二(708)、 禅勝房との十一箇条問答
▲ある時、 遠江の国蓮花寺の住僧禅勝房、 参上して上人に種々の事を問ひたてまつるに、 上人一々答ふるなり。
○或時、遠江国蓮花寺住僧禅勝房、参上上人奉問種種事、上人一々答也。
一に問ひていはく、 世間に難者ありていはく、 八宗・九宗の外に浄土宗を立つるこれ自由なり、 いかんがこの難に対治すべく候ふと。
◇一問曰、世間ニ有難者云、八宗・九宗ノ外ニ立↢浄土宗ヲ↡是自由也、如何可↣対0709↢治此難↡候。
答へていはく、 立宗の事はさらに仏説にあらず、 みづから学するところの経論につきて、 その義を覚り極むるなり。 諸宗の習みなもつてかくのごとし。 今浄土宗を立つる事、 浄土正依の経につきて、 往生極楽の義を解り得たる先達、 宗の名を立つるなり。 宗の起を知らずは、 かくのごとき難を致すなり、 難ずる事にあらざるなりと。
◇答云、立宗事者更非仏説、付自所学経論、覚↢極其義ヲ↡也。諸宗ノ習皆以如此。今立↢浄土宗↡事、付↢浄土正依経↡、解得往生極楽義之先達、立宗名也。不知宗ノ起者、致↢如此之難↡也、非難事也。
二に問ひていはく、 法花・真言においては雑行のなかに入るべからずといふ、 いかんがこの難を難治すべく候ふと。
◇二問云、於法花・真言者不↠可↠入↢雑行中↡云、如何可↣難↢治此難↡候。
答へていはく、 恵心の先徳、 一代の聖教を集めて ¬往生要集¼ を造り十門を立つ。 そのなかの第九門は、 これ往生諸業なり。 すでに法花・真言等の諸大乗経を諸行に入れらる。 諸行と雑行と、 言異にしてその意同じ。 今の難者、 恵心の先徳に勝るべからざるかと。
◇答云、恵心ノ先徳、集一代聖教造↢¬往生要集ヲ¼↡立↢十門↡。其中第九門ハ、是往生諸業也。已法花・真言等諸大乗経ヲ被↠入↢諸行↡。諸行与雑行、言異ニシテ其意同。今ノ難者、不可勝恵心先徳歟。
三に問ひていはく、 余仏・余経につきて結縁助成せん事は、 雑になるべく候ふかと。
◇三問云、付↢余仏・余経ニ↡結縁助成セム事ハ、可成雑候歟。
答ふ。 我身仏の本願に乗じて後、 決定往生の信起らんうへは、 他の善に結縁する事、 まつたく雑行となすべからず、 往生の助業とはなるべきなり。 善導の釈のなか、 すでに 「他の善根に随ひてもつて自他の善根を浄土に回向す」 と。 云々 この釈をもつて知るべきなりと。
◇答。我身乗↢仏本願ニ↡之後、決定往生ノ信起ラム之上ハ、結↢縁他善ニ↡事、全不可為雑行、可↠成↢往生ノ助業トハ↡也。善導ノ釈中、已「随↢他善根↡以自他善根廻↢向浄土ニ↡。」云云 以此釈可知也。
四に問ひていはく、 極楽に九品の差別ある事、 弥陀の本願の称とすべきかと。
◇四問云、極楽有↢九品差別↡事、可↠為↢弥陀ノ本願ノ称↡歟。
答へていはく、 極楽の九品は、 弥陀の本願にあらず、 さらに四十八願のなかになし、 これ釈尊の巧言なり。 もし善人・悪人一所に生ずと説かば、 悪業のもの等しく慢心を起すべきゆゑに、 品位の差別をあらしめ、 善人は上品に進み、 悪人は中品に下ると説くなり。 急ぎて参りて見るべしと 云々。
◇答云、極楽九品者、非↢弥陀本願ニ↡、更无↢四十八願ノ中ニ↡、是釈尊ノ巧言也。若説カバ↣善人・悪人生↢一所ニ↡者、悪業ノ者可起等慢心故、令↠有↢品位之差別↡、説ク↧善人ハ進↢上品0710ニ↡、悪人ハ下ルト↦々品ニ↥也。急テ参テ可↠見 云云。
五に問ひていはく、 持戒のものは念仏の数遍の少きと破戒のものの念仏の数遍の多きと、 往生の後の浅深いかんと。
◇五問云、持戒ノ者ハ念仏ノ数遍ノ少ト与↢破戒ノ者ヽ念仏ノ数遍ノ多↡、往生ノ後ノ浅深如何。
上人居たまへる畳を指して答へていはく、 畳のあるにつきてこそ破れたると破れたらずとは論ずれ、 まつたく畳のなきにおいてはいかんぞ破れたる破れたらずを論ぜんや。
◇上人指テ↢所居ヘル畳ヲ↡答云、就テコソ↠有ニ↠畳ノ論ズレ↣破与ハ↢不破↡、全ク於↠无ニ↠畳ノ者云何論↢破不破↡哉。
そのやうに 「末法のなかには持戒なく破戒なし、 ただ名字の比丘のみあり」 と。 伝教大師の ¬末法灯明記¼ にくはしくこの旨を明せり。 そのうへは持戒・破戒の沙汰あるべからず。 かくのごとき凡夫のために、 教ふるところの本願なれば、 いそぎいそぎ名字を称ふべきなりと。
◇其様ニ「末法ノ中ニハ無↢持戒↡无↢破戒↡、但有ト↢名字ノ比丘ノミ↡。」伝教大師ノ¬末法灯明記ニ¼委明↢此旨↡。其上ハ不↠可↢持戒・破戒沙汰↡。為↢如此之凡夫ノ↡、所↠教本願ナレバ者、急々可↠称↢名字ヲ↡也。
六に問ひていはく、 念仏の行者、 毎日の所作に、 声を絶やさざる人あり、 また心に念じて数を取る人あり、 いづれをか本とし候ふと。
◇六問云、念仏ノ行者、毎日ノ所作ニ、有↢不ル↠絶↠声之人↡、又有リ↢心ニ念テ取↠数ヲ之人↡、何ヲカ為↠本候。
答へていはく、 口に唱ふるも心に念ずるもことごとく名号なれば、 いづれもみな往生の業となるべし。 ただ仏の本願は称名なるがゆゑに、 声に出だすべしと。
◇答云、口唱モ心ニ念モ悉ク名号ナレバ、何モ皆可↠成↢往生ノ業ト↡。唯仏ノ本願ハ為↢称名↡故、可↠出↠声ニ。
ゆゑに ¬経¼ (観経) には 「令声不絶具足十念」 と説き、 釈 (礼讃) にはいはく、 「称我名号下至十声」 となり。 わが耳に聞えんずるほどなるを、 高声念仏とす。 ただし譏嫌を知らずして高声なるべきにはあらず、 地体は声を出だすと思ふべきなりと。
◇故¬経ニハ¼説↢「令声不絶具足十念ト」↡、釈ニハ云、「称我名号下至十声ト」也。聞ズル↢我耳ニ↡程ナルヲ、為↢高声念仏↡。但不テ↠知↢譏嫌↡而非↠可↢高声ナル↡、地体ハ可↠思↠出↠声也。
七に問ひていはく、 日別の念仏の数遍相続に入るほどの事は、 いくばくと定むべく候ふと。
◇七問云、日別ノ念仏ノ数遍入相続之程ノ事ハ、可定幾候。
答へていはく、 善導の釈によらば、 万以上を相続分となすべし。 (¬観念法門¼ のなかに出づ) ただし一万反といへども、 急ぎ申して虚く時節を過すべからず。 たとひ一万反といへども、 一日一夜の所作となすべし。 総じて一食の間に三度ばかりこれを唱ふれば、 よく相続するものなり。 ただし衆生の根性不同なれば、 一准にこれを定むべからず。 もし志深くば、 自然に相続の事なりと。
◇答云、依↢善導ノ釈ニ者、万已上可↠為↢相続分ト↡。 (出¬観念法門¼中) 但雖↢一万反ト↡、急ギ申虚不↠可↠過↢時節ヲ↡。設雖↢一万反ト↡、可↠為↢一日一夜之所作ト↡。総ジテ一食之間ニ三度許唱之者、能0711相続者也。但衆生根性不同ナレ者、一准不↠可↠定↠之。若志深者、自然相続事也。
八に問ひていはく、 ¬礼讃¼ の深心のなかに 「十声一声、 さだめて往生を得、 乃至一念疑あることなし」 と。 文 また ¬疏¼ (散善義) のなかの深心には 「念々に捨てざれば、 これを正定の業と名づく」 と。 文 いかんが分別すべく候ふと。
◇八問云、¬礼讃ノ¼深心ノ中ニ「十声一声、定得往生、乃至一念无有疑。」文 又¬疏¼中ノ深心ニハ「念々不捨者、是名正定之業。」文 云何可分別候。
答へていはく、 十声一声の釈は念仏を信ずるやうなり。 信をば一念に往生すと取りて、 行をば一形励むべきなり。 また (散善義) 「一発心以後」 の釈を本意となすべきなりと。
◇答云、十声一声ノ釈ハ信↢念仏↡之様也。信ヲバ取テ↢一念往生スト↡、行ヲバ一形可励也。又「一発心已後ノ」釈ヲ可為本意也。
九に問ひていはく、 本願の一念は、 尋常の機・臨終の機に通ずべきか。
◇九問云、本願ノ一念者、可↠通↢尋常機・臨終機ニ↡歟。
答へていはく、 一念の願は二念に及ばざる機のためなり。 尋常の機に通ずべくは、 「上尽一形」 の釈あるべからず。 この釈、 意を得べし。 かならず一念を本願となすにはあらずといふ事顕然なり。
◇答云、一念ノ願ハ為↧不↠及↢二念ニ↡之機↥也。可↠通↢尋常機↡者、不↠可↠有↢「上尽一形」之釈↡。此釈可↠得↠意。必一念ヲ非↠為↢本願ト↡云事顕然也。
すでに (散善義) 「念々に捨てざれば、 これを正定の業と名づく、 かの仏願に順ずるがゆゑに」 と釈して、 ただこの釈の意は、 念々に捨てざればすなはち本願に順ず、 ただ本願に値ふ遅速不同なれば、 「上尽一形下至一念」 (散善義意) と発したまへるなり。 ゆゑに善導は念仏往生の願を得るなりと 云々。
◇已ニ釈テ↢「念々不捨者、是名正定之業、順彼仏願故ニ」↡、唯此釈ノ意ハ、可↠云↣念々不捨者即順↢本願↡、但値↢本願ニ↡遅速不同者、発↢「上尽一形下至一念ト」↡給也。故善導ハ得↢念仏往生願↡也 云云。
十に問ひていはく、 自力・他力と申す事、 いかやうに心得べく候ふやと。
◇十問云、自力・他力ト申事、何様可↠得↠心候乎。
答へていはく、 源空は殿上に参るべき機量にあらずといへども、 上より召せば二度まで殿上に参る。 これわれ参るべき式にあらず、 上の御力なり。 いかにいはんや阿弥陀仏の御力、 称名の願に酬ひて来迎したまふ事、 何の不審かあらんや。
◇答云、源空ハ雖↠非↧可↠参↢殿上↡機量↥、自上召者二度マデ参↢殿上↡。此非↢我可↠参之式↡、上御力也。何況阿0712弥陀仏御力、酬↢称名願↡来迎事、有↢何不審カ↡。
自身は罪も重く、 無智のもの、 いかんしてか往生を遂げんと疑ふべからず。 もしかくのごとく疑ふは、 一切仏願を知らざるものなり。 かくのごとき罪人を度せんがために、 発したまふところの本願なり。 この名号を唱へながら、 ゆめゆめ疑心あるべからず 云々。 十方衆生の願のなかに、 有智・無智、 有罪・無罪、 善人・悪人、 持戒・破戒、 男子・女人、 乃至三宝滅尽の後の十歳の衆生までも漏るることなし。
◇自身罪モ重ク、无智ノ者、云何シテカ不↠可↠疑↠遂↢往生ヲ↡。若如此疑者、一切不↠知↢仏願↡者也。為ニ↠度↢如此之罪人ヲ↡、所↠発之本願也。乍↠唱↢此名号ヲ↡、努力努力不↠可↠有↢疑心↡ 云云。十方衆生ノ願ノ中ニ、有智・无智、有罪・无罪、善人・悪人、持戒・破戒、男子・女人、乃至三宝滅尽之後ノ十歳ノ衆生マデモ无↠漏コト。
かの三宝滅尽の時の念仏の衆生と当時の行者とこれを比ぶるに、 当世の人は仏のごときなり。 かの時は人寿十歳なり。 戒定慧の三学名だにも聞かず 云々。 これらの衆生来迎に預るべきことを知りながら、 わが身は捨てらるべしといふ事、 いかんぞ心得出だすべけんや。
◇彼三宝滅尽之時念仏衆生与↢当時行者↡比↠之、当世ノ人ハ如↠仏ノ也。彼時ハ者人寿十歳也。戒定慧ノ三学不↠聞↠名ダニモ 云云。此等ノ衆生乍↠知↠可↠預↢来迎ニ↡、我身可↠被↠捨云事、云何可得心出哉。
ただし極楽の欣はれず、 念仏の信ぜられざる事、 行者は往生の障となるべし。 ゆゑに他力の願といひ、 超世の願といふなりと。
◇但極楽ノ不↠被↠欣、念仏ノ不↠被↠信事、行者ハ可↠成↢往生ノ障ト↡。故云↢他力ノ願ト↡、云↢超世願ト↡也。
十一に問ひていはく、 「至誠等の三心を具すべし」 と。 文 三体いかやうに意得べく候ふやと。
◇十一問云、「可具至誠等三心。」 文 三体如何様可得意候歟。
答へていはく、 三心を具する事別のやうなし。 阿弥陀仏の本願に、 わが名号を称念すれば、 かならず来迎せんと誓ひたまへるゆゑに、 決定して深く信じ、 引接せらるべきなり。 心念・口称倦らず、 すでに往生を得たる心地して最後の一念に至りて退転せずば、 自然に三心を具足するなり。
◇答云、具↢三心↡事无↢別様↡。阿弥陀仏本願ニ、称↢念我名号ヲ↡者、必来迎セムト誓給故、決定シテ深信、可↠被↢引接↡也。心念・口称不↠倦、已ニ得タル↢往生↡之心地シテ而至テ↢最後ノ一念ニ↡不↢退転↡者、自然ニ具↢足三心↡也。
在家ものどものなかに、 かくのごとき分別なしといへども、 ただ念仏すれば極楽に生ずと知りて、 つねに念仏する輩、 自然に三心を具し、 多く往生を遂ぐるなり。 このゆゑに一文不通のもののなかにも神妙なる往生なり。 以上十一問答了りぬ
◇在家者共ノ中ニ、雖↠无↢如此分別↡、只念仏レ者知テ↠生ト↢極楽に↡、常念仏スル之輩、自然ニ具↢三心↡、多遂↢往生↡也。此故一文0713不通者中ニモ神妙往生也。 已上十一問答了 ▽