蓮如上人和歌集成 解説
 蓮如上人の和歌はおよそ三百首ほどが現存している。 その内容は 「信心」 「名号」 といった真宗教義の要を示したものから、 紀州紀行や有馬紀行等の 「御文章」 に添えられたものまで多岐にわたっている。 また、 四季の移ろいを詠んだ四季歌や、 年齢を重ねてゆく我が身とその心情について詠んだ述懐歌が多いことも蓮如上人の和歌の特徴である。 一般に仏教に関連する歌は釈教歌と称されるが、 蓮如上人の四季歌や述懐歌も仏教の無常観や自らの法悦に基づいて詠まれたものが多く、 全体として真宗の教えやその味わいを詠じた釈教歌の傾向を持つものといえる。 また、 蓮如上人は 「御文章」 の中に多くの和歌を記していることから、 親鸞聖人における 「和讃」 と同様に、 和歌を伝道面においても重要視していたことが窺われる。 さらに、 ¬蓮如上人御一代聞書¼ 第244条には 「同御病中に仰られ候。 今我いふことは金言なり。 かまへてかまへて、 能意得よと仰られ候。 又御詠歌の事、 三十一字につゞくることにてこそあれ。 是は法門にてあるぞと仰られ候と 云云」 とあり、 自らの和歌を法門であると述べている。 実際に蓮如上人の和歌には、 名号の脇に記されているものも多くあることから、 蓮如上人において和歌が非常に重要な位置づけにあったことが窺われる。 また、 自筆の和歌には本文の訂記がしばしば見受けられ、 和歌の内容について推敲を重ねられたことがわかる。
 蓮如上人と和歌との関係については、 そもそも第三代覚如上人が自らの詠じた和歌十首を収めた ¬閑窓集¼ を正和四 (1315) 年に制作したことが ¬慕帰絵詞¼ に見え、 宗主として多くの和歌を残した前例となっている。 あるいは、 蓮如上人は歌人として知られた広橋兼郷の猶子となっていたことから、 これを蓮如上人と和歌との重要な接点とする指摘もある。
 また、 蓮如上人の和歌をみると、 ¬新古今和歌集¼ 等の歌をもとにして詠じた、 いわゆる本歌取りの手法を用いられたものや、 連歌の形式で他者と共に詠じた歌も確認できる。 このような詠法からしても、 蓮如上人は和歌についてかなり造詣が深かったと考えられる。
 ここで、 蓮如上人の和歌の仮名遣いについてもふれておくと、 室町期は仮名遣いがあまり一定していない時代といえるが、 和歌に関しては歌聖藤原定家にはじまる 「定家仮名遣い」 を用いようとする意識がいまだある程度共有されていた。 しかし、 蓮如上人の和歌には、 一定した仮名遣いを用いようとする規範意識は見受けられない。 すなわち蓮如上人は和歌に対する豊富な知識を有しながらも、 自らの和歌を仮名遣いの整った雅文として完成させようという意識は持っていなかったと考えられる。 蓮如上人において和歌とは、 仮名遣いを整えて記す文芸作品といった性質のものではなく、 浄土真宗の法義を語り伝えていくための重要な手段として位置づけられていたといえる。