本書は、 その選択をめぐって古来より曇鸞大師とする説とそれを否定する説との両説があり、 定説にはいたっていない。
 曇鸞大師の撰述とするものとしては、 迦才の ¬浄土論¼ に 「注解天親菩薩往生論 裁成両巻 法師撰集無量寿経奉讃七言偈百九十五行 並問答一巻」 とあり、 本書の撰者を曇鸞大師としている。 また東大寺凝然の ¬浄土法門源流章¼ には 「曇鸞大師……作↢安楽土義↡明↢浄土相↡」 とあり、 あるいは源空 (法然) 上人の法語を宗祖が編集したとする ¬西方指南抄¼ には 「曇鸞大師は……往生論の註また略論安楽土義等の文造也」 とあり、 その撰者を曇鸞大師としている。
 一方、 曇鸞大師の撰述ではないとするものは、 元暁の ¬両巻無量寿経宗要¼、 永超の ¬東域伝灯目録¼ と、 源隆国の ¬安養集¼ および天台の証真が著した ¬妙無私記¼ で、 いずれも鳩摩羅什の撰述とされ、 また、 来迎院に蔵せらる ¬讃阿弥陀仏偈¼ の内題にも 「□□弥陀仏偈并論 羅什法師作」 と同様の記述がある。 このほか、 邦人撰述とする説や、 道綽禅師の門下による撰述説、 また近年では、 本書に示される三界摂不論や疑惑往生などの思想および文体全般から曇鸞大師ではないとする説もある。
 なお、 本書は、 先の ¬西方指南抄¼ および ¬六要鈔¼ に示される記述のほかに、 覚如上人の ¬拾遺古徳伝¼ に 「曇鸞法師は梁魏両国の无双の学生なり……往生論の略論安楽土義等のふみこれをつくりたまふ」 とあり、 また存覚上人の ¬浄典目録¼ に 「曇鸞和尚ノ造……略論一巻 安楽土義一巻」 とあり、 そして実悟の集記した ¬聖教目録聞書¼ に 「曇鸞和尚作」 として名を連ねていることなど、 曇鸞大師の撰述として重用されてきた。
 本書は、 阿弥陀仏の安楽なる国土の三界の摂不や荘厳の相、 また往生者の機類について三輩往生を明かし、 次いで三輩に入らない胎生往生の因となる疑惑心や果報などに対して、 ¬大経¼ をはじめ ¬浄土論¼ などを引用して問答形式で論じたものである。 本書の内容を大別すると、 第一・第二問答では、 安楽なる浄土について論じ、 第三問答より以下は三輩および疑惑往生について論じたものとみることができる。
 すなわち、 第一問答では ¬大智度論¼ 並びに ¬大経¼ を引いて阿弥陀仏の安楽国は三界にあらざる旨が論じられ、 第二問答では、 安楽国における荘厳の種類と浄土と名づけられる所以についての問いがあり、 ¬浄土論¼ を引いて浄土の荘厳を器世間清浄の十七種と衆生世間清浄の十二種との二種に分けて論じられる。 そして、 安楽国はこれら二十九種の荘厳を具するが故に浄土と名づくと論じられる。 第三問答では往生を遂げる者の機類について問いがあり、 ¬大経¼ の三輩段を引用して説き、 胎化段にもとづき胎生往生を遂げる者の因果が示される。 第四問答では第三問答で説かれる胎生往生のうち、 七宝宮殿の者が憶念する内容について問いがあり、 ¬大経¼ の胎化段を引いて、 その果報を苦と受けとめ悔責するならば、 三輩往生と同等の果報が得られると説く。 第五問答では、 胎生往生の因となる疑惑の心について問いがあり、 ¬大経¼ 胎化段の不了仏智等の五智の文を引いて、 初句は総じて疑を興すところを弁じ、 後の四句は一々に疑をして対治せしめる。 中でも 「大乗広智」 に対しては第六・七・八問答をもって疑を対治している。 第九問答では第三問答の三輩往生を遂げる者のうち、 下輩生の 「十念相続便得往生」 とある文について挙げ、 十念相続の内容についての問いがあり、 「譬如渡河」 を示して十念相続を譬え、 命終の時に臨みて阿弥陀仏の名号を称し安楽国に生れんと願い十念を成ぜば、 命断える時が安楽国に生ずる時で、 一たび正定聚に入れば憂いはなくなると、 十念相続をもって往生することを勧め結ばれる。