十六(548)、 黒田の聖へつかはす御返事
▲黒田の聖人へつかはす御文 第十六
○末代の衆生を往生極楽の機にあてゝみるに、 行すくなしとてうたがふべからず、 一念・十念にたりぬべし。
◇罪人なりとてうたがふべからず。 罪根ふかきをもきらはず。
◇時くだれりとてうたがふべからず、 法滅已後の衆生なを往生すべし、 いはんやこのごろをや。
◇わが身わろしとてうたがふべからず、 自身はこれ煩悩具足せる凡夫なりといへり。
◇十方に浄土おほけれども、 西方をねがふは十悪・五逆の衆生もむまるゝゆへ也。
◇諸仏のなかに弥陀に帰したてまつるは、 三念・五念にいたるまで、 みづからきたりてむかへ給ふがゆへ也。
◇諸行のなかに念仏をもちゐるは、 かのほとけの本願なるがゆへ也。
◇いま弥陀の本願に乗じて往生してんには、 願として成ぜずといふ事あるべからず。 本願に乗ずる事は、 たゞ信心のふかきによるべし。
◇うけがたき人身をうけて、 あひがたき本願にあひて、 おこしがたき道心をおこして、 はなれがたき輪廻のさとをはなれて、 むまれがたき浄土に往生せん事は、 よろこびがなかのよろこび也。
◇つみをば十悪・五逆のものなをむまると信じて、 小0549罪をもおかさじとおもふべし。 罪人なをむまる、 いかにいはんや善人をや。
◇行は一念・十念むなしからずと信じて、 无間に修すべし。 一念なをむまる、 いかにいはんや多念をや。
◇阿弥陀は、 不取正覚の詞成就して現にかのくにゝましませば、 さだめていのちおはらん時には来迎し給はんずらん。 釈尊は、 よきかなや、 わがおしへにしたがひて、 生死をはなれんとすと知見し給ふらん。 六方諸仏は、 よろこばしきかな、 われらが証誠を信じて、 不退の浄土に往生せんとすとよろこび給ふらんと。
◇天にあふぎ地にふしてもよろこびつゝ、 このたび弥陀の本願にあへる事を、 行住坐臥にも報ずべし。 かのほとけの恩徳を、 たのみてもなをたのむべきは乃至十念の詞、 信じてもなを信ずべきは必得往生の文なり。▽