0333◎願願抄
◎¬大无量寿経¼ (巻上) に言、
第十一願
「設我得仏、 国中人天、 不住定聚、 必至滅度者、 不取正覚。」
この願のこゝろは、 彼国にむまるゝ信心歓喜の念仏衆生、 みなことごとく一念欲生のきざみに正定聚に住す。 そのゆへは彼仏国のうちには、 もろもろの邪聚をよび不定聚はなければなりとのたまへり。 われら往生の正業治定することは、 この願成就によるとしるべし。
第十二願
「設我得仏、 光明有能限量、 下至不照百千億那由他諸仏国者、 不取正覚。」
この願のこゝろは、 弥陀如来因位のむかし法蔵菩薩たりしとき、 われ仏になりたらむに、 光明限極なからんとなり、 もし限量ありて百千億那由他の諸仏の国をてらさずは、 正覚をとらじとなり。 しかるにこの願すでに成就しましますにつきて阿弥陀仏とまふす。 願成就の文にのたまはく、 「无量寿仏の光明顕赫にして、 十方諸仏の国土を照耀したまふに、 きこえずといふことなし」 (大経巻上) と。 またのたまは0334く、 「われ无量寿仏の光明威神巍々殊妙なることをとかんに、 昼夜一劫すとも、 なをいまだつくることあたはじ」 (大経巻上) とのたまへり。
第十三願
「設我得仏、 寿命有能限量、 下至百千億那由他劫者、 不取正覚。」
この願のこゝろは、 弥陀如来いまだ法蔵比丘たりしとき、 われ仏になりたらんに、 いのち限量ありて、 しも百千億那由他劫にいたらば、 正覚をとらじとなり。 しかるにこの願すでに成就しましますによりて阿弥陀仏とまふす。 願成就の文にのたまはく、 「无量寿仏の寿命長久にして勝計すべからず。 なんぢむしろしらんや。 たとひ十方世界の无量の衆生、 みな人身をえて、 ことごとく声聞・縁覚を成就せしめ、 すべてともに集会して、 おもひをしづかにし心をもあらにしてその智力をつくして、 百千万劫にをいてことごとくともに推算してその寿命長遠のかずをかぞえんに、 その限極を窮尽することあたはじ。 声聞・菩薩・天・人の衆の寿命の長短もまたかくのごとし」 (大経巻上) とのたまへり。 おほよすこの十二・十三の願成就せずは、 たとひ念仏往生の本願成就して生因たるべしといふとも、 念仏衆生の往生ののぞみを達しがたし。 そのゆへは、 光明无量の願にこたへて信心歓喜乃至一念の機を摂益したまふ。 その機はまた遍照の光明にはぐくまれて信心歓喜すれば、 機0335法一体になりて能照・所照ふたつなるににたれども、 またく不二なるべし。 つぎに寿命无量の願成就、 これまた至要なり。 そのゆへは、 たとひ念仏往生すといふとも、 かの安楽浄土、 報身・報土にあらずは凡夫の出要にたらざるべし。 しかれば、 四十八願酬因の正覚の阿弥陀、 寿命窮尽の期あるべからざる条勿論なり。 したがひて、 すなはち、 かの永无生滅の弥陀報身の所居の土、 また報土たるべき義、 またもて勿論なり。
第十七願
「設我得仏、 十方世界无量諸仏、 不悉咨嗟、 称我名者、 不取正覚。」
この願のこゝろは、 法蔵比丘、 あまねく名号をもて衆生をみちびかんとおぼして、 まづわが名を諸仏にほめられんとちかひたまへり。 すなはち願成就の文にのたまはく、 「十方恒沙の諸仏如来、 みなともに无量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃歎したまふ」 (大経巻下) とのたまへり。 これその証なり。
第十八願
「設我得仏、 十方衆生、 至心信楽、 欲生我国、 乃至十念、 若不生者、 不取正覚、 唯除五逆誹謗正法。」
この願のこゝろは、 おほよす四十八願ひろしといへども、 この願ひとり生因たり。 至心信楽のおもひ、 いまのときの造悪不善の凡機として、 さらにこれあるべからず0336。 しかるにたまたま欲往生の深信発得するは、 しかしながら法蔵因中の強願と正覚の弥陀の智力と、 内薫密択するによりて一念帰命の往益を成ず。 しかれば、 至心信楽といふは凡夫自力の心にあらず、 しかしながら仏心なり。 しもの乃至一念も願力より成ずとしるべし。 しかれば、 願成就の文にのたまはく、 「所有衆生聞其名号、 信心歓喜、 乃至一念至心廻向、 願生彼国、 即得往生、 住不退転」 (大経巻下) とのたまへり。 しかれば、 「その名号をきく」 といふは、 善知識に開悟せらるゝ時分なり。 問。 いまの文になんぞ名号をとなふといはずして聞といふや。 こたふ。 名号をとなふる功をもて往益を成ずべからず。 聞といふは善知識にあふて本願の生起本末をきくなり。 きゝうるにつきて歓喜の一念治定す、 このときにあたりて即得往生住不退転す。 「至心廻向」 の四字は承上起下とならふなり。 承上といふは、 かみの 「信心歓喜」 を引起すること、 法蔵因中の至心より生ず。 起下といふは、 しもの 「住不退転」 の前途を達すること、 また至心に廻向したまへる如来大悲の无縁の慈悲より成ぜざるゝものなり。 しかれば、 「欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず、 欲想・瞋想・害想をおこさず、 色・声・香・味・触の法に著せず、 忍力成就して衆苦を計せず、 小欲知足にして恚痴にそむことなし。 三昧常寂にして智慧无なり。 虚0337偽諂曲の心あることなし」 (大経巻下) とのたまへり。 しかれば、 まことしき願楽欲求の心のおこること、 仏願難思の発起にあらずは、 さらに納得すべからざることいふにあたはざるものなり。
本云
*暦応三歳 庚辰 九月廿四日楚忽草之
釈宗昭 七十一
0338
底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本。 ただし訓(ルビ)は有国による。