闇 (2月2日)
今日は雨です。霧もかかり、暗くて、一体何時なのかわからないような日です。
闇という字は、「音」が包み隠されているように見えます。静かに耳傾けるには、こんな日の方がいいのかもしれません。
木枯らし (2月7日)
何とも寒そうな風が、ヒュ〜ッと音をたてて吹き抜けています。このあたりでは(台風のとき以外は)風はそんなに吹かないので、やや季節外れながら、木枯らしという言葉を思います。
事実、木の芽はもうふくらんでいます。この寒さの中にも、〈いのち〉 は確かにはぐくまれています。
悩み (2月11日)
悩みとは、思いや考えが千々(ちぢ)に乱れた姿を言います。
乱れていたものが一つにまとまれば、問いになります。
人生に悩むのではなく、人生を問うていきたいものです。
春一番 (2月15日)
季節外れの「木枯らし」を書いたと思ったら、昨日は春一番が吹き荒れました。台風かと思うくらいの突風で、寺のビニールハウスに穴が開きました。
如来の呼び声に呼び覚まされて、私のこころにも穴が開きました。
風通しのいいこと。
語り (2月19日)
生きているものには、穴がある。生きているこころにも、穴がある。
こころに入り、こころから出る言葉を、語りと呼ぶのだろう。
如来の語りの通る穴を、いつも開いておきたい。
土 (2月24日)
このあたりでは梅はまだですが、家の付近を散歩してみたら、土が春になっていました。早くも代掻きの終った田もあります。雑草がいっさんに伸び始めるのももうすぐです。
阿弥陀如来の願いの土に、私の煩悩が萌えさかります。
善人 (2月29日)
善人とは、知らず自分を閉じている者のことです。
悪人は、自分の底に穴のあいた者です。