一八(270)、諸方返報
▲諸方返報第十八 ▽二通あり
・遣兵部卿基親之返報
△兵部卿基親に遣はす返報一 基親の状をつけたり
○遣↢兵部卿基親ニ↡之返報一 付タリ基親ノ状
仰せの旨、 謹みて承はり候ひおはりぬ。 深く随喜したてまつるところなり。 御信心を取らしめましますやうの、 折紙つぶさにこれを拝見せしめ候ふ。 一分といへども愚按の所存に違はず候ふ。
◇仰0271ノ旨、謹テ承候畢ヌ。深ク所↠奉↢随喜シ↡也。令メ↠取↢御信心ヲ↡御ス之様ノ、折紙具ニ令メ↣拝↢見之ヲ↡候。雖↢一分ト↡不↠違ハ↢愚按ノ之所存ニ↡候。
しかるにちかごろ一念の外に数遍無益と申す義の出で来り候ふと、 ほぼ承はり候ふ事勿論なり。 いふに足らず候ふ、 文を離れて義を申す輩はもしすでに証を得て候ふか、 いかん。 もつとも不審に候ふ。 また深く本願を信ぜんものは、 破戒を顧るべからざる由の事、 これもまた御問に及ぶべからず候ふ事か。 附仏法の外道は、 外に求むべからず候ふ。
◇而ニ近来一念ノ之外ニ数遍無益ト申ス義ノ出来候ト、粗承候事勿論也。不↠足↠言ニ候、離テ↠文ヲ義ヲ申ス輩ハ若シ既ニ得テ↠証ヲ候乎、如何。尤不審ニ候。又深ク信ゼン↢本願ヲ↡者ハ、不↠可↠顧↢破戒ヲ↡之由ノ事、此モ又不↠可↠及↢御問ニ↡候事歟。附仏法ノ外道ハ者、外ニ不↠可↠求ム候。
およそちかごろの念仏者天魔競ひ来り候ひて、 かくのごときの誑言出で来り候ふか。 なほなほ左右にあたはず候ふ。 見参にあらずんば尽しがたく候ふ。 恐々謹言。
◇凡ソ近来ノ念仏者天魔競ヒ来リ候テ、如キノ↠此ノ誑言出来リ候歟。猶々不↠能↢左右↡候。非ンバ↢見参ニ↡者難ク↠尽シ候哉。恐々謹言。
八月十七日 源空
◇八月十七日 源空
・基親卿状
基親卿の状
○基親卿ノ状
その後何事候ふや。 そもそも念仏の数遍ならびに本願を信ずるやう、 基親が愚案かくのごとくに候ふ。 難者の申す状、 いはれなく覚え候ふ。 この折紙御存知の旨、 御自筆をもつて書きたまはるべく候ふ。 これすなはち難者に破られざらんがゆゑなり。
◇其ノ後何事候ヤ哉。抑念仏数遍并ニ信↢本願↡之様、基親ガ愚案如クニ↠此ノ候。難者ノ申状、無ク↠謂レ覚エ候。此ノ折紙御存知ノ之旨、以テ↢御自筆ヲ↡可ク↠書給ル↡候。此則難者不ンガ↠被↠破故ナリ也。
別解・別行の人の申し候ふは、 耳の外にすべく候ふといへども、 御弟子らの説まで候へば、 不審をなし候ふなり。 また念仏するものは、 女犯憚るべからずと申しあひて候ふ、 在家は勿論に候ふ。 出家はあながちに本願を信ずればとて、 出家人女に近づけと候ふ条、 いはれなく候ふか。 善導和尚は目を挙げて女人を見たまはず候ふ。 この事らあらあら仰せを蒙るべく候ふ。 恐惶謹言。
◇別解・別行ノ之人ノ申シ候ハ者、雖↧可↢耳外↡候ト↥、御弟子等ノ説マデ候ヘバ者、作シ↢不審ヲ↡候也。又念仏スル者ハ、女犯不ト↠可↠憚ル申シ相テ候、在家ハ勿論ニ候。出家ハ強チニ信↢本願ヲ↡者トテ、出家人近↠女ニ候フ条、無ク↠謂レ候カ哉。善導和尚ハ挙テ↠目不↠見0272タマハ↢女人ヲ↡候。此ノ事等麁々可↠蒙↠仰ヲ候。恐惶謹言。
八月十五日 基親
八月十五日 基親
折紙状
・基親取信信本願之様
基親取信して本願を信ずるやう
○基親取信信↢本願ヲ↡之様
¬双巻経¼ (大経) の上にいはく、 「もしわれ仏を得んに、 十方の衆生、 至心に信楽して、 わが国に生ぜんと欲して、 乃至十念せんに、 もし生ぜずは、 正覚を取らじ」 と。 以上
◇¬双巻経¼上ニ云、「設シ我得ンニ↠仏ヲ、十方ノ衆生、至心ニ信楽シテ、欲シテ↠生ント↢我ガ国ニ↡、乃至十念センニ、若シ不ハ↠生者、不↠取↢正覚↡。」已上
同 ¬経¼ (大経) の下にいはく、 「あらゆる衆生その名号を聞きて、 信心歓喜し、 乃至一念至心に回向して、 かの国に生ぜんと願ずれば、 すなはち往生を得て、 不退転に住す」 と。 以上
◇同¬経ノ¼下云、「諸有ル衆生聞テ↢其ノ名号ヲ↡、信心歓喜シ、乃至一念至心回向シテ、願ズレバ↠生ント↢彼ノ国ニ↡、即得テ↢往生ヲ↡、住ス↢不退転ニ↡。」已上
¬往生礼讃¼ にいはく、 「いま弥陀の本弘誓願、 および名号を称すること下十声一声等に至るまで、 さだめて往生を得と信知して、 乃至一念も疑心あることなし」 と。 以上
◇¬往生礼讃¼云、「今信↧知シテ弥陀ノ本弘誓願、及ビ称コト↢名号ヲ↡下至マデ↢十声一声等ニ↡、定テ得ト↦往生ヲ↥、乃至一念モ無シ↠有コト↢疑心↡。」已上
¬観経疏¼ (散善義) にいはく、 「一には決定して深く自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、 広劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、 出離の縁あることなしと信ず。 二には決定して深くかの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、 疑なく慮なくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず」 と。 以上
◇¬観経疏¼云、「一ニハ者決定深ク信↢自身ハ現ニ是罪悪生死ノ凡夫、広劫ヨリ已来常ニ没常ニ流転シテ、無シト↟有コト↢出離ノ之縁↡。二ニハ者決定シテ深ク信↧彼ノ阿弥陀仏四十八願摂↢受衆生ヲ↡、無ク↠疑無ク↠慮乗ジテ↢彼ノ願力ニ↡定テ得ト↦往生↥。」已上
これらの文を存じ候ひて、 基親罪悪生死の凡夫なりといへども、 一向に本願を信じ、 名号を唱へ候ふ事、 毎日五万遍なり。 決定して本願力に乗じて上品に往生すべきの由、 深く存知せしめ候ふところなり。 この外は別に料簡なく候ふ。
◇存0273ジ↢此等ノ文ヲ↡候テ、基親雖↠為ト↢罪悪生死之凡夫↡、一向ニ信ジ↢本願ヲ↡、唱ヘ↢名号ヲ↡候事、毎日五万遍也。決定シテ乗ジテ↢本願力↡可キノ↣往↢生上品ニ↡之由、深所↧令↢存知↡候↥也。此ノ外ハ別ニ無↢料簡↡候。
しかるにある人のいはく、 本願を信ぜん人は一念なり。 しかれば五万遍無益なり、 本願を信ぜざるなりと申す。 基親答へていはく、 念仏一声の外に百遍乃至万遍に及ばんものは、 本願を信ぜざるなりといふ文の候ふやと申すに、 難者のいはく、 自力にては往生叶ひがたし、 ただ一念に信を成じて後は、 念仏の数遍無益なりと申す。
◇而ニ或人ノ云、信ゼン↢本願ヲ↡人ハ一念也。然バ者五万遍無益也、不ル↠信↢本願ヲ↡也ト申ス。基親答テ云、念仏一声之外ニ及ン↢百遍乃至万遍ニ↡者ハ、不ナリト↠信↢本願ヲ↡云フ文ノ候ヤト乎申スニ、難者ノ云ク、自力ニテハ往生難↠叶ヒ、只一念ニ成ジテ↠信ヲ後ハ、念仏数遍無益也ト申ス。
基親また申していはく、 自力往生とは、 他の雑行等をもつて往生を願ふと申さばこそ、 自力とは申し候はめ。 善導和尚の ¬疏¼ (散善義) に 「上百年を尽し下一日七日に至るまで、 一心にもつぱら弥陀の名号を念ずれば、 さだめて往生することを得、 かならず疑なきなり」 といふに随ひ候へば、 百年も念仏すべきとこそ候へ。
◇基親又申テ云ク、自力往生トハ者、以テ↢他ノ雑行等ヲ↡願フト↢往生ヲ↡申サバコソ者、自力トハ申シ候ハメ。随ヒ↧善導和尚ノ¬疏ニ¼云フニ↦「上尽シ↢百年ヲ↡下至マデ↢一日七日ニ↡、一心ニ専念レバ↢弥陀ノ名号ヲ↡、定テ得↢往生コトヲ↡必無キ↠疑也ト」↥候ヘバ者、百年モ可トコソ↢念仏↡候ヘ。
また上人の御房は七万遍を唱へしめまします。 基親も御弟子の一分たり、 よりて員数多く唱へんと存じ候ふなりと申すに、 難者のいはく、 二念よりは仏恩を報ずる念仏なりと申す。 すなはち ¬礼讃¼ にいはく、 「相続して仏恩を念報せざるがゆゑに」 と。 以上
◇又上人ノ御房ハ令↠唱↢七万遍ヲ↡御ス。基親モ為リ↢御弟子ノ之一分↡、仍テ員数多ク唱ント存ジ候フ也ト申スニ、難者ノ云、自リハ↢二念↡報ズル↢仏恩ヲ↡念仏也ト申ス。即¬礼讃ニ¼云ク、「不ガ↣相続シテ念↢報仏恩ヲ↡故ニ。」已上
基親答へていはく、 仏恩を報ずるにても、 念仏の数返の多く候はんに難なきかと。 わたくしにいはく、 難者といふは成覚房なり
◇基親答テ云、報ズルニテモ↢仏恩ヲ↡、念仏数返ノ多ク候ハンニ無キ↠難歟ト。私ニ云、難者ト云ハ成覚房ナリ也
・遣或人之返報
△ある人に遣はす返報 ¬指南抄¼ にいはく、 *「空阿弥陀仏に遣はす」 と
仰せの旨委くもつて承り候ひおはりぬ。 まづ御所労の事、 かへすがえへす歎たり歎たり。 ただし痟□の病は、 たとひ大事に候ふといへども、 多分死門に及ぶ事は出で来らず候ふか。 そもそも凡夫の出離生死は、 往生浄土にはしかず、 往生の業多しといへども、 称名念仏にはしかず候ふ。 称名往生は、 これかの仏の本願の行なり。
仰ノ旨委ク以承リ候畢。先御所労ノ事、返々為リ↠歎為↠歎。但痟□ノ病ハ者、設ヒ雖↢大0274事ニ候ト↡、多分及↢死門ニ↡事ハ不↢出来↡候歟。抑凡夫ノ出離生死ハ、不↠如カ↢往生浄土ニハ↡、往生ノ之業雖↠多シト、不↠如カ↢称名念仏ニハ↡候。称名往生ハ、是彼ノ仏ノ本願ノ行也。
ゆゑに善導和尚 (礼讃) のいはく、 「¬無量寿経¼ にいふがごとし。 もしわれ成仏せんに、 十方の衆生、 わが名号を称すること下十声に至るに、 もし生ぜずは正覚を取らじと。 かの仏いま現に世にましまして成仏したまふ。 まさに知るべし、 本誓の重願むなしからざることを、 衆生称念すればかならず往生を得」 と。 以上 ゆゑに知りぬ称名往生はこれ弥陀の本願なり。 ゆゑに念仏の時この観をなすべし。 本願誤らず、 かならず引摂を垂れたまへと。 この外には別の観行候ふべからざるか。
故ニ善導和尚ノ云、「如↢¬無量寿経ニ¼云↡。若我成仏センニ、十方ノ衆生、称↢我ガ名号↡下至↢十声ニ↡、若不↠生者不ト↠取↢正覚ヲ↡。彼ノ仏今現在テ↠世成仏シタマフ。当↠知、本誓ノ重願不コトヲ↠虚、衆生称念スレバ必得↢往生↡。」已上 故ニ知ヌ称名往生ハ是弥陀ノ本願也。故念仏之時可↠作↢是ノ観ヲ↡。本願不↠誤ラ、必ズ垂タマヘト↢引摂ヲ↡。此ノ外ニハ別ノ観行不↠可↠候歟。
また ¬往生要集¼ (巻中) の臨終の行儀にいはく、 「この念をなすべし、 如来の本誓は一毫も謬ることなし。 仏決定してわれを引摂したまへ、 南無阿弥陀仏。 あるいは漸々要を取りて念ずべし、 仏かならず引摂したまへ、 南無阿弥陀仏」 と。 以上 臨終の観念要を取るに、 これに過ぎず候ふか。
又¬往生要集ノ¼臨終ノ行儀ニ云、「応↠作↢是ノ念↡、如来ノ本誓ハ一毫モ無シ↠謬コト。仏決定シテ引↢摂シタマヘ我ヲ↡、南無阿弥陀仏。或ハ漸々取テ↠要応↠念ズ、仏必ズ引摂シタマヘ、南無阿弥陀仏ト。」已上 臨終ノ観念取↠要ヲ、不↠過↠之候歟。
また正念の時も称名功を積み候ひぬれば、 たとひ臨終に称名念仏せずといへども、 決定して往生つかまつり候ふ由、 ¬群疑論¼ に見えたり。 その旨存知せしめたまふべく候ふ。 子細この御房に申し候ひおはりぬ。 謹言。
又正念ノ之時モ称名積ミ↠功ヲ候ヌレバ者、設ヒ臨終ニ雖↠不↢称名念仏セ↡、決定往生仕リ候之由、見タリ↢¬群疑論ニ¼也。其ノ旨可ク↧令↢存知↡給フ↥候。子細此ノ御房ニ申シ候畢ヌ。謹言。
三月十日 源空
三月十日 源空
空阿弥陀仏 ¬西方指南抄¼には見あたらない。