九(95)、往生要集料簡
※▲往生要集料簡第九 源空記
¬往生要集¼ の序 (巻上) にいはく、 「このゆゑに↓念仏の一門によりて、 いささか経論の要文を集む。 これを披きこれを修するに、 覚しやすく行じやすし」 と 云々。
○¬要集ノ¼序ニ云ク、「是ノ故ニ依テ↢念仏ノ一門ニ、聊カ集ム↢経論要文ヲ↡。披↠之修スルニ↠之、易ク↠覚シ易↠行ジ。」云云
わたくしにいはく、 それ序はあらかじめ略して一部の奥旨を述べて、 もつて部内の元意を示すものなり。 しかるに序のなかにすでに 「↑念仏の一門による」 といふ。 あきらかに知りぬこの ¬集¼ の意、 諸行をもつて往生の要となさず、 念仏をもつて要となすといふことを。 しかのみならず処々に多く念仏をもつて往生の要となす。
◇私云、夫レ序ハ者預メ略シテ述テ↢於一部ノ奥旨ヲ↡、以テ示ス↢部内ノ元意ヲ↡者也。然ニ序ノ中ニ既ニ云フ↠「依ルト↢念仏ノ一門ニ↡。」明ニ知ヌ此ノ¬集ノ¼意、以テ↢諸行ヲ↡不↠為↢往生ノ要ト↡、以テ↢念仏ヲ↡為スト云コトヲ↠要也。加↠之処処ニ多ク以テ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ要ト↡。
その文一にあらず。 総結要行 (要集巻中) にいはく、 「▽往生の業には念仏を本となす」 と 云々。 また念仏証拠門 (要集巻下) にいはく、 「▽ただちに往生の要を弁ずるに、 多く念仏といへるにはしかず」 と。 また (要集巻下) いはく、 「▽あきらかに知りぬ契経に多く念仏をもつて往生の要となす」 と 云々。 ▽ゆゑに*第八門に至りて三重の問答あり、 *六義をもつてこれを勧む。 諸行はしからず、 *第九門に至りてわずかにこれを明かすといへども、 慇懃の義にあらず、 また勧進なし。 ただおのおの楽欲に任ずるのみ。
◇其ノ文非↠一ニ。総結要行ニ云ク、「往生ノ之業ニハ念仏ヲ為↠本ト。」云云 又念仏証拠門ニ云ク、「不↠如↧直ニ弁ズルニ↢往生ノ之要ヲ↡、多ク云ヘルニハ↦念仏ト↥。」又云、「明ニ知ヌ契経ニ多ク以テ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ要ト↡。」云云 所以ニ至↢第八門ニ↡有リ↢三重ノ問答↡、以テ↢六義↡勧ム↠之。諸行ハ不↠爾、至テ↢第九門ニ↡纔0096ニ雖↠明ト↠之、非↢慇懃ノ義ニ↡、又無シ↢勧進↡。唯任ズル↢各ノ楽欲ニ↡而已。
観察門 (要集巻中) にいはく、 「初心の観行は深奥に堪へず。 乃至 このゆゑにまさに色相観を修すべし。 これに分ちて三となす。 一には別相観、 二には総相観、 三には雑略観。 意楽に随ひてこれを用ゐるべし。 はじめに別相観とは 云々。 二には総相観とは 云々。 三は雑略観と 云々。 もし相好を観念するに堪へざることあらば、 あるいは帰命の想により、 あるいは引摂の想により、 あるいは往生の想によりて一心に称念すべし。 以上意楽不同なるがゆゑに種々の観を明かす
○観察門ニ云ク、「初心ノ観行ハ不↠堪↢深奥↡。乃至 是ノ故ニ当ニ可シ↠修ス↢色相観ヲ↡。此ニ分テ為↠三ト。一ニハ別相観、二ニハ総相観、三ニハ雑略観。随テ↢意楽ニ↡応シ↠用↠之ヲ。初ニ別相観ト者 云云。二ニハ総相観ト者 云云。三ハ雑略観ト 云云。若シ有バ↠不コト↠堪↣観↢念スルニ相好↡、或ハ依リ↢帰命想↡、或ハ依↢引摂想↡、或ハ依テ↢往生想↡応↢一心ニ称念ス↡。已上意楽不同ナルガ故ニ明↢種種ノ観↡
行住坐臥、 語黙作々、 つねにこの念をもつて、 胸中に在きて、 飢して食を念ずるがごとくし、 渇して水を追ふがごとくせよ。 あるいは低頭挙手にも、 あるいは声を挙げて称名せよ。 外儀は異なりといへども心念はつねに存じて、 念々に相続して、 寤寐に忘るることなかれ」 と 云々。
◇行住坐臥、語黙作作、常ニ以↢此念ヲ↡、在テ↢於胸中ニ↡、如シ↢飢シテ念ガ↟食ヲ、如セヨ↢渇シテ追ガ↟水ヲ。或ハ低頭挙手ニモ、或ハ挙テ↠声ヲ称名セヨ。外儀ハ雖↠異ト心念ハ常ニ存ジテ、念念ニ相続シテ、寤寐莫レ↠忘コト。」云云
わたくしにいはく、 これすなはちこの ¬集¼ の肝心なり、 行者よく心を留むべし。
◇私云、是則此ノ¬集ノ¼肝心ナリ也、行者能ク可↠留ム↢於心ヲ↡也。
総結要行 (要集巻中) にいはく、 「問ふ。 上の諸門のなかに陳ぶるところすでに多し。 いまだ知らずいづれの業か往生の要とするや。 答ふ。 大菩提心あつて三業を護り、 深信至誠にしてつねに念仏すれば、 願に随ひて決定して極楽に生ず。 いはんやまた余のもろもろの妙行を具せんをや。
○総結要行ニ云、「問。上ノ諸門ノ中ニ所↠陳ル既ニ多シ。未ダ↠知ラ何レノ業カ為↢往生ノ要ト↡。◇答。大菩提心アテ護↢三業↡、深信至誠ニシテ常ニ念仏スレバ、随テ↠願ニ決定シテ生↢極楽ニ↡。況ヤ復具ヲヤ↢余ノ諸ノ妙行ヲ↡。
問ふ。 なんがゆゑぞこれらを往生の要とするや。 答ふ。 菩提心の義は前に具釈するがごとし。 三業の重悪はよく正道を障ふ。 ゆゑにすべからくこれを護るべし。 △往生の業には念仏を本となす。 その念仏の心かならずすべからく理のごとくすべし。 ゆゑに深信・至誠・常念の三事を具す。
◇問。何ガ故ゾ此等ヲ為↢往生ノ要ト↡。◇答。菩提心ノ義如シ↢前ニ具釈スルガ↡。三業ノ重悪ハ能障フ↢正道ヲ↡。故ニ須ク↠護ル↠之。往生ノ之業ニハ念仏ヲ為↠本ト。其ノ念仏ノ心必ズ須ク↠如↠理ノ。故ニ具ス↢深信・至誠・常念ノ三事ヲ↡。
常念に三の益あり。 迦才がいふがごとし、 一にはもろもろの悪覚観畢竟じて生ぜず。 また業障を消すことを得。 二には善根増長して、 また見仏の因縁を種うることを得。 三には薫習熟利して、 命終の時に臨みて正念現前すと。 以上 業は願によりて転ず。 ゆゑに随願往生といふ。
◇常念ニ有↢三ノ益↡。如↢迦才云ガ↡、一ニハ者諸ノ悪覚観畢竟ジテ不↠生。亦得↠消ヲ↢於業障↡。二ニハ者善根増長シテ、亦得↠種コトヲ↢於見仏ノ因縁↡。三ニハ者0097薫習熟利シテ、臨↢命終ノ時↡正念現前ス。已上 業ハ由テ↠願ニ転ズ。故ニ云↢随願往生ト↡。
総じてこれをいはば、 三業を護るはこれ止善なり。 仏を称念するはこれ行善なり。 菩提心および願はこの二善を扶助す。 ゆゑにこれらの法を往生の要となす。 その旨経論に出でたり。 これをつぶさにすることあたはず。
◇総而言ハヾ↠之、護ルハ↢三業ヲ↡是止善ナリ。称↢念スルハ仏ヲ↡是行善ナリ。菩提心及ビ願ハ扶↢助ス此ノ二善ヲ↡。故ニ此等ノ法ヲ為↢往生ノ要ト↡。其ノ旨出タリ↢経論ニ↡。不↠能↠具コト↠之。
わたくしにいはく、 この第七総結要行とは、 これすなはちこの ¬集¼ の肝心、 決定往生の要法なり。 学者さらにこれを思択して、 あきらかにその要否を識るべし。 文に二の問答あり。
◇私ニ云、此ノ第七総結要行トハ者、是則此ノ¬集ノ¼肝心、決定往生ノ要法ナリ也。学者更ニ思↢択シテ之↡、明ニ可シ↠識↢其ノ要否ヲ↡也。文ニ有リ↢二問答↡。
しばらく初めの問のなかに、 「上の諸門」 とは、 五門あり。 一には厭離穢土、 二には欣求浄土、 三には極楽証拠、 四には正修念仏、 五には助念方法なり。 ゆゑにこれらを指して上の五門といふなり。
◇且ク初ノ問ノ中ニ、「上諸門トハ」者、有リ↢五門↡。一ニハ厭離穢土、二ニハ欣求浄土、三ニハ極楽証拠、四ニハ正修念仏、五助念方法ナリ。故ニ指シテ↢此等ヲ↡云↢上ノ五門ト↡也。
次に 「陳ぶるとところすでに多し」 とは、 厭離に七あり、 欣求に十あり、 証拠に二あり、 正修に五あり、 助念に六あり。 これらの諸門に明かすところすでに多し。 ゆゑに所陳既多といふなり。
◇次「所↠陳既多トハ」者、厭離ニ有↠七、欣求ニ有↠十、証拠ニ有↠二、正修ニ有↠五、助念ニ有↠六。此等ノ諸門ニ所↠明既ニ多シ。故ニ云↢所陳既多↡也。
次に 「いまだ知らずいづれの業を往生の要となす」 とは、 上の諸門においておのおの述ぶるところの行、 すでに条数あり。 要否の法において、 学者識りがたし、 要法を決定せんがためのゆゑにこの門来るなり。
◇次「未↠知何業為トハ↢往生要ト↡」者、於↢上ノ諸門↡各所ノ↠述行、既ニ有↢条数↡。於↢要否ノ法ニ↡、学者叵↠識、為ノ↣決↢定セン要法ヲ↡故ニ此ノ門来ル也。
次の答のなかに二あり。 一にはほぼ答の意を述べ、 二にはまさしく答の文を釈す。
◇次ノ答ノ中ニ有↠二。一ニハ粗述↢答ノ意ヲ↡、二ニハ正ク釈ス↢答ノ文↡。
初めに答とは、 問の意すでに上の諸門の行において、 その要否を問ふ。 ゆゑに答のなかに、 また上の諸門のなかにおいて、 その不要を簡びてその要行を示す。 これすなはち答のなかの大意なり。
◇初ニ答トハ者、問ノ意既ニ於テ↢上ノ諸門ノ行ニ↡、問↢其ノ要否ヲ↡。故ニ答ノ中ニ、又於テ↢上ノ諸門ノ中ニ↡、簡テ↢其ノ不要ヲ↡示ス↢其ノ要行ヲ↡。是則答ノ中ノ大意ナリ也。
次にまさしく答の文を釈すとは、 また分ちて二となす。 一には総じて五門に約してこれを簡び、 二には別の二門に約してこれを簡ぶ。
◇次ニ正ク釈トハ↢答文ヲ↡者、又分テ為↠二ト。一ニハ総ジテ約シテ↢五門ニ↡簡↠之ヲ、二ニハ別ノ約シテ↢二門ニ↡簡↠之ヲ。
はじめに総じて五門に約して簡ぶとは、 上の厭離等の三門は、 これ往生の要にあらず、 ゆゑに簡びて取らず。 第四・第五の二門は、 まさしくこれ往生の要行なり。 ゆゑに答のなかにいはく、 「大菩提心護三業」 等と。
◇初ニ総ジテ約シテ↢五門↡簡トハ者、上ノ厭離等ノ三門ハ、非↢是往生ノ要ニ↡、故ニ簡テ而不↠取ラ。第四・第五ノ二門ハ、正ク是往生ノ要行ナリ。故ニ答ノ中0098ニ云ク、「大菩提心護三業」等ト。
「大菩提心」 および 「念仏」 とは、 これすなはち第四門なり。 「護三業深信至誠」 等とは、 これ第五門なり。 これすなはち総じて諸門に約してその要を挙げて、 その不要を簡ぶなり。
◇「大菩提心」及「念仏トハ」、是即第四門ナリ也。「護三業深信至誠」等トハ者、是第五門ナリ也。是則総ジテ約シテ↢諸門ニ↡挙テ↢其ノ要ヲ↡、簡↢其不要↡也。
次に別して二門に約して簡ぶとは、 この文に二あり。 一には第四門に約してこれを簡び、 二は第五門に約してこれを簡ぶ。
◇次ニ別シテ約シテ↢二門ニ↡簡トハ者、此ノ文ニ有↠二。一ニハ約シテ↢第四門ニ↡簡↠之、二ハ約シテ↢第五門ニ↡簡ブ↠之。
はじめに第四門とは、 これにつきてまた五門あり。 「一には礼拝門、 二には讃嘆門、 三には作願門、 四には観察門、 五には回向門なり」 (要集巻上)。 この五門のなかに、 作願・観察の二門をもつて往生の要となす、 余の三門はこれ要にあらず。 ゆゑにいま 「菩提心」 および 「念仏」 といひて、 また礼・讃等といはず。
◇初ニ第四門トハ者、就テ↠之ニ亦有リ↢五門↡。「一ニハ礼拝門、二ニハ讃嘆門、三ニハ作願門、四ニハ観察門、五ニハ廻向門也。」此ノ五門ノ中ニ、以テ↢作願・観察ノ二門ヲ↡為↢往生ノ要ト↡、余ノ三門ハ非↢是要ニ↡。故ニ今云テ↢「菩提心」及「念仏ト」↡、又不↠云↢礼・讃等ト↡。
また菩提心につきて、 事あり理あり。 文中にいまだこれを簡ばずといへども、 もし念仏に例せば、 また事をもつて往生の要となす。
◇又就↢菩提心ニ↡、有↠事有↠理。文中ニ雖↠未ダ↠簡↠之、若シ例セバ↢念仏ニ↡、亦以テ↠事ヲ為↢往生ノ要ト↡。
◇また念仏といふは、 これ観察門の異名なり。 しかるに念仏の行において、 また観想と称名とあり。 二のなかにおいて、 称名を要となす。 ゆゑに次の問答のなかに 「仏を称念するこれ行善なり」 と。 云云
◇又言ハ↢念仏ト↡者、是観察門ノ異名ナリ也。然ニ於テ↢念仏ノ行ニ↡、又有↢観想ト称名ト↡。於↢二ノ中ニ、称名ヲ為↠要ト。故ニ次ノ問答ノ中ニ「称↢念スル仏ヲ↡是行善ナリ。」云云
これをもつてこれを思ふに、 ¬往生要集¼ の意、 称名念仏をもつて往生の至要となす。
◇以テ↠之ヲ思ニ↠之、¬要集ノ¼意、以テ↢称名念仏↡為↢往生ノ至要ト↡。
二に第五門に約すとは、 これにつきてまた六法あり。 「一には方処供具、 二には修行相貌、 三には対治懈怠、 四には止悪衆善、 五には懺悔衆罪、 六には対治魔事なり」 (要集巻中) と。 この六法のなかには、 第二・第四の二門をもつて往生の要となす。 余の四門はこれ往生の要にあらず。 ゆゑに捨てて取らざるなり。
◇二ニ約トハ↢第五門ニ↡者、就↠之又有↢六法↡。「一ニハ方処供具、二ニハ修行相貌、三ニハ対治懈怠、四ニハ止悪衆善、五ニハ懺悔衆罪、六ニハ対治魔事ナリ。」此ノ六法ノ中ニハ、以↢第二・第四ノ二門ヲ↡為↢往生ノ要ト↡。余ノ四門ハ非↢是往生ノ要ニ↡。故ニ捨テ而不↠取也。
第二門につきて、 また四修・三心あり。
◇就↢第二門ニ↡、又有↢四修・三心↡。
四修のなかにおいて、 ただ無間修を取りてその要となす。 ゆゑに文に ¬要決¼ (西方要決) を引きていはく、 「三には無間修、 いはくつねに仏を念じて往生の想を作せ」 と。
◇於↢四修ノ中ニ↡、唯取テ↢無間修ヲ為↢其ノ要ト↡。故ニ文ニ引テ↢¬要決ヲ¼云、「三ニハ者無間修、謂ク常ニ念ジテ↠仏ヲ作ト↢往生0099ノ想ヲ。」
三心においてはみなこれ往生の要なり。 ゆゑに文に 「深信至誠」 および 「随願」 といふなり。
◇於テ↢三心↡者皆是往生ノ要ナリ。故ニ文ニ云フ↢「深信至誠」及「随願ト」也。
次に第四門につきて、 また六あり。 六法のなかにおいて、 ただ第一の持戒不犯を取りて往生の要となす、 ゆゑに文に 「護三業悪」 (要集巻中) といふ。 「護三業」 とは、 これすなはち持戒不犯なり、 余の五は要にあらず、 ゆゑに棄てて取らず。
◇次ニ就テ↢第四門ニ↡、亦有↠六。於テ↢六法ノ中ニ↡、唯取テ↢第一ノ持戒不犯↡為↢往生ノ要ト↡、故ニ文ニ云↢「護三業悪」↡。「護三業トハ」者、是則持戒不犯ナリ也、余ノ五ハ非↠要、故棄テ而不↠取ラ。
いはゆる戒とは、 これ菩薩戒なり、 声聞戒にあらず。 その旨文に見えたり。 ただし菩薩戒においてまた十重・四十八軽あり、 いまの意は軽を捨てて重を取る。 ゆゑに文に 「三業重悪能障正道」 といふ。
◇所謂ル戒トハ者、是菩薩戒ナリ也、非↢声聞戒ニ↡。其ノ旨見タリ↠文ニ。但シ於↢菩薩戒ニ↡亦有↢十重・四十八軽↡、今ノ意ハ捨テ↠軽ヲ取ル↠重。故ニ文ニ云↢「三業重悪能障正道ト」↡。
つらつらこの問答を案ずるに、 この ¬要集¼ の意によりて往生を遂げんと欲はんものは、 まづ縁事の大菩提心を発し、 次に十重の木叉を持し、 深信至誠をもつてつねに弥陀の名号を称すれば、 願に随ひて決定して往生を得。 これすなはちこの ¬集¼ の正意なり。
◇債ラ案ルニ↢此ノ問答ヲ↡、依テ↢此¬要集ノ¼意ニ↡欲ン↠遂ント↢往生ヲ↡者ハ、先ヅ発シ↢縁事ノ大菩提心ヲ↡、次ニ持シ↢十重ノ木叉ヲ↡、以テ↢深信至誠ヲ↡常ニ称スレバ↢弥陀ノ名号ヲ↡、随テ↠願ニ↡決定シテ得↢往生ヲ↡。是則此ノ¬集ノ¼正意也。
次にまた問答あり、 菩提心等の七法をもつて、 往生の要となして、 その由を問答するなり。 その文見やすし、 繁きを恐れて記さず。
◇次ニ又有↢問答↡、以テ↢菩提心等ノ七法↡、為シテ↢往生ノ要ト↡、問↢答スル其由ヲ↡也。其ノ文易シ↠見、恐テ↠繁ヲ不↠記。
また厭離等の五門において要否を簡択すること、 すでにもつてかくのごとし。 下の別時等の五門また至要にあらざること、 これをもつて知るべし。
◇又於↢厭離等ノ五門ニ↡簡↢択スルコト要否ヲ↡、既ニ以テ如シ↠此ノ。下ノ別時等ノ五門亦非ルコト↢至要ニ↡、以テ↠之ヲ可↠知。
また念仏において二あり。 一は但念仏、 前の正修門の意なり。 二は助念仏、 いまの助念門の意なり。 この ¬要集¼ の意は、 助念仏をもつて決定業とするか。 ただし善導和尚の意はしからざるか 云々。
◇又於テ↢念仏ニ↡有↠二。一ハ但念仏、前ノ正修門ノ意ナリ也。二ハ助念仏、今ノ助念門ノ意ナリ也。此ノ¬要集ノ¼意ハ、以↢助念仏ヲ↡為ルカ↢決定業ト↡歟。但シ善導和尚ノ意ハ不↠然歟 云云。
またいはく、 しばらく問に准じて要否をもつて簡ぶといへども、 助念門の意にしてこの ¬集¼ 正意にあらざるか。
○又云、且准ジテ↠問ニ雖↠簡ト↢要否ヲ↡、助念門ノ意ニシテ非↢此ノ¬集ノ¼正意↡歟。
問ふ。 なにをもつてか知ることを得たる、 正意にあらざるとは。 答ふ。 上の止悪衆善のなか (要集巻中) にいふ、 「問ふ。 念仏すればおのづから罪を滅す。 なんぞかならずしも堅く戒を持せんや。 答ふ。 もし一心に念ぜば、 まことに責むるところのごとし。 しかるに尽日に念仏して閑にその実を撿すれば、 浄心はこれ一両、 その余はみな濁乱なり。 乃至 このゆゑに、 かならずまさに精進して戒を持することなほし明珠を護るがごとくすべし」 と。 ゆゑに知りぬ如説に念仏せば、 かならずしも持戒等を具すべからず。
◇問。以テカ↠何得タル↠知コトヲ、非トハ↢正意ニ↡。答。上ノ止悪衆善ノ中ニ云フ、「問。念仏スレバ自滅↠罪ヲ。何ゾ必シモ堅ク持ンヤ↠戒ヲ。答。若一心ニ念ゼバ、誠ニ如シ↠所ノ↠責ル。然ニ尽日ニ念仏0100シテ閑ニ撿レバ↢其ノ実ヲ↡、浄心ハ是一両、其ノ余ハ皆濁乱ナリ。乃至 是ノ故ニ、要ズ当ニ↢精進シテ持スルコト↠戒ヲ猶シ如ク↠護ガ↢明珠ヲ↡。」故ニ知ヌ如説ニ念仏セバ、必シモ不↠可↠具ス↢持戒等ヲ↡矣。
△念仏証拠門 (要集巻中) にいはく、 「問ふ。 一切の善業おのおの利益ありて、 おのおの往生を得。 なんがゆゑぞただ念仏の一門を勧むるや。
○念仏証拠門ニ云、「問。一切ノ善業各有テ↢利益↡、各得↢往生ヲ↡。何故ゾ唯勧ムルヤ↢念仏ノ一門↡。
答ふ。 念仏を勧むることは、 これ余の種々の妙行を遮すとにはあらず。 ただこれ、 男女・貴賎、 行住坐臥を簡ばず、 時処諸縁を論ぜず、 これを修するに難からず、 乃至臨終に往生を願求するに、 その便宜を得ること念仏にはしかず。
◇答。勧コトハ↢念仏ヲ↡、非↣是遮トニハ↢余ノ種種ノ妙行ヲ↡。只是、男女・貴賎、不↠簡↢行住坐臥ヲ、不↠論↢時処諸縁ヲ↡、修ルニ↠之不↠難カラ、乃至臨終ニ願↢求スルニ往生ヲ↡、得ルコト↢其ノ便宜ヲ↡不↠如↢念仏ニハ。
ゆゑに ¬木槵経¼ にいはく、 難陀国の波瑠璃王 乃至
◇故ニ¬木槵経¼云、難陀国ノ波瑠璃王 乃至
いはんやまた正教のなかに、 多く念仏をもつて往生の業となす。 その文はなはだ多し。 略して十文を出さん。
○況ヤ復正教ノ中ニ、多ク以テ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ業ト↡。其ノ文甚ダ多シ。略シテ出ン↢十文ヲ↡。
一には ¬占察経¼ の下巻にいふ、 もし人他方現在の浄国に生れんと欲はば、 かの世界の仏の名字に随ひて、 意をもつぱらにして誦念して一心不乱なるべし。 上の観察のごとくなれば、 決定してかの仏国に生るることを得て、 善根増長して、 すみやかに不退を成ずと。
◇一ニハ¬占察経ノ¼下巻ニ云フ、若シ人欲ハ↠生ント↢他方現在ノ浄国ニ↡者、応↧当ニ随テ↢彼ノ世界ノ仏ノ之名字ニ↡、専ニシテ↠意誦念シテ一心不乱ナル↥。如ナレバ↢上ノ観察↡者、決定シテ得テ↠生コトヲ↢彼ノ仏国ニ↡、善根増長シテ、速ニ成ズ↢不退ヲ↡。
二は ¬双巻経¼ の三輩の業浅深ありといへども、 しかも通じてみな一向専念無量寿仏といふ。
◇二ハ¬双巻経¼三輩ノ之業雖↠有↢浅深↡、然モ通ジテ皆云↢一向専念無量寿仏↡。
三には四十八願のなかに念仏門において別して一願を発していはく、 乃至十念、 若不生者、 不取正覚と。
◇三ニハ四十八願ノ中ニ於テ↢念仏門↡別シテ発シテ↢一願ヲ↡云ク、乃至十念、若不生者、不取正覚ト。
四には ¬観経¼ にいはく、 極重悪人 云々 と。
◇四ニハ¬観経¼云、極重悪人 云云。
五には同 ¬経¼ にいはく、 若欲至心 云々 と。
◇五ニハ同¬経¼云、若欲至心 云云。
六には同 ¬経¼ にいはく、 光明遍照 云々 と。
◇六ニハ同¬経¼云、光明遍照 云云。
七には ¬阿弥陀経¼ にいはく、 不可以少善根 云々 と。
◇七ニハ¬阿弥陀経¼云、不可以少善根 云云。
八には ¬般舟経¼ にいはく、 阿弥陀仏言 云々 と。
◇八ニハ¬般舟経¼云、阿弥陀仏言 云云。
九は ¬鼓音声経¼ にいはく、 若有衆生 云々 と。
◇九ハ¬鼓音声経¼云、若有衆生 云云。
十には ¬往生論¼ にいはく、 かの仏の依正の功徳を観念するをもつて往生の業となすと 以上。
◇十ニハ¬往生論ニ¼云、以↣観↢念彼ノ仏ノ依正ノ功徳ヲ↡為↢往生ノ業ト↡ 已上。
このなかに、 ¬観経¼ の下下品・¬阿弥陀経¼・¬鼓音声経¼ は、 ただ念名号をもつて往生の業となす。 いかにいはんや相好を観念せん功徳をや。
◇此0101中ニ、¬観経ノ¼下下品・¬阿弥陀経¼・¬鼓音声経ハ¼、但以テ↢念名号↡為↢往生ノ業ト↡。何ニ況ヤ観↢念セン相好ヲ↡功徳ヲヤ耶。
問ふ。 余行にむしろ勧進の文なからんや。
◇問。余行ニ寧ロ無ランヤ↢勧進ノ文耶。
答ふ。 その余の行法は、 ちなみにかの法の種々の功徳を明かす。 みづから往生の事を説き、 △ただちに往生の要を弁ずるに、 多く念仏といふにはしかず。 いかにいはんや仏みづから当念我とのたまふをや。 また仏の光明余行の人を摂取すといはず。
◇答。其ノ余ノ行法ハ、因ニ明↢彼ノ法ノ種種ノ功徳ヲ。自説キ↢往生ノ之事ヲ↡、不↠如カ↧直ニ弁ルニ↢往生ノ要↡、多ク云ニハ↦念仏↥。何ニ況ヤ仏自言タマフヲヤ↢当念我ト↡乎。亦不↠云↣仏ノ光明摂↢取スト余行ノ人ヲ↡。
これらの文分明なり。 なんぞかさねて疑を生ぜんや。
◇此等ノ文分明ナリ。何ゾ重テ生ンヤ↠疑耶。
問ふ。 諸経の所説機に随ひて万品なり。 なんぞ管見をもつて一文を執するや。
◇問。諸経ノ所説随テ↠機ニ万品ナリ。何ゾ以テ↢管見ヲ↡執スルヤ↢一文ヲ↡耶。
答ふ。 馬鳴菩薩の ¬大乗起信論¼ にいはく、 また次に、 衆生はじめてこの法を学せんに、 その心怯弱にして成就すべきこと難しと懼畏し、 退せんと欲はば、 まさに知るべし、 如来に勝方便ましまして信心を摂護したまふ。 随ひて専心念仏の因縁をもつて、 願に随ひて他方の浄土に往生することを得と。
◇答。馬鳴菩薩ノ¬大乗起信論ニ¼云、復次ニ、衆生初テ学↢此ノ法ヲ↡、其心怯弱ニシテ懼↢畏難シ可シト↟成就↡、欲ハ↠退ント者、当ニ↠知ル、如来ニ有シテ↢勝方便↡摂↢護信心ヲ↡。随テ以↢専心念仏ノ因縁ヲ↡、随↠願ニ得↣往↢生コトヲ他方ノ浄土ニ↡。
修多羅に説くがごとし。 もし人もつぱら西方阿弥陀仏を念じて、 所作の善業を回向して、 かの世界に生れんと願求すれば、 すなはち往生を得と。 以上
◇如↢修多羅説ガ↡。若人専ラ念ジテ↢西方阿弥陀仏ヲ↡、所作善業廻向シテ、願↣求スレバ生ント↢彼ノ世界ニ、即得↢往生ヲ↡。已上
△あきらかに知りぬ契経に多く念仏をもつて往生の要とすることを。 もししからずんば、 四依の菩薩すなはち理尽にあらず」 と。
◇明ニ知ヌ契経ニ多ク以テ↢念仏ヲ↡為コトヲ↢往生ノ要ト↡。若不ンバ↠爾ラ者、四依ノ菩薩即非↢理尽↡。」
わたくしにいはく、 このなかに三番の問答あり。
◇私ニ云ク、此ノ中ニ有↢三番ノ問答↡。
初めの問の意見つべし。 ただ 「勧む」 の語まさしく上の観察門 (要集巻中) のなかの 「行住座臥」 等の文を指すなり。 そのゆゑは一部の始末を尋ぬるに、 慇懃の勧進ただ観察門に在り。 余の処にはまつたく見ざるところなり。
◇初ノ問ノ意可シ↠見。唯「勧ノ」語正ク指ス↢上ノ観察門ノ中ノ「行住座臥」等ノ文ヲ↡也。其ノ故ハ尋ヌルニ↢一部ノ始末ヲ↡、慇懃勧進只在↢観察門↡。余ノ処ニハ全ク所ナリ↠不ル↠見也。
答のなかに二義あり。 一には難行・易行、 いはく諸行は修しがたく、 念仏は修しやすし。 二には少分・多分、 いはく諸行は勧進の文はなはだ少し、 念仏は諸経に多くこれを勧進す。
◇答ノ中ニ有↢二義↡。一ニハ者難行・易行、謂ク諸行ハ難ク↠修シ、念仏ハ易シ↠修シ。◇二ニハ者少分・多分、謂ク諸行ハ勧進ノ文甚ダ少シ、念仏ハ諸経ニ多ク勧↢進ス之ヲ↡。
次の問答のなかに、 問の意は知りぬべし。 答のなかに三義あり。 一には因明・直弁、 いはく諸行はもつぱら往生のためにこれを説かず、 念仏はもつぱら往生のために選びてこれを説く。 二には自説・不自説、 いはく諸行は阿弥陀如来みづからまさにこれを修すべしと説きたまはず、 念仏はみづからまさに我を念ずべしと説きたまふ。 三には摂取・不摂取、 いはく諸行を修するは仏光これを摂取したまはず、 念仏を行ずれば仏の光明これを摂取したまふ 云々。
◇次ノ問答ノ中ニ、問ノ意ハ可シ↠知。◇答ノ中ニ有↢三0102義↡。一ニハ者因明・直弁、謂ク諸行ハ専ラ為ニ↢往生ノ↡不↠説↠之、念仏ハ専ラ為ニ↢往生ノ↡選テ説ク↠之。◇二ニハ者自説・不自説、謂ク諸行ハ阿弥陀如来不↢自説タマハ↟当ニ↠修↠之、念仏ハ自説タマフ↠当ニ↠念↠我。◇三ニハ摂取・不摂取、謂ク修ルハ↢諸行ヲ↡仏光不↣摂↢取タマハ之↡、行レバ↢念仏↡仏ノ光明摂↢取タマフ之↡ 云云。
次の問答のなかに、 問の意は得べし。 答のなかに一義あり。 如来は機に随ひ、 四依は理尽す。 いはく諸行は釈迦如来衆生の機に随ひてこれを説き、 念仏は四依の菩薩理を尽してこれを勧む 云々。 これすなはちこの ¬集¼ の本意なり。 委しくこれを思ふべし。
◇次ノ問答ノ中ニ、問ノ意ハ可↠得。◇答ノ中ニ有↢一義↡。如来ハ随ヒ↠機ニ、四依ハ理尽ス。謂ク諸行ハ釈迦如来随テ↢衆生ノ機ニ↡説↠之、念仏ハ四依ノ菩薩尽シテ↠理勧↠之 云云。是則此ノ¬集ノ¼本意ナリ。委ク可↠思↠之。
往生の階位 (要集巻下) にいはく、 「問ふ。 もし凡下の輩往生を得れば、 いかんぞ、 近代かの国土において求むるもの千万んれども、 得るものは一二もなきや。
◇往生階位ニ云ク、「問。若シ凡下ノ輩得バ↢往生↡、云何、近代於テ彼ノ国土ニ↡求ル者千万ナレドモ、得ルモノハ無キヤ↢一二モ↡。
答ふ。 綽和尚のいはく、 信心深からず、 若存若亡のゆゑに。 信心一ならず、 決定せざるがゆゑに。 信心相続せず、 余念間つるがゆゑに。 この三つ相応せざれば、 往生をあたはず。 もし三心を具して往生せずといはば、 この処あることなし。
◇答。綽和尚ノ云ク、信心不↠深、若存若亡ノ故ニ。信心不↠一、不ガ↢決定↡故ニ。信心不↢相続↡、余念間ルガ故ニ。此ノ三ツ不レバ↢相応↡者、不↠能↢往生ヲ。若具シテ↢三心ヲ↡不トイハヾ往生↡者、無↠有ルコト↢是ノ処↡。
導和尚いはく、 もしよく上のごとく念々相続して畢命を期とするものは、 十はすなはち十生し、 百はすなはち百生す。 もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、 百の時希に一二を得、 千の時希に三五を得。 如上といふは礼・讃等の五門、 至誠等の三心、 長時等の四修を指すなり
◇導和尚云、若能ク如↠上念念相続シテ畢命為ル↠期者ハ、十ハ即十生シ、百ハ即百生ス。若シ欲↣捨テヽ↠専ヲ修ント↢雑業ヲ↡者ハ、百ノ時希ニ得↢一二ヲ↡、千ノ時希ニ得↢三五ヲ↡。言ハ↢如上ト↡者指↢礼・讃等ノ五門、至誠等三心、長時等四修↡也
わたくしにいはく、 恵心理を尽して往生の得否を定むるには、 善導和尚の専修雑行の文をもつて指南としたまふなり。 また処々に多くかの師の釈を引用す、 見つべし 云々。 しかればすなはち恵心を用ゐん輩は、 かならず善導に帰すべきか。
◇私云、恵心尽シテ↠理ヲ定ルニハ↢往生ノ得否↡、以テ↢善導和尚ノ専修雑行ノ文ヲ↡為タマフ↢指南↡也。又処処ニ多ク引↢用ス於彼ノ師ノ釈ヲ↡、可↠見 云云。然バ則用ン↢恵心↡之輩ハ、必可シ↠帰↢善導↡哉。
わたくしにいはく、 この抄 ¬略料簡¼ と同じ、 ただし文少し広し。 しかしてその広文、 まつたく ¬要集の釈¼ に同じ。
0103私云、此ノ抄与↢¬略料簡¼↡同ジ、但シ文少シ広シ。而シテ其ノ広文、全同ジ↢¬要集ノ釈ニ¼↡矣。▽
内容はほぼ 「往生要集略料簡」 に同じ。 異なる箇所はそのまま 「往生要集釈」[略]中、 総結要行の二重の釈の第二重に相応する。
第八門 念仏証拠。
六義 難易対・少分多分対・因明直弁対・自説不自説対・摂取不摂取対・如来随義四依理尽対の六。
第九門 往生所行。