13591123ものがたりの聞書ききがき

 

【1】 ちかごろじょうしゅう*めいを​たづね​て、 *洛陽らくようひんがしやまほとりに​まします禅坊ぜんぼうに​まゐり​て​みれ​ば、 *いっきょうじゅう念仏ねんぶつしゃ*五畿ごき七道しちどう*後世ごせしゃたち、 おのおの*まめやかに、 ころもは​こころ​と​ともにめ、 と​ともに​すて​たる​よ​と​みゆる*ひとびと​の​かぎり、 じゅう四五しごにんばかり​ならびて、 いかに​して​か​このたびおうじょうの​のぞみ​を​とぐ​べき​と、 これ​を​われ​も​われ​も​と​おもひ​おもひ​に​たづね​まうし​し*ときしも、 まゐり​あひ​て、 さいはひにごろ​のしんことごとく*あきらめ​たり。 その​おもむき​たちどころに​しるし​て、 ゐなか​のざい無智むちの​ひとびと​の​ため​に​くだす​なり。 よくよく​こころ​を​しづめ​てらんず​べし。

【2】 ある​ひとう​て​いはく、 かかる​あさましき無智むちの​もの​も、 念仏ねんぶつすれ​ば極楽ごくらくしょうず​と​うけたまはり​て、 その​のち​ひとすぢ​に念仏ねんぶつすれ​ども、 *まことしく​さも​あり​ぬ​べし​とも​おもひ​さだめ​たる​こと​もそうらは​ぬ​をば、 いかが​つかまつる​べき。

 1360こた1124へ​て​いはく、 念仏ねんぶつおうじょうは​もとよりかい無智むちの​もの​の​ため​なり。 もし智慧ちえも​ひろくかいをも*まつたく​たもつならば、 いづれ​のきょうぼうなり​ともしゅぎょうし​て、 しょうを​はなれだいべき​なり。 それ​が​わが*あたは​ねば​こそ、 いま念仏ねんぶつし​ておうじょうをば​ねがへ。

【3】 また​ある​ひとう​て​いはく、 *いみじき​ひと​の​ため​にはきょうき、 *いやしき​ひと​の​ため​には念仏ねんぶつを​すすめ​たらば、 しょうどうもんしょきょう*めでたくじょうもんいっきょうおとれる​か​ともうせ​ば、

 こたへ​て​いはく、 たとひ​かれ​は​ふかく​これ​は​あさく、 かれ​は​いみじく​これ​は​いやしく​とも、 わがぶんに​したがひ​ててんを​まぬかれ​て、 退たいくらいて​は、 *さて​こそ​あら​め。 ふかき​あさき​をろんじ​て​なに​にか​は​せん。 いはんや、 かの​いみじき​ひとびと​の*めでたききょうぼうを​さとり​てぶつる​といふ​も、 この​あさましき念仏ねんぶつし​ておうじょうす​といふ​も、 *しばらく*いりかど​は​まちまちなれ​ども、 おちつく​ところ​は​ひとつ​なり。

*善導ぜんどうの​のたまはく、 「八万はちまんせんもん ˆありˇ門々もんもんどうにして​またべつなる​に​あらず。 別々べつべつもんは​かへりて​おなじ」 (*法事讃・下) といへり。 しかれば​すなはち、 みな​これ​おなじくしゃ一仏いちぶつせつなれば1361、 いづれ​をまされ​り、 いづれ1125おとれ​り​といふ​べから​ず。

あやまり​て ¬*ほっ¼ のしょきょうすぐれ​たり​といふは、 *ぎゃくだっ八歳はっさいりゅうにょぶつる​とく​ゆゑなり。

この念仏ねんぶつも​また​しかなり。 しょきょうに​きらは​れ、 *諸仏しょぶつに​すて​らるる悪人あくにん女人にょにん、 すみやかにじょうおうじょうし​てまよひ​を​ひるがへし、 さとり​を​ひらく​は、 いはば​まことに​これ​こそしょきょうすぐれ​たり​とも​いひ​つ​べけれ。

まさにる​べし、 震旦しんたん (中国)*曇鸞どんらん*どうしゃくすら、 なほ利智りちしょうじんに​たへ​ざるなれば​とて、 *顕密けんみつほうを​なげすて​てじょうを​ねがひ、 日本にっぽんしん (*源信)*永観ようかんも、 なほどんだいなれば​とて、 業因ごういんを​すて​て願力がんりき念仏ねんぶつし​たまひ​き。

このごろ​かの​ひとびと​にまさりて智慧ちえも​ふかく、 かいぎょう*いみじから​ん​ひと​は、 いづれの法門ほうもんり​てもしょうだつせよ​かし。 みなえんに​したがひ​て​こころ​の​ひく​かた​なれば、 よしあし​と​ひと​の​こと​をば沙汰さたす​べから​ず、 ただ​わがぎょうを​はからふ​べき​なり。

【4】 また​ある​ひとう​て​いはく、 念仏ねんぶつす​とも*三心さんしんを​しら​で​はおうじょうす​べから​ず​とそうろふ​なる​は、 いかが​しそうろふ​べき。

 の​いはく、 まことに​しかなり。 ただし*法然ほうねんしょうにんおおせごと​あり​し​は、 「三心さんしんを​しれ​り​とも念仏ねんぶつせず​は​そのせんなし、 たとひ三心さんしんを​しら​ず​とも念仏ねんぶつだにもう1362さ​ば1126*そらに三心さんしんそくし​て極楽ごくらくにはしょうず​べし」 とおおせ​られ​し​を、 まさしく​うけたまはり​し​こと、 このごろ​こころえ​あはすれ​ば、 まことに*さも​と​おぼえ​たる​なり。 ただし​おのおのぞんぜ​られ​ん​ところの​ここち​を​あらはし​たまへ。 それ​を​きき​て三心さんしん*あたり​あたら​ぬ​よし​を分別せん。

【5】 ある​ひと​いはく、 念仏ねんぶつすれ​ども​こころ​に妄念もうねんを​おこせ​ば、 そうは​たふとく​みえ内心ないしんは​わろき​ゆゑに、 虚仮こけ念仏ねんぶつと​なり​て真実しんじつ念仏ねんぶつに​あらず​ともうす​こと、 まことに​と​おぼえ​て、 おもひ​しづめ​て​こころ​を​すまし​てもうさ​んとすれ​ども、 おほかた​わが​こころ​の*つやつや​ととのへ​がたくそうろふ​をば​いかが​つかまつる​べき。

 の​いはく、 その​ここち​すなはちりきに​かかへ​られ​てりきを​しら​ず、 すでにじょうしんの​かけ​たり​ける​なり。 *くだんの、 くち念仏ねんぶつを​となふれ​ども​こころ​に妄念もうねんの​とどまら​ねば、 虚仮こけ念仏ねんぶつと​いひ​て、 こころ​を​すまし​てもうす​べし​と​すすめ​ける​も、 *やがてじょうしんかけ​たる虚仮こけ念仏ねんぶつしゃにて​あり​けり​と​きこえ​たり。 その​こころ​に妄念もうねんを​とどめ​て、 くちみょうごうを​となへ​てない相応そうおうする​を、 虚仮こけはなれ​たるじょうしん念仏ねんぶつなり​ともうす​らん​は、 このじょうしんを​しら​ぬ​もの​なり。

ぼん1363真実しんじつ1127にしてぎょうずる念仏ねんぶつは、 ひとへにりきにして弥陀みだ本願ほんがんに​たがへ​る​こころ​なり。 すでに​みづから​その​こころ​を​きよむ​といふ​ならば、 しょうどうもんの​こころ​なり、 じょうもんの​こころ​に​あらず、 なんぎょうどうの​こころ​にしてぎょうどうの​こころ​に​あらず。

これ​を​こころう​べき​やう​は、 いま​のぼんみづから煩悩ぼんのうだんずる​こと​かたけれ​ば、 妄念もうねんまた​とどめ​がたし。 しかるを弥陀みだぶつ、 これ​を*かがみて、 かねて​かかるしゅじょうの​ため​に、 りき本願ほんがんを​たて、 みょうごう思議しぎにてしゅじょうつみのぞか​ん​とちかひ​たまへ​り。 されば​こそりきとも​なづけ​たれ。

この​ことわり​を​こころえ​つれ​ば、 わが​こころ​にて​ものうるさく妄念もうねん妄想もうぞうを​とどめ​ん​とも​たしなま​ず、 しづめ​がたき​あしき​こころ、 みだる​こころ​を​しづめ​ん​とも​たしなま​ず、 こらし​がたき観念かんねん*観法かんぼうを​こらさ​ん​とも​はげま​ず、 ただぶつ*みょうがんねんずれ​ば、 *本願ほんがんかぎり​ある​ゆゑに、 *貪瞋とんじん煩悩ぼんのうを​たたへ​たるなれども、 かならずおうじょうす​としんじ​たれば​こそ、 こころやすけれ。 されば​こそぎょうどうと​は​なづけ​たれ。

もしを​いましめ、 こころ​を​ととのへ​てしゅす​べき​ならば、 なんぞ行住ぎょうじゅう坐臥ざがろんぜ​ず、 しょ諸縁しょえんを​きらは​ざれ​と​すすめ​ん​や。 また​もし​みづからを​ととのへ、 こころ​を​すまし​おほせ​て1128つとめ​ば、 かならずしも仏力ぶつりきを​たのま​ず​ともしょうを​はなれ​ん。

13646】 また​ある​ひと​の​いはく、 念仏ねんぶつすれば声々こえごえりょうしょうつみえ​て、 ひかり​にらさ​れ、 こころ​もにゅうなんに​なる​とか​れ​たる​とかや。 しかるに念仏ねんぶつし​て​とし​ひさしく​なりゆけ​ども、 三毒さんどく煩悩ぼんのうも​すこし​もえ​ず、 こころ​も​いよいよ​わろく​なる、 善心ぜんしん日々ひびに​すすむ​こと​も​なし。 *さる​とき​には、 ぶつ本願ほんがんうたがふ​には​あら​ねども、 わがの​わろきこころにて​は、 たやすくおうじょうほど​のだいは​とげ​がたく​こそそうらへ。

 の​いはく、 この​こと​ひとごと​に​なげくこころなり。 まことにまよへる​こころ​なり。 これ​なんぞじょうしょうぜ​ん​といふ​みち​なら​ん​や。 すべてつみめっす​といふ​は、 さい一念いちねんに​こそを​すて​て​かのおうじょうする​を​いふ​なり。 されば​こそじょうしゅうとはづけ​たれ1129。 もし​このにおいてつみえ​ば、 さとり​ひらけ​なん。 さとり​ひらけ​ば、 いはゆるしょうどうもん*真言しんごん*仏心・*天台てんだい*ごんとう*断惑だんわくしょうもんの​こころ​なる​べし。

善導ぜんどうおんしゃくに​より​て​これ​を​こころうる​に、 *信心しんじんに​ふたつ​のしゃくあり。 ひとつ​には、 「ふかくしんげんに​これ罪悪ざいあくしょうぼん煩悩ぼんのうそくし、 善根ぜんごんはくしょうにして、 つね​に三界さんがいてんし​て、 曠劫こうごうより​このかたしゅつえんなし​としんす​べし」 と​すすめ​て、 つぎ​に、 「弥陀みだ誓願せいがんじんじゅうなる​をもつて、 かかるしゅじょうを​みちびき1365たまふ​としんし​て、 一念いちねんうたがふ​こころ​なかれ」 と​すすめ​たまへ​り。

この​こころ​をつれ​ば、 わが​こころ​の​わろき​につけて​も、 弥陀みだの大悲の​ちかひ​こそ、 あはれに​めでたく​たのもしけれ​とあおぐ​べき​なり。 もとより​わがちからにて​まゐら​ば​こそ、 わが​こころ​の​わろから​ん​に​より​て、 うたがふ​おもひ​を​おこさ​め。 ひとへにぶつおんちからにて​すくひ​たまへ​ば、 なんのうたがいか​あら​ん​と​こころうる​を深心じんしんといふ​なり。 よくよく​こころう​べし。

【7】 また​ある​ひと​の​いはく、 曠劫こうごうより​このかたない今日こんにちまで、 じゅうあくぎゃくじゅう謗法ほうぼうとうの​もろもろ​のつみを​つくる​ゆゑに、 三界さんがいてんし​て​いまに*しょうもりたり。 かかるの​わづかに念仏ねんぶつすれ​ども、 愛欲あいよくの​なみ​とこしなへに​おこり​て善心ぜんしん1130けがし、 しん*ほむら​しきりに​もえ​てどくく。 よき​こころ​にてもう念仏ねんぶつまんいちなり。 そのは​みな​けがれ​たる念仏ねんぶつなり。 さればせつに​ねがふ​といふ​とも、 この念仏ねんぶつもの​に​なる​べし​とも​おぼえ​ず。 ひとびと​も​また​さる​こころ​を​なほさ​ず​は​かなふ​まじ​ともうす​とき​に、 *げにも​と​おぼえて、 まよそうろふ​をば、 いかが​しそうろふ​べき。

 の​いはく、 これ​は​さき​の信心しんじんを​いまだ​こころえ​ず。 かるがゆゑに、 おもひ1366わづらひ​て​ねがふ​こころ​も*ゆるに​なる​といふ​は、 こう発願ほつがんしんの​かけ​たる​なり。

善導ぜんどうおんこころ​に​よる​に、 「しゃの​をしへ​に​したがひ、 弥陀みだ願力がんりきを​たのみ​なば、 愛欲あいよくしんの​おこり​まじはる​といふ​とも、 さらに​かへりみる​こと​なかれ」 (*散善義・意) といへり。 まことに本願ほんがんびゃくどう、 あに愛欲あいよくの​なみ​に​けがさ​れ​ん​や。 りきどく、 むしろしんの​ほむら​にく​べけんや。

たとひよくも​おこり​はら​も​たつ​とも、 しづめ​がたく*しのび​がたく​は、 ただぶつたすけ​たまへ​と​おもへ​ば、 かならず弥陀みだだい慈悲じひにて​たすけ​たまふ​こと、 本願ほんがんりきなる​ゆゑに摂取せっしゅけつじょうなり。 摂取せっしゅけつじょうなる​がゆゑにおうじょうけつじょうなり​と​おもひさだめ​て、 いかなる​ひときたり​て​いひさまたぐ​とも、 すこし​も​かはら​ざる​こころ​を金剛こんごうしんといふ。 しかる​ゆゑ​は如来にょらい摂取せっしゅせ​られ​たてまつれ​ば​なり。 これをこう発願ほつがんしんといふ​なり。 これ1131を​よくよく​こころう​べし。

【8】 また​ある​ひと​いはく、 簡要かんようを​とり​て三心さんしんほんを​うけたまはりそうらは​ん。

 の​いはく、 まことに​しかるべし。 まづ*一心いっしん一向いっこうなる、 これじょうしんたいなり。 わがぶんを​はからひ​て、 りきを​すて​てりきに​つく​こころ​の​ただ​ひとすぢなる​を真実しんじつしんといふ​なり。 りきを​たのま​ぬ​こころ​を虚仮こけの​こころ​といふ​なり1367

つぎ​にりきを​たのみ​たる​こころ​の​ふかく​なり​て、 うたがいなき​を*信心しんじんほんとす。 いはゆる弥陀みだ本願ほんがんは、 すべて​もとより罪悪ざいあくぼんの​ため​にして、 しょうにん賢人けんじんの​ため​に​あらず​と​こころえ​つれ​ば、 わがの​わろき​につけて​も、 さらにうたがふ​おもひ​の​なき​を信心しんじんといふ​なり。

つぎ​に本願ほんがんりき真実しんじつなる​にり​ぬるなれば、 おうじょうけつじょうなり​と​おもひさだめ​て​ねがひ​ゐ​たる​こころ​をこう発願ほつがんしんといふ​なり。

【9】 また​ある​ひともうさく、 念仏ねんぶつすれば、 しら​ざれ​ども三心さんしんは​そらにそくせ​らるる​とそうろふ​は、 その​やう​は​いかにそうろふ​やらん。

 こたへ​て​いはく、 ぎょうを​すて​て念仏ねんぶつを​する​は、 弥陀みだぶつを​たのむ​こころ​の​ひとすぢなる​ゆゑなり。 これじょうしんなり。 みょうごうを​となふる​は、 おうじょうを​ねがふ​こころ​の​おこる​ゆゑなり1132。 これこう発願ほつがんしんなり。 これら​ほど​の​こころえ​は、 いかなる​もの​も念仏ねんぶつし​て極楽ごくらくおうじょうせん​と​おもふ​ほど​の​ひと​はし​たる​ゆゑに、 無智むちの​もの​も念仏ねんぶつだに​すれば、 三心さんしんそくし​ておうじょうする​なり。

ただ*せんずる​ところ​は、 煩悩ぼんのうそくぼんなれば、 はじめて​こころ​の​あし​とも​よし​とも沙汰さたす​べから​ず。 ひとすぢに弥陀みだを​たのみ​たてまつり​てうたがは​ず、 おうじょうけつじょうと​ねがう​てもう1368念仏ねんぶつは、 すなはち三心さんしんそくぎょうじゃと​する​なり。 「しら​ねども​となふれ​ばねんせ​らるる」 としょうにん (*源空)おおせごと​あり​し​は、 この​いはれ​の​あり​ける​ゆゑなり。

【10】また​ある​ひと​の​いはく、 みょうごうを​となふる​とき​に、 念々ねんねんごと​に​この三心さんしんぞんじ​てもうす​べくそうろふ​やらん。

 の​いはく、 そのまた​ある​べから​ず。 ひとたび​こころえ​つる​のち​には、 ただ南無なも弥陀みだぶつと​となふる​ばかり​なり。 三心さんしんすなはち称名しょうみょうこえに​あらはれ​ぬる​のち​には、 三心さんしんを​こころ​のそこに​もとむ​べから​ず。

 

後世ごせものがたりの聞書ききがき

 

底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本。ˆ聖典全書では対校本のⒶ。 底本は高田派専修寺蔵貞和五年定専上人書写本。ˇ
明師 智慧ちえのすぐれた師。 りゅうかんりっを指すか。
洛陽東山 洛陽は京都の別称。 東山は京都の鴨川以東に南北に連なる丘陵の総称。
一京九重 京都のこと。 街が一条から九条まで分れているので、 このようにいう。
五畿七道 日本全国の意。 五畿は大和やまと山城やましろ河内かわち和泉いずみせっの畿内五ヶ国、 七道は東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道。
ひとびとのかぎり 人々ばかり。
あきらめたり 明らかにりょうできた。
まことしく ほんとうに。
まつたく 完全に。
あたはねばこそ できないからこそ。
いみじきひと 能力のすぐれた賢い者。
いやしきひと 能力の劣った愚かな者。
めでたく すばらしく。
さてこそあらめ それでこそよいのであろう。
めでたき教法 りっぱな教え。 ここではしょうどうもんの教えを指す。
しばらく 一時的には。
五逆の達多 ¬法華ほけきょう¼ の 「だいだっぼん」 には、 釈尊の殺害をはかった提婆達多が未来の世に成仏するとあり、 また八歳の竜女が男性に変じて成仏したとある。
諸仏にすてらるる悪人女人補註14
顕密の法 けんぎょうみっきょうのこと。 しょうどうもんの教えを指す。
いみじからんひと すぐれた人。
そらに 自然に。
あたりあたらぬよしを 意にかなうかどうかということを。
くだんの 前段の 「あるひといはく」 以下で述べられた内容を指す。
名願を念ずれば 名願は本願みょうごうのこと。 「名号を口にとなふれば」 とする異本がある。
本願かぎりあるゆゑに 本願で当然のこととして決っていることなので。
さるときには そういう状態にある時には。
信心 ¬しんしゅう法要ほうよう¼ 所収本には 「深心じんしん」 とある。
生死の巣守 生死てんの迷いの世界からのがれられない者。
ゆるになる 疎かになる。 往生を願う心がおとろえることをいう。
しのびがたくは こらえられないなら。
詮ずるところは つまるところは。