0525◎諸神本懐集 本
【1】 ◎それ、 仏陀は神明の本地、 神明は仏陀の垂迹なり。 本にあらざれば迹をたるゝことなく、 迹にあらざれば本をあらはすことなし。 神明といひ仏陀といひ、 おもてとなりうらとなりてたがひに利益をほどこし、 垂迹といひ本地といひ、 権となり実となりてともに済度をいたす。
たゞしふかく本地をあがむるものは、 かならず垂迹に帰することはりあり。 本よりたるゝ迹なるがゆへなり。 ひとへに垂迹をたうとむものは、 いまだかならずしも本地に帰するいひなし。 迹より本をたれざるがゆへなり。 このゆへに、 垂迹の神明に帰せんとおもはゞ、 たゞ本地の仏陀に帰すべきなり。 いまそのおもむきをのべんとするに、 みつの門をもて分別すべし。
【2】 第一には権社の霊神をあかして本地の利生をたうとむべきことををしへ、 第二には実社の邪神をあかして承事のおもひをやむべきむねをすゝめ、 第三には諸神の本懐をあかして仏法を行じ、 念仏を修すべきおもむきをしらしめんとおもふ。
【30526】 第一に権社の霊神をあかして本地の利生をたうとむべきことををしふといふは、 *和光同塵は*結縁のはじめ、 *八相成道は利物のおはり。 これすなはち権社といふは、 往古の如来、 深位の菩薩、 衆生を利益せんがために、 かりに神明のかたちを現じたまへるなり。 本地つきあきらかにしてひかりを无垢地のそらにあらはし、 玄門くもはれてこゝろを性真如のみやこにすまず。
しかるあひだ、 同体の慈悲しばらくもやむことなく、 随類の利益ときとしてわすれざるがゆへに、 有縁の衆生をたづねてわが朝にあとをたれ、 *可度の機根をかゞみてこのくにゝあまくだりたまへり。 たのみを*叢祠のつゆにかくれば、 たちどころに利生にあづかる。 たとへばみづのうつはものにしたがふがごとし。 あゆみを社壇のつぎにはこべば、 すなはち所願をみつ。 あたかもかげのかたちにそふににたり。
こゝをもて運命をいのるともがら、 神明をうやまふをもてことゝし、 福祐をのぞむやから、 霊社をあがむるをもてむねとす。 なかんづくにこの大日本国は、 もとより神国として霊験いまあらたなり。 天照大神の御子孫はかたじけなくくにのあるじとなり、 天児屋根尊の*苗裔はながく朝のまつりごとをたすけたまふ。 垂仁天皇の御代よりことに神明をあがめ、 欽明天皇の御とき仏法はじめてひろまりしよりこのかた、 神0527をうやまふをもてくにのまつりごとゝし、 仏に帰するをもて世のいとなみとす。 これによりて、 くにの感応も他国にすぐれ、 朝の威勢も異朝にこへたり。 これしかしながら、 仏陀の擁護また神明の威力なり。
こゝをもて日本六十六箇国のあひだに神社をあがむること一万三千七百余社なり。 ¬延喜¼ の神明帳にのするところ三千一百三十二社なり。
そもそも日本わが朝は、 天神七代、 地神五代、 人王百代なり。
そのうち天神の第七代をば伊奘諾・伊奘冉とまうしき。 伊奘諾の尊はおとこがみなり、 いまの鹿嶋の大明神なり。 伊奘冉◗尊はきさきがみなり、 いまの香取の大明神なり。 かのふたりのみこと、 あまのうきはしのうへにて、 めがみ・をがみとなりたまひて、 ともにあひはかりていはく、 このしたにあにくになからんやとて、 あまのさかほこをさしおろしてさぐりたまふに、 ほこのしたゝりこりかたまりてひとつのしまとなれり。 この日本国これなり。
そのゝち、 くにのうちにぬしなからんやとて、 御子をまふけたまへり。 日神・月神これなり。 日神といふは天照大神、 月神といふは素戔烏尊なり。 兄弟たがひに日本国をとらんとあらそひたまひけるに、 伊奘諾・伊奘冉、 これをしづめんがために兄弟天よりくだりたまふとき、 天照大神は、 おやにあひたてまつらじとて、 あまのいわと0528をひきたてゝこもらせたまひければ、 にはかにこのくにくらきやみとなれり。 そのとき伊奘諾・伊奘冉、 天照大神をいだしたてまつらんがために、 内侍所といふかゞみをかけて、 かみがみあつまりて七日の御神楽をはじめたまふに、 天照大神、 これをみたまはんがためにいわとをほそめにあけられしとき、 そのみかげ、 内侍所にうつり世のひかりくもりなかりければ、 伊奘諾・伊奘冉ちからをえていわとををしひらき、 大神をいだしたてまつりたまひけり。
さて兄弟のなかをやわらげて、 天照大神をば日本国のぬしとなしたてまつりたまふ。 いまの伊勢大神宮これなり。 素戔烏尊をば日本国のかみのおやとなしたてまつりたまふ。 いまの出雲のおほやしろこれなり。 これ神明わがくにゝあとをたれたまひしはじめなり。 鹿嶋の大明神は本地十一面観音なり。 和光利物のかげあまねく一天をてらし、 利生済度のめぐみとをく四海にかうぶらしめたり。 このゆへに、 たのみをかくるひとは現当の悉地を成じ、 こゝろをいたすともがらは心中の所願をみつ。
奥の御前は本地不空羂索なり、 左右の八竜神は不動・毘沙門なり。 利生をのをのたのみあり、 済度みなむなしからず。
この明神は、 奈良の京にしては春日の大明神と現じ、 難波の京にしては住吉の大明神とあらはれ、 平の京にしてはあ0529るひは大原野の大明神とあがめられ、 あるひは吉田の大明神としめしたまふ。 処々に利益をたれ、 一々に霊験をほどこしたまふ。 本社・末社、 利生みなめでたく、 洛中・洛外、 済度ことにすぐれたまへり。
小守の御前は、 鹿嶋にては奥の御前とあらはれ、 春日にては五所の宮としめしたまふ。 天照大神は日天子、 観音の垂迹、 素戔烏尊は月天子、 勢至の垂迹なり。 この二菩薩は弥陀如来の悲智の二門なれば、 この両社もはら弥陀如来の分身なり。 この両社すでにしかなり、 以下の諸社また弥陀の善巧方便にあらずといふことあるべからず。
熊野の権現といふは、 もとは西天摩訶陀国の大王、 慈悲大賢王なり。
しかるに本国をうらみたまふことありて、 崇神天皇即位元年八月に、 はるかに西天より五の剣をひんがしになげて、 わが有縁の地にとゞまるべしとちかひたまひしに、 一は紀伊国室のこほりにとゞまり、 一は下野国日光山にとゞまり、 一は出羽国石城のこほりにとゞまり、 一は淡路国瑜鶴羽のみねにとゞまり、 一は豊後国彦の山にとゞまる。
かのひこのやまにあまくだりたまひしときは、 そのかたち八角の水精なり、 そのたけ三尺六寸なり。 霊験九州にあまねく、 万人あゆみをはこばずといふことなし。
いままさしく熊野の権現とあらはれたまふことは、 紀伊国岩田0530河のほとりにひとりの猟師あり、 その名を阿刀の千世といふ。 やまにいりてかりしけるに、 ひとつの熊をいたりけり。 血をたづねあとをとめてゆくほどに、 ひとつの楠の木のもとにいたれり。 そのとき具したる犬、 こずえをみあげてしきりにほへければ、 千世、 木のうえをみるに、 かの木のえだにみつの月輪あり。 千世あやしみをなして問ていふやう、 月なにのゆへにか、 そらをはなれてこずえにかゝれるや、 月またなんぞみつあるや。 天変か、 ひかりものか、 はなはだおぼつかなしといふ。
そのとき権現、 託宣してのたまひけるは、 われは天変にあらず。 東土の衆生をすくはんがために西天仏生国よりはるかにこの朝にきたれり。 すなはち熊野三所権現とあらはれんとおもふ。 なんぢすみやかに社檀をつくりてわれをあがむべしとしめしたまひければ、 千世たちまちに渇仰のおもひをなし、 ことに帰依のこゝろをいたして、 すなはち仮殿をつくりて勧請したてまつりけり。
それよりこのかた、 たかきもいやしきもこれをあがめざるはなく、 現世のため後生のためこれにまふでざるひとなし。
まづ証誠殿は阿弥陀如来の垂迹なり。 超世の悲願は五濁の衆生をすくひ、 摂取の光明は専念の行者をてらす。
両所権現といふは、 西の御前は千手観音なり。 一心称名のかぜの0531そこには生老病死の垢塵をはらひ、 一時礼拝のつきのまへには百千万億の願望をみつ。 中の御前は薬師如来なり。 十二无上の誓願をおこして流転の群萌をたすけ、 出離解脱の良薬をあたへて无明の重病をいやす。 かくのごとく三尊ひかりをならべちぎりをむすびてあとをたれたまふ。 化度の方便、 あにおろそかなることあらんや。
つぎの五所の王子といふは、 若王子は十一面観音なり。 普賢三昧のちからをもて六道の衆生を化し、 弥陀の大悲をつかさどりて三有の衆類をすくひたまふ。 禅師の宮は地蔵菩薩なり。 大慈大悲の利生ことにたのもしく、 今世・後世の引道もともたうとし。 聖の宮は龍樹菩薩なり。 千部の論蔵をつくりて有无の邪見を破し、 无上の大乗をのべて安楽の往生をすゝめたまへり。 児の宮は如意輪観音、 小守の宮は聖観音なり。 そのかたちいさゝかことなれども、 ともに観音の一体なり。 その名しばらくかわれども、 ならびに弥陀の分身なり。 済度ならびなく、 利益もともあまねし。
つぎに一万の宮は大聖文殊師利菩薩なり。 三世の諸仏の覚母、 釈尊九代の祖師なり。 もとは金色世界にましますといへども、 つねに清涼山に住し、 竹林の精舎を辞してこの片州に顕現したまへり。
十万の宮は普賢菩薩なり。 十種の勝願をおこしては安養の往生をすゝめ、 懺悔の0532方法ををしへては滅罪の巨益をしめす。
勧請十五所は一代教主釈迦如来なり。 娑婆発遣の教主として衆生を西方にをくり、 仏語名号の要法を阿難に付属して凡夫の往生ををしへたまふ。
飛行夜叉は不動明王なり。 智慧の利剣をふるひて生死の魔軍を摧破す。
米持金剛童子は毘沙門天王なり。 金剛の甲冑を帯して煩悩の怨敵を降伏す。 おほよそこの権現は極位の如来、 地上の菩薩なり。 なかんづくに証誠殿はたゞちに弥陀の垂迹にてましますがゆへに、 ことに日本第一の霊社とあがめられたまふ。 娑婆界の利益、 无量劫ををくりたゆむことなく、 わが朝の化縁、 すでに数千年にをよびてますますさかんなり。
二所・三嶋の大明神といふは、 大箱根は三所権現なり。 法体は三世覚母の文殊師利、 俗体は当来導師の弥勒慈尊、 女体は施无畏者、 観音薩埵なり。 三嶋の大明神は十二願王、 医王善逝なり。
八幡三所は、 中は八幡大菩薩、 阿弥陀如来、 左はおほたらちめ、 本地観音なり、 右はひめ大神、 大勢至菩薩なり。 若宮四所といふは、 本地十一面観音なり、 若姫は勢至菩薩なり、 宇礼は文殊、 必体は普賢なり。 これみな応神天皇の御子なり。
つぎに武内の大臣は本地阿弥陀如来、 これおなじき天王の臣下なり。 へついどのは普賢菩薩、 おなじき天皇の姨母なり。
日吉は三如来の垂迹、 四菩薩0533の応作なり。 いはゆる大宮は釈迦如来、 地主権現は薬師如来、 聖真子は阿弥陀如来、 八王子は千手観音、 客人は十一面観音、 十禅師は地蔵菩薩、 三の宮は普賢菩薩なり。
このほか祇園は浄瑠璃世界薬師如来の垂迹、 稲荷は聖如意輪観自在尊の応現なり。 白山は妙理権現これ十一面観音の化現、 熱田は八剣大菩薩これ不動明王の応迹なり。
これみなその本地をたづぬれば極果の如来、 深位の大士なり。 興隆仏法の本誓にもよほされ利益衆生の悲願に住して、 かりに神明のかたちを現じたまへり。 寂光のあきのつき、 ひかりを秋津島のなみにやどし、 報身のはるのはな、 にほひを豊葦原のかぜにほどこす。 内証はみな自性の法身、 本地はことごとく報身の全体なり。
その本地さまざまにことなれども、 みな弥陀一仏の智恵におさまらずといふことなし。 かるがゆへに弥陀に帰したてまつれば、 もろもろの仏・菩薩に帰したてまつることはりあり。 このことはりあるがゆへに、 その垂迹たる神明には別してつかふまつらねども、 をのづからこれに帰する道理あるなり。
【4】 第二に実社の邪神をあかして承事のおもひをやむべきむねをすゝむといふは、 生霊・死霊等の神なり。 これは如来の垂迹にもあらず。 もしは人類にてもあれ、 も0534しは畜類にてもあれ、 たゝりをなしなやますことあれば、 これをなだめんがために神とあがめたるたぐひあり。
¬文集¼ (白氏文集意) のなかに一のためしあり。 「唐の江南といふところに黒潭といふふちあり。 みづのそこに竜ありといひて、 やしろをたてゝあがむ。 これによりて、 くにのうちにやまひあればこのたゝりといひ、 こほりのあひだにわろきことあればそのとがといひて、 としごとにこれをまつりけり。 まつるときにはゐのこをころしてそなへ、 さけをしたみてたむく。 そこにかみのすむらんをばしらず。 ひとの目にみゆるははやしのねずみ、 やまのきつねのみきたりて、 さけをのみゐのこをくらふ。 さればきつねなにのさひはひかはある、 ゐのこなにのつみかはある。 としどしにゐのこをころして、 きつねにかふことはなはだいはれなし。 竜ありといひてまつることしかるべからず」 と、 白楽天はおほきにそしれり。
しかれば、 仏法よりこれをいましむるのみにあらず、 世間にもかくのごときの邪神をたうとむは正義にあらずときこへたり。 世にあがむるかみのなかに、 このたぐひまたおほし。
たとひひとにたゝりをなすことなけれども、 わがおや・おほぢ等の先祖をばみなかみといはひて、 そのはかをやしろとさだむること、 またこれあり。 これらのたぐひはみな実社の神なり。 もとよりまよひの凡夫0535なれば、 内心に貪欲ふかきゆへに少分のものをもたむけねばたゝりをなす。 これを信ずればともに生死にめぐり、 これに帰すれば未来永劫まで悪道にしづむ。 これにつかへてなにの用かあらん。
されば ¬優婆夷経¼ には 「一瞻一礼諸神祇、 正受蛇身五百度、 現世福報更不来、 後生必堕三悪道」 といへり。 この文のこゝろは、 もろもろの神をひとたびもみ、 ひとたびも礼すれば、 まさしく蛇身をうくること五百度、 現世の福報はさらにきたらず、 後生にはかならず三悪道におつとなり。
しかのみならず善導和尚の ¬法事讃¼ (巻下) にくわしくこれを判ぜられたり。 「妄想求恩謂有福、 災障禍横転弥陀、 連年臥病於牀沈、 聾盲脚折手攣撅、 承事神明得此報、 如何不捨念弥陀」 といへり。 こゝろは、 凡夫のまよへるこゝろをもて神恩をもとめて、 福あらんとおもへば、 さひはひはきたらずしてわざわひはうたゝおほし。 としをつらねてやまひのゆかにふし、 みゝしゐめしゐ、 こしをれ、 手くじく。 神明にうけつかふるものこの報をうく。 いかんがすてゝ弥陀を念じたてまつらざらんとなり。
まことに現世の福報はきたらずして、 かえりて災難をあたえん。 実社のかみにつかへて一分もその要あるべからず。 ひとへに弥陀一仏に帰したてまつりて浄土をねがはゞ、 もろもろの神明は昼夜につきそひてまもりたま0536ふべきがゆへに、 もろもろの災禍ものぞこり、 一々のねがひもみつべきなり。 権社の神はよろこびて擁護したまふべし、 本地の悲願にかなふがゆへなり。 実社の神はおそれてなやまさず、 もろもろの悪鬼神をしてたよりをえしめざるがゆへなり。
諸神本懐集 本
永享十年 戊午 十月十五日書写之畢
大谷本願寺住持存如(花押)
0537諸神本懐集 末
【5】 第三に諸神の本懐をあかして仏道にいり、 念仏を勤修すべきおもむきをしらしむといふは、 一切の神明、 ほかには仏法に違するすがたをしめし、 内には仏道をすゝむるをもてこゝろざしとす。
これすなはち和光同塵の本意をたづぬるに、 しかしながら八相成道の来縁をむすばんがためなり。 このゆへに、 ふかく生死のけがれをいむは、 生死の輪廻をいとふいましめなり。 つねにあゆみをはこばしむるは、 勤行精進をすゝむるこゝろなり。 しかれば、 外には生死をいむをもてその儀とすれども、 内には生死をいとふをもて本懐とす。 うへには潔斎を精進とすれども、 したには仏法を行ずるをもて精進とす。
鼕々たるつゞみのひゞきは、 生死の夢をおどろかすたよりなり。 颯々たるすゞのこえは、 長夜のねぶりをさますなかだちたり。
おほよそ諸仏・菩薩の利生方便に二種の門あり。 一には折伏門、 二には摂受門なり。
摂受門といふは、 諸仏・菩薩の本地化導なり。 ひと利根にして因果にあきらかなるものには、 すぐに教法をもて済度したまふ。
折0538伏門といふは、 聖教にくらくして因果にまどへるひとのためには、 賞罰をあらはして縁をむすばしめたまふ。 後世をしらざるともがらには、 富貴をいのらしめんがためにあゆみをはこばせ、 因果をわきまへざるやからには、 そのたゝりをなして信心をとらしむ。 これすなはち頻繁・鼓笛のいさゝかなる縁をもて、 八相成道のおほきなるもとゐとせんとなり。 かるがゆへに、 今生の寿福をいのるは結縁のはじめなるべけれども、 本懐の至極にあらざれば神慮にかなひがたし。 後生菩提をねがふは利物のをはりなるべけれども、 ちりにまじはる本意なれば実のちかひにかなふべし。 和光のおこり他のことにあらず。 垂迹のこゝろざすところひとへにこれにあり。
さきのよのたねなきものはねがへどもかなはざれば、 いのらんによりて寿命・福禄をえんこともかたし。 たとひまたおもひのごとくかなひたりとも、 さかんなるものはかならずおとろふるならひなれば、 ひさしくたもちがたく、 ゆめまぼろしの世なれば、 いつまでかたのしまん。 はかなき世間にのみ著して後世をねがはずは、 神明かなしみをふくみたまはんこといくそばくぞや。 たゞ一向に念仏を修して菩提をもとめば、 あゆみをはこび、 ぬさをたむけずとも、 神明えみをふくみよろこびをなしたまふべし。
しかれば、 天平勝宝元0539年に八幡宮の御託宣にいはく、 「たとひ銅柱・鉄牀にはふすとも、 邪幣をばうくべからず、 汚穢不浄の身をばきらはず、 たゞ諂曲・不実のこゝろをいむ。 たとひ千日のしめをかくとも、 邪見のかどにはのぞむべからず。 たとひ重服なりといふとも、 慈悲の家にはなるべからず」 とのたまへり。 余社の神明、 またこれになぞらへてしりぬべし。
されば清浄の身なりといふとも、 そのこゝろ邪見ならば神はうけたまふべからず。 たとひ不浄のひとなりとも、 こゝろに慈悲あらばこれをまもりたまふべしとみへたり。 仏法を行ぜざれば、 すなはち邪見のきはまりなり。 悪をつくりて悪道にいり、 善を修して菩提をうといふことを信ぜざるがゆへなり。 念仏を信ずるは、 すなはち慈悲のこゝろなり。 わが往生をうるのみにあらず、 かへりて一切衆生をみちびきて、 苦をぬき楽をあたふべきがゆへなり。
されば仏道にいりて念仏を修せんひと、 もはら神慮にかなふべし。 神慮にかなふならば、 えんといのらずとも現世の冥加あり、 とりわきつかへずともその利生にはあづかるべし。 おほよそ神明は、 信心ありて浄土をねがふひとをよろこび、 道念ありて後世をもとむるものをまもりたまふなり。
かの新羅の明神ときこゆるは園城寺の鎮守なり。 万里の蒼海をしのぎて、 このてらの仏法を守護し0540たまふ。 しかるに鳥羽院の御宇、 保安三年閏五月三日、 延暦・園城のあらそひありて三井寺やけにけり。 これよりさきにも一条の院の御宇、 正暦四年八月廿四日、 このてらに炎上あり。 また白河の院の御宇、 永保元年六月九日、 山門よりやかれしかども、 そのときはひとおほく滅亡にをよばざりけるにや。 このたびはそのたゝかひ、 いたりて強盛なりしかば、 顕密の僧侶おほくいのちをうしない、 安置の仏経ことごとくほのほをまぬかれず。 聖跡まのあたりけぶりに化し、 霊場たちまちに血に変じき。 伽藍はいしずえのみのこりて、 しかしながら虎狼のすみかとなり、 ふるきあとはくさのみふかくして、 むなしく麋鹿のそのとなれり。 まことに目もあてられざりけるありさまなり。
そのころある寺法師のゆめにみるやう、 褐冠・しろばかまきたるひと、 伽藍のあとに徘徊す。 たれぞととへば、 こたへていふやう、 われはこれ新羅の大明神の眷属なり、 この寺を守護せんがために経廻するなりといひけり。 この僧ゆめのうちにあざけりていはく、 仏像・経巻・堂舎・僧房ことごとく*灰燼ととなりぬ。 无益の守護かなといひければ、 かのひとこたふるむねなくしてうせぬ。
そののち*直衣きたる老翁のまゆの毛ながくたれてくちまでにをよび、 かみ・ひげしろくして、 そのかたちつねに0541あらず。 あやしげなるひといできたりて僧につげていはく、 汝がいふところはなはだ子細をしらず。 われはるかに新羅の本国をすてゝこの寺にきたり住することは、 堂舎・僧房を守護せんとにはあらず。 たゞ出離生死のこゝろあらんものをまもらんがためなり。 しかるに、 このたびの炎上によりて法滅の菩提心をおこしたる僧徒あまたあり、 一定生死をはなれなんとす。 わがよろこびたゞこの一事なり。 このゆへに、 みづからもこれをまもり、 眷属をつかはしてもこのひとを守護するなり。 仏像・経巻・堂舎・僧房はいくたびもやくべし、 いくたびもつくるべし。 出離生死のこゝろあるものはまことにまれなりといひて、 かきけつやうにうせたまひけり。
かの炎上のとき、 菩提心をおこしたりけんひとは、 いづれの法をか行じけん。 おぼつかなしといへども、 諸教にほむるところおほく弥陀にあり、 さだめて西方をねがふともがらおほかりけん。 したがひて東山雲居寺の本願瞻西上人はそのとき発心のひとなり、 かれすでに但信念仏の行者なり。 かるがゆへに、 おほくは西方の行人かとおぼゆ。 さればかの明神の、 発心のものを守護したまひける本懐をおもふに、 いまの世にも出離のこゝろあらんひとは、 時機相応の法、 決定往生の行なるがゆへに、 ひとへに弥陀に帰してもはら名0542号をとなへば、 これすなはち発心のひとなり。 神明の御こゝろにかなひたてまつらんこと、 いづれのつとめかこれにまさらん。 よくよくこゝろをおもふべし。
就↠中に、 聖徳太子二十七歳の御とき、 黒駒に乗じて三日三夜のあひだに日本国を巡見したまひけるに、 熊野にまふでゝ一夜通夜したまひけるとき、 権現と太子とことばをまじへて、 たがひに種々のことゞもをかたりたまひけるなかに、 権現、 太子にむかひたてまつりてのたまひけるむねをつたへきくに、 ことに仏法に帰して後世をねがはゞ神の御こゝろにかなふべしとはしらるゝなり。
そのおもむきは、 われ四十八願荘厳の浄刹をいでゝ五濁爛漫穢悪の国土に現ずることは、 衆生に縁をむすびてつゐに西方の浄土に往生せしめんがためなり。 しかるに、 漫々たる西海にふなばたをたゝきてまふづるもの、 迢々たる東陸に馬にむちうちてきたるともがら、 あるひは子孫の繁昌をいのり、 あるひは現世の寿福をなげきてさらに菩提をねがはず、 出離をことゝせず。 たゞ世間のことをいとなみ、 いのり、 ひとへに一旦の名利に貪着す。 寿福は今生の祈請によらず、 たゞ過去の宿善にむくふ。
修因感果の道理必然にして、 神明・仏陀の冥助もかなひがたし。 たまたま万里の波涛をしのぎてはるかに参詣をしたし、 ひさしく数日の氷水をあみ0543て行歩につかれ、 をのをの法味をすゝむといへども、 衆生の内心と和光の本懐と、 みなことごとく相違のゆへに、 かの法施、 われさらに一分もうけず。 かるがゆへに、 三熱の苦をうけて本覚の理をわすれたり。 しかるにいま太子にあひたてまつりて无上の法味をあぢはひ、 最勝の法楽をうけて三熱の苦をたちまちにやみて、 身すゞしくこゝろあきらかなりとのたまひけるなり。
またおなじき権現、 堀川院の御宇、 寛治三年正月十五日に御託宣のむねありけるは、 「われ仏界をいでゝ娑婆にきたりしよりのち无量劫をへたり。 そのあひだ、 つねは大国にむまれてみな王身たりき。 いま難化のさかひをたづねて我朝にわたりしよりこのかた、 あとをたるゝことすでに三千五百余載にをよべり。 これすなはち本誓願を十方にひろめ、 一切衆生を仏道にいらしめんがためなり」 としめしたまひけり。
かれをきゝこれをおもふに、 生死をいとひて浄土をねがひ、 弥陀に帰して名号をとなへんひと、 垂迹の素意にもしたがひ、 本地の誓約にもかなふべしといふこと、 その道理はなはだあきらけし。
されば念仏の行者には、 諸天・善神かげのごとくにしたがひて、 よろこびまもりたまふといへるはこのゆへなり。 そもそも我朝の神明の本地をたづぬれば、 おほくは釈迦・弥陀・薬師・弥勒・観音0544・勢至・普賢・文殊・地蔵・龍樹等なり。 この諸仏・菩薩、 ことに弥陀を念ぜよとをしへ、 ひとへに西方の往生をすゝめたまふ。 垂迹の本意、 またひとしかるべければ、 いづれの神明かこれをそうきたまはんや。
まづ釈迦如来は、 娑婆の教主、 衆生の慈父なり。 総じては一代の諸教にもはら弥陀を念じて西方にゆけとすゝめ、 別しては三部の妙典にたゞ名号をとなへて往生をとげよとをしへたまへり。 ¬大経¼ には弥陀の利生をもて真実の利ととき、 ¬観経¼ には名号の一門をえらびて阿難に付属し、 ¬小経¼ には凡地の本行なるがゆへに一切世間のためにこの法をとくとみえたり。 弥陀の教門をもて釈尊の本懐とす。 釈尊に帰せんとおもはゞ弥陀をたのみてまつるべきなり。
阿弥陀如来は、 帰するところの教主なれば、 中々まふすにをよばず、 弥陀の垂迹にてましまさん神明、 本地を信ぜんにその御こゝろにかなはんこと勿論なるべし。
薬師如来は、 東方浄瑠璃世界の教主なり。 西方極楽に生ぜんとおもはんもの、 そのこゝろいまださだまらざらんに、 薬師をたのみたてまつらば、 いのちをはらんとき、 八菩薩をつかはしそのみちをしめして、 西方の浄土にをくらんとちかひたまへり。 されば、 まことの信心をえてすぐに極楽にむまれんひとは、 八菩薩のみちしるべにもをよぶまじけ0545れば、 薬師如来もさだめてこゝろやすくおぼしめすべし。 薬師のちかひをきかんにつけても、 いよいよ弥陀を念ずべきなり。
弥勒は、 当来の導師、 補処の菩薩なり。 胎生・化生のありさまを釈尊にとひたてまつりては、 念仏・諸行の得失をさだめ、 仏智无上の一念をきゝては、 遐代流通の付属をうく。 釈迦一代の教にもはら弥陀をほめたまへり。 弥勒成道のとき、 また西方をすゝめたまふべし。 諸仏道同の化儀、 さらにかはるべからざるがゆへなり。
観音・勢至は、 弥陀如来悲智の二門なり。 弥陀の慈悲を観音となづく、 弥陀の智慧を勢至と号す。 されば ¬観経¼ には 「この二菩薩は阿弥陀仏をたすけてあまねく一切を化す」 といへり。 また 「念仏の行者には観音・勢至つねにその勝友となりたまふ」 (観経意) ともとけり。 弥陀を念ぜんひと、 もとも二菩薩の本誓にかなふべきなり。
普賢菩薩は、 これまた弥陀をほめたまへり。 「ねがはくは、 われいのちをわらんとき、 もろもろのつみをのぞき弥陀如来をみたてまつりて、 安楽国に往生せん」 (般若益華厳経巻四〇行願品意) とちかひたまへり。 等覚无垢の大士、 なをみづからのために安楽の往生をねがひたまふ、 いはんや凡夫の往生をもとめん。 もともかの本意にかなふべし。 これによりて、 大行禅師に対しては、 まさしく弥陀の名号をすゝめたまへり。 なんぞか0546のをしへを信ぜざらんや。
文殊は、 極楽の一聖として如来の化儀をたすけ、 ¬弥陀経¼ の同聞衆につらなりては一会の上首たり。 就中に法照禅師、 清涼山の大聖竹林寺にまふでゝ、 未来の衆生はいづれの行によりてか生死をはなるべきとまふされければ、 弥陀の名号をとなへてやむことなかれとこたえたまひけり。 一心に帰依せんひと、 もはらかのをしへにかなふべきものなり。
地蔵菩薩は、 地蔵・法蔵同体異名なり。 地蔵と弥陀と、 もとより同体なるがゆへに、 弥陀の名号をとなへば、 かの御こゝろにかなはんことうたがひなし。
龍樹菩薩は、 往生の授記をかうぶりて、 われもねがひひとをもをしへたまふ。 総じて ¬智度論¼・¬十住毘婆娑論¼ 等のなかに処々に西方をすすめ、 ことに ¬十二礼¼ をつくりてひとへに弥陀を頂礼したまふ。 これによりて、 浄土の高祖につらなり、 念仏の祖師とあがめられたまへり。 いまはまたひさしく極楽の聖衆なり。 弥陀を念ぜば随喜さだめてはなはだしかるべし。
このほかの仏・菩薩、 いづれか弥陀をそむきたるや、 西方をすゝめざる。 いかにいはんや、 ¬般舟経¼ (一巻本勧助品意) には 「三世の諸仏みな念弥陀三昧によりて正覚をなる」 とときたれば、 弥陀は諸仏の本師なりとみへたり。 本師を念じたてまつらば諸仏の御こゝろにかなふべし。
また ¬楞伽経¼ (魏訳0547巻九総品意 唐訳巻六偈頌品意) には 「十方の国土のあらゆる仏・菩薩はみな无量壽の極楽界よりいでたり」 とゝけり。 これは諸仏みな弥陀の分身なりときこへたり。 しかれば、 本仏の弥陀に帰せんひと、 分身の諸仏に帰することはり、 いはざるに顕然なり。
このゆへに、 垂迹の御こゝろにかなはんとおもはゞ本地の仏・菩薩を信ずべし。 本地の仏・菩薩の御こゝろにかなはんとおもはゞ本仏の弥陀に帰したてまつるべし。 弥陀に帰すれば三世の諸仏もよろこびをなしてこれをまもり、 十方の菩薩もえみをふくみてつねにたちそひたまふ。 本地の諸仏・菩薩、 擁護したまへば、 垂迹の諸仏、 また納受をたれたまふなり。
このゆへに、 処々の神明等、 念仏のひとを護念し念仏のひとを愛楽したまふこと、 そのためしおほくきこゆ。
八幡大菩薩御託宣の文にいはく、 「我昔出家名法蔵、 即成報身住浄土、 今来娑婆世界中、 即為護念念仏人」 といへり。 文のこゝろは、 われむかし出家のときは法蔵となづけき。 すなはち報身となりて浄土に住す。 いま娑婆世界のうちにきたることは、 すなはち念仏のひとを護念せんがためなりと。 ことに和光垂迹の本意、 念仏の行者を擁護したまふべきこと、 聖教のこゝろに符合せり。
されば賀茂の大明神は、 神祇の伯顕重の王の母儀に勅して念仏の法味をあぢはひ、 聖真子の宮は、 当0548社の不断念仏をよみして一首の和歌をしめしたまひけり。 かの御うたにいはく、 「ちはやぶるたまのすだれをまきあげて 念仏のこえをきくぞうれしき」 (玉葉集)。 当宮はまさしく弥陀の垂迹にてましませば、 名号の功徳を愛楽したまへること、 まことにいはれあることなり。
しかのみならず、 良忍聖人のすゝめられし融通念仏には、 鞍馬寺の毘沙門みづから名帳をかきて念仏を修し、 梵天・帝釈よりはじめて日本国中の一切の神祇・冥道、 ことごとくその念仏をうけき。 現証これあらたなるものなり。
就中に念仏を行ずるひとは、 日月・星辰のめぐみにもあづかるべし。 そのゆへは、 道綽禅師の ¬安楽集¼ (巻下) に ¬須弥四域経¼ をひきていはく、 「天地はじめてひらけしとき、 いまだ日月・星辰ましまさず。 たとひ天人来下することあれども、 項のひかりをもて照用す。 そのときに人民おほく苦悩を生ず。
こゝに阿弥陀仏、 二菩薩をつかはす。 一をば宝応声菩薩となづく、 二をば宝吉祥菩薩となづく。 すなはち伏羲・女媧これなり。 この二菩薩ともにあひはかりて第七の梵天にむかひ、 その七宝をとりてこの界に来至し、 日月・星辰二十八宿をつくりて、 天下をてらし春秋冬夏をさだむ。
ときにふたりの菩薩あひかたりていはく、 日月・星辰二十八宿の西へゆくゆへは、 一切の諸天人民こと0549ごとくともに阿弥陀仏を稽首したてまつるなり。 こゝをもて日月・星辰みなことごとくこゝろをかたぶけてかしこにむかふ。 ゆへに、 にしにながるゝなり」 といへり。
このなかに 「宝応声菩薩」 といふは観音すなはち日天子、 「宝吉祥菩薩」 といふは勢至すなはち月天子なり。 またもろもろの星宿は虚空蔵菩薩なり、 これまた浄土の二十五の菩薩のひとりなり。 弥陀を念ぜば三光天子の加護にあづからんこと、 うたがふべからず。
いかにいはんや、 人間にをいて現証あらたなること、 日月・星辰にすぎたるはなし。 いまこの界にむまれて黒白をわきまふることは、 しかしながら日月の恩なり。 かれすでに観音・勢至の化現なれば、 弥陀如来分身の智恵にあらずといふことなし。 このゆへに、 念仏を行ずるひとは、 別していのらざれどもかならず日月のめぐみにあづかる。 ゆへに、 今生には福楽をえ、 後生には浄土に生ず。 念仏を信ぜざるひとは、 別していのれどもつゐに日月のめぐみをかうぶらず。 かるがゆへに、 現世には冥加なく後生には悪道におもむく。
しかれば、 神明・権現の利益にあづかり、 日月・星辰の擁護をかうぶらんとおもはゞ、 垂迹の利生にとゞまらずして本地の素意をあふぐべし。 本地をあふぐとならば、 たゞもはら弥陀に帰したてまつるべし。 弥陀を念じたてまつ0550れば、 をのづから十方三世の諸仏・菩薩、 乃至一切の神祇・冥道、 日月・星辰を念ずることはりあり。 さればかへすがへすも神明の本意をたづぬれば、 まよひの衆生に縁をむすびてやうやく仏法に帰せしめて、 つゐに西方の浄土にをくりとづけんとなり。 釈迦・弥陀二尊よりはじめて十方一切の諸仏・菩薩、 こころをひとつにし、 はかりごとをめぐらしてかたがたにひかりをやはらげ、 ところどころにあとをたれて衆生を利益したまふなり。
されば一切衆生のひとりなりとも娑婆にあらんかぎりは、 われもとの浄土えかへらじ。 衆生ことごとく仏道にいりなんのち、 われも本覚にかへらんとちかひたまへり。 こゝにしりぬ、 あゆみをはこばず別してつかへずとも、 浄土をねがひ弥陀を念ぜば、 大明神のためには忠あるひとなり。 衆生、 菩提にをもむかば、 神もかへりて不退のたのしみをえたまふべきゆへなり。 たとひこゝろざしをぬきいで社檀にまふづとも、 後世をしらず弥陀を念ぜざらんひとは、 大明神のためあだとなるひとなり。 衆生、 生死をはなれずは、 かみもひさしく娑婆にとゞまりて三熱の苦をうけたまふべきがゆへなり。
しかるにとき末法にいたり、 衆生、 邪見にして悪を修するものは十方の大地よりもおほく、 善を修するものはつめのうへのつちよりもすくなし。 たま0551たま仏道をもとむるひとも、 たゞ諸善の利益にこゝろをそめて、 まことに弥陀の利生をばあふがざるゆへに、 機と教と相違して、 まことに生死をいづるひとはまれなるべし。 このゆへに、 応化の神明等も済度のむねをこがし、 利生のたもとをしぼりたまふものなり。
諸行をさしをきて念仏に帰するは、 難行道をすてゝ易行道にうつるなり。 末代相応の法なるによりて決定往生の益をうべきがゆへなり。 垂迹にとゞまらずして本地をあふぐは、 神明の本懐をたづね権現の本意を信ずるなり。 神明のまことの御こゝろは垂迹をあがめられんとにはあらず、 衆生をして仏道にいれしめんとおぼしめすがゆへなり。
本地の仏・菩薩はことごとく弥陀一仏の智恵なれば、 弥陀の名号を称するに十方三世の諸仏をのづから念ぜられたまふ。 諸仏・菩薩、 念ぜらるゝいはれあれば、 その垂迹たる諸神、 みなまた信ぜらるゝこと、 その理必然なり。 されば念仏の行者には諸天・善神かげのごとくにしたがひてこれをまもりたまふゆへに、 一切の災障自然に消滅し、 もろもろの福祐もとめざるにをのづからきたる。 現世安穏にして、 後生にはかならず浄土にいたり、 長時永劫に无為の法楽をうく。 究竟してかならず菩提をうるなり。
まことにこれ无明のくさりをきる利剣、 煩悩のやまひを治する良薬0552なり。 釈尊はこれがためにことばをはきて讃嘆し、 諸仏はこのゆへにしたをのべて証誠したまへり。 仏陀の擁護にあづかり、 神明の御こゝろにかなはんとおもはんにも、 たゞねんごろに後生菩提をねがひて、 一向に弥陀の名号を称すべきものなり。
諸神本懐集 末
*永享十年 戊午 十月廿五日書写之畢
大谷本願寺住持存如(花押)
底本は真宗大谷派蔵永享十年存如上人書写本。
和光同塵 ヒカリヲヤハラゲテチリニマジハル(左訓)
結縁 エムヲムスブ(左訓)
八相成道 ツヰニシヤウガクヲナルハシユジヤウヲリヤクスルヲハリトイフコヽロナリ(左訓)
可度 ワタスベキ(左訓)
叢祠 ヤシロナリ(左訓)
苗裔 オンスヘトイフナリ(左訓)
灰燼 ハイ モヘクイ(左訓)
直衣 ナヲシ(左訓)