本書は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 題号にある 「持名」 とは南無阿弥陀仏の名を持つことを意味し、 本鈔は本願他力の称名念仏をもって浄土往生の業因とすることを明らかにしたものである。
本鈔は、 本末の二巻から成る。 本巻では冒頭に、 受けがたき人界に生れ、 末法の世にあって仏教に出逢えたことは、 生死を離れ仏果を証するまたとない機会であり、 専らに仏道を求めるべきである旨が述べられている。 次に、 仏道には八家九宗の様々な法門があり、 いずれの法門も釈迦一仏の説であるため、 教えの通りに行ずれば、 さとりを開くことができる。 しかし、 今時は末法であり機は下根であるため、 諸行を修して仏果を得ることは難しいと述べる。 そして、 念仏往生の教えは末法の時代に相応しい教であり、 浄土往生の正因といえるが、 この念仏往生の教えにも専修・雑修の二門があり、 本願に帰し専ら称名念仏する専修こそが、 本願の行、 釈迦付属の法、 諸仏証誠の行である所以を述べて、 専修念仏が決定往生の行業であることを明かしている。 そして、 この法は ¬大経¼ の誠説であり、 善導大師・源空 (法然) 聖人・宗祖へと相承されてきたことが明かされている。 次に、 念仏の功徳について、 「浄土三部経」 をはじめ、 ¬般舟讃¼・¬観経疏¼、 さらには智顗や基の釈をもって説明し、 念仏一行が諸行よりすぐれていることを讃仰している。 そして、 末代における凡夫の救いは、 「弥陀の名号のちから」 に基づく念仏一行にあることを示し、 さらに 「聞名往生の益」 とあるように念仏往生の本質が南無阿弥陀仏の名を聞くこと、 つまり信心にあることを明かしている。 そして 「ただねがうべきは西方の浄土、 行ずべきは念仏の一行なり」 と結んでいる。
次に末巻では、 先ず三つの問答を設けている。 すなわち、 第一問答では、 宗祖の一流を汲む念仏の行者が神明に仕えることの是非を問う。 この問いに対して、 宗祖の立場を承け神明に仕えるべきでないことが示されている。 その上で、 神明の目的は衆生を仏道に引導することにあるから、 念仏の行者となり今生で生死を離れることが神明の意にかなうことになるという義を示す。 第二問答では、 念仏の行者が諸仏等に護持されることについて具体的な内容を問う。 この問いに対して、 信心を守護するということは、 諸仏の本意であるが、 信心の行者は浄土往生ばかりでなく、 現世の利益も得られることについて ¬観念法門¼・¬金光明教¼ さらに最澄の敕問等を引いて証明している。 このように現当二益があることは、 名号にこの上なく勝れたはたらきがあるからであると示している。 ただし、 念仏に現当二益があるとはいえ、 浄土往生を願う者は念仏を 「現世のいのり」 のために行うことと捉えてはならないと述べる。 すなわち、 今生を守護することは仏の本意ではなく、 後生に浄土往生させることが阿弥陀如来の本懐であるとし、 「ただふかく信心をいたして一向に念仏を行ずべきなり」 と結ぶ。 第三問答では、 名号を決定往生の業因であるとしながらも信心を必要とする理由、 及び信心の意味について問う。 この問いに対して、 南無阿弥陀仏という名号は、 衆生がまさしく往生する因行であるが、 それを行ずる衆生に信と不信との違いがあると述べ、 一向専修の念仏は信心を伴った他力念仏であることを示す意図がみられる。 そして ¬選択集¼ の 「生死のいえにはうたがひをもて所止とし、 涅槃のみやこには信をもて能入とす」 及び 「正信偈」 の 「よく一念喜愛の心をおこせば、 煩悩を断ぜずして涅槃をう」 の文を引用して信心の必要性を示し、 他力の信心を成就してこそ報土の往生は間違いないことを説く。 そして、 その信心とは疑いのないこと、 すなわち仏語に随順し師教を順守して相違しないことであることを明かしている。 続いて、 浄土往生は、 釈迦・弥陀二尊の大悲と、 祖師・先達・善知識の恩徳とによることを述べる。 最後に、 仏の滅後においては、 他力の信心を得た者の内証が如来と等しいという道理に基づいて、 善知識より仏法を聴聞し、 同行を懇意にして信心をみがくことをすすめ、 信心の重要性を説いている。
本鈔は、 ¬浄典目録¼ によれば ¬浄土真要鈔¼・¬諸神本懐集¼・¬破邪顕正鈔¼・¬女人往生聞書¼ と列挙して 「已上依空性 了源 望草之」 と記されることから、 了源上人の所望に応じたものとされる。 また撰述時期については ¬大谷本願寺通紀¼ によれば元応二 (1320) 年、 或いは ¬渋谷宝鑑¼ によれば正中二 (1325) 年などの異説がある中、 本鈔の古写本のうち唯一撰述年時をもつ石川県本誓寺蔵乗専書写本の奥書に 「元亮四歳甲子三月十三日抄記之/授与釈了源竟 蓋依彼命不顧/其憚更不可及外見而已/存覚」 とあり、 元亮四 (1324) 年、 存覚上人三十五歳の時に撰述されたものとの見方が有力である。