時、 持地菩薩、 善見城より祇園0801精舎に至まで、 金・銀・水精の三の階をわたし釈尊を迎奉き。 時にかの木像生身の如来の御迎に出給ふ。 相好光明威徳巍々として漸く人間に下り給しかば、 梵王・帝釈、 宝蓋を捧て左右に侍立し、 菩薩・賢聖、 威儀を助て前後に囲遶す。 事の様、 厳重に貴かりし儀式なり。
その時かの木像、 参会し宝階の下に至り給ふ所に、 生身と木像とたがひに礼譲をなし、 本仏と新仏と各道の前後を論じて倶にすゝみたまはず。 人天大会、 是を見て未曽有の思をなす。 さるほどに木像、 論じまけて先に立て行給しが、 正く精舎に入給はんとせしとき、 木像なを生身の仏を指て、 我は木像なり、 いかでか本仏の先には立奉るべき。 早くまづ精舎に入給べしとまふし給ければ、 生身の仏言やう、 我は本仏なれども、 八十年の機縁すでにつきなば、 つゐに涅槃に入べき身也。 新仏は久く世に住して末代濁世の衆生を利益し給べき尊像なり。 然ば滅後の諸の弟子をばことごとく汝に付属す、 はやばや先に立給べしと勅し給ければ、 木像理に伏して本仏の先にすゝみ、 まず精舎に入て宝坐の上に坐し給り。 在世の不思議、 誠に言語の及所にあらず。
かの形像は唐土に迎奉て後、 一朝の宝として代々貴敬尊重せられけるが、 日本円融院の御宇、 永観年中に奝然上人渡唐の時、 かの国の大王に奏聞してその形像を造模奉りしに0802、 かの形像日本国に渡て衆生を利益せんとおぼしめす志あるよし、 上人に対して霊夢の告ありけるに依て、 所↠模の新仏を以てとりかへ奉り、 偸にかの霊像をとり奉る。 今嵯峨の清涼寺の釈迦是なり。 さればこの霊像も、 釈尊、 摩耶の恩を報じ給はんが為に天上に昇り給しに依て出現し、 辺土に住して末代の衆生に利益を施したまふ。 かたじけなくたふときことなり。 是即釈尊、 悲母の恩徳を報じたまふことは、 一切人天の位に超て、 无上世尊の位に昇りたまへども、 生養撫育の徳を謝したまふことは、 凡夫をして報恩の志を励しめんが為也。
¬父母恩重経¼ には、 乳一升のあたひを計るに、 米ならば一万八百五十石余、 稲ならば二万三千束、 布ならば三千三百七十余段にあたると云こゝろをとけり。 ¬五道受生経¼ には、 「南州の人の飲所の乳は八十八石なり」 といへり。 恩をうくることのあつきこと是を以て知べし。 懐胎の間の辛苦よりはじめて、 産生の時の苦難といひ、 幼稚のほどの生養といひ、 慈悲のねんごろにして報謝のつきがたきこと、 母の恩まことに深し。
託胎の後は、 まづ胎内にして五位をふることあり。 五位といふは、 一には羯頼藍、 これは梵語なり、 此には凝滑といふ、 又和合ともいふ。 父0803母の精血を与て赤白二滞の和合せるはじめなり、 是その体いまだ分明ならざる位なり。 二には頞部曇、 ここには皰といふ。 その体いさゝか増して皰の生ずるに似たるなり。 三には閉手、 こゝには軟肉といふ。 漸く肉の体のみゆる位なり。 四には健南、 こゝには堅肉といふ。 少しかたまる位なり。 五には鉢羅奢佉、 こゝには支節といふ。 髪・毛・爪等次第に生じてすでに人の形となる位なり。 ¬倶舎論¼ の第九 (玄奘訳世品) に
「最初羯頼藍、 次に頞部曇を生ず、 これより閉尸を生ず、 閉尸健南を生ず、 次に鉢羅奢佉、 後に髪・毛・爪等、 および色相、 漸次に転増す」
「最初羯頼藍、 次生↢頞部曇↡、 従↠此生↢閉尸↡、 閉尸生↢健南↡、 次鉢羅奢佉、 後髪・毛・爪等、 及色相、 漸次而転増」
といへる頌は此事を釈するなり。
此五位は十二因縁の内、 名色の位と、 六処の初なり。 此時分をふるに、 十月をへて二百六十六日を送る間に、 そのかたち日をへて増長すれば、 母の身随てくるし。 食してもあまからず、 ねてもやすからず、 行歩も煩あり、 起居もたやすからず。 されども我身のくるしきことをばかへりみず、 その子の平安に生ぜんことをおもふは人の親の心なり。 そのゝち産生また最甚し。 五臓もやすからず六腑もしづかならず、 腹には金剛の山を呑が如く胸には剣林の荊を含に似たり。 人中の苦の中に第一の苦なりとみえたり。 されば是を半死半生の人と云て、 子を无為に生じぬる後も、 七ヶ日まではなを冥途に趣べき人数にかぞへられ、 冥官筆を染て相待と申0804しならはせり。 何況や、 生の後も其苦労また多し。 膚にまとへる襁褓ムツキ のけがれたるときは、 袂をもて不浄を拭にきたなしとおもふ心なく、 牀にしきたる半月うるほへるときは、 乾を譲て自はぬれたるに臥す。 乃至、 東西南北に走て竹馬・芥鶏にたはむるゝ齢までも、 疵をもつけじ、 かたはをもつけじと、 心苦く是を思て、 昼夜六時行住坐臥に身心をくるしましめずといふことなし。 これ併、 恩愛のいたす所なり、 慈悲の極のしからしむるなり。
経の中に母子の志の切なることを云として、 一の因縁をとける事あり。 過去に鶴ありて三の子を生ぜり、 時に国大に旱魃して食すべき物なし。 その時に母、 悲愛を生じて自ら腋の肉を製て、 子の命をたすけんとす。 こゝに三子少しかの肉を食して後云やう、 是は常の気味にあらず、 我が母の肉なり。 たとひ食をえずしてわが命をばおとすとも、 争か母の体を損ぜんやと云て、 口を閉て食せず。 此時に天神讃じて云、 母の慈すぐれ、 子の孝いたれりと云き。 仏此の因縁を説て、 その母と云は我なり、 その三子と云は即ち舎利弗・目連・阿難なりと云て、 末世の衆生も孝養のこゝろざしをいたすべきことを説給り。 是は ¬六度集経¼ にみえたり。
又むかし雪山に一の鸚鵡あり、 父母盲たり、 子つねに好菓を求て盲たる親に与ふ。 時0805に一人の田主あり、 田を植るとき願を発て、 この田の稲穀を以て一切衆生に施さんと云き。 かの鸚鵡、 田主の施心を喜てつねにかの穀を取て父母に供しき。 然に田主、 鸚鵡の田をふみ穀をとるをみて忽に瞋恚を起し、 網をはりてかの鸚鵡を取てその所行を誡る処に、 鸚鵡演云やう、 田主この田をうへし時に、 一切衆生に与べきよし意願を発しき。 我むしろ一切衆生のうちにもれんや。 然ば、 これをとることなんぞ科に処せん。 況や、 わが為に是をとらず、 盲たる父母に供せんがためなり。 争か憐愍なからん。 しかれども田主制止して故に瞋恚を起さば、 われ自今以後更にとるべからずと申ししかば、 田主忽にかなしみ恥て、 汝孝養のために是を取こと、 かへすがへす思所なり。 常にはやく是を取て父母に孝養すべし、 あへて慳惜すべからずといふ。 是に依てかの鸚鵡、 いよいよその稲穀を取て父母に供しき。 仏またこの因縁を説て、 その時の田主と云は舎利弗なり、 盲目の父母と云は即ち浄飯王・摩耶夫人なり。 昔の孝養の因に依て、 いま成仏することをえたりと言り。 是は ¬雑宝蔵経¼ の説なり。 畜類も人身も恩を報ずべきこと先蹤分明なり、 凡夫も仏も徳を謝すべきこと仏説炳焉なり。
又三州の義士と云事あり。 其因縁は四方より行合る道の辻に一塔あり、 三方より0806三人の男此所に来集り、 おのおのその住せる処をとひ互に其来れる由を尋ぬ。 皆父に後て悲を含み思にたえずして流浪する由を語る。 生国みな異なれども悲嘆ことごとく同じ。 又一方より来れる老翁あり、 三人その来れる由を問に、 翁の云やう、 われ子息に後て悲を含が故に流浪して此にいたれる旨を答ふ。
是に依て三人の男、 翁を以て父として、 議して一処に在て老翁に孝順す。 一事一言かつてその命をそむかず。 、 九夏三伏の炎天には扇を以て枕をあふぎ、 玄冬素雪の寒夜には席を温て孝を致す。 凡そ飲食・衣服・臥具・湯薬、 ちからのたふる所、 心の及ぶ処、 是を求て供せずと云ことなし。
如↠此して年月を送る処に、 ある時老翁三子に向て云けるは、 汝等我を親と思て万事心にそむかず、 我また汝等を子と思て深く孝順をたのむ。 然にわれ一の所願あり、 汝等早く是を営てわが願を満べし。 いはゆるわが住所の前の大河の中に殊勝の宮殿を造て、 我をして其中に置べしといふ。 三子是を聞て各領状すといへども、 互に嘆やう、 此河極て深広にして水はやく波しきり也。 輒く家を造がたし。
然に父の命に随が為に、 七日の間土石を運て島を築に微塵もとゞまらず、 三子心を同して嘆こと極なし。 悲哉、 我等幼少にして父に後てのち、 貴て亡親を恋る志に依て老翁に帰て孝順をいたす。 父子の契約0807をなしてより以来、 露ばかりも其意に違ことなし。 今此の一事かなはずして其命にそむかば、 不孝の過のがれがたし。 願は天地、 我志を憐て我孝養を成ぜしめ給へと、 慇懃に是を念願する。
其夜俄に天地揺動し雷電振烈することおびたゞし。 夜明てかの河を見に、 河の中に霊岸立回て中に平地あり、 上に宮殿あり、 金を以て牀とし錦を以て蓐とし、 瑠璃を以て簾とし摩尼を以て灯とせり。 利天の善見城もかくやと覚ゆ、 大梵天の高台の閣も是にはすぎじと見たり。 加之、 微妙の香食を机にそなへ、 種々の甘露を砌に置たり。 まことに心も語も及ばず、 かの宮殿の中に声有て、 唱て云、 親にあらざれども親として深く孝順を行じ、 子にあらざれども子としてよく慈哀をいたすに依て、 天地同くあはれむが故に現身に天の快楽を得といへり。 宮殿を見のみにあらず、 声の告を聞て三子一翁ともに悦び互に感ずること極りなかりき。
是は阿含経の説よりいでたり。 今此因縁を按ずるに、 実の親にあらざれども親と名て孝行の志を至ししかば、 仏天随喜してかやうの不思議あり。 何に況や、 多生の宿縁に依て親子となり、 幼少より撫育の恩を受ん実の父母に於てをや。 謝しても謝すべきなり。 つらつら是を思に、 我等は三界流浪の孤なり、 かの三州の義士の如し。 釈尊は衆生覆護の慈父也、 かの一路の老翁に似たり0808。 然れば、 釈尊の教勅に順じて弥陀の名号を称せば、 生死の大海の中に何ぞ不退の宮殿をまふけざらんや。 よくよく是を思べし。 二親の恩徳をむくふべきこと、 経釈の明文といひ、 孝順の先蹤といひ、 略してかくのごとし。
凡そ父母は慈悲の本なるが故に、 父をば慈父といひ、 母をば悲母といふ。 慈は与楽の義、 悲は抜苦の義なり。 父母の恩いづれも勝劣なきに於て各つかさどる所あり。 父は愛を施すに取て家業をもつがせ、 才智をも訓て世にももちゐられて身をもたて、 人に交て頑なることなからんことを思て、 且は呵し且は訓ふ。 これ内には慈悲を懐き外に威徳を顕すなり。 されば父子の道は天性なるが故に、 父として愛をたれ子として敬を致すこと自然の道なり。 此故に、 氏をつぎ家を伝て、 その尊卑を定むること父の品、 父によるに依て世俗にはなを父を依ておもしとす。 ¬孝経¼ に此事を云に、
「父に事ふるに資りて、 もつて母に事ふるにその愛同じ。 父に事ふるに資りて、 もつて君に事ふるにその敬同じ」
「資↢於事↟父、 以事↠母其愛同。 資↢於事↟父、 以事↠君其敬同」
といへり。 此文を註するに、
母はいたりて親しけれども尊からず、 君はいたりて尊けれども親しからず、 ただ父のみ尊親の義を兼ぬ (孝経)
母至親而不↠尊、 君至尊而不↠親、 唯父兼↢尊親之義↡
といへり。 聖教の中にも、 仏の衆生を憐愍教護し給ことをば、 人の親の子を生養してひとゝなすに喩たり。 釈尊を三界の慈父と申はこの義なり。
母は懐妊産生の苦労より初て乳哺撫育の恩徳をいへば、 その慈悲なを懇なり。 故に仏0809教の中に、 子に於て依怙となること母の徳は父にもまされりと見たり。 いはゆる ¬法花¼ (巻六) の 「薬王品」 に、 此経の勝たることを云に十喩を説る中に 「如子得母」 と云文あり。 又文殊をば三世の覚母といひ、 般若をば諸仏の智母といふ、 その証なり。
されば父の恩の高ことは山の如しといひ、 母の恩の深ことは海の如しといふ。 何もかけては此身を全くすることあるべからず。 車は二の輪を以て長途にめぐり、 鳥は二のつばさを以て大虚にかけるが如し。 食にあける子なれども、 母にはなれぬればその膚たちまちにやせ、 心さかしき子なれども、 父にそはざればつたなきことおほし。 即ち釈迦・弥陀の二尊を父母に喩られたるは此義也。 釈迦は抑止の方便を設て、 衆生をして悪を犯せざれと道をつとむべきことをすゝめ給ふ。 父の子をして身をたて人になさんと思ふ提撕の志に同じ。 弥陀は摂取の悲願をたれて重罪の衆生をもかなしみ給ふ。 是又たとひかたはなる子なれども、 おもひすてざる母の悲にひとし。 彼も此も報じがたく謝しがたきものなり。
又 ¬涅槃経¼ の中に、 仏の衆生を念じ給ふことを、 父母の子を念ずるに喩たる文あり。 「諸仏念衆生、 衆生不念仏、 父母常念子、 子不念父母」 と云る是也。 是は世の人のありさま眼前にみえたることなり。 親の子を思ふ心と、 子の親を思ふ志とをくらぶるに、 浅0810深はるかなること也。 誠に恩をいたゞける子は二親を養ふこと少し。 是あはれみの深きと、 志の浅とによるゆへ也。 仏のときたまふ所何ぞむなしからんや、 最もかなしむべきことなり。 然ば、 生前にそこばくの孝行をいたしいたさんよりは、 没後に随分の善根をも営てかの仏果をかざらんは、 其功徳殊に莫大なるべし。 定て諸仏の大悲にかなふべきなり。
一 奉持師長は是も三福の随一として、 三世の諸仏の定業の正因なり。 凡そ師の恩の深ことは、 是又内典・外典に是を明せり。
上に所↠引 ¬梵網経¼ (巻下) の文にも
「父母・師僧・三宝に孝順すべし、 孝順は至道の法なり。 孝を名づけて戒とす、 また制止と名づく」
「孝↢順父母・師僧・三宝↡、 孝順至道之法。 孝名為↠戒、 亦名↢制止↡」
と云り。 父母に孝順するも師長に奉持するも共に孝行也。
又 ¬観経義¼ の第二 (序分義) には、
「礼節を教示し学識徳を成ず、 因行虧くることなく乃至成仏まで、 これなほ師の善友力なり、 この大恩もつともすべからく敬重すべし」
「教↢示礼節↡学識成↠徳、 因行无↠虧乃至成仏、 此猶師之善友力也、 此大恩最須↢敬重↡」
と云り。 師にあはずは学識徳を得べからず、 其徳をえずは仏果にいたることあるべからずと云り。 世間に重くする処は君・父・師の三尊也、 崇敬の是より深かるべきはなし。 恩所の報ずべきは師僧・父母也、 厚徳の是にまさるべきはなし。 父母と師僧とその恩ひとし、 故に三福の中にも同く世善とし、 共に敬上の行となずく。 されどもその中に於てなを浅深を立る時は、 誠0811に仏法を授て今度の出離を思ひ定ん人の前には、 師の恩は父母の恩にもまさるべし。 されば高野の大師の解釈にも、
「師資の道は父母のごとくあひ親し。 父子は骨肉あひ親しといへどもただ是一生の愛、 生死の縛なり。 師資の愛法義あひ親し。 世間出世の抜苦与楽なんぞよくこれに況せんや」
「師資之道如↢父母↡相親。 父子雖↢骨肉相親↡但是一生之愛、 生死之縛也。 師資之愛法義相親。 世間出世抜苦与楽何能此況」
と云り。
師弟の好をいふに、 親子の昵にもこえたりときこえたり。 父母こそ福田の至極、 恩所の最頂なるに、 いかなれば師の恩はそれにも超たるぞと云に、 詮ずる所は聞法の徳の重がゆへなり。 諸宗に立る所の血脈相承即ち是なり。 殊今浄土宗の意、 ¬大経¼ (巻下) には 「聞其名号信心歓喜」 といひ、 ¬小経¼ には 「聞説阿弥陀仏執持名号」 と云が故に、 弥陀の名号をきくに依て信心を発得し、 信心に依て往生の益を得と談ずれば、 所聞の功徳まことに重なり。
但しこれにつきて不審あり。 誠に法を説てきかしめん人は然べし。 さしたる仏法の道理を宣授こともなき人の、 唯念仏を行ずべきよし、 すゝむる詞ばかりにて聞法の益なくは、 師と云がたき歟とおぼつかなし。
是をこゝろうるに、 師につきてさまざまの差別有べし、 外典の師もあり内典の師もあり。 内典の師に取て、 聖道の師もあり浄土の師もあり。 浄土の師に取て、 経釈の深旨をも授け一宗の教判をも教んは、 その恩、 顕然なれば子細に及ば0812ず。 又その義なしといへども、 念仏を行ぜよとすゝむる時、 兼てはこの法を信ずる心なけれども、 かの勧に依て念仏を修し浄土を願んと思ふ心発らば、 是即相承の義也。 「聞其名号信心歓喜」 (大経巻下) と云る、 此義にかなふべきが故也。 その身无智ならば経釈の義趣をさづけずと云とも、 欲生の信心発らば 「聞名欲往生」 (大経巻下) の義に順ずべければ、 「皆悉到彼国」 (大経巻下) の益を得べし。 かの勧に依てその益をえば、 正く師資の道理あるべし。 恩徳又最も報謝しがたきものなり。 その器は无智なりと云とも悔慢の想を生ずべからず、 たゞ相承の義を重すべし。
¬心地観経¼ (巻三報恩品) の説をみるに、
世間の凡夫恵眼なし、 恩所に迷ひて妙果を失す、 五濁悪世の諸衆生、 深恩につねに徳あることを悟らず」
世間凡夫无↢恵眼↡、 迷↢於恩所↡失↢妙果↡、 五濁悪世諸衆生、 不↠悟↢深恩恒有↟徳」
と云文あり。 誠に三世の諸仏は恩を報ずるを以て成仏の因とし、 一切の菩薩は恩をしるを以て発心の縁とす。 この故に、 是を報ぜざれば妙果を証せず、 是をしらざれば恵眼をひらかずときこえたり。 是をしらずと云は、 身に於て恩ある人を恩ありと思はず、 我に於て師たる人を師なりとしらざるなり。 よくよく是を思べし。
抑観音・勢至は弥陀如来の悲智の二門なり、 経にこの二菩薩を説に、 ¬大経¼ (巻下) には 「有二菩薩最尊第一」 といひ、 ¬観経¼ には 「此二菩薩助阿弥陀仏普化一切」 と云り0813。 又 ¬般舟経¼ にはこの二菩薩の利生の相を釈するに、 観音を讃じて
「苦を救ふに身を分ちて平等に化す、 化し得てはすなはち弥陀国に送る」
「救↠苦分↠身平等化、 化得即送↢弥陀国↡」
といひ、 勢至を嘆じては
「有縁の衆生光照を蒙る、 智恵を増長して安楽に生ず」
「有縁衆生蒙↢光照↡、 増↢長智恵↡生↢安楽↡」
といへり。 これらの文のこゝろ、 しかしながらかの二大士の利生は、 衆生を引導して本師弥陀如来の浄土に生ぜしむるにあり。 その中に、 観音は師長の徳の重ことを表して、 宝冠に弥陀をいたゞき、 勢至は父母の恩の厚ことを顕して、 宝瓶の中に前生の父母の遺骨を納たり。 されば弥陀如来の利生も、 最この二福を修すべきことを専にし給へり。
このゆへに ¬千手経¼ (意) にも 「我を念ぜん者、 まづ本師无量壽仏を念じて、 後に我をば称せよ」 ととけり。 これ本師を貴べき義を顕すなり。
又聖徳太子は和国の教主、 教興の根源なり。 是も観音の垂迹にておはしゝかば、 我朝に出世し仏教を弘通し給し本意、 もはら弥陀の教にあり。 即ち敏達天皇二年、 太子二歳にして東方に向ひ、 言を出南无阿弥陀仏と唱へ給し。 その名をあらはさずといへども意は弥陀の名号にあるべしと、 先達この義を料簡せり。
随て又四天王寺を造給て後、 推古天皇十年に御年三十一歳にして、 かの金堂に御参篭有て七日七夜称名念仏を勤行したまへり。 是則、 世間に於ては欽明・用明両皇の御追善に衝せられんがため、 出世にとりては本師能化の重0814恩を謝し奉らんがために、 かの名号を唱へ給ものなり。 七日称名の後、 師恩報謝の御願といひ、 両帝得脱の子細といひ、 一心の精誠をぬきいで三業の懇志を凝しましまして、 遙に西方極楽世界の弥陀如来を礼拝し、 懇に啓白廻向し給しかども、 なをあきたらおぼしめすゆへに、 人間に於て生身の如来にてましますに付て、 自ら御消息をあそばして小野大臣を御使として、 善光寺の如来に御作善の旨趣を申し給けり。 かの御消息の詞に云く、
「名号を称揚すること七日おはりぬ、 これはこれ広大の恩を報ぜんがためなり、 仰ぎ願はくは本師弥陀尊、 わが済度を助けてつねに護念したまへ」
「名号称揚七日已、 此斯為↠報↢広大恩↡、 仰願本師弥陀尊、 助↢我済度↡常護念」
と云り。 此の四句の偈の後に 「八月十五日」 と書て、 其下に御名をば 「仏子勝鬘」 とのせられ、 充所には 「本師善光寺如来の所」 とあそばして、 東に向て三度礼拝し、 小野大臣に給けり。 大臣御書を給り、 に黒駒を給て、 これに駕して三ヶ日に信州に下著し、 かの寺に参じて本多善光を以て是を進ず。 即料紙と御硯とをそへて御帳の内へ差入けり。 その時墨をすりたまふ音さだかにきこえて、 如来御返事と御硯とを御帳の外へいだされけり。 其詞には
「一日の称揚恩留ることなし、 いかにいはんや七日の大功徳をや、 われ衆生を待つこと心間なし、 なんぢよく済度せよあに護らざらんや」
「一日称揚无↢恩留↡、 何況七日大功徳、 我待↢衆生↡心无↠間、 汝能済度豈不↠護」
とあり、 奥に 「八月十八日」 とて、 御位署には 「善光」 と載せられ、 「上宮太子御返報」 とあそばされたり。 又此御返事の意を御歌に和してそえられたり0815。 その御歌には 「まちかねてうらむとつげよみなひとに いつをいつとていそがざるらん」 とありけり。
この御返事をば、 善光、 是をとりつぎて小野の大臣に与へ涙を流てまふすやう、 忝哉憑哉、 わが生々の本尊、 生身の弥陀如来、 前生の好をわすれたまはず善光をしたひこの国に来り給へり。 難波の海底に沈み給ひしより已来、 数十ヶ年の間種々の苦悩をうけ給しが、 善光をまちつけて悦をなしたまひ、 天竺・震旦・我朝三生の往因を語出し、 過去・現在・未来三世の値遇をおぼしめすがゆへに、 黄金殊妙の仏体を曲て凡下下賎の両肩に懸て、 花洛の勝たる砌をふりすてゝ辺鄙の遙なる境に下りましますこと、 おぼろげならず宿世の芳因なり。 国に下し奉て後、 別の堂閣に居奉るといへども更にその所に坐したまはず、 善光が私宅にのみつき御坐こと忝ことなり。 然に今太子の御返事にも善光が名字を載られ、 まのあたり生身の如来の御筆をとりつぎ奉る事、 往昔の本尊、 前世の宿習と申しながら、 人身をうけたるおもひで未曽有と謂つべし。 たとひ我後に六通三明の聖果に至るとも、 又三塗八難の苦域に沈とも、 争か此事をわすれ、 争か此仏恩を報じ奉んとて、 感涙そでをしぼり啼泣すること極なし。
妹子の大臣も是を聞て同く傷嗟し、 泣々此仏書を給て、 都にかへりのぼり太子に進じけり。 太0816子かの御返事を御覧ぜられて、 歓喜の御おもひ胸にみち、 念仏弘通の御志ますますふかかりけり。 如来の御歌に付て、 太子また御返歌を詠ぜさせたまふ。 其御歌に云く、 「いそげひと弥陀の御船のかよふ世に のりおくれてはたれかわたさん」 とよませ給て、 今度は御使を進ぜらるゝまではなし、 御心中に啓せられけり。
その時の如来の御返事に御硯、 今に伝て善光寺にあるよし、 彼寺の縁起にみえたり。 本地の観音も師孝のために弥陀を頂戴し、 垂迹の太子も師孝のために弥陀を敬重したまへり。 是報恩の志をして凡夫に知しめんが為なり、 誰か是を慕給ざらんや。
如来と太子との今の御贈答、 共に法門の深義を演られたり。 如来の御歌は、 衆生愚痴にして浄土のねがふべきをねがはず、 凡夫懈怠にして念仏の行ずべきを行ぜず、 このゆへに如来の慈悲は、 有情の速に生死をはなれて極楽に往生せんことをおぼしめすに依て、 群類の得脱を待かねたまふ心なり。 ¬大経¼ の下巻に
「なんぞ衆事を棄てざらん、 おのおの強健の時に遇へり。 ゆめゆめ勤めて精進にして善を修し度世を願ぜよ。 きはめて長き生を得べし。 なんぞ道を求めざらん、 いづくんぞ修待するところぞ。 なんの楽をか欲せんや」
「何不↠棄↢衆事↡、 各遇↢強健時↡。 努力勤精進修↠善願↢度世↡。 可↠得↢極長生↡。 如何不↠求k道、 安所↢修待↡。 欲↢何楽↡哉」
と云る文の意にかなへり。 太子の御歌は、 阿弥陀如来、 生死海の大船師として人を度し、 念仏往生の利益さかんなる世にむまれあひながら、 今度虚くすぐべからずとなり。 是則弥陀の弘誓をば船に0817喩て願船といひ、 浄土の修行をば海路の乗船に比する義なり。 されば如来は衆生の急て往生の行を勤ざることをあはれみ給ゆへに、 疾浄土に生ぜよと告命し給べき旨を太子に命じ、 太子は如来の勅を承て、 弥陀の願船に乗おくれずして生死の苦海を渡べしと、 衆生に示したまふ旨を如来に申し給けり。
善導和尚の釈にも処々に師僧の恩を挙られたり。 いはゆる ¬礼讃¼ の懺悔にも毎時に
「師僧・父母および善知識、 法界衆生、 三障を断除し、 同く往生を得」
「師僧・父母及善知識、 法界衆生、 断↢除三障↡、 同得↢往生↡」
と願じ、 又 ¬法事讃¼ の七礼敬にも同くこの詞を載られたり。加之 「序分義」 に仏弟子の声聞等の世尊に随逐し奉ることを釈する文に云く、
「迦葉等の意、 みづからただ曠劫より久く生死に流れ六道に循還す。 苦み言ふべからず。 愚痴・悪見にして邪風に封執し、 明師に値はずながく苦海に流る。 ただ宿縁をもつてたまたま慈尊に会ふことを得ることありて、 法沢私なし、 我曹潤を蒙むる。 尋ねて思ふに仏の恩徳、 身を砕くの極り惘然たり。 親しく霊儀に事へて、 暫くも替ること由なからしめんことを致す」
「迦葉等意、 自唯曠劫久流↢生死↡循↢還六道↡。苦不↠可↠言。 愚痴・悪見封↢執邪風↡、 不↠値↢明師↡永流↢於苦海↡。 但以↢宿縁↡有↢適得↟会↢慈尊↡、 法沢无↠私、 我曹蒙↠潤。 尋思↢仏之恩徳↡、 砕↠身之極惘然。 致↠使↧親事↢霊儀↡、 无↞由↢暫替↡」
といへり。 在世の賢聖も仏恩の深重なることを思ひ、 滅後の大権も師徳の広大なることを顕す。 凡夫また恩をしり徳を報ずべきこと、 是に准じてしるべきなり。 心あらん人いるかせにすべからず。 然れば、 生前には随分の給仕供養をいたし、 没後には慇懃の報恩追善を修すべきこと、 その義、 父母に同かるべし。 かの増進仏道のため、 わが報恩謝徳のため、 必ずその追善をい0818となむべきなり。
凡そ畜類なを恩をしるためしあり、 人倫として争か徳を報ずる心なからんや。
昔漢の武帝と申す明王ましましき。 昆明池といふ池の辺に遊給しに、 一の鯉魚、 鉤を呑て既に死せんとするあり。 帝、 是を叡覧有て震襟をいたましめ、 憐の御心を発て、 人に勅してはかりごとをめぐらさしめて、 かの針をぬかしめ給けり。 その魚、 希有にして命をたすかりき。 その夜御夢の中に、 鯉魚、 皇居に近奉て恩憐の忝ことを畏申すと見たまふ。 不思議の思をなしたまふ処に、 次の日又帝かの池に幸し給とき、 鯉魚、 明月珠といふ殊勝の珠を含て池の辺に置て去ぬ。 鱗をいたゞきたるいやしき畜趣なれども恩をしることを感じて、 それより後永くかの池の釣漁をやめられき。 魚の皇恩を知て珠を献ずる心もありがたく、 帝又魚の報を致す志を感じてその池殺生を禁断せられしこと、 賢き政也と申し伝たり。
又隋侯と云し人、 背破たる蛇を見て慈愍の心を起し、 薬を付て是を愈す。 後に宝珠を含て是を与へき。 隋侯、 初は貧けるが、 この珠を得て後には、 その家大に富けり。 畜生なをかくの如し、 況や人に於てをや。 畜生は愚なる心也、 人は貴き生なるが故なり。
今0819生の患難を救ふ、 尚その報酬をいたす。 況や文字を習んに於てをや。 今世は一旦の果報なり、 つゐには持べき身命にあらず。 文字は法身の仮名也、 智解を生ずる源なるが故也。 たゞ文字を学せる、 その恩なを重とす。 況や仏教を習る徳に於てをや。 文字はたゞ智を発する源なり、 仏教は未来の了因のたねとなるが故なり。 たゞ総じて今生の名利のために仏法習学せん、 なを了因の仏性となるべし。 況や後生菩提のために弥陀の法を授られて、 永く生死を超断して永生の楽果を期せんに於てをや。 誠に恒沙の身命をすてゝも報ずべし。
生前にも最も尊重頂戴の志をぬきいで、 没後にも殊に追善のつとめを致べきなり。 其追善のつとめには念仏第一なり。 ¬随願往生経¼ (潅頂経巻一一意) の説に、
「もし臨終および死して地獄に堕することあらんに、 家内の眷属その亡者のために念仏しおよび転誦し斎福すれば、 亡者すなはち地獄を出て浄土に住生せん」
「若有↣臨終及死堕↢地獄↡、 家内眷属為↢其亡者↡念仏及転誦斎福、 亡者則出↢地獄↡住↢生浄土↡」
といへり。 さればいまだ生死をはなれざる人のためには即得解脱の勝縁となり、 既に往生を得たる人のためには増進仏道の良因となるべきなり。 釈迦一代の説教に弥陀を讃ずる文はなはだ多く、 諸仏同心の証誠には利益虚からざること是明なるものなり。 現世の祈祷、 亡者の追善、 念仏の功力に超たるはなく、 弥陀の利益に勝たるはなし。
¬法事讃¼ (巻下) の釈に、
「存亡の利益思議しがたし」
「存亡利益難↢思議↡」
といへる、 此の意なり0820。
¬般舟経¼ (一巻本擁護品意) に
「もし人もつぱらこの念弥陀仏三昧を行ずれば、 つねに一切諸天および四天大王・龍神八部随逐擁護して受楽しあひ見ることを得、 永く諸悪鬼神、 衆障厄難、 横に悩乱を加ふることなし」
「若人専行↢此念弥陀仏三昧↡者、 常得↢一切諸天及四天大王・龍神八部随逐擁護受楽相見↡、 永无↣諸悪鬼神、 衆障厄難、 横加↢悩乱↡」
といひ、 ¬観経¼ に観音・勢至等の護念をとけるは現世の益也。 ¬観仏経¼ に念仏三昧は失道の指南・黒暗の灯燭なることをとき、 ¬大経¼ に三塗苦難の処に有ても、 解脱をうることをときたるは、 得生の益を明すなり。 つとめてもつとむべし、 信じても信ずべし。
底本は◎大谷大学蔵江戸時代中期恵空書写本。 ただし訓(ルビ)は有国が補完し、 表記は現代仮名遣いとしている。