(926)、三昧発得記

しやうにんざいしやうときちゆ したまへりシルシタマヘリこれ ぐわいけんにおよばざれ、 ざうすべしと
 御生年おむとしろくじふいうろく うしとしなり

建久けんきうねん正月しやうぐわち一日ついたちシルスナリ

一日ついたち桜梅やまもゝ法橋ほふけう教慶けうけいのもとよりかへりたまひてのち、 ひつじさるときばかり、 恒例こうれい正月しやうぐわち七日しちにち念仏ねむぶちぎやうせしめたまふ。 一日ついたちみやうさうすこしこれをげんじたまふ、 ねんにあきらかなりと 云云

二日ふつか水想しゐさうくわんねんにこれをじやうじゆしたまふ 云云 そうじて念仏ねむぶちしちにちうちに、 さうくわんなか瑠璃るりさう少分せうぶんこれをみたまふと。

ぐわち四日よっかあした瑠璃るりぶんみやうげんじたまふと

六日むいか後夜ごや瑠璃るり殿でんさうこれをげんずと

七日なのかあしたにまたかさねてこれをげんず。 すなわちこの殿でんをもて、 そのさう影現やうげんしたまふ。

そうじて水想しゐさうさう宝樹ほうじゆほう宝殿ほうでんいつゝくわんはじめ正月しやうぐわち一日ついたちよりぐわち七日なのかにいたるまで、 三十さんじふしちにちのあひだ毎日まいにち七万しちまん念仏ねむぶち退たいにこれをつ0927とめたまふ。 これによて、 これらのさうげんずとのたまへり。

はじめぐわち廿にじふにちより、 あかきところにしてをひらく。 眼根げんこんよりあかきふくろ瑠璃るりつぼ出生しゆつしやうす、 これをみる。 そのまへにして、 とぢてこれをみる。 ひらけすなわちうすのたまへり。

ぐわち廿にじふ八日はちにちやまうによて念仏ねむぶちこれを退たいす。 一万ゐちまんべんあるいはまんみぎまなこにそのゝち光明くわうみやうあり、 はなだなり。 またひかりあり、 はしあかし。 またまなこ琉璃るりあり、 そのかたち瑠璃るりつぼのごとし。 琉璃るりあかきはなあり、 ほうぎやうのごとし。 またいりてのちいでゝみれば、 はうみなはうごとにあかくあおき宝樹ほうじゆあり。 そのたかささだまりなし、 かうこゝろにしたがふて、 あるいは四五しごぢやう、 あるいは三十さんじふぢやう

はちぐわち一日ついたちもとのごとく、 六万ろくまんべんこれをはじむ。 ぐわち廿にじふにちあしたに、 さうぶんみやうげんず、 しゆメグリ 七八しちはちだんばかり。 そのゝち廿にじふ三日さんにち後夜ごやならびにあしたにまたぶんみやうにこれをげん ずと 云々

しやうねんぐわちのころ、 さうとういつゝくわんぎやうぢゆぐわこゝろにしたがふて、 任運にむうんにこれをげんずと 云々

建仁けんにんぐわんねんぐわち八日やうか後夜ごやに、 とりのこゑをきく、 またことのおとをきく、 ふゑのお0928とらをきく。 そのゝち、 にしたがふてざいにこれをきく、 しやうのおとらこれをきく。 さまざまのおと。

正月しやうぐわち五日いつかさんせいさちおむうしろに、 ぢやうろくばかりのせい面像めんざうげんぜり。 これをもてこれをすいする、 西にしぶちだうにてせいさちぎやうざうよりぢやうろくめんしゆつげんせり。 これすなわちこれをすいするに、 このさちすでにもて、 念仏ねむびち法門ほふもんしよしようのためのゆへに、 いま念仏ねむぶちしやのためにそのかたちをげんしたまへり、 これをうたがふべからず。

おなじ六日むいか、 はじめてしよヰドコロよりはう一段ゐちだんばかり、 しやうアオキ瑠璃るりなりと 云々いまにおいては、 経釈きやうしやくによてわうじやううたがひなしと。 くわんもんにこゝろうるに、 うたがひなしといへるがゆへにといへり。 これをおもふべし。

建仁けんにんねんじふぐわち廿にじふ八日はちにちたかはたけせうしやうきたれり。 ぶちだうにしてこれにえちす。 そのあひだれいのごとく念仏ねむぶちしゆしたまふ。 弥陀みだぶちをみまいらせてのち、 しやうよりすきとほりてほとけ面像めんざうげんじたまふ、 おほきさぢやうろくのごとし。 仏面ぶちめんすなわちまたかくれたまひおわり 廿にじふ八日はちにち午時むまときことなり

ぐゑんきう三年さんねん正月しやうぐわち四日よっか念仏ねむぶちのあひだ三尊さんぞん大身だいしんげんじたまふ。 また五日いつか三尊さんぞん大身だいしんげんじたまふ。

しやう0929にんのみづからのもんなり。