本書は、 異安心や秘事法門等に対して、 浄土真宗の正しい領解を示すために著されたもので、 著者は蓮如上人であるとされる。
蓮如上人は常々、 自らの領解を口に出して述べることの重要性を指摘している。 ¬蓮如上人御一代記聞書¼ 第七四条には 「一向に不信の由申さるゝ人はよく候ふ。 ことばにて安心のとほり申候て、 口には同ごとくにて、 まぎれて空くなるべき人を悲く覚候」 とあり、 たとえ不信の告白であったとしても、 心中をそのまま申し出すことが肝要であるとされている。 そして、 その反対に口先で信心を得ているふりをして、 そのまま命終えていくことがあってはならないことも述べられている。 あるいは ¬同¼ 第八六条にも 「蓮如上人仰られ候。 物をいへいへと仰られ候。 物を申さぬ者はおそろしきと仰られ候。 信不信ともに、 たゞ物をいへと仰られ候。 物を申せば心底もきこえ、 又人にもなをさるゝなり。 たゞ物を申せと仰られ候」 とあり、 たとえ誤った理解をしている者がいたとしても、 自らの領解を口に出すことは、 その理解が是正される機会となることが示されている。
このように蓮如上人は、 法義の領解について自らの心中を包みかくさず申し述べることが重要であるとしているが、 また、 「五帖御文章」 四帖目第五通には 「所詮今月報恩講七昼夜のうちにをひて、 各々に改悔の心ををこして、 わが身のあやまれるところの心中を心底のこさずして、 当寺の御影前にをひて、 回心懺悔して諸人の耳にこれをきかしむるやうに毎日毎夜にかたるべし」 とあり、 本願寺の報恩講へ参拝した折には親鸞聖人の御真影の前において改悔の心を起こし、 回心懺悔してその心中を諸人に語るようにと述べられている。 これにより、 本願寺の報恩講では自らの信仰告白がなされるようになり、 またその際、 蓮如上人がその告白内容を聞き、 教義に適ったものであるかの判定を行っている。 以降、 本願寺の報恩講における信仰告白は重要な儀礼として定着することとなり、 やがて改悔という言葉は、 この信仰告白の儀礼全体を意味するようになった。 ¬山科御坊事其時代事¼ には、 蓮如上人のころは三、 四人が改悔を申していたが、 天文年間已来は一度に五十人、 百人が各々大声をあげて言っているので、 まるで喧嘩のようだと批判していることなどから、 今日のように一同で「領解文」 をとなえるようになったのは、 かなり時代が下ると考えられる。
こうして、 蓮如上人によって本願寺の報恩講で行われるようになった改悔の儀礼は、 長い歴史をもって今日まで伝えられ、 現在では本書の内容を親鸞聖人や阿弥陀如来の前で出言することによって、 自らの領解に誤りのないことを確認するという形式で継承されている。
本書の内容は、 「安心」 「報謝」 「師恩」 「法度」 の四段から成っている。 すなわち、 「もろもろの雑行…うしてさふらふ」 という安心談では、 自力を捨てて他力に帰するという浄土真宗の安心について示され、 次に 「たのむ一念…まうし候ふ」 という報謝段では、 信の一念に往生が決定するのであるから、 その後の称名は報恩にほかならないという領解が示されている。 つまり、 これら安心段と報謝段とにおいては、 宗義の肝要である 「信心正因・称名報恩」 の領解が述べられている。 次に 「この御こと…くぞんじ候ふ」 という師徳段では、 今、 自らが念仏の教えを聴聞し、 その法義について述べることができているのは、 親鸞聖人や、 この教法を伝えられた善知識の方々のおかげによるものであり、 その御恩に謝すべきことが述べられている。 最後の 「このうへは…すべく候ふ」 という法度段では、 「御文章」 などに定められた三箇条や六箇条、 八箇条等の掟に従い、 念仏者としてのたしなみを生涯忘れることなく保ち続けるべきであることが述べられている。
さて、 「領解文」 という本書の呼称については、 慶証寺玄智著 ¬大谷本願寺通紀¼ の天明四 (1784) 年の項に 「三月領解文ヲ梓行ス」 とあるものがその初見であるが、 この刊本は現存していない。 また、 本書が広く流布するようになったのは、 天明七 (1787) 年、 第十七代法如上人が本書を ¬領解出言之文¼ と名づけて開版されたことによっている。 この法如上人証判本には、 嗣法の文如上人による跋文が付されており、 そのはじめには 「右領解出言之文は 信証院蓮如師之定おかせらるゝ所也真宗念仏行者已に一念帰命信心発得せる領解の相状也是故に古今一宗の道俗時々 仏祖前にしてこの安心を出言し自の領解の謬なきことを敬白するなり…」 として、 本書が蓮如上人によって著されたことや、 ここに記された内容を仏祖の前で出言すべきことが述べられている。 また、 この跋文については、 実際には第六代能化の功存が校閲者として作成に関わっていたことが、 玄智により指摘されている。 この跋文では全体的に 「弥陀をたのむ」 「一念帰命」 ということが強調されているが、 後に第十九代本如上人は ¬御裁断書¼ ¬御裁断申明書¼ において、 「弥陀をたのむ」 とは、 蓮如上人が他力の信を示されたものであることを明らかにされている。