三(926)、三昧発得記
▲聖人御在生之時記↢註 シルシタマヘリ之↡ 外見におよばざれ、 秘蔵すべしと。
御生年六十有六 丑◗年也。
○建久九年正月一日記。シルスナリ
◇一日、 桜梅の法橋教慶のもとよりかへりたまひてのち、 未申の時ばかり、 恒例正月七日念仏始行せしめたまふ。 一日、 明相少これを現じたまふ、 自然にあきらかなりと 云云。
◇二日、 水想観自然にこれを成就したまふ 云云。 総じて念仏七箇日の内に、 地想観の中に瑠璃の相少分これをみたまふと。
◇二月四日の朝、 瑠璃地分明に現じたまふと 云。
◇六日、 後夜に瑠璃の宮殿の相これを現ずと 云。
◇七日、 朝にまたかさねてこれを現ず。 すなわちこの宮殿をもて、 その相影現したまふ。
◇総じて水想・地想・宝樹・宝池・宝殿の五の観、 始正月一日より二月七日にいたるまで、 三十七箇日のあひだ毎日七万念仏、 不退にこれをつ0927とめたまふ。 これによて、 これらの相を現ずとのたまへり。
◇始二月廿五日より、 あかきところにして目をひらく。 眼根より赤袋瑠璃の壷◗を出生す、 これをみる。 そのまへにして、 目を閉てこれをみる。 目を開◗すなわち失と云り。
◇二月廿八日、 病によて念仏これを退す。 一万返あるいは二万、 右◗眼にそのゝち光明あり、 はなだなり。 また光あり、 はしあかし。 また眼に琉璃あり、 その形瑠璃の壷のごとし。 琉璃に赤花あり、 宝形のごとし。 また日入てのちいでゝみれば、 四方みな方ごとに赤青宝樹あり。 その高さだまりなし、 高下こゝろにしたがふて、 あるいは四五丈、 あるいは二三十丈と 云。
◇八月一日、 本のごとく、 六万返これをはじむ。 九月廿二日の朝に、 地想分明に現ず、 周メグ囲リ 七八段ばかり。 そのゝち廿三日の後夜ならびに朝にまた分明にこれを現 云々。
◇正治二年二月のころ、 地想等の五の観、 行住座臥こゝろにしたがふて、 任運にこれを現ずと 云々。
◇建仁元年二月八日の後夜に、 鳥のこゑをきく、 またことのおとをきく、 ふゑのお0928とらをきく。 そのゝち、 日にしたがふて自在にこれをきく、 しやうのおとらこれをきく。 さまざまのおと。
◇正月五日、 三度勢至菩薩の御うしろに、 丈六ばかりの勢至の御面像現ぜり。 これをもてこれを推する、 西の持仏堂にて勢至菩薩の形像より丈六の面を出現せり。 これすなわちこれを推するに、 この菩薩すでにもて、 念仏法門の所証のためのゆへに、 いま念仏者のためにそのかたちを示現したまへり、 これをうたがふべからず。
◇同◗六日、 はじめて座処ヰドコロより四方一段ばかり、 青アオキ瑠璃の地なりと 云々。 今においては、 経釈によて往生うたがひなしと。 ▲地観の文にこゝろうるに、 うたがひなしといへるがゆへにといへり。 これをおもふべし。
◇建仁二年十二月廿八日、 高畠◗小将きたれり。 持仏堂にしてこれに謁す。 そのあひだ例のごとく念仏を修したまふ。 阿弥陀仏をみまいらせてのち、 障子よりすきとほりて仏の面像を現じたまふ、 大丈六のごとし。 仏面すなわちまた隠たまひ了。 廿八日午時の事也。
◇元久三年正月四日、 念仏のあひだ三尊大身を現じたまふ。 また五日、 三尊大身を現じたまふ。
聖0929人のみづからの御記文なり。▽