1020◎▲光明寺善導和尚言
◎「▲但有専念阿弥陀仏衆生、 彼仏心光、 常照是人、 摂護不捨、 総不論照摂餘雑業行者」 (観念法門) といふ。 この文のこゝろは、 ひとすぢに阿弥陀仏をとなふる人は、 かの仏の御こゝろのうちに、 ところをきらはず、 ときをへだてず、 つねにてらし、 おさめ、 まもりて、 すてたまはず、 雑行雑修のものおば、 てらし、 おさめ、 まもりたまはずとなり。
「弥陀の誓セイ反のゆへなれば 不可称不可説不可思議の
功徳はわきてしらねども 信ずるわがみにみちみてり」
「不可称」 とまふすことは、 ことばにあらはしがたきことなり。
「不可説」 とまふすは、 弥陀の功徳をときあらはしがたしとまふすことばなり。
「不可思議」 とまふすは、 仏の御ちかひ、 大慈大悲のふかきことを、 こゝろのおよばずとまふすことばなり。 こゝろおよばずといふことは、 凡夫のこゝろおよばずとまふすことにはあらず、 弥勒菩薩のおむこゝろおよばずとなり。 仏、 仏とのみぞ1021しろしめすべきなり、 それをふかしぎとはまふすなり。
「▲南无阿弥陀仏ととなふるに 衆善海水のごとくなり
かの清浄の善みにえたり ひとしく衆生に廻向せむ」
「衆善海水のごとし」 とまふすは、 弥陀の御名のなかには、 よろづの功徳善根をあつめ、 おさめたまえることを、 衆善とはまふすなり。 「海水」 といふは、 うみのみづのごとく、 ひろく、 おほきにたとへたまへるなり。 「清浄の善にみえたり」 といふは、 弥陀の御名をとなふれば、 かのめでたき区族善根をわがみにたまはるなり。 このくどくをよろづの衆生にあたえて、 おなじこゝろに極楽へまいらむとねがはせむとなり。
南无阿弥陀仏
底本は高田派専修寺蔵真仏上人書写本。