八0090、往生要集略料簡
※▲往生要集略料簡第八 源空記
序 (要集巻上) にいはく、 「このゆゑに念仏の一門によりて、 いささか経論の文を集む。 これを披きこれを修するに、 覚りやすく行じやすし」 と。
○序ニ云ク、「是ノ故ニ依テ↢念仏ノ一門ニ↡、聊カ集ム↢経論ノ文ヲ↡。披キ↠之ヲ修ルニ↠之ヲ、易ク↠覚易シト↠行ジ。」
わたくしにいはく、 それ序はあらかじめ略して一部の奥旨を述べて、 もつて部内の元意を示す。 しかれば序のなかにすでに 「念仏の一門による」 といへり。 あきらかに知りぬこの ¬集¼ の意は、 諸行をもつて往生の要となさず、 まさしく念仏をもつて要となすことを。 かくのごとく処々に多く念仏をもつて往生の要となす 云々。
◇私ニ云ク、夫レ序ハ者預メ略シテ述テ↢於一部ノ奥旨ヲ↡、以テ示ス↢部内ノ元意ヲ↡。然バ序ノ中ニ既ニ云ヘリ↠「依ルト↢念仏ノ一門ニ↡。」明ニ知ヌ此ノ¬集ノ¼意ハ、以テ↢諸行ヲ↡不↠為↢往生ノ要ト↡、正ク以テ↢念仏ヲ↡為コトヲ↠要也。如↠之処処ニ多以テ↢念仏ヲ↡為ス↢往生ノ要ト↡ 云云。
その文一にあらず。 総結要行 (要集巻中) にいはく、 「往生の業には念仏を本となす」 と。 また念仏証拠門 (要集巻下) にいはく、 「ただちに往生の要を弁ずるに多く念仏といふにはしかず」 と。 また (要集巻下) いはく、 「あきらかに知りぬ契経に多く念仏をもつて往生の要となすことを」 と。 ゆゑに諸業は第九門に至りてわづかにこれを明かすといへども、 慇懃の義にあらず、 また勧進なし。 おのおの楽欲に任ずるのみ。
◇其ノ文非ズ↠一ニ。総結要行ニ云ク、「往生之業ニハ念仏ヲ為スト↠本ト。」又念仏証拠門ニ云ク、「不↠如↧直ニ弁ズルニ↢往生ノ要ヲ↡多ク云ニハ↦念仏ト↥。」又云ク、「明ニ知ヌ契経ニ多ク以テ↢念仏ヲ↡為コトヲ↢往生ノ要ト↡。」所以ニ諸業ハ至テ↢第九門ニ↡纔ニ雖↠明↠之、不↢慇懃ノ義ニ↡、又無シ↢勧進↡。任ズル↢各ノ楽欲ニ↡而已。
観察門 (要集巻中) にいはく、 「初心の観行深奥に堪へずんば、 乃至このゆゑにまさに色相観を修すべし。 これに分ちて三となす。 一には別相観、 二には総相観、 三には雑略観なり。 意楽に随ひてこれを用ゐるべし。 初めに別相観とは 云々。 二に総相観とは 云々。 三は雑略観とは 云々。 もし相好を観念するに堪へざるものあらば、 あるいは帰命の想により、 あるいは引摂の想により、 あるいは往生の想によりて一心に称念すべし。 以上意楽不同なるがゆゑに種々の観を明かす
◇観察門ニ云ク、「初心ノ観行不ンバ↠堪↢深奥ニ↡、乃至是ノ故ニ当ニシ↠修ス↢色相観ヲ↡。此ニ分テ為↠三ト。一ニハ別相観、二ニハ総相観、三雑略観也。随テ↢意楽ニ↡応シ↠用↠之ヲ。初ニ別相観トハ 云云。二ニ総相観トハ 云云。三ハ雑略観トハ 云云。若シ有ラバ↠不ルモノ↠堪↣観↢念スルニ相好↡、或ハ依リ↢帰命ノ想ニ↡、或ハ依リ↢引摂ノ想ニ↡、或ハ依テ↢往生ノ想ニ↡応↢一心ニ称念ス↡。已上意楽不同ナルガ故ニ明↢種種観ヲ↡
行住坐臥、 語黙作々、 つねにこの念をもつて胸中に在きて、 飢して食を念ふがごとく、 渇して水を追ふがごとくせよ。 あるいは低頭挙手にも、 あるいは声を挙げて称名せよ。 外儀は異なりといへども心念はつねに存じて、 念々に相続し、 寤寐に忘るることなかれ。 云々
◇行住坐臥、語黙作作、常ニ以テ↢此ノ念ヲ↡在テ↢於胸中ニ↡、如ク↢飢テ念ガ↟食、如セヨ↢渇シテ追ガ↟水ヲ。或ハ低頭挙手ニモ、或挙テ↠声ヲ称0091名セヨ。外儀ハ雖↠異ト心念ハ常ニ存ジテ、念念ニ相続シ、寤寐莫レ↠忘。云云
わたくしにいはく、 これすなはちこの ¬集¼ の肝心なり、 行者よく心に留むべし。
◇私ニ云ク、是則此ノ¬集ノ¼肝心ナリ也、行者能可↠留↠心。
総結要行 (要集巻中) にいはく、 「問ふ。 上の諸門のなかに陳ぶるところすでに多し。 いまだ知らずいづれの業をもつてか往生の要とするや。 答ふ。 大菩提心あつて三業を護り、 深信至誠にしてつねに念仏すれば、 願に随ひて決定して極楽に生ず。 いはんやまた余のもろもろの妙行を具せんをや」 と。
○総結要行ニ云ク、「問。上ノ諸門ノ中ニ所↠陳既ニ多シ。未ダ↠知何業ヲ以カ為ルヤ↢往生ノ要ト↡。答。大菩提心アテ護リ↢三業ヲ↡、深信至誠ニシテ常ニ念仏スレバ、随テ↠願ニ決定シテ生ズ↢極楽ニ↡。況ヤ復具ンヲヤ↢余ノ諸ノ妙行ヲ↡。」
わたくしにいはく、 初めの問の意は、 「上の諸門」 とは、 厭離等の五門を指すなり。 「陳ぶるところすでに多し」 とは、 厭離に七つあり、 欣求に十あり、 証拠に二つあり、 正修に五つあり、 助念に七つあり。 かくのごときの諸門のなかに、 陳ぶるところすでにもつて多し、 いまだ知らずいづれの業をか往生の要とすると問ふなり。
◇私ニ云ク、初ノ問ノ意ハ者、「上諸門トハ」者、指ス↢厭離等ノ五門ヲ↡也。「所↠陳既ニ多ト」者、厭離ニ有↠七ツ、欣求ニ有↠十、証拠ニ有↠二、正修ニ有↠五、助念ニ有リ↠七。如ノ↠是ノ諸門ノ中ニ、所↠陳既ニ以テ多シ、未ダ↠知何業ヲカ為ルト↢往生ノ要ト↡問也。
◇次に答の意は、 しばらく問に准じて七法を選びて、 もつて往生の要とするなり。 上の五門のなかに、 厭離・欣求・証拠の三門は要にあらず、 ゆゑに捨てて取らず。 「大菩提心」 とは、 上の正修念仏門のなかに五念門あり、 そのなかに作願門を取るなり。 「護三業」 とは、 上の止悪衆善のなかに止悪の辺を取るなり。
◇次ニ答ノ意ハ者、且ク准ジテ↠問ニ選テ↢七法ヲ↡、以テ為ル↢往生ノ要ト↡也。上ノ五門ノ中ニ、厭離・欣求・証拠ノ三門ハ非↠要ニ、故ニ捨テ不↠取。◇「大菩提心トハ」者、上ノ正修念仏門ノ中ニ有↢五念門↡、其ノ中ニ取ル↢作願門ヲ↡也。◇「護三業ト」者、上ノ止悪衆善ノ中ニ取ル↢止悪ノ辺ヲ↡也。
問ふ。 止悪のなかに十重・四十八軽あり、 ともにこれを取るか。 答ふ。 しからず、 まさしく十重を取るなり。 ゆゑに下の文 (要集巻中) にいはく、 「三業の重悪よく正道を障ふ。 ゆゑにすべからくこれを護るべし」 と。
◇問。止悪ノ中ニ有リ↢十重・四十八軽↡、共ニ取ルカ↠之歟。答。不↠然、正ク取ル↢十重ヲ↡也。故ニ下ノ文ニ云ク、「三業ノ重悪能ク障フ↢正道ヲ↡。故須ク↠護ル↠之ヲ」。
「深信」 とは、 上の修行の相貌のなかに、 四修・三心あり、 三心のなかに深信を取る。 「至誠」 とは、 至誠心を取るなり。 「つねに」 とは、 四修のなかに無間修を取るなり。 「念仏」 とは、 上の五念のなかに観察門を取るなり。
◇「深信トハ」者、上ノ修行ノ相貌ノ中ニ、有↢四修・三心↡、三心ノ中ニ取ル↢深信ヲ↡。◇「至誠トハ」者、取ル↢至誠心ヲ↡也。◇「常トハ」者、四修ノ中ニ取ル↢無間修ヲ↡也。◇「念仏トハ」者、上ノ五念ノ之中ニ取ルナリ↢観察門↡也。
問ふ。 観察門のなかに、 称念あり、 観念あり。 まさしくいづれの念をや取るや。 答ふ。 称念を取るなり。 ゆゑに下の文 (要集巻中) にいはく、 「仏を称念するこれ行善なり」 と。
◇問。観察門ノ中ニ、有リ↢称念↡、有リ↢観念↡。正ク取ルヤ↢何ノ念ヲヤ↡乎0092。答。取ル↢称念ヲ↡也。故ニ下ノ文ニ云ク、「称↢念スル仏ヲ↡是行善ナリト。」
「随願」 とは、 上の三心のなかに回向発願心を取るなり。 ゆゑに 「大菩提心護三業、 深信至誠常念仏、 随願決定生極楽」 といふ。
◇「随願トハ」者、上ノ三心ノ中ニ取ル↢廻向発願心ヲ↡也。故ニ云↢「大菩提心護三業、深信至誠常念仏、随願決定生極楽ト」↡也。
このなか、 問に准じて要否を簡ぶといへども、 これしばらく助念門の意なり、 この ¬集¼ の正意にあらざるなり。
◇此ノ中准ジテ↠問ニ雖↠簡ト↢要否ヲ↡、是且ク助念門ノ意ナリ也、非↢此ノ¬集ノ¼正意ニ↡也。
問ふ。 なにをもつてか知ることを得る、 正意にあらずとは。 答ふ。 上の止悪衆善のなか (要集巻中) にいはく、 「問ふ。 念仏すればおのづから罪を滅すと。 なんぞかならずしも堅く戒を持せむるや。 答ふ。 もし一心に念ぜば、 まことに責むるところのごとし。 しかるに尽日に念仏して閑かにその実を撿するに、 浄心は一両、 その余はみな濁乱なり。 乃至このゆゑにかならずまさに精進に戒を持することなほし明珠を護るがごとくすべし」 と。 ゆゑに知りぬ如説に念仏せば、 かならずしも持戒等を具すべからず。
◇問。以↠何得ル↠知コトヲ、非トハ↢正意ニ↡。答。上ノ止悪衆善ノ中ニ云ク、「問。念仏スレバ自ラ滅スト↠罪ヲ。何ゾ必シモ堅ク持セムルヤ↠戒ヲ。答。若シ一心ニ念ゼバ、誠ニ如シ↠所ノ↠責。然ニ尽日ニ念仏シテ閑ニ撿ルニ↢其ノ実ヲ↡、浄心一両、其ノ余ハ皆濁乱ナリ。乃至是ノ故ニ要ズ当ニ精進ニ持スルコト↠戒ヲ猶シ如クス↠護ガ↢明珠ヲ↡。」故ニ知ヌ如説ニ念仏セバ、必シモ不↠可↠具↢持戒等ヲ↡矣。
念仏証拠門 (要集巻下) にいはく、 「一切の善業おのおの利益あり、 おのおの往生を得べし。 なんがゆゑぞただ念仏の一門を勧むるや。
○念仏証拠門ニ云ク、「一切ノ善業各ノ有↢利益↡、各得ベシ↢往生↡。何ガ故ゾ唯勧ルヤ↢念仏ノ一門ヲ↡乎。
答ふ。 いま念仏を勧むること、 これ余の種々の妙行を遮するにはあらず。 ただこれ、 男女・貴賎、 行住坐臥を簡ばず、 時処諸縁を論ぜず、 これを修するに難からず、 乃至臨終に往生を願求するに、 その便宜を得ること念仏にはしかず。
◇答。今勧コト↢念仏ヲ↡、非↣是遮ニハ↢余ノ種種ノ妙行ヲ↡。只是、男女・貴賎、不↠簡バ↢行住坐臥ヲ↡、不↠論ゼ↢時処諸縁ヲ↡、修スルニ↠之ヲ不↠難カラ、乃至臨終ニ願↢求スルニ往生↡、得コト↢其ノ便宜ヲ↡不↠如カ↢念仏ニハ↡。
¬木槵経¼ 云々、 難陀国の波瑠璃王 乃至
◇¬木槵経¼ 云云、難陀国ノ波瑠璃王 乃至
いはんやまたもろもろの聖教のなかに、 多く念仏をもつて往生の要となす。 その文はなはだ多し。 略して十文を出さん。
◇況ヤ復諸ノ聖教ノ中ニ、多ク以テ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ要ト↡。其ノ文甚多シ。略シテ出ン↢十文ヲ↡。
一には ¬占察経¼ の下巻に、 もし人他方現在の浄国に生れんと欲はば、 まさにかの世界の仏の名字に随ひて、 意をもつぱらにして誦念すべし。 一心不乱なること上の観察のごとくなれば、 かの仏の浄国に生るることを得て、 善根増長して、 不退を成ず。 如上の観察とは 云々
◇一ニハ¬占察経ノ¼下巻ニ、若人欲ハ↠生ント↢他方現在ノ浄国ニ↡者、応↧当ニ随テ↢彼ノ世界ノ之仏ノ名字ニ↡、専ニシテ↠意ヲ誦念ス↥。一心不乱ナルコト如ナレバ↢上ノ観察ノ↡者、得テ↠生コトヲ↢彼ノ仏ノ浄国ニ↡、善根増長シテ、成ズ↢不退ヲ↡。如上ノ観察トハ者 云云
二に ¬双巻経¼ の三輩の業浅深ありといへども、 しかも通じてみな一向専念無量寿仏といへり。
◇二ハ¬双巻経ノ¼三輩ノ之0093業雖↠有↢浅深↡、然モ通ジテ皆云ヘリ↢一向専念無量寿仏ト↡。
三には四十八願のなかに念仏門において別して一願を発して乃至十念、 若不生者、 不取正覚といへり。
◇三ニハ四十八願ノ中ニ於テ↢念仏門ニ↡別シテ発シテ↢一願ヲ↡云ヘリ↢乃至十念、若不生者、不取正覚ト↡。
四は ¬観経¼ にいはく、 極重悪人 云々。
◇四ハ¬観経ニ¼云ク、極重悪人 云云。
五は同 ¬経¼ にいはく、 若欲至心 云々。
◇五ハ同¬経ニ¼云ク、若欲至心 云云。
六は同 ¬経¼ にいはく、 光明遍照 云々。
◇六ハ同¬経ニ¼云ク、光明遍照 云云。
七は ¬阿弥陀経¼ にいはく、 不可以少善根 云々。
◇七ハ¬阿弥陀経ニ¼云ク、不可以少善根 云云。
八は ¬般舟経¼ にいはく、 阿弥陀仏ののたまはく、 欲来生我国 云々。
◇八¬般舟経ニ¼云ク、阿弥陀仏ノ言ハク、欲来生我国 云云。
九は ¬鼓音声経¼ にいはく、 若有衆生 云々。
◇九¬鼓音声経ニ¼云ク、若有衆生 云云。
十に ¬往生論¼ にいはく、 かの仏の依正功徳を観念するをもつて往生の業となす。 以上
◇十ニ¬往生論ニ¼云ク、以↣観↢念スルヲ彼ノ仏ノ依正功徳ヲ↡為↢往生ノ業ト↡。 已上
このなかに、 ¬観経¼ の下下品・¬阿弥陀経¼・¬鼓音声経¼、 ともに名号を念ずるをもつて往生の業となす。 いかにいはんや相好の功徳を観念せんや。
◇此ノ中ニ、¬観経ノ¼下下品・¬阿弥陀経¼・¬鼓音声経¼、倶ニ以テ↠念ズルヲ↢名号ヲ↡為↢往生ノ業ト↡。何況ヤ観↢念センヤ相好ノ功徳ヲ↡耶。
問ふ。 余の行むしろ勧進の文なからんや。
◇問。余ノ行寧ロ無ランヤ↢勧進ノ文↡耶。
答ふ。 その余行の法は、 ちなみにかの法の種々の功徳を明かす。 そのなかにみづから往生の事を説くに、 ただちに往生の要を弁ずるに、 多く念仏といふにはしかず。 いかにいはんや仏みづからすでにまさに我をとのたまはんをや。 また仏の光明余行の人を摂取すといはず。
◇答。其ノ余行ノ法ハ、因ニ明↢彼法ノ種種ノ功徳↡。其ノ中ニ自説クニ↢往生ノ之事ヲ↡、不↠如カ↧直ニ弁ズルニ↢往生ノ之要ヲ↡、多ク云ニハ↦念仏ト↥。何ニ況ヤ仏自既ニ言↢当我ト↡乎。亦不↠云ハ↣仏ノ光明摂↢取スト余行ノ人ヲ↡。
これらの文分明なり。 なんぞかさねて疑を生ぜんや。
◇此等ノ文分明ナリ也。何ゾ重テ生ンヤ↠疑ヲ耶。
問ふ。 諸経に説くところ機に随ひて万品なり。 なんぞ管見をもつて一文を執するや。
◇問。諸経ニ所↠説ク随テ↠機ニ万品ナリ。何以テ↢管見ヲ↡執ルヤ↢一文↡耶。
答ふ。 馬鳴菩薩の ¬大乗起信論¼ にいはく、 また次に、 衆生はじめてこの法を学して、 その心怯弱にして成就すべきことかたからんと懼畏して、 意に退せんと欲はば、 まさに知るべし、 如来に勝方便ありて信心を摂護したまふ。 随ひて意をもつぱらにして念仏する因縁をもつて、 願に随ひて他方の浄土に往生することを得。
◇答。馬鳴菩薩ノ¬大乗起信論ニ¼云ク、復次ニ、衆生初学シテ↢此法ヲ↡、其ノ心怯弱ニシテ懼↢畏シテ難ント↟可↢成就↡、意ニ欲ハ↠退ト者、当ニ↠知ル、如来ニ有テ↢勝方便↡摂↢護タマフ信心ヲ↡。随テ以テ↢専シテ↠意念仏スル因縁ヲ↡、随テ↠願ニ得↣往↢生他方ノ浄土ニ↡。
修多羅に説くがごとし。 もし人西方の阿弥陀仏を専念して、 所作の善業を回向して、 かの世界に生ぜんと願求すれば、 すなはち往生を得と。 以上
◇如↢修多羅ニ説ガ↡。若人専↢念シテ西方ノ阿弥陀仏ヲ↡、所作ノ善業ヲ廻向シテ、願↣求レバ生ト↢彼世界ニ↡、即得↢往生0094↡。已上
あきらかに知りぬ契経に多く念仏をもつて往生の要となすことを。 もししからずんば、 四依の菩薩すなはち理尽にあらず。
◇明ニ知ヌ契経ニ多ク以テ↢念仏ヲ↡為コトヲ↢往生ノ要ト↡。若不ンバ↠爾者、四依ノ菩薩即非↢理尽ニ↡。
わたくしにいはく、 このなかに三番の問答あり。
◇私云、此ノ中ニ有リ↢三番ノ問答↡。
初めの問の意は見つべし。 このなかに 「勧」 の詞はまさしく上の観察門 (要集巻中) のなかの 「行住座臥」 等の文を指すなり。 そのゆゑはあまねく一部の始末を尋ぬるに、 慇懃の勧進はただ観察門に在り。 余の処にまつたく見ざるところなり。
◇初ノ問ノ意ハ可シ↠見。此ノ中ニ「勧ノ」詞ハ正ク指ス↢上ノ観察門ノ中ノ「行住座臥」等ノ文ヲ↡也。其ノ故ハ遍ク尋ルニ↢一部ノ始末ヲ↡、慇懃ノ勧進ハ只在リ↢観察門ニ↡。余処ニ全ク所ナリ↠不↠見也。
答のなかに二義あり。 一には難行・易行、 諸行は修しがたく、 念仏は修しやすし。 二には少分・多分、 いはく諸行は勧進はなはだ少し、 念仏は諸経に多くこれを勧進す。
◇答ノ中ニ有↢二義↡。一ニハ難行・易行、諸行ハ難↠修シ、念仏ハ易シ↠修。二ニハ者少分・多分、謂ク諸行ハ勧進甚ダ少シ、念仏ハ諸経ニ多勧↢進ス之ヲ↡。
次の問答のなかに、 問の意知りぬべし。 答のなかに三義あり。 一には因明・直弁、 諸行はもつぱら往生のためにこれを説かず、 念仏はもつぱら往生のために選びてこれを説く。 二には自説・不自説、 いはく諸行は阿弥陀如来みづからまさにこれを修すべしと説かず、 念仏はみづからまさに我を念ずべしと説く。 三は摂取・不摂取、 いはく諸行を修するものは仏光これを摂取したまはず、 念仏を行はるものは仏光これを摂取したまふ。
◇次問答ノ中ニ、問ノ意可シ↠知ヌ。答ノ中ニ有↢三義↡。一ニハ者因明・直弁、諸行ハ専ラ為ニ↢往生ノ↡不↠説カ↠之、念仏ハ専ラ為ニ↢往生ノ↡選テ説ク↠之。二ニハ者自説・不自説、謂ク諸行ハ阿弥陀如来不↢自説↟当ニ修↠之、念仏ハ自説↠当ニ↠念↠我。三ハ摂取・不摂取、謂ク修ル↢諸行ヲ↡者ハ仏光不↣摂↢取タマハ之↡、行ハル↢念仏ヲ↡者ハ仏光摂↢取タマフ之ヲ↡。
次の問答のなかに、 問の意は得べし。 答のなかに一義あり。 如来は随機、 四依は理尽なり、 いはく諸行は釈迦如来衆生の機に随ひてこれを説きたまふ、 念仏は四依の菩薩理を尽してこれを勧む。 これすなはちこの ¬集¼ の本意なり。 委しくこれを思ふべし。
◇次問答シテ中ニ、問ノ意ハ可シ↠得。答ノ中ニ有リ↢一義↡。如来ハ随機、四依ハ理尽ナリ、謂ク諸行ハ釈迦如来随テ↢衆生ノ機ニ↡説タマフ↠之ヲ、念仏ハ四依ノ菩薩尽シテ↠理ヲ勧ム↠之ヲ。是則此ノ¬集¼本意ナリ也。委ク可シ↠思フ↠之ヲ。
往生の階位 (要集巻下) にいはく、 「問ふ。 もし凡下の輩往生を得といはば、 いかんぞ、 近代かの国において求むるものは千万なれども、 得るものは一二もなきや。
◇往生階位ニ云ク、「問。若シ凡下ノ輩得イハヾ↢往生ヲ↡、云何、近代於テ↢彼ノ国ニ↡求ル者ハ千万ナレドモ、得ル者ハ無キヤ↢一二モ↡。
答ふ。 綽和尚いはく、 信心深からず、 もしは存じもしは亡ぜるゆゑに。 信心一ならず、 決定せざるがゆゑに。 信心相続せず、 念間つるがゆゑに。 この三つ相応せざれば、 往生することあたはず。 もし三心を具して往生せずといはば、 この処あることなし。
◇答。綽和尚云ク、信心不↠深、若ハ存若ハ亡ゼル故ニ。信心不↠一ナラ、不ガ決定↡故ニ。信心不↢相続↡、念間ルガ故。此ノ三ツ不レバ↢相応↡者、不↠能↢往生スルコト↡。若具シテ↢三心ヲ↡不0095トイハヾ↢往生↡者、無シ↠有コト↢是ノ処↡。
導和尚いはく、 もしよくかみのごとく念々相続して畢命を期とするものは、 十はすなはち十生し、 百はすなはち百生す。 もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、 百の時に希に一二を得、 千の時に希に三五を得。 上のごときといふは礼・讃等の五門、 至誠等の三心、 長時等の四修を指すなり
◇導和尚云ク、若シ能如ク↠上ノ念念相続シテ畢命ヲ為ル↠期者ハ、十ハ即十生シ、百ハ即百生ス。若シ欲スル↣捨テヽ↠専ヲ修ント↢雑業ヲ↡者ハ、百時ニ希ニ得↢一二ヲ↡、千ノ時ニ希得↢三五↡。言ハ↢如上↡者指ス↢礼・讃等ノ五門、至誠等ノ三心、長時等ノ四修↡也
わたくしにいはく、 恵心理を尽して往生の得否を定めたまふことは、 導和尚の専修雑行の文をもつて指南となせり。 また処々に多くかの師の釈を用ゆ、 見つべし。 しかればすなはち恵心を用ゐる輩は、 かならず善導に帰すべきか。
◇私ニ云ク、恵心尽シテ↠理ヲ定タマフコトハ↢往生ノ得否↡、以テ↢導和尚ノ専修雑行ノ文ヲ↡為セリ↢指南↡也。又処処ニ多ク用ユ↢彼ノ師ノ釈ヲ↡、可↠見。然レバ則用ル↢恵心ヲ↡之輩ハ、必ズ可↠帰ス↢善導ニ↡哉矣。▽
内容はほぼ 「往生要集料簡」 に同じ。 異なる箇所はそのまま 「往生要集釈」[略]中、 総結要行の二重の釈の初重に相応する。