本鈔は、 覚如上人の撰述である。 覚如上人については ¬慕帰絵¼・¬最須敬重絵詞¼ を参照されたい。 題号の 「執持」 とは、 阿弥陀仏の名号を信受し、 堅固に執りたもつという意を示したものである。 ¬阿弥陀経¼ の 「執持名号」 の語を元にしたものとも考えられるが、 本文では、 第四条に 「名号執持すること、 さらに自力にあらず」、 第五条に 「我すでに本願の名号を持念す。 往生の業すでに成弁することをよろこぶべし」 とある。
本鈔は、 信一念往生・平生業成の宗致を明らかにし、 執持名号の意趣を示された書で、 他力信心の要義が簡潔に示されている。 覚如上人の伝記である乗専の ¬最須敬重絵詞¼ 第七巻第二十六段には、 ¬口伝鈔¼・¬改邪鈔¼ など六部を挙げた後に、 本鈔の文を引用し、 さらに 「平生業成の玄旨これにあり、 他力往生の深要たふとむべし」 と述べられている。
本鈔の構成は、 全五ヶ条の法語からなり、 その内、 前四条は宗祖の法語、 第五条は覚如上人の私釈である。
まず第一条では、 不来迎の義を明かして平生業成の義を示している。 第十九願の諸行往生の行者は、 臨終を待ち来迎をたのむが、 第十八願の他力信心の行者は、 摂取不捨の利益によって現生に正定聚に住するため、 臨終来迎を期待しないことが示されている。 本条は、 ¬末灯鈔¼ 第一通の意趣を承けたものと考えられる。
第二条では、 ¬正像末和讃¼ 終わりの 「是非しらず 邪正もわかぬ この身にて…」 の文を掲げ、 往生浄土のためには信心を先として、 ただ如来にまかせ、 凡夫のはからいをまじえないことが説かれている。 その上で、 宗祖の源空 (法然) 聖人への信順の姿勢を示し、 善知識にあって他力に記するすがたが論じられている。 なお本条には、 ¬歎異抄¼ 第二条や ¬恵信尼消息¼ 第一通に共通する内容がみられる。
第三条では、 「玄義分」 の第十八願取意の文によって、 浄土への往生は、 自らのなした善悪によるのではないことが示されている。 また、 浄土往生が凡夫自力のはからいによるのではなく、 阿弥陀仏の大願業力による旨を明らかにしている。 この第十八願取意の文は、 ¬口伝鈔¼ 第四条及び第十九条にも引かれており、 ¬歎異抄¼ 第一条に共通する内容がみられる。
第四条では、 浄土往生は光明 (縁) と名号 (因) によることを示し、 他力摂生の旨趣が述べられる。 光明と名号の関係を、 ¬往生礼讃¼ の 「以光明名号摂化十方、 但使信心求念」 の文および ¬教行信証¼ 「行文類」 の両重因縁釈を引用して明かしている。
第五条では、 前四条を承けて平生業成義を明らかにしている。 名号が正定業であることを明かし、 本願の名号を執持して平生に業事成弁することを詳述している。 なお、 ¬最須敬重絵詞¼ 第五巻第十九段▽によれば、 覚如上人は阿日房彰空に西山義を学んだが、 本条は、 西山義の ¬鎮勧用心¼ の文と類似することや、 六字の釈は同じく西山の顕意道教の ¬竹林鈔¼ の影響が指摘されている。
覚如上人において、 本鈔以前の著作が伝記的な性格のものであることから、 教学的な著作としては本鈔が最初である。 本鈔の特徴は、 「本願寺聖人仰」 「本願寺の聖人の御釈」 と宗祖を 「本願寺」 の聖人と示していることや、 第二条・第三条・第四条において、 宗祖教義と善導大師・源空聖人との一貫性が強調されている点などである。 これらのことから本鈔は、 覚如上人が後に、 いわゆる三代伝持の血脈を標榜し、 その正当性を主張する萌芽をみることができる。
本鈔の成立については、 本派本願寺蔵本の 「本云/嘉暦元歳 丙寅 九月五日拭老眼染/禿筆是偏為利益衆生也/釈宗昭 五十七」 「先年如此豫染筆与飛騨顕智坊/訖而今年暦応三歳 庚辰 十月十/五日随身此書上洛中一日逗留/十七日下国仍於灯火馳老筆/留之為利益也/宗昭/七十一」 という二つの奥書から知ることができる。 また、 ¬慕帰絵¼ 第十巻第一段には、 「嘉暦の初丙寅の年、 其季商の節上旬の候、 飛騨国に顕智坊永承といふ禅徒申請ければ、 ¬執持鈔¼ となづけたる文をつくりて与けり」 とある。 これらによれば、 本鈔は、 嘉暦元 (1326) 年覚如上人五十七歳の時に飛騨の顕智坊永承の要請により撰述されたことがわかる。 顕智房は本鈔を持って帰国したが、 その十四年後、 暦応三 (1340) 年に上洛した際に、 覚如上人がこれを再写し留め置かれたとされる。 なお、 本鈔は覚如上人が延慶三 (1310) 年に留守識に就任して以後、 初めての撰述である。