本偈頌は、 ¬往生論註¼ とともに曇鸞大師の撰述である。 すなわち、 道綽禅師の ¬安楽集¼ には 「是故曇鸞法師正意帰西故傍大経奉讃云」 と曇鸞大師の正意は弥陀に帰することを示して本偈頌の 「安楽声聞菩薩衆」 以下八句が引用され、 また迦才の ¬浄土論¼ には 「沙門曇鸞法師者……注解天親菩薩往生論裁成両巻法師撰集無量寿経奉賛七言偈百九十五行並問答一巻流行於世」 とあって、 曇鸞大師が撰集された 「奉賛七言偈百九十五行」 は本偈頌を、 「並問答一巻」 は ¬略論安楽浄土義¼ を指しているとみることができるからである。
曇鸞大師の略伝については ¬往生論註¼ の解説を参照していただきたいが、 本偈頌の撰述年代については ¬往生論註¼ とともに明確ではなく、 相互の成立の前後関係も明らかではない。 しかし、 源隆国の ¬安養集¼ (1070年頃) に引用されており、 興福寺永超の ¬東域伝灯目録¼ (寛治八、 1094年) に 「讃嘆阿弥陀仏偈一巻 羅什」 とあること、 また来迎院蔵の良忍上人手沢本の内題に 「□□弥陀仏偈并論 羅什法師作」 とあって、 これが康和元 (1099) 年の書写であることなどから、 日本には遅くとも十一世紀後半までには将来されていたことが明らかである。 なお、 前掲の諸本に 「羅什法師作」 とあるのは当時、 撰述者が鳩摩羅什と誤伝されていたことによる。
本偈頌の依用は、 七高僧の著作においては ¬安楽集¼ に引用されたのみで善導大師以下の三祖にはないが、 宗祖にいたって ¬教行信証¼ にしばしば引用され、 また本偈頌を和らげて 「讃阿弥陀仏偈和讃」 を造られ、 その大部分を四十八首にまとめて讃嘆されている。
本偈頌は、 ¬大経¼ によって阿弥陀仏と聖衆、 国土の三種荘厳を讃嘆した一句七言の漢讃で、 二句一行の百九十五行からなっている。 最初に 「南無阿弥陀仏 釈名無量寿、 傍経奉讃、 亦曰安養」 とあり、 三種荘厳はこの六字名号のほかないことを標体で示し、 阿弥陀仏を釈して無量寿といい、 ¬大経¼ に傍えて讃じ奉ったとあり、 また安養というのは題目の異名と考えられる。 宗祖はこれを 「釈して無量寿傍経と名づく、 讃め奉りてまた安養という」 と読み替え、 本偈頌を ¬大経¼ に準ずるものと受けとめている。 本偈頌の内容は、 略標と広讃、 総結の三つに大別することができると考えられる。 初めに、 現に西方の彼方に安楽土なる浄土の世界があって、 仏を阿弥陀と号すると標して、 曇鸞大師の帰命の意を示した略標があり、 ついで本偈頌の中心である阿弥陀仏や聖衆、 国土の三種荘厳を広く讃嘆し、 最後に相承の師である龍樹菩薩の功徳を讃えて本偈頌の制作の意趣を示し、 阿弥陀仏一仏に帰命する理由を述べている。
本偈頌は、 その本文の形式から、 偈頌のみの系統と、 偈頌並びに礼讃文からなる系統との二系統に大きく分けられる。 すなわち、 偈頌のみの系統は、 スタイン本や良忍上人手沢本などの古写本であり、 他に ¬安楽集¼ や ¬教行信証¼ 所引の本偈頌などが同様の形式をもっている。 これに対して、 偈頌と礼讃文とからなる系統は、 龍谷大学蔵室町時代末期書写本や本派本願寺蔵版など一般に流布しているもので、 各偈頭には 「南無至心帰命礼西方阿弥陀仏」 との帰礼の文が付され、 また各偈末には 「願共諸衆生往生安楽国」 との願生の文が付されている。 これは善導大師の ¬往生礼讃¼ の形態に準じて、 それぞれの宗義によって後世に付加されたとみることができるので、 本偈頌の原形はスタイン本にみられるような偈頌のみの形式と考えられる。