0635◎▲天正三年記
◎▽蓮如上人御若年砌事
▽順如上人願成就院殿事 並 応仁乱
▽加賀一乱 並 安芸法眼事
条々
△蓮如上人御若年砌事
▼蓮如上人は御若年の折は 御方様と申候 御継母の儀によりて、 殊外に御迷惑の御事にて侍し。 存如上人は、 御内衆も唯五人召つかはれ候。 蓮如上人、 御方様と申たる時は、 一人も召つかはるべきやうもなくて、 存如上人の御小者に竹若と申者を、 一年に五十疋とらすべし、 つかはれよと、 御約束さふらひて、 時々召つかひさふらひつるが、 三十疋ども下され候事成兼申、 漸々十疋・二十疋づゝ下されけると申候ふ。 此竹若、 心得の者にてさふらひき。
一 ▼めし物も然々と侍らで、 御布子、 又は紙子をめされさふらひき。 粉含をめされさふらひて、 白き物の分にてさふらひし。 白御小袖に是をめされさふらふ。 又其後は、 白御小袖ひとつ御座さふらひつれども、 しけ絹にて御座さふらひき。 紙にて裏をさせられ、 御袖口ばかりを絹にて少しさせられて、 めされさふらひき。 此の比ろは、 誰か加様にさふらふべきや、 我人過分のしたてに成り申す事、 御用の程、 有難き事にてさふらふは、 如何如何。
一0636 ▼きこしめし物も、 散々の御仕立にてさふらひしとなり。 供御の御汁は、 御一人の分あなたよりまひらせられさふらふを、 水を入れてのべさせられ、 御三人みなみなきこしめしたると申候。
一 ▼御子達はみなみな里へ養ひに、 あなたこなたへ有付けまひらせられ候ふ。 順如ばかり御傍に置まひらせられ侍る。 蓮乗 若松本泉寺 は南禅寺にて喝食、 蓮綱 松岡寺 は 院にて御出家にてまします。 光教寺山田 蓮誓も同寺に喝食に御成さふらふ。 本泉寺 蓮悟と 中山殿 西向とは、 丹波へ人の養ひまひりさふらふ。 其外は吉田の摂受庵に、 女房衆は比丘尼に成し申されさふらふ事にて候。
一 ▼近江の金森の道西と申せし人は、 後には従善と申し候。 此人細々大谷殿へまひられ、 仏法者にてさふらひつるが、 有時、 存如上人の御前に此従善伺公せられ侍る時、 蓮如上人御招きさふらひて召寄られ、 御物語どもさふらひつる。 従善有難く存ぜられ、 常に金森へ御方様を申入られ聴聞さふらひつるに、 在所の人々も驚かれ、 仏法も此時よりいよいよ弘まり申さふらひき。 其時稚人多くあつまり居られさふらふ中に一人、 蓮如上人あれは誰ぞと御尋ねさふらひつるに、 従善申されさふらふは、 私が甥にてさふらふと申し上られ候らへば、 利根相の者ぞ、 我にくれよかしと、 御意さふらひしに、 頓て進上申され、 召連大谷殿へ御帰寺なされ候ひて、 召つかはれさふらひつるが、 慶聞坊龍玄にてさふらふ。
▼龍玄、 物語さふらひつるは、 其比は御膳などは、 一日に一度まひりさふらふ時もさふらふ。 又一向にきこしめすやうもなくて、 まひらぬ事もさふらひつる。 龍玄、 京へ出て、 油などは料簡さふらふ。 又なき時は、 黒木を御焼さふらふて、 聖教などを御覧ぜられ候。 又月夜の比は、 月の光りにて御覧ぜられけるとさふらひつる。 ¬教行信証¼ 又は ¬六要抄¼ 等、 常に御覧ぜられ、 又 ¬安心決定抄¼ は、 三部まで御覧じやぶらせら0637れたる事候やうに、 聖教等御覧ぜられ、 存如上人へも法流の一儀、 慇に尋まひらせられけると見へ申しける。 御相承の儀あきらかに御座さふらひつると見へ申しさふらひき。 存如上人御往生以後、 弥御勧化ひろまり申しさふらふ。 蓮如上人は十五の御年より、 是非ともに聖人の法流おほせたてられさふらふべきと思召さふらひつると、 常に御意候し御念力通じ申さふらふて、 御繁昌さふらふ。
其後、 遠国へ御修行なされさふらふ。 越前の吉崎の御坊にて弥仏法ひろまり申し候て、 「御文」 を御つくらせさふらふ事は、 安芸法眼申されさふらひて御つくりさふらひて、 各有難く存さふらふ。 かるがると愚痴の者の、 はやく心得まひらせさふらふやうに、 千の物を百に選び、 百の物を十に選ばれ、 十の物を一に、 早く聞分申様にと思しめされ、 「御文」 にあそばしあらはされて、 凡夫の速かに仏道なる事を、 おほせたてられたる事にてさふらふ。 開山聖人の御勧化、 今一天四海にひろまり申す事は、 蓮如上人の御念力によりたる事に候也。
一 ▼仏法弘まり候に付て、 山門より一乱出来て、 大谷殿はやぶれ、 江州金森へ御下向の事さふらふ。 其後、 山門衆、 又聞分られ、 十六谷衆、 以連判被申事さふらふて、 則大谷殿へ御還住さふらひし。 其時大津に御座さふらひて、 山科へ御移さふらふ時、 本寺山科へ御移さふらはゞ、 大津の在所もおとらふべきとて、 山科へは遣申間敷とて、 三井寺大津寺家の衆さゝへ申されさふらふによりて、 大津も本寺と等事たるべき由にて、 開山聖人の等身の御影をかゝせられ、 すゑ申されさふらひて、 山科へ御移にて候。
一0638 ▼蓮如上人は十五歳より、 是非ともに開山聖人の御法流の儀、 可↠被↢仰立↡と思食たゝれ、 既に御存分の如く、 六十余州に御門流ひろまりたる事を御満足の由、 蓮如上人御自語ありての御ことばに、 今各々心易く仏法を聴聞する事も、 此法師がわざよと被↠仰事にて候。 我一人冥加にかなふに依て、 皆々安穏に存ぞと被↠仰。 如何程の御苦労ありてか、 加様に一宗繁昌し、 兄弟中心易在事よ、 末々の弟共にも、 此の趣能々可↢申聞↡事肝要也。 少も冥加を忘れては、 忽に可↠蒙↢御罰↡事也。
一 ▼蓮如上人、 山科にて南殿へ御隠居の時、 御内の仁五人也。 是存如上人の御時の例也。 昔の御迷惑に御座ありつる事を、 御忘れ有間敷との被仰事にてさふらふ。 然ば円如も雑造にも唯五人被↢召遣↡候。 先例にて候。
一 ▼蓮如上人、 古関東御修行の時、 御草鞋くいの御足の跡を折々取出させられたまひ、 各兄弟中へみせられ、 我は加様に辛労して、 仏法に身命をすてゝ、 苦労をしたる事なり。 能々心得て冥加を存ずべきとぞ被↠仰侍し也。
一 ▼蓮如上人御病中に、 御口のうちを御煩ひさふらひつる事候て、 あゝと被仰事さふらひつる程に、 御口のうちの煩ひに、 加様に御座さふらふかと存さふらへば、 被仰さふらひしは、 各信のなき事を思へば、 身をきりさくやうに悲しきよと、 被↠仰御事にて候き。 哀々、 一人成とも信を取たると聞たらば、 老の皺をのべんとぞ被仰侍し事也。 難有仰ともさふらふ。 各驚被↠申事にてさふらふ。
右此一巻は、 山科殿にて写申たる書にてさふらふ也。 但誰人の書とも覚へ不↠申候。 光応寺蓮淳にてさふらふ歟と存じさふらふ。 慥かなる事は覚へ不↠申候。 努0639々不↠可↠有↢外見↡者也。 実悟
此一巻は、 如此調さふらひて、 大坂殿の大蔵御局へ進じたる事也。 龍玄に被↠尋さふらひて、 蓮淳の書と見へ申候
*天正三年八月四日
△願成就院殿之事
応仁の乱と申は、 将軍慈照院殿 号東山殿義政 と今出川殿との御取合、 諸大名悉く二に分れて、 天下の大乱也。 京中真中を敵味方唯二町計りを双方堀をほり、 さかもぎを結候て、 陣取さふらひつる事にて候。 其比、 願成就院殿 順如光助法印依勅号上人 東山殿へ細々御まいりの事にてさふらふ。 或時、 慈照院殿、 御内衆へ仰せらるゝ事には、 今の本願寺は身つきうつくしき仁なりと人々申し、 見度事なりと被仰さふらふを、 大館を始として奉公衆二、 三人被↠申事には、 参上の時御酒の上に裸になして、 御覧ずべき由を、 各申されさふらふに、 いやいや何かと御所には被↠仰侍しと也。 然而御連中を見舞可被申とて、 願成就院殿、 十合・十荷被持御参りさふらひし時、 将軍東山殿御対面ありて、 則御酒宴に成たる時、 連々奉公衆被申候様に、 大館治部少補を始として二、 三人、 御傍へよりて被申さふらふ様は、 裸舞が可↠然とて、 裸に成被申候。 願成就院殿、 御迷惑さふらひしかども、 是非なく裸に取成し申さふらひて、 春日龍神のきりを謡ひ出して、 まはせ被↠申候。 其時の事、 伊勢の下総入道 衆五、 物語さふらひしは、 此事、 将軍の御前にて各被申入候事を、 其時未伊勢次郎と云 聞申さふらふ間、 知0640音と云、 縁者の事と申、 加養の段、 願成就院殿へ告知らせ申し度所存候ひつれども、 次でもなくさふらひて、 不申さふらふ処に、 御前にて既に如此各働さふらふ間、 若はだの帯など見苦敷事候てはと存さふらひつれば、 如何にも新きはだの帯御沙汰さふらひつれば、 安堵したると、 下総入道、 愚老にかたられけり。 願成就院殿、 天然器用の御機遣の由さふらひしかば、 御はだかの帯ばかりにて、 扇御持さふらふて御立さふらはゞ、 如何さふらふべきに、 片膝ばかり御立さふらふて、 帯のとほりを扇にてかくすやうに御舞さふらふて、 やがて御置さふらひつる。 一段見事にて、 奇特の御仕合どもにてさふらふと物語せられさふらふ。 そのまゝ各どつと御笑候ふて、 前の衆二、 三人よりて、 物をめさせ申されさふらひて、 如元御出立に被成さふらひて、 其後、 東山殿仰せに、 聞及たるよりも、 うつくしき身ぞと仰せられけるとなり。 遍身にくろき所、 針のさきほどもなく、 うつくしき身にて渡らせたまふと、 各とりどりに沙汰候ひつると、 如秀 姉にて候人も、 其時春日局にて聞たるに、 皆々女房衆まで度々沙汰候て、 ほめられさふらへば、 うつくしくさふらひつると御物語さふらひき。 其後、 願成就院殿、 東山殿より御暇申御帰候て、 同日、 今出川殿へも十合・十荷進上さふらひつるに、 是も御見参さふらふて、 御酒宴に成さふらへば、 御申候は、 東山殿にても裸にて舞申間、 是にても又舞申可申也と、 又我と裸に成さふらひて、 如↠前に御舞さふらひて御帰さふらふとて、 双方の陣中、 京の小路中にて畳を敷、 又御酒さふらふに、 奉公衆双方衆十人計出合さふらふに、 願成就院殿、 我等有所にては、 敵味方あるべからずと仰せ候て、 御酒さふらひつると承さふらふ。 昔は加様にさふらひて、 本願寺殿御所様へ御まひり候と申さふらへば、 双方衆、 矢をとめ鑓をふせて、 通し被↠申と也。 其後、 願成就院殿、 山科殿へ0641御帰寺さふらひて、 蓮如上人に、 如敷東山殿へまひり、 慇に当宗の事など御尋さふらひつる間、 条々具に申入さふらふと御申候。 初は蓮如上人、 御貌を脇へなされ、 あら酒くさや酒くさやと、 仰せられさふらひしかども、 条々御申入ありつる旨、 御物語御申入さふらへば、 それはよきよよきよと被仰さふらひて、 御譏嫌能くて御向ひまひらせられつると、 御座敷の体どもを、 兄弟衆・宿老衆の御物語さふらふを聞申し候ふ。
一 其後、 吉崎殿へ願成就院殿御下向の事さふらひて、 若狭の小浜へ御下向の事さふらひて、 伊勢下総を、 路次の間、 徒然の条、 若狭まで同道すべきと仰さふらひて、 御つれさふらふの由さふらふて、 物語さふらひつるは、 風をまたれ候間に、 武田大膳大夫館へも御出さふらふに、 御供申候きと、 下総入道被↠語さふらふ。 其時も御酒さふらひて、 大御酒に成さふらへば、 両御所の御前にても裸にて舞申間、 是にても裸にて可↠舞とて、 裸にて御舞さふらひつると、 下総も物語さふらふ。 其後、 下総は上洛す。 願成就院殿は、 舟にて越前吉崎へ御下向さふらひつる事也。 *分明五年の比也。
△安芸法眼事 法名蓮崇
一 文明の初比、 越前国吉崎御坊御建立也。 同国のあさふ津の村仁にて候きが、 心さかしき人にてさふらひし間、 安芸の国へも往返し侍仁にて候間、 安芸と人々いゝつけて侍る也。 吉崎殿へ参り、 御堂に常にまひり、 茶所に有て、 一文不通の人たるが、 昼夜隙なく学問手習して、 四十の年より色葉を学び、 真物まで書習、 聖0642教等をも書写、 浄土の法門心にかけ、 才学の人と成て、 吉崎殿御内へ望申、 奉公を一段心に入られしまゝ、 蓮如上人の御意に叶、 玄永丹後は傍へ成て、 安芸安芸とぞめされける。 一段秀たる人にて、 法門の御意をも於世られさふらふ程に、 人々も近付而聴聞し侍り、 弟子も門徒も出来侍り。 去程に、 加州の守護人の富樫助と百姓との取合に成ける。 百姓衆と申は、 御門徒衆・坊主衆也。 仕損じて越中へ退て、 吉崎殿へ忍て、 惣中より使ひを上申候。 此度の軍の様、 百姓中難叶さふらふ間、 調和与无事に可還住扱さふらふ間、 其趣、 吉崎殿へ両使 洲崎藤右衛門入道慶覚 湯湧次良右衛門入道行法 上りさふらひて、 安芸を以て申入処に、 両使申入さふらふ段をば、 一向不被申入、 各別に安芸奏者被申入、 涯分致調法、 加州へ可切入さふらふ間、 各へ被力付候様に、 御意を以て可被仰付候、 涯分可致合戦の由被申入さふらふと、 蓮如上人へ申上事さふらふと被披露。 蓮如上人誠と思召、 无用と思召さふらへども、 左様に談合調法に於ては、 是非无くさふらふ。 更に御異見に不↠及さふらふ。 如何様とも、 可↠然様に調可被申と仰出されさふらふと。 各別に御意の旨、 両使へ被申付。 両使は、 今の分は難成さふらふ由申候へども、 如何様とも、 各可↠致↢馳走↡の由、 御意さふらふと、 両使に被申付さふらふ。 両使ささふらふ段の御返事、 心元なく存さふらひつれども、 御意の旨と被申出候間、 是非なくさふらひて、 富樫を可令成敗の由、 御意を直に承度心出来、 何様に直に御目にかゝり度さふらふ由、 両使申し候へば、 无用とさゝへられさふらふ間、 猶心元なし、 何とぞ御目にかゝるべきとの由申さふらふ処に、 蓮如上人も直に可被仰の御心にて、 可有御見参と仰せられさふらへば、 安芸直に御意までもなく候ふ、 安芸委細可申計仰せされて、 可然よし申上られさふらふ。 上人は安芸被申さふらふ事は、 何事も仰つる間、 御目にかゝり候へば0643、 此度骨折也、 委細安芸可申と計り仰出されけり。 両使、 是非なく御意と心得て帰国し侍り。 蓮如上人は无事に調、 両使も下り侍らんと思しめしけり。 越中に帰り各内談申、 各同心に難成事とは心得さふらへども、 其中にも、 是ぞ面白事と、 存じさふらふ衆も侍る也。
一 去文正の比、 富樫次郎 政親、 弟の幸千代と取合て、 次郎は越前に牢入し比、 吉崎に御座さふらふ比なれば、 いろいろ御扶持さふらひき。 然ば国へ帰さふらはゞ、 御門徒中の儀、 于今粗略すべからずの由申たる旨、 次郎を従越前、 御門徒人に被仰付、 加州山田へ被↠入さふらふより、 合戦、 利を得さふらひて、 御恩を忘れ当流の衆を嫌さふらふ事、 槻橋と申者所行にさふらふ間、 国中の門人槻橋嫌により、 国の乱は又出来、 百姓等も又損じ候て、 越中まで退たる事也。 前段は此後の事也
一 其後、 加州に又富樫次郎 政親、 いとこの富樫安高と云を取立て、 百姓中合戦し、 利運にして次郎政親を討取り、 安高を守護としてより、 百姓取立の富樫にて候間、 百姓等のうでつよく成て、 近年は、 百姓の持たる国のやうに成行さふらふ事にて候。 然処に、 安芸、 弥威勢・分限出来て、 吉崎殿寺内内に安芸居住の処には土蔵十三立て、 一門繁昌し、 被官数百人ことごとしく成さふらふて、 朝倉弾正左衛門 法名英林 と申者に知音さふらふ。 則名字の庶子に成し、 あまう 安芸とぞ申しける。 上洛し、 将軍慈照院殿被官分に成り、 奉公衆一分なり。 数度御内書等被成さふらふ。 法眼には将軍家より御成し候。 法橋には吉崎殿御成し候。 塗輿も武家御所より御免、 毛氈鞍覆・唐笠袋まで同前御免にて、 威0644勢无限、 玄永丹後は影もなく、 蓮如上人は申さるゝ侭に御成さふらふ由、 願成就院殿聞召、 大津より御下向さふらひて、 吉崎殿へ御出さふらひて、 蓮如上人船にて御上洛の時、 安芸、 万曲言の由を被仰さふらひて、 船に暁めされさふらふに、 安芸法眼も御船に被乗候を、 願成就院殿、 爰成は何者ぞと被↠仰、 引取させたまひ、 船にかゞみ居られさふらふを取て、 陸へなげいだされ候へば、 磯ぎはに伏沈み、 御影の見ゆるまで平伏、 泣被↠居さふらひつるが、 御船も見へず成りさふらへば、 をきあがり御坊に帰り、 その侭越前・加賀の御門徒中に勧化せられ、 人々尊敬无限さふらふ。 総じて安芸、 門徒過分に候ひき。 夜は朽木を衣の下に被↠付、 光に見せなど、 種々の事さふらひつる由さふらふ。 蓮如上人にみやづかひの折節は、 皆人々、 安芸殿して申入さふらへば、 早く出申さふらふとて、 名号各申入たるは、 安芸私に書て出されさふらふ由に候。 その名号、 近比まで加州にさふらひつる事候。 左様に種々の事候つる。 その後、 加州へ被仰付、 安芸曲言の由、 国中へ被↢仰下↡さふらふ間、 湯沸村と申所、 山中に城をこしらへ被↠篭つれば、 国中の衆、 押寄責られさふらへば、 夜中に落行き、 越前へ父子ともに落行隠れ居て、 数ヶ年越前にかゞみ居られ侍を、 蓮如上人御往生近くなりて、 明応八年二月比より、 加州一家中へ、 安芸よりより縁を求て、 侘言の議さふらへども、 誰にても取上べきと思ふ人もなく侍るに、 御往生の砌には、 山科の近くに上洛し、 あれこれに付て、 色々侘ごと申入度さふらふ由、 申入さふらへども、 誰にても可↢取次↡と申人もなくて侍る所に、 蓮如上人三月初比に、 北隣坊・光闡坊へ被↠仰事に、 安芸はいづくにあるとか聞たるぞと被仰。 両所被↠申には、 いづくにありとも更に聞不↠申さふらふ。 何と有事さふらふや、 不↠聞さふらふと被申さふらへば、 三月の中旬には、 あらあら不便や、 越前0645の方に可↠居、 尋させよと被↢仰出↡侍るに、 両寺その外一同に談合さふらひて、 可↢召出↡被↢思食↡事无勿体さふらふ。 外聞といひ、 曲働の仁にて候間、 中々召出さぬ様にとて、 何くにあるとも不↢存知↡さふらふと、 生所もなくさふらふなど、 各被↢申入↡さふらへば、 廿日比には、 不便なり、 尋させよ尋させよと、 しきりに仰事あり。 既に御往生も近付よと、 各も存じさふらふ処、 如↠此被仰事にてさふらふ間、 如何すべきとて、 越前辺にありげに候と被申入さふらへば、 人を遣して呼よと被↢仰出↡可↠被↢召出↡さふらふ由の御意さふらふ。 上洛仕りさふらへど、 山科八町まで上被↠居候ふ間、 その旨申上さふらへば、 可↠被↢召出↡と被↢仰出↡候ふ間、 徒にさふらふを被↢召出↡さふらひては、 外聞方々如何と、 各申され候へば、 実如上人・北隣坊已下も、 さゝへ御申候ふ様にさふらへば、 それは不↠可↠然候。 弥陀の本願は悪人を本に御助あるべきとの御本誓なり。 徒者を免すが当流の奇模なり、 呼出すべしと被仰出候間、 *廿日比に召出し候ふて、 御対面ありければ、 安芸法眼忝由被申上、 唯涙計、 物をも不申分、 五体を地になげ声をあげて、 有難由被申、 なかれさふらふ計、 理も尤の事候ふと、 各も感じ被↠申ける。 廿五日に奉↠相、 廿六日御葬礼の御供申、 唯泣るゝ事のみにて候つるが、 やがて廿八日に往生せられ候ひけり。 誠に安芸法眼は不思議の機縁・宿縁、 希代なる仁体と、 人々申合侍り。 主も往生極楽无疑有難事ども也。
右条々、 愚老承伝分注付処、 御所望之間、 悪筆と云ひ文言と云ひ、 旁以難憚入不存隔心、 筋目迄令進者也。 可被外見止者也。 可笑可笑。
0646*天正三 称蒙人定 金商梢秋初十日
苾蒭 兼俊 順毛有余 在判
佐栄大僧都御房 参
教行寺三代目法名証誓
私云 恵空、 斯一巻、 *元禄十七年 甲申 正月廿日写之竟。 写本者六条浄真寺之本也。 豫 先年於↢河州願得寺↡、 閲↢古記↡中有↧題↢塵拾記↡一巻↥ 无表紙実悟之御自筆也。 彼記中有↢条々↡其中に此今一巻を一条とせり。 其後、 依↠望一悟自筆を以て、 其一条を抜写して給はれり。 彼文、 今此本と全く一也。 見合すべし。
隠侶恵空子
右本侭伝写之畢
即得寺理寛叟
底本は大谷大学蔵江戸時代中期恵空本転写本。