◎近曽被↠犯
同曰、聖廟之神、同
遥仰↢霊場↡看↢瓦色↡ 唯帰↢於仏↡称↢名声↡ 栄名自是心永絶 深念↢仏恩↡口不↠言
身のあれば 又いかならん いつはりの なき世にきえん 命をぞおもふ
弥陀たのむ 心はたえぬ 慈に 世のよしあしも 忘れはてぬる
又於
至心信楽従↠何発 皆是弥陀廻向相 今日更思↢弘興徳↡ 和朝教主上宮王
たえせじと あふぐ仏の 法の道 まもらざらめや
身をすてゝ 法のためにと おもひ入 心のみちは あめつちもしる
弥陀智願首↢廻向↡ 太子来応慈愍明 観自在尊同勢至 艤↢船苦海↡度↢衆生↡
くるしみの 海をもわたす 法の船 弥陀の誓を たゞたのめ人
次
抑
老釈・弥陀二仏因 真茲唯仰下愚身 無明雲霧随↠風散 法性月輪光耀新
廿あまり 五の年に あひにあふ 法のちぎりを たのむ今日哉
¬観経義
永禄拾年十月廿八日早朝任
をのづから 心にうかむ ことのはを かく水茎の あとぞおかしき
身につとめ 心にさとる 法ならば なにとたのまん 弥陀の誓を
かゝる世の ためにときをく 法なれば この比ことに 弥陀ぞたふとき
定なき うき世はつねの ならひにも ことはりすぎて つらきころかな
かねて聞 弥陀のちかひに まかすれば 世のうきふしも 身にはなげかず
みだれゆく 世をこそなげゝ 心には みだたのむ身の たのしみやこれ
法の師の かねてをしへし 道ならで 又おもふべき 心ともなし
生死の みちはのがれぬ 世をさらに なにとたのまん 弥陀たのむ身は
おさめとる 弥陀の光の うちにすむ 身のあかつきを 待ぞうれしき
たのもしな うき世の雲の あともなく さとりひらけん あかつきの空
とにかくに 弥陀のちかひを あふぐぞよ おろかなる身も たへぬたふとさ
いかにして おろかなる身に おもはまじ 弥陀のあたふる 恵ならずは
あふぎみば なをはかりなき めぐみかな 弥陀のちかひも 祖師のおしへも
今日従
丹心帰↠仏仰↢哀憐↡ 深院独居更精専 近見↢寒庭載霜菊↡ 遠思↢夏日発風蓮↡
仏日・祖風化益遐 欲↠明↢長夜↡法薫加 一心専念↢無量徳↡ 本是如来正覚華
玄冬晦
なぐさみも 外にもとめず 弥陀たのむ 心ぞしるべ 御名をとなへて
いやましに あふげばたかき 法の師の をしへの外は なにかたづねん
同年十一月四日おもひつゞけゝる。
二なき 御法のみちを たづねゆく 心のすゑは 弥陀ぞまもらん
みだれゆく 人の心は さもあらばあれ われはすぐなる みちを訪ん
にごる世の 人の心は すみやらぬ 水になづめる われぞかなしき
なき名にて しばししづみし 苦の 海にもうかむ 舟はあらずや
いにしへも なき名にしづむ 跡はあれど ひろまる法の 道はたえせず
たえせじと たのむ御法を さまたぐる 人の心は さていかにせん
釈迦・弥陀の 誓はいまも あきらけき 御法をたのむ 道はかはらじ
六日暁、 夢さめて後、 開山聖人の御詠歌に
「ありがたやたふとやとこそいはれしは みだたのむ身のひとりごとには」 とあそばされしことをおもひいでゝ、
ありがたや 老のねざめも 弥陀たのむ その嬉しさの ひとりごとして
法の道 君をおもひの へだてなき 心は弥陀ぞ みそなはすらん
法の師の めぐみをおもひ あけくれば 君につかふる こゝろのみして
同七日けふは亡父卒逝の日也。 去文明の比信証院法印北国行化のとき、 安芸法眼光業と云しもの
たらちねの をしへし道も 法の師の 恵みわすれぬ 跡をしぞおもふ
をろかなる 身にもおもひの 法の道 まもらざらめや 神もほとけも
ひるがへす 心ひとつに ゆく道を なをわけまよふ ひとぞかなしき
末の世に なをさかゆべき 弥陀の法 よしさまたぐる 人はありとも
まもれなを こゝろひとつの 法の道 尋ねゆくゆく 身をぞよろこぶ
ぬるがうちも 目ざめてみるも 夢なれば 何か常なる うつゝなの世や
かゝる世も ひとつまことの 道とては 弥陀のちかひを たのむばかりぞ
この比つけをかれし侍の中に、 河上のなにがしといへる人は、 故瑞泉寺賢心にわかき時よりなれむつびし人なれば、 そのゆかりなど申出て、 おりおり心をなぐさめ侍し。 かの賢心は実如上人にしたしみ奉り、 法義におひて他事なく侍しかば、 故法印もことにもてあつかひしうへ、 その子証心は兼順と叔姪のあひだに侍れば、 まじはりもよのつねならず、 ちかくは賢心跡をゆづり修誓坊兼乗とぞ申ける。 つねにむかしの事などかたり給し、 いにしへをもてきこえし、 古きこと
物いはで 心にをくる 年月も 法の道ぞ またるゝ
絵賛 云
痩尽風相四十図 春光曽不到寒枝 莫教淪落西湖去 羞被官梅御柳知
和韻
莫謂風光不到図 朝々映日照梅枝 仲冬薫馥遇時樹 周世昭王盛歳知
同賛云
可期無定両悠々 昏底黄沙日夜流 望断暮雲残照外 青楓吹落海門秋
和韻
可期定裏意悠々 仏化自然法爾流 末世相応一称徳 弥陀本誓是春秋
河上や 法のこゝろの 玉椿 みれどもあかぬ 花の色香は
うれしくも 今夜あひみる 夢の友 ゑいをすゝめし 春の盃
おもひ出る 心はたえぬ いにしへの 人やあはれむ 法の契を
後の二首の歌は、 この暁、 むかしの友とて樽をいだき尋来りて、 ともに盃をめぐらし侍ると覚て、 ゆめさめてよめる。 しかもけふは妙祐禅尼身まかり侍し日なり、 かたがた筆にあらはし書つけ侍る。
ことの葉も たえてうれしき 心かな 弥陀のたすくる 法をきく身は
罪ふかく 愚なる身を おもひしる 心も弥陀の 恩としられて
きく事も 心にうるも はかりなき 弥陀の誓の ふかき慈み
きけばなを わがはからひの 尽はてゝ 弥陀のたすくる 法の貴さ
いく度か 身をかへりみて 法を思 我はからひの ありやなしやと
われといふ 迷もなしや 六の道 よこびる弥陀の 法に任て
よしあしと われにとまりし 道もなし 弥陀たのむ身は うさもわすれて
一すぢに 弥陀たのむ身は をのづから うき世の道も それにまかせて
閑居のつれづれのあまり、 仏陀を遷侍る菩薩歓喜地より十地を経て補処等覚の位にいたり侍る階次をみるにも、 自力修行の成じがたきことをきくに、 今弥陀の本願、 第十七の願の名号を信受する第十八の念仏往生の機は、 すなはち第十一の願、 住正定聚の益、 必至滅度の果をうるよし、 祖師の解釈、 他力易往の本誓、 いと尊くぞ覚え侍る。 今朝おき出侍れば、 寒風はげしく水こほり雪ふりて、 遠の
手にむすぶ 水もこほりて うちむかふ 外山のみねの ふれる初雪
▼ふる雪も 恥をきよむる ためしとや 十地を越る ひとつさとりは
けふは十五日の日なり、 よのつねに弥陀・釈迦二尊感応の日と申しならはし侍る。 されば釈尊世に出給ふ事も、 ひとへに弥陀の本願をときのべましますべきためとみえ侍れば、 末の世のわれらまでも、 この御誓にあひ奉る、 仏恩かたじけなくぞ覚侍る。 又偏増院僧都の御
釈迦・弥陀の 恵あまねき 法の道 ひろまる末の 世をばなげかじ
かりそめの 法の契も 忘ぬや そのたらちねの 残すことの葉
をろかなる 身をおもふにも いやましに ふかくぞたのむ 弥陀の誓を
今夜の月のことにくまなかりければ、
さやかなる 月にたぐへて 思やる 弥陀の御国の きよき光を
いかなれば 月はくもらぬ 中天に なにとうき世の 雲かゝるらん
慈の 光をうけて 法道 きくも仏の ちからなりけり
たゞたのめ あふげばたかき 法の道 心にたゑぬ 弥陀のひかりを
となふるも 弥陀のもよほす 御名なれば げにぞまことの 心とはしる
四十地あまり 八の誓も あきらけき こよひの月は 雲もかゝらず
かんがへ侍れば、 去九月廿七日より今日まで、 四十九日になんなり侍る。 これによりて弥陀の本願になぞらへてかく申侍る。 又子月仲旬第七日当初岡崎中納言と申せし人、 建暦元年の比勅免の宣旨をうけたまはり、 黒谷聖人御帰洛ありし往事をおもひ出で、 源中納言と申ける許へ消息のついでひとりごちし侍る。
法の道 おもふばかりに すぎし身の なにとうき世に まよう心ぞ
世のためと おもひしかども 身のうへに かゝる涙の つもる月日は
いかにせん をろかなる身を かこちても 老行末の 世のならひをば
ひたすらに 弥陀たのむ身の 心をば 法の師徳の 恵あらずや
世の浪も しづまる法の 海づらに うかぶ誓の 舟をしぞ思ふ
むかし大施太子と申せし人、 貧人をあはれみすくはんとの大願をおこし、 如意宝珠をもとめ給しを、 龍神おしみ奉りしかば、 ゑんしの貝を以巨海をくみ尽し、 つゐに宝珠をゑ給ふとなり。 志の深きをば仏神も感応あるためしに申つたへ侍る、 以
こぼすとも 人やみるらん 昔おもふ はなたち花の 袖のなみだは
いにしへも 管にてそらを はかりみつ 貝にて海を くみ尽しけん
愚なる 身にも御法の そのために 心をつくす 道はかわらじ
古き詩に、 白梅盧橘さめてかうばし、 夢はめぐる却月廊といへる事を思出て、
むかしたれ 月にかへりし 夢の間も とくさく梅の 花のにほひに
古も 冬ごほりせし 難波津に さくやこの花 香にほふらん
此歌は仁徳天皇のむかしをおもひ、 今師聖人法流御再興の嘉地によそへ奉る。 かねては去文明の末のとし、 椿如禅尼 従三位雄子 俄に出家発心し給ひ、 善光寺へまうで給しが、 先妣をたづね越の
たらちねの したひし道も 法の門 思いでゝも ぬるゝ袖かな
廿四日早朝、 和泉の国の法友一、 二人、 このやどをたづねて来れり。 ちかきあたりの人さへ、 かたへをはゞかり、 をとづれもなきところに、 はるばるの志、 あわれにおぼへて、
心ざし ふかきや色に いづみなる 信太のもりの 木々のこずゑも
過にし享禄の比、 加州みだれにより、 越の前州へこゑ廿とせばかり、 心をつくし侍る時、 和泉祐念といひしものと、 出雲守正家といへる青侍、 つきそひ侍り、 其外のものはちりぢりになりぬ。 しかるにこのあひだも、 彼和泉が息順信・信秀ふたり、 母子より外はわれにしたがふものなし。 されば二たびの難に心かはらぬこゝろざし、 父のあとをわすれぬ道あはれにおもひ侍る。 ことに弟信秀豫がやまひにおかされ是非をわかざるおりふし、 ちからをそへ侍る事、 たぐひなくぞ覚し。 さすが名ある青侍のしるしと感気すくなからず、 この母子のなさけ、 事につくしがたくて、 老の心におもひつゞける。
身は老ぬ われひとりなる 後の世を たのむは法の
かくてわれ さきだつとても かへり来て すくはん弥陀の 誓たのもし
又土佐入道良誓といへるものは、 故法印にひさしくつかへしものなり。 この大坂御堂御建立の時も、 つかひとしてのぼり、 そのとき給りし法名良誓と実如御筆をくだしましましける。 亡父入寂の後は、 豫にしたがひ当寺帰参の時も、 心をつくせし法徒也き。 つゐにこの御山にして往生の本意をとげしことも不思議の宿縁にこそ、 其ゆかりのものしのびて来れり。 かの法名によせて、
まことある 誓の末や 今さらに 忘ぬ法を とふもなつかし
まことある 誓をたのむ 弥陀の名の 世にきこへたる 跡おしぞおもふ
けふは、 当山開基蓮如上人御命日也。 おなじく法然聖人御円寂の正日なれば、 いづれも浄土弘興の明師にてましませば、 ふとおもひ出侍る。
たゞたのめ 弥陀の誓を 世におもふ 恵はおなじ すみぞめの袖
末の世に 生くる身も 弥陀の名の ひろまる道を 猶あふぐなり
亡父かきをけるふるき要文など、 むかし恋しくてひとりひらきみるに、 豫六歳のとき、 妙照禅尼にいざなはれ、 松岡寺へこえ侍るに、 蓮如上人つくらせおはします 「御文」 (五帖一 ) 「末代无智の在家止住の男女たらんともがらは」 とあそばれし御詞を、 そらによみ侍れば、 「聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもて本とせられ候」 とのべ給 「御文」 (五帖一〇) ををしへさせ給しを、 光教寺へかへりて、 先孝にそらにかたり申しかば、 口づからかきとゞめさせ給し事の跡なり。
今さらに 思ぞ出る 法の道 をろかなるをも すてぬ昔を
愚なる 身にも忘ぬ ことの葉を いまみるからに ぬるゝ袖かな
むかしより ふかき恵の つもる身や わすれずのりの 道おまもらん
去年霜月廿六日、 今師聖人 ¬和讃¼ (正像末和讃 ) の事おほせいださる、 「像末五濁の世となりて 釈迦の遺教かくれしむ 弥陀の悲願ひろまりて 念仏往生さかりなり」 と申とを、 明日引はじめ奉るべきよしなり。 そのむね御堂衆に申べきか、 助言いかゞとうかゞひ申侍れば、 申べからず、 一家衆には我等こゝろえにて候とおほせられしまゝ、 みなみな稽古申、 あくる日その衆同音に申あはせ侍べり、 子細さらにわきまへ侍らず、 今朝その事を思出たてまつり、 ひそかにひとり誦したてまつりて、
思いでゝ ことしも袖を しぼるかな 君がをしへし 法のことのは
さかりなる 御法の花を 心なく 誘うあらしよ さていかにせん
みだりゆく 世にもさはらぬ 弥陀の名の 猶あらはれん 時や来らん
大唐念仏興行の祖師善導和尚は、 永隆二年三月廿七日に入滅したまふ。 その徳をほめていはく、 「仏法東行してよりこのかた、 いまだ禅師のさかんなる徳のごとくなるはあらず」 (端応伝) と 云々。 鸞聖人は、 「善導ひとり仏の正意をあきらかにせり」 (行巻) とほめさせ給ふ。 其法譚によせ奉りて、
さまざまに ひろめし法の 中になを よくみちびける 君ぞたへなる
たらちめの 残す言葉の 露うけて 昔の袖を いましぼるかな
後の歌は、 先妣如専禅尼、 去ぬる永正十一のとし十月廿七日身まかりける、 そのきわに、 豫に語ていはく、 真俗ともにうちやわらぎ、 法友とかたりあはすべし、 談合するときはひとりのあやまりにはならぬものなり。 後生一大事なり、 仏法をもつぱらたしなみ、 ことさら仏前の義をまづゆだんなく心にかくべきよし、 ねんごろに遺言せし事を、 其比はいとけなかりしかば、 心にわきまへ侍らざりしが、 このごろ当寺にまいり、 一しほ此ことの葉をあけくれ思ひいだし侍る、 けふも懐旧の涙袖をうるほしける。 ことに今年はとしどし御影前に通夜せしめ、 朋友まじはり入て、 たがひに信不信の報恩の志をのべ侍る事、 往昔より流例たり。 しかるにおもはざる事によりて、 このやどにとゞまりて、 ひとり思やり奉るばかりなり。
心のみ かようはしるや 今夜なを 法の筵を しきしのぶ身に
晴にけり 天満星の 光まで 法の御空の かげくもりなく
ひるのほどは、 雨ふり侍るが、 暮にかゝり雲はれて、 ほしの光かゞやき、 一天くもなくみゑ侍れば、 かく申侍。 おりふし法友とひきたり、 世のことぐさなど語りきこえけるも、 かたがた慈恩ありがたくぞおぼえ侍る。 夜あけゝれば、 まさしく報恩講御結願成就の御正忌にて侍る。 しかるに讒者のさまたげにより、 つゐに法
めぐみありて けふに逢あふ うれしさは なにゝつゝまん 法の衣手
窮冬朔日、 なべていとなみしげき比に侍れども、 いたづらに日ををくり、 ひとり閑床にむかひしおりから、 夜ふけ人しづまり侍、 秀き酒をすゝめ世のことぐさなど語りいでゝなぐさめ侍りき。 やがてうちふし侍ども、 老の習ねぶりはやく覚て、 暁がたつくづく往事をおもふに、 けふは実如御命日、 又誓賢尼公の正忌なり、 ひそかに念仏のつとめをなし侍る。 ¬和讃¼ (浄土和讃) に 「無明の大夜をあわれみて」 と引はじめ奉れば、 六首は 「平等心をうるときを 一子地となづく」 とのべまします御詞にあたり、 是諸経の意によりてあらはし給ふ所也。 今年、 天王寺にて ¬称讃浄土経¼ と ¬涅槃経¼ を感得して拝見せし事まで思出侍る。 はじめに法身の光輪きはもなく、 安養界に影現しましまし、 又釈迦仏としめし、 迦耶城に応現したまふ、 法・報・応の三身のことはりもあらはれ、 易往無人、 浄信うたがふともがら、 名無眼人名無耳人とときまします金言、 真解脱にいたり無愛無疑とあらはるゝところ、 安養にいたりてさとるべしとあきらかにのべ給ふ御ことの葉、 心肝に銘じありがたく覚え侍る。 時に門をたゝくものあり、 花洛よりのつてなり。 尊書をひらき、 喜悦きわまりなし。 かねては又いにし年霜月の比、 乗賢病により報恩講中出頭をこたれり。 しかれども ¬御伝¼ をばのぞみてよみ給ぬ、 しかるに当春元日の出仕これなし。 豫二日の朝御門主の貴前へまいりしおりふし、 家童物がたりしたまひしは、 乗賢病気快よからざるよし申されしとき、 今師上人、 それは死去すべき旨のたまひしかば、 その人ことの葉なくして立さりぬ。 けさふと心にうかびおもひあはする事侍り、 そのほかたびたびおほせいだし給ふ和讃、 しづかに思案をめぐらし侍れば、 所解のたよりなるべきを、 たゞなにとなくきゝすぐし奉ける、 をろかなる心をかへりみるばかりなり。 さりながらつたなき誠をばすて給はぬ大慈大悲、 たのもしくぞ覚侍る。
をろかなる 身にも忘ぬ 弥陀の名の 誓をたのむ 法のまことは
もとより兼順は、 身つたなく心をろかにして、 真俗の道をわきまへず、 ことにともすれば、 病におかされ、 その
老が身の かゝる思の 露涙 くち行袖に つもる日かずは
もろくちる 庭の木の葉の 色みても 老のなみだの 袖おもひやれ
なにとかく へだつる道ぞ 法の師の 教のまゝと おもふわが身を
法の師の 心の月ぞ 照しみん 世のいつはりの 雲おほふとも
ふたつなき 心は君も みそなはせ 法の恵を 弥陀にまかせて
法の師の をしへのまゝと たのむぞよ 世のよしあしぞ 道もわすれて
いつまでぞ まよう心の 雲霧も 法の恵の かぜにはれずや
すなはちこの日、 今師上人はじめて御尋をなされ、 翌日に清水の
ながらへて すむ御法の 水からも くもらぬ月の かげうつるかに
然
永禄十載十二月廿二日書之
欣求浄土沙門顕誓
于時天正拾四 丙戌 九月下旬奉写⊂⊃
⊂⊃法橋