本書は、 宗祖の畢生の大著である ¬教行信証¼ にあらわされた浄土真宗の法義を簡潔に解説した書である。 本書の名称は他にも、 「教行証文類意記」 「文類聚鈔大意」 「教行証御文」 「広略指南」 「真宗大綱御消息」 「教行証題鈔」 「真宗相承鈔」 「教行証大意」 「教行証名義」 「教行信証篇」 「信行ノ篇」 「四法大意」 など多くある。 また、 著者自身の自筆原本が存在しないため、 本書の著者や撰述年代は不明であるが、 今日では覚如上人説と存覚上人説との両説が有力である。
覚如上人説は、 ¬慕帰絵¼ 第十巻第一段に、 清範法眼 (乗専) が覚如上人に ¬教行信証¼ の大綱について教えを請うた旨が記されていることを根拠とする。 一方、 存覚上人説は、 大阪府真宗寺蔵本に 「右斯書者先師存覚所集給…」 との奥書があることを根拠とする。 両説が有力視されるのは、 本派本願寺蔵本に、 「本云 謹依教行証文類意記之/蓋依願主之所望也于時/嘉暦三歳戊辰十一月廿八日/今日者高祖聖人御遷化之/忌辰也」 との奥書があり、 本書の成立が嘉暦三 (1328) 年と伝えられていることによる。 しかしながら、 覚如上人の行実が書かれた伝記史料や、 存覚上人の ¬浄典目録¼ 等にも、 本書を指す名が記載されていないため、 未だに定説を見ない。
本書は、 はじめに ¬教行信証¼ 一部六巻の大綱をあらわした書であることを明かし、 次に教・行・信・証・真仏土・化身土の要旨が、 それぞれ簡潔に述べられている。 すなわち、 第一に真実の教とは、 総じていえば 「浄土三部経」 であるが、 その中でも ¬大経¼ が根本である旨が示されている。 第二に真実の行とは、 南無阿弥陀仏であり、 第十七諸仏咨嗟の願に誓われていることが示されている。 第三に真実の信とは、 真実の行である南無阿弥陀仏が真実の浄土へと生まれることのできる真因であると信じる心であり、 第十八至心信楽の願に誓われていることが示されている。 第四に真実の証とは、 上述の行信によって得られる証果であり、 第十一必至滅度の願に誓われていることが示されている。 第五に真仏土とは、 第十二・十三願である光寿二無量の願に酬報してあらわされた報仏・報土であることが示されている。 第六に化身土について、 化身とは ¬観経¼ の真身観に説かれる仏身であり、 化土とは ¬菩薩処胎経¼ 諸説の懈慢界や ¬大経¼ 諸説の疑城胎宮がその仏土であることが示されている。
このように、 本書は端的な註釈態度を取っており、 ¬教行信証¼ に訓詁的註釈を施した ¬六要鈔¼ に比して、 ¬教行信証¼ の達意的註釈の嚆矢とも評されている。
本書の流伝本は、 その内容から二つの系統に大別することができる。 すなわち、 序分や結語部分を有する広本系統と、 それらの大部分を欠いた略本系統である。 広本系統である大阪府真宗寺蔵本の冒頭部には、 「近代はもてのほか、 法義にも沙汰せざるところのをかしき名言をつかひ、 あまさへ法流の実語と号して一流をけがすあひだ、 言語道断の次第にあらずや。 よくよくこれをつゝしむべし……親鸞聖人、 一部六巻の書をつくりて ¬教行信証文類¼ と号して、 くはしくこの一流の教相をあらはしたまへり。 しかれども、 この書あまりに広博なるあひだ、 末代愚鈍の下機にをひてその義趣をわきまへがたきによりて、 一部六巻の書をつゞめ肝要をぬきいでゝ一巻にこれをつくりて、 すなはち ¬浄土文類聚鈔¼ となづけられたり」 等とある。 また結語部分には、 「さればこの教・行・信・証・真仏土・化身土の教相は、 聖人の己証、 当流の肝要なり。 他人に対して、 たやすくこれを談ずべからざるものなり。 あなかしこ、 あなかしこ」 という、 略本系統には見られない一段がある。 一方で略本系統である本派本願寺蔵本の冒頭部は、 「浄土真宗の教相につきて、 真実の教・行・信・証あり。 高祖親鸞聖人、 一部の書をつくりて、 これをあかされたり」 と簡潔に示されている。
なお、 前述の広本系統の冒頭部からは、 本書が宗祖一流の法義にそぐわない理解を示す門流たちの言動を牽制し、 正統な教義を顕示する意図で著されたことと、 ¬教行信証¼ と ¬浄土文類聚鈔¼ の成立順序に関する二点を読み取ることができる。 特に、 後者については、 ¬教行信証¼ が ¬浄土文類聚鈔¼ に先行する書物であるように窺えることから、 いわゆる広前略後説の根拠として注目されている。 また、 広本系統の結語部分は、 蓮如上人の 「御文章」 に近似した形式で記されていること等から、 略本系統に見られない一段は、 蓮如上人の加筆によるものとする説もある。