(725)、 御臨終日記

りんじゅうにっ

けんりゃく元年がんねんじゅう一月いちがつじゅう七日しちにちにゅうらくすべきよしせんたまわる、 とうちゅうごん光親みつちかうけたまわりなり。

建暦元年十一月十七日、可入洛之由賜↢宣旨↡、藤中納言光親奉也。

おなじきつき二十日はつかにゅうらくしてひがしやま大谷おおたにじゅうす。

同月廿日、入洛シテ↢東山大谷↡。

おなじきねんしょうがつ二日ふつかろうびょうのうへ、 ひごろのじきことにして、 およそこの三年さんねんみみをぼろにこころ蒙昧もうまいなり。 しかれども死期しごすでにちかづきてむかしのごとくもくぶんみょうなり。 余事よじかたらずといへども、 つねにおうじょうことだんず。 こうしょう念仏ねんぶつゆることなく、 よる睡眠すいめんときぜっしづかにうごく。 ひとどくおもいをなす。

同二年正月二日、老病之上、日来不食殊シテ、凡此二三年耳ヲボロニ心蒙昧也。然而死期已如↠昔耳目分明也。雖↠不↠語↢余事↡、常談↢往生事↡。高声念仏无↠絶ルコト、夜睡眠時舌口鎮。見↠人為↢奇特之思↡。

おなじき三日みっかいぬときしょうにん弟子でしかたりていはく、 われもと天竺てんじくにありてしょうもんそうまじわりつねに頭陀ずだぎょうじき。 そののち本国ほんごくきたりて天台てんだいしゅうる、 また念仏ねんぶつすすむと。 弟子でしひていはく、 おうじょう極楽ごくらくせしむべきやと。 こたへていはく、 われもと極楽ごくらくにありしなればしかるべしと。

同三日戌時、上人語↢弟子↡云、我本在↢天竺↡交↢声聞僧↡常ジキ↢頭陀↡。其後来↢本国↡入↢天臺宗↡、又勧↢念仏↡。弟子問云、可↠令↢往生極楽↡哉。答云、我本在↢極楽↡之身ナレバ可然。

おなじきじゅう一日いちにちたつときしょうにんきょしてこうしょう念仏ねんぶつす、 ひとなみだながす。 弟子でしげていはく、 こうしょう念仏ねんぶつすべし、 弥陀みだぶつたまへるなり。 このぶつみなとなふるものはむなしからずといひて、 念仏ねんぶつどくたんずることむかしのごとし。

同十一日辰時、上人起居高声念仏、聞人流↠涙。告↢弟子↡云、可↢高声念仏↡、阿弥陀仏来給也。唱↢此仏名↡者不↠虚、歎↢念仏功徳↡事如↠昔

また観音かんのんせいさつしょうじゅまえにあり、 これをはいするやいなやと。 弟子でしいはく、 はいしたてまつらずと。 これをきていよいよ念仏ねんぶつすすめたまふ。 そのとき本尊ほんぞんはいすべきよしすすめたてまつる。 しょうにんゆびをもつてくうしこのほかにまたぶつありやと。

又観音・勢至、菩薩・聖衆在↠前、拝之。弟子云、不奉拝。聞↠之弥勧↢念仏↡給。其時可↠拝↢本尊↡之由奉勧。上人以指々↠空此外又有↠仏。

すなはちかたりていはく、 このじゅうねん極楽ごくらくしょうごんぶつさつはいしたてまつることこれつねなりと。 また御手みてしきいとをつけてこれをりたまふべきよしすすむれば、 かくのごときことはおほやうのことなりといひてつひにりたまはず。

即語、此十余年0726奉↠拝↢極楽荘厳・化仏・菩薩↡事是常也。又御手↢五色↡可令執之給之由勧者、如此事者大様事也不取。

おなじき二十日はつかときぼううえたりてうんたなびく。 そのなかに円戒えんかいくもあり、 そのいろあざやかにしてぞうぶつのごとし。 みち人々ひとびと処々しょしょにおいてこれをる。

同廿日巳時、当↢坊↡紫雲聳。其中有円戒雲、其色鮮シテ如↢画像↡。行↠道人々、於処々見↠之。

弟子でしいはく、 このそらうんすでにたなびく、 おうじょうちかづきたまふやと。 しょうにんいはく、 あわれなることかな、 一切いっさいしゅじょう念仏ねんぶつしんぜしめんためなりと

弟子云、此空紫雲已聳、御往生近給歟。上人云、哀ナル事哉、為↠令↣一切衆生信↢念仏↡也

おなじきひつじとき、 ことにひらそらあおぐ、 西方さいほうより東方とうほうおくこと六返ろっぺんす。 ひとみなこれをあやしみてぶつのましますやとひたてまつる、 しかるなりとこたへたまひて、

同日未時、殊開↠眼仰↠空、自↢西方↡于東方見送事五六返。人皆奇↠之奉↠問↢仏↡、然也答タマヒテ

おなじきじゅう三日さんにちうんつるよし風聞ふうぶんせしむ。

同廿三日、紫雲立之由令↢風聞↡。

おなじきじゅうにちうまときに、 うんおほいにたなびく。 西山にしやまにある炭焼ゆみやきじゅうにんこれをきたりてかたる。 またこうりゅうよりこうするあまとうにおいてきたりてかたる。

同廿四日午時、紫雲大。在↢西山↡炭焼十余人見↠之来而語。又従↢広隆寺↡下向スル尼、於↢路頭↡来而語

ここにしょうにん念仏ねんぶつ退たいのうへ、 じゅう三日さんにちよりじゅうにちいたりて、 ことにごうじょうこうしょう念仏ねんぶつこと、 あるいは一時ひととき、 あるいは二時ふたときなり。

爰上人念仏不退之上、自↢廿三日↡至↢廿五日↡、殊強盛高声念仏事、或一時、或二時也。

じゅうにちとりときよりじゅうにちいたりて、 こうしょう念仏ねんぶつゆることなし、 弟子でし六人ろくにん番々ばんばん助音じょいんす。 じゅうにちうまときいたりて、 こえやうやくほそこうしょう時々ときどきあひまじる。 にわあつまるそこばくの人々ひとびとみなこれをく、 まさしくりんじゅうときかくだいじょう袈裟けさけ、 ほく面西めんさいにして、 「こうみょうへんじょう十方じっぽうかい念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしゃ (観経) じゅして、 ねむるがごとく命終みょうじゅうす。 そのときうま正中しょうちゅうなり。 諸人しょにんきおきたりてこれをはいす、 ともさかりなるいちのごとし。

自↢廿四日酉時↡至↢廿五日↡、高声念仏无↠絶、弟子五六人番々助音。至↢廿五日午時↡、声漸高声時々相交。集マル↠庭若干人々皆聞↠之、正臨終懸↢慈覚大師九条袈裟↡、頭北面西ニシテ、誦↢「光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨」↡、如眠命終。其時午正中也。諸人競来拝↠之、供如盛市。

あるひと七八しちはちねんさきゆめかんずることあり。 ひとありてがいだいなるそう、 いかなるふみぞとおもひてこれをるに、 諸人しょにんおうじょうしるせるふみなり。 もし法然ほうねんしょうにんおうじょうしるせるところやあるとはるかにおくいたりてしるせるなり。 「こうみょうへんじょう (観経) 四句しくもんあり、 しょうにんはこのもんじゅしておうじょうせらるべし。 ゆめさめしょうにんかたらず弟子でしにもかたらず、 このゆめをしてごうせしめて、 どくおもいす。 しょうにんおうじょうのちしょうそくをもつてちゅうそうせらる。 しげきをおそれてせず。

或人七八年之前有↠感↠夢↡。有↠人見↢以外ナル双紙↡、思↢何文↡而見↠之0727、注↢諸人往生↡文也。若有ルト↢法然上人往生注セル↡遥↠奥注也。有↢「光明遍照」四句文↡、上人誦↢此文↡可↠被↢往生↡。夢覚不↠語↢上人↡不↠語↢弟子↡、令↣府↢合此夢ヲシテ↡、作↢奇特↡。上人往生之後、以↢消息↡被↢注送↡。恐繁不載。

かたがた思議しぎそうとうあり、 これるべきがゆゑにりゃくしてしるさず。 にゅうめつまんはちじゅうなり。

旁有不思議夢想等、可↠足↠之故不↠記。御入滅者満八十也。

如来にょらいめついっぴゃくねんに、 育王いくおうあり。 仏法ぶっぽうしんぜず、 くにのなかの人民にんみんぶつ遺典ゆいてんうたふ。 大王だいおういはく、 ぶつにいかなるとくありてしゅじょうゆ。 もしぶつへるものあらば、 きてたずぬべしと 大臣だいじんいはく、 波斯はし匿王のくおういもうと比丘びくぶつへるひとなりと。

如来滅後一百年、有阿育王。不↠信↢仏法↡、国人民歌↢仏遺典↡。大王云、仏有↢何徳↡超↢衆生↡。若有値仏者、往而可尋 。大臣云、波斯匿王比丘尼、値仏之人也。

そのとき大王だいおうしょうじてふ。 ぶつにいかなるしゅありやと。 比丘びくのいはく、 ぶつどくつくしがたければ、 ほぼ一相いっそうくと。 おうこのどくきて、 すなはちかんしてこころかいす。

其時大王請ジテ問、仏有↢何殊異↡。比丘尼云、仏功徳難レバ↠尽、粗説↢一相↡。王聞↢此功徳↡、即歓喜シテ心開悟

しょうにんにゅうめつ以後いごさんじゅうねんおよぶ。 当世とうせいしょうにんひたてまつるひと、 そのかずおおしといへども、 だいもしうつらば、 おうじょう有様ありさまにおいてさだめて蒙昧もうまいいだかんか。 これがためにいまいささか見聞けんもんことしょうす。

上人入滅以後及↢三十年↡。当世奉↠値↢上人↡之人、其数雖↠多、時代若移者、於↢在生之有様↡定懐蒙昧歟。為之今聊抄↢記見聞事↡。