二五(1041)、九条殿北政所への御返事

でう殿どのきた政所まどころおむかへりごと

かしこまりてまふしあげさふらふ。 さてはおむ念仏ねむぶちまふさせおはしましさふらふなるこそ、 よにうれしくさふらへ。

まことにわうじやうぎやうは、 念仏ねむぶちがめでたきことにてさふらふなり。 そのゆへは、 念仏ねむぶち弥陀みだほんぐわんぎやうなればなり。 ぎやうは、 それ真言しんごんくわんホフクヱシユナリたかきぎやうほふなりといゑども、 弥陀みだほんぐわんにあらず。

また念仏ねむぶちは、 しやぞくぎやうなり。 ぎやうは、 まことにぢやうさんりやうもんのめでたきぎやうなりといゑども、 しやくそんこれをぞくしたまはず。

また念仏ねむぶちは、 六方ろくぱう諸仏しよぶち証誠しようじやうぎやうなりぎやうは、 たとひ顕密けんみち事理じりのやむごとなきぎやうなりまふせども、 諸仏しよぶちこれを証誠しようじやうしたまはず。 このゆへに、 やうやうのぎやうおほくさふらへども、 わうじやうのみちにはひとえに念仏ねむぶちすぐれたることにてさふらふなり

しかるにわうじやうのみちにうときひとまふすやうは、 真言しんごんくわんぎやうにたへざるひとの、 やすきまま1042のつとめにてこそ念仏ねむぶちはあれとまふすは、 きわめたるひがごとにさふらふ

そのゆへは、 弥陀みだほんぐわんにあらざるぎやうをきらひすてゝ、 またしやくそんぞくにあらざるぎやうおばえらびとゞめ、 また諸仏しよぶち証誠しようじやうにあらざるぎやうおばやめおさめて、 いまはたゞ弥陀みだほんぐわんにまかせ、 しやくそんぞくにより、 諸仏しよぶち証誠しようじやうにしたがひて、 おろかなるわたくしのはからひをやめて、 これらのゆへ、 つよき念仏ねむぶちぎやうをつとめて、 わうじやうおばいのるべしとまふすにてさふらふなり

これはしむそう都の ¬わうじやう要集えうしふ¼ (巻中) に、 「わうじやうごふ念仏ねむぶちほんとす」 とまふしたる、 このこゝろなり。 いまはたゞぎやうをとゞめて、 一向ゐちかう念仏ねむぶちにならせたまふべし。

念仏ねむぶちにとりても、 一向ゐちかう専修せんじゆ念仏ねむぶちなり。 そのむね三昧さんまい発得ほちとく善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼ にみえたり。

また ¬そう巻経くわんぎやう¼ (大経巻下) に、 「一向ゐちかう専念せんねむりやう寿じゆぶち」 といへり。 一向ゐちかうごんは、 かう三向さんかうたいして、 ひとへにぎやうをえらびて、 きらひのぞくこゝろなり。

おむいのりのれうにも、 念仏ねむぶちがめでたくさふらふ。 ¬わうじやう要集えうしふ¼ にも、 ぎやうなか念仏ねむぶちすぐれたるよしみえたり。

また伝教でんげうだい七難しちなん消滅せうめちほふにも、 「念仏ねむぶちをつとむべし」 (七難消滅護国頌) とみえてさふらふ。 おほよそ十方じふぱう諸仏しよぶち三界さんがい天衆てんしゆまうしたまはぬぎやうにてさふらへば、 げんしやうおむつとめ、 なにごとかこれにすぎさふらふべきや。

いまたゞ一向ゐちかう専修せんじゆたん念仏ねむぶちしやにならせおはしますべくさふらふ