本鈔は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 題号に記される 「法語」 とは、 法門上の要義を平易な表現で叙述したものをいう。 本書は、 仮名交じりの文体で記されることから ¬仮名法語¼ とも呼ばれるが、 本書の題号は古来より一定ではなかったようである。 すなわち、 ¬浄典目録¼ や恵空の ¬仮名聖教目録¼、 岐阜県歓喜寺蔵室町時代書写本には 「法語」 とのみ記されている。 また、 和歌山県真光寺蔵本、 滋賀県慈敬寺蔵本、 岐阜県専精寺蔵室町時代書写本などは無題であり、 さらに真宗法要所収本と真宗仮名聖教所収本には 「存覚法語」 と記されている。 ただし ¬真宗仮名聖教¼ の底本には題号が無かったことが、 その校異から知られる。 よって、 本書に 「存覚法語」 との題号が付されたのは後世であろうと考えられている。
本書の内容は、 まず ¬教行信証¼ 総序の冒頭に示される 「難思弘誓」 等の句を釈して浄土真宗の立場を示し、 続いて末世相応の法は阿弥陀如来の本願による以外にないことを明かし、 最後に女人の救済について述べている。
はじめに、 浄土真宗の教義の大綱について説示する。 まず ¬教行信証¼ 総序の 「難思の弘誓は難度海を度する大船、 无の光明は无明の闇を破する慧日なり」 との文を引き、 この文に 「弥陀不共の利生」 と 「凡夫出離の用心」 とが十分にあらわれていると述べている。 つまり阿弥陀如来独自の衆生救済があらわれており、 迷いの世界を離れる心得を端的に表したものがこの一句であるとする。 そして、 「難思の弘誓」、 「難度海」、 「无の光明」、 「无明の闇を破する慧日」 の四つに分けて詳釈している。 それぞれの文に諸経論を引用しながら、 阿弥陀如来の本願は衆生の思慮の及ばない所以 (難思)、 転迷開悟がいかに困難であるか (難度海)、 阿弥陀如来の無礙自在なる救済 (无)、 阿弥陀如来の光明が衆生の無明の闇を破する (慧日) 旨を明かしている。
次に、 「そもそも弥陀如来の、 深重の本願ををこし殊妙の国土をまうけたまへるは、 衆生をして三輪をはなれしめんがためなり」 と、 阿弥陀如来が本願を発し浄土を建立されたのは、 一切衆生を無常輪・不浄輪・苦輪の三輪から離脱させるためであるという趣旨を述べ、 その三輪について諸経論を引いて詳細に説示している。 そして阿弥陀如来の発願の真意は、 この三輪を離れて常住の寿命・清浄の体・熙怡快楽の益を得させることであり、 三輪を厭離する唯一の道は阿弥陀如来の本願による以外にないという旨を明かされ、 「総じて三輪をはなるることは如来の荘厳清浄功徳成就のゆへなり」 と結んでいる。 因みに、 無常輪を述べる中で、 後鳥羽上皇の ¬無常講式¼ と貞慶の ¬愚迷発心集¼ の文とを引用しているが、 この部分は後の本願寺第八代宗主蓮如上人の白骨の 「御文章」 の内容に大きな影響を及ぼしている。
最後に、 「なかんづくに、 女人の出離はことにこの教の肝心なり」 と女人の救済について述べている。 すなわち第十八願に 「十方衆生」 と一切衆生の救済を誓いながらも、 さらに別に第三十五願を立てて女人の往生を誓われた所以を示している。 その例として ¬観経¼ で説かれる韋提希夫人と侍女をとりあげ、 正治二 (1200) 年羅城門より農夫によって掘り出された石碑に刻まれた文字に関する源空 (法然) 上人の逸話も示されている。
本書は、 真光寺蔵本の奥書に 「右就↢浄教大綱↡書↢与法語一句↡/哉之由依↠得↢契縁禅尼之請↡書/↠之本来無智之上近会廃学/之間屢雖↠令↢固辞↡偏難↠避↢/懇望↡之故也不↠及↢深思↡不↠能↢/再案↡只任↠浮↠心即記苟以↠遂↠志/為↠詮叵↠謂↢肝要之文言↡亦恥↢/臂折之書役↡堅可↠禁↢外見↡/旁為↠顧↢後謗↡而已/文和五歳丙申三月四日/釈存覚六十七歳」 とあり、 文和五 (1356) 年三月四日、 存覚上人六十七歳の時に契縁禅尼の所望によって撰述されたことが知られる。
この契縁禅尼なる人物については諸説あり、 存覚上人の妻とする説、 或いは出雲路乗専の母又は妻とする説がある。 存覚上人の妻とする説は、 ¬真宗法要典拠¼ に「蓋是存覚上人室家契縁ノ字思而可知 ˆ敬重絵六十二½ 年比同宿ノ禅尼 同六十四½ 偕老ノ禅尼コレラ皆覚宗主ノ室ヲサス今ノ称亦其例ナリ……」 (「敬重絵」 は 「慕帰絵」 の誤記) とあり、 この文言より類推して 「契縁の禅尼」 を存覚上人の妻とする説である。 すなわち、 ¬慕帰絵¼ には 「同宿の禅尼」 「契老の禅尼」 との名があるが、 これらは共に覚如上人の妻である善照禅尼を指す。 このように 「禅尼」 を 「妻」 と解釈して比類すると、 「契縁の禅尼」 は存覚上人の妻と考えられるとするものである。 ただし、 先の奥書にある 「本来無智之上近会廃学/之間屢雖令固辞偏難避/懇望之故也」 との文から考えると存覚上人の 「妻」 とするには定め難いとの指摘もある。 出雲路乗専の母とする説は、 ¬浄典目録¼ に 「法語一巻 是は出雲路契縁禅尼の所望云々」 とある 「出雲路」 の記述から推して乗専の母であるとする。 また、 乗専の妻とする説は、 先の存覚上人の妻とする説の 「禅尼」 の解釈に準じたものとされる。 このように契縁禅尼の人物像を巡っては諸説あるがいずれとも定かでない。