一0400、 三部経釈
▲三部経釈 第一 黒谷作
○¬双巻経¼・¬観経¼・¬阿弥陀経¼、 これを浄土三部経といふ。
・双巻経
◇¬双巻経¼ には、 まづあみだほとけの四十八願をとく、 のちに願成就をあかせり。
◇その四十八願といふは、 法蔵比丘、 世自在王仏の御まえにして菩提心をおこして、 浄仏国土・成就衆生の願をたて給ふ。 およそその四十八願に、 あるいは无三悪趣ともたて、 あるいは不更悪趣ともとき、 あるいは悉皆金色ともいふは、 みな第十八の願のためなり。
◇「設我得仏、 十方衆生、 至心信楽、 欲生我国、 乃至十念、 若不生者、 不取正覚」 (大経巻上) といへるは、 四十八願のなかに、 この願ことにすぐれたりとす。 そのゆえは、 かのくにゝもしむまるゝ衆生なくは、 悉皆金色・无有好醜等の願も、 なにゝよてか成就せん。 往生する衆生のあるにつきてこそ、 身のいろも金色に、 好醜ある事もなく、 五通をも具し、 宿命をもさとるべけれ。
◇これによて、 善導釈しての給はく、 「法蔵比丘四十八願をたて給ひて、 願々にみな、 若我得仏、 十方衆生、 称我名号、 願生我国、 下至十念、 若不生者、 不取正覚 云云。 四十八願に一一にみなこの心あり」 (玄義分意) と釈し給へり。
◇およそ諸仏の願といふは、 上0401求菩提・下化衆生の心なり。 大乗経にいはく、 「菩薩願有二種、 一上求菩提、 二下化衆生心也。 其上求菩提本意、 為易済度衆生」。 云云 しかれば、 たゞ本意は下化衆生の願にあり。
◇いま弥陀如来の国土を成就し給ふも、 衆生を引接せんがためなり。 総じていづれのほとけも、 成仏已後は内証外用の功徳、 済度衆生の誓願、 いづれもいづれもみなふかくして、 勝劣ある事なけれども、 菩薩の道を行じ給ひし時の善巧方便のちかひ、 みなこれまちまちなる事也。
◇弥陀如来は因位の時、 もはらわが名号を念ぜんものをむかえんとちかひ給ひて、 兆載永劫の修行を衆生に廻向し給ふ。 濁世のわれらが依怙、 末代の衆生の出離、 これにあらずは、 なにをか期せんや。
◇これによて、 かのほとけも、 「我建超世願」 (大経巻上) となのり給へり。 三世の諸仏も、 いまだかくのごとくの願をばおこし給はず。 十方の薩埵も、 いまだこれらの願はましまさず。「志願若剋果、 大千応感動、 虚空諸天人、 当雨珍妙花」 (大経巻上) とちかひ給ひしかば、 大地六種に震動し、 天より花ふりて、 なんぢまさに正覚をなり給ふべしとつげたりき。
◇法蔵比丘いまだ成仏し給はずとも、 この願うたがふべからず。 いかにいはんや、 成仏已後十劫になり給へり、 信ぜずはあるべからず。 「彼仏今現在世成仏、 当知本誓重願不虚、 衆生称念必得往生」 (礼讃) と釈し0402給へるはこれなり。
◇「諸有衆生、 聞其名号、 信心歓喜、 乃至一念、 至心廻向、 願生彼国、 即得往生、 住不退転、 唯除五逆、 誹謗正法。」 (大経巻下) 文 これは第十八の願成就の文なり。 願には 「乃至十念」 (大経巻上) とゝくといへども、 まさしく願成就のなかには一念にありとあかせり。
◇つぎに三輩往生の文あり。 これは第十九の臨終現前の願成就の文なり。 発菩提心等の業をもて三輩をわかつといえども、 往生の業は通じてみな 「一向専念无量寿仏」 (大経巻下) といえり。 これすなはちかのほとけの本願なるがゆえなり。
◇「其仏本願力、 聞名欲往生、 皆悉到彼国、 自致不退転」 (大経巻下) といふ文あり。
◇漢朝に玄通律師といふ[も]のありき、 小戒をたもてるものなり。 遠行して野寺に宿したりけるに、 隣房に人ありてこの文を誦す。 玄通これをきゝて、 一両遍誦してのち、 おもひいだす事もなくてわすれにけり。 そのゝちこの玄通律師、 戒をやぶれり。 そのつみによて閻魔の庁にいたる時、 ◇閻魔法王の給はく、 なんぢ仏法流布のところにむまれたりき。 所学の法あらば、 すみやかにとくべしとて、 高座にのぼせ給ひき。 その時玄通、 高座にのぼりておもひめぐらすに、 すべて心におぼゆる事なし。 野寺に宿してきゝし文あり、 これを誦せんとおもひいでゝ、 「其仏本願力」 といふ文を誦したりしかば、 閻魔法王、 たまのかぶり0403をかたぶけて、 これはこれ、 西方極楽の弥陀如来の功徳をとく文なりといひて、 礼拝し給ひき。
◇願力不思議なる事、 この文に見えたり。
◇「仏語弥勒、 其有得聞彼仏名号、 信心歓喜乃至一念、 当知此人為得大利、 即是具足无上功徳。」 (大経巻下意) 文 弥勒菩薩、 この ¬経¼ を付属し給ふには、 乃至一念するをもて大利无上の功徳との給へり。 ¬経¼ の大意、 これらの文にあきらかなるものなり。
・観経
◇次に ¬観経¼ には、 定善・散善をときて、 念仏をもて阿難に付属し給ふ。 「汝好持是語」 (観経) といえるはこれなり。
◇第九の真身観に、 「光明徧照、 十方世界、 念仏衆生、 摂取不捨」 (観経) といふ文あり。 済度衆生の願は平等にして差別ある事なけれども、 无縁の衆生は利益をかうぶる事あたはず。 このゆえに、 弥陀善逝、 平等の慈悲にもよほされて、 十方世界にあまねく光明をてらして、 一切衆生にことごとく縁をむすばしめんがために、 光明无量の願をたて給へり。 第十二の願これなり。
◇名号をもて因として、 衆生を引接し給ふ事を、 一切衆生にあまねくきかしめんがために、 第十七の願に 「十方世界の无量の諸仏、 ことごとく咨嗟して、 わが名を称せずといはゞ、 正覚をとらじ」 (大経巻上) といふ願をたて給ひて、 次に十八の願に 「乃至十念、 若不生者、 不取正覚」 (大経巻上) とたて給へり。
◇これによて、 釈迦如来この0404土にしてとき給ふがごとく、 十方にもおのおの恒河沙のほとけましまして、 おなじくこれをしめし給へるなり。
◇しかれば、 光明の縁はあまねく十方世界をてらしてもらす事なく、 又十方无量の諸仏みな名号を称讃し給へば、 きこえずといふところなし。 「我至成仏道、 名声超十方、 究竟靡所聞、 誓不成正覚」 (大経巻上) とちかひ給ひしは、 このゆえなり。
◇しかれば、 光明の縁と名号の因と和合せば、 摂取不捨の益をかうぶらん事うたがふべからず。
◇このゆえに、 ¬往生礼讃¼ の序にいはく、 「諸仏所証平等是一、 若以願行来収非无因縁。 然弥陀世尊、 本発深重誓願、 以光明・名号摂化十方」 といへり。
◇又この願ひさしく衆生を済度せんがために、 寿命无量の願をたて給へり。 第十三の願これなり。 総じては、 光明无量の願は、 横に一切衆生をひろく摂取せんがためなり。 寿命无量の願は、 竪に十方世界をひさしく利益せんがためなり。
◇かくのごとくの因縁和合すれば、 摂取の光明のなかに又化仏・菩薩ましまして、 この人を摂護して百重千重囲遶し給ふに、 信心いよいよ増長し、 衆苦ことごとく消滅す。
◇臨終の時、 ほとけみづから来迎し給ふに、 もろもろの邪業繋よくさふるものなし。 これは衆生のいのちおはる時にのぞみて、 百苦きたりせめて身心やすき事なく、 悪縁ほかにひき、 妄念うちにもよをして、 境界0405・自体・当生の三種の愛心きおひおこる。 第六天の魔王、 この時にあたりて威勢をおこして、 もてさまたげをなす。
◇かくのごときの種々のさはりをのぞかんがために、 かならず臨終の時にはみづから菩薩聖衆に囲繞せられて、 その人のまえに現ぜんとちかひ給へり。 第十九の願これ也。
◇これによて、 臨終の時いたれば、 ほとけ来迎し給ふ。 行者これを見たてまつりて、 心に歓喜をなして、 禅定にいるがごとくして、 たちまちに観音の蓮台に乗じて、 安養の宝池にいたる也。 これらの益あるがゆえに、 「念仏衆生摂取不捨」 (観経) といふなり。
◇又この ¬経¼ (観経) に 「具三心者必生彼国」 ととけり。 「三心」 といは、 一には至誠心、 二には深心、 三には廻向発願心なり。 三心はまちまちにわかれたりといへども、 要をとり詮をえらんでこれをいえば、 深心におさめたり。
◇善導和尚釈し給はく、 「至といは真なり、 誠といは実なり。 一切衆生の身口意業に修するところの解行、 かならず真実心のなかになすべき事をあかさんとす。 ほかに賢善精進の相を現じて、 うちに虚仮をいだく事をえざれ」 (散善義) といえり。
◇その 「解行」 といは、 罪悪生死の凡夫、 弥陀の本願によて、 十声・一声決定してむまると、 真実にさとりて行ずる、 これなり。 ほかには本願を信ずる相を現じ、 うちには疑心をいだく、 これは0406不真実の心なり。
○「深心はふかく信ずる心なり。 決定してふかく自身は現にこれ罪悪生死の凡夫なり、 広劫よりこのかたつねに流転して、 出離の縁なしと信じ、 決定してふかくこの阿弥陀如来は四十八願をもて衆生を摂取し給ふ事、 うたがひなくおもんぱかりなければ、 かの願力に乗じてさだめて往生する事をうと信ずべし」 (散善義) といへり。
◇はじめに、 まづ 「罪悪生死の凡夫、 広劫よりこのかた出離の縁ある事なしと信ぜよ」 といへるは、 これすなはち断善闡提のごとくなるもの也。 かゝる衆生の一念・十念すれば、 无始よりこのかた、 いまだいでざる生死の輪廻をいでゝ、 かの極楽世界の不退の国土にむまるといふによりて、 信心はおこるべきなり。
◇およそほとけの別願の不思議は、 たゞ心のはかるところにあらず、 仏と仏とのみよくしり給へり。 阿弥陀仏の名号をとなふるによて、 五逆・十悪ことごとくむまるといふ別願の不思議のちからまします、 たれかこれをうたがふべき。
◇善導の ¬疏¼ (散善義) にいはく、 「あるいは人ありて、 なんぢ衆生、 広劫よりこのかたおよび今生の身口意業に、 一切の凡聖の身のうゑにおいて、 つぶさに十悪・五逆・四重・謗法・闡提・破戒・破見等のつみをつくりて、 いまだのぞきつくす事あたはず。 しか0407も、 これらのつみは三界悪道に繋属す。 いかんぞ、 一生の修福念仏をもてすなはちかの无漏无生のくにゝいりて、 ながく不退のくらゐを証悟する事をえんやといはば、 いふべし。
◇諸仏の教行は、 かず塵沙にこへたり。 稟識の機縁、 随情ひとつにあらず。 たとへば世間の人のまなこに見つべく信じつべきがごときは、 明よく暗を破し、 空よく有をふくむ、 地よく載養し、 みづよく生潤し、 火よく成壊するがごとし。 かくのごときらの事、 ことごとく待対の法となづく。 すなはちみづから見るべし、 千差万別なり。 いかにいはんや、 仏法不思議のちから、 あに種々の益なからんや」 といへり。
◇極楽世界に水鳥・樹林の微妙の法をさやづるは不思議なれども、 これらはほとけの願力なればと信じて、 なんぞたゞ第十八の 「乃至十念」 (大経巻上) といふ願をのみうたがふべきや。
◇総じて仏説を信ぜば、 これも仏説なり。 花厳の三无差別、 般若の尽浄虚融、 法花の実相真如、 涅槃の悉有仏性、 たれか信ぜざらんや。 これも仏説なり、 かれも仏説なり。 いづれをか信じ、 いづれをか信ぜざらんや。
◇それ三字の名号はすくなしといへども、 如来所有の内証外用の功徳、 万億恒沙の甚深の法門を、 このうちにおさめたり。 たれかこれをはかるべきや。
◇¬疏¼ の 「玄義分」 (意) にこの名号を釈していはく、 「阿弥陀仏といは、 これ天竺0408の正音。 こゝには翻じて无量寿覚といふ。 无量寿といはこれ法、 覚といはこれ人。 人法ならべてあらはす。 かるがゆえに阿弥陀仏といふ。 人法といは所観の境也。 これについて依報あり、 正報あり」 といへり。
◇しかれば、 はじめ弥陀如来・観音・勢至・普賢・文殊・地蔵・龍樹より、 乃至かの土の菩薩・声聞等にいたるまでそなへ給へるところの事理の観行、 定恵の功力、 内証の智恵、 外用の功徳、 総じて万徳无漏の所証の法門、 みなことごとく三字のなかにおさまれり。 総じて極楽界にいづれの法門かもれたるところあらん。
◇しかるを、 この三字の名号をば、 諸宗おのおのわが宗に釈しいれたり。 真言には阿字本不生の義、 四十二字を出生せり。 一切の法は阿字をはなれたる事なきがゆえに、 功徳甚深の名号といえり。 天臺宗には空・仮・中の三諦、 正・了・縁の三義、 法・報・応の三身、 如来所有の功徳これをいでざるがゆえに、 功徳莫大なりといへり。 かくのごとく諸宗におのおのわが存ずるところの法について、 阿弥陀の三字を釈せり。
◇いまこの宗の心は、 真言の阿字本不生の義も、 天臺の三諦一理の法も、 三論の八不中道のむねも、 法相の五重唯心の心も、 総じて森羅の万法ひろくこれを摂すとならふ。 極楽世界にもれたる法門なきがゆえに。 たゞしいま弥陀の願の心は、 かくのごとくさとるに0409はあらず。 たゞふかく信心をいたしてとなふるものをむかえんとなり。
◇耆婆・扁鵲が万病をいやすくすりは、 もろもろの草・よろづのくすりをもて合薬せりといえども、 病者これをさとりて、 その薬種何分、 その薬草何両和合せりとしらず。 しかれども、 これを服するに万病ことごとくいゆるがごとし。 たゞしうらむらくは、 このくすりを信ぜずして、 わがやまひはきはめておもし、 いかゞこのくすりにてはいゆる事あらんとうたがひて服せずんば、 耆婆が医術も、 扁鵲が秘方も、 むなしくしてその益あるべからざるがごとく、 弥陀の名号もかくのごとし。
◇それ煩悩悪業のやまひ、 きわめておもし、 いかゞこの名号をとなえてむまるゝ事あらんとうたがひてこれを信ぜずは、 弥陀の誓願・釈尊の所説、 むなしくてそのしるしあるべからず。 たゞあふいで信ずべし、 良薬をえて服せずして死する事なかれ。 崑崙のやまにゆきてたまをとらずしてかえり、 栴檀のはやしにいりて枝をよぢずしていでなば、 後悔いかゞせん、 みづからよく思量すべし。
◇そもそもわれら広劫よりこのかた、 仏の出世にもあひけん、 菩薩の化導にもあひけん。 過去の諸仏も、 現在の如来も、 みなこれ宿世の父母なり、 多生の朋友なり。 かれはいかにして菩提を証し給へるぞ、 われはなにゝよて生死にはとゞまるぞ、 は0410づべしはづべし、 かなしむべしかなしむべし。
◇本師釈迦如来の、 大罪のやまにいりて、 邪見のはやしにかくれて、 三業放逸に六情全からざらん衆生を、 わが国土にはとりおきて教化度脱せしめんとちかひ給ひたりしは、 そもそもいかにしてかゝる衆生をば度脱せしめんとちかひ給ふぞとたづぬれば、 阿弥陀如来因位の時、 无上念王と申して菩提心をおこし、 生死を過度せしめむとちかひ給ひしに、 釈迦如来は宝海梵志と申して、 无上念王、 くにのくらゐをすてゝ菩提心をおこし、 摂取不捨の願をおこし給ひし時に、 この宝海梵志も願をおこして、 「われかならず穢土にして正覚をなりて、 罪業の衆生を引導せん」 (悲華経巻三本授記品意) とちかひ給ひて、 この願をおこし給ふ也。
◇広劫よりこのかた、 諸仏出世して、 縁にしたがひ、 機をはかりて、 おのおの衆生を化度し給ふ事、 かず塵沙にすぎたり。 あるいは大乗をとき小乗をとき、 あるいは実教をひろめ権教をひろむ。 有縁の機は、 みなことごとくその益をう。
◇こゝに釈尊、 八相成道を五濁悪世にとなえて、 放逸邪見の衆生の出離、 その期なきをあはれみて、 「これよりにしに極楽世界あり、 仏まします、 阿弥陀となづけたてまつる」 (小経意)。 このほとけは 「乃至十念、 若不生者、 不取正覚」 (大経巻上) とちかひ給ひて、 仏になり給へり。 すみやかに念ぜよ。 出離生死のみちお0411ほしといえども、 悪業煩悩の衆生の、 とく生死をはなるゝ事、 この門にすぎたるはなしとおしえて、 ゆめゆめうたがふ事なかれ。
◇「六方恒沙の諸仏も証誠し給ふなり」 (小経意) と、 ねんごろにおしへ給ひて、 「われもしひさしく穢土にあらば、 邪見・放逸の衆生、 われをそしりわれをそむきて、 かへりて悪道におちなん」 (法華経巻五寿量品意)。
◇濁世にいでたる事は、 本意たゞこの事を衆生にきかしめんがためなりとて、 阿難尊者に、 「なんぢよくこの事を遐代に流通せよ」 (散善義意) と、 ねんごろに約束しおきて、 跋提河のほとり、 沙羅林のもとにして、 八十の春の天、 二月十五の夜半に、 頭北面西にして滅度に入給ひき。 その時に、 日月ひかりをうしなひ、 草木いろを変じ、 龍神八部、 禽獣・鳥類にいたるまで、 天にあふぎてなき、 地にふしてさけぶ。
◇阿難・目連等のもろもろの大弟子等、 悲泣のなみだをおさへて、 あひ議していはく、 釈尊の恩になれたてまつりて八十の春秋をおくりき。 化縁こゝにつきて、 黄金のはだえ、 たちまちにへだゝり給ひぬ。 あるいはわれら世尊に問たてまつるに、 答へ給へる事もありき、 あるいは釈尊みづから告給ふ事もありき。 済度利生の方便、 いまはたれにむかひてか問たてまつるべき。
◇すべからく如来の御ことばをしるしおきて、 未来にもつたへ、 御かたみともせんといひて、 多羅葉を0412ひろいてことごとくこれをしるしおきしを、 三蔵たちこれを訳して唐土へわたし、 本朝へつたへ給ふ。 諸宗につかさどるところの一代聖教これ也。
◇しかるに阿弥陀如来、 善導和尚となのりて、 唐土にいでゝ、 「如来出現於五濁、 随機方便化群萌、 或説多聞而得度、 或説小解証三明、 或教福恵双除障、 或教禅念坐思量、 種種法門皆解脱、 无過念仏往西方、 上尽一形至十念、 三念五念仏来迎、 直為弥陀弘誓重、 教使凡夫念即生」 (法事讃巻下) との給へり。 釈尊出世本懐、 たゞこの事にありといふべし。
◇「自信教人信、 難中転更難、 大悲伝普化、 真成報仏恩」 (礼讃) といへば、 釈尊の恩を報ずるは、 これたれがためぞや、 ひとえにわれらがためにあらずや。 このたびむなしくてすぎなば、 出離いづれの時をか期せんとする。 すみやかに信心をおこして生死を過度すべし。
◇次に廻向発願心といは、 人ことに具しつべき事なり。 国土の快楽をきゝて、 たれかねがはざらんや。 そもそも、 かの国土に九品の差別あり、 われらいづれの品をか期すべき。 善導和尚の御心は、 「極楽弥陀は報仏・報土也。 未断惑の凡夫、 すべてむまるべからずといへども、 弥陀の別願不思議にて、 罪悪生死の凡夫、 一念・十念してむまる」 (玄義分意) と釈し給へり。
◇しかるを上古よりこのかた、 「おほく下0413品といふとも足ぬべし」 (和漢朗詠集) といひて、 上品をねがはず。 これは悪業のおもきをおそれて心を上品にかけざる也。 もしそれ悪業によらば、 総じて往生すべからず。 願力によてむまれば、 なんぞ上品にすゝまん事をかたしとせん。
◇総じては弥陀浄土をまうけ給事は、 願力の成就するゆえなり。 しかれば、 又念仏衆生のむまるべきくになり。 「乃至十念、 若不生者、 不取正覚」 (大経巻上) とたて給ひて、 この願によて感得し給ふところなるがゆえなり。
◇いま又 ¬観経¼ の九品の業をいはば、 下品は五逆・十悪の罪人、 臨終の時、 はじめて善知識のすゝめによて、 あるいは十声、 あるいは一声称念して、 むまるゝ事をえたり。 われら罪業おもしといへども、 五逆をばつくらず。 行業おろそかなりといへども、 一声・十声にすぎたり。 臨終よりさきに弥陀の誓願を聞得て、 随分に信心をいたす。 しかれば、 下品までくだるべからず。
◇中品は小乗の持戒の行者、 孝養、 仁・義・礼・智・信等の行人なり。 この品には中々にむまれがたし。 小乗の行人にもあらず、 たもちたる戒もなければ、 われらが分にあらず。
◇上品は大乗の凡夫、 菩提心等の行なり。 菩提心は諸宗おのおの心えたりといふ。 浄土宗の心は、 浄土にむまれんとねがふを菩提心といふ。 念仏これ大乗の行なり、 无上功徳なり。 しかれば、 上品往生は手をひく0414べからず。
◇又本願に 「乃至十念」 (大経巻上) とたて給ひて、 臨終現前の願に 「大衆と囲繞せられてその人のまえに現ぜん」 (大経巻上) とたて給へり。 中品は声聞衆の来迎、 下品は化仏の三尊、 あるいは金蓮花等の来迎なり。 しかるを大衆と囲繞して現ぜんとたて給へる本願の意趣は、 上品の来迎をまうけ給へり。 なんぞあながちにあひすまはんや。
◇又善導和尚、 「三万已上は上品上生の業」 (観念法門意) との給へり。 数遍によて上品にむまるべし。 又三心について九品あるべし。 信心によて上品にむまるべしとみえたり。 上品をねがふ事は、 わが身のためにはあらず。 かのくにゝむまれおはりて、 かえりてとく衆生を化せんがためなり。 これあにほとけの御心にかなはざらんや。
・阿弥陀経
◇次に ¬阿弥陀経¼ は、 まづ極楽の依正の功徳をとく。 これ衆生の願楽の心をすゝめんがためなり。
◇のちに往生の行をあかすに、 「少善根をもてはむまるゝ事をうべからず。 阿弥陀仏の名号を執持して、 一日七日すれば往生する事をう」 (小経意) とあかせり。
◇衆生これを信ぜざらん事をおそれて、 六方におのおの恒河沙の諸仏ましまして、 大千の舌相をのべて証誠し給へり。 善導釈していはく、 「この証によてむまるゝ事をえずは、 六方如来のゝべ給へるした、 ひとたびくちよりいでをはりて0415、 ながくくちに返りいらずして、 自然に壊爛せん」 (観念法門) との給へり。
◇しかれば、 これをうたがはんものは、 弥陀の本願をうたがふのみにあらず、 釈尊の所説をうたがふなり。 釈尊の所説をうたがふは、 六方恒沙の諸仏の所説をうたがふなり。 すなはちこれ大千にのべ給へる舌相を壊爛する也。
◇もし又これを信ぜば、 たゞ弥陀の本願を信ずるのみにあらず、 釈尊の所説を信ずるなり。 釈尊の所説を信ずるは、 六方恒沙の諸仏の所説を信ずる也。 一切の諸仏を信ずるは、 一切の法を信ずるになる。 一切の法を信ずるは、 一切の菩薩を信ずるになる。
◇この信ひろくして広大の信心なり。 善導和尚のいはく、 「▲為断凡夫疑見執、 皆舒舌相覆三千、 共証七日称名号、 又表釈迦言説真」 (法事讃巻下)。 「▲六方如来舒舌証、 専称名号至西方、 到彼花開聞妙法、 十地願行自然彰」 (礼讃)。 「▲心々念仏莫生疑、 六方如来証不虚、 三業専心无雑乱、 百宝蓮花応時現。」 (法事讃巻下) 文 ▽