本書は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 宗祖の畢生の大著である ¬教行信証¼ を体系的に註釈した最初の書物であり、 ¬教行信証¼ を 「本書」 という場合、 本鈔を 「末書」 と称することがある。
本鈔は、 十巻で構成されている。 その由縁については、 本鈔の 「本書則六巻第三与第六元自依有本末分/為八巻愚鈔同六巻第二与六本重又就開/本末総為十巻」 との奥書から、 存覚上人所覧の ¬教行信証¼ は 「信文類」 と 「化身土文類」 が本末に分けられており、 さらに存覚上人が註釈するにあたって 「行文類」 と 「化身土文類」 を二巻に分けて、 総じて十巻としたことが知られる。
本鈔は、 ¬教行信証¼ 全体を大別して、 総序を序分、 標列から 「化身土文類末」 の ¬論語¼ 引文までを正宗分、 後序を流通分に配当している。 その上で、 ¬教行信証¼ 六巻それぞれを、 題目、 標挙の順に註釈し、 次いで本文の字句について解釈が施されている。 注釈分量の多寡はみられるものの、 一語または一句ずつ丁寧に註釈されており、 全体として訓詁的傾向を持つ。 このことは、 ¬玉篇¼ や ¬広韻¼ などの中国の辞書を多く引用して細かく字義を説明していることからも知られる。 また、 今日通例となっている用語を創出した点も注目される。 その用語とは、 たとえば、 浄土真宗の教判を示す 「二双四重」 という語や、 ¬教行信証¼ の各序で用いられる 「総序」 「別序」 「後序」 の名目などを挙げることができる。 特に各序の名目を立てたことを考えると、 本鈔は ¬教行信証¼ の語句を解釈するだけにとどまらず、 ¬教行信証¼ を俯瞰して全体を明らかにしたものといえる。 そのことは、 処々の註釈で 「何重引」 と、 引文を重ねて引く理由を問うなど、 註釈間で有機的に解釈を施している箇所が見られることからもわかる。 その意味において、 ¬教行信証¼ の達意的注釈書と評される ¬教行信証大意¼ とは趣を異にしている。
本鈔は、 その註釈態度においても特徴が見られる。 すなわち、 「未勘得之」 「追可勘之」 等の文が散見されることである。 存覚上人は 「未勘得之」 「未悉勘得本文」 などと述べ、 ¬教行信証¼ を註釈するにあたり、 自身の知識が及ばないことを記して、 宗祖の博識さを敬う姿勢が見られる。 一方で、 「追可勘之」 「追加勘之」 などとあることから、 存覚上人が自身の解釈を加えながらも、 なお研究の余地を残していることもわかる。 また、 西山および鎮西諸師の書物と表現が類似している箇所も多く見られ、 それらの教義の影響を受けていることが指摘されている。
後世における本鈔の評価については、 ¬天正三年紀¼ に、 「¬教行信証¼ 又は ¬六要鈔¼ 等、 常に御覧ぜられ」 とあり、 蓮如上人は常に本鈔を披読され重用していたことが窺える。 事実、 自身が著した ¬正信偈註¼・¬正信偈註釈¼ の解釈にその註釈が多く用いられており、 特に ¬正信偈註釈¼ は本鈔の解釈に忠実に従って著されている。 このような本鈔に対する高い評価は江戸時代まで続き、 ¬教行信証¼ の研鑽にあたり座右の書として親しまれ、 ¬教行信証¼ の正統な指南書として位置づけられていた。 このことは、 寛永十三 (1636) 年の坊刻本や宝暦十 (1760) 年の光西寺の円爾の編纂において、 ¬教行信証¼ と一組で出版されていたことからも窺うことができる。 また、 宗門内にとどまらず、 西山派の尭恵が ¬論註私集鈔¼ に本鈔の ¬論註¼ 理解を引用するなど、 宗門外にも影響を与えている。 なお、 註釈の一部が宗祖の示した内容と合致しないことをもって、 批判的に捉える向きもあるが、 本鈔が ¬教行信証¼ 研究の礎を築いた功績は大きい。
本鈔の成立については、 奥書に 「延文五歳 庚子 八月一日 常楽台主判」 とあることから、 延文五 (1360) 年、 存覚上人七十一歳の時に著されたことがわかる。 また、 その撰述の経緯もその奥書から窺うことができる。 奥書には 「作者/奥書云/教行証者列祖相承之要須聖人領解之己証/也而所引之本文広博兮前後之説相難明所/立之教旨幽玄兮甚深之義趣易迷然間一/流伝来之耆老猶未聞講其義之仁諸国耽/学之群侶多示不了此書之旨如予浅智輙以/豈敢雖然為祖徳報謝為仏法弘通試加小量/之註釈偸仰宏智之取捨」 とあり、 ¬教行信証¼ の内容は広博で奥が深く、 いまだ講義をしたという人を聞いたことがなく、 諸国の門侶はその内容を理解していないようであるから、 浅学を顧みず 「祖徳報謝」 「仏法弘通」 のために著されたという撰述意図が示されている。 これによれば、 ¬教行信証¼、 ひいては宗祖の教えが正しく継承されていないことを憂えたことに本鈔撰述の一因があると見られ、 ¬教行信証¼ を読み解くための指南書が必要とされていた状況があったと考えられている。
なお、 存覚上人が ¬教行信証¼ を註釈するにあたっての所覧本については記録に残っておらず、 板東本をはじめ、 現存する鎌倉時代の古写本の構成と本鈔の註釈順に相違が見られることもあり、 所覧本の特定には至っていない。