本経は、 ¬阿弥陀経¼ の異訳であり、 具名を 「称讃浄土仏摂受経」 という。 この経題は、 本経の証誠段の各段末及びそれに続く一段に、 「称讃不可思議仏土功徳一切諸仏摂受法門」 とある文より名付けられたものと考えられる。 ¬開元釈教録¼ によると、 本経は永徽元 (650) 年正月一日に長安の大慈恩寺において玄奘によって訳出されたものである。 玄奘は、 唐代に活躍した陳留出身の訳経僧で、 俗姓は陳氏である。 十三歳の時出家し ¬倶舎論¼ ¬摂大乗論¼ 等を学んだ。 後に原典を求めて印度へ留学し、 多くの原典を携えて貞観十九 (645) 年に帰国する。 示寂までに七十五部千三百三十五巻もの経論を訳出した。
 本経の内容は、 基本的には ª阿弥陀経º の諸本と対応しているが、 本経のみに見られる特徴もある。 中でも顕著なのが、 鳩摩羅什訳 ¬阿弥陀経¼ やサンスクリット本等が、 証誠段において六方諸仏の讃嘆を示すのに対して、 本経は十方諸仏の讃嘆を示していることである。 また鳩摩羅什訳 ¬阿弥陀経¼ では阿弥陀仏の仏国土を 「極楽」 と訳すが、 本経では 「極楽」 という訳語を踏襲しながらも、 さらに 「極楽世界浄仏土」 や「極楽世界清浄仏土」 等と、 彼の仏国土が浄土であるという意を加えていることも特徴的である。 その他、 正宗分の初めの、 西方極楽国土において阿弥陀仏が現に説法をしていると示す一段で、 阿弥陀仏を 「無量寿仏及無量光仏如来応正等覚十号円満」 と示すように、 「無量寿仏」 と 「無量光仏」 を併記しさらに 「十号円満」 という言葉を記していることや、 宝池荘厳において八功徳水の説明が詳細になされること、 流通分の諸仏が釈尊を讃嘆する一段で、 釈尊に対して仏の十号を全て付していること等、 翻訳の際に、 先行経典の訳例にもとづいて増広されたのではないかと思われる箇所が多数見られる。
 本経の流伝については、 中国において鳩摩羅什訳 ¬阿弥陀経¼ が広く流布し、 沙門も多く、 註釈も数多く作られているのに対して、 本経は写本もわずかしか発見されておらず、 また註釈書も経典目録に若干のものが示されている程度で、 あまり依用されることがないようである。 これに対して、 日本においては、 本経が注目され広く流布している。 奈良時代には本経が多数書写されたという記録があり、 また平安・鎌倉時代になると、 源信の ¬往生要集¼ や永観の ¬往生拾因¼、 法然の ¬阿弥陀経釈¼ 等に本経が引用され、 宗祖も ¬阿弥陀経註¼ に本経の文を朱書で帰入し、 また ¬西方指南抄¼ にも本経を引用している。 また ¬浄土和讃¼ (国宝本) の表紙見返、 および ¬入出二門偈頌¼ (真仏上人書写本) に 「称讃浄土教言」 として本経の文を引き、 さらに本経をもとに造られたと思われる和讃も存する。