五(725)、 御臨終日記
○御臨終日記
建暦元年十一月十七日、 入洛すべき由宣旨を賜る、 藤中納言光親の奉なり。
◇建暦元年十一月十七日、可入洛之由賜↢宣旨ヲ↡、藤中納言光親ノ奉也。
同じき月二十日、 入洛して東山の大谷に住す。
◇同月廿日、入洛シテ住ス↢東山ノ大谷ニ↡。
同じき二年正月二日、 老病のうへ、 ひごろの不食ことに増して、 およそこの二三年耳をぼろに心蒙昧なり。 しかれども死期すでに近づきて昔のごとく耳目分明なり。 余事を語らずといへども、 つねに往生の事を談ず。 高声念仏絶ゆることなく、 夜睡眠の時舌口しづかに動く。 見る人奇特の思をなす。
◇同二年正月二日、老病之上、日来ノ不食殊ニ増シテ、凡ソ此二三年耳ヲボロニ心蒙昧也。然而死期已ニ近テ如↠昔ノ耳目分明也。雖↠不↠語ラ↢余事ヲ↡、常ニ談↢往生事ヲ↡。高声念仏无↠絶ルコト、夜睡眠ノ時舌口鎮ニ動ク。見↠人為ス↢奇特之思↡。
同じき三日戌の時、 上人弟子に語りていはく、 われもと天竺にありて声聞僧に交りつねに頭陀を行じき。 その後本国に来りて天台宗に入る、 また念仏を勧むと。 弟子問ひていはく、 往生極楽せしむべきやと。 答へていはく、 われもと極楽にありし身なればしかるべしと。
◇同三日戌時、上人語↢弟子↡云、我本在↢天竺ニ↡交↢声聞僧ニ↡常ニ行ジキ↢頭陀↡。其後来↢本国↡入↢天臺宗ニ↡、又勧↢念仏ヲ↡。弟子問云、可↠令↢往生極楽↡哉。答云、我本在↢極楽ニ↡之身ナレバ可然。
同じき十一日辰の時、 上人起居して高声念仏す、 聞く人涙を流す。 弟子に告げていはく、 高声念仏すべし、 阿弥陀仏来たまへるなり。 この仏の名を唱ふるものは虚しからずといひて、 念仏の功徳を歎ずる事昔のごとし。
◇同十一日辰時、上人起居高声念仏ス、聞人流↠涙。告↢弟子ニ↡云、可↢高声念仏ス↡、阿弥陀仏来給也。唱↢此仏名ヲ↡者ハ不↠虚ラ云テ、歎↢念仏ノ功徳ヲ↡事如↠昔ノ。
また観音・勢至、 菩薩・聖衆前にあり、 これを拝するやいなやと。 弟子いはく、 奉したてまつらずと。 これを聞きていよいよ念仏を勧めたまふ。 その時本尊を拝すべき由勧めたてまつる。 上人指をもつて空を指しこの外にまた仏ありやと。
◇又観音・勢至、菩薩・聖衆在リ↠前、拝之乎否ヤ。弟子云、不奉拝。聞↠之弥勧↢念仏↡給フ。其時可↠拝↢本尊↡之由奉勧。上人以指々↠空ヲ此外ニ又有↠仏。
すなはち語りていはく、 この十余年極楽の荘厳・化仏・菩薩を拝したてまつる事これ常なりと。 また御手に五色の絲をつけてこれを執りたまふべき由勧むれば、 かくのごとき事はおほやうの事なりといひてつひに取りたまはず。
◇即語テ云ク、此十余年0726奉↠拝↢極楽荘厳・化仏・菩薩ヲ↡事是常也。又御手ニ付テ↢五色ノ絲ヲ↡可令執之給之由勧者、如此事者大様事也ト云テ終ニ不取。
同じき二十日巳の時、 坊の上に当たりて紫雲聳く。 そのなかに円戒の雲あり、 その色鮮にして画像の仏のごとし。 道を行く人々、 処々においてこれを見る。
◇同廿日巳時、当↢坊ノ上ニ↡紫雲聳ク。其中ニ有円戒ノ雲、其色鮮シテ如↢画像ノ仏ノ↡。行↠道ヲ人々、於処々見↠之。
弟子いはく、 この空に紫雲すでに聳く、 御往生近づきたまふやと。 上人いはく、 哀れなる事かな、 一切衆生に念仏を信ぜしめんためなりと 云々。
◇弟子云ク、此空ニ紫雲已聳ク、御往生近給歟。上人云、哀ナル事哉、為↠令↣一切衆生ニ信↢念仏ヲ↡也 云云。
同じき日未の時、 ことに眼を開き空に仰ぐ、 西方より東方へ見送る事五六返す。 人みなこれを奇みて仏のましますやと問ひたてまつる、 しかるなりと答へたまひて、
◇同日未時、殊ニ開↠眼仰グ↠空ニ、自↢西方↡于東方ヘ見送ル事五六返ス。人皆奇↠之奉↠問↢仏ノ在ス歟ト↡、然也答タマヒテ、
同じき二十三日、 紫雲立つる由風聞せしむ。
◇同廿三日、紫雲立之由令↢風聞↡。
同じき二十四日午の時に、 紫雲おほいに聳く。 西山にある炭焼十余人これを見て来りて語る。 また広隆寺より下向する尼、 路頭において来りて語る。
◇同廿四日午時ニ、紫雲大ニ聳ク。在↢西山ニ↡炭焼十余人見↠之来テ而語ル。又従↢広隆寺↡下向スル尼、於↢路頭↡来テ而語ル。
ここに上人念仏不退のうへ、 二十三日より二十五日に至りて、 ことに強盛高声念仏の事、 あるいは一時、 あるいは二時なり。
◇爰上人念仏不退之上、自↢廿三日↡至↢廿五日↡、殊強盛高声念仏事、或一時、或二時也。
二十四日酉の時より二十五日に至りて、 高声念仏絶ゆることなし、 弟子五六人番々に助音す。 二十五日午の時に至りて、 声やうやく細く高声は時々あひ交る。 庭に集まるそこばくの人々みなこれを聞く、 まさしく臨終の時は慈覚大師の九条の袈裟を懸け、 頭北面西にして、 「光明遍照、 十方世界、 念仏衆生、 摂取不捨」 (観経) と誦して、 眠るがごとく命終す。 その時午の正中なり。 諸人競い来りてこれを拝す、 供盛りなる市のごとし。
◇自↢廿四日酉時↡至↢廿五日↡、高声念仏无↠絶、弟子五六人番々ニ助音ス。至↢廿五日午時ニ↡、声漸ク細ク高声ハ時々相交ル。集マル↠庭ニ若干ノ人々皆聞↠之、正ク臨終ノ時ハ懸↢慈覚大師ノ九条ノ袈裟↡、頭北面西ニシテ、誦↢「光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨ト」↡、如眠命終ス。其時午正中也。諸人競来テ拝↠之、供如盛市。
ある人七八年の前に夢を感ずることあり。 人ありて以外に大なる双紙を見、 いかなる文ぞと思ひてこれを見るに、 諸人の往生を注せる文なり。 もし法然上人の往生注せる処やあるとはるかに奥に至りて注せるなり。 「光明遍照」 (観経) の四句の文あり、 上人はこの文を誦して往生せらるべし。 夢覚て上人に語らず弟子にも語らず、 この夢をして府合せしめて、 奇特の思を作す。 上人往生の後、 消息をもつて注送せらる。 繁きを恐れて載せず。
◇或人七八年之前ニ有↠感↠夢ヲ↡。有↠人見↢以外ニ大ナル双紙ヲ↡、思テ↢何文↡而見↠之0727、注↢諸人ノ往生ヲ↡文也。若有ルト↢法然上人ノ往生注セル処↡遥ニ至テ↠奥ニ注也。有↢「光明遍照ノ」四句ノ文↡、上人ハ誦↢此文↡可↠被↢往生↡。夢覚テ不↠語↢上人↡不↠語↢弟子↡、令↣府↢合此夢ヲシテ↡、作↢奇特ノ思ヲ↡。上人往生之後、以テ↢消息ヲ↡被↢注送↡。恐繁不載。
かたがた不思議の夢想等あり、 これ足るべきがゆゑに略して記さず。 御入滅は満八十なり。
◇旁有不思議夢想等、可↠足↠之故ニ略テ不↠記。御入滅者満八十也。
如来滅後一百年に、 阿育王あり。 仏法を信ぜず、 国のなかの人民仏の遺典を歌ふ。 大王いはく、 仏にいかなる徳ありて衆生に超ゆ。 もし仏に値へる者あらば、 往きて尋ぬべしと 云々。 大臣いはく、 波斯匿王の妹の比丘尼、 仏に値へる人なりと。
◇如来滅後一百年ニ、有阿育王。不↠信↢仏法↡、国ノ中ノ人民歌↢仏ノ遺典ヲ↡。大王云、仏有↢何徳↡超↢衆生↡。若有値仏者、往而可尋 云云。大臣云、波斯匿王ノ妹ノ比丘尼、値仏之人也。
その時大王請じて問ふ。 仏にいかなる殊異ありやと。 比丘尼のいはく、 仏の功徳尽しがたければ、 ほぼ一相を説くと。 王この功徳を聞きて、 すなはち歓喜して心開悟す。
◇其時大王請ジテ問、仏ニ有↢何殊異↡。比丘尼云、仏ノ功徳難レバ↠尽、粗説ク↢一相↡。王聞↢此功徳ヲ↡、即歓喜シテ心開悟ス。
上人入滅以後三十年に及ぶ。 当世上人に値ひたてまつる人、 その数多しといへども、 時代もし移らば、 往生の有様においてさだめて蒙昧を懐かんか。 これがために今いささか見聞の事を抄記す。
◇上人入滅以後及↢三十年ニ↡。当世奉↠値↢上人↡之人、其数雖↠多ト、時代若移者、於↢在生之有様ニ↡定懐蒙昧歟。為之今聊抄↢記ス見聞事ヲ↡。▽