一(695)、 一期物語
一
▲ある時物語りていはく、 幼少にして登山す。 十七の年六十巻を亘る、 十八の年暇を乞ひて遁世す。 これひとへに名利の望を絶ち、 一向に仏法を学せんためなり。
○或時物語云、幼少ニシテ登山ス。十七ノ年亘↢六十巻ヲ↡、十八ノ年乞テ↠暇遁世ス。是偏ニ絶↢名利ノ望ヲ↡、一向為↠学↢仏法ヲ↡也。
それよりこのかた四十余年、 天台の一宗を習学して、 ほぼ一宗の大意を得たり。 わが性は、 大巻の書といへども、 三反これを見れば、 文に闇からず、 義分明なり。 しかりといへども十年・二十年の功をもつて一宗の大綱を知ることあたはず。
◇自爾以来四十余年、習↢学テ天臺一宗ヲ↡、粗得タリ↢一宗ノ大意↡。我性者、雖↢大巻ノ書ト↡、三反見之者、不闇于文、義分明也。雖然以↢十年・廿年ノ功ヲ↡不↠能↠知↢一宗ノ大綱ヲ↡。
しかるに諸宗の教相を窺ひて、 いささか顕密の諸教を知る。 八宗のほかに仏心宗を加へ九宗に亘る。 そのなかにたまたま先達あらば住きてこれを決す、 面々印可を蒙る。
◇然ニ窺テ↢諸宗ノ教相ヲ↡、聊知↢顕密ノ諸教ヲ↡。八宗之外ニ加↢仏心宗ヲ↡亘↢九宗ニ↡。其中ニ適有先達者住而決ス↠之ヲ、面々蒙↢印可ヲ↡。
そのかみに醍醐に三論の先達あり、 かしこに住きて所存を述ぶ。 先達総じて言はず。 すでにしかうして内に入りて、 文櫃十余合を取り出だしていはく、 わが法門に付属すべき人なし、 すでにこの法門に達したまへり。 ことごとくこれを付属したてまつらん、 称美讃嘆かたはら痛き程なり。 進士入道阿性房、 同道してこれを聞くと 云々。
◇当初ニ醍醐ニ有三論先達、住テ↠彼ニ述↢所存ヲ↡。先達総不言。既而テ入テ↠内ニ、取↢出文櫃十余合ヲ↡云ク、於我法門ニ無↧可↢付属↡之人↥、已ニ達シ↢此法門ニ↡給ヘリ。悉奉ラム↣付↢属之↡、称美讃嘆傍痛程也。◇進士入道阿性房、同道聞↠之 云云。
また蔵俊僧都の許に住して法相宗の法門を談ぜん時、 蔵俊いはく、 ただ人にあらず、 恐らくは大権の化現か。 昔の論主に値ひたてまつるといへども、 これを過ぐべからずと覚ゆる程なり。 智恵深遠なる事、 言語道断せり。 わが一期、 供養を迎へんと思ふ志ありと 云々。 その後毎年に供物を送りて、 すでに願望を果たす。
◇又住↢蔵俊僧都ノ許ニ↡談ゼン↢法相宗ノ法門↡之時、蔵俊云、非直人、恐大権0696ノ化現歟。雖モ↠奉ルト↠値ヒ↢昔ノ論主ニ↡、不可過之覚程也。智恵深遠ナル事、言語道断セリ。我一期有↧思フ↠迎ヘムト↢供養↡志↥ 云云。其後毎年ニ送テ↢供物ヲ↡、已ニ果ス↢願望ヲ↡。
およそ先達に値ふごとにみな称嘆せらる。
◇凡毎ニ↠値フ↢先達ニ↡皆被↢称嘆セ↡。
総じて吾来到するところの聖教乃至伝記・目録、 一見せじといふことなし。 ここに出離の道に煩ひて身心安からず。
◇総吾所ノ↢来到スル↡聖教乃至伝記・目録、無↠不コト↢一見↡。爰ニ煩テ↢出離道ニ↡身心不安。
そもそも恵心の先徳 ¬往生要集¼ を造て、 濁世末代の道俗を勧む。 これにつきて出離の趣を尋ねんと欲して、 まづ序 (巻上) にいはく、 「往生極楽の教行は、 濁世末代の目足なり。 道俗貴賎、 たれか帰せざるものあらん。 ただ顕密の教法、 その文一にあらず。 事理の業因、 その行多し。 利智精進の人、 いまだ難からず。 予がごとき頑魯のもの、 あに敢へんや。 このゆゑに念仏の一門によりて、 いささか経論の要文を集む。 これを披きこれを修するに、 覚りやすく行じやすし」 と。 云々
◇抑恵心先徳造テ↢¬往生要集ヲ¼↡、勧濁世末代ノ道俗。就之欲↠尋↢出離之趣ヲ↡、先序云、「往生極楽之教行ハ、濁世末代之目足也。道俗貴賎、誰不帰者。但顕密教法、其文非一。事理業因、其行多。利智精進之人、未難。如豫頑魯之者、豈敢矣。是故依念仏一門、聊集経論要文。披↠之修ルニ↠之、易覚易行。」云云
序は略て一部の奥旨を言述す、 この ¬集¼ すでに念仏によるといふ事顕然なり。 ただし念仏の相貌いまだくはしからざれば文に入りてこれを探るに、 この ¬集¼ 十門を立つ。 第一・第二・第三門はこれ行体にあらざればしばらくこれを置く。 その余の五門はこれ念仏につきてこれを立つ。 第九は諸行往生門、 これは行者の意楽に任せて一旦これを明すといへども、 さらに慇懃丁寧の勧進にあらず。 第十門はこれ問答料簡なれば、 また行体にあらず。
◇序者略テ言↢述一部ノ奥旨ヲ↡、此¬集¼已依ルト↢念仏ニ↡云事顕然也。但念仏ノ相貌未委者入テ↠文探ルニ↠之ヲ、此¬集¼立ツ↢十門↡。第一・第二・第三門ハ是非↢行体ニ↡者暫ク置ク↠之ヲ。其余ノ五門ハ是就テ↢念仏ニ↡立ツ↠之ヲ。第九ハ諸行往生門、是ハ任テ↢行者意楽ニ↡一旦雖↠明ト↠之ヲ、更ニ无シ↢慇懃丁寧ノ勧進ニ↡。第十門ハ是問答料簡ナレバ、又非ズ↢行体ニ↡。
念仏の五門につきてこれを料簡す。 第四はこれ正修念仏なり、 これをもつて念仏の体とす。 第五はこれ助念の方法なり、 念仏をもつて所助とす、 この門をもつて能助とす、 ゆゑに念仏を本意とするなり。 第六は別時念仏なり、 長時の勤行は勇進するにあたはざれば、 日数を限りて上の念仏を勤むるなり。 さらに別体にあらず。 第七はこれ念仏の利益なり、 上の念仏を勧めんがために利益の文を勘へてこれを挙ぐ。 第八はこれ念仏の証拠なり、 本意念仏にありといふ事また顕然なり。
◇就↢念仏ノ五門ニ↡料↢簡ス之ヲ↡。第四ハ是正修念仏也、以此為↢念仏体ト↡。第五ハ是助念ノ方法也、以↢念仏ヲ↡為↢所助ト↡、以↢此門ヲ↡為↢能助ト↡、故ニ念仏ヲ為↢本意ト↡也。第六別時念仏也、長時ノ勤行ハ不0697↠能↢勇進ルニ↡者、限テ↢日数ヲ↡勤↢上ノ念仏ヲ↡也。更ニ非↢別体ニ↡。第七ハ是念仏ノ利益也、為ニ↠勧ガ↢上ノ念仏ヲ↡勘テ↢利益ノ文ヲ↡挙グ↠之。第八ハ是念仏ノ証拠也、本意在リト↢念仏ニ↡云事又顕然也。
ただし正修念仏につきて種々の念仏あり。 初心の観行は深奥に甚へざれば、 色想観を教ふ。 色想観のなかに別の相観あり、 総相観あり、 雑略観あり、 極略観あり、 また称名あり。 そのなか慇懃精進の言、 ただ称名の段にあり。
◇但付テ↢正修念仏ニ↡有↢種々念仏↡。初心ノ観行ハ不↠甚↢深奥ニ↡者、教↢色想観ヲ↡。色想観中ニ有↢別ノ相観↡、有↢総相観↡、有↢雑略観↡、有↢極略観↡、又有↢称名↡。其中慇懃精進之言、唯在↢称名之段ニ↡。
五念門において正修念仏と名づくといへども、 作願・回向はこれ行体にあらず、 礼拝・讃嘆また観察にしかず。 観察のなかに称名において丁寧にこれを勧めて本意となすといふ事顕然なり。
◇於五念門雖↠名↢正修念仏↡、作願・廻向是非↢行体ニ↡、礼拝・讃嘆又不↠如↢観察ニ↡。観察中ニ於↢称名↡丁寧ニ勧テ↠之為↢本意ト↡云事顕然也。
ただし百即百生の行相においては、 道綽・善導の釈に譲りてくはしくこれを述べず。 このゆゑに ¬往生要集¼ を先達となして浄土門に入りて、 この宗の奥旨を窺ふに、 善導の二反これを見るに、 往生難しと思へり。 第三反のたび乱想の凡夫称名の行によりて往生すべき道理を得たり。 ただし自身の出離において、 すでに思ひ定めおはりぬ。
◇但於↢百即百生ノ行相ニ↡者、譲テ↢道綽・善導ノ釈ニ↡委ク不述之。是故¬往生要集ヲ¼為↢先達ト↡而入ルニ↢浄土門ニ↡、窺↢此宗ノ奥旨ヲ↡、於善導ノ二反見ルニ↠之、思リ↢往生難ト↡。第三反度得タリ↧乱想ノ凡夫依テ↢称名ノ行ニ↡可↢往生↡之道理ヲ↥。但於↢自身出離ニ↡、已ニ思定畢ヌ。
他人のためにこれを弘めんと欲すといへども、 時機叶ひがたきがゆゑ、 煩ひて眠る夢のなかに、 紫雲おほいに聳えて日本国に覆へり。 従雲中に無量の光出づ、 光のなかより百宝色の鳥飛び散りて充満せり。 時に高山に昇りてたちまちに生身の善導に値ひたてまつる。 腰より下は金色なり、 腰より上は常人のごとし。 高僧いはく、 汝不肖の身なりといへども、 専修念仏を弘むるゆゑに、 汝の前に来れり。 われはこれ善導なりと 云々。
◇為ニ↢他人ノ↡雖↠欲ト↠弘ト↠之ヲ、時機難ガ↠叶故、煩テ而眠ル夢ノ中ニ、紫雲大ニ聳テ覆ヘリ↢日本国ニ↡。従雲中出↢无量光↡、従↢光ノ中↡百宝色ノ鳥飛散充満セリ。于時昇高山忽ニ奉ル↠値ヒ↢生身ノ善導ニ↡。従腰下者金色也、従腰上者如↢常人ノ↡。高僧云、汝雖モ↢不肖ノ身ナリト↡、弘専修念仏故、来レリ↢汝前ニ↡。我是善導也 云云。
それより後この法を弘む、 年々繁昌して、 流布せざる境なきなりと 云々。
◇従其後弘此法、年々繁昌シテ、无↧不ル↢流布↡之境↥也 云云。
0698二
ある時物語りていはく、 顕真座主の御許より使者を遣はせていはく、 登山の次にかならず見参を遂ぐことあるべしと申しうけたまはる事、 かならず音信せしめたまへと。 よりて坂本に到りてこの由を申す。
○或時物語云、従顕真座主御許遣↢使者ヲ↡云、登山次ニ必ズ遂↢見参↡有可申承之事、必令音信給ヘト。仍テ到テ↢坂本↡申ス↢此由↡。
座主下りて対面せしめ問ひていはく、 今度いかんが生死を解脱すべきと。 答へていはく、 いかやうにも御計には過ぐべからずと。
◇座主下テ令↢対面↡問云、今度何ガ可↣解↢脱生死ヲ↡。答云、如何様ニモ不↠可↠過↢御計ニハ↡。
またいはく、 まことにしかなり。 ただし先達なれば、 もし思ひ定めたる旨あらば示したまへと。 その時自身のためにはいささか思ひ定めたる旨あり、 ただ早く往生極楽を遂げんとなりと。
◇又云、実然也。但先達者レバ、若有↢思定旨↡者示シ給ヘ。其時為ニハ↢自身↡者聊有↢思定タル旨↡、只早遂ト↢往生極楽ヲ↡也。
またいはく、 順次往生の遂げがたきによりてこの尋を致す、 いかんがたやすく往生を遂げんやと。 答ふ。 成仏は難しといへども、 往生は得やすきなり。 道綽・善導の意によらば、 仏の願力を仰ぎて強縁とするがゆゑに、 凡夫浄土に生ずと 云々。
◇又云、依↢順次往生ノ難キニ↟遂致↢此尋ヲ↡、如何ガ輒ク遂往生耶。答。成仏ハ雖難、往生ハ易得也。依↢道綽・善導意ニ↡者、仰↢仏ノ願力ヲ↡為ルガ↢強縁ト↡故ニ、凡夫生↢浄土ニ↡ 云云。
その後さらに言説なくして還りて後に、 座主御言にいはく、 法然房は智恵深遠なりといへども、 いささか偏執の失ありと 云。 人来てこの事を語る。 わが不知の事をいふには、 かならず疑心を起すなり。
◇其後更无テ↢言説↡而還テ後ニ、座主御言ニ云、法然房ハ雖智恵深遠、聊有↢偏執失↡ 云。人来テ語↢此事↡。豫ガ云ニハ↢於不知之事ヲ↡者、必起↢疑心ヲ↡也。
座主この事を聞きてまことにしかりといひて、 われ顕密教において稽古を積むといへども、 しかしながら名利のためぞ、 浄土を志さざるがゆゑに道綽・善導の釈を窺はず。 法然房にあらずはたれ人かかくのごとく言はんと。 この言を恥じて大原に隠居して、 百日浄土の章疏を見たまへり。 しかして後にわれすでに法門を見立てたり、 来臨せしめたまへ、 これを請ふと 云々。
◇座主聞↢此事ヲ↡誠然ト云テ、我於↢顕密教ニ↡雖↠積↢稽古ヲ↡、併ラ為ゾ↢名利ノ↡、不↠志↢浄土ヲ↡故ニ不↠窺ハ↢道綽・善導ノ釈ヲ↡。非↢法然房ニ↡者誰人カ如此言ム。恥テ↢此言ヲ↡隠↢居テ大原ニ↡、百日見↢浄土ノ章疏ヲ↡給ヘリ。然シテ後ニ我已ニ見↢立タリ法門ヲ↡、令↢来臨↡給ヘ、請ト↠之 云云。
この時東大寺の上人南無阿弥陀仏は、 いまだ出離の道を思ひ定めず、 ゆゑにこの由を告ぐ、 すなはち弟子三十余人を具して来る。 この衆を具して大原に参る。 源空の方には東大寺の上人居流れ、 座主の御方には大原の上人居流れて、 浄土の法門を述ぶ。
◇此時東大寺上人南无阿弥陀仏ハ、未↣思ヒ↢定メ出離ノ道ヲ↡、故ニ告グ↢此由ヲ↡、即具シテ↢弟子三十余人ヲ↡而来ル。具テ↢此衆↡参↢大原ニ↡。源空之方ニハ東大寺上人居流、座主御方ニハ大原上人居流テ、述↢浄土法門↡。
座主一々に領解して、 談義おはりて座主一つの大願を発したまへり。 この寺に五坊を立てて一向専念の行を相続す、 称名のほかにさらに余行を交へず。 その行一たび始まりてすでにこのかた今に退転せず。 尋ねてこの門に入りて後、 妹の尼御前を勧めんがために、 念仏勧進の消息を書かる。 世間に流布する ¬顕真消息¼ といふこれなり。
◇座主一々ニ領解シテ、談義畢テ座主発シ↢一0699ノ大願↡給ヘリ。此寺ニ立テ↢五坊ヲ↡相↢続ス一向専念行ヲ↡、称名之外ニ更不↠交↢余行ヲ↡。其行一ビ始テ已来于今不退転。尋入↢此門ニ↡後、為↠勧↢妹ノ尼御前ヲ↡、被↠書↢念仏勧進之消息ヲ↡。流↢布スル世間ニ↡¬顕真消息ト¼云是也。
大仏上人一つの意楽を発していはく、 わが国の道俗、 閻魔宮に跪かん時、 校名を問はるれば、 その時仏号を唱へしめんがために、 阿弥陀仏の名をつく。 わが名はすなはち南无阿弥陀仏なりといふ。 わが朝に阿弥陀仏の名を流布する事、 この時より始るなりと 云々。
◇大仏上人発シテ↢一ノ意楽ヲ↡云ク、我国道俗、跪ヅカン↢閻魔宮ニ↡之時、被↠問↢校名↡者、其時為↠令↠唱↢仏号ヲ↡、付ク↢阿弥陀仏名ヲ↡。我名ハ即南无阿弥陀仏也云。我朝ニ流↢布コト阿弥陀仏名ヲ↡事、自此時始也 云云。
三
▼ある時物語りていはく、 当世の人は法門の分斉に迷ひて、 たやすく生死を解脱すべしといふなり。
○或時物語云ク、当世人ハ迷テ↢法門分斉ニ↡、云フ↤輒可↣解↢脱生死ヲ↡也。
わが師に肥後の阿闍梨といふ人あり、 智恵深遠の人なり。 つらつら自身の分斉を顧るに、 このたび生死を解脱すべからず。 もしこのたび生を改むれば、 隔生即忘のゆゑにさだめて仏法を忘れんか。 しかれば長命の報を受けて、 慈尊の出世を待つべし。 大蛇これ長寿のものなり、 吾まさに大蛇となるべし。 ただしもし大海に住せば、 中夭の恐あるべし。
◇我師ニ有↢肥後阿闍梨云人↡、智恵深遠ノ人也。倩ラ顧ルニ↢自身ノ分斉ヲ↡、此ノ度不可解脱生死。若此度改生者、隔生即忘ノ故ニ定テ忘仏法歟。然バ受テ↢長命報↡、待ベシ↢慈尊ノ出世ヲ↡。大蛇是長寿者也、吾当 ベ ニシ↢大蛇ト↡。但シ若住↢大海↡者、可↠有↢中夭ノ恐↡。
これによりて遠江の国笠原庄の内に桜陀の池、 領家の放文を取りてこの池に住せんと願ず、 死期に水を乞ひ掌中に入れて死におはりぬ。 かの池において風吹かざるに、 にはかに大浪おのづから起り、 池のなかの塵を払ひ上ぐ。 諸人奇特を作し注して、 この由を領家に申す。 その日比を勘ふにかの阿闍梨逝去の日時に当たる。
◇依↠此遠江国笠原庄ノ内ニ桜陀之池、取↢領家ノ放文ヲ↡願↠住↢此池ニ↡、死期ニ乞水入↢掌中ニ↡死畢ヌ。於↢彼池↡不↢風吹↡、率ニ大浪自ラ起、払ヒ↢上グ池ノ中ノ塵ヲ↡。諸人作↢奇特↡注テ、此由申↢領家↡。勘↢其日比↡当ル↢彼阿闍梨逝去日時ニ↡。
智恵あるがゆゑに生死の出でがたきを知り、 道心あるがゆゑに仏世に値はんと願ふ。 しかれども浄土の法門を知らざるがゆゑにかくのごとき意楽を発す。
◇有智恵故ニ知↢生死難出↡、有↢道心↡故ニ願フ↠値ト↢仏世ニ↡。然而不↠知↢浄土法門ヲ↡故発↢如此意楽0700ヲ↡。
われその時この法を得たらましかば、 信不信を顧ずこの法門に指授せまし。 当世の仏法においては、 道心あるもの遠生の縁を期し、 道心なきものはしかしながら名聞の思に住す。 自身をもつてたやすく生死を出づべしといふは、 これ機縁の分斉を知るがゆゑなり。
◇我其時為↠得↢此法↡者、不↠顧↢信不信ヲ↡指↢授マシ此法門ニ↡。於↢当世ノ仏法ニ↡者、有↢道心↡者期↢遠生ノ縁ヲ↡、無キ↢道心↡者ハ併住↢名聞思ニ↡。以↢自身↡輒ク言↠可↠出↢生死ヲ↡者、是知↢機縁分斉ヲ↡故也。
四
ある時いはく、 われ浄土宗を立つる意趣は、 凡夫の往生を示さんがためになり。 もし天台の教相によらば、 凡夫の往生を許すに似たりといへども、 浄土を判ずることいたりて浅薄なり。 もし法相の教相によらば、 浄土を判ずること甚深なりといへども、 まつたく凡夫の往生を許さざるなり。 諸宗の所談異なりといへども、 総じて凡夫の浄土に生ずるといふ事を許さず。 善導の釈義によりて浄土宗を興す時、 すなはち凡夫報土に生ずるといふ事顕るるなり。
○或時云、我立↢浄土宗↡意趣者、為ニ↠示ムガ↢凡夫ノ往生ヲ↡也。若依↢天臺教相↡者、雖↠似ト↠許↢凡夫往生ヲ↡、判コト↢浄土↡至浅薄也。若依↢法相教相ニ↡者、判コト↢浄土↡雖甚深、全ク不↠許↢凡夫ノ往生ヲ↡也。諸宗所談雖↠異、総テ不↠許↧凡夫ノ生↢浄土↡云事↥。依↢善導釈義ニ↡興↢浄土宗ヲ↡時、即凡夫生ト↢報土ニ↡云事顕也。
ここに人多く誹謗していはく、 宗義を立てずといへども、 念仏往生を勧むべし。 今宗義を立つる事、 ただ勝他のためなりと 云々。 もし別宗を立てずは、 なんぞ凡夫報土に生ずる義を顕さん。 もし人来りていひて念仏往生とは、 これいづれの教・いづれの宗・いづれの師の意ぞと問はば、 天台にもあらず、 法相にもあらず、 三論にもあらず、 花厳にもあらず、 いづれの宗・いづれの師の意とか答えんや。 このゆゑに道綽・善導の意によりて浄土宗を立つ、 これまつたく勝他にあらざるなりと 云々。
◇爰人多ク誹謗シテ云、雖↠不↠立↢宗義ヲ↡、可↠勧↢念仏往生ヲ↡。今立ル↢宗義ヲ↡事、唯為勝他也 云云。若不立別宗者、何顕ム↧凡夫生ズル↢報土ニ↡之義ヲ↥。若人来テ言念仏往生者、是問↢何教・何宗・何師意ゾト↡者、非↢天臺ニモ↡、非↢法相↡、非↢三論↡、非↢花厳↡、答↢何宗・何師ノ意トカ↡乎。是故ニ依テ↢道綽・善導ノ意ニ↡立ツ↢浄土宗ヲ↡、是全ク非↢勝他ニ↡也 云云。
五
ある時上人瘧病することありて、 種々の療治に一切に叶はず。 時に月輪の禅定殿下、 おほいにこれを歎きていはく、 われ善導の御影を図絵し、 上人の前においてこれを供養せんと。 この由を仰られ安居の僧都の許へ遣はし、 御返事にいはく、 聖覚も同日同時に瘧病つかまつる事候ふ。 しかりといへども御師匠報恩のため勤めつかまつり参るべしと。 ただ早旦御仏事を始めらるべしと 云々。 辰の時より説法を始め、 未の時に説法おはりぬ。 導師ならびに上人、 共に瘧病落ちおはりぬ。
○或時上人有↢瘧病コト↡、種々ノ療治ニ一切ニ不叶。于時月輪禅定殿下、大ニ歎↠之云、我図↢絵善導御影ヲ↡、於↢上人ノ前ニ↡供↢養之↡。此由被仰遣↢安居僧都許↡、御返事云ク、聖覚モ同日同時ニ瘧病仕事候。雖然為↢御師匠報恩↡可↠参0701↢勤仕↡。但早旦可↠被↠始↢御仏事ヲ↡ 云云。自辰時始↢説法ヲ↡、未時ニ説法畢ヌ。導師并ニ上人、共ニ瘧病落畢ヌ。
またその説法の大旨は、 大師・釈尊も衆生に同ずる時の、 つねに病悩を受けてたまひき、 いはんや凡夫血肉の身、 いかんぞその憂なからん。 しかりといへども浅智愚鈍の衆生は、 この道理を顧ず、 さだめて不信の思を懐かんか。 上人の化導すでに仏意に称ひて、 まのあたり往生を遂げたまふは千万千万。 しかれば諸仏・菩薩、 諸天・竜神、 いかでか衆生の不信を歎かざらん。 四天大王仏法を守るべくは、 かならずわが大師上人の病悩を癒したまふべきなり。 善導の御影の前、 異香薫ずと 云々。
◇又其ノ説法大旨ハ、大師・釈尊モ同ル↢衆生↡時ノ者、恒ニ受テ↢病悩ヲ↡給キ、況ヤ凡夫血肉身、云何无↢其憂ヘ↡。雖然浅智愚鈍衆生者、不↠顧↢此道理↡、定テ懐↢不信之思ヲ↡歟。上人化導已ニ称テ↢仏意ニ↡、面リ遂↢往生↡者千万千万。然者諸仏・菩薩、諸天・竜神、争不↠歎↢衆生ノ不信↡。四天大王可↠守↢仏法ヲ↡者、必可↧癒シ↢我ガ大師上人ノ病悩ヲ↡給↥也。善導ノ御影ノ前、異香薫 云云。
僧都ゆゑに法印は雨を下して名を挙ぐ聖覚が身はこの事もつとも奇特なりといふと 云々。 世間の人おほいに驚きて不思議の思を生ずと 云々 。
◇僧都云↢故法印ハ下雨挙名聖覚ガ身ハ此事尤奇特↡ 云云。世間ノ人大驚テ生↢不思議思ヲ↡ 云云
六
ある時いはく、 われ一向専念の義を立つ、 人多く謗りていはく、 たとひ諸行往生を許すといへども、 まつたく念仏往生の障となるべからず。 なんがゆゑぞあながちに一向専念の義を立つるや、 これおほいに偏執の義なりと。
○或時云、我立↢一向専念義ヲ↡、人多ク謗云、縦ヒ雖↠許ト↢諸行往生ヲ↡、全ク不↠可↠成↢念仏往生ノ障ト↡。何故ゾ強ニ立ル↢一向専念ノ義↡耶、此大偏執ノ義也。
答ふ。 この難はこれこの宗を知らざる限のゆゑなり。 ¬経¼ (大経巻下) にすでに 「一向専念無量寿仏」 といふがゆゑに、 釈 (散善義) に 「一向専称弥陀仏名」 といふ。 経釈を離れてわたくしにこの義を立てては、 まことに所責去りがたし。 この難を致さんと欲するものは、 まづ釈尊を謗ずべく、 次に善導を謗ずべし。 その過まつたくわが身の上にあらず。
◇答。此ノ難ハ是不ル↠知↢此宗ヲ↡限故也。¬経ニ¼已云↢「一向専念无量寿仏ト」故、釈ニ云↢「一向専称弥陀仏名ト」↡。離↢経釈↡私ニ立テ↢此義↡者、誠ニ所責難シ↠去リ。欲↠致↢此難ヲ↡者ハ、先可↠謗↢釈尊↡、次ニ可↠謗↢善導↡。其過全ク非↢我身上↡。
そのかみ弟子の過によりて讃岐の国に流さるる事あり、 その時一人の弟子に対して一向専念の義を述ぶ。 西阿弥陀仏といふ弟子推参していはく、 かくのごとき御義、 ゆめゆめあるべからざる事に候ふ、 おのおの御返事を申せしめたまふべからずと 云々。 上人いはく、 汝経釈の文を見ずやと。 西阿弥陀仏いはく、 経釈の文はしかりといへども、 世間の譏嫌を存ずるばかりなりと。 上人いはく、 われ頚を截らるるといへども、 この事をいはずはあるべからずと 云々。 御気色もつとも至誠なり、 見まてまつる人々涙を流して随喜すと 云々。
◇当初依↢弟子ノ過ニ↡有↧被↠流↢讃岐国↡事↥、其時対↢一人弟子↡述↢一向専念義ヲ↡。西阿弥陀仏0702ト云弟子推参シテ云、如此御義、努々不↠可↠有事ニ候、各不↠可↧令↠申↢御返事ヲ↡給↥ 云云。上人云、汝不↠見↢経釈ノ文ヲ↡哉。西阿弥陀仏云、経釈文ハ雖然、存ズル↢世間ノ譏嫌ヲ↡計也。上人云ク、我雖↠被↠截↠頚、不↠可↠不↠云↢此事ヲ↡ 云云。御気色尤至誠也、奉見人々流涙随喜 云云。
七
ある時鎮西より来れる修行者、 上人に問ひたてまつりていはく、 称名の時、 心を仏の相好に係くる事は、 いかやうにか候ふべしと。 上人いまだ言説せざる前に、 かたはらの弟子しかるべしと 云々。
○或時自↢鎮西↡来レル修行者、奉問上人云、称名之時、係↢心ヲ於仏ノ相好ニ↡事ハ、如何様ニカ可候。上人未ダル↢言説↡前ニ、傍弟子可然 云云。
上人いはく、 源空はしからず、 ただ 「若我成仏、 十方衆生、 称我名号下至十声、 若不生者不取正覚。 彼仏今現在世成仏。 当知、 本誓重願不虚、 衆生称念必得往生」 (礼讃) と思ふばかりなり。 わが分斉をもつて仏の相好を観ずとも、 さらに説のごとく観ずるにあらず。 深く本願を憑みて口に名号を唱ふる、 ただこの一事のみ仮令の行にあらざるなりと。 修行者悦びて退出しおはりぬと。
◇上人云、源空ハ不然、唯思フ↢「若我成仏、十方衆生、称我名号下至十声、若不生者不取正覚。彼仏今現在世成仏。当知、本誓重願不虚、衆生称念必得往生ト」↡計也。以↢我分斉ヲ↡観トモ↢仏ノ相好ヲ↡、更非↢如ク↠説観ニ↡。深ク憑テ↢本願↡口ニ唱ル↢名号ヲ↡、唯是一事ノミ不↢仮令行↡也。修行者悦テ退出畢ヌ。
八
ある時人問ひていはく、 本願を釈するに安心を略する、 なんの意かあらんや。 上人答へていはく、 「衆生称念必得往生」 (散善義礼讃) と知るに、 自然に三心を具足するなり。 この理を顕さんがために、 かくのごとく釈するなりと 云々。
○或時人問云、釈ニ↢本願ヲ↡略スル↢安心ヲ↡、有↢何意カ↡耶。上人答云、知ルニ↢「衆生称念必得往生ト」↡、自然ニ具↢足スル三心ヲ↡也。為顕此理、如此釈也 云云。
九
ある人問ひていはく、 毎日の所作に六万・十万等の数返を配てて不法なると二万・三万を配てて如法ならんと、 いづれをか正となすべきやと。
○或人問云、毎日所作配↢六万・十万等ノ数返ヲ↡而不法ナル与配テヽ↢二万・三万ヲ↡如法ムト、何ヲカ可↠為↠正ト耶。
答へていはく、 凡夫の習、 二万・三万の数遍を配つといへども、 如法の義あるべからず。 ただ数返多きにはしかず、 所詮心をして相続せしめんがためなり。 ただしかならず数を定むを要とするにはあらず、 ただ常念のためなり。 数返を定めざるは懈怠の因縁なれば、 数返を勧むるなりと 云々。
◇答云、凡夫ノ習ヒ雖↠配↢二万・三万数遍ヲ↡、不可有如法ノ義0703。唯不↠如↢数返多ニハ↡、所詮為↠令↢心ヲシテ相続↡也。但必ズ定ヲ↠数ヲ非↠為ニハ↠要ト、只為↢常念↡也。不↠定↢数返ヲ↡者懈怠ノ因縁ナレバ、勧ル↢数返ヲ↡也 云云。
十
ある時問ひていはく、 智恵もし往生の要の事たるべくは、 正直に仰を蒙りて修学を営むべし。 またもつて但称名、 足らざるにあるべからずは、 その旨を存ずべし。 ただ今の仰をもつて、 如来の金言と存ずべく候ふと。
○或時問云、智恵若可↠為↢往生ノ要事↡、正直ニ蒙↠仰可↠営↢修学ヲ↡。又以但称名、不可有不足者、可↠存↢其旨↡。以只今仰、可↠存↢如来金言ト↡候。
答へていはく、 往生の正業はこれ称名といふ事、 釈文分明なり。 有智・無智を簡ばずといふ事また顕然なり。 しかれば往生のためには称名足れりとす。 もし学問を好まんと欲せば、 しからず、 ただ一向に念仏して往生を遂ぐべし。 弥陀・観音・勢至に値ひたてまつる時、 何の法門か達せざる。 かの国の荘厳、 昼夜朝暮に甚深の法を説く、 その時の見仏・聞法を期すべきなり。 念仏往生の旨を知らざる程はこれを学せ。 もしこれを知らばいくばくの智恵を求む、 称名の暇を嫌はざれと 云々。
◇答云、往生ノ正業ハ是称名ト云事、釈文分明也。不↠簡↢有智・無智ヲ↡云事又顕然也。然者為往生者称名為足。若欲好学問、不、只一向ニ念仏シテ可↠遂↢往生↡。奉↠値↢弥陀・観音・勢至ニ↡之時、何ノ法門カ不達。彼国荘厳、昼夜朝暮ニ説↢甚深ノ法↡、可↠期↢其時之見仏・聞法ヲ↡也。不↠知↢念仏往生ノ旨ヲ↡之程可↠学↠之ヲ。若知↠之者求↢不幾之智恵ヲ↡、不↠嫌↢称名ノ暇ヲ↡也 云云。
十一
ある時いはく、 浄土の人師多しといへども、 みな菩提心を勧めて、 観察を正となす。 ただ善導一師のみ菩提心なくしての往生を許す、 観察をもつては称名の助業と判ずと。 当世の人、 善導の意によらず、 たやすく往生を得ず。 曇鸞・道綽・懐感等、 みな相承の人師なりといへども、 義においてはいまだかならずしも一准ならず、 よくよくこれを分別すべし。 この旨を辨へずは、 往生の難易において存知しがたきものなりと 云々。
○或時云、浄土ノ人師雖↠多ト、皆勧テ↢菩提心ヲ↡、観察ヲ為↠正ト。唯善導一師ノミ許↧无シテ↢菩提心↡之往生ヲ↥、以テハ↢観察ヲ↡判ト↢称名ノ助業ト↡。当世之人、不↠依↢善導ノ意ニ↡、輒ク不↠得↢往生ヲ↡。曇鸞・道綽・懐感等、皆雖↠為↢相承ノ人師↡、於↠義者未↢必一准ナラ↡、能々可分別之。不辨此旨者ハ、於↢往生ノ難易ニ↡難存知者也 云云。
十二
ある時問ひていはく、 人多く持斉を勧む、 この条いかんと。 答ふ。 僧尼の食作法はもつともしかるべきなり。 しかりといへども当世は機すでに衰へ、 食すでに滅す。 この分斉をもつて、 一食は心ひとへに食事を思ひ、 念仏の心静かならず。 ¬菩提心経¼ にいはく、 「食は菩提心を妨げず、 心よく菩提を妨ぐ」 と。 そのうへは自身をあひ計ふべきなりと 云々。
○或時問云、人多勧ム↢持斉↡、此条如何。答。僧尼ノ食作法ハ尤可然也。雖然当0704世ハ機已衰ヘ、食已滅ス。以↢此分斉↡、一食者心偏ニ思↢食事ヲ↡、念仏ノ心不静。¬菩提心経¼云、「食ハ不↠妨↢菩提心↡、心能妨↢菩提ヲ↡。」其上ハ自身ヲ可↢相計↡也 云云。
十三
ある時問ひていはく、 菩提の業においてすでに思ひ定めおはりぬ。 ただ一期の身のありやう、 いかんが存ずべく候ふと。 答へていはく、 僧の作法は大小の戒律にあり。 しかりといへども末法の僧はこれに随はず。 源空これを禁ずるに、 たれひとかこれに随はん。 ただ所詮念仏の相続するやうにあひ計ふべきなり。 往生のためには、 念仏をすでに正業となす。 ゆゑにこの旨を守りてあひ励むべきなり。 持斎まつたく正業にあらざるなりと。
○或時問云、於↢菩提業ニ↡已思定畢ヌ。但一期ノ身之有様、云何ガ可存候。答云、僧ノ作法ハ在↢大小ノ戒律ニ↡。雖然末法僧ハ不↠随↠之。源空禁↠之、誰人随ム↠之。只所詮念仏ノ相続スル様ニ可↢相計↡也。為↢往生ノ↡者、念仏ヲ已為↢正業ト↡。故ニ守テ↢此旨ヲ↡可↢相励↡也。持斎全ク非↢正業↡也。
十四
ある時教を受くると発心とはおのおの別なるべきなり。 なかごろ一りの住山者あり。 内々浄土の法門を学していはく、 われすでにこの教の大旨を得。 しかりといへどもいまだ信心を発さず、 いかなる方法をもつてか信心を建立すべしと 云々。
○或時受ルト↠教与ハ↢発心↡可↢各別↡也。中比有一ノ住山者。内々学テ↢浄土法門ヲ↡云ク、我已ニ得↢此ノ教ノ大旨ヲ↡。雖然未↠発↢信心ヲ↡、以カ↢何ナル方法ヲ↡建↢立信心↡ 云云。
予教へていはく、 三宝に祈精せしめたまふべしと。 それよりこのかた、 慇懃にこれを祈精す。
◇豫教テ云、可↧令↣祈↢精三宝ニ↡給↥。自爾以降、慇懃ニ祈↢精之↡。
ある時東大寺に参りて念誦す。 たまたま棟木を上ぐる日に当たりて、 つらつらこれを見るに、 たちまちに信心開発す。 匠なる計略にあらざるよりは、 かのおほいなる物いかんが棟上に居す。 いかにいはんや如来の善巧不思議力をや。 われ願生の志あり、 仏に引接の願まします、 もつとも往生すべし。 一たびこの道理を得て後に、 ふたたび疑心なし。
◇或時参↢東大寺↡念誦ス。適当テ↧上↢棟木ヲ↡之日ニ↥、倩見↠之、忽ニ信心開発ス。自↠非↢匠計略ニ↡、彼ノ大物云何ガ居↢棟上↡。何況如来ノ善巧不思議力哉。我有↢願生ノ志↡、仏ニ有ス↢引接ノ願↡、尤可↢往生↡。一ビ得テ↢此道理↡之後ニ、再無↢疑心↡。
かの人来りてこの由を語る、 三年を経て後に往生を遂ぐ。 かたがた霊瑞を現ず、 不可思議なり。 学問によりて発心せずといへども、 境界を見る縁によりて信を起す。 ただ慇懃に心に係けてつねに思惟すべし、 また三宝に祈るべきなりと 云々。
◇彼人来テ語↢此由ヲ↡、経テ↢三年↡之後ニ遂グ↢往生ヲ↡。旁現ズ↢霊瑞↡、不可思議也。依↢学問↡雖↠不↢発心↡、依↧見↢境界ヲ↡之縁↥起↠信ヲ。唯慇懃ニ係テ↠心ニ常ニ思惟スベシ、又可↠祈↢三宝ニ↡也 云云。
十五
ある人問ひていはく、 真言の阿弥陀の供養法、 これ正行なるべきやいかんと。 答ふ。 しかるべからざるなり。 一に似たりといへども、 教に随はばその意不同なり。 真言教に阿弥陀は、 これ己心の如来なり、 ほかに尋ぬべからず。 この教の弥陀は、 法蔵比丘の成仏なり、 西方に居す。 その意おほいに異なり。 かれは成仏の教なり、 此は往生の教なり。 さらにもつて同ずべからずと 云々。
○或0705人問云、真言ノ阿弥陀供養法、是可↢正行ナル↡哉云何。答。不可然也。雖似一、随↠教其意不同也。真言教ニ阿弥陀ハ、是己心ノ如来ナリ、不↠可↠尋↠外ノ。此教弥陀ハ、法蔵比丘之成仏也、居ス↢西方↡。其意大ニ異ナリ。彼ハ成仏教也、此ハ往生ノ教也。更以不↠可↠同 云云。
十六
ある時いはく、 法門の善悪は宗義にあるなり、 学者多しといへども、 宗義を分別するものきはめて希なり。 わが朝の真言に二つの流あり、 いはゆる東寺・天台これなり。
○或時云、法門ノ善悪ハ在↢宗義↡也、学者雖多、分↢別宗義↡者極テ希也。吾朝ノ真言ニ有↢二ノ流↡、所謂東寺・天臺是也。
そのなかに天台の真言は、 その宗義東寺のごとくにあらず。 ゆゑは、 一山の内に顕密の二教を兼学す、 そのなかに法花宗を本意となす。 ゆゑに天台の奥旨はこれすなはち真言なりといへり。 このゆゑに顕宗の分を出でざる真言なり。
◇其中ニ天臺ノ真言ハ、其宗義非↠如↢東寺ノ↡。所以者、一山ノ内ニ兼↢学ス顕密ノ二教ヲ↡、其中ニ法花宗ヲ為↢本意↡。故天臺ノ奥旨ハ是即真言也ト云ヘリ。是故ニ不ル↠出デ↢顕宗ノ分ヲ↡之真言也。
東寺の真言は、 顕宗においてあへて肩を双ぶることなきなり。
◇東寺ノ真言ハ、於↢顕宗↡敢テ无↠双コト↠肩ヲ也。
われ諸宗の教相を闚ふに、 真言・仏心の両宗は、 諸宗を取りて自宗の教相として諸宗を廃して自定を立つ。 諸宗のなかに宗義に至りては、 この両宗に等しきなきなりと 云々。
◇我闚ニ↢諸宗ノ教相ヲ↡、真言・仏心ノ両宗ハ、取↢諸宗ヲ↡為↢自宗ノ教相ト↡而廃シテ↢諸宗ヲ↡立↢自定ヲ↡。諸宗ノ中ニ至テ↢宗義ニ↡者、无↠等↢此両宗ニ↡也 云云。
わたくしにいはく、 この言の下にいささか所存あるか。 ¬選択集¼ にすでに真言・仏心をもつて聖道門に入るを、 浄土宗の教相とす。 聖道門をもつて浄土門に対しこれを廃したまふ。 その智恵深遠なる事、 言語道断か。
◇私云、此言ノ下ニ聊有↢所存↡歟。¬選択集ニ¼已ニ以↢真言・仏心↡入↢聖道門ニ↡、為↢浄土宗ノ教相ト↡。以↢聖道門↡対↢浄土門ニ↡而廃之給。其智恵深遠ナル事、言語道断歟。
十七
あるがいはく、 上人在生の時、 三井寺の貫首大貳僧正公胤、 三巻の書を作りて ¬選択集¼ を破す、 ¬浄土決疑抄¼ と名づく。 その書にいはく、 「¬法花¼ に即往安楽の文あり、 ¬観経¼ に読誦大乗の句あり。 ¬法花¼ を転読して極楽に生ずるになんの妨かあらん。 しかるに読誦大乗を廃し、 ただ念仏を付属す 云々。 これおほいなる錯なり」 と。 取意
○或云、上人在生ノ時、三井寺貫首大貳僧正公胤、作↢三巻書ヲ↡破↢¬選択集0706ヲ¼↡、名↢¬浄土決疑抄ト¼↡。其書ニ曰ク、「¬法花ニ¼有↢即往安楽ノ文↡、¬観経ニ¼有↢読誦大乗句↡。転↢読シテ¬法花ヲ¼↡生↢極楽ニ↡有↢何妨カ↡。然ニ廃↢読誦大乗ヲ↡、唯付↢属念仏ヲ↡ 云云。是大ナル錯也。」取意
上人これを見て、 見終らずに指し置きていはく、 この僧正はこれ程の人とは思はず、 無下の分斉かな。 浄土の宗義を言ふと聞かば思ふべし。 教の権実を定判せんとは、 権を廃し実の義を立らんと思ふべし。 宗義を立つと聞きながら、 理に枉りて ¬法花¼ をもつて ¬観経¼ の往生の行のなかに入れんと望む事、 宗義の廃立を忘るるに似たり。
◇上人見之、不↢見終ラ↡指置テ云、此僧正ハ此程之人トハ不↠思ハ、無下ノ分斉哉。聞カバ↠言ト↢浄土宗義ヲ↡者可↠思フ。定↢判ムト教ノ権実ヲ↡者、可↠思↧廃↠権立↢実義ヲ↡覧ト↥。乍↠聞↠立ト↢宗義ヲ↡、枉テ↠理以↢¬法花¼↡望ム↠入ト↢¬観経¼往生ノ行ノ中ニ↡事、似タリ↠忘ルニ↢宗義ノ廃立ヲ↡。
もし能あり学道者をば、 おもふべし、 ¬観経¼ はこれ爾前の教なり、 かの経のなかに ¬法華¼ を摂すべからずと。 今浄土宗の意は、 ¬観経¼ 前後の諸大乗経を取りて、 みなことごとく往生行の内に摂す、 なんぞ ¬法華¼ 独りこれを残さんや。 事新しく ¬観経¼ の内に入るることを望むべからず。 あまねく摂する意は、 教の念仏に対してこれを廃さんがためなりと 云々。
◇若シ能アリ学道者ヲバ、可↠謂、¬観経ハ¼是爾前教也、彼経ノ中不可摂¬法華¼。今浄土宗ノ意者、取↢¬観経¼前後之諸大乗経ヲ↡、皆悉ク摂↢往生行ノ内↡、何ゾ¬法華¼独残之哉。事新ク不↠可↠望↠入↢¬観経ノ¼内ニ↡。普ク摂意者、教ノ為↧対↢念仏ニ↡廃ガ↞之ヲ也 云云。
使者の学仏房、 還りてこの由を語る、 僧正口を閉じて言説せず。
◇使者学仏房、還語↢此由↡、僧正閉口不言説。
かの僧正来りて説法の次で、 前の ¬浄土決疑抄¼ の由来を語らる。 われ今日この砌に臨む事、 ひとへにこの事を懺悔せんがためなりと 云々。 聴聞の道俗貴賎、 随喜せざるなし。 その後僧正同じく往生の素懐を遂げおはりぬ、 瑞相奇特にあらずかたがた多しと 云々。
◇彼僧正来テ説法之次、被↠語↢於前ノ¬浄土決疑抄¼之由来ヲ↡。我今日臨↢此砌↡事、偏ニ為懺悔此事也 云云。聴聞ノ道俗貴賎、無↠不↢随喜↡。其後僧正同ク遂↢往生ノ素懐ヲ↡畢、瑞相非奇特旁多シ 云云。
十八
ある時いはく、 源空月輪の禅定殿下へ参りし時、 住山者一人参り会へり。 いささか憚あるがゆゑにその名を載せず 問ひていはく、 まことなるや、 浄土宗を立てたまふと。 答へていはく、 しかなりと。
○或時云、源空参↢月輪禅定殿下↡之時、住山者一人参会ヘリ。聊有憚故不載其名 問云0707、誠耶、立浄土宗給。答云、然也。
また問ひていはく、 いづれの文につきてこれを立てたまふやと。 答へていはく、 善導の ¬観経疏¼ 付属の釈につきてこれを立つるなりと。
◇又問云、何文ニ付テ立↠之給フ耶。答云、就↢善導¬観経疏¼付属ノ釈ニ↡立↠之也。
またいはく、 宗義を立つる程の事、 なんぞただ一文によりてこれを立てたまふやと。 微笑して物いはず。
◇又云、立宗義之程ノ事、何唯依↢一文↡立↠之給耶。微笑シテ不↢物言↡。
山に還りて法地房法印の前においてこの事を語る、 総じて返答に及ばずといふ。 法印いはく、 かの上人の物言はざるは、 不足言のところのゆゑなり。 かの上人はわが宗においてすでに達者たり、 あまつさへ諸宗に亘りあまねく宗学せり、 智恵深厚なること常人に超過せり。 ゆゑに返答に及ばずと思ひ、 物言はざるなり。 ゆめゆめ僻見に住すべからずと。
◇還↠山於法地房法印前語↢此事↡、総テ不↠及↢返答ニ↡云フ。法印云ク、彼上人ノ不↢物言↡者、処↢不足言↡故也。彼上人ハ於↢我宗↡已ニ為達者、剰ヘ亘↢諸宗ニ↡普宗学セリ、智恵深厚ナルコト超↢過セリ常人↡。故思↠不↠及↢返答↡、不↢物言↡也。努力努力不↠可↠住↢僻見ニ↡。
上人この事を聞きていはく、 かの法印殊に親近して法問を談じたてまつる、 ゆゑに智恵分涯を知りてかくのごとくいふなり。 ことにわが法門においては、 源空に相承の事顕然なりと。
◇上人聞此事云、彼法印殊ニ親近シテ奉ニ↠談↢法問↡、故ニ知テ↢智恵分涯ヲ↡如此云也。殊ニ於↢我法門↡者、相↢承于源空ニ↡之事顕然也。
一九
ある人問ひていはく、 つねに廃悪修善の旨を存じて念仏せんとつねに本願の旨を思ひ念仏すると、 いづれが勝りたるやと。 答ふ。 廃悪修善はこれ諸仏の通誡といへども、 当世のわれらはことごとくく違背せり。 もし別意の弘願に乗ぜずは、 生死を出でがたきものかと 云々。
○或人問云、常ニ存テ↢廃悪修善ノ旨ヲ↡念仏ムト与↧常思↢本願旨ヲ↡念仏スル↥、何ガ勝タル哉。答。廃悪修善ハ是雖↢諸仏通誡↡、当世ノ我等ハ悉ク違背セリ。若不↠乗↢別意弘願ニ↡者、難↠出↢生死ヲ↡者歟 云云。
二〇
ある時いはく、 汝 ¬選択集¼ といふ文ありと知りたりやいなや。 知らざる由、 この文はわれ作れる文なり、 汝これを見るべし。 われ存生の間は流布すべからざる由これを禁むゆゑに人々にこれを秘すと。 これによりて成覚房の本をもつてこれを写す。
○或時云、汝有ト↢¬選択集¼云文↡知リヤ否ヤ。不知之由、此文ハ我作レル文也、汝可↠見↠之。我存生之間ハ不可流布之由禁ム↠之故ニ人々秘之。依↠之以↢成覚房ノ本ヲ↡写之。
そのかみに上人、 御不例の気出で来たまへり。 いささか御平癒の時、 月輪の禅定殿下より、 御形見のために要文を集めこれを給ふべき由仰せらる。 これによりてこの ¬書¼ を造りて進覧せしめたまふ、 この ¬書¼ のなかにあるいは浄土門の諸行に約して比論するところなりといふなり。 あるいはいはく、 浄土宗の ¬観無量寿経¼ の意なりと。 云々
◇当初ニ上人、御不例気出来給ヘリ。聊御平癒之時、従↢月輪禅定殿0708下↡、為↢御形見↡集↢要文↡可給之由被↠仰。依↠之造↢此¬書¼↡令進覧給、此ノ¬書ノ¼中ニ或云↧約シテ↢浄土門ノ諸行ニ↡所リト↦比論↥也。或云、浄土宗ノ¬観無量寿経¼意也。 云云
上人この意を述べていはく、 この ¬観無量寿経¼ は、 もし天台宗の意によらば爾前の教なり。 ゆゑに ¬法華¼ の方便となる。 もし法相宗の意によらば、 別時意を演ぶるになる。 しかるに浄土宗の意によらば、 一切の教行はことごとく念仏の方便となる。 ゆゑに浄土宗の ¬観無量寿経¼ の意といふなり。
◇上人述↢此意ヲ↡云、此¬観无量寿経ハ¼、若依↢天臺宗ノ意ニ↡爾前教也。故成ル↢¬法華ノ¼方便ト↡。若依↢法相宗意↡者、成↠演↢別時意ヲ↡。然ニ依↢浄土宗意↡者、一切ノ教行ハ悉成↢念仏ノ方便ト↡。故浄土宗ノ¬観無量寿経ノ¼意ト云也。
またいはく、 聖道門の諸行は、 みな四乗の因を修して四乗の果を得。 ゆゑに念仏に比挍するに及ばず。 浄土門の諸行は、 これ念仏に比挍する時、 弥陀の本願にあらず、 光明これを摂取せず、 釈尊付属したまはず。 ゆゑに (定善義) 「全非比挍」 といふなり。
◇又云、聖道門諸行ハ、皆修↢四乗ノ因ヲ↡得↢四乗果ヲ↡。故不↠及↣比↢挍念仏ニ↡。浄土門ノ諸行者、是比↢挍念仏ニ↡之時、非↢弥陀ノ本願ニ↡、光明不↢摂取↡之、釈尊不↢付属↡。故云↢「全非比挍」也。
しかれば道綽・善導の宗義はおほいに異なるなり。 よくよく一々に分別すべし。 これを知るに、 聖道・浄土の二門異なりといへども、 行体これ一なり。 義意知るべしと 云々。
◇然道綽・善導ノ宗義ハ大異也。能々一々ニ分別ベシ。知↠之、聖道・浄土二門雖異、行体是一也。義意可知 云云。▽