新春 (1月2日)
年が変りました。
いつもと変らぬ日の出を初日の出と拝み、毎夜みる夢を初夢とありがたがっています。
しかし、気持ちが改まるのはいいことです。そうやって変ることができることにこそ、凡夫の私たちが仏へ至る可能性が開けます。
新しい年が、仏へと一歩近づける年でありますように。
強者 (1月6日)
浄土真宗では、除災招福の意味での現世利益(げんぜりやく)を説きません。
現世利益を願う気持ちの裏には、うまくいっている側(勝ち組)と、病気や事故などに見舞われてしまった側(負け組)を分け、負け組に入りたくないという思いがあります。それは強者の思想です。
勝ち組・負け組というわけ方そのものが私にとって無意味であることを、親鸞聖人は愚と示されました。
必然 (1月10日)
原因のないところに、結果は現れません。必然とは、詰まるところそういうことです。
しかし、原因が必ず結果につながる訳ではなく、それには縁が整わなくてはなりません。因に縁が寄りそって、この私と実現しているのです。
よくよく考えてみれば、必然とは御恩のことなのでした。
風 (1月14日)
今日は風の寒い朝でした。少し外を歩いただけで、顔がかじかんでしまいました。
ふと風が止っただけで、暖かく感じます。苦悩のさなかにも、歓びと出会えます。
まこと (1月18日)
正邪や善悪は、論理の世界、区別の世界で語られます。
区別を離れたところで、実のあることを、まことと言うのでしょう。
まことにおいて、この世に無駄も無意味もありません。
寒さ (1月23日)
寒い日が続きます。昨日は本堂の「中」がマイナス4度でした。
しかし、「寒さ」というものがある訳ではありません。どんな冷たいものにも、あるのは「暖かさ」です。
氷 (1月28日)
今朝は路面が凍結していて、冬装備をしている車でも走るのに気を使いました。
備えがあれば、氷の上でも走れます。そして日が照れば、融けていく氷です。