二五(1041)、九条殿北政所への御返事
▲九条殿◗北◗政所◗御返事。
◇かしこまりて申上候。 さては御念仏申させおはしまし候なるこそ、 よにうれしく候へ。
◇まことに往生の行は、 念仏がめでたきことにて候也。 そのゆへは、 念仏は弥陀の本願の行なればなり。 余の行は、 それ真言・止観ホフクヱシユのナリたかき行法なりといゑども、 弥陀の本願にあらず。
◇また念仏は、 釈迦の付属の行なり。 余行は、 まことに定散両門のめでたき行なりといゑども、 釈尊これを付嘱したまはず。
◇また念仏は、 六方の諸仏の証誠の行也。 余の行は、 たとひ顕密事理のやむごとなき行也と申せども、 諸仏これを証誠したまはず。 このゆへに、 やうやうの行おほく候へども、 往生のみちにはひとえに念仏すぐれたることにて候也。
◇しかるに往生のみちにうとき人の申やうは、 余の真言・止観の行にたへざる人の、 やすきまま1042のつとめにてこそ念仏はあれと申は、 きわめたるひがごとに候。
◇そのゆへは、 弥陀の本願にあらざる余行をきらひすてゝ、 また釈尊の付属にあらざる行おばえらびとゞめ、 また諸仏の証誠にあらざる行おばやめおさめて、 いまはたゞ弥陀の本願にまかせ、 釈尊の付属により、 諸仏の証誠にしたがひて、 おろかなるわたくしのはからひをやめて、 これらのゆへ、 つよき念仏の行をつとめて、 往生おばいのるべしと申にて候也。
◇これは恵心の僧都の ¬往生要集¼ (巻中) に、 「往生の業、 念仏を本とす」 と申たる、 このこゝろ也。 いまはたゞ余行をとゞめて、 一向に念仏にならせたまふべし。
◇念仏にとりても、 一向専修の念仏也。 そのむね三昧発得の善導の ¬観経の疏¼ にみえたり。
◇また ¬双巻経¼ (大経巻下) に、 「一向専念无量寿仏」 といへり。 一向の言は、 二向・三向に対して、 ひとへに余の行をえらびて、 きらひのぞくこゝろなり。
◇御いのりのれうにも、 念仏がめでたく候。 ¬往生要集¼ にも、 余行の中に念仏すぐれたるよしみえたり。
◇また伝教大師の七難消滅の法にも、 「念仏をつとむべし」 (七難消滅護国頌) とみえて候。 おほよそ十方の諸仏、 三界の天衆、 妄語したまはぬ行にて候へば、 現世・後生の御つとめ、 なに事かこれにすぎ候べきや。
◇いまたゞ一向専修の但念仏者にならせおはしますべく候。