0525しよじんのほんぐわいしふ ほん

 

【1】 それ、 ぶち神明しんめいほん神明しんめいぶちすいしやくなり。 ほんにあらざればしやくをたるゝことなく、 しやくにあらざればほんをあらはすことなし。 神明しんめいといひぶちといひ、 おもてとなりうらとなりてたがひにやくをほどこし、 すいしやくといひほんといひ、 ごんとなりじつとなりてともにさいをいたす。

たゞしふかくほんをあがむるものは、 かならずすいしやくすることはりあり。 ほんよりたるゝしやくなるがゆへなり。 ひとへにすいしやくをたうとむものは、 いまだかならずしもほんするいひなし。 しやくよりほんをたれざるがゆへなり。 このゆへに、 すいしやく神明しんめいせんとおもはゞ、 たゞほんぶちすべきなり。 いまそのおもむきをのべんとするに、 みつのもんをもて分別ふんべつすべし。

【2】 第一だいゐちには権社ごんしや霊神れいじんをあかしてほんしやうをたうとむべきことををしへ、 だいには実社じちしや邪神じやしんをあかしてじようのおもひをやむべきむねをすゝめ、 第三だいさむには諸神しよじんほんぐわいをあかして仏法ぶちぽふぎやうじ、 念仏ねむぶちしゆすべきおもむきをしらしめんとおもふ。

【30526第一だいゐち権社ごんしや霊神れいじんをあかしてほんしやうをたうとむべきことををしふといふは、 *こう同塵どうぢん*結縁けちえんのはじめ、 *八相はちさうじやうだうもつのおはり。 これすなはち権社ごんしやといふは、 わう如来によらいじんさちしゆじやうやくせんがために、 かりに神明しんめいのかたちをげんじたまへるなり。 ほんつきあきらかにしてひかりを无垢むくのそらにあらはし、 ぐゑんもんくもはれてこゝろをしやう真如しんによのみやこにすまず。

しかるあひだ、 同体どうたい慈悲じひしばらくもやむことなく、 随類ずいるいやくときとしてわすれざるがゆへに、 えんしゆじやうをたづねてわがてうにあとをたれ、 *可度かどこんをかゞみてこのくにゝあまくだりたまへり。 たのみを*そうのつゆにかくれば、 たちどころにしやうにあづかる。 たとへばみづのうつはものにしたがふがごとし。 あゆみを社壇しやだんのつぎにはこべば、 すなはちしよぐわんをみつ。 あたかもかげのかたちにそふににたり。

こゝをもて運命うんめいをいのるともがら、 神明しんめいをうやまふをもてことゝし、 福祐ふくゆうをのぞむやから、 霊社れいしやをあがむるをもてむねとす。 なかんづくにこのだい日本にちぽんこくは、 もとより神国しんこくとして霊験れいげんいまあらたなり。 天照てんせう大神だいじんそんはかたじけなくくにのあるじとなり、 あまつ児屋こやねのみこと*苗裔べうえいはながくてうのまつりごとをたすけたまふ。 垂仁すいにん天皇てんわうだいよりことに神明しんめいをあがめ、 欽明きんめい天皇てんわうの御とき仏法ぶちぽふはじめてひろまりしよりこのかた、 しん0527をうやまふをもてくにのまつりごとゝし、 ぶちするをもてのいとなみとす。 これによりて、 くにの感応かんおうこくにすぐれ、 てうせいてうにこへたり。 これしかしながら、 ぶちおうまた神明しんめいりきなり。

こゝをもて日本にちぽん六十ろくじふろくこくのあひだに神社じんじやをあがむること一万ゐちまん三千さむぜんしちひやくしやなり。 ¬えん¼ の神明しんめいちやうにのするところ三千さむぜんゐちぴやく三十さむじふしやなり。

そもそも日本にちぽんわがてうは、 天神てんじん七代しちだいしんだい人王にんわうひやくだいなり。

そのうち天神てんじんだい七代しちだいをば伊奘いざなぎ伊奘いざなみとまうしき。 伊奘いざなぎみことはおとこがみなり、 いまの鹿しまだいみやうじんなり。 伊奘いざなみみことはきさきがみなり、 いまのとりだいみやうじんなり。 かのふたりのみこと、 あまのうきはしのうへにて、 めがみ・をがみとなりたまひて、 ともにあひはかりていはく、 このしたにあにくになからんやとて、 あまのさかほこをさしおろしてさぐりたまふに、 ほこのしたゝりこりかたまりてひとつのしまとなれり。 この日本にちぽんこくこれなり。

そのゝち、 くにのうちにぬしなからんやとて、 おんをまふけたまへり。 日神にちじんぐわちじんこれなり。 日神にちじんといふは天照てんせう大神だいじんぐわちじんといふはさのをのみことなり。 きやうだいたがひに日本にちぽんこくをとらんとあらそひたまひけるに、 伊奘いざなぎ伊奘いざなみ、 これをしづめんがためにきやうだいてん天よりくだりたまふとき、 天照てんせう大神だいじんは、 おやにあひたてまつらじとて、 あまのいわと0528をひきたてゝこもらせたまひければ、 にはかにこのくにくらきやみとなれり。 そのとき伊奘いざなぎ伊奘いざなみ天照てんせう大神だいじんをいだしたてまつらんがために、 ないどころといふかゞみをかけて、 かみがみあつまりて七日しちにち神楽かぐらをはじめたまふに、 天照てんせう大神だいじん、 これをみたまはんがためにいわとをほそめにあけられしとき、 そのみかげ、 ないどころにうつりのひかりくもりなかりければ、 伊奘いざなぎ伊奘いざなみちからをえていわとををしひらき、 大神だいじんをいだしたてまつりたまひけり。

さてきやうだいのなかをやわらげて、 天照てんせう大神だいじんをば日本にちぽんこくのぬしとなしたてまつりたまふ。 いまの伊勢いせ大神だいじんこれなり。 さのをのみことをば日本にちぽんこくのかみのおやとなしたてまつりたまふ。 いまの出雲いづものおほやしろこれなり。 これ神明しんめいわがくにゝあとをたれたまひしはじめなり。 鹿しまだいみやうじんほん十一じふゐちめんくわんおむなり。 こうもつのかげあまねく一天ゐちてんをてらし、 しやうさいのめぐみとをくかいにかうぶらしめたり。 このゆへに、 たのみをかくるひとは現当げんたうしちじょうじ、 こゝろをいたすともがらは心中しむちうしよぐわんをみつ。

おくぜんほんくう羂索けんざくなり、 左右さうはち竜神りうじんどう沙門しゃもんなり。 しやうをのをのたのみあり、 さいみなむなしからず。

このみょうじんは、 奈良ならきょうにしては春日かすがだいみやうじんげんじ、 なんきょうにしては住吉すみよしだいみやうじんとあらはれ、 たいらきょうにしてはあ0529るひは大原おおはらだいみやうじんとあがめられ、 あるひはよしだいみやうじんとしめしたまふ。 処々しょしょやくをたれ、 一々ゐちゐち霊験れいげんをほどこしたまふ。 本社ほんしや末社まちしやしやうみなめでたく、 洛中らくちうらくぐわいさいことにすぐれたまへり。

もりぜんは、 鹿しまにてはおくぜんとあらはれ、 春日かすがにてはしよみやとしめしたまふ。 天照てんせう大神だいじんにちてんくわんおむすいしやくさのをのみことぐわちてんせいすいしやくなり。 このさち弥陀みだ如来によらい悲智ひちもんなれば、 このりやうしやもはら弥陀みだ如来によらいの分身なり。 このりやうしやすでにしかなり、 以下いげ諸社しよしやまた弥陀みだ善巧ぜんげう方便はうべんにあらずといふことあるべからず。

くま権現ごんげんといふは、 もとは西天さいてん摩訶まかこく大王だいわう慈悲じひ大賢だいげんわうなり。

しかるに本国ほんごくをうらみたまふことありて、 崇神しゆじん天皇てんわうそくぐわんねんはちぐわちに、 はるかに西天さいてんよりいつゝけんをひんがしになげて、 わがえんにとゞまるべしとちかひたまひしに、 ひとついのくにむろのこほりにとゞまり、 ひとつ下野しもつけのくににちくわうざんにとゞまり、 ひとつはのくにいわのこほりにとゞまり、 ひとつ淡路あはぢのくにづるのみねにとゞまり、 ひとつ豊後ぶんごのくにひこやまにとゞまる。

かのひこのやまにあまくだりたまひしときは、 そのかたち八角はちかくすいしやうなり、 そのたけさむしやく六寸ろくすんなり。 霊験れいげん九州きうしうにあまねく、 万人ばんじんあゆみをはこばずといふことなし。

いままさしくくま権現ごんげんとあらはれたまふことは、 いのくにいわ0530がはのほとりにひとりのれうあり、 その阿刀あと千世ちよといふ。 やまにいりてかりしけるに、 ひとつのくまをいたりけり。 をたづねあとをとめてゆくほどに、 ひとつのくすのもとにいたれり。 そのときしたるいぬ、 こずえをみあげてしきりにほへければ、 千世ちよのうえをみるに、 かののえだにみつのぐわちりんあり。 千世ちよあやしみをなしてといていふやう、 つきなにのゆへにか、 そらをはなれてこずえにかゝれるや、 つきまたなんぞみつあるや。 天変てんぺんか、 ひかりものか、 はなはだおぼつかなしといふ。

そのとき権現ごんげん託宣たくせんしてのたまひけるは、 われは天変てんぺんにあらず。 とうしゆじやうをすくはんがために西天さいてんぶちしやうこくよりはるかにこのてうにきたれり。 すなはちくま三所さむしよ権現ごんげんとあらはれんとおもふ。 なんぢすみやかに社檀しやだんをつくりてわれをあがむべしとしめしたまひければ、 千世ちよたちまちに渇仰かちがうのおもひをなし、 ことにくゐのこゝろをいたして、 すなはち仮殿かりどのをつくりて勧請くわんじやうしたてまつりけり。

それよりこのかた、 たかきもいやしきもこれをあがめざるはなく、 げんのためしやうのためこれにまふでざるひとなし。

まづ証誠しやうじやう殿でんわあ弥陀みだ如来によらいすいしやくなり。 てうぐわんぢよくしゆじやうをすくひ、 摂取せふしゆ光明くわうみやう専念せんねむぎやうじやをてらす。

りやうしよ権現ごんげんといふは、 西にしぜん千手せんじゆくわんおむなり。 一心ゐちしむ称名しようみやうのかぜの0531そこにはしやうらうびやうぢんをはらひ、 ゐち礼拝らいはいのつきのまへにはひやくせん万億まんおくぐわんまうをみつ。 なかぜんやく如来によらいなり。 じふじやうせいぐわんをおこしててん群萌ぐんまうをたすけ、 しゆちだちりやうやくをあたへてみやうぢうびやうをいやす。 かくのごとく三尊さむぞんひかりをならべちぎりをむすびてあとをたれたまふ。 くゑ方便はうべん、 あにおろそかなることあらんや。

つぎのしよわうといふは、 にやくわう十一じふゐちめんくわんおむなり。 げん三昧ざむまいのちからをもて六道ろくどうしゆじやうくゑし、 弥陀みだだいをつかさどりてさむ衆類しゆるいをすくひたまふ。 ぜんみやざうさちなり。 だいだいしやうことにたのもしく、 こん後世ごせ引道いんだうもともたうとし。 ひじりみや龍樹りうじゆさちなり。 せん論蔵ろんざうをつくりて有无うむ邪見じやけんし、 じやうだいじようをのべて安楽あんらくわうじやうをすゝめたまへり。 ちごみやによりんくわんおむもりみやしやうくわんおむなり。 そのかたちいさゝかことなれども、 ともにくわんおむ一体ゐちたいなり。 そのしばらくかわれども、 ならびに弥陀みだ分身ぶんしんなり。 さいならびなく、 やくもともあまねし。

つぎに一万ゐちまんみやだいしやう文殊もんじゆ師利しりさちなり。 さむ諸仏しよぶちかくしやくそんだい祖師そしなり。 もとは金色こむじきかいにましますといへども、 つねに清涼しやうりやうせんぢゆし、 竹林ちくりんしやうじやしてこの片州へんしう顕現けんげんしたまへり。

十万じふまんみやげんさちなり。 十種じふしゆ勝願しようぐわんをおこしては安養あんやうわうじやうをすゝめ、 懺悔さむぐゑ0532方法はうほふををしへては滅罪めちざいやくをしめす。

勧請くわんじやうじふしよ一代ゐちだい教主けうしゆしや如来によらいなり。 しや発遣はちけん教主けうしゆとしてしゆじやう西方さいはうにをくり、 ぶちみやうがう要法えうほふわあなんぞくしてぼむわうじやうををしへたまふ。

ぎやうしやどうみやうわうなり。 智慧ちえけんをふるひてしやうぐんざいす。

米持めじ金剛こむがうどう沙門しゃもん天王てんわうなり。 金剛こむがう甲冑かふちうたいして煩悩ぼむなう怨敵おんてき降伏がうぶくす。 おほよそこの権現ごんげんごく如来によらいじやうさちなり。 なかんづくに証誠しやうじやう殿でんはたゞちに弥陀みだすいしやくにてましますがゆへに、 ことに日本にちぽん第一だいゐち霊社れいしやとあがめられたまふ。 しやかいやくりやうこふををくりたゆむことなく、 わがてう化縁くゑえん、 すでに千年せんねんにをよびてますますさかんなり。

しよしまだいみやうじんといふは、 だいはこ三所さむしよ権現ごんげんなり。 法体ほふたいさむかく文殊もんじゆ師利しり俗体ぞくたい当来たうらいだうろくそん女体によたい无畏むいしやくわんおむさちなり。 しまだいみやうじんじふぐわんわうわう善逝ぜんぜいなり。

八幡はちまん三所さむしよは、 なか八幡はちまんだいさちわあ弥陀みだ如来によらいひだりはおほたらちめ、 ほんくわんおむなり、 みぎはひめ大神だいじんだいせいさちなり。 若宮わかみやしよといふは、 ほん十一じふゐちめんくわんおむなり、 若姫わかひめせいさちなり、 らい文殊もんじゆ必体ひちらいげんなり。 これみな応神おうじん天皇てんわうおんなり。

つぎに武内たけうち大臣だいじんほんわあ弥陀みだ如来によらい、 これおなじき天王てんわうしんなり。 へついどのはげんさち、 おなじき天皇てんわう姨母ゐもなり。

よしさむ如来によらいすいしやくさち0533おうなり。 いはゆる大宮おほみやしや如来によらいしゆ権現ごんげんやく如来によらいしやうしんわあ弥陀みだ如来によらいはちわう千手せんじゆくわんおむきやくじん十一じふゐちめんくわんおむじふぜんざうさちさんみやげんさちなり。

このほかおんじょう瑠璃るりかいやく如来によらいすいしやく稲荷いなりしやうによりんくわんざいそん応現おうげんなり。 白山はくさんめう権現ごんげんこれ十一じふゐちめんくわんおむ化現くゑげんあつ八剣はちけんだいさちこれどうみやうわうおうしやくなり。

これみなそのほんをたづぬれば極果ごくくわ如来によらいじんだいなり。 興隆仏法ぶちぽふ本誓ほんぜいにもよほされやくしゆじやうぐわんぢゆして、 かりに神明しんめいのかたちをげんじたまへり。 寂光じやくくわうのあきのつき、 ひかりをあきしまのなみにやどし、 報身ほうじんのはるのはな、 にほひを豊葦とよあしはらのかぜにほどこす。 ないしようはみなしやう法身ほふしんほんはことごとく報身ほうじん全体ぜんたいなり。

そのほんさまざまにことなれども、 みな弥陀みだ一仏ゐちぶち智恵ちえにおさまらずといふことなし。 かるがゆへに弥陀みだくゐしたてまつれば、 もろもろのぶちさちくゐしたてまつることはりあり。 このことはりあるがゆへに、 そのすいしやくたる神明しんめいにはべちしてつかふまつらねども、 をのづからこれにするだうあるなり。

【4】 だい実社じちしや邪神じやしんをあかしてじようのおもひをやむべきむねをすゝむといふは、 いきりやうりやうとうかみなり。 これは如来によらいすいしやくにもあらず。 もしは人類にんるいにてもあれ、 も0534しは畜類ちくるいにてもあれ、 たゝりをなしなやますことあれば、 これをなだめんがためにかみとあがめたるたぐひあり。

¬文集ぶんしふ¼ (白氏文集意) のなかにひとつのためしあり。 「たう江南かうなんといふところに黒潭こくたんといふふちあり。 みづのそこにりうありといひて、 やしろをたてゝあがむ。 これによりて、 くにのうちにやまひあればこのたゝりといひ、 こほりのあひだにわろきことあればそのとがといひて、 としごとにこれをまつりけり。 まつるときにはゐのこをころしてそなへ、 さけをしたみてたむく。 そこにかみのすむらんをばしらず。 ひとのにみゆるははやしのねずみ、 やまのきつねのみきたりて、 さけをのみゐのこをくらふ。 さればきつねなにのさひはひかはある、 ゐのこなにのつみかはある。 としどしにゐのこをころして、 きつねにかふことはなはだいはれなし。 りうありといひてまつることしかるべからず」 と、 はく楽天らくてんはおほきにそしれり。

しかれば、 仏法ぶちぽふよりこれをいましむるのみにあらず、 けんにもかくのごときの邪神じやしんをたうとむはしやうにあらずときこへたり。 にあがむるかみのなかに、 このたぐひまたおほし。

たとひひとにたゝりをなすことなけれども、 わがおや・おほぢとうせんをばみなかみといはひて、 そのはかをやしろとさだむること、 またこれあり。 これらのたぐひはみな実社じちしやかみなり。 もとよりまよひのぼむ0535なれば、 内心ないしむ貪欲とむよくふかきゆへに少分せうぶんのものをもたむけねばたゝりをなす。 これをしんずればともにしやうにめぐり、 これにすればらい永劫やうごふまで悪道あくだうにしづむ。 これにつかへてなにのようかあらん。

されば ¬優婆うばきやう¼ には 「一瞻ゐちせん一礼ゐちらいしよじんしやうじゆ蛇身じやしんひやくげん福報ふくほうきやうらいしやうひちさむ悪道まくだう」 といへり。 このもんのこゝろは、 もろもろのしんをひとたびもみ、 ひとたびもらいすれば、 まさしく蛇身じやしんをうくることひやくげん福報ふくほうはさらにきたらず、 しやうにはかならずさむ悪道まくだうにおつとなり。

しかのみならず善導ぜんだうくわしやうの ¬ほふさん¼ (巻下) にくわしくこれをはんぜられたり。 「妄想まうさうおんふくさいしやう禍横くわわうてん弥陀みだ連年れんねんぐわびやうしやうしんりようまうきやくせちしゆれんくゑちじよう神明しんめいとくほうによしやねん弥陀みだ」 といへり。 こゝろは、 ぼむのまよへるこゝろをもて神恩じんおんをもとめて、 ふくあらんとおもへば、 さひはひはきたらずしてわざわひはうたゝおほし。 としをつらねてやまひのゆかにふし、 みゝしゐめしゐ、 こしをれ、 くじく。 神明しんめいにうけつかふるものこのほうをうく。 いかんがすてゝ弥陀みだねんじたてまつらざらんとなり。

まことにげん福報ふくほうはきたらずして、 かえりて災難さいなんをあたえん。 実社じちしやのかみにつかへて一分ゐちぶんもそのえうあるべからず。 ひとへに弥陀みだ一仏にくゐしたてまつりてじやうをねがはゞ、 もろもろの神明しんめいちうにつきそひてまもりたま0536ふべきがゆへに、 もろもろの災禍さいくわものぞこり、 一々ゐちゐちのねがひもみつべきなり。 権社ごんしやかみはよろこびておうしたまふべし、 ほんぐわんにかなふがゆへなり。 実社じちしやかみはおそれてなやまさず、 もろもろのあく鬼神くゐじんをしてたよりをえしめざるがゆへなり。

 

しよじんのほんぐわいしふ ほん

永享十年 戊午 十月十五日書写之畢

大谷本願寺住持存如(花押)

 

0537しよじんのほんぐわいしふ まつ

 

【5】 第三だいさむ諸神しよじんほんぐわいをあかして仏道ぶちだうにいり、 念仏ねむぶち勤修ごむしゆすべきおもむきをしらしむといふは、 一切ゐちさい神明しんめい、 ほかには仏法ぶちぽふするすがたをしめし、 うちには仏道ぶちだうをすゝむるをもてこゝろざしとす。

これすなはちこう同塵どうぢんほんをたづぬるに、 しかしながら八相はちさうじやうだう来縁らいえんをむすばんがためなり。 このゆへに、 ふかくしやうのけがれをいむは、 しやうりんをいとふいましめなり。 つねにあゆみをはこばしむるは、 ごむぎやうしやうじんをすゝむるこゝろなり。 しかれば、 ほかにはしやうをいむをもてそのとすれども、 うちにはしやうをいとふをもてほんぐわいとす。 うへにはくゑちさいしやうじんとすれども、 したには仏法ぶちぽふぎやうずるをもてしやうじんとす。

鼕々とうとうたるつゞみのひゞきは、 しやうゆめをおどろかすたよりなり。 颯々さちさちたるすゞのこえは、 ぢやうのねぶりをさますなかだちたり。

おほよそ諸仏しよぶちさちしやう方便はうべんしゆもんあり。 ひとつにはしやく伏門ぶくもんふたつには摂受せふじゆもんなり。

摂受せふじゆもんといふは、 諸仏しよぶちさちほん化導くゑだうなり。 ひとこんにして因果いんぐわにあきらかなるものには、 すぐにきやうぼふをもてさいしたまふ。

しやく0538伏門ぶくもんといふは、 しやうげうにくらくして因果いんぐわにまどへるひとのためには、 しやうばちをあらはしてえんをむすばしめたまふ。 後世ごせをしらざるともがらには、 くゐをいのらしめんがためにあゆみをはこばせ、 因果いんぐわをわきまへざるやからには、 そのたゝりをなして信心しんじむをとらしむ。 これすなはち頻繁ひんぱんてきのいさゝかなるえんをもて、 八相はちさうじやうだうのおほきなるもとゐとせんとなり。 かるがゆへに、 こむじやう寿福じゆふくをいのるは結縁けちえんのはじめなるべけれども、 ほんぐわいごくにあらざれば神慮しんりよにかなひがたし。 しやうだいをねがふはもつのをはりなるべけれども、 ちりにまじはるほんなればまことのちかひにかなふべし。 こうのおこりのことにあらず。 すいしやくのこゝろざすところひとへにこれにあり。

さきのよのたねなきものはねがへどもかなはざれば、 いのらんによりて寿じゆみやう福禄ふくろくをえんこともかたし。 たとひまたおもひのごとくかなひたりとも、 さかんなるものはかならずおとろふるならひなれば、 ひさしくたもちがたく、 ゆめまぼろしのなれば、 いつまでかたのしまん。 はかなきけんにのみじやくして後世ごせをねがはずは、 神明しんめいかなしみをふくみたまはんこといくそばくぞや。 たゞ一向ゐちかう念仏ねむぶちしゆしてだいをもとめば、 あゆみをはこび、 ぬさをたむけずとも、 神明しんめいえみをふくみよろこびをなしたまふべし。

しかれば、 てんぴやうしようほうぐわん0539ねん八幡はちまん託宣たくせんにいはく、 「たとひ銅柱どうちゆてちしやうにはふすとも、 邪幣じやへいをばうくべからず、 汚穢わえじやうをばきらはず、 たゞ諂曲てんごくじちのこゝろをいむ。 たとひ千日せんにちのしめをかくとも、 邪見じやけんのかどにはのぞむべからず。 たとひ重服ぢうぶくなりといふとも、 慈悲じひいえにはなるべからず」 とのたまへり。 しや神明しんめい、 またこれになぞらへてしりぬべし。

されば清浄しやうじやうなりといふとも、 そのこゝろ邪見じやけんならばかみはうけたまふべからず。 たとひじやうのひとなりとも、 こゝろに慈悲じひあらばこれをまもりたまふべしとみへたり。 仏法ぶちぽふぎやうぜざれば、 すなはち邪見じやけんのきはまりなり。 あくをつくりて悪道あくだうにいり、 ぜんしゆしてだいをうといふことをしんぜざるがゆへなり。 念仏ねむぶちしんずるは、 すなはち慈悲じひのこゝろなり。 わがわうじやうをうるのみにあらず、 かへりて一切ゐちさいしゆじやうをみちびきて、 をぬきらくをあたふべきがゆへなり。

されば仏道ぶちだうにいりて念仏ねむぶちしゆせんひと、 もはら神慮しんりよにかなふべし。 神慮しんりよにかなふならば、 えんといのらずともげんみやうあり、 とりわきつかへずともそのしやうにはあづかるべし。 おほよそ神明しんめいは、 信心しんじむありてじやうをねがふひとをよろこび、 道念だうねんありて後世ごせをもとむるものをまもりたまふなり。

かのしんみょうじんときこゆるはおんじやう鎮守ちんじゆなり。 ばん蒼海さうかいをしのぎて、 このてらの仏法ぶちぽふしゆ0540たまふ。 しかるにばのいんぎよ保安ほうあん三年さむねんうるふぐわつ三日みかえんりやくおんじやうのあらそひありて三井みゐでらやけにけり。 これよりさきにも一条ゐちでういんぎよ正暦しやうりやくねんはちぐわち廿にじふにち、 このてらにえんじやうあり。 また白河しらかはいんぎよ永保えいほうぐわんねんろくぐわち九日こゝのか山門さんもんよりやかれしかども、 そのときはひとおほく滅亡めちばうにをよばざりけるにや。 このたびはそのたゝかひ、 いたりてがうじやうなりしかば、 顕密けんみつ僧侶そうりよおほくいのちをうしない、 あんぶちきやうことごとくほのほをまぬかれず。 聖跡せいせきまのあたりけぶりにくゑし、 れいぢやうたちまちにへんじき。 らんはいしずえのみのこりて、 しかしながらろうのすみかとなり、 ふるきあとはくさのみふかくして、 むなしく鹿ろくのそのとなれり。 まことにもあてられざりけるありさまなり。

そのころあるてらほふのゆめにみるやう、 かちくわん・しろばかまきたるひと、 らんのあとにはいくわいす。 たれぞととへば、 こたへていふやう、 われはこれしんだいみやうじんくゑんぞくなり、 このてらしゆせんがためにけいくわいするなりといひけり。 このそうゆめのうちにあざけりていはく、 仏像ぶちざう経巻きやうくわん堂舎だうしや僧房そうばうことごとく*くわいじんととなりぬ。 やくしゆかなといひければ、 かのひとこたふるむねなくしてうせぬ。

そののち*ちよくきたる老翁ろうおうのまゆのながくたれてくちまでにをよび、 かみ・ひげしろくして、 そのかたちつねに0541あらず。 あやしげなるひといできたりてそうにつげていはく、 なんぢがいふところはなはださいをしらず。 われはるかにしん本国ほんごくをすてゝこのてらにきたりぢゆすることは、 堂舎だうしや僧房そうばうしゆせんとにはあらず。 たゞしゆちしやうのこゝろあらんものをまもらんがためなり。 しかるに、 このたびのえんじやうによりて法滅ほふめちだいしんをおこしたるそうあまたあり、 ゐちぢやうしやうをはなれなんとす。 わがよろこびたゞこのゐちなり。 このゆへに、 みづからもこれをまもり、 くゑんぞくをつかはしてもこのひとをしゆするなり。 仏像ぶちざう経巻きやうくわん堂舎だうしや僧房そうばうはいくたびもやくべし、 いくたびもつくるべし。 しゆちしやうのこゝろあるものはまことにまれなりといひて、 かきけつやうにうせたまひけり。

かのえんじやうのとき、 だいしんをおこしたりけんひとは、 いづれのほふをかぎやうじけん。 おぼつかなしといへども、 諸教しよけうにほむるところおほく弥陀みだにあり、 さだめて西方さいはうをねがふともがらおほかりけん。 したがひて東山とうざんうんほんぐわん瞻西せんさいしやうにんはそのとき発心ほちしむのひとなり、 かれすでに但信たんしん念仏ねむぶちぎやうじやなり。 かるがゆへに、 おほくは西方さいはうぎやうにんかとおぼゆ。 さればかのみょうじんの、 発心ほちしむのものをしゆしたまひけるほんぐわいをおもふに、 いまのにもしゆちのこゝろあらんひとは、 時機じき相応さうおうほふ決定くゑちじやうわうじやうぎやうなるがゆへに、 ひとへに弥陀みだくゐしてもはらみやう0542がうをとなへば、 これすなはち発心ほちしむのひとなり。 神明しんめいおんこゝろにかなひたてまつらんこと、 いづれのつとめかこれにまさらん。 よくよくこゝろをおもふべし。

就↠中なかんづくに、 しやうとくたいじふ七歳しちさいおんとき、 黒駒くろこまじようじて三日さむにちさむのあひだに日本にちぽんこくじゆんけんしたまひけるに、 くまにまふでゝゐち通夜つやしたまひけるとき、 権現ごんげんたいとことばをまじへて、 たがひに種々しゆじゆのことゞもをかたりたまひけるなかに、 権現ごんげんたいにむかひたてまつりてのたまひけるむねをつたへきくに、 ことに仏法ぶちぽふくゐして後世ごせをねがはゞかみおんこゝろにかなふべしとはしらるゝなり。

そのおもむきは、 われ十八じふはちぐわんしやうごんじやうせちをいでゝぢよく爛漫らんまんあくこくげんずることは、 しゆじやうえんをむすびてつゐに西方さいはうじやうわうじやうせしめんがためなり。 しかるに、 漫々まんまんたる西海さいかいにふなばたをたゝきてまふづるもの、 迢々てうてうたる東陸とうりくうまにむちうちてきたるともがら、 あるひはそんはんじやうをいのり、 あるひはげん寿福じゆふくをなげきてさらにだいをねがはず、 しゆちをことゝせず。 たゞけんのことをいとなみ、 いのり、 ひとへに一旦ゐちたんみやうとむぢやくす。 寿福じゆふくこむじやうせいによらず、 たゞくわ宿しゆくぜんにむくふ。

修因しゆいん感果かんくわだう必然ひちぜんにして、 神明しんめいぶちみやうじよもかなひがたし。 たまたまばんたうをしのぎてはるかに参詣さんけいをしたし、 ひさしく数日しゆにち氷水へうしゐをあみ0543ぎやうにつかれ、 をのをのほふをすゝむといへども、 しゆじやう内心ないしむこうほんぐわいと、 みなことごとくさうのゆへに、 かのほふ、 われさらに一分ゐちぶんもうけず。 かるがゆへに、 三熱さむねちをうけて本覚ほんがくをわすれたり。 しかるにいまたいにあひたてまつりてじやうほふをあぢはひ、 さいしよう法楽ほふらくをうけて三熱さむねちをたちまちにやみて、 すゞしくこゝろあきらかなりとのたまひけるなり。

またおなじき権現ごんげん堀川ほりかはのいんぎよくわん三年さむねん正月しやうぐわちじふにち託宣たくせんのむねありけるは、 「われ仏界ぶちかいをいでゝしやにきたりしよりのちりやうこふをへたり。 そのあひだ、 つねは大国だいこくにむまれてみな王身わうしんたりき。 いま難化なんぐゑのさかひをたづねて我朝わがてうにわたりしよりこのかた、 あとをたるゝことすでに三千さむぜんひやくさいにをよべり。 これすなはち本誓ほんぜいぐわん十方じふぱうにひろめ、 一切ゐちさいしゆじやう仏道ぶちだうにいらしめんがためなり」 としめしたまひけり。

かれをきゝこれをおもふに、 しやうをいとひてじやうをねがひ、 弥陀みだくゐしてみやうがうをとなへんひと、 すいしやく素意そいにもしたがひ、 ほん誓約せいやくにもかなふべしといふこと、 そのだうはなはだあきらけし。

されば念仏ねむぶちぎやうじやには、 諸天しよてん善神ぜんじんかげのごとくにしたがひて、 よろこびまもりたまふといへるはこのゆへなり。 そもそも我朝わがてう神明しんめいほんをたづぬれば、 おほくはしや弥陀みだやくろくくわんおむ0544せいげん文殊もんじゆざう龍樹りうじゆとうなり。 この諸仏しよぶちさち、 ことに弥陀みだねんぜよとをしへ、 ひとへに西方さいはうわうじやうをすゝめたまふ。 すいしやくほん、 またひとしかるべければ、 いづれの神明しんめいかこれをそうきたまはんや。

まづしや如来によらいは、 しや教主けうしゆしゆじやう慈父じぶなり。 そうじては一代ゐちだい諸教しよけうにもはら弥陀みだねんじて西方さいはうにゆけとすゝめ、 べちしてはさむ妙典めうでんにたゞみやうがうをとなへてわうじやうをとげよとをしへたまへり。 ¬だいきやう¼ には弥陀みだしやうをもて真実しんじちととき、 ¬観経くわんぎやう¼ にはみやうがう一門ゐちもんをえらびてわあなんぞくし、 ¬せうきやう¼ にはぼむほんぎやうなるがゆへに一切ゐちさいけんのためにこのほふをとくとみえたり。 弥陀みだ教門けうもんをもてしやくそんほんぐわいとす。 しやくそんせんとおもはゞ弥陀みだをたのみてまつるべきなり。

わあ弥陀みだ如来によらいは、 するところの教主けうしゆなれば、 中々なかなかまふすにをよばず、 弥陀みだすいしやくにてましまさん神明しんめいほんしんぜんにそのおんこゝろにかなはんこと勿論もちろんなるべし。

やく如来によらいは、 東方とうばうじょう瑠璃るりかい教主けうしゆなり。 西方さいはう極楽ごくらくしやうぜんとおもはんもの、 そのこゝろいまださだまらざらんに、 やくをたのみたてまつらば、 いのちをはらんとき、 はちさちをつかはしそのみちをしめして、 西方さいはうじやうにをくらんとちかひたまへり。 されば、 まことの信心しんじむをえてすぐに極楽ごくらくにむまれんひとは、 はちさちのみちしるべにもをよぶまじけ0545れば、 やく如来によらいもさだめてこゝろやすくおぼしめすべし。 やくのちかひをきかんにつけても、 いよいよ弥陀みだを念ずべきなり。

ろくは、 当来たうらいだうしよさちなり。 たいしやうくゑしやうのありさまをしやくそんにとひたてまつりては、 念仏ねむぶちしよぎやう得失とくしちをさだめ、 ぶちじやう一念ゐちねんをきゝては、 だいづうぞくをうく。 しや一代ゐちだいけうにもはら弥陀みだをほめたまへり。 ろくじやうだうのとき、 また西方さいはうをすゝめたまふべし。 諸仏しよぶち道同だうどうくゑ、 さらにかはるべからざるがゆへなり。

くわんおむせいは、 弥陀みだ如来によらい悲智ひちもんなり。 弥陀みだ慈悲じひくわんおむとなづく、 弥陀みだ智慧ちえせいがうす。 されば ¬観経くわんぎやう¼ には 「このさちわあ弥陀みだぶちをたすけてあまねく一切ゐちさいくゑす」 といへり。 また 「念仏ねむぶちぎやうじやにはくわんおむせいつねにそのしようとなりたまふ」 (観経意) ともとけり。 弥陀みだねんぜんひと、 もともさち本誓ほんぜいにかなふべきなり。

げんさちは、 これまた弥陀みだをほめたまへり。 「ねがはくは、 われいのちをわらんとき、 もろもろのつみをのぞき弥陀みだ如来によらいをみたてまつりて、 安楽あんらくこくわうじやうせん」 (般若益華厳経巻四〇行願品意) とちかひたまへり。 等覚とうがく无垢むくだい、 なをみづからのために安楽あんらくわうじやうをねがひたまふ、 いはんやぼむわうじやうをもとめん。 もともかのほんにかなふべし。 これによりて、 だいぎやうぜんたいしては、 まさしく弥陀みだみやうがうをすゝめたまへり。 なんぞか0546のをしへをしんぜざらんや。

文殊もんじゆは、 極楽ごくらくゐちしやうとして如来によらいくゑをたすけ、 ¬弥陀みだきやう¼ の同聞どうもんしゆにつらなりてはゐちじやうしゆたり。 就中なかんづく法照ほふせうぜん清涼しやうりやうせんだいしやう竹林ちくりんにまふでゝ、 らいしゆじやうはいづれのぎやうによりてかしやうをはなるべきとまふされければ、 弥陀みだみやうがうをとなへてやむことなかれとこたえたまひけり。 一心ゐちしむくゐせんひと、 もはらかのをしへにかなふべきものなり。

ざうさちは、 ざう法蔵ほふざう同体どうたいみやうなり。 ざう弥陀みだと、 もとより同体どうたいなるがゆへに、 弥陀みだみやうがうをとなへば、 かのおんこゝろにかなはんことうたがひなし。

龍樹りうじゆさちは、 わうじやうじゆをかうぶりて、 われもねがひひとをもをしへたまふ。 そうじて ¬智度ちどろん¼・¬十住じふじゆ毘婆びば娑論しやろん¼ とうのなかに処々しょしょ西方さいはうをすすめ、 ことに ¬じふらい¼ をつくりてひとへに弥陀みだちやうらいしたまふ。 これによりて、 じやうかうにつらなり、 念仏ねむぶち祖師そしとあがめられたまへり。 いまはまたひさしく極楽ごくらくしやうじゆなり。 弥陀みだねんぜばずいさだめてはなはだしかるべし。

このほかのぶちさち、 いづれか弥陀みだをそむきたるや、 西方さいはうをすゝめざる。 いかにいはんや、 ¬般舟はんじゆきやう¼ (一巻本勧助品意) には 「さむ諸仏しよぶちみなねん弥陀みだ三昧ざむまいによりてしやうがくをなる」 とときたれば、 弥陀みだ諸仏しよぶちほんなりとみへたり。 ほんねんじたてまつらば諸仏しよぶちおんこゝろにかなふべし。

また ¬楞伽経¼ (魏訳0547巻九総品意 唐訳たうやく巻六偈頌品意) には 「十方じふぱうこくのあらゆるぶちさちはみなりやうじゆ極楽ごくらくかいよりいでたり」 とゝけり。 これは諸仏しよぶちみな弥陀みだ分身ぶんしんなりときこへたり。 しかれば、 本仏ほんぶち弥陀みだせんひと、 分身ぶんしん諸仏しよぶちすることはり、 いはざるに顕然けんぜんなり。

このゆへに、 すいしやくおんこゝろにかなはんとおもはゞほんぶちさちしんずべし。 ほんぶちさちおんこゝろにかなはんとおもはゞ本仏ほんぶち弥陀みだくゐしたてまつるべし。 弥陀みだすればさむ諸仏しよぶちもよろこびをなしてこれをまもり、 十方じふぱうさちもえみをふくみてつねにたちそひたまふ。 ほん諸仏しよぶちさちおうしたまへば、 すいしやく諸仏しよぶち、 また納受なうじゆをたれたまふなり。

このゆへに、 処々しょしょ神明しんめいとう念仏ねむぶちのひとをねん念仏ねむぶちのひとを愛楽あひげうしたまふこと、 そのためしおほくきこゆ。

八幡はちまんだいさち託宣たくせんの文にいはく、 「しやくしゆちみやう法蔵ほふざうそくじやう報身ほうじんじゆじやう今来こんらいしやかいちうそくねん念仏ねむぶちにん」 といへり。 もんのこゝろは、 われむかししゆちのときは法蔵ほふざうとなづけき。 すなはち報身ほうじんとなりてじやうぢゆす。 いましやかいのうちにきたることは、 すなはち念仏ねむぶちのひとをねんせんがためなりと。 ことにこうすいしやくほん念仏ねむぶちぎやうじやおうしたまふべきこと、 しやうげうのこゝろにがうせり。

されば賀茂かもだいみやうじんは、 じんはく顕重あきしげわう母儀ぼぎちよくして念仏ねむぶちほふをあぢはひ、 しやうしんみやは、 たう0548しやだん念仏ねむぶちをよみして一首ゐちしゆ和歌わかをしめしたまひけり。 かのおんうたにいはく、 「ちはやぶるたまのすだれをまきあげて 念仏ねむぶちのこえをきくぞうれしき」 (玉葉集)たうはまさしく弥陀みだすいしやくにてましませば、 みやうがうどく愛楽あひげうしたまへること、 まことにいはれあることなり。

しかのみならず、 りやうにんしやうにんのすゝめられしづう念仏ねむぶちには、 くらでら沙門しゃもんみづから名帳みやうちやうをかきて念仏ねむぶちしゆし、 梵天ぼむてんたいしやくよりはじめて日本にちぽん国中こくちう一切ゐちさいじんみやうだう、 ことごとくその念仏ねむぶちをうけき。 げんしようこれあらたなるものなり。

就中なかんづく念仏ねむぶちぎやうずるひとは、 にちぐわちしやうしんのめぐみにもあづかるべし。 そのゆへは、 だうしやくぜんの ¬安楽あんらくしふ¼ (巻下) に ¬しゆゐききやう¼ をひきていはく、 「てんはじめてひらけしとき、 いまだにちぐわちしやうしんましまさず。 たとひ天人てんにんらいすることあれども、 うなじのひかりをもて照用せうようす。 そのときに人民にんみんおほくなうしやうず。

こゝにわあ弥陀みだぶちさちをつかはす。 ひとりをば宝応ほうおうしやうさちとなづく、 ふたりをば宝吉ほうきちしやうさちとなづく。 すなはちふく女媧ぢよくわこれなり。 このさちともにあひはかりて第七だいしち梵天ぼむてんにむかひ、 その七宝しちぽうをとりてこのかいらいし、 にちぐわちしやうしん十八じふはち宿しゆくをつくりて、 てんをてらししゆん秋冬じうとうをさだむ。

ときにふたりのさちあひかたりていはく、 にちぐわちしやうしん十八じふはち宿しゆく西にしへゆくゆへは、 一切ゐちさい諸天しよてん人民にんみんこと0549ごとくともにわあ弥陀みだぶちしゆしたてまつるなり。 こゝをもてにちぐわちしやうしんみなことごとくこゝろをかたぶけてかしこにむかふ。 ゆへに、 にしにながるゝなり」 といへり。

このなかに 「宝応ほうおうしやうさち」 といふはくわんおむすなはちにちてん、 「宝吉ほうきちしやうさち」 といふはせいすなはちぐわちてんなり。 またもろもろの星宿しやうしゆく虚空こくざうさちなり、 これまたじやうじふさちのひとりなり。 弥陀みだねんぜばさむくわうてん加護かごにあづからんこと、 うたがふべからず。

いかにいはんや、 人間にんげんにをいてげんしようあらたなること、 にちぐわちしやうしんにすぎたるはなし。 いまこのかいにむまれてこくびやくをわきまふることは、 しかしながらにちぐわちおんなり。 かれすでにくわんおむせい化現くゑげんなれば、 弥陀みだ如来によらい分身ぶんしん智恵ちえにあらずといふことなし。 このゆへに、 念仏ねむぶちぎやうずるひとは、 べちしていのらざれどもかならずにちぐわちのめぐみにあづかる。 ゆへに、 こむじやうには福楽ふくらくをえ、 しやうにはじやうしやうず。 念仏ねむぶちしんぜざるひとは、 べちしていのれどもつゐににちぐわちのめぐみをかうぶらず。 かるがゆへに、 げんにはみやうなくしやうには悪道あくだうにおもむく。

しかれば、 神明しんめい権現ごんげんやくにあづかり、 にちぐわちしやうしんおうをかうぶらんとおもはゞ、 すいしやくしやうにとゞまらずしてほん素意そいをあふぐべし。 ほんをあふぐとならば、 たゞもはら弥陀みだくゐしたてまつるべし。 弥陀みだねんじたてまつ0550れば、 をのづから十方じふぱうさむ諸仏しよぶちさちない一切ゐちさいじんみやうだうにちぐわちしやうしんねんずることはりあり。 さればかへすがへすも神明しんめいほんをたづぬれば、 まよひのしゆじやうえんをむすびてやうやく仏法ぶちぽふせしめて、 つゐに西方さいはうじやうにをくりとづけんとなり。 しや弥陀みだそんよりはじめて十方じふぱう一切ゐちさい諸仏しよぶちさち、 こころをひとつにし、 はかりごとをめぐらしてかたがたにひかりをやはらげ、 ところどころにあとをたれてしゆじやうやくしたまふなり。

されば一切ゐちさいしゆじやうのひとりなりともしやにあらんかぎりは、 われもとのじやうえかへらじ。 しゆじやうことごとく仏道ぶちだうにいりなんのち、 われも本覚ほんがくにかへらんとちかひたまへり。 こゝにしりぬ、 あゆみをはこばずべちしてつかへずとも、 じやうをねがひ弥陀みだねんぜば、 だいみやうじんのためにはちうあるひとなり。 しゆじやうだいにをもむかば、 しんもかへりて退たいのたのしみをえたまふべきゆへなり。 たとひこゝろざしをぬきいで社檀しやだんにまふづとも、 後世ごせをしらず弥陀みだねんぜざらんひとは、 だいみやうじんのためあだとなるひとなり。 しゆじやうしやうをはなれずは、 かみもひさしくしやにとゞまりて三熱さむねちをうけたまふべきがゆへなり。

しかるにとき末法まちぽふにいたり、 しゆじやう邪見じやけんにしてあくしゆするものは十方じふぱうだいよりもおほく、 ぜんしゆするものはつめのうへのつちよりもすくなし。 たま0551たま仏道ぶちだうをもとむるひとも、 たゞ諸善しよぜんやくにこゝろをそめて、 まことに弥陀みだしやうをばあふがざるゆへに、 けうさうして、 まことにしやうをいづるひとはまれなるべし。 このゆへに、 応化おうぐゑ神明しんめいとうさいのむねをこがし、 しやうのたもとをしぼりたまふものなり。

しよぎやうをさしをきて念仏ねむぶちするは、 なんぎやうだうをすてゝぎやうだうにうつるなり。 末代まちだい相応さうおうほふなるによりてけちぢやうわうじやうやくをうべきがゆへなり。 すいしやくにとゞまらずしてほんをあふぐは、 神明しんめいほんぐわいをたづね権現ごんげんほんしんずるなり。 神明しんめいのまことのおんこゝろはすいしやくをあがめられんとにはあらず、 しゆじやうをして仏道ぶちだうにいれしめんとおぼしめすがゆへなり。

ほんぶちさちはことごとく弥陀みだ一仏ゐちぶち智恵ちえなれば、 弥陀みだみやうがうしようするに十方じふぱうさむ諸仏しよぶちをのづからねんぜられたまふ。 諸仏しよぶちさちねんぜらるゝいはれあれば、 そのすいしやくたる諸神しよじん、 みなまたしんぜらるゝこと、 その必然ひちぜんなり。 されば念仏ねむぶちぎやうじやには諸天しよてん善神ぜんじんかげのごとくにしたがひてこれをまもりたまふゆへに、 一切ゐちさいさいしやうねん消滅せうめちし、 もろもろの福祐ふくゆうもとめざるにをのづからきたる。 げん安穏あんおんにして、 しやうにはかならずじやうにいたり、 ちやう永劫やうごふ无為むゐ法楽ほふらくをうく。 きやうしてかならずだいをうるなり。

まことにこれみやうのくさりをきるけん煩悩ぼむなうのやまひをするりやうやく0552なり。 しやくそんはこれがためにことばをはきて讃嘆さんだんし、 諸仏しよぶちはこのゆへにしたをのべて証誠しようじやうしたまへり。 ぶちおうにあづかり、 神明しんめいおんこゝろにかなはんとおもはんにも、 たゞねんごろにしやうだいをねがひて、 一向ゐちかう弥陀みだみやうがうしようすべきものなり。

 

しよじんのほんぐわいしふ まつ

*永享十年 戊午 十月廿五日書写之畢

大谷本願寺住持存如(花押)

 

底本は真宗大谷派蔵永享十年存如上人書写本。
和光同塵 ヒカリヲヤハラゲテチリニマジハル(左訓)
結縁 エムヲムスブ(左訓)
八相成道 ツヰニシヤウガクヲナルハシユジヤウヲリヤクスルヲハリトイフコヽロナリ(左訓)
可度 ワタスベキ(左訓)
叢祠 ヤシロナリ(左訓)
苗裔 オンスヘトイフナリ(左訓)
灰燼 ハイ モヘクイ(左訓)
直衣 ナヲシ(左訓)