本鈔は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 本鈔は、その題号が示すように、源空 (法然) 聖人の主著である ¬選択本願念仏集¼ (選択集) を註釈したものである。
本鈔の内容は、¬選択集¼ の各章に沿いながら、 211項目を立てて解釈し、 処々に問答を設けてその要義を明らかにしている。 その構成は以下のとおりである。 第一巻 (37項目) は、題号、 標宗の文、第一教相章、第二二行章である。第二巻 (49) 項目は、第三本願章、 第四三輩章、 第五利益章、 第六特留念仏章、 第七摂取章である。 第三巻 (38項目) は、第八三心章のみである。第四巻 (62項目) は、第九四修章、 第十化讃章、 第十一讃嘆章、 第十二念仏付属章である。 第五巻 (25項目) は、第十三多善根章、 第十四証誠章、 第十五護念章、 第十六名号付属章、 総結、 後序となっている。
本鈔では、 最初に 「選択本願念仏集」 の題号について述べる中で、 ¬選択集¼ 一部の肝要が、 念仏の一行をもって往生の正業とする義を釈成することにあるとしている。 また、 全十六章の中で中心となるのは本願章であり、 その理由として題号は本願章の意を顕すからであると述べている。 本鈔は、 存覚聖人の ¬選択集¼ 理解を示したものであるが、 注目すべきは宗祖の理解を通して註釈している点である。 たとえば ¬選択集¼ 三心章所引の 「散善義」 の至誠心釈の文に、 「欲す↠明さんと↣一切衆生の身口意業所修の解行、 必ず須んことを↢真実心の中に作し給を↡」 と訓点を付している。 これは宗祖の 「信文類」 と同様の訓点であり、仏によって成就された他力回向の信心であることを明らかにしている。 また、 深心釈では、 三心の中心が深心にあるとの見方を示し、 回向発願心釈でも宗祖と同様の訓点が付されている。 これらの訓点は ¬撰択註¼ の往生院本などとは異なっており、 宗祖の意に沿った存覚聖人の ¬選択集¼ 理解を示していると考えられる。
本鈔の成立については、 ¬存覚一期記¼ に 「四十九歳 暦応元、 三月、 於↢備後国府守護前↡、 与↢法花宗対決了。 御門弟依↢望申↡、 忘↢其憚↡、 改↢名字↡号↢悟一↡出対了。 法花衆屈、 仍当方弥繁昌。 其次作↢¬決智抄¼↡了、 ¬仮名報恩記¼・¬至道抄¼ 各一帖、 ¬選択註解抄¼ 五帖 等也」 とあるように、 存覚聖人四十九歳、 暦応元 (1338) 年に ¬決智鈔¼・¬報恩記¼・¬至道鈔¼ と同時期に制作されている。 また、 本鈔は ¬浄典目録¼ に 「選択註解鈔五巻 依所光照寺住持慶願望明尊草之」 とあるように、 備後山南光照寺第三世である慶願の求めに応じて制作されたものである。
¬選択集¼ の註釈書は、 源空聖人門下においては聖光房弁長の ¬徹選択本願念仏集¼ や然阿良忠の ¬撰択伝弘決疑鈔¼ などがあり、 比較的早い時期から制作されていた。 しかし、 宗祖の門流においては、 本鈔が嚆矢であり、 それ以降は江戸時代まで ¬選択集¼ の註釈書は制作されていない。 その点から、 本鈔の制作の背景には存覚上人の広範な知識、 教学理解があったものと考えられる。
また、 存覚上人には本鈔以外にも ¬選択集¼ との関連がみられる。 たとえば、 ¬選択集¼ の龍谷大学蔵南北朝時代書写本は延書であるが、 その奥書には 「自存覚上人奉相伝之 釈覚善」 とあって、 存覚上人より覚善に相伝された書写本であることが分かる。 また ¬存覚上人袖日記¼ には、 ¬選択集¼ 西道所持本の調巻と丁数について詳述される中で、 「和字選択調巻并丁数事 普通本也非広本」 とあり、 塔寺の流布本の記録とみられる。
なお、 同じ註釈書という性格をもつ ¬六要鈔¼ が、 蓮如上人に重用されて以後 ¬教行信証¼ 理解の指標となっていく一方で、 本鈔の現存する書写本の数は極めて少なく、 その伝来の過程は必ずしも明らかではない。