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▼抑大津・山科両所人々為体を見及ぶに、 更に親鸞聖人の勧給ふ正義にしみじみと決定したる分もなしとおもへり。 然者愚老此間、 連日之病悩におかされて、 誠に此まゝ往生之出立にても有やらんと覚ゆる間、 心底におもふ趣苦痛の内につくづく人之心中をはかり案ずるに、 うるはしく今度の往生極楽をとげしめん為の他力の大信心を弥陀より発起せしめられたる、 其うれしさありがたさを不可思議に心におもひ入れたるすがたは、 且以みえずと覚へたり。 そのゆへはいかんといふに、 弥陀如来の御恩徳のきはめてふかき事をも更に心にもかけずして、 たゞ古へより今日に至るまでも我身ひとり信心のとをりよく覚悟せりと思ふばかりの風情なり。 今の分の心得にては我身の安心の方もいまだ不定なりと思ひやられたり。 其信心を決定せずとおぼへたる其証拠に、 一遍の称名も心にはうかまず、 又父母二親の日にあたらば、 親と云者あればこそかゝる殊勝の本願をばきゝ侍べりと思はゞ、 などか其恩のあさからぬ事をもおもひて、 などかとぶらふ事もあるべきに、 其心すくなきがゆへに、 まして仏恩報尽之思も更になし。 このゆへに口に称名をとなふる事もなし。 又徒にあかしくらせども、 一巻の聖教を手にとり一首の和讃をもそらによみおぼへて、 朝夕の勤行に助音せんともおもはず、 たゞ人まねばかりにうなりゐたる体なり0389。 又我身をすくひ給へるいはれをときあらはせる 「浄土三部経」 なれども、 これを堪能の機は訓ごゑにもせめてよむべき道理とも思はず。 あまさへ古は仏前に 「三部経」 をおく人をさへ雑行之人なりといひ侍べりき。 今も期機類相のこる歟と思ふなり。 あさましあさまし。 又 「和讃正信偈」 ばかりを本として 「三部経」 をば本とおもはず、 たまたまも志ありてよむ人をばあながちに偏執せり。 言語道断の次第、 本拠をしらぬ人のいへることばなり。 たとひ我身文盲にしてこれをよまずとも、 忝我等が浄土に往生すべきいはれをばこの経にときあらはし給へりと思ひて信ずべきに、 つねの人の覚悟には 「三部経」 と云事をもしらずとも、 たゞふかく聖人の仰せを信ずるこそ肝要よ、 あらむつかしの 「三部経」 の文字沙汰やといへり。 これ又大なる本説しらぬゑせ人のいへることば也。 くれぐれ信ずべからず。 又 「正信偈和讃」 をもては朝夕之道俗男女、 仏恩報尽之勤行にこれを修すべきこそ肝要とはいへることばなり。 総じて当流聖人の一義をたてんにつきて、 「和讃正信偈」 ばかりをもて一流之肝要といへる名言、 返々しかるべからざることばなり。 依之当流之信心を決定せん人は、 相構相構、 仏恩之ふかき事をつねにおもひて称名すべし。 されば善導和尚所々の解釈にも、 ただ仏恩のいたりてふかき事をのみ釈し給へり。 ことに聖人も ¬教行信証¼ 六巻をつくりて、 三国の祖師・先徳相承して浄土の教をおしへ給ふ恩徳のふかき事をひきのせて、
弥陀大悲の誓願を 深く信ぜん人はみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏を唱べし
といへり。 此文の意は、 人つねに沙汰せしむる文なれども、 更にこゝろそれにならざる間、 総じて弥陀如来の他力本願の一すぢに殊勝なるありがたさをも別しておもはず、 又信心のしかとさだまりたる分もなきとみえたる間だ、 一遍の称名をおもひいだす事もなし。 更以此等の人之風情は聖人之御意にそむけり、 当流之正義にあらず。 已前いふところのおもむきを今日より廻心改悔之心ろなくは、 誠以無宿善の機たるべきがゆへに、 このたびの報土往生は大略不定なりとこゝろうべきものなり。
文明十二年八月廿七日