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光闡百首・今古独語 解説
 両書の成立について、 ¬光闡百首¼ には 「永禄十載十二月廿二日書之」 とあり、 ¬今古独語¼ には 「于時永禄十年十二月十五日書之」 との異なる奥書が記されている。 しかし、 この両書はそれぞれが独立した書物ではなく、 元来、 上下二巻として制作されたものと考えられている。 そのことは、 ¬今古独語¼ の奥書に 「右此両冊今古独語者、最前数日之蟄居、徒然之余暇、所↠記之吟詠、至↢于九十九首↡、先擱↠筆訖。是者始之一巻、二河白道之釈云、是道自↢東岸↡到↢西岸↡、長百歩者、人寿百歳譬↠之、行↢一分二分↡者、年歳時節喩↠之云云。准↠之奉↠待↢其時↡者也。然当月始比、又任↠筆一生往事記↠之」 とあり、 また同じく ¬今古独語¼ の文中に 「こゝに十月廿日、 豫が病霧はれゆく暁、 往事を思ひ和歌を詠吟す。 それより同き廿五日にいたるまで、 漢和をまじへ十三首、 所解の趣き筆にまかせてしるす。 そののち廿八日より時時の頓作を書あつめて、 九十九首におよび、 先百首に一首をのこし筆をさしをき侍る砌件の日極月五日なり」 とあることによる。 すなわち、 現在の ¬光闡百首¼ と ¬今古独語¼ とは本来、 「今古独語」 という名の二巻本であり、 第一巻目は吟詠した九十九首の和歌を収載したもので、 永禄十年十二月五日に一旦、 筆を置き、 続けて第二巻目を十二月十五日に制作し終わっている。 そして、 第一巻目にさらに一首の和歌を加えて百首とし、 永禄十年十二月二十二日に制作の由来を示した奥書を第二巻目に記して完成したものとみられる。 この第一巻目が今の ¬光闡百首¼ であり、 第二巻目が ¬今古独語¼ である。 これらの事情から、 ¬光闡百首¼ と ¬今古独語¼ とは一具の著作であり、 成立も一連のものであったことが知られる。