法然聖人御消息 解説
 「法然聖人御消息」 は、 高田派専修寺に蔵される、 宗祖真筆と真仏上人書写の源空 (法然) 聖人の書簡である。
 源空聖人が書かれた消息は、 今日およそ四十通が伝わっており、 それらのほとんどが ¬指南抄¼ や ¬和語灯録¼ などの集成本、 あるいは ¬九巻伝¼ や ¬四十八巻伝¼ などの源空聖人の伝記類に収載されている。 とりわけ、 京都府清涼寺蔵五月二日付熊谷直実宛書状一通および奈良県興善寺蔵正行房宛書状断簡三通は、 源空聖人の自筆消息とされており、 数少ない源空聖人の筆を伝えるものとして大変貴重である。 本巻では、 宗祖に関連するものとして重要な二通を収録した。
 宗祖真筆消息の内容は、 本願を信じて念仏すべき旨が述べられ、 短文ながら浄土法門の最要が示されている。 同内容の消息は、 同じく専修寺蔵の宗祖真筆 ¬指南抄¼、 および鎮西派の了慧道光編集になる ¬和語灯録¼ 第二巻にも収載されている。 本消息と ¬指南抄¼ 所収の消息とを比べると、 内容は一致しているが、 一部には文体や振り仮名の有無という相違がある。 ¬和語灯録¼ 所収の消息についても、 内容には大きな相違はない。 しかし、 ¬指南抄¼ 所収の消息には宛所が見られないのに対し、 本消息では 「九条殿北政所御返事」 の宛所が、 ¬和語灯録¼ 所収の消息には 「熊谷入道へつかはす御返事」 との見出しが付されており、 三本間で大きく相違が見られる。 つまり、 成立時代を極端に隔てない古本三本が、 それぞれ異なる形態を伝えていることになる。
 この宛所については、 日付・署名・宛所まで具備した本消息が、 消息の形態として原状に近いとされる。 対して、 ¬和語灯録¼ 所収の消息は見出しの後に本文があるのみで、 編集の色が濃いと見られることから、 本消息の方が史料的価値は高いと考えられてきた。 一方で、 文体としては、 短文で明確に言い切っている点から女性に宛てた消息ではない印象を受け、 それは ¬指南抄¼ 所収の消息と比較した時に顕著である。 すなわち、 ¬指南抄¼ 所収の消息では、 丁寧な表現に加えて冒頭の書き出しが 「かしこまりて申上候」 と相手に敬意を払った文言であるのに対し、 本消息は 「御ふみくはしくうけたまはり候ぬ」 と、 同輩もしくは目下の者に対する言葉遣いになっている。 これらのことから、 今日では熊谷入道に宛てたものと考えられている。 そして、 ¬指南抄¼ 所収の消息に宛所がないのは、 宗祖が同じ北間所宛として書写した際、 先述した点に疑問を抱いて省略したものと推定されている。
 真仏上人書写消息の内容は、 極楽に往生するには念仏、 すなわち本願の行より他にない旨を、 ¬大経¼・¬礼讃¼・¬観経¼・「散善義」・¬小経¼ を引用しながら示される。 同内容の消息は、 ¬指南抄¼ や ¬和語灯録¼ 第二巻などに収載されているが、 それら諸本と比較してみると、 本消息とは大きな相違が見られる。 たとえば、 本消息では 「しかればすなはち、 弥陀の浄土にむまれむことは、 かならず本願にあり。 余行はこれたくらぶべからず」 とあるのが、 ¬指南抄¼ 所収の消息では 「されば弥陀の浄土にむまれむとおもはむものは、 弥陀の本願にしたがふべきなり。 本願の念仏と、 本願にあらざる余行と、 さらにたくらぶべからず」 となっている点などである。 このような相違は、 写伝の間に発生したというよりも、 意識的に表現を改めたと考えるべき異同であると言われている。 また、 本消息は他に類本がないことから孤本とも評され、 その史料的価値は高い。
 このように、 本消息と余所に収載される消息とを比べた際に著しい相違が生じていることについては、 この消息が法語に近い内容であることから、 原案が作成された後に推敲を行った結果の相違、 つまりは草稿系と正本系の相違であると考えられている。 具体的には、 差出月日や署名、 宛所など、 書状としての形態が整っているか否かが基準とされる。 すなわち、 ¬和語灯録¼ 所収の消息などでは、 差出月日や署名に加え、 「わたくしにいはく、 この御文は正治元年己未御つかひは蓮上房尊覚なり」 との註記も付されている点から正本系とされる。 一方で本消息は、 「あなかしこ」 の書留と 「僧源空」 の署名も有するものの、 差出月日を欠いていることに加え、 「大子女房御返事」 の外題は敬称を用いていない上に署名の前行に記されていることから宛所と見ることはできず、 書状の形態が調っていない点より草稿系とされる。 そして、 このことが、 ¬指南抄¼ に草稿系の本消息と同内容ではなく、 異本である正本系が収録された理由として考えられている。