茶摘み (5月11日)
例年より多少遅れて、今年も茶摘みが始まりました。
私は摘むのは手伝わず、力仕事の茶揉みだけ手を添えるのですが、新茶の間は揉むのも楽です。そうは言っても冬の間からだを使わずなまっているので、力のかかる手首が痛くなってしまいました。
最初しばらくはつらいものの、毎日続くと次第にからだが慣れてきます。こうやって季節が始まり、その年単位の反復の中で少しずつ老いていく。元気だった母も、これまでと比べれば1日で摘むお茶の量が少なくなりました。
母が摘まなくなると、お茶が飲めなくなるかな。それともその頃には私が摘むようになっているでしょうか。私の子供たちは茶摘みをするかしら……
ずっと昔から、何代にもわたって摘んできたお茶です。世代単位の繰り返しの中に、静かに相続している大きないのちを思います。
テッセン (5月16日)
テッセンが一斉に開きました。
振り返ってみると、2年前にもちょうど同じ日に、テッセンのことを書いています。今年は春になってから気温が上らず、こぶしの花やウグイスは例年よりもかなり遅かったのですが、変わらないものもある。
ただ、ここのところ雨がないせいか、みずみずしく爽やかなスパッとした花ではなくて、心なし輪郭のぼやけただらしない風情です。
毎日の、毎年の繰り返しの中で、変わるもの変わらないもの。花は同じ花なのか、見る私は同じ私なのか。
「変わらぬ」とは、変化の相において一貫したものを指すのでしょう。とすれば、変わっていないのは凡夫のままの私の姿と、如来のお慈悲なのでした。
新芽 (5月20日)
先日の雨で、スギゴケがいっさんに青くなりました。
去年きちんと手入れをしたところは、正直に勢いを取り戻しています。親の下に、かわいくみずみずしい新芽がたくさん、親をしのぐ勢いで生えているのを見ると、素朴に嬉しくなります。
私たちも、毎日の日暮しの下に、日々新しい報恩の新芽を生やしたいものです。
三年 (5月24日)
三分間幸福になりたいならば、タバコを喫うがよい。
三時間幸福になりたいならば、酒を飲むがよい。
三日間幸福でいたいならば、旅に出るがよい。
三週間幸福でいたいならば、結婚するとよい。
三月以上幸福でい続けようと思うと、途方に暮れる。
三年以上幸福でい続けたいならば、死の問題を解決せねばならぬ。
智慧 (5月27日)
いつも楽しく生きる秘訣があります。
あきらめないこと。
無理にわかろうとしないこと。
自分にできることをやり続けていくこと。
一言で言うならば、これが他力の智慧です。