十(103)、往生要集詮要
▲往生要集詮要 第十 源空作
¬往生要集¼ の上巻にいはく、 「▲それ往生極楽の教行、 濁世末代の目足なり。 乃至 ▲総じて↓十門あり。 分ちて三巻となす。 一には厭離穢土、 二には欣求浄土、 三には極楽証拠、 四は正修念仏、 五には助念方法、 六には別時念仏、 七には念仏利益、 八には念仏証拠、 九には往生諸業、 十には問答料簡」 等 云々。
¬往生要集¼上巻ニ云、「夫往生極楽之教行、濁世末代之目足ナリ也。乃至 総ジテ有リ↢十門↡。分テ為↢三巻ト↡。一ニハ厭離穢土、二ニハ欣求浄土、三ニハ極楽証拠、四ハ正修念仏、五ニハ助念方法、六ニハ別時念仏、七ニハ念仏利益、八ニハ念仏証拠、九ニハ往生諸業、十ニハ問答料簡」等 云云。
わたくしに料簡するに、 まづ章門につきて開合あり。 開する則は↑十門を立つ、 文にいふがごとし。 合する則はまた五門を出でず。 いはく一には▽厭離穢土、 二には▽欣求浄土、 三には▽念仏往生、 四には▽諸行往生、 五には▽問答料簡なり。 いましばらく五門に摂して料簡すべし。
私ニ料簡スル、先ヅ就↢章門ニ↡有リ↢開合↡。 ○開スル則ハ立↢十門↡、如↢文云ガ↡。 ○合則ハ又不↠出デ↢五門ヲ↡。謂ク一ニハ厭離穢土、二ニハ欣求浄土、三ニハ念仏往生、四ニハ諸行往生、五ニハ問答料簡ナリ也。今且ク摂シテ↢五門↡料簡スベシ。
・厭離穢土門
第一に▲厭離穢土門とは、 われら久く生死に留ること、 いまだかつてこの界を厭はざるによりてなり。 このゆゑに浄土を欣はん人、 まづ穢土を厭ふべし。 ゆゑにはじめにこの門を立つ。 これに二あり。 一には↓別して厭相を明かし、 二には↓総じて厭相を結す。
第一ニ厭離穢土門トハ者、我等久ク留ルコトハ↢生死ニ↡、由テナリ↠未ダ↣嘗テ厭ハ↢此ノ界ヲ↡。是ノ故ニ欣ハン↢浄土ヲ↡人、先ヅ可↠厭↢穢土ヲ↡。故ニ始ニ立ツ↢此ノ門ヲ↡。此ニ有↠二。一ニハ別シテ明↢厭相↡、二ニハ総ジテ結ス↢厭相ヲ↡。
十、往生要集詮要 厭離穢土門 別明厭相
はじめに↑厭相を明かすとは、 すなはち六道を挙ぐ。 「▲一には地獄 乃至 六には天なり」 (要集巻上) と。
始ニ明トハ↢厭相↡者、即挙↢六道↡。「一ニハ地獄 乃至 六ニハ天ナリ。」
十、往生要集詮要 厭離穢土門 総結厭相
次に↑▲総じて厭相を結すとは、 すなはち広文あり、 ▲略文あり、 ▲極略あり。
次ニ総ジテ結トハ↢厭相↡者、即有リ↢広文↡、有リ↢略文↡、有リ↢極略↡。
・欣求浄土門
第二に▲欣求浄土門とは、 たとひこの界を厭ふといへども、 かの国を欣はずんば往生すべからず。 ゆゑに次にこの門を立つ。 これにまた二あり。 一は↓まさしく欣相を明かし、 二は↓問答料簡するなり。
第二ニ欣求浄土門トハ者、設ヒ雖↠厭ト↢此ノ界ヲ↡、不ンバ↠欣↢彼ノ国↡不↠可↢往生↡。故次ニ立ツ↢此ノ門0104ヲ↡。此ニ又有↠二。一ハ正ク明シ↢欣相ヲ↡、二ハ問答料簡スル也。
・欣求浄土門 正明欣相
はじめに↑まさしく欣相を明かすとは、 すなはち十楽を挙ぐ。 「▲一には聖衆来迎の楽 乃至 十には増進仏道の楽なり」 (要集巻上) と。
始ニ正ク明トハ↢欣相ヲ↡者、即挙グ↢十楽ヲ↡。「一ニハ聖衆来迎楽 乃至 十ニハ増進仏道楽ナリ也。」
・欣求浄土門 問答料簡
次に↑問答料簡とは、 これは十門のなかの第三▲極楽証拠門を指すなり。 これすなはち欣求浄土の論義なるがゆゑに、 合してこの一門に摂す。 これにまた二あり。 「▲一には十方に対し、 二には兜率に対す」 (要集巻上) と。
次ニ問答料簡トハ者、此ハ指ス↢十門ノ中ノ第三極楽証拠門ヲ↡也。此則欣求浄土ノ論義ガ故ニ、合シテ摂ス↢此ノ一門ニ↡也。此ニ又有↠二。「一ニハ対↢十方ニ、二ニハ対↢兜率ニ↡。」
・念仏往生門
第三に△念仏往生門とは、 たとひここを厭ひかしこを欣ふといへども、 その業なければ成ずべからず。 このゆゑにまさしく念仏を明かして往生の業となす。 ゆゑに次にこの門を立つ。 この門について三あり。 一に↓念仏行相、 二に↓念仏利益、 三に↓問答料簡なり。
第三ニ念仏往生門トハ者、設ヒ雖↢厭ヒ↠此ヲ欣ト↟彼ヲ、無レバ其ノ業↡者不↠可↠成ズ。此ノ故ニ正ク明シテ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ業ト↡。故ニ次ニ立ツ↢此ノ門ヲ↡。就テ↢此門ニ↡有↠三。一念仏行相、二念仏利益、三問答料簡也。
・念仏往生門 念仏行相
はじめに↑念仏の行相にまた三あり。 一には正修念仏、 二には助念方法、 三には別時念仏なり。 一に▲正修念仏とは、 これ十門のなかの第四門なり。 これにまた五門あり。 「▲一には礼拝 乃至 五には回向なり」 (要集巻上意) と。 二に▲助念方法とは、 これ十門のなかの第五門なり。 これにまた七あり。 「▲一には方処供具 乃至 七には総結要行なり」 (要集巻中) と。 三に▲別時念仏とは、 これ十門のなかの第六門なり。 これにまた二あり。 「▲一には尋常の別行。 二には臨終の行儀なり」 (要集巻中意) と。
始ニ念仏ノ行相ニ又有↠三。一ニハ正修念仏、二ニハ助念方法、三ニハ別時念仏也。一ニ正修念仏トハ者、此ノ十門ノ中ノ第四門也。此ニ又有リ↢五門↡。「一ニハ礼拝 乃至 五ニハ廻向也。」二ニ助念方法トハ者、此十門ノ中ノ第五門ナリ也。此ニ又有↠七。「一ニハ方処供具 乃至 七ニハ総結要行也。」三ニ別時念仏トハ者、此十門ノ中ノ第六門也。此ニ又有↠二。「一ニハ尋常ノ別行。二ニハ臨終ノ行儀也。」
・念仏往生門 念仏利益
第二に↑▲念仏の利益とは、 これ十門のなかの第七門なり。 これにまた七あり。 「▲一には滅罪生善 乃至 七には悪趣利益なり」 (要集巻下) と。
第二ニ念仏ノ利益トハ者、此十門ノ中ノ第七門也。此ニ又有↠七。「一ニハ滅罪生善 乃至 七ニハ悪趣利益也。」
・念仏往生門 問答料簡
第三に↑問答料簡とは、 これ十門のなかの第八▲念仏証拠門なり。 これにまた三番の問答あり。 およそ正修以下の五門はみな念仏に約す。 ゆゑに合して一門に摂するなり。
第三ニ問答料簡トハ者、此十門ノ中ノ第八念仏証拠門也。此ニ又有↢三番問答↡。凡ソ正修已下ノ五門ハ皆約ス↢念仏ニ↡。故ニ合シテ摂スル↢一門0105ニ↡也。
・諸行往生門
第四に▲諸行往生門とは、 極楽を求むるものはかならずしも念仏をもつぱらにせず、 すべからく余行を明かして楽欲に任すべし。 ゆゑに次にこの門を立つ。 これはこれ十門のなかの第九門なり。 これにまた二あり。 「▲一には↓別して諸経の文を出す。 二には↓総じて諸行を結す」 (要集巻下) と。
第四ニ諸行往生門トハ者、求ム↢極楽↡者ハ不↣必シモ専ラセ↢念仏↡、須ク↧明シテ↢余行ヲ↡任ス↦楽欲ニ↥。故ニ次ニ立ツ↢此ノ門ヲ↡。此ハ是十門ノ中ノ第九門也。此ニ又有↠二。「一ニハ別シテ出↢諸経ノ文ヲ。二ニハ総ジテ結↢諸行ヲ↡。」
・諸行往生門 別明諸経
はじめに ↑「▲別して諸経を明かす」 とは、 ¬四十花厳¼ の普賢願および ¬光明¼・¬阿弥陀¼ 等の顕密の諸大乗これを出せり。
始ニ「別シテ明トハ↢諸経ヲ↡」者、¬四十花厳ノ¼普賢願及ビ¬光明¼・¬阿弥陀¼等ノ顕密ノ諸大乗出セリ↠之ヲ。
・諸行往生門 総結諸業
次に ↑「▲総じて諸業を結す」 とは、 委しくその相を明かす、 すなはち十三あり。 「▲一には財・法等の施 乃至 十三には不染利養なり」 (要集巻下) と。
次ニ「総ジテ結トハ↢諸業↡」者、委ク明ス↢其相ヲ↡、即有↢十三↡。「一ニハ者財・法等ノ施 乃至 十三ニハ者不染利養也。」
・問答料簡門
第五に▲問答料簡門とは、 これ先の諸門に約して、 不審を出して問答解釈するなり。 ゆゑにおはりにこの門を立つ。 これすなはち十門のなかの第十門なり、 これにまた十あり。 「▲一には極楽の依正 乃至 十には助道の人法なり」(要集巻下) と。 前の三は念仏・諸行に通ずべし、 後の七はただ念仏の一行に約すべし。
第五ニ問答料簡門トハ者、此約シテ↢先ノ諸門ニ↡、出シテ↢不審ヲ↡問答解釈スル也。故ニ終リニ立↢此ノ門ヲ↡。此則十門ノ中ノ第十門也。此ニ又有↠十。「一ニハ極楽ノ依正 乃至 十ニハ助道人法ナリ也。」前ノ三ハ可シ↠通ズ↢念仏・諸行ニ↡、後ノ七ハ但約ス↢念仏ノ一行ニ↡也。
・念仏為要
いまこの五門のなかに、 厭離と欣求との二門はすなはち修行の方便なり、 念仏と諸行との二門はまさしく往生の業因なり。 その業因につきて、 要と不要とあり。 すなはち念仏の一門を要となす、 諸行の一門は要にあらず。 ゆゑに序のなか (要集巻上) に 「▲念仏の一門によりて、 いささか経論の要文を集む」 といふ。 また念仏証拠門の第二の問答のなか (要集巻下) にいはく、 「▲ただちに往生の要を弁ずるに、 多く念仏をいふにはしかず」 と。 また同じき第三の問答のなか (要集巻下) にいはく、 「▲あきらかに知りぬ契経に多く念仏をもつて往生の要となす」 と。 その言ただ念仏に限りて諸行に通ぜず。
今此ノ五門ノ中ニ、厭離ト与ノ↢欣求↡二門ハ即修行ノ方便ナリ也、念仏ト与ノ↢諸行↡二門ハ正ク往生ノ業因ナリ也。就↢其ノ業因ニ↡、有リ↣要ト与↢不要↡。即念仏ノ一門ヲ為↠要ト、諸行ノ一門ハ非↠要ニ。○故ニ序ノ中ニ云フ↧「依テ↢念仏ノ一門ニ↡、聊カ集ムト↦経論ノ要文ヲ↥。」又念仏証拠門ノ第二ノ問答ノ中ニ云ク、「不↠如↧直ニ弁↢往生ノ之要↡、多ク云ニハ↦念仏ヲ↥。」又同キ第三ノ問答ノ中ニ云、「明ニ知ヌ契経ニ多ク以↢念仏ヲ↡為スト↢往生ノ要ト↡。」其ノ言只限テ↢念仏ニ↡不↠通0106↢諸行ニ↡。
しかれば念仏の一門に約してその意を得べきなり。 しばらくこの門につきてまた開合の二義あり。 開してすでに五門を立てて釈成すといへども、 合してただ一門に摂して料簡すべし。 まさしく正修念仏の一門、 まさしく要門なり。 助念以下の四門は上の正修の一門を助成す。
而レバ約シテ↢念仏ノ一門ニ↡可↠得↢其ノ意↡也。且ク就↢此ノ門ニ↡又有↢開合ノ二義↡。開シテ既ニ立テヽ↢五門ヲ↡雖↢釈成スト↡、合シテ唯摂シテ↢一門ニ↡可シ↢料簡ス↡。即正修念仏ノ一門、正ク要門ナリ也。助念已下ノ四門ハ助↢成ス上ノ正修ノ一門ヲ↡。
・念仏為要 正修門(観察)
ゆゑにこれによりて、 しばらく△正修門につきて料簡す。 これにまた五門あり。 はじめは礼拝・讃嘆・作願・観察・回向なり。 この五門のなかに、 ただ▲観察をもつてその要となす。 ちなみに礼拝等の余門を挙ぐといへども、 まさしく念仏の名を得るは、 ただ観察の一門なるがゆゑなり。
故ニ依テ↠之、且ク就↢正修門ニ↡料簡ス。此ニ又有↢五門↡。始ハ礼拝・讃嘆・作願・観察・廻向ナリ也。此ノ五門ノ中ニ、唯以↢観察ヲ↡為↢其ノ要ト↡。雖↣因ミニ挙ト↢礼拝等ノ余門ヲ↡、正ク得ルハ↢念仏ノ名↡、但観察ノ一門ナルガ故ナリ也。
この観察門につきて、 また↓観念仏・↓称念仏の二念あり。
就↢此ノ観察門ニ↡、又有↢観念仏・称念仏ノ二念↡。
・念仏為要 正修門(観察) 観念仏
はじめに↑観念仏とは、 これにまた三あり。 「▲一には↓別相観、 二には↓総相観、 三には↓雑略観なり」 (要集巻中) と。
始観念仏トハ者、此レニ又有↠三。「一ニハ別相観、二ニハ総相観、三ニハ雑略観也。」
・念仏為要 正修門(観察) 観念仏 別相観
一に↑▲別相観とは、 また二あり。 初めはまづ▲華座を観じ、 次は▲まさしく相好を観ず。 すでに三十二の相好を出せり。 はじめ頂上よりおはり足下に至るまで、 順逆にこれを観ず。 これにつきて広略あるべし。
一ニ別相観トハ者、又有↠二。初ハ先ヅ観ジ↢華座ヲ↡、次ハ正ク観↢相好ヲ↡也。即出セリ↢三十二相好ヲ↡。始メ自リ↢頂上↡終リ至マデ↢足下ニ↡、順逆ニ観ズ↠之也。就↠之可シ有ル↢広略↡。
・念仏為要 正修門(観察) 観念仏 総相観
二に↑▲総相観とは、 これにまた二あり。 はじめには ▲¬観経¼ によりて相好・光明を観じ、 次には▲この相につきて三身一体を観ず。
二ニ総相観トハ者、此ニ又有↠二。始ニハ依テ↢¬観経ニ¼観ジ↢相好・光明ヲ↡、次ニハ就↢此ノ相ニ↡観ズ↢三身一体↡也。
・念仏為要 正修門(観察) 観念仏 雑略観
三には↑▲雑略観とは、 これにまた二あり。 一には▲白毫観、 二には▲往生観なり。 また▲極略観あり。 これ白毫観の略せるなり。 かくのごとく経々の観文つぶさなり。
三ニハ雑略観トハ者、此ニ又有↠二。一ニハ白毫観、二ニハ往生観也。又有↢極略観↡。此白毫観ノ略セルナリ也。如ク↠此ノ経経ノ観文具サナリ也。
・念仏為要 正修門(観察) 称念仏
次に↑称念仏とは、 文 (要集巻中) にいはく、 「▲↓もし相好を観念するに堪へざるものあらば、 あるいは帰命想により、 あるいは引摂想により、あるいは往生想によりて一心に称念すべし。 以上意楽不同なるがゆゑに種々の観を明かす ◆↓行住坐臥、 語黙作々、 ↓つねにこの念をもつて、 胸中に在け。 飢して食を念ずるがごとく、 渇して水を追ふがごとくせよ。 あるいは↓低頭挙手にも、 あるいは↓声を挙げて称名せよ。 ↓外儀は異なりといへども心念つねに存じて、 念々に相続して、 寤寐にも忘るることなかれ」 と 云々。
次ニ称念仏トハ者、文ニ云ク、「若シ有バ↠不ルモノ↠堪↣観念スルニ↢相好ヲ↡、或ハ依↢帰命想ニ↡、或依↢引摂想ニ↡、或ハ依テ↢往生想ニ↡応↢一心ニ称念ス↡。已上意楽不同ナルガ故ニ明↢種種観↡ 行住坐臥、語黙作作、常ニ以テ↢此ノ念ヲ↡、在↢於胸中↡。如↢飢シテ念ガ↟食、如↢渇シテ追ガ↟水。或低頭挙手ニモ、或ハ挙↠声称名セヨ。外儀雖0107↠異ト心念常ニ存ジテ、念念ニ相続シテ、寤寐ニモ莫レ↠忘ルコト。」云云
いまここに 「↑行住坐臥」 といふより下は、 まさしく念仏の一門を勧むるなり。 これすなはち上に明かすところの観念と称名とを勧むる意なり。 いはゆる文のなかに、 「↑低頭挙手」 とは、 すなはち観念を指す、 「↑挙声称名」 とは、 すなはち称念を指す。 また 「↑常以此念在於胸中」 といひ、 「↑外儀雖異心念常存」 といふ、 この句のなかに、 常の字はすなはち無間の義なり。 しかれば四修のなかの無間修を指す。 まさに知るべし、 この文の意はあるいは観念、 あるいは称念、 意楽に任せ根機に随ひて無間にこれを修し、 念々相続して、 寤寐に忘るることなかれと勧進するなり。
今此ニ自リ↠云↢「行住坐臥ト」↡下ハ、正ク勧ル↢念仏ノ一門ヲ↡也。此則上ニ所ノ↠明勧ムル↢観念ト↡称名トヲ↡意也。所謂ル文ノ中ニ、「低頭挙手トハ」者、即指ス観念↡、「挙声称名トハ」者、即指ス↢称念ヲ↡也。又云ヒ↢「常以此念在於胸中」、云↢「外儀雖異心念常存ト」↡、此ノ句ノ中ニ、常ノ字ハ即無間ノ義ナリ也。而レバ指ス↢四修ノ中ノ無間修ヲ↡也。当ニ↠知ル、此ノ文ノ意ハ勧↧進スルナリ或ハ観念、或ハ称念、任セ↢意楽ニ↡随テ↢根機ニ↡無間ニ修シ↠之ヲ、念念相続シテ、寤寐莫レト忘ルヽコト也。
・念仏為要 正修門(観察) 勝劣難易
しかるに観念と称念と、 勝劣あり、 難易あり。 すなはち観念は勝、 称念は劣なり。 ゆゑに念仏証拠門のなか (要集巻下) にいへり、 「▲ただ念名号をもつて往生の業となす。 いかにいはんや相好を観念せん功徳をや」 と。 また観念は修しがたく、 称念は行じやすし。 ゆゑに上の文 (要集巻中) にいはく、 「↑もし相好を観念するに堪へざるもの、 乃至 一心に称念すべし」 と。 しかればすなはち勝劣によりてまづ観念を勧むといへども、 難易に約してはもつぱらただ称念を勧むるなり。
然ニ観念ト称念ト、勝劣アリ、難易アリ。即観念ハ勝、称念ハ劣ナリ。故ニ念仏証拠門ノ中ニ云ヘリ↧、「但以↢念名号↡為↢往生之業↡。何況観↢念セン相好↡功徳ヲヤト。」又観念ハ難ク↠修シ、称念ハ易↠行ジ。故ニ上ノ文ニ云、「若有バ↠不ルモノ↠堪↣観↢念スルニ相好↡、乃至 応↢一心称念ス↡。」然レバ則依テ↢勝劣ニ↡先ヅ雖↠勧ト↢観念ヲ↡、約シテハ↢難易ニ↡専ラ唯勧↢称念ヲ↡也。
・念仏為要 正修門(観察) 捨難取易
しかるにこの ¬集¼ の意、 始めより終りに至るまで、 難を捨てて易を取る。 すなはち序のなか (要集巻上) にいはく、 「▲これを披きてこれを修するに、 覚しやすく行じやすし」 と。 また念仏証拠門のなか (要集巻下) にいはく、 「▽男女・貴賎、 これを修するに難からず」 等と。 まさに知るべし、 いふところの念仏は、 すなはち称念なり。 しかるに観称のなかには、 なほ易行につきてもつぱら称念を勧む。 この称念につきて、 また三想を用ゆ。 いはく帰命想・引摂想・往生想なり。 このなかにいはく、 ただ引摂想をもつてその要となす。 ゆゑに臨終行儀のなか (要集巻中) に 云々、 「▲願はくは仏引摂したまへ、 南無阿弥陀仏」 と。
而ルニ此ノ¬集ノ¼意、自↠始至マデ↠終、捨テ↠難ヲ取ル↠易。即序ノ中ニ云、「披テ↠之修ルニ↠之、易ク↠覚シ易シ↠行ジ。」又念仏証拠門ノ中ニ云ク、「男女・貴賎、修スルニ↠之ヲ不↠難カラ」等。当ニ↠知ル、所ノ↠言念仏ハ、則称念ナリ也。然ニ観称ノ中ニハ、尚ヲ就↢易行ニ↡専勧ム↢称念ヲ↡。就テ↢此ノ称念ニ↡、又用ユ↢三想↡。謂ク帰命想・引摂想・往生想ナリ也。此ノ中ニ云、但以↢引摂想ヲ↡為↢其ノ要ト。故ニ臨終行儀ノ中ニ 云云、「願ハ仏引摂シタマヘ、南無阿弥陀仏ト。」
・念仏為要 此集大意
およそこの ¬集¼ の大意を論ずるに、 念仏によりて要文を集め、 もつぱら念仏を讃じて行者を勧む。 序 (要集巻上) のなかに 「△念仏一門による」 とは、 すなはちいまの正修念仏門を指す。 また証拠門の始めの問 (要集巻下) に 「▲なんがゆゑぞただ念仏一門を勧むるや」 といひ、 すなはち答 (要集巻下) には 「▲いま念仏を勧む」 といふも、 この門 (要集巻中) のなかの 「△行住坐臥、 語黙作々」 等の文を指す。 この文の外にはさらにかくのごとき勧進の言なきがゆゑなり。 すでに念仏の一門を勧むといふ、 知るべし、 自余の法門を勧めずといふことを。
凡0108ソ論ルニ↢此ノ¬集ノ¼大意ヲ↡、依テ↢念仏ニ↡集メ↢要文ヲ↡、専ラ讃ジテ↢念仏ヲ↡勧ム↢行者ヲ↡也。序ノ中ニ「依トハ↢念仏一門↡」者、即指ス↢今ノ正修念仏門ヲ↡也。又証拠門ノ始ノ問ニ云ヒ↧「何故ゾ唯勧ムル↢念仏一門ヲ↡耶」、即答ニハ言モ↢「今勧念仏ト」↡、指ス↢此門ノ中ノ「行住坐臥、語黙作作」等ノ文ヲ。此ノ文ノ外ニハ更ニ無ガ↢如↠此勧進ノ言↡故也。既ニ言フ↠勧ムト↢念仏ノ一門ヲ↡、可シ↠知ル、不ト云コトヲ↠勧↢自余ノ法門ヲ↡。
・念仏為要 念仏諸行相対
このゆゑに念仏証拠門 これはこれ五門の時は念仏往生門、 十門の時は大文第八なり にすなはち念仏と諸行とを相対して、 往生の得失を判ず。
此ノ故ニ念仏証拠門 此ハ是五門ノ時ハ念仏往生門、十門ノ時ハ大文第八也 即念仏ト諸行トヲ相対シテ、判ズ↢往生ノ得失ヲ。
文に三の問答あり、 義に六の相対あり。 いはく始めの問答のなかにすなはち二の相対あり。 一には↓難行・易行対、 二には↓少分・多分対なり。
文ニ有↢三ノ問答↡、義ニ有↢六ノ相対↡。謂ク始ノ問答ノ中ニ即有↢二ノ相対↡。一ニハ難行・易行対、二ニハ少分・多分対ナリ也。
・念仏為要 念仏諸行相対 難行・易行対
はじめに↑難行・易行対とは、 諸行は難行なり、 念仏は易行なり。 すなはち文 (要集巻下) に 「▲男女・貴賎、 行住坐臥を簡ばず、 時処諸縁を論ぜず、 これを修するに難からず、 乃至臨終に往生を願求するに、 その便宜を得ること念仏にしかず」 といふ、 および ▲¬木槵経¼ の難陀国の波瑠璃王の因縁、 これなり。
○始ニ難行・易行対トハ者、諸行ハ難行ナリ、念仏ハ易行ナリ。即文ニ云↧「男女・貴賎、不↠簡↢行住坐臥↡、不↠論↢時処諸縁↡、修スルニ↠之不↠難カラ、乃至臨終ニ願↢求スルニ往生ヲ↡、得ルコト↢其ノ便宜ヲ↡不ト↞如↢念仏ニ↡」、及ビ¬木槵経ノ¼難陀国ノ波瑠璃王ノ因縁、是也。
・念仏為要 念仏諸行相対 少分・多分対
次に↑少分・多分対とは、 諸行は少分の説、 念仏は多分の説なり。 すなはち文 (要集巻下) に「▲もろもろの聖教のなかに、 多く念仏をもつて往生の業とする。 その文はなはだ多し。 略して十文を出す」 といふ。 始め ¬占察経¼ の文より終り ¬往生論¼ の文に至るまで、 すなはちこれなり。
○次ニ少分・多分対トハ者、諸行ハ少分ノ説、念仏ハ多分ノ説也。即文ニ云↧「諸ノ聖教ノ中ニ、多ク以↢念仏↡為ル↢往生ノ業ト↡。其文甚多シ。略シテ出↦十文ヲ↥。」始メ自リ↢¬占察経ノ¼文↡終リ至マデ↢¬往生論ノ¼文ニ↡、即是也。
第二の問答のなかに、 また三の相対あり。 一には↓因明・直弁対、 二には↓自説・不自説対、 三には↓摂取・不摂取対なり。
第二ノ問答ノ中ニ、又有↢三ノ相対。一ニハ因明・直弁対、二ニハ自説・不自説対、三ニハ摂取・不摂取対ナリ也。
・念仏為要 念仏諸行相対 因明・直弁対
一に↑↓因明・↓直弁対とは、 諸行は因明の行なり、 念仏は直弁の行なり。 すなはち文 (要集巻下) に「▲その余の行法は、 ちなみにかの法の種々の功能を明かす。 そのなかにみづから往生の事を説くことは、 ただちに往生の要を弁ずるに、 多くは念仏をいふにはしかず」 といふ、 これなり。
○一因明・直弁対トハ者、諸行ハ因明ノ行也、念仏ハ直弁ノ行也。即文ニ云↧「其0109ノ余ノ行法ハ、因ニ明ス↢彼ノ法ノ種種ノ功能ヲ↡。其ノ中ニ自ラ説↢往生之事ヲ↡、不↞如↧直ニ弁ズルニ↢往生ノ之要ヲ↡、多クハ云ニハ↦念仏ヲ↥」、是也。
↑因明とは、 しばらく ¬法華¼ にあるいは即身成仏の功能を説く。 すなはち 「提婆品」 のなか (法華経巻四) に 「坐宝蓮華成等正覚」 等といふ、 その文なり。 あるいは六根清浄の功能を説く。 すなはち 「法師功徳品」 の始め (法華経巻六) に 「荘厳六根皆令清浄」 等といふ、 その文なり。 前の文には八歳の龍女が成道を示し、 後の文には五種法師の得益を明かす。 しかのみならずあるいは十方の仏前に生ずと説き、 あるいは釈梵転輪座、 あるいは当生利天上、 あるいは即往兜率天上と説く。 かくのごときの種々の功能を明かす、 ちなみにみづから往生の事を説く。 すなはち 「薬王品」 のなか (法華経巻六) に 「即往安楽世界阿弥陀仏大菩薩衆囲遶住処、 生蓮華中宝座之上」 といふ、 その文なり。 法華を修行するにつきてかくのごとし、 余の行法もこれに准じて知るべし。
因明トハ者、且ク¬法華ニ¼或ハ説ク↢即身成仏ノ功能ヲ↡。即「提婆品ノ」中ニ云↢「坐宝蓮華成等正覚」等ト↡、其ノ文ナリ也。或ハ説ク↢六根清浄ノ功能ヲ↡。即「法師功徳品ノ」始ニ云↢「荘厳六根皆令清浄」等ト↡、其文也。前ノ文ニハ示シ↢八歳ノ龍女ガ成道ヲ↡、後ノ文ニハ明ス↢五種法師ノ得益↡也。加之或ハ説↠生ズト↢十方ノ仏前ニ↡、或ハ説↢釈梵転輪座、或ハ当生利天上、或ハ即往兜率天上ト↡。明ス↢如↠此ノ種種ノ功能ヲ↡、因ニ自説↢往生ノ事ヲ↡。即「薬王品ノ」中ニ云↢「即往安楽世界阿弥陀仏大菩薩衆囲遶住処、生蓮華中宝座之上ト」、其ノ文也。就テ↣修↢行スルニ法華ヲ↡如シ↠此ノ、余ノ行法モ准ジテ↠之ニ可シ↠知ル。
↑直弁とは、 ¬大経¼・¬観経¼・¬阿弥陀経¼ 等に念仏を説くことは、 もとより往生の一事のためなり。 ゆゑに 「直弁往生の要」 等といふ。
直弁トハ者、¬大経¼・¬観経¼・¬阿弥陀経¼等ニ説コトハ↢念仏ヲ↡、従↠本為ナリ↢往生ノ一事ノ↡也。故ニ云↢「直弁往生ノ之要」等ト↡。
・念仏為要 念仏諸行相対 自説・不自説対
二に↑自説・不自説対とは、 諸行は弥陀仏のみづから説きたまへる行にはあらず、 念仏は弥陀すなはち自説の行なり。 すなはち文 (要集巻下) に 「▲仏みづからすでに当念我とのたまへる」 といふ、 これなり。 これはこれ上の所引の十文のなかの ¬般舟三昧経¼ (巻上行品) の 「▲欲来生我国者」 の文を指すなり。
○二ニ自説・不自説対トハ者、諸行ハ非ズ↢弥陀仏ノ自説ヘル行ニハ↡、念仏ハ弥陀即チ自説ノ行也。即文ニ云フ↧「仏自既ニ言↢当念我↡乎ト↢↥」、是也。此ハ是指ス↢上ノ所引ノ十文ノ中ノ¬般舟三昧経ノ¼「欲来生我国者ノ」文ヲ↡也。
・念仏為要 念仏諸行相対 摂取・不摂取対
三に↑摂取・不摂取対とは、 諸行は仏の光明摂取したまはざる行なり、 念仏は仏の光明摂取したまふ行なり。 すなはち文 (要集巻下) に 「▲また仏の光明余行の人を摂取すといはず」 といふ、 これなり。 これまた上の十文のなかの ¬観経¼ の 「▲光明遍照」 の文を指すなり。
○三ニ摂取・不摂取対トハ者、諸行ハ仏ノ光明不ル↢摂取タマハ↡行也、念仏ハ仏ノ光明摂取タマフ行也。即文ニ云フ↢「亦不ト↟云↣仏ノ光明摂↢取0110スト余行ノ人↡」、是也。此又指↢上ノ十文ノ中ノ¬観経ノ¼「光明遍照ノ」文ヲ↡也。
・念仏為要 念仏諸行相対 随宜・尽理対
第三の問答のなかにただ一の相対あり。 いはく随宜・尽理対なり。 諸行は如来随宜の説なり、 念仏は四依尽理の説なり。 すなはち文に馬鳴菩薩の ¬大乗起信論¼ を引きて、 後に結して (要集巻下) 「▲あきらかに知りぬ契経には多く念仏をもつて往生の要となす。 もししからずんば、 四依の菩薩すなはち尽理にあらず」 といへる、 すなはちこれなり。
○第三ノ問答ノ中ニ只一ノ相対アリ。謂ク随宜・尽理対也。諸行ハ如来随宜ノ説ナリ、念仏ハ四依尽理ノ説也。即文ニ引テ↢馬鳴菩薩ノ¬大乗起信論ヲ¼↡、後ニ結シテ云ヘル↧「明ニ知ヌ契経ニハ多ク以テ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ要ト↡。若シ不ンバ↠爾者、四依ノ菩薩即非ト↦尽理ニ↥」、即是也。
いま六義をもつて二行の要否を案ずるに、 諸行はすなはち往生の要にあらず、 念仏はすでに往生の要なり。 このゆゑに諸行の一門には、 わずかに行の名を列するといへども、 いまだくはしく行相を明らかにせず、 おのおのの楽欲に任すといひていまだ慇懃に行者を勧めず。 念仏の一門は、 但念・助念・長時、 行相といひ、 利益といひ、 あるいは証拠を引き、 あるいは道理を尽して、 分明にこれを釈し、 慇懃にこれを勧む。 ここに知りぬ恵心の御意、 もつぱら念仏をもつて往生の要とすることを。
今以テ↢六義ヲ↡案ルニ↢二行ノ要否ヲ↡、諸行ハ即非↢往生ノ要ニ↡、念仏ハ既ニ往生ノ要也。是ノ故ニ諸行ノ一門ニハ、纔ニ雖↠列↢行ノ名ヲ↡、未ダ↣細ク明↢行相ヲ↡、云テ↠任ト↢各ノ楽欲ニ↡未ダ↣慇懃ニ勧メ↢行者ヲ↡。念仏ノ一門ハ、但念・助念・長時、云ヒ↢行相ト↡、云ヒ↢利益ト↡、或ハ引キ↢証拠↡、或ハ尽シテ↢道理ヲ↡、分明ニ釈シ↠之ヲ、慇懃ニ勧ム↠之。爰ニ知ヌ恵心ノ御意、専ラ以テ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ要ト。
・念仏為要 専雑得失
しかのみならず問答料簡 (要集巻下) のなかにいはく、 「▲問ふ。 もし凡下の輩また往生を得といはば、 いかんぞ、 近代かの国において求むるものは千万なれども、 得るものは一二もなきや。 ▲答ふ。 導和尚いはく、 若よく上のごとく念々相続して畢命を期となすものは、 十はすなはち十生し、 百はすなはち百生す。 もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、 百の時希に一二を得、 千の時に希に三五を得。 ↓如上といふは礼拝等の五念門、 至誠等の三心、 長時等の四修を指すなり
加↠之問答料簡ノ中ニ云、「問。若凡下ノ輩亦得イハヾ↢往生↡、云何ゾ、近代於テ↢彼ノ国ニ↡求者ハ千万ナレドモ、得ルモノハ無キヤ↢一二モ。答。導和尚云、若能ク如↠上ノ念念相続シテ畢命ヲ為↠期ト者ハ、十ハ即十生シ、百ハ即百生ス。若シ欲↣捨テヽ↠専修↢雑業ヲ↡者ハ、百ノ時希ニ得↢一二ヲ↡、千ノ時ニ希ニ得↢三五↡。言ハ↢如上↡者指↢礼拝等ノ五念門、至誠等三心、長時等四修↡也
▲問ふ。 ¬菩薩処胎経¼ の第二に説かく、 西方この閻浮提を去ること十二億那由他に懈慢界あり。 乃至 ▲前後に意を発す衆生の阿弥陀仏国に生ぜんと欲するもの、 みな深く華鬘国土に著して、 前進して阿弥陀仏国に生ずることあたはず。 億千万衆の、 時に一人ありてよく阿弥陀仏国に生ず。 以上 ◆この ¬経¼ をもつて推するに、 生ずることを得べきことかたし。 ◆答ふ。 ↓¬群疑論¼ に善導和尚の前の文を引きてこの難を釈す。 またみづから助成していはく、 この ¬経¼ の下の文にいはく、 なにをもつてのゆゑに。 みな懈慢にして執心牢固ならざるによる。 ◆ここに知りぬ雑修のものをば執心不牢の人とす。 ゆゑに懈慢国に生ずるなり。 もし雑修ならずしてもつぱらこの業を行ずるは、 これすなはち執心牢固にして、 定めて極楽に生ず」 と。 云々 略抄
問。¬菩薩処胎経ノ¼第二ニ説ク、西方去ルコト↢此閻浮提ヲ十二億那由他ニ有↢懈慢界↡。乃至 前後ニ発↠意ヲ衆生ノ欲スル↠生ント↢阿弥陀仏国ニ↡者、皆深ク著シテ↢華鬘国土ニ↡、不↠能↣前進テ生コト↢阿弥陀仏国ニ↡。億千万衆ノ、時ニ有テ↢一人0111↡能ク生ズ↢阿弥陀仏国↡。已上 以テ↢此ノ¬経ヲ¼↡推スルニ、難シ↠可コト↠得↠生コトヲ。答。¬群疑論ニ¼引テ↢善導和尚ノ前ノ文ヲ↡而釈ス↢此難ヲ↡。又自助成シテ云ク、此¬経ノ¼下ノ文ニ言ク、何ヲ以ノ故ニ。皆由↢懈慢ニシテ執心不ルニ↢牢固ナラ↡。是知ヌ雑修ノ之者ヲバ為↢執心不牢ノ之人ト。故ニ生↢懈慢国ニ↡也。若シ不シテ↢雑修↡専ラ行ズルハ↢此ノ業ヲ↡、此即執心牢固ニシテ、定テ生↢極楽ニ。」云云 略抄
前の文の注に 「↑如上とは礼・讃等の五念門、 至誠等の三心、 長時等の四修を指す」 とは、 すなはち ¬往生礼讃¼ の序にいはく、 「▲¬観経¼ に説くがごとし、 三心を具すればかならず往生を得。 なんらをか三とす。 ◆一には至誠心。 いはゆる身業にかの仏を礼拝し、 口業にかの仏を讃嘆称揚し、 意業にかの仏を専念観察す。 およそ三業を起すにはかならず真実を須ゆ。 ゆゑに至誠心と名づく。 ◆二には深心。 すなはちこれ真実の信心なり。 自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、 善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知して、 乃至 ▲畢命を期となして誓ひて中止せざる、 すなはちこれ長時修なり。 云々
前文ノ注ニ「如上ト者指↢礼・讃等ノ五念門、至誠等ノ三心、長時等ノ四修ヲ↡也トハ」者、即¬往生礼讃ノ¼序ニ云ク、「如↢¬観経ニ¼説ガ↡、具スレバ↢三心ヲ↡必ズ得↢往生ヲ↡。何等ヲカ為↠三ト。一ニハ者至誠心。所謂ル身業ニ礼↢拝彼ノ仏↡、口業ニ讃↢嘆称↣揚彼ノ仏ヲ↡、意業ニ専↢念観↣察彼仏ヲ↡。凡起ニハ↢三業ヲ↡必ズ須ユ↢真実ヲ↡。故ニ名↢至誠心↡。二ニハ者深心。即是真実ノ信心ナリ。信↧知自身ハ是具↢足セル煩悩ヲ↡凡夫、善根薄少ニシテ流↢転シテ三界ニ↡不ト↞出デ↢火宅ヲ↡、乃至 畢命ヲ為シテ↠期ト誓テ不ル↢中止↡、則是長時修ナリ。云云
また後の文にいはく、 「↑¬群疑論¼ に、 善導和尚の前の文を引きてこの難を釈す」 とは、 すなはちかの論文 (群疑論巻四意) にいはく、 「善導禅師もろもろの衆生を勧めて、 もつぱら西方浄土の業を修すとは、 四修堕することなく三業雑ふることなく、 余の一切の諸願諸行を廃して西方の一行を唯願唯行して、 雑修のものは万に一りも生ぜず、 専修の人は千に一りも失することなし。 その行を雑ふれば懈慢の邦に墜つ、 その業をもつぱらにすれば安楽国に生ず」 と 云々。
又後ノ文ニ云ク、「¬群疑論ニ¼、引↢善導和尚ノ前ノ文ヲ↡釈トハ↢此難ヲ↡」者、即彼ノ論文ニ云ク、「善導禅師勧テ↢諸ノ衆生ヲ↡、専ラ修↢西方浄土業ヲ↡者、四修靡↠堕ルコト三業無↠雑、廃シテ↢余ノ一切ノ諸願諸行ヲ↡唯↢願唯↣行西方ノ一行ヲ↡、雑修之者ハ万ニ不↢一リモ生↡、専修之人ハ千ニ無シ↢一リモ失スルコト↡。雑↢其ノ行↡墜↢於懈慢ノ之邦ニ↡、専↢其業ヲ↡生ズ↢於安楽国ニ↡。」云云
いまこれらの文によるに、 恵心も詮要には善導の専雑二修を引用して、 往生の得否を決す。 しかも雑修雑行を嫌ひて専修を勧むる志、 これをもつて知るべし。 ¬往生要集¼ の詮要大概ここに在り。
今拠ニ↢此等ノ文ニ↡、恵心モ詮要ニハ引↢用テ善導ノ専雑二修0112ヲ↡、決ス↢往生ノ得否ヲ↡。而モ嫌テ↢雑修雑行↡勧ル↢専修↡之志、以テ↠之可シ↠知。¬往生要集ノ¼詮要大概在リ↠此ニ。
・念仏為要 総結要行
¬往生要集¼ の要行、 「▲第七総結要行とは」 (要集巻中) 等 云々。 わたくしにいはく、 この総結要行は、 ¬往生要集¼ の肝心、 決定往生の要法なり。 学者よくこれを解して、 その要不要を知るべし。 文に二番の問答あり。
¬往生要集ノ¼要行、「第七総結要行トハ者」万ニ不↢一等 云云。○私ニ云、此総結要行ハ、¬往生要集ノ¼肝心、決定往生ノ要法ナリ也。学者善解シテ↠之、可シ↠知↢其ノ要不要ヲ↡也。文ニ有↢二番ノ問答↡。
・念仏為要 総結要行 第一問答
▲はじめの問のなかに、 「▲上の諸門のなか」 とは、 上に五門あり。 一には厭離穢土門、 二には欣求浄土門、 三には極楽証拠門、 四には正修念仏門、 五には助念方法門なり。 これらを上の諸門といふ。
◇始ノ問ノ中ニ、「上ノ諸門ノ中トハ」者、上ニ有↢五門↡。一ニハ厭離穢土門、二ニハ欣求浄土門、三ニハ極楽証拠門、四ニハ正修念仏門、五ニハ助念方法門ナリ也。指シテ↢此等ヲ↡云↢上ノ諸門↡也。
次に 「▲所陳すでに多し」 とは、 厭離門のなかに陳ぶるところ七章あり、 欣求門に十章あり、 証拠門に二章あり、 助念門に六章あり。 これらの諸章に明かすところ多し。 ゆゑに陳ぶるところすでに多しといふ。
◇次ニ「所陳既ニ多トハ」者、厭離門ノ中ニ所↠陳有↢七章↡、欣求門ニ有↢十章↡、証拠門有↢二章↡、助念門ニ有↢六章↡。此等ノ諸章ニ所↠明ス多シ。故ニ云↢所↠陳既多ト↡也。
次に 「▲いまだ知らずいづれの業をか往生の要となす」 とは、 上の諸門におのおの陳ぶるところの行業すでに多し、 しかるにいまだその要を知らず。 ゆゑにその要法を知らんがためにかくのごとく問ずなり。
◇次ニ「未↠知何業ヲカ為トハ↢往生ノ要↡」者、上ノ諸門ニ各ノ所↠陳行業既ニ多シ、而未ダ↠知↢其ノ要ヲ↡。故ニ為↠知ンガ↢其ノ要法ヲ↡如ク此ノ問ズ也。
▲次に答のなかに二あり。 一には↓答の意を陳べ、 二に↓答の文を釈す。
◇次ニ答ノ中ニ有↠二。一ニハ陳↢答ノ意ヲ↡、二ニ釈ス↢答ノ文ヲ↡。
・念仏為要 総結要行 第一問答 宣答意
はじめに↑答の意を宣ぶとは、 上の諸門のなかの諸行につきて、 問に要と不要とあるがゆゑに、 答にもまたまた上の諸門のなかに、 その不要を捨ててその要行を示す。 これすなはち答の大意なり。
◇始ニ宣ブトハ↢答ノ意ヲ↡者、就テ↢上ノ諸門ノ中ノ諸行ニ↡、問ニ有ガ↢要ト不要ト↡故ニ、答ニモ*又*又上ノ諸門ノ中ニ、捨テヽ↢其ノ不要ヲ↡示ス↢其ノ要行↡。此即答ノ大意也。
・念仏為要 総結要行 第一問答 釈答文
次に↑答の文を釈すとは、 また分ちて二あり。 一には↓総じて五門につきてこれを簡び、 二に↓別して二門に付こてこれを簡ぶ。
◇次ニ釈トハ↢答文↡者、又分有↠二。一ニハ総ジテ就テ↢五門↡簡↠之、二ニ別シテ付↢二門ニ↡簡↠之。
・念仏為要 総結要行 第一問答 釈答文 総簡五門
はじめに↑総じて五門につきて簡ぶとは、 上の厭離・欣求・証拠の三門はこれ往生の要にあらず、 ゆゑに捨てて取らず。 第四の正修・第五の助念、 この二門はこれ往生の要なるが故に簡びてこれを取る。 「大菩提心護三業」 等といふ、 これなり。 「▲↓菩提心」 と 「▲↓念仏」 とは、 これ第四門なり。 「▲↓護三業」 と 「▲↓深信」 と 「▲↓至誠」 と 「▲↓常念」 と 「▲↓随願」 とは、 これ第五門なり。 これすなはち総じて諸門につきてその要を挙げて、 その不要を簡ぶなり。
◇始ニ総ジテ就↢五門ニ↡簡トハ者、上ノ厭離・欣求・証拠ノ三門ハ非↢是往生ノ要ニ↡、故ニ捨テヽ不↠取。第四ノ正修・第五ノ助念、此ノ二門ハ是0113往生ノ要ナルガ故ニ簡テ取ル↠之。云↢「大菩提心護三業」等ト↡、是ナリ也。◇「菩提心ト」「念仏トハ」、此第四門也。「護三業ト」「深信ト」「至誠ト」「常念ト」「随願トハ」、是第五門ナリ也。此即総ジテ就テ↢諸門ニ↡挙テ↢其ノ要ヲ↡、簡↢其ノ不要ヲ↡也。
・念仏為要 総結要行 第一問答 釈答文 別簡二門
次に↑別して二門につきて簡ぶとは、 これにまた二あり。 一には↓第四門につきてこれを簡び、 二には↓第五門につきてこれを簡ぶ。
◇次ニ別シテ就↢二門ニ↡簡トハ者、此ニ又有↠二。一ニハ者就↢第四門ニ↡簡↠之、二ニハ就↢第五門ニ↡簡↠之。
・念仏為要 総結要行 第一問答 釈答文 別二門 第四門(正修念仏)
はじめに↑第四門につきて簡ぶとは、 この門にまた五門あり。 「△一には礼拝門、 二には讃嘆門、 三には作願門、 四には観察門、 五には回向門なり」 (要集巻上) と。 この五門のなかに、 作願・観察の二門をもつて往生の要となす、 余の三門はこれ要にあらず。 ゆゑに 「菩提心」・「念仏」 といひて、 さらに礼拝・讃歎等といはず。
◇始ニ就↢第四門↡簡トハ、此ノ門ニ又有↢五門↡。「一ニハ礼拝門、二ニハ讃嘆門、三ニハ作願門、四ニハ観察門、五ニハ廻向門ナリ也。」此ノ五門ノ中ニ、以テ↢作願・観察ノ二門ヲ↡為↢往生ノ要ト↡、余ノ三門ハ非↢是要ニ↡。故ニ云テ↢「菩提心」・「念仏ト」↡、更ニ不↠云ハ↢礼拝・讃歎等ト↡。
また↑菩提心につきて、 事あり理あり。 文のなかにいまだこれを簡ばずといへども、 義をもつて得心す。 また念仏に例するに、 事の菩提心をもつて往生の要となす。
◇又就↢菩提心ニ↡、有↠事有↠理。文ノ中ニ雖↠未ダ↠簡↠之、以↠義得心。又例スルニ↢念仏ニ↡、以テ↢事ノ菩提心ヲ↡為↢往生ノ要ト↡。
また↑念仏とは、 これ観察門の異名なり。 しかるに念仏において、 また観察あり、 称名あり。 いま称名をもつて要となす。 ゆゑに次の問答のなかに 「▲称念仏是行善」 といふ。
◇又念仏トハ者、是観察門ノ異名也。而ニ於テ↢念仏ニ↡、又有↢観察↡、有↢称名↡。今以テ↢称名ヲ↡為↠要ト。故ニ次ノ問答ノ中ニ云フ↢「称念仏是行善ト」↡。
これをもつてこれを思ふに、 ¬往生要集¼ の意、 称名念仏をもつて往生の至要となすなり。
◇以テ↠之思↠之ヲ、¬往生要集ノ¼意、以テ↢称名念仏ヲ↡為↢往生ノ至要ト↡也。
・念仏為要 総結要行 第一問答 釈答文 別二門 第五門(助念方法)
二に別して↑第五門につきて簡ぶとは、 この門にまた六あり。 「△一には方処供具、 二には修行相貌、 三には対治懈怠、 四には止悪衆善、 五には懺悔衆罪、 六には対治魔事なり」(要集巻中) と。 この六法のなかに、 ↓第二・↓第四の二門を要となす。 第一・第三・第五・第六の四門はこれ要にあらず。 ゆゑに捨てて取らず。
◇二ニ別テ就テ↢第五門ニ↡簡ブトハ者、此ノ門ニ又有↠六。「一ニハ方処供具、二ニハ修行相貌、三ニハ対治懈怠、四ニハ止悪衆善、五ニハ懺悔衆罪、六ニハ対治魔事ナリ也。」此ノ六法ノ中ニ、第二・第四ノ二門ヲ為↠要ト。第一・第三・第五・第六ノ四門ハ是非↠要ニ。故ニ捨テヽ不↠取。
↑第二の修行相貌に、 ↓四修あり、 ↓三心あり。
◇就↢第二ノ修行相貌ニ、有↢四修↡、有↢三心↡。
↑四修とは、 一には長時修、 二には慇重修、 三には無間修、 四に無余修なり。 この四修のなかに、 ただ無間修を取りてその要となし、 余の三は要にあらず。 無間修とは、 すなはち↑常念仏の義なり。 文に ¬西方要決¼ を引きていはく、 「三には無間修、 ▲いはくつねに念仏して往生の想を作せ」 と 云々。
◇四修トハ者、一ニハ長時修、二ニハ慇0114重修、三ニハ無間修、四ニ無余修ナリ也。此ノ四修ノ中ニ、唯取テ↢無間修ヲ↡為↢其ノ要ト↡、余ノ三ハ非ズ↠要ニ。無間修トハ者、即常念仏ノ義也。文ニ引テ↢¬西方要決ヲ¼↡云ク、「三ニハ者無間修、謂ク常ニ念仏シテ作↢往生ノ想ヲ↡。」云云
↑三心においては捨てずしてみな取る、 これ往生の要なるがゆゑなり。 文にいはく、 「↑深信↑至誠」 および 「↑随願」 と、 すなはちこの意なり。
◇於テハ↢三心ニ↡不シテ↠捨皆取ル、是往生ノ要ナルガ故ナリ也。文ニ云ク、「深信至誠」及ビ「随願ト」、即此ノ意也。
次に↑第四門の止悪修善に六あり。 「▲一には持戒不犯。 二には不起邪見。 三には不生憍慢。 四には不恚不嫉。 五には勇猛精進。 六には▲読誦大乗なり」 (要集巻中意) と。 この六法のなかに、 ただ第一の持戒不犯を取りて往生の要となす。 ゆゑに 「↑護三業」 といふ。 「三業の悪を護る」 とは、 すなはち持戒なり、 余の五は要にあらず。
◇次ニ就↢第四門ノ止悪修善ニ↡有↠六。「一ニハ持戒不犯。二ニハ不起邪見。三ニハ不生憍慢。四ニハ不恚不嫉。五ニハ勇猛精進。六ニハ読誦大乗ナリ也。」此ノ六法ノ中ニ、唯取テ↢第一ノ持戒不犯↡為↢往生ノ要ト↡。故ニ云フ↢「護三業ト」↡。「護トハ↢三業ノ悪↡」者、即持戒也、余ノ五ハ非↠要ニ。
ただし菩薩戒にまた十重あり四十八軽あり、 いまこの ¬集¼ の意は重を取り軽を取らず。 文に 「▲三業重悪」 といふ、 この意なり。
◇但菩薩戒ニ又有↢十重↡有↢四十八軽↡、今此¬集ノ¼意ハ取↠重ヲ不↠取↠軽ヲ。文ニ云↢「三業重悪ト」↡、是ノ意也。
つらつらこの問答の意を案ずるに、 この ¬要集¼ の意によりて往生を遂げんと欲する人は、 まづ縁事の大菩提心を発し、 次に菩薩の十重禁戒を持して、 深信・至誠をもつてつねに弥陀の名号を称し、 回向発願すれば、 決定して往生を得。 これすなはちこの ¬集¼ の正意なり。
◇倩ラ案ズルニ↢此問答ノ意ヲ↡、依テ↢此ノ¬要集ノ¼意ニ↡欲スル↠遂ト↢往生ヲ↡人ハ、先ヅ発シ↢縁事ノ大菩提心↡、次ニ持↢菩薩ノ十重禁戒↡、以↢深信・至誠↡常ニ称シ↢弥陀ノ名号ヲ↡、廻向発願スレバ、決定シテ得↢往生ヲ↡。此則此ノ¬集ノ¼正意也。
・念仏為要 総結要行 第二問答
次にまた▲問答あり、 これらの七法をもつて、 往生の要とする由を顕すなり。 その文見やすし、 繁きを恐れて注せず。
◇次ニ又有↢問答↡、顕ス↧以テ↢此等ノ七法↡、為↢往生ノ要ト↡之由ヲ↥也。其ノ文易シ↠見、恐レテ↠繁ヲ不↠注。
上の厭離等の五門を約して要否を簡ぶこと、 すでにかくのごとし。 下の別時等の五門はこれ要にあらず、 これをもつて知るべし。
◇約シテ↢上ノ厭離等ノ五門↡簡コト↢要否ヲ↡、既ニ如↠此ノ。下ノ別時等ノ五門ハ此非↠要、以↠之可↠知。
また念仏往生に二あり。 一には但念仏、 二には助念仏なり。 いまこの ¬要集¼ の意は、 助念仏をもつて決定の往生業といふか。
◇又念仏往生ニ有↠二。一ニハ但念仏、二ニハ助念仏也。今此ノ¬要集ノ¼意ハ、以↢助念仏ヲ↡云フ↢決定往生業ト↡哉。