本書は、 源空 (法然) 聖人の法語および行実をまとめたものであり、 ¬西方指南抄¼ や ¬黒谷上人語灯録¼ と同様に、 初期に成立した源空聖人伝の一つとされる。 本書の内題に見られる 「法然聖人伝記附一語物語」 という名称が原題と考えられているが、 本書が大正六 (1917) 年に醍醐寺三宝院の宝蔵から発見され、 醍醐寺に所蔵されることから、 単に 「醍醐本」 とも呼ばれている。
 本書の内容は、 従来より、 (1)「一期物語」、 (2)「禅勝房との十一箇条問答」、 (3)「三心料簡および御法語」、 (4)「別伝記」、 (5)「御臨終日記」、 (6)「三昧発得記」 の六篇で構成されると考えられている。 しかし、 内容および改丁から見ると、 まず(1)「一期物語」、 (2)「禅勝房との十一箇条問答」、 (3)「三心料簡および御法語」 の源空聖人の生涯を描きながら聖人の語録を残したもの、 次に(4)「別伝記」、 最後に(5)「御臨終日記」、 (6)「三昧発得記」 の源空聖人の行実を記したものに大別する三部構成とみる向きもある。
 (1)「一期物語」 は、 二十話で構成される。 それぞれ 「或時物語云」 「或時云」 「或時人問云」 「或時問云」 などという形で始まり、 基本的には源空聖人の生涯および法語であるが、 他宗からの批難を意識した姿勢も見られる。 たとえば、 第四条では、 天台・法相・三論・華厳では凡夫往生を説いていないことを受けて、 まさしく凡夫往生を示すために浄土宗を立てたのであり、 自宗が勝れていることを示すためではないとする。 また、 他の条では本願・非本願の廃立をもって他宗の批難に答えている面も散見される。 さらに、 対他宗の姿勢だけではなく、 安心や念仏の問題についても言及しており、 内外からの問題を意識して編纂されていることが窺える。
 (2)「禅勝房との十一箇条問答」 は、 禅勝房が源空聖人のもとへ参じて種々のことを質問したものであり、 十一問答が展開される。 第一問答は、 八宗・九宗の外に浄土宗を立てることについて述べ、 第二問答は法華・真言も雑行に含まれるのかという問いに答えたものであり、 対他宗を意識した問答である。 第三問答以下は、 たとえば、 念仏の数の問題、 本願の一念の問題、 自力・他力の問題など、 念仏に帰入した初心のもの、 また念仏生活を続けている立場からの信仰上の質問に答えたものである。 「一期物語」 に比べ、 廃立という面が強調されず、 経説や先達からの相承という点に重きがおかれているといえる。
 (3)「三心料簡および御法語」 は、 源空聖人の法語をまとめたものであり、 二十七ヶ条で構成される。 第一条の至誠心釈に代表されるように、 機根論と本願論が中心に語られており、 内部の念仏者へ向けたものが多いことが窺える。 本篇に記載される法語は、 他の源空聖人伝諸本の記事に見られないものが多い。 特に、 第二十七条には 「善人尚以往生況悪人乎事」 という記事があり、 これはまさしく ¬歎異抄¼ の 「善人なをもて往生をとぐ。 いはんや悪人をや」 で知られる悪人正機を示す一節と同文である。 このことから、 すでに宗祖以前に源空聖人によって悪人正機が語られていたとする見方がある。 ただし、 表現は同じであるものの、 伝記という性格であることや他伝記には見られないことから、 源空聖人の言葉とすることを疑問視する見解もある。
 (4)「別伝記」 は、 源空聖人の生涯を記したものであり、 「一期物語」 と対応する記事も見られるが、 「一期物語」 とは別個の伝記である。 「別伝記」 は出自・出家・叡山修学・後胤夢告など、 源空聖人の学問履歴を記すところにその中心がある。 その中、 「上人慈父云、 我有敵、 登山之後聞↠被↠打↠敵、 可↠訪↢後世↡ 。 即十五歳登山。 黒谷慈眼房為↠師出家受戒」 とするものがあり、 源空聖人の父親が敵襲によって討死する時期を聖人比叡山登山の後としている。 また出家の師を慈眼房叡空としており、 これらは他伝記に見られない記事である。
 (5)「御臨終日記」 は、 源空聖人の臨終までの数週間とその臨終における様子を記したものが中心である。 たとえば、 源空聖人の往生が定まっているか否かについて、 「我本在↢極楽↡之身」 と答える源空聖人と弟子とのやりとり、 十数年三昧発得してきたことを弟子に告げる場面や、 臨終の数日前に紫雲がたなびくなどの奇瑞に基づく体験が具体的に述べられている。
 (6)「三昧発得記」 は、 源空聖人が自身の三昧発得の様子を書き記したものであり、 建久九 (118) 年から元久三 (1206) 年までに体験した三昧の内容が描かれている。 この 「三昧発得記〉」 は、 「御臨終日記」 に描かれる浄土の様相や仏を礼拝するようになった三昧発得の記述に対して、 証拠となる資料として重要な位置づけにあると考えられている。
 なお、 従来、 内題にある 「附一期物語」 は冒頭の二十話を示すとされていたが、 近年、 その位置づけについて(5)「御臨終日記」 と(6)「三昧発得記」 の二篇を指すとする説が出されている。 すなわち、 「一期物語」 は 「附」 と冠されていることから、 あくまでも ¬法然上人伝記¼ に付されている 「付録」 としてみるべきであり、 さらには 「一期」 には 「臨終」 という意味があるため、 まさに 「一期物語」 を 「源空聖人の臨終についての話」 とする説である。
 本書は、 (5)「臨終日記」 の末尾にある 「上人入滅以後及↢三十年↡。 当世奉↠値↢上人↡之人、 其数雖↠多、 時代若移者、 於↢在生之有様↡定懐蒙昧歟。 為之今聊抄↢記見聞事↡」 の識語などを根拠にして、 源空聖人示寂三十年にあたる仁治二 (1241) 年頃には成立していたと推定されているが、 この識語が全体にかかるものとはみられないことから、 成立時期については確定していない。 編者については勢観房源智の弟子、 また法蓮坊信空の弟子など様々な見解が出されている。