一〇(959)、源空聖人私日記
▲源空聖人私日記
それおもひみれば、 俗姓は美作◗国の廳官漆間◗時国の息なり。 同じ国の久米◗南条稲岡◗庄は誕生の地なり。 *長承二年 癸◗丑 聖人はじめて胎内出でたまふし時、 両の幡天よりして降る。 奇異の瑞相なり。 権化の再誕なり。 見る者掌を合せ、 聞く者耳を驚すと 云云。
夫以、俗姓者美作国廳官漆間時国之息。同国の久米南条稲岡庄誕生之地也。長承二年 癸丑 聖人始出↢胎内↡之時、両幡自↠天而降。奇異之瑞相也。権化之再誕也。見者合↠掌、聞者驚↠耳 云云。
*保延七年 辛◗酉 春の比、 慈父夜打の為に殺害せられ畢りぬ。 聖人生年九歳にして、 破矯小箭をもて凶敵の目の間を射る。 件の疵をもてその敵を知る、 すなわちその庄の預所明石◗源内武者なり。 これによて逃げ隠れ畢りぬ。 その時聖人、 同き国の内の菩提寺の院主観覚得業の弟子と成りたまふ。
保延七年 辛酉 春比、慈父為↢夜打↡被↢殺害↡畢。聖人生年九歳、以↢破矯小箭↡射↢凶敵之目間↡。以↢件疵↡知↢其敵↡、即其庄預所明石源内武者也。因↠茲逃隠畢。其時聖人、同国内菩提寺院主観覚得業之弟子成給。
天養二年 乙◗丑 はじめて登山の時、 得業観覚状に云く、 大聖文殊の像一体を進上すと。 源覚西塔の北谷持法房の禅下、 得業の消息見たまふて奇みたまふに小児来れり、 聖人十三の歳なり。
天養二年 乙丑 初登山之時、得業観覚状云、進↢上大聖文殊像一体↡。源覚西塔北谷持法房禅下、得業の消息見給奇給小児来、聖人十三歳也。
しかふして後十七歳にて天台の六十巻これを読み始む。
然後○十七歳天臺六十巻読↢始之↡。
久0960安六年 庚午 十八歳にはじめて師匠暇を乞請して遁世せむとす。
久安六年 庚午 ○十八歳始師匠乞↢請暇↡遁世。
法華修行の時は普賢菩薩眼前に拝したてまつる、 ¬華厳¼ 披覧の時蛇出で来る。 信空上人これを見て怖れ驚きたまふ。 その夜の夢にみらく、 われはこの聖人夜経論見たまふに、 灯明なしといゑども室の内に光あて昼のごとし。 信空 法蓮房なり、 聖人の同法 同くその光を見らる。 真言教を修せむとして道場に入りて五相成身の観を観ず、 行これを顕す。
法華修行之時普賢菩薩眼前奉↠拝、¬華厳¼ 披覧之時蛇出来。信空上人見↠之怖驚給。其夜夢、我者此聖人夜経論見、雖↠無↢灯明↡室内有↠光如↠昼。信空 法蓮房也、聖人之同法 同見↢其光↡。修↢真言教↡入↢道場↡観↢五相成身之観↡、行顕↠之。
上西門院にして説戒七箇日の間、 小蛇来りて聴聞す。 第七日に当りて唐垣の上にしてその蛇死ゝ畢りぬ。 時に人人あて見るやう、 その頭破れて中よりあるいは天人と登るを見る、 あるいは蝶出づと見る。 説戒聴聞のゆへに、 蛇道の報を離れて直に天上に生ずるか。
於↢上西門院↡説戒七箇日之間、小蛇来聴聞。当↢第七日↡於↢唐垣上↡其蛇死畢。于↠時有↢人人↡見様、其頭破中或見↢天人登↡、或見↢蝶出↡。説戒聴聞之故、離↢蛇道之報↡直生↢天上↡歟。
高倉◗天皇◗御宇に戒を得たまひき。 その戒の相承、 南岳大師より伝るところ今に絶えず、 世間流布の戒これなり。 聖人所学の宗宗の師匠四人、 還て弟子に成り畢りぬ。
高倉天皇御宇得↠戒。其戒之相承、自↢南岳大師↡所↠伝于↠今不↠絶、世間流布之戒是也。聖人所学之宗宗師匠四人、還成↢弟子↡畢。
誠に大巻の書なりといゑども三反これを披見する時、 文においては明明にして暗からず、 義また分明なり。 しかりといゑども廿余の功をもて、 一宗の大綱を知ることあたはず。
誠○雖↢大巻書↡三反披↢見之↡時、於↠文者明明不↠暗、義又分明也。雖↠然以↢廿余之功↡、不↠能↠知↢一宗之大綱↡。
しかふして後諸宗の教相を窺ふ、 顕密の奥旨を悟る。 八宗の外に仏心・達磨等の宗の玄旨に明なり。
◇然後窺↢諸宗之教相↡、悟↢顕密之奥旨↡。八宗之外明↢仏心・達磨等宗之玄旨↡。
こゝに醍醐寺の三論宗の先達、 聖人その所に往て意趣を述す。 先達総て言はずして座を起ち、 内に入りて文函十余合を取り出して云く、 わが法門においては余の念なく、 永くなんぢに付属せしむと 云云。 この上称美讃嘆するに羅縷するに遑あらず。
爰○醍醐寺三論宗之先達、聖人往↠于↢其所↡述↢意趣↡。先達総不↠言起↠座、入↠内取↢出文函十余合↡云、於↢我法門↡者無↢余念↡、永令↣付↢属于↟汝 云云。此上称美讃嘆不↠遑↢羅縷↡。
また蔵俊僧都に値ふて法相の法門を談ぜし時、 蔵俊云く、 なんぢまさに直人にあらず、 権者の化現なり。 智0961慧深遠なること形相炳焉なり。 われ一期の間供養を致すべき旨契約せりき。 よて毎年に供養物を贈る、 懇志を致す。 すでに本意を遂げ了ぬ。
○又値↢蔵俊僧都↡而談↢法相法門↡之時、蔵俊云く、汝方非↢直人↡、権者之化現也。智慧深遠形相炳焉也。我一期之間可↠致↢供養↡之旨契約。仍毎年贈↢供養物↡、致↢懇志↡。已遂↢本意↡了。
宗の長者、 教の先達、 随喜信伏せざるはなし。
◇宗之長者、教之先達、無↠不↢随喜信伏↡。
すべて本朝に渡るところの聖教乃至伝記・目録、 みな一見を加へられ了ぬ。 しかりといゑども出離の道に煩いて身心安からず。
◇総本朝所↠渡之聖教乃至伝記・目録、皆被↠加↢一見↡了。雖↠然煩↢出離之道↡身心不↠安。
そもそもはじめ曇鸞・道綽・善導・懐感の御作より楞厳の先徳の ¬往生要集¼ に至るまで、 奥旨を窺ふこと二反すといゑども、 拝見せし時は往生なほ易からず。 第三反の時、 乱想の凡夫は称名の一行にしかず、 これすなわち濁世の我等が依怙なり。 末代衆生の出離開悟せしめ訖ぬ。 いはむや自身の得脱においてをや。
◇抑始自↢曇鸞・道綽・善導・懐感御作↡至↠于↢楞厳先徳 ¬往生要集¼↡、○雖↧窺↢奥旨↡二反↥、拝見之時者往生猶不↠易。第三反之時、乱想之凡夫不↠如↢称名之一行↡、是則濁世我等依怙。末代衆生之出離令↢開悟↡訖。況於↢自身得脱↡乎。
しかればすなわち世の為人の為この行を弘通せしめむと欲ふといゑども、 時機量りがたし、 感応知りがたし。 つらつらこの事を思ひ、 しばらく伏して寝る処に夢想を示す。 ▼紫雲広くおほきに聳きて日本国に覆へり。 雲の中より无量の光を出す、 光の中より百宝色の鳥飛び散じて、 虚空に充満せり。 時に高山に登りてたちまちに生身の善導を拝めば、 御腰より下は金色なり、 御腰より上は常のごとし。 高僧の云く、 なんぢ不肖の身なりといゑども、 念仏興行一天に満り。 称名専修衆生に及さむがゆへに、 われここに来れり。 善導すなわちわれなりと 云云。
◇然則為↠世為↠人雖↠欲↠令↣弘↢通此行↡、時機難↠量、感応難↠知。倩思↢此事↡、暫伏寝之処示↢夢想↡。紫雲広大聳覆↢日本国↡。自↢雲中↡出↢无量光↡、自↢光中↡百宝色鳥飛散、充↢満虚空↡。于↠時登↢高山↡忽拝↢生身之善導↡、自↢御腰↡下者金色也、自↢御腰↡上者如↠常。高僧云、汝雖↠為↢不肖之身↡、念仏興行満↠于↢一天↡。称名専修及↠于↢衆生↡之故、我来↠于↠此。善導即我也 云云。
これによてこの法を弘む。 年年次第に繁昌せむ、 流布せざる所なけむと。
◇因↠茲弘↢此法↡。年年次第繁昌、無↧不↢流布↡之所↥。
聖人云く、 わが師肥後◗阿闍梨の云く、 人智慧深遠なり。 しかるにつらつら自身の分際を計るに、 この度生死を出離すべからずと。 もし度度生を替へ生を隔つ、 すなわち妄妄たるがゆへにさだめて仏法を妄ぜるか。 長命の報を受けむにしか0962ずは、 慈尊の出世に値ひたてまつらむと欲ふ。 これに依てわれまさに大蛇の身を受けむと。 たゞし大海に住せば、 中夭あるべし。
聖人云、○我師肥後阿闍梨云、人智慧深遠也。然倩計↢自身分際↡、此度不↠可↣出↢離生死↡。若度度替↠生隔↠生、即妄妄故定妄↢仏法↡歟。不↠如↠受↢長命之報↡、欲↠奉↠値↢慈尊之出世↡。依↠之我将↠受↢大蛇身↡。但住↢大海↡者、可↠有↢中夭↡。
かくのごとく思ひ定めて、 遠江◗国笠原◗庄の内に桜池といふ所を、 領家の放文を取て、 この池に住せむと誓願し了ぬ。 その後死期の時に至て、 水を乞ふて掌の中に入れて死し了ぬ。 しかるにかの池、 風吹かざるに浪にわかに立て、 池の中の塵ことごとく払ひ上ぐ。 諸人これを見て、 すなわちこの由を注して領家に触れ申す。 その日時を期す、 かの阿闍梨逝去の日に当れり。
◇如↠此思定、遠江国笠原庄内桜池云所、取↢領家之放文↡、住↢此池↡誓願了。其後至↠于↢死期時↡、乞↠水入↢掌中↡死了。而彼池、風不↠吹浪俄立、池中塵悉払上。諸人見↠之、即注↢此由↡触↢申領家↡。期↢其日時↡、彼阿闍梨当↢逝去日↡。
このゆへに智慧あるがゆへに生死を出でがたきことを知る、 道心あるがゆへに仏の出世に値はむと願ずるところなり。 しかりといゑどもいまだ浄土法門を知らざるがゆへに、 かくのごとき悪願を発す。
◇所以有↢智慧↡故知↠難↠出↢生死↡、有↢道心↡之故値↢仏之出世↡所↠願也。雖↠然未↠知↢浄土法門之↡故、如↠此発↢悪願↡。
われその時、 もしこの法尋ね得たらば、 信不信を顧みずこの法門申さまし。 しかるに聖道の法においては、 道心あらば遠生の縁を期し、 道心なくはしかしながら名利に住せむ。 自力をもてたやすく生死を厭ふべき者は、 これ帰依の証を得ざるなり 云云。
◇我其時、若此法尋得、不↠顧↢信不信↡此法門申。而於↢聖道法↡者、有↢道心↡者期↢遠生之縁↡、無↢道心↡者併住↢名利↡。以↢自力↡輒可↠厭↢生死↡之者、是不↠得↢帰依之証↡也 云云。
また聖人年来経論を開く時、 釈迦如来、 罪悪生死の凡夫弥陀称名の行に依て極楽に往生すべしと弘くこれを説きたまふ。 教文を勘へ得て、 今念仏三昧を修し浄土宗を立つ。 その時南都・北嶺の碩学達、 ともに誹謗嘲哢すること極なし。
又聖人年来開↢経論↡之時、釈迦如来、罪悪生死凡夫依↢弥陀称名之行↡可↣往↢生極楽↡弘説↢給之↡。勘↢得教文↡、今修↢念仏三昧↡立↢浄土宗↡。其時南都・北嶺碩学達、共誹謗嘲哢無↠極。
しかる間*文治二年の比、 天台座主中納言◗法印顕真、 娑婆を厭ひ極楽を忻ふて、 大原山に篭居して念仏門に入れり。 その時の弟子相模◗公と申すが云く、 法然聖人浄土の宗義を立す、 尋ね聞しめすべしと。 顕真云く、 もともしかるべしと 云云。 たゞわれ一人のみ聴聞すべからず、 処処の智者請じ集め定め了てかの大原の龍禅寺に集会して以後、 法0963然聖人これを請ず。 左右なく来臨し了ぬ。 顕真喜悦極なし。 集会の人々、
然間文治二年之比、天臺座主中納言法印顕真、厭↢娑婆↡忻↢極楽↡、篭↢居大原山↡入↢念仏門↡。其時弟子相模公申云、法然聖人立↢浄土宗義↡、可↢尋聞食↡。顕真云、尤可↠然 云云。但我一人不↠可↢聴聞↡、処処智者請集定了而彼大原龍禅寺集会以後、法然聖人請↠之。無↢左右↡来臨了。顕真喜悦無↠極。集会之人々、
光明山◗僧都明徧 | 東大寺三輪宗◗長者なり |
笠置寺◗解脱上人 | 侍従◗已講貞慶、 法相宗◗人也 |
大原山◗本成坊 | 此人人問者也 |
東大寺◗勧進上人修乗坊 | 重源 |
嵯峨◗往生院念仏坊 | 天臺宗◗人也 |
大原◗来迎院明定坊蓮慶 | 天臺宗◗人 |
菩提山長尾◗蓮光坊 | 東大寺◗人 |
法印大僧都智海 | 天臺山東塔西谷林泉坊 |
法印権大僧都証真 | 天臺山東塔東谷宝地坊 |
聴衆凡三百余人也。 |
その時聖人浄土の宗義、 念仏の功徳、 弥陀本願の旨、 明明にこれを説きたまふ。 その時云く、 口に定めらる本成坊、 黙然として信伏し了ぬ。 集会の人人ことごとく歓喜の涙を流す、 ひとへに帰伏す。 その時よりかの聖人念仏宗興盛なり。 法蔵比丘の昔より弥陀如来の今に至るまで、 本願の趣、 往生の子細昧からず。 説きたまふ時、 三百余人、 一人として聖道・浄土の教文を疑ふことなし。 玄0964旨これを説きたまふし時、 人人はじめて虚空に向うて言語を出す人なし。 集会の人人云く、 ▼形を見れば源空聖人、 実は弥陀如来の応跡かを定め了ぬ。 よて集会の験とて、 件の寺にして三昼夜の不断念仏勤行了ぬ。 結願の朝、 顕真 ¬法華経¼ の文字の員数について、 一人別に阿弥陀仏の名を付よと、 かの大仏の上人を教訓す。 その時より南无阿弥陀仏の名付きたまへり了ぬ。
其時聖人浄土宗義、念仏功徳、弥陀本願之旨、明明説↠之。其時云、口被↠定本成坊、黙然而信伏了。集会人人悉流↢歓喜之涙↡、偏帰伏。自↢其時↡彼聖人念仏宗興盛也。自↢法蔵比丘之昔↡至↢弥陀如来之今↡、本願之趣、往生之子細不↠昧。説給之時、三百余人、一人無↠疑↢聖道・浄土教文↡。玄旨説↠之時、人人始向↢虚空↡無↧出↢言語↡之人↥。集会人人云、↠見形者源空聖人、実者弥陀如来応跡歟定了。仍集会之験、於↢件寺↡三昼夜不断念仏勤行了。結願之朝、顕真付↢ ¬法華経¼ 之文字員数↡、一人別阿弥陀仏名付、彼教↢訓大仏上人↡。自↢其時↡南无阿弥陀仏之名付給了。
高倉◗院の御宇に*安元元年 乙◗未 聖人の齢四十三よりはじめて浄土門に入りて閑に浄土を観じたまふに、 初夜に宝樹現ず、 次の夜瑠璃の地を示す、 後夜は宮殿これを拝す。 阿弥陀の三尊常に来至したまふなり。 また霊山寺にして三七日不断念仏の間、 灯明なきに光明あり。 第五夜に勢至菩薩行道し同烈して立ちたまふ。 ある人夢のごとくにこれを拝したてまつる。 聖人の曰はく、 猿事は侍るらむや。 余人さらに拝見にあたはず。
高倉院御宇安元元年 乙未 聖人齢自↢四十三↡始入↢浄土門↡閑観↢浄土↡給、初夜宝樹現、次夜示↢瑠璃地↡、後夜者宮殿拝↠之。阿弥陀三尊常来至也。又霊山寺三七日不断念仏之間、無↢灯明↡有↢光明↡。第五夜勢至菩薩行道同烈立給。或人如↠夢奉↠拝↠之。聖人曰、猿事侍覧。余人更不↠能↢拝見↡。
月輪◗禅定殿下 兼実カネザネ 御法名円照、 帰依甚深なり。 ある日聖人月輪殿に参上したまふ。 退出の時、 地より上高く蓮華を踏みて歩みたまふ。 頭光赫奕なり、 凡は勢至菩薩の化身なりと。
月輪禅定殿下 兼実 御法名円照、帰依甚深也。或日聖人参↢上月輪殿↡。退出之時、自↠地上高踏↢蓮華↡而歩。頭光赫奕、凡者勢至菩薩化身也。
かくのごときの善因しからしむるに業果これ新なる処に、 南北の碩徳、 顕密の法灯、 あるいはわが宗を謗ずと号し、 あるいは聖道を嫉むと称す。 事を左右に寄せて、 咎を縦横に求む。 ややもすれば天聴を驚かし門徒に諷諌する間、 不慮の外にたちまちに勅勘を蒙りて流刑に行はれ了ぬ。
如↠此善因令↠然業果惟新之処、南北之碩徳、顕密之法灯、或号↠謗↢我宗↡、或称↠嫉↢聖道↡。寄↣事於↢左右↡、求↣咎於↢縦横↡。動驚↢天聴↡諷↢諌門徒↡之間、不慮之外忽蒙↢勅勘↡被↠行↢流刑↡了。
しかりといゑども程なく帰洛了ぬ。 権中納言藤原◗朝臣光親、 奉行として勅免の宣旨を下さる。 去ぬる建暦元年十一月廿日、 帰洛して居を東山大谷の別業を卜めて、 鎮に西方浄土の迎接を待つ。
▲雖↠然無↠程帰洛了。権中納言藤原朝臣光親、為↢奉行↡被↠下↢勅免之宣旨↡。去建暦元年十一月廿日、帰洛居卜↢東山大谷之別業↡、鎮待↢西方浄土之迎接↡。
同き三年正0965月三日、 老病空に蒙昧の臻を期す。 待つところ憑むところまことに悦しきかな、 高声念仏不退なり。 ある時聖人弟子にあひ語て云く、 われ昔天竺にあて、 声聞僧に交りて常に頭陀を行じき。 本はこれ極楽世界にあり、 今日本国に来りて天台宗を学ぶ、 また念仏を勧む。 身心苦痛なし、 蒙昧たちまちに分明なり。
同三年正月三日、老病空期↢蒙昧之臻↡。所↠待所↠憑寔悦哉、高声念仏不退也。或時聖人相↢語弟子↡云、我昔有↢天竺↡、交↢声聞僧↡常行↢頭陀↡。本者是有↢極楽世界↡、今来↠于↢日本国↡学↢天臺宗↡、又勧↢念仏↡。身心無↢苦痛↡、蒙昧忽分明。
十一日辰◗時に、 端座し合掌して念仏絶えず。 すなわち弟子に告げて云く、 高声念仏おのおの唱ふべしと。 観音・勢至菩薩・聖衆、 現じてこの前にいます、 ¬阿弥陀経¼ の所説のごとし。 随喜の涙を雨る、 渇仰肝に融る。 尽虚空界の荘厳は眼に遮り、 転妙法輪の音声は耳に満てり。
十一日辰時、端座合掌念仏不↠絶。即告↢弟子↡云、高声念仏各可↠唱。観音・勢至菩薩・聖衆、現在↢此前↡、如↢ ¬阿弥陀経¼ 所説↡。随喜雨↠涙、渇仰融↠肝。尽虚空界之荘厳遮↠眼、転妙法輪之音声満↠耳。
同き廿日に至るまで、 紫雲上方に聳き、 円円の雲その中に鮮なり、 図絵の仏像のごとし。 道俗貴賎、 遠近緇素、 見る者感涙を流す、 聞く者奇異を成す。
至↠于↢同廿日↡、紫雲聳↢上方↡、円円雲鮮↢其中↡、如↢図絵仏像↡。道俗貴賎、遠近緇素、見者流↢感涙↡、聞者成↢奇異↡。
同き日未◗時、 目を挙げ掌を合せて、 東方より西方を見る事五六度、 弟子奇みて問ふて云く、 仏来迎したまふかと。 聖人答えて云く、 しかなりと。
同日未時、挙↠目合↠掌、自↢東方↡見↢西方↡事五六度、弟子奇而問云、仏来迎たまふ歟。聖人答云、然也。
廿三、 四日紫雲罷まず、 いよいよ広くおほきに聳く。 西山の炭売の老翁、 薪を荷ふ樵夫、 大小老若これを見る。
廿三、四日紫雲不↠罷、弥広大聳。西山売↠炭老翁、荷↠薪樵夫、大小老オイタル若見↠ワカキモノ之。
廿五日午◗時許に、 行儀違はず、 念仏の声やうやく弱し、 見仏の眼眠るがごとし。 紫雲空に聳く、 遠近の人人来り集る、 異香室に薫ず。 見聞の諸人仰で信ず。 臨終すでに到りて、 慈覚大師の九条の袈裟これを懸けて西方に向ふて唱へて云く、 「一一光明遍照十方世界、 念仏衆生摂取不捨」 (観経) と 云云。 停午の正中なり。
廿五日午時許、行儀不↠違、念仏之声漸弱、見仏之眼如↠眠。紫雲聳↠空、遠近の人人来集、異香薫↠室。見聞之諸人仰信。臨終已到、慈覚大師之九条袈裟懸↠之向↢西方↡唱云、「一一光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」 云云。停午之正中也。
三春いづれの節ぞや、 釈尊滅を唱へたまふ、 聖人滅を唱へたまふ。 かれは二月中句五日なり、 これは正月下旬五日なり。 八旬いづれの歳や、 釈尊滅0966を唱へたまふ、 聖人も滅を唱へたまふ。 かれも八旬なり、 これも八旬なり。
三春何節哉、釈尊唱↠滅、聖人唱↠滅。彼者二月中句五日也、此者正月下旬五日也。八旬何歳哉、釈尊唱↠滅、聖人唱↠滅。彼八旬也、此八旬也。
園城寺◗長吏法務◗大僧正公胤、 法事の為にこれを唱導する時、 その夜夢に告げて云く、
園城寺長吏法務大僧正公胤、為法事唱導之時、其夜告夢云、
源空教益の為に 公胤よく法を説く 感すなわち尽くべからず 臨終にまづ迎摂せむと
源空の本地の身は 大勢至菩薩なり 衆生教化のゆへに この界に来ること度度
源空為↢教益↡ | 公胤能説↠法 | 感即不↠可↠尽 | 臨終先迎摂 |
源空本地身 | 大勢至菩薩 | 衆生教化故 | 来↢此界↡度度 |
と。 このゆへに勢至の来キタリ見をミヘタマフ大師聖人と名く。 このゆへに勢至を讃て言まく、 无辺光、 智慧光をもてあまねく一切を照すがゆへに。 聖人を嘆じて智慧第一と称す、 碩徳の用をもて七道を潤すがゆへなり。 弥陀勢至を動して済度の使としたまへり、 善導聖人を遣て順縁の機を整へたまへり。 さだめて知ぬ十方三世无央数界の有情・无情、 和尚に遇て世に興ず、 初て五乗済入の道を悟る。 三界・虚空・四禅・八定・天王・天衆、 聖人の誕生に依て、 かたじけなく五衰退没の苦を抜く。 いかにいはむや末代悪世の衆生、 弥陀称名の一行に依てことごとく往生の素懐を遂げむ、 源空聖人伝説興行のゆへなり。 よてこゝに来れることはこれを弘通し勧むが為なりと。
と。此故勢至来見名↢大師聖人↡。所以讃↢勢至↡言、无辺光、以↢智慧光↡普照↢一切↡故。嘆↢聖人↡称↢智慧第一↡、以↢碩徳之用↡潤↢七道↡故也。弥陀動↢勢至↡為↢済度之使↡、善導遣↢聖人↡整↢順縁之機↡。定知十方三世无央数界有情・无情、遇↢和尚↡興↠世、初悟↢五乗済入之道↡。三界・虚空・四禅・八定・天王・天衆、依↢聖人誕生↡、忝抜↢五衰退没之苦↡。何況末代悪世之衆生、依↢弥陀称名之一行↡悉遂↢往生素懐↡、源空聖人伝説興行故也。仍為↤来↠之弘↢通勧↣之↡。
南无釈迦牟尼仏 南无阿弥陀如来
南无観世音菩薩 南无大勢至菩薩
南无三部一乗妙典法界衆生平等利益せむと。