(110)

当流門人之中可存知次第

一 一切之神明仏・菩薩誤不可軽之事。
一 外以王法為先之以仏法可為内之事。
一 於大小乗之諸法不可誹謗之事。
一 在国所可専守護・地頭事。
一 令信心決定人対他人其法儀之姿不可顕事。

右以此等之趣、 当宗念仏者可存知之。 是故聖人之 ¬教0374行証¼ 序云、 「愚禿釈親鸞、 慶哉、 西蕃・月氏の聖典、 東夏・日域の師釈、 まふあひがたくしていままふあふことをえたり、 聞がたくしてすでに聞ことをえたり。 真宗の教行証を敬信して、 殊如来の恩徳のふかきことをしりぬ。 是以聞ところをよろこび、 うるところを嘆ずるなり」 といへり。 かくのごとくあひがたき無上大利の名願力に帰する身の上に於て、 弥々仏法気色の振舞こそ、 まことに祖師之御遺訓にも相背ぬべき者也。

[文明十年 戊戌 二月四日]