(929)、法然聖人御夢想記

法然ほふねんしやうにんさう 善導ぜんだう御事おむこと

あるゆめにみらく、 ひとつ大山だいせんあり、 そのみねきわめてたか 南北なむぼくながくとおし、 西方さいはうにむかへり。 やまたいあり、 かたわらやまよりいでたり、 きたながれたり。 みなみ河原かわら眇眇べうべうとしてその辺際へんざいをしらず、 林樹りむじゆ滋滋しげしげとしてそのかぎりをしらず。

こゝにぐゑん、 たちまちに山腹さんぷくヤマノハラ のぼりてはるかに西方さいはうをみれば、 よりじやうじふしやくばかりかみのぼりて、 ちうにひとむらのうんあり。 以為おもへらくいづれところわうじやうにんのあるぞ。 こゝにうんとびきたりて、 わがところにいたる。

希有けうのおもひをなすところに、 すなわちうんなかよりじやくあうとう衆鳥しゆてうとびいでゝ、 河原かわら遊戯ゆげす、アソビタワブル いさごをほりはまたわぶ これらのとりをみれば、 凡鳥ぼむてうにあらず、 よりひかりをはなちて、 照曜せうえうきはまりなし。 そののちとびのぼりて、 もとのごとくうんなかいりおわり

こゝにこのうん、 このところにぢゆせず、 このところをすぎてきたにむかふて、 さんにかくれおわり また以為おもへらくやまひむがしわうじやうにんのあるに。 かくのごとくゆいするあひだ、 しゆにかへりきたりてわがまへ0930ぢゆす。

このうんなかより、 くろくそめたるころもきたるそう一人ゐちにんとびくだりて、 わがたちたるところのしも住立ぢゆりふす。 われすなわちぎやうのためにあゆみおりて、 そうあしのしもにたちたり。 このそう瞻仰せむがうすれば、 しんじやうなかば肉身にくしん、 すなわちそうぎやうなりよりしもなかば金色こむじきなり、 仏身ぶちしんのごとくなり

こゝにぐゑんがふしやうていしてとふてまふさく、 これ誰人たれびときたりたまふぞと。 こたえいは われはこれ善導ぜんだうなりと。

またとふてまふさく、 なにのゆへにきたりたまふぞ。 またこたえのたまは ワレせうなりといゑども、 よく専修せんじゆ念仏ねむぶちのことをまふ はなはだもてたうとしとす。 ためのゆへにもてきたれなり

またとふてまふさ 専修せんじゆ念仏ねむぶちひと、 みなもてわうじやう いまだそのたうをうけたまはらざるあひだに、 忽然こつねんとしてゆめさめおわり