居場所 (12月3日)
居場所がないのは、さみしいことです。
身の置き所が定まらないと、どこにいても浮き草です。
しかしどこで何をしていようと、お念仏申せば阿弥陀様のお慈悲のうち、これ以上ない確かな居場所となります。
明るさ (12月7日)
私たちが一番自然に明るくふるまえるのは、何も隠し事がないときです。
性根の底まで如来にあずけた愚者こそ、もっとも明るく生き抜いている姿です。
匂い (12月11日)
私たちの生活には、匂いがあります。
反対でしょうか。匂いにまで至っていないものは、まだ生活とは呼べません。
私がもってしまっている匂い。それを、喜んでくださるのが如来様です。
痛み (12月15日)
痛みは、何か大切なことを伝えてくれる心身の声です。
不必要に痛みを恐れていると、いつまでたっても現実が見えません。実際、きちんと直視してみると、現実はただつらくきびしいだけのものではなく、私をがっしりと受け止めてくれる確かさ、力強さももっているのです。
痛みに耳傾けることができるようになったら、現実は思いのほか柔らかく暖かいものです。
辛 (12月22日)
「辛」と「幸」は、横棒一本の違いです。
苦悩と安心は、しがみつくかまかせるかだけの違いです。
掃除 (12月28日)
一日生きれば、一日生きただけの汚れがたまります。
心がけて掃除をしないと、汚れにからめとられて身動きができなくなってしまいます。