一三(226)、善導十徳
▲善導十徳 第十三
善導の徳を歎ずるに三となす。 一には垂迹門、 二には本地門、 三には観心門なり。 垂迹門につきて、 天台に準例してしばらく十徳を歎ず。
歎↢善導ノ徳↡為↠三ト。一ニハ者垂迹門、二ニハ者本地門、三ニハ者観心門ナリ。付テ↢垂迹門ニ↡、準↢例シテ天臺ニ↡且ク歎ズ↢十徳ヲ↡。
一には↓至誠念仏の徳、 二には↓三昧発得の徳、 三には↓仏口より出でたまふ徳、 四には↓師のために疑を決する徳、 五には↓造疏感夢の徳、 六には↓化導盛広の徳、 七には↓遺身入滅の徳、 八には↓敬徳造寺の徳、 九には↓遺文放光の徳、 十には↓形像神変の徳なり。
一ニハ者至誠念仏ノ徳、二ニハ者三昧発得ノ徳、三ニハ者仏従リ↠口出タマフ徳、四ニハ者為ニ↠師決スル↠疑ヲ徳、五ニハ者造疏感夢ノ徳、六ニハ者化導盛広ノ徳、七ニハ者遺身入滅ノ徳、八ニハ者0227敬徳造寺ノ徳、九ニハ者遺文放光徳、十ニハ者形像神変ノ徳。
・至誠念仏
一に↑至誠念仏の徳とは、 ▲合掌䠒蹉して▲一心に念仏す。 力の竭くるにあらざれば休せず、 乃至寒冷にもまたすべからく汗を流すべし、 この相状をもつて至誠を表す。 ¬観念法門¼ にいはく、 「▲ただ合掌を知る」 と。
一ニ至誠念仏徳トハ者、合掌䠒蹉シテ一心念仏ス。非レバ↢力ノ竭ルニ↡不↠休セ、乃至寒冷ニモ亦須↧流ス↠汗ヲ、以テ↢此ノ相状ヲ↡表ス↦於至誠↥。¬観念法門¼云ク、「但知↢合掌ヲ↡。」
・三昧発得
二に↑三昧発得の徳とは、 来意 云々。 これすなはち身に見仏 云云云々。 ▲綽公すなはち ¬無量寿経¼ を授与す。 導、 巻を披きこれを詳にす。 このごろ覩るところ宛在せり。 よりてすなはち入定七日して起たず 云々。
二ニ三昧発得ノ徳トハ者、来意 云云。是則身ニ見仏 云云。綽公即授↢与ス¬無量寿経ヲ¼。導披↠巻ヲ詳ニス↠之。比来所↠覩ル宛在セリ。因テ即入定七日シテ不↠起ヽ 云云。
・仏従口出
三に↑あるいは仏あるいは光仏口より出でたまふ徳とは、 まづ来意 云々。 またいはく、 あるいは▲みづから阿弥陀仏を念ずること一声すれば、 すなはち一道の光明、 その口より出づるあり。 十声より百声に至るまで、 光明またかくのごとし 云々。 讃じていはく、 「善導念仏したまへば仏口より出でたまふ」 と。 云々
三ニ或仏或光仏従リ↠口出タマフ徳トハ者、先ヅ来意 云云。復云、或自念ズルコト↢阿弥陀仏ヲ↡一声スレバ、即有リ↧一道ノ光明、従リ↢其ノ口↡出ヅ↥。十声ヨリ至マデ↢百声ニ↡、光明亦如↠此 云云。讃云、「善導念仏シタマヘバ仏従リ↠口出タマフ。」 云云
・為師決疑
四に↑為師決疑の徳とは、 ▲綽その深詣を歎じて、 よりて定に入りて当得の生を観てんやいなやと請ふ。 導すなはち定に入りて須臾報じていはく、 師まさに三つの罪を懺すべし、 まさに往生すべきなり。 一には師むかし仏の尊像を安ずるに簷墉の下に在いて、 みづからは深房に処す。 二には出家の人を駆使策役す。 三には屋宇を営造するに虫の命を損傷すと 云々。
四ニ為師決疑ノ徳トハ者、綽歎ジテ↢其深詣ヲ↡、因ツテ請フ↧入テ↠定ニ観テンヤ↢当得ノ生ヲ↡否ヤト↥。導即入テ↠定ニ須臾報ジテ曰、師当ニ↠懺ス↢三罪ヲ↡、方ニ可キ也往生ス↡。一者ニハ師嘗シ安ズルニ↢仏ノ尊像↡在イテ↢簷墉ノ下ニ↡、自処↢深房ニ↡。二ニハ者駆↢使策↣役ス出家ノ人ヲ↡。三ニハ者営↢造屋宇ヲ↡損↢傷ス虫命ヲ↡ 云云。
・造疏感夢
五に↑造疏感夢の徳とは、 来意 云々。 感夢につきて二あり。 前夢・後夢なり。 前夢といふは、 善導大師 ¬観経の疏¼ を造らんと欲して、 まづ七日これを祈請して霊夢を感ず、 その霊夢の状つぶさに ▲¬疏¼ の第四巻の末に載せたり 云々。 聖徳太子 ¬法花の疏¼ を造りたまひし時 云々。 次に後夢とは、 ¬疏¼ を造りたまひて以後、 又七日これを祈請す 云々。 造りおはりて祈請する、 その例一にあらず。 花厳の澄観 云々。 慈覚大師両経の ¬疏¼ 云々。 ¬礼讃¼・¬観念法門¼ 等、 源この ¬疏¼ の意より出でたり。 もしこの ¬疏¼ の霊夢の証定なくは、 ¬礼讃¼・¬観念門¼ なんぞかならずしもこれを用ゐんや。
五造疏感夢徳者、来意 云云。就テ↢感夢ニ↡有↠二。前夢・後夢ナリ也。言ハ↢前夢ト↡者、善導大師欲シテ↠造ント↢¬観経疏ヲ¼、先ヅ七日祈↢請シテ之↡感ズ↢霊夢ヲ↡、其ノ霊夢ノ状具ニ載タリ↢¬疏ノ¼第四巻末ニ↡ 云云。聖徳太子造タマヒシ↢¬法花ノ疏ヲ¼時 云云。次ニ後夢トハ者、造↠¬疏¼已後、又七0228日祈↢請ス之ヲ↡ 云云。造已テ祈請スル、其例非ズ↠一ニ。花厳ノ澄観 云云。慈覚大師両経ノ¬疏¼ 云云。¬礼讃¼・¬観念法門¼等、源出タリ↢於此¬疏ノ¼意↡。若シ無ハ↢此ノ¬疏ノ¼霊夢証定↡者、¬礼讃¼・¬観念門¼何ゾ必シモ用ンヤ↠之乎。
・化導盛広
六に↑化導盛広の徳とは、 来意 云々。もろもろの有縁を化して、 ▲展転して浄土門を授く。 京花諸州の僧尼・士女、 あるいは身を高き嶺に投げ、 あるいは命を深き泉に毀ち、 あるいはみづから高き枝より堕す、 身を焚きて供養するもの、 ほぼ四遠に聞こへて百余人に向はんとす。 もろもろの梵行を修し、 妻子を棄捨するものあり、 ¬阿弥陀経¼ を誦すること十万より三十万偏に至るものあり、 阿弥陀仏を念ずること日に一万五千を得るより十万偏に至ものあり、 および念仏三昧を得て浄土に往生するものあり。 数を知るべからず 云々。 つぶさに伝記のごとし。
六ニ化導盛広徳トハ者、来意 云云。化シテ↢諸ノ有縁ヲ↡、展転シテ授ク↢浄土門ヲ↡。京花諸州ノ僧尼・士女、或ハ投↢身ヲ高嶺ニ↡、或毀ツ↢命ヲ深泉ニ↡、或ハ自堕↢高枝ヨリ↡、焚テ↠身ヲ供養スル者、粗聞ヘテ↢四遠ニ↡向トス↢百余人ニ↡。諸ノ修シ↢梵行ヲ↡、棄↢捨スル妻子ヲ↡者アリ、誦コト↢¬阿弥陀経ヲ¼十万ヨリ至↢三十万偏ニ↡者アリ、念コト↢阿弥陀仏↡日ニ得ヨリ↢一万五千ヲ↡至ル↢十万偏ニ↡者アリ、及ビ得テ↢念仏三昧ヲ↡往↢生スル浄土ニ↡者アリ。不↠可↠知ル↠数ヲ 云云。具ニ如↢伝記↡。
・遺身入滅
七に↑遺身入滅の徳とは、 ▲導人にいひていはく、 この身は厭ふべし、 諸苦逼迫す、 情偽変易してしばらくも休息することなしと。 ◆すなはち所居の寺の前の柳の樹に登りて、 西に向ひて願じていはく、 仏の威神しばしばもつてわれを摂したまへ、 観音・勢至また来りてわれを助けて、 わがこの心をして正念を失せず、 驚怖を起さず、 弥陀法の中においてもつて退堕を生ぜざらしめたまへと。 願じおはりてその樹上において身を投じて自絶す 云々。 この徳また異説あり、 龍樹菩薩のごとし 云々。
七ニ遺身入滅徳トハ者、導謂テ↠人ニ曰ク、此ノ身ハ可シ↠厭フ、諸苦逼迫ス、情偽変易シテ無シト↢暫モ休息↡。乃登テ↢所居ノ寺ノ前ノ柳樹ニ↡、西ニ向テ願ジテ曰、仏ノ威神驟以摂タマヘ↠我ヲ、観音・勢至亦来テ助テ↠我ヲ、令タマヘ↫我ガ此ノ心ヲシテ不↠失↢正念ヲ↡、不↠起↢驚怖ヲ↡、不↪於↢弥陀法ノ中ニ↡以テ生↩ゼ退堕ヲ↨。願ジ了テ於テ↢其ノ樹上ニ↡投ジテ↠身自絶 云云。此ノ徳亦有↢異説↡、如↢龍樹菩薩ノ↡ 云云。
・敬徳造寺
八に↑敬徳造寺の徳とは、 来意 云々。 御入滅の後、 ▲京師の士大夫誠を傾け帰信して、 ことごとくその骨を収めてもつて葬す。 高宗皇帝その念仏するに口より光明出づるを知りたまへり。 また捨報の時精至りてかくのごとくなるを知りて、 寺額を賜ひて光明寺となす。
八ニ敬徳造寺ノ徳トハ者、来意 云云。御入滅ノ後、京師士大夫傾ケ↠誠帰信シテ、咸ク収テ↢其ノ骨ヲ↡以葬ス。高宗皇帝知タマヘリ↣其念仏スルニ口ヨリ出ルヲ↢光明↡。又知テ↢捨報ノ之時精至如ルヲ↟此0229、賜テ↢寺額ヲ↡為↢光明寺ト↡。
・遺文放光
九に↑遺文放光の徳とは、 来意 云々。 少康、 ▲貞元のはじめ洛下の白馬寺に至る、 殿内に文字のしきりに光明を放つを見る、 康測ることあたはず。 前みてこれを探り取るに、 すなはち善導の昔西方の化道をせん文なり。 康いはく、 もし浄土において縁あらば、 まさにこの文をして光明ふたたび発さしむべしと。 所願いまだおはらざるに、 はたしてかさねて閃爍す。 康いはく、 劫石は移るべくともわが願易ることなしと 云々。 ¬大宋の伝¼ (巻二五) にいはく、 「▲われもし浄土と縁あらば、 惟はくはこの軸の文よりこの光ふたたび現ぜよ。 誓ふところのわずかにおはり、 はたしてかさねて閃爍す。 中に化仏・菩薩ありて算ふることなし」 と。
九ニ遺文放光徳トハ者、来意 云云。少康、貞元ノ初至ル↢洛下ノ白馬寺ニ↡、見ル↣殿内ニ文字ノ累ニ放ヲ↢光明ヲ↡、康不↠能↠測ルコト。前テ而探リ↢取ルニ之ヲ↡、乃善導ノ昔為ン↢西方化道↡文也。康曰、若於テ↢浄土ニ↡有バ↠縁、当↠使 シ ム↢此文シテ光明再発サ↡。所願未ダ↠已、果シテ重テ閃爍ス。康曰、劫石ハ可クトモ↠移ル而我ガ之願無シ↠易ルコト矣 云云。¬大宋ノ伝¼(巻二五) 云、「我若与↢浄土↡有バ↠縁、惟ハクハ此軸ノ文ヨリ斯ノ光再ビ現ゼヨ。所ノ↠誓纔ニ終、果シテ重テ閃爍ス。中ニ有↢化仏・菩薩↡無↠算。」
・形像神変
十に↑形像神変の徳とは、 来意 云々。 少康つひに長安に之くに、 ▲善導の遺像空中に昇りて康にいひていはく、 なんぢわが事によりて有情を利楽せよ、 すなはちなんぢが功同じく安楽に生ぜんと。 その言を聞くに所証あるがごとし 云々。 ¬大宋伝¼ (巻二五) にいはく、 「▲少康つひに長安の善導の影堂の内に之きて、 乞ひ願はくは善導の真像を見んと。 化して仏身となして、 康にいひていはく、 なんぢわが施設にょりて衆生を利楽して、 同じく安養に生ぜんと。 ◆康所証あるがごとし」 と。 云々
十ニ形像神変ノ徳トハ者、来意 云云。少康遂ニ之クニ↢長安ニ↡、善導ノ遺像昇テ↢於空中ニ↡謂テ↠康ニ曰、汝依テ↢吾ガ事ニ↡利↢楽セヨ有情ヲ↡、則汝ガ之功同ク生ゼン↢安楽ニ↡。聞クニ↢其ノ言ヲ↡如シ↠有ガ↢所証↡ 云云。¬大宋伝ニ¼云、「少康遂ニ之テ↢長安ノ善導ノ影堂ノ内ニ↡、乞ヒ願ハ見ト↢善導ノ真像ヲ↡。化シテ為テ↢仏身ト↡、謂テ↠康ニ曰ク、汝依テ↢吾ガ施設↡利↢楽衆生ヲ↡、同ク生↢安養↡。康如シ↠有ガ↢所証↡。」云云
二に本地門とは、 また分ちて二となす。 一には本迹、 二には相即 云々。
二ニ本地門トハ者、又分テ為↠二ト。一ニハ本迹、二ニハ相即 云云。
三に観心門とは、 善導 (定善義) 「是心作仏」 と。 云々
三ニ観心門トハ者、善導「是心作仏。」云云