初霜? (9月11日)

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寺の裏の崖と、まったく別件ながら体育祭の準備で中学校のグラウンドの草引きに追われていて、ようやく先日、家の周囲の草刈りをすることができました。

その日の夜はぐっと温度が下がり、ついつい薄着のままで寝てしまっていたものですから、明け方寒くて目が覚めました。窓を閉め忘れたかと思ったのですがそうではなく、ふとんを蹴飛ばしていたためでした。

そして早朝、ふと窓の外を見ると、刈られてしおれた草のあちこちに、白いものが目につくのです。露にしては白すぎる。まさか、初霜? と驚いて確かめに出てみると、刈り倒したヨモギの裏葉でした。ヨモギの葉の裏が白っぽいのは知っていましたが、薄明かりの中でここまで白く見えるとは知りませんでした。

そう言えば、寺で手を焼いている葛も葉裏が白みがかっており、風にひるがえると目立つことから「葛の裏風」と歌に詠まれていたはずです。葉の裏の白みに風を知り季節を味わう。田舎暮らしの私でさえ、そんな風情とは遠ざかっていることを思い知らされます。

しかし、あらためて意識して見上げてみると、栗のイガは大きくなり、柿の葉も心持ち色づき始めています。季節は確かに秋です。ほんとうの初霜も、そう遠くはない。

本願の日に照らされて、秋にはいただいたご信心に色づく木々もあり、我を張って常緑を通す木もあり。日に隠した葉裏を白く気取る草もあり。しかしすべてもろともに、ご本願の内に秋です。


 

 

 


コスモス (9月20日)

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あちこちで、コスモスの花が咲き乱れています。

遠目には質素で華奢に見えますが、茎は太くて固く、そのくせ倒れやすくて、花の咲いているとき以外は実にやっかいな代物です。高さも背丈くらいにはなるし、盛大に脇芽は出るし、葉は細くて下を隠してくれるほどにならないし、近くで見る限りぶっきらぼうで貧相で、最初から「藪」にするつもりでないととても相手ができないでしょう。すっかり日本の景色の中にとけ込んでいるコスモスですが、もともとは外来種です(メキシコ原産)。

私は花畑にするためのコスモスの手入れはしたことがないのですが、参道の両側にコスモスが自生しているところがあって、コンクリート舗装の参道の両脇隅、型枠の板の名残の1cmほどの隙間に種を落すため、例年その除草に追われます。コスモスだからと残したこともあったのですが、とんでもなく大きくなって、しかもその頃にはすでに引き抜くに引き抜けず、鎌で刈るはめになってしまいました。

付き合ってみるとある面ヨモギよりもしたたかで、ヨモギのように地下茎ではありませんから大きくなる前ならば1本1本を引くのに苦労はないものの、とにかく数がべらぼうです。また種が見事に時間差で数ヶ月にわたって芽吹くため、見回りが追い着きません。最近ではやむを得ず持続力・抑止力のある顆粒状の除草剤を使っています。

コスモスを見るたび、遠目の清楚さと近目の現実とのギャップを思います。私たち一人一人が抱え日々格闘している煩悩も、如来の目に衆生とくくられたならば、コスモスの花畑並にいのちの花園と写るのでしょうか。