一(371)、 三昧発得記
▲三昧発得記第一 黒谷自筆記
七々日念仏記 正本は二尊院御影堂にあり。 文字および点は全正本のごとし。 わたくしに点等すべからず
七々日念仏記 正本在二尊院御影堂。文字及点全如正本。不可私点等也
元久三年正月四日、 念仏の間に三尊ともに大身を現じたまふ。 また五日にも。 初生丑の年。 生年六十有六。 午の年なり。
元久三年正月四日、念仏之間ニ三尊共ニ現タマフ↢大身ヲ↡。又五日ニモ。 初生丑年也。生年六十有六也。午ノ年也。
*建久九年正月一日の記。
○建久九年正月一日記。
一日、 山挑の法橋教慶の許より帰りて後、 申の時ばかりに、 恒例正月七日念仏これを始行す。 一日、 明相少しく現ずるなり、 例よりはなはだあきらかなり 云々。
◇一0372日、従↢山挑法橋教慶之許↡帰テ後、申ノ時計ニ、恒例正月七日念仏始↢行之ヲ↡。一日、明相少ク現也、自↠例甚明 云云。
二日、 水想観自然にこれを成就す 云々。 総じて念仏七箇日の内、 地想観のなか瑠璃の相少分これを見る。 ◇六日後夜に、 瑠璃地宮殿の相これを現ずるなり 云々
○二日、水想観自然ニ成↢就之↡ 云云。総ジテ念仏七箇日之内、地想観之中瑠璃ノ相少分見↠之。六日後夜ニ、瑠璃地宮殿ノ相現↠之也 云云
二月四日の朝、 瑠璃地文明にこれを現ず 云々。
◇二月四日ノ朝、瑠璃地文明現↠之 云云。
七日、 かさねてまたこれを現ず。 すなはちこの宮殿をもつてその相をこれを現ず。
◇七日、重又現↠之。即以↢此宮殿ヲ↡顕↢其相ヲ↡現↠之。
総じて水想・地相・宝樹・宝池・宝殿の五観、 正月一日より始めて二月七日に至るまで、 三十七箇日の間、 毎日七万遍の念仏、 不退にこれを勤む。 これによりてこれらの相これを現ず 云々。
◇総ジテ水想・地相・宝樹・宝池・宝殿之五観、始↠自↢正月一日↡至↢二月七日ニ↡、七箇日ノ間、毎日七万遍念仏、不退ニ勤↠之。依之此等之相現↠之 云云。
二月二十五日よりはじめて、 明処にて目を開く。 眼根より赤き袋を出生す、 瑠璃の壺これを見る。 その前には目を閉づればこれを見るも、 目を開けばすなはち失す 云々。
◇始↠自↢二月廿五日↡、明処開↠目。自↢眼根↡出↢生ス赤袋↡、瑠璃ノ壺見↠之。其前ニハ閉レバ↠目見↠之、開↠目即失 云云。
二月二十八日、 病によりて念仏これを退く。 一万遍あるいは二万返、 右の眼よりその後光明ありて甚しきなり。 また光の端青し。 また眼に瑠璃あり、 その形瑠璃の壺のごとし。 赤き花あり、 宝瓶のごとし。 また日入りて後出でて四方を見るに、 みな方ごとに赤く青き宝樹あり。 その高さ定なし、 高下意に随ふ、 あるいは四五丈、 あるいは二三十丈 云々。
◇二月廿八日、依↠病ニ念仏退↠之。一万遍或二万返、右眼ヨリ其後有↢光明↡甚也。又光ノ端青シ。又眼ニ有↢瑠璃↡、其ノ形如↢瑠璃壺ノ↡。有↢赤花↡、如↢宝瓶ノ↡。又日入テ後出デヽ見ルニ↢四方ヲ↡、皆毎↠方有↢赤青宝樹↡。其高無↠定、高下随フ↠意、或四五丈、或二三十丈 云云。
八月一日より、 もとのごとく六万返これを始む。 九月二十二日の朝に及びて、 地想分明に影現す、 周囲七八段ばかりなり。 その後二十三日の後夜ならびに朝、 また分明にこれを現ず 云々。
◇八月一日ヨリ、如↠本六万返始↠之。及↢九月廿二日朝ニ↡、地想分明影現ス、周囲七八段計也。其後廿三日ノ後夜并ニ朝、又分明現↠之 云云。
正治二年二月の比、 地想等の五観、 行住坐臥に心に随ふ、 任運にこれを現ず 云々。
◇正治二年二月之比、地想等ノ五観、行住坐臥ニ随↠心、任運現↠之 云云。
建仁元年二月八日の後夜に、 鳥の音を聞く、 また笒の音・笛の音らを聞く。 その後日に随ひて自在にこれを聞く、 笙の音らこれを聞く、 様々の音を聞く。
◇建仁元年二月八日ノ後夜ニ、聞0373↢鳥音ヲ↡、又聞↢笒ノ音・笛ノ音等ヲ↡。其後随↠日自在ニ聞↠之、笙音等聞↠之、様々ノ音ヲ聞ク。
正月五日、 三度勢至菩薩の御後に、 丈六ばかりに勢至の御面現ず。 これをもつてこれを推ふに、 面の持仏堂にて勢至菩薩の形、 丈六の出現せり。 これすなはちこれを推するに、 この菩薩すでに念仏法門をもつて所詮の法門となすゆゑ、 いま念仏者のためにその形を示現したまふ、 これを疑ふべからず。
◇正月五日、三度勢至菩薩御後ニ、丈六計リニ勢至ノ御面現ズ。以↠之推↠之ヲ、面ノ持仏堂ニテ勢至菩薩形、丈六ノ出現セリ。是則推↠之、此菩薩既以↢念仏法門ヲ↡為↢所詮ノ法門ト↡故、今為↢念仏者ノ↡示↢現シタマフ其形ヲ↡、不↠可↠疑↠之。
同じき第二日、 座処の下を始めて四方一段ばかり、 青瑠璃の地なり 云々。 いまにおいては、 経ならびに釈によりて往生疑ひなきか。 地観の文に心得るに、 無疑といへるゆゑなり 云々。 これを思ふべし。
◇同第二日、始テ↢座処ノ下ヲ↡四方一段計リ、青瑠璃地 云云。於↠今ニ者、依↢経并釈ニ↡往生無↠疑歟。地観文ニ心得、無疑ト云故 云云。可↠思↠之。
建仁二年十二月二十八日、 高畠の少将殿来る。 持仏堂においてこれに謁す。 その間例のごとく念仏を修す。 阿弥陀仏の後の障子を見れば、 透き徹りて仏の面示現す。 大きさ丈六の面のごとし、 すなはちまた隠れたまひおはりぬ。 二十八日午の時の事なり。 以上
◇建仁二年十二月廿八日、高畠少将殿来ル。於↢持仏堂ニ↡謁↠之。其間如↠例修↢念仏ヲ↡。見レバ↢阿弥陀仏之後ノ障子ヲ↡、透徹テ仏ノ面示現ス。大サ如↢丈六ノ面ノ↡、即亦隠レ給畢。廿八日午時之事也。已上
三昧発得記畢りぬ。
三昧発得記畢。
・付御夢記
○御夢記
ある夜夢みらく、 一つの大山あり、 その峯きはめて高し、 南北長遠にして西方の山根に向ふ。 大河あり、 山に傍ひて北より出でて南に流る。 河原渺々としてその辺際を知らず、 林樹滋々としてその限数を知らず。
◇或夜夢ラク、有↢一ノ大山↡、其峯極高シ、南北長遠ニシテ向↢西方ノ山根ニ↡。有↢大河↡、傍テ↠山ニ出デヽ↠北ヨリ流ル↠南ニ。河原渺々トシテ而不↠知↢其辺際ヲ↡、林樹滋々トシテ而不↠知↢其限数ヲ↡。
ここにおいて源空、 たちまちに山の腹に登りてはるかに西方を視るに、 地よりすでに上ること五十釈ばかり上り昇りて、 空中に一聚の紫雲あり。 おもへらく、 いづれの処に往生人ありやと。 ここに紫雲飛びてわが前に至る。
◇於↠是源空、怱登テ↢山ノ腹ニ↡遥視ルニ↢西方ヲ↡、自↠地已ニ上ルコト五十釈計リ上リ昇テ、空中ニ有↢一聚0374ノ紫雲↡。以為ラク、何レノ処ニ有リヤト↢往生人↡哉。爰ニ紫雲飛テ至ル↢於我前ニ↡。
希有の思ひをなすところ、 すなはち紫雲のなかより孔雀・鸚鵡等の衆鳥飛び出でて、 河原に遊戯して、 沙を崛り浜に戯る。 これらの鳥を見るに、 これ身より光を放つにあらざれども、 照曜することきはまりなし。 その後飛び昇りてもとのごとく紫雲のなかに入りおはりぬ。
◇為ス↢希有之思ヲ↡処、即自↢紫雲ノ之中↡孔雀・鸚鵡等之衆鳥飛出テ、遊↢戯シテ河原ニ↡、崛↠沙ヲ戯ル↠浜ニ。見ルニ↢此等ノ鳥ヲ↡、是非レドモ↢自↠身放ツニ↟光ヲ、照曜スルコト無↠極。其後飛昇テ如↠本入リ↢紫雲ノ中ニ↡畢。
ここにこの紫雲この所へ住せず、 過ぎて北隠の山河に向ひおはりぬ。 またおもへらく、 山の東に往生人ありやと。 かくのごとく思惟する間に、 須臾に還り来りてすなはちわが前に住す。
◇爰ニ此ノ紫雲不↠住↢此所ヘ、過而向ヒ↢北隠ノ山河ニ↡畢。又以為ラク、山ノ東ニ有リヤト↢往生人↡哉。如是思惟スル之間ニ、須臾ニ還来テ即住↢於我前ニ↡。
紫雲のなかより墨染の衣を著たる僧一人飛び下りて、 わが立ちたる処ばかりに住留す。 すなはち恭敬をなして歩み下りて、 僧の足の下に立ちてこの僧を瞻仰すれば、 身の上半は肉身にしてすなはち僧形なり。 身の下半は金色にして仏身のごとくなり。
◇自↢紫雲ノ中↡著タル↢墨染之衣↡僧一人飛下テ、住↢留ス我ガ立タル処之許ニ↡。即為シテ↢恭敬ヲ↡歩下テ、立テ↢僧ノ足ノ下↡瞻↢仰スレバ此僧ヲ↡者、身ノ上半ハ肉身ニシテ即僧形也。身ノ下半ハ金色ニシテ如↢仏身ノ↡也。
ここに源空、 合掌低首していはく、 これはたれ人の来れるやと。 答へてのたまはく、 われはこれ善導なりと。
◇爰源空、合掌低首シテ言ク、是ハ誰人ノ来レルヤ哉。答曰、我是善導也ト。
また問ひてまふさく、 なんのためのゆゑに来りたまへるやと。 また答へてのたまはく、 なんぢ不肖なりといへども、 よく専修念仏を言す。 はなはだもつて貴しとなす。 これがためのゆゑにもつて来るなりと。
◇又問曰、為ノ↠何ンノ故ニ来リタマヘルヤ哉。又答曰、爾チ雖↢不肖也ト↡、能ク言↢専修念仏↡。甚以為↠貴ト。為ノ↠之ガ故ニ以テ来ル也。
また問ひてまふさく、 専修念仏の人はみな往生するやと。 いまだその答を承らざるあひだに、 忽然として夢覚めおはんぬ。
◇又問曰、専修念仏ノ之人ハ皆為ルヤ↢往生↡哉。未ダル↠承↢其ノ答ヲ↡之間ニ、忽然トシテ而夢覚メ畢ンヌ。
建久九年五月二日これを注す 源空
建久九年五月二日注之 源空 ▽