数字 (12月1日)

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今、思いがけず数字に振り回されています。

正確に言えば数字が問題なのではなくて、数値ないし数値化というとらえ方と、具体的な出来事の持つ絶対的な個別性との間の食い違いにとまどっているのです。

たとえば、天気予報の降水確率で、何%(以上)だったら実際に傘を持っていくでしょうか。現実に、テレビで「山口県山間部 降水確率0%」と言っていたまさにその時、外では雨が降っていたことがあります。80%だろうと90%だろうと、降らないときには降らない。

私は根がずぼらで、降ってからどうしようかと考える方ですが、私の母などは、降水確率に関わらず出かけるときには傘を準備しています。

確率という数字は、多くの事例を統計的に処理したときに出てくる代物です。天気を予報したい日時と気象条件が似通ったデータを探し、その内の何件で実際に雨が降ったかをパーセントで表すと、降水確率になる訳です。

この時点で、どこで「混乱」の種が紛れ込んでいるかある程度突き止められます。参照する過去のデータは確定した「事実」であるのに対し、予報しようとしている出来事は未確定であって、同じ土俵に乗っていません。言い換えるならば、予報は、予報したい出来事そのものについては実は何も語っていないのです。さらに、予報したい出来事の「個別性」を厳密に規定していくと、それに反比例して「類例」が少なくなり、最後には統計的に扱うこと自体が無意味になります。詰まるところ、確率はどこまでも「参考」に過ぎない。

天気予報であるならば「参考」で構わず、またほとんどの人は現実にそのように利用していると思いますが、極端な話、たとえば自分が「がん」であると診断され、5年生存率が 60 % と知らされたような場合にはどうでしょうか。

5年生存率が 60 % とは、そもそも何を意味しているのか。

本当は、降水確率と何ら変らないはずです。しかし、では、たとえば同じ症例の「生存率」が、ある病院のデータによれば 60 %、別の病院では 80 % であったときにはどうか。「生存率」の高い病院を「選ぶ」べきなのか。

このあたりで、どうも何か問題がすり替わっていくような気がするのです。

本当は、数字を気にしないで済むならば、降るときには降る、降ったときに考えようで大らかに受け止めることができるならば、それが一番真っ当な態度だろうと思う。それが、天気予報にも関わらず(あるいは天気予報を見ようともせず)「ちゃんとした準備をしなかった」ことが、どこか倫理的な失敗ででもあるかのように意識されるのはなぜなのだろう。

要(かなめ)は、戻ってくるべきは(逆に言うと見失われているのは)、身体であろうと思います。降られて濡れる、現実に病む、私自身の身体。そこにどれだけ耳を傾けられるか。どうしても濡れたくないときもあれば、少々濡れようとそれはそれで楽しめるときもある。その違いは、論理的には導けず、事に直面して、身体そのものの声を聞かないことにはわからない。

同じ痛みにしても、危険な痛みと、必ずしもそうではない痛み、あるいは避けられない痛みとは、感じ分けられる。それが聞き分けられなくて、人間がこれまで生存し続けてこられたはずはない。

比べないこと。自分が現にあることの 100 % の確かさを、そのままに、きちんと感じとること。そうすれば、傘を持って行こうという気になるか、濡れても構わないと感じるか、我を張るべきところも状況の流れに身を任せるところも、おのずと語り出でてくれるのであろう。

それが、お念仏申させていただくという出来事なのでしょう。

合掌。

文頭


無事 (12月5日)

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何だか、あまり頭がはたらいていません。「このことについて書こう」という気持ちが、あまり動かないのです。

一日アップロードをパスしようかと思ったのですが、先延ばしにしても状況があまり大きく変ると思えない。むしろ、これまでのようには頭がはたらかない状況を、そのままに見つめてみようと思います。

実は、今、東京にいます。家を離れて9日になります。中の子(遊雲、小6)を大塚駅の近くにある「癌研病院」に入院させており、そのつきそいです。病院での寝泊りができないので、今はカプセルホテル暮らしです。

遊雲の右足首に、本人の手の平にすっぽりおさまるくらいの大きさの腫れ物ができ、徳山の中央病院で悪性の腫瘍と診断されました。その後いろんな方のアドバイスに従って、四肢にできた腫瘍に関しては最も多くの症例を扱っている癌研病院で治療に臨んでいるところなのです。

当初はまさに寝耳に水で、正直、かなりとまどいも、うろたえもしました。

納得できないことを一つひとつ考えてみて、また「納得する」という出来事そのものも問い返してみて、今では基本的にそのままに受け入れられるようになってきています。

本人にも、話しておくべきと思ったことはすべて話しています。というより、どう考えてよいのかよくわからなかったことの中には、本人と相談して、本人に教えられて「そうか」と受け入れられたこともあります。

入院できたのは今月の2日で、現在生検が終ったところ、来週早々から化学療法が始まる予定です。

今は、「暇つぶし」に腐心しているというのが実情です。日中は病室にいて、本人や、縁あって同室となった方々と話したり、時間を見つけて本サイトのアップロード原稿を書いたり、あるいは聖典の勉強をしたりして過ごしています。

本人の時間をうまくつぶしてやろうと、たまたま近くの本屋で見つけたオリジナル版の「風の谷のナウシカ」(マンガ)を全7巻買いました。アニメはともかく、小学生では少し難しいかなと思ったのですが、丸々半日かけて通読してしまいました。さすがに疲れたようで、翌日はちょっと寝坊したと言っていましたが。今日は、時間をかけて2回目を読んでいました。

私も、本人の邪魔をしないようにしながらも、何やかや言って全部読んでしまいました。詳しい筋をたどるのは放棄しますが、「業」が大きく表に出るのには驚きました。また、足をすくわれやすい「虚無」がうまくかわし切られているのにも感嘆しました。

病院は、私たちの「身体」が生々しくも主人公になる場です。(よほど注意していないと、もっとも生々しいはずの部分はうまく隠されてしまう面もあるのですが、思っていたほど気になりません。) 私自身は「健康」な身で紛れ込んでいるのですから、その意味でこのような発言にはためらいがなくはありませんが、入院なさっているどの方の「身体」も、輝いているのです。病むという姿で、それを誤魔化していない(誤魔化せない)というまさにその点において、どの方の身体も活き活きとしているのです。

頭がはたらかないとは、つまり、そういうことなのです。頭が追いつけないところで、私の身体がいろいろなことに感応している。

今日一日、何もありませんでした。

細かいことを言えば、ベッドがとなりの大学生A君は3回目の手術でした。向かいの高校生B君は退院が10日に決まり、それに間に合わせようとリハビリに励んでいるところで、これまで怖くてできなかったことができたと喜んでいました。2人とも骨肉腫で膝を人工関節にしています。何もなかった訳では決してありません。そんな中、遊雲は手術を受ける大学生のお兄ちゃんのために折り紙を折り、ナウシカを2巻ほど読み、午後は病院内の売店で自分で買ってきたクロスワードパズルにはまっていました。

平穏無事。いいことです。がんという事実を突きつけられないことには、平穏無事に気付こうとしない私たちの性根には困りますけれど。

合掌。

文頭


浄土 (12月9日)

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ネット上で、かなりはっとさせられる言葉をみかけました。

“社会を生きるな、人生を生きよ”

注:出典(12月5日付)

前後をばっさり省略していますから、いささか突飛に響くとすれば私の責任ですが、このように突きつけられることで、知らぬ間に何かを混同してしまっていたと気付かされたのです。

私の語彙に翻訳するとどうなるのかしら。それを考えていて、そうだったのか、と思う表現に思い至りました。

厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)。

安直に 社会=穢土、人生=浄土 のように受け止められると、かえって話がそれてしまいます。ここで、穢土とは相対の世界、比べる世界、善と悪とを区別する世界、あるいは観念化の世界です。そして浄土と重ねた人生は、私が「生きてきた」歴史の積み重ねのことではなく、私が向うべきもの、それを目指して開き続ける何かとしての人生です。

人生を、ただ人生ととらえていた間は、何かがわかったようでありながら、一番肝心な部分が曖昧で、結局のところそれより先に踏み込めませんでした。「価値ある人生」などといい始めると、その時点で人生ではなく社会に堕してしまう。かといって「人生はそのときそのときの賭けだ」といった方向で考えたのでは、実存主義と選ぶところがない。

人生とは、上で何かをはっと思い出しかけた人生とは、何なのだろう。次第にそこに思いが塗り重ねられていくうち、それが浄土なのだと気付きました。浄土も、このような意味での人生とつながれてみると、宙に浮いた奇麗事としてではなく、生々しい課題として迫ってきます。

私の人生とは、浄土に往生することであった。浄土が、単に私の「死後」の世界などのことでないのは言うまでもありません。

浄土が死後に定位されているのは、私の現実の生の、迷いの深さを示します。どうあがいても社会に堕してしまう私に、私の人生は遠い。

しかしその無限の遠さを、無限の遠さのままに、「ご自身の」人生として生きてくださっているのが阿弥陀如来なのです。阿弥陀如来の「人生」として現に今生きられているからこそ、凡夫の私が、私の人生を生きることができる。

その現場が、なもあみだぶつのお称名なのです。

合掌。

文頭


相部屋 (12月13日)

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この2週間、ずっと遊雲のつきそいで、日中は病院で過ごしています。

遊雲は、入院5ヶ月になる大学生、遊雲が入院した翌日に入院なさった 30 過ぎのおじさん、おととい入院した小学校の1年生といっしょの4人部屋にいます。南向きの4階で見晴らしがよく、今日のような天気のよい日には日が当りすぎで、カーテンを引いていても暑いくらいです。

今では小1の子も含めてみんな打ち解け、通常は仕切りのカーテンを開けて、時に話をしたりいっしょにゲームをしたり、あるいはそれぞれテレビを見たり本を読んだりと、仲良く(?)過ごしています。

今遊雲は抗がん剤の点滴中で、程度は軽いものの副作用は避けられず、吐き気がどうしようもなくて、定期的に(日に3回くらい)戻します。(戻してしまえば元気になって遊んでいますが。) 戻すとなると、仕切りのカーテンを引いても、音や匂いは隠せません。食事の匂いが引き金になることが多いため、他の人の食事中にゲーゲーやるはめになります。

最初は何ともそれが気兼ねで、身を小さくしていました。でも避けられることでなし、回を重ねるにつれて、だんだん慣れてきました。

同室の4人、結局のところ同じ立場なのです。遊雲以外の3人はみなさん手術後で、小用は尿瓶です。これまた音も匂いも隠せない。

そういった、今の言葉で言えば「プライバシー」が保ちにくい状況で、かえっていろいろなことが親しく有難く感じられるのです。

最初からそうだったとまで言うと少しうそになりますが、第一に、まわりの人の生活音や匂いなどが、苦になりません。というよりも正確には逆で、いろいろな気配に、その方の具合を察し、今日は調子が良さそうだと喜んだり、逆に今日はしんどそうだからそっとしておこうと配慮したり、さらには「こうするといいよ」とカーテン越しに助言したりされたりと、心遣いが、温かくて、濃いのです。

遊雲が戻し始めると、たいていどなたかがすぐにナースコールのボタンを押して下さる。すぐに看護士さんがいらしてカーテンを引いて下さるのですが、ゲーゲーやっている間も、「しんどいだろうけれども頑張れよ」という声にならない声が、各カーテンの向こうから届いてきます。こちらも、身を細めてできるだけそっと、というのではなく、むしろその励ましに応えるように、食事中であろうと何であろうと、盛大に戻して、「よっしゃ、それで楽になる」と声に出します。

遊雲は、有難いことに戻してしまうとケロリと元気になるので(私は「半人前の副作用だね」とからかうのですが)、戻し終わって元気になった気配が伝わると、「ホレもう元気なんだからかなわないね!」といった声がかかります。皆さん、嫌がるどころか、喜んで下さっている。

一昨日入院してきた小1の子は、左の大腿骨に痛みがあり、悪性の骨腫瘍の一種である「ユーイング肉腫」の疑いがあるということで、入院の翌日には生検のための手術でした。ところが、開いてみると良性のものであることがわかり、その場で治療(炎症を起こしている骨の部分の削除と補強)を終え、後は傷が治れば退院となりました。その話をご両親から伺ったとき、我が身のことのように嬉しかった。部屋のみんながそうです。

相部屋で、本当によかったと思います。気配を感じ感じさせ、一番隠したい部分が隠せず、知られたくないんだろうなと感じられるときには知らないふりをしと、プライバシーに踏み込み合わざるを得ない毎日なのですが、その方がくつろげる。それを、どこで忘れてしまったのでしょう。

私たちは、本当は「衆生」とくくられた相部屋にいるのでした。

合掌。

文頭


雪景色 (12月20日)

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きのうの朝から雪、外は真っ白です。積もるのはこの冬初めてで、例年と比べればやや遅めです。

天気予報が早くから今期一番の寒気と騒ぎ立てており、そのように覚悟していました。しかしここ(山口県の山間部)ではそれ程のことはなく、やや拍子抜けです。

雪国と違い、積もっても例年ならばせいぜい 20 cm といったところで、根雪になることはありません。雪かきもしますが(寺には小さな耕運機サイズの除雪車もあります)、どけたあとはすぐに融けていき、苦になる作業ではありません。

きのう高三の娘を学校へ送っていく途中、山の木が雪をかぶって もこもこ になっているところへ蜜柑色の朝日が当って、娘が思わず「うわぁ、暖ったかそう」と声をあげました。いささか見当違いながら実際その通りに見え、しばらく二人で大笑いしました。

雪の積もった日は静かです。今回上空の寒さが厳しいのは本当のようで、このあたりでは珍しい粉雪が舞い、日の陰っているときは寒々しい眺めなのですが、一たび日が射すと、舞う粉雪までもきらきら輝いています。

雪は差別なく一切の上に積み、日もまた分け隔てなくすべてを照らしている。

日の当った雪景色は何とも平和なものです。如来様の眺めてくださっている私たちの姿と、多少は似通うところがあるのでしょうか。

合掌。

文頭


 (12月24日)

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今月の最初、一旦は考えを整理したものの(数字)、まだ確率について考え続けています。

ポイントはやはり、個の絶対性(有無を言わさぬリアリティ、説得力)と、確率につきまとう不確定さとを、どう折り合いをつけたらよいのかということです。

前回は、個がまさに今を生きているのに対し、確率の数字は死んだ事実が堆積したもので、帰属する世界が異なるという風に理解しました。それで一旦は気持ちの整理がつき、不必要に「確率」に対しておびえることはなくなったのですが、まだもう一つしっくりこないのです。個の重さと確率の漠とした拡がりが原理的に別の世界のものだというのはよいとして、これらがどのように「出会っているのか」がはっきりしない。

また、見方を少しずらすと、個の「確かさ」と確率の「不確定さ」とすらも、入れ替わってしまいます。動かせないのはむしろ確率の方であって、個は至って不安定だと受け止めることもできる。

確率とは、実は必然のことではなかろうか。ここで必然とは、確定した道筋――たとえば、宿命的に定まった人生――といった意味ではなく、踏み越えることのできない枠、といった意味合いです。

個を、そのときどきの「一回性」のみにおいて眺めると、上の意味での必然とは、まだかけ離れています。しかし個の連続性(ないし反復性)に思いを致したとき、個がどのようにあがこうと、離れることのできない地平が足元にあることに気付かされます。たとえば、「人間は必ず死ぬ」という命題のように。

個の連続性は、一方では私自身の業の持続と味わわれ、一方では多くの個――衆生へとつながります。そしてその上での個の一回性は、まさに縁起を明かすものに他ならない。

「個」という捉え方の内に、我の永続を根拠なく前提とする我執が忍び込んでいたのでしょう。それを離れて眺め直してみると、たとえば「5年生存率」といった確率の数字も、あるご縁が整った一つの「状態」として、私を支えるものであることがうなずけます。私は確固としたものとしてあるのではなく、法にのり縁起による柔らかい状態として、常に私の「今」を実現しているのです。

私は、逆らい難い必然の中を、そのときそのときの縁によって、生かされている。それが、私がここに「確固として」あるということの意味なのでした。

合掌。

文頭


遊び (12月31日)

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久しぶり(30 年ぶり?)に、プラモデルを作りました。

今月の前半、お兄ちゃんへの付き添いで下の子をほったらかしにしていたので、その埋め合わせです。いっしょにおもちゃ屋へ出かけ、バルサ材やギヤボックスなど工作の材料といっしょに、戦車のプラモデルを買いました。(「戦車」ということをまともに考えると抵抗がなくはないのですが、動かして一番面白いのは何といっても戦車です。)プラモデルは初挑戦になるので、組み立てやすそうなものを選んでやりました。

最初に部品の確認をすること、いきなり取りかかからずに組み立て説明書にざっと目を通すこと、そのほかバリ(部品の成形時にはみ出た部分)のとり方や接着剤の使い方など、ざっとしたことを説明してやって、子供が作るのをそばで見ていました。中々筋がよくて、とても初めて作ったとは思えない仕上がり具合で作り上げ、感心しました。(私は初めて作ったプラモデルは――やはり戦車でしたが――失敗して完成までたどりつけなかった記憶があります。)

見ているとからだがムズムズしてきて、日を改めてもう一度おもちゃ屋へ行き、今度は自分用のプラモデルを買いました。もう少し難度の高い、中級レベルのものです。細かい作業用に接着剤もいいものを求めました。(ニッパややすり、ピンセットなどの基本的な工具はそろっています。)塗装まで始めると大変になるので、それは見送ることにしました。

私は高校時代、行きつけのプラモデル専門店で展示用の作品を作るのを頼まれていたくらいで、戦車、自動車、バイク、蒸気機関車、船(上級者向けの帆船も作りました)、あるいは姫路城や薬師寺の東塔など、たいていのものは作ったことがあります。手を動かしているうちに、ここはアルミ板で作り変えたいなあとか、いろいろなことを思いながらも、改造には手を出さないことに心を決めて作業を続けました。接着剤がよくなっているので、いろんなことが圧倒的に楽です。柄つき針が欲しいくらいの細かい作業になると、さすがによく見えず、老眼鏡の必要を感じたのは悲しかったのですが。

上級レベルのものだと、転輪にサスペンションが入り、動きがはるかにリアルになります。今回作ったものはそうではなくて、少しもの足りません。そんな思いもあって、転輪のガタが大きすぎるような気がするのが許せなくなってしまいました。で、部品に少し手を入れて、カッチリ動くようにしました。力のかかる部分ですから本当ならば金属で作り換えたいのですが、改造には手を出さない前提です。しかし接着剤のおかげでほぼ思う通りに仕上がり、ちょっと誇らしい気分になりました。

ところが、これがまずかった。転輪にだけ手を入れ、ギヤボックスやキャタピラをいじっていなかったので、全体のつじつまが合わなくなったのです。ガタが大きかったのではなく、このレベルのプラモデルにとっては必要な「遊び」を削ってしまっていたのでした。

一瞬、頭の中が真っ白になってしまいました。部品に手を入れているので元に戻すわけにもいかず、ギヤボックスの加工をするには工具が足らない。息子の手前、途中で放り出すのはまずい。

結局、場当たり的に他で逃げをとって何とか繕ったのですが、何とも後味の悪い結末になってしまいました。

私たちの生活には、ムダという名前の遊びが必要です。自分の技術をかさにきて局所的にムダを削ってしまうと、全体のスムーズさが犠牲になる。改めて、凡夫の思い上がりの限界を痛感させられたことでした。

合掌。

文頭