本書の著者は善導大師である。 本書の具名は 「勧一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀仏国六時礼讃偈」 であり、 一般に、 ¬往生礼讃偈¼ ¬六時礼讃¼、 あるいは ¬礼讃¼ と略称される。
 本書はその題号が示しているように、 浄土を願生する行者が日常に修すべき礼法を、 日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中の六時に分けて示されたものである。
 本書の構成は前序、 正明段、 後述の三段から成る。 まず前序では、 願生行者の実践法について、 安心・起行・作業という三つの点から述べられている。 すなわち、 安心の内容を ¬観経¼ の三心によって明示し、 続いてその安心に基づく起行について、 ¬浄土論¼ の五念門に独自の創意を加えて、 これを凡夫相応の実践行として示している。 最後に能修の心構えである作業については、 恭敬修・無余修・無間修・長時修の四修をもって明らかにしている。 このような、 安心・起行・作業についての説示の後、 称名念仏を専修する一行三昧の意義が問答形式によって述べられている。 続いて、 阿弥陀仏は光明・名号をもって十方衆生を摂化することを示し、 次いで衆生の専修雑修の得失を明かして、 称名念仏一行専修を勧めている。
 次に正明段では、 日没讃は ¬大経¼ の十二光仏名、 初夜讃は ¬大経¼ の要文、 中夜讃は 龍樹菩薩の 「十二礼」、 後夜讃は天親菩薩の 「願生偈」、 晨朝讃は彦琮の 「礼讃偈」、 日中讃は善導大師自作の 「十六観偈」 という、 これらの六時讃により行儀の次第を明かしている。 この昼夜六時という説示は諸経論にも認められるが、 その多くは晨朝あるいは初夜をその始めとしているのに対し、 善導大師は日没を最初としている。 これは善導大師が ¬観経¼ を重視し、 西方浄土の願生者としてまずもって日没処を取り上げたことによるとされる。
 最後の後述では、 ¬十往生経¼ や ¬観経¼ ¬大経¼ ¬小経¼ を引証しながら、 見仏・滅罪・護念・摂生・護念の五縁の益を挙げて、 現世および当来の得益について説き示されている。
 本書は、 浄土教の礼法・儀礼として伝統的に重んじられ、 承元の法難の契機の一つとされる住蓮・安楽が催した別時念仏会にも依用されている。 また、 浄土真宗教団においても日常の勤行として長く用いられ、 蓮如上人の時代になると、 「正信偈和讃」 が日常の勤行に用いられるようになるが、 引き続き本書も諸法要において依用されてきた。 このように本書は浄土教の行儀の書として特に重要な位置にあるが、 これに加えて ¬観経¼ の三心の解釈が示される前序など、 善導大師の教義理解を窺う上からも注目すべきものといえる。
 なお、 本書の成立および五部九巻に関する前後関係については ¬観経疏¼ の解説を参照されたい。
 また本書は、 唐の智昇によって撰述された ¬集諸経礼懺儀¼ の下巻にその全文が収載されており、 ¬開元釈教録¼ では、 本書が ¬集諸経礼懺儀¼ 所収の文献として採録されている。 ¬集諸経礼懺儀¼ 所収本と本書の本文とにはかなりの異同が見受けられ、 あるいは各 ¬大蔵経¼ 所収の ¬集諸経礼懺儀¼ の本文についても互いに異同が認められる。
 ところで、 宗祖の ¬教行信証¼ における本書の引用については、 ¬集諸経礼懺儀¼ より孫引きの形での引用が認められ、 そこには ¬集諸経礼懺儀¼ より本書を引用した旨の註記がしばしば付されている。 あるいはまた、 ¬集諸経礼懺儀¼ より 「大悲弘普化」 の文が引用されている箇所には、 この文中の 「」 の字に 「弘字智昇法師懺儀文也」 という註記が付されており、 この 「」 の字は本書には 「」 とあるものである。 このように両書の異同箇所に註記が付されていることから、 宗祖は本書の本文を認識した上で、 あえて ¬集諸経礼懺儀¼ 所収本の本文を引用したことが知られる。 宗祖のこのような引用態度は、 本書と ¬集諸経礼懺儀¼ 所収本との文言の相違に着目したものであり、 ¬集諸経礼懺儀¼ 所収本の内容が浄土真宗の深意をより開顕していると判断したものによるとされる。 また、 ¬集諸経礼懺儀¼ の本文については、 各 ¬大蔵経¼ によって異同がみられることは前述のとおりであるが、 右に挙げた 「 「大悲弘普化」 についてみると、 高麗版所収本では異同がないが、 宋版、 元版、 明版所収本では、 「」 の字が 「」 となっている。 あるいは前序の深心の文についてみると、 高麗版所収本には 「下至十声等」 となっているものが、 宋版、 元版、 明版所収本では 「下至十声聞等」 となっており、 宗祖はこれを後者の形で引用している。 このような、 各 ¬大蔵経¼ における本文の異同は、 宗祖所覧の ¬大蔵経¼ を考究する上でも注意されるべきものである。
 なお、 本書の日本への将来は 「正倉院文書」 によれば天平十四 (742) 年であることが知られ、 その後、 本書は南都の永観著 ¬往生拾因¼ 等に引用され、 また源空 (法然) 聖人やその門下の著述に広く引用されている。
 また本書については、 西域よりいくつかの断簡や写本が将来されて現存しているが、 それらはいずれも完本が存在していない。 現存するものとしては、 ペリオ収集本 (No.3841)、 スタイン所収本 (No.2553,2579)、 北京図書館本 (No.8350) の四点の敦煌出土本があり、 この他の敦煌出土本としては、 ペリオ収集本 (No.2066,2963) の法照 ¬浄土五会念仏誦経観行儀¼ に 「西方礼讃文 善導和尚」 として ¬往生礼讃¼ 「日中礼讃」 より抄出した文、 あるいは 「善導和尚 西方讃」 として本書の 「日中礼讃」 に一致する部分がみられる。 これら敦煌出土本に加えて、 本書には大谷探検隊が1905年に吐魯番付近の吐峪峡で発見した大谷探検隊将来本が存在する。 これは本書の前序の部分に相当する 「晨朝時礼…第六僧善…廿輩」 の十字を残した断簡である。