底本は高田派専修寺に蔵せられ、 奥書等は存在しないが、 筆跡から真仏上人の書写とされる。 表紙は江戸時代のものであり、 旧表紙は本紙共紙で、 中央には本文と同筆で 「善導和尚言」 との外題がある。 また、 旧表紙には 「墨付六枚 寛文四年/辰六月十八日に改る」 及び 「親鸞/御筆」 との貼紙がある。 本文には分別書方により朱筆の区切り点が全体に施されており、 第一丁の引用文には朱筆で右訓が付されている。 本文は全体として真仏上人の筆と見られるが、 朱筆に関しては本文と筆致が異なるとの指摘もある。 体裁は半葉五行から六行、 一行十三字内外である。
本書の内容は、 善導大師の ¬観念法門¼ 「護念増上縁」 の一節である 「但有専念…雑業行者」 の文と、 顕智上人書写本 ¬浄土和讃¼ より和讃二首とを註釈したものである。 まず ¬観念法門¼ の文は ¬観経¼ 第九真身観における摂取不捨の釈文である。 この文については本典の 「信巻」 真仏弟子釈にも引用され、 また ¬一念多念文意¼ 及び ¬尊号真像銘文¼ において註釈が施されている。 しかし、 それらに比べると本書における註釈は非常に簡潔なものであり、 このことから、 本書はそれらに先んじて成立したとする指摘もある。
次に和讃二首については、 宗祖が自らの和讃についてこのような形態で註釈を施されたものは他に例がない。 とりわけ一首目については本書を除けば顕智上人書写本 ¬浄土和讃¼ にのみ収められるものであり、 そのような和讃に対する註釈がみられることはさらに本書を貴重たらしめているといえる。 二首目のものは龍樹菩薩の ¬十二礼¼ に典拠を持つ和讃であるが、 顕智上人書写本 ¬浄土和讃¼ の他に、 国宝本 ¬正像末和讃¼ 及び文明本 ¬浄土和讃¼ に収められており、 一句目の 「南无阿弥陀仏トヽナフルニ」 については、 顕智上人書写本では 「南无阿弥陀仏トヽナフレバ」、 文明本では 「南无阿弥陀仏ヲトケルニハ」 と文言に異同が認められる。
以上のように本書は ¬観念法門¼ の文と二首の和讃との註釈であるが、 それらは直接関連を持たず、 また外題に 「善導和尚言」 とあることから、 底本は別々であったものを真仏上人が書写の過程でまとめられたとも考えられる。
また、 本書はかつて宗祖真筆とされていたことから、 第五丁末尾の名号は宗祖真筆として切り取られ、 その左傍に高田派第十七代円猷上人による 「右此奥六字名号に取る 享保十九 甲寅 天/十月十三日」 との墨書が残されている。 切り取られた名号は別表具され、 江戸期には影印も流布している。