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*文明七歳きのとのひつじ八月下旬之比、 豫生年六十一にして、 越前の国坂北の郡細呂宜郷内吉久名之内吉崎之弊坊を、 俄に便船之次を悦て、 海路はるかに順風をまねき、 一日がけにと志して若狭之小浜に船をよせ、 丹波づたひに摂津国をとをり、 此当国当所出口の草坊にこえ、 一月二月、 一年半年と過行ほどに、 いつとなく三年世の春秋を送し事は、 昨日今日のごとし。

-此方において居住せしむる不思議なりし宿縁あさからざる子細なり。 しかるに此三ヶ年之内をば何としてすぎぬるらんと覚侍りしなり。

-さるほどに京都には大内在国によりて、 同土岐太夫なんども在国せる間、 都は一円に公方がたになりぬれば、 今の如くは天下泰平と申すなり。 命だにあればかかる不思議の時分にもあひ侍べり、 目出0371といふもなをかぎりあり。

-而間愚老年齢つもりて六十三歳となれり。 於于今余命不↠幾いくばくならざる身なり。 あはれ人間は思様にもあるならば、 いそぎ安養の往詣をとげ、 速に法性の常楽をもさとらばやと思へども、 それも叶ざる世界なり。

-然ども一念歓喜の信心を仏力よりもよほさるゝ身になれば、 平生業成の大利をうるうへには、 仏恩報尽のつとめをたしなむ時は、 又人間の営耀ものぞまれず、 山林の閑窓もねがはれず、 あらありがたの他力本願や、 あらありがたの弥陀の御恩やとおもふばかりなり。

-このゆへに願力によせてかやうにつゞけゝり。

六十あまり おくりし年の つもりにや 弥陀の御法に あふぞうれしき

あけくれは 信心ひとつに なぐさみて ほとけの恩を ふかくおもへば

-と口ずさみしなかにも、 又善導の釈に、 「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」 (礼讃) の文の意を静に案ずれば、 いよいよありがたくこそ覚侍れ。

-又或時は念仏往生は宿善の機によるといへるは、 当流の一義にかぎるいはれなれば、 我等すでに无上の本願にあひぬる身かともおもへば、 「遇獲信心遠慶宿縁」 (文類聚鈔) と上人の仰にのたまへば、 まことに心肝に銘じ、 いとたふとくも又おぼつかなくも思侍べり。

-とにもかくにも自力の執情によらず、 たゞ仏力の所成なりとしらるゝなり。 若このたび宿善開発の機にあらずは、 いたづらに本願にあはざらん事のかなしさをおもへば、 誠に宝の山に入てむなしくかへらんににたるべし。 されば心あらん人々はよくよくこれをおもふべし。

-さるほど0372に今年もはや十二月廿八日になりぬれば、 又あくる春にもあひなまし。 あだなる人間なれば、 あるかと思ふもなしとおもふもさだめなし。 されども又あらたまる春にもあはん事は、 誠に目出もおもひ侍べるものなり。

いつまでと をくる月日の たちゆけば いく春やへし 冬のゆふぐれ

-と如此文体之おかしきをかへりみず、 寒天間炉辺にありて、 徒然のあまり老眼をのごひ翰墨にまかせ書之者也。 穴賢、 穴賢。

于時文明第九 丁酉 極月廿九日

愚老六十三歳